ポストNゲート、開放
槍はアスファルトに刺さると、その黄色い輝きをいっそう強めた。
「離れろ!」
九朗の指示に隊員の一人が飛びすさって間髪入れず、槍を中心にボコリとクレーターが出来上がる。
「小規模の逆流現象だ。巻き込まれたら無にされるぞ!」
隊員は自分が辿ったかもしれない未来の残像に僅かな間、呆けたが、これを避けるにはとにかく動くしかない。降ってくる槍の隙をついて全員がライフルをランスギフターに向け、ヴェノム弾を射つ。
爆撃VS対空砲火。その光景はさながら、戦争映画のワンシーンのようであった。
「当たらなければどうということはないってね!」
下から降る弾丸の雨。夥しい数のヴェノム弾はランスギフターの身体を穿つことなく、夜空へ消える。しかし、弾幕とはそういうものだ。彼は斉射に阻まれ、降下地点の屋上に近付けないでいた。
「よし、いいぞ。何とか守れてる。あの槍にさえ気を付けていれば」
ほくそ笑みながらライフルを射つ一人を槍が襲う。隊員は横っ飛びにそれを避け。
「何とかな……」
身体を起こした目の前に、コロコロと転がる丸い物を見つけた。
それは、人間の兵器。槍の抉りとるような攻撃跡とは違い、手榴弾は爆風と破片で周囲の者へ深手を負わす。
「ゴーレムがゴーレムの能力だけで優位だと思うなよ?こっちは何百年も闘っているんだ」
ランスギフターが飛びながら笑う。その一方で、如何にもか弱そうな足が歩みを進めていた。槍、爆発、弾丸、そして悲鳴。それらが渾然一体となった戦場において、その光景はある種の悪ふざけのよう……リボンをつけた少女が一人、犬を連れて散歩している。そこだけ平和な時が流れるように、平然と広場の真ん中まで進んだ彼女は、おもむろにランスギフターを見上げた。
(なんだあいつ……)
上空の目と目があった瞬間、彼女の纏っていた穏やかな雰囲気がガラリと変わる。スニーカーがアスファルトに食い込むと、リードは柄となり、ダックスフントは鎚頭となり。ウォーハンマーを持ち上げる動作はそのままアッパースイングへ続いて、下から空気をゴッ、と打ち砕く。
正直、見切ったわけではなかった。だがランスギフターの身体は横に移動し、長年の戦闘経験に救われた彼は、衝撃波の爪痕に戦慄する。
空を覆う結界の一部が破れ、向こう側に丸く抉れた現実世界の雲が見えていた。
(こんな攻撃喰らったらたとえゴーレムでも……)
結界が波打ち元の空へと戻ると、ランスギフターは下界を睨み付ける。
ウォーハンマーの巻き起こした旋風に態勢を崩した国相部隊が、一人、また一人とライフルを構えるのが見える。
だが、そんなことよりも。彼の意識の全ては、破壊の衝動に満ちたスマッシャーの双眸に注がれていた。
以前、燃え盛るアパートでそうだったように。アーソンマンは道端で出会ったような軽い挨拶を済ますと、まずは一つ、質問をした。曰く、ルドヴィコをやったのは少年、君なのか、と。
「ルドヴィコ?誰だそれは」
「直接会ったわけじゃないから知らなくても当然か。だがあの場であいつを倒せるとしたら君くらいなんだが」
まぁ、いいだろう。
アーソンマンは表情を崩さずに布告する。
「やることは変わらない」
「……」
対するラーメンは少しの緊張と猛りの窺える顔で印を組んだ。一瞬のうちに姿が忍び装束に変わる。
「どうするラーメン。二人でやるか?こいつはお前と同類……同じ力を持っているんだろう?」
微妙に言回しに気を遣った猿の問いへラーメンが口を開く前に、別の声が飛び込んでくる。
「おっと、そいつは出来ない相談だ」
アーソンマンの背後からやってきたのは、薄汚れた白衣を纏った中年の男。不潔感漂うボサボサの頭をしており、丸い眼鏡が電灯の明かりをよく反射している。
「確認するが、アーソンマン。精神生命体は俺が貰ってもいいんだな?」
「好きにするがいい、マッディ・マッド。だがこの先には黒渕鉄も構えていることを忘れるな。前に煮え湯を飲まされたんだろ」
「おお~黒渕鉄。奴とも決着つけなきゃなぁ。どっちが一流の科学者か教えてやるよぉ」
「調子に乗るなよ。お前は臨時の数合わせだ。ルドヴィコの代わりが勤まると思うな」
っつーわけで。
アーソンマンはラーメンを向き、親指で近くの森を指す。
「俺達は別の場所でやろう。友達を巻き込みたくないだろう?」
ゴーレム同士の闘いに。その意味を悟ったラーメンの喉が、ゴクリと鳴った。
抑揚のない少女の声が、プラカードに書かれた文字を読む。
「埋め立てはんたーい」
終電にありつこうと急ぐ駅前の通行人は、視線をやる者さえ皆無であった。
「はぁ、しょうもな」
もとより意味などない自身の行為に、薄く開いたへの字口から溜め息が出る。同時に、携帯が鳴って、彼女はやる気の無い顔のまま耳にあてた。
「はい、栞たんですけどー」
間延びした応答のあとに、「ふんふん、ふーん、ふんふん」と、聞いてるのか聞いてないのか分からない相槌を経て。
「りょうかーい。今からブランクメーカー起動しまーす」
ピッ。
気だるい通話が終わり、携帯をしまってふと見ると、栞の前に中年のサラリーマンが立っている。彼は眼鏡の縁を持ち上げて、プラカードを眺めていた。
「どこの埋め立てですかな?」
「ん~?」
眠そうな眼が苦労人らしいバーコード頭を見つめ返す。
「おじさんはこんな時間までお仕事?」
「そうですけど」
「大変だねぇ。奥さんや子供は分かってるのかなぁ」
「ははは、難しいもんですよ。いくら働いても……苦労は伝わらんもんです」
「そっかぁ~」
おっと、終電だ。それではまた。
タクシー帰宅など許されない一家の柱は、そそくさと背を向け、それを見送る栞の顔は、満たされたようにニヤリと笑う。
月光の中に立つ彼女の右目には、漆黒の渦が浮かんでいた。
京子の影が、横たわる蜜柑ちゃんに落ちる。病室の椅子では彼女の両親が寄り添うように眠り、それは廊下のつっこ達も同じであった。恐らく襲撃と同時に発動するよう仕込まれた結界の効果は、知らざるものを混乱から守る一方で、知る者を孤独な闘いへと誘う。
しかし京子とて、それは望むところであった。
「蜜柑ちゃん、私、頑張るから。これが終わったら受け入れてくれるよな」
返事はない。だけど答えなど既に分かっている。病室を出て、屋上への階段に腰を下ろした京子は、窓から差し込む月光の中で、自分に言い聞かせた。
……最初から蜜柑ちゃんは拒絶なんてしてなかった。こっちが勝手に身構えていただけだ。
「そうかなぁー」
間延びした声が聞こえ、バッと窓の外を見る。結界の中に浮かぶ月は、現実と同じように、ただ青白い光を湛えている。
気のせいだろうか、いや。
「うわあぁぁぁっ」
突然、京子は悲鳴を上げ、胸元を押さえる。胸には黒い渦のような穴が空いており、そこからニュルリと伸びたのは、一本の白い手。
「ひっ、ひいっ」
大きく開かれた目から、タラタラと涙が垂れ流され、両腕はどうすることも出来ず床に投げ出されている。
無力で無抵抗な彼女の目の前で容赦なく、二本目の手、頭、胴、足がズルズル這い出ていき、そして、ついに。
そいつは京子の前に立ち上がった。
「じゃ~ん、栞たんさんじょー」
京子と同じ顔が、そう名乗った。
「あっ、ああ……あ」
必死の形相で制服のブラウスをはだける様子を、もう一人の京子……栞が笑う。
「だいじょぶ、だいじょぶ。身体に穴は空いて無いって」
腰に手を当てた彼女は、へたりこむ京子の顔に、瓜二つのそれを付き合わせると、心臓のある部分をチョン、と指でつつく。
「穴が空いてるのはここ。心の穴から、これは生まれたの」
姿勢を戻した栞は自慢気に、自分の身体を手で示す。
「でもこんなにくっきり可視化出来るなんて、君の心の穴って深くて大きいんだねぇ」
「だ、誰だ……お前はっ。蜜柑ちゃんを……さらいに来たのか」
「んーん。だって病室には君が結界を貼ったんでしょ。式神の結界なんて大したことないけど、時間かかったら面倒だし~。だから」
栞は鏡写しのように腰から提げた竹刀を抜き、京子の鼻先に突き付けた。
「さらうのは君のお仕事だよ~」
日常生活では馴染みの無い風切り音が上空から聞こえ、猿は見上げて言う。
「弱い結界の中じゃただのヘリだな。姿は消してるみたいだが」
マッディ・マッドは心底嬉しそうに目を細めた。
「ほほぉ。さすが精神生命体の叡智。私の愛機、クワクロの説明は必要ないようだねぇ。だけどあれが運んでいる物はどうかな」
台詞が終わると同時、落下してきた筒状の物体が数本、アスファルトに突き刺さる。ジャリ、と足を僅に動かし、構える猿の目の前で、筒に十字の切れ込みが入る。パカリと割れて現れたマシンはかなり細いシルエットのボディをしており、部分的に内部構造が露出している。
大きさは約180㎝と日本人からすれば大きいものの、頼りない見た目の人型ロボット。
それが10体、鳥居の前に陣を敷いた。
「小型のシェイパー。精神生命体なら分かるだろう、これがどういう物か」
「勿論分かるけど、シェイパーってのは、古代地球人がゴーレムを模倣して一番上手くいった成果だろ?似ても似つかない玩具だって社畜星人は言ってるぞ」
猿の言に一瞬、マッディマッドは表情を歪め。すぐに狂気じみた笑みを浮かべた。
「確かにまだ未完成だけどさぁ。現代じゃ立派に最先端だぜ、古代科学の玩具ってのはよぉ」
「メガネも言ってたな、こいつのこと玩具だって」
猿は腕に嵌めていた、緊箍児と呼ばれる輪を外す。額に持ってくると、輪は拡大してピタリと頭に嵌まり、イメージの源であろう、西遊記の孫悟空そっくりになった。
猿はメガネの説明を思い出す。
……これは社畜星人の力を流し込む型みたいなもんだ。予め形を決めておくことにより、具現化能力を効率よく扱える上、予知能力の同時使用も可能とする。ただし変身状態で予知能力を使えばかなり消耗するから使いどころに気をつけろよ。何、変身した姿に名前はあるのかって?勿論あるさ。名付けて……。
「メタルマンキー」
洋介・ブラウンは鉄の猿になった。
それぞれの場所でそれぞれの闘いが始まろうとしていた。そして、この人物の闘いは、意識を失ったところから始まる。
「なんだ、本当は百往復は必要ないって教えなかったのか」
「その方が気合い入るでしょ。本当の思いを届けるには、肉体的な限界の一つや二つ、越えてもらわないと」
もともと、眠って貰う手筈ですしね。と、倒れて動かない本屋を糸男が見下ろす。隣で侍が、頭を掻いて言った。
「北野らしいなぁ」
「俺は親父とは違います」
「わーってるよ。あれは友人の為に俺を呼び出したりしない」
「それで、出来るんですよね」
侍は返事の代わりにシャラリと太刀を抜く。
「俺は昔、ここに国を開いた。俺に開けぬ道などない」
チエエエエイ。
独特の掛け声と共に空気が鳴り、太刀は縦一文字に虚空を裂く。開いたのはあの物語へと続く門。本屋の鞄から一冊の本が飛び出し、その中へ入っていった。




