ポスト敵襲間近
はぁはぁ。
まだ一往復目だというのに、少し息が上がっている。本屋は登ってきた長い階段に思いを馳せ、「これを百回繰り返すのか」と、気の遠くなるのを感じた。
拝殿につくと、糸男が静かに座禅を組んでいた。右手は掌を開き、その上に白い羽根が浮かんでいる。
「うわっ、何だよそれ!?」
「何って大烏天狗の羽根だよ。糸子の思いが籠っているし、依り代には充分だろう」
「そうじゃなくてその現象が何かって……ああ、もういいよ。それで、二礼二拍手一礼だっけ?」
「した方がいいが今回は省略だ」
「いいのかよ」
「時間ないだろ。ほら、俺の左手に触れて」
言われるままに本屋が触れると、糸男の左手にぼんやりと光が宿る。光はやがて吸い込まれるように消え、今度は右腕に文字が浮かび上がった。癒、頼、願、まさに本屋の思いを表した文字列は糸男の腕を伝い、羽根のもとへと流れ込む。羽根を中心に囲うように回り始めた文字は、武、強、戦、などの文字に変換されていた。
「この文字が器を作る。ここの神様を降ろす器だ」
「神様を?今更疑ったりはしないが、神様を降ろしてどうするんだ」
「俺があの本を見つけた時、お前、言ってたじゃないか。出逢い物語には対になる一冊があるって」
「まさか、そこにいるのか!?水無月の魂はもう一つの世界に」
「ああ。だから神様に門を開けてもらう。通れるのは選ばれた一人、もう一つの本を持つ者だけだ」
「……俺に、出来るのか?ほら、俺ってお前達みたいに力がある訳じゃないし……それに臆病だ。入り口を通った先には、相当な危険が待っているんだろ?」
「そうだな。生きて出られるか保証は無い。だから勿論、やめる権利もある。お前がどちらを選ぼうと、俺は責めたりしないよ」
「糸男はいつも誠実で優しいことを言うな。だけど本心はどうなんだ」
「……ごちゃごちゃ言ってないでさっさと助けに行けよ、馬鹿」
本屋は百度石目指して元来た道を行く。階段を下りながら、後ろの友人に向けて大笑いが飛んだ。
「会った時より分かってきたな、お互いのこと!」
ラーメンの手が、放られた缶ジュースを掴む。
「ありがとう」
「戦の前の一杯ってやつだ。酒じゃねーけど」
猿は自分の分をプシ、と開けながら言った。
いま二人は巨大な鳥居の前にいる。糸男の知合いだという神主、彼が張った結界の境界線は、ここから少し離れた交差点付近に存在する。人や車を近寄らせない為の、認識阻害結界。その範囲内である交差点から鳥居を繋ぐ一本道が、予測される主戦場だった。
赤く巨大な門という分かりやすい防衛ラインに陣取り、二人は気楽な雰囲気で会話を交わすが、そこには緊張を紛らわそうという作為的な思惑も垣間見えた。
「本屋のやつ、案外すんなりと信じたよな。俺がゴーレムってサイボーグみたいな存在だってこと」
「俺の中に社畜星人が戻ってるって話もな。ま、さすが『本屋』の息子ってわけだ。頭が柔軟に出来てる」
「っつーかお前は俺のこと見抜いてたんだな。忍び装束で顔は見えなかったはずだろ?」
「社畜星人は周りの情報から一番実現しやすい未来を予測するんだ。情報の一つにお前の正体が含まれててもおかしくはない」
「なるほど。何しろ未来予知だもんなぁ。そのくらいは分かるか。だけどお前は俺の正体に気付いても態度を変えなかった」
「そりゃそうだろ。何か問題あるか?」
「いや、全然。つっこといい……ありがとうな」
「糸男だってそうだろ。あいつ、だいぶ前から気付いてたみたいだけど、そぶりも見せなかった」
「何で分かったんだって俺が聞いたら、『ラーメンは妖力がだだ漏れで見る人が見たら一発で分かる』だってさ。あいつ何者なんだよ」
「さぁな。そのうち下駄を飛ばして攻撃したりすんじゃねーか?」
「顔が目ん玉の家族がいるかもしんねーぞ」
二人は笑った。お互いの秘密を知ってもなお、繋がっている絆を噛み締めながら。そういう仲間に恵まれたことを誇らしく思いながら。
「まぁ、とにかく」
そして時が来て、猿は笑いを治めつつ言う。
「こんな面子だからこそ」
ラーメンも同じ方向を見て、声を揃えた。
「ああ、蜜柑ちゃんを救える」
二人の目には、鳥居に近付く一人の男が映っていた。
金髪に鷲鼻の男は嬉しそうに、悲しそうな顔をする。
「へぇ、正体がバレてもまだそっちに立っていられるんだな、少年」
田舎の街とは言え、夏の夜はそれなりに起きている。
仕事あとの束の間の自由を漫喫するサラリーマンや、夏休みを謳歌する大学生、バイクで風を切って切符を切られるやんちゃな若者。
少し高台に位置する大学病院には、それらの音が周りから競り上がるように届く。
だからこそ、生活音の一切が排除された現状は、そこにいる者にかなりの違和感を抱かせた。
「いやぁ、何回経験しても慣れないっすね。結界ってもんは」
国相部隊、傭兵斡旋任務担当の男は、部下の意見に頷く。
「そうだな。この光景を見るたびに、奴らとことを構えるのは得策じゃないと思い知らされるよ」
「でもどうなってんすかね。今回は対象と関係者を壁の中に放り込んではい、終わりじゃ済まないでしょう?病室から患者が消えたら騒ぎになる」
「覚えておくといい。高等な結界ってのは外に対して幻を見せることも可能だ。空のベッドも一般人の目には患者が寝ているように映る」
「さすが九朗さん。詳しいんっすね。けど対象は結界の外にいた方が良くないっすか。どうせ敵は結界を突破出来るんだし、それなら一般人に紛れてた方が」
「こっちが張らなくても敵が張る。ランスギフターみたいなのに対象を隔離されてみろ。こっちが手出し出来なくなるだろ」
「色々駆け引きがあるんすねぇ。俺は単純にドンパチの方が性にあってますわ」
「おい、その発言は国相部隊の品性を……」
九朗の苦言をポケットの中の振動が止めた。彼は携帯を耳にあてると、通話相手から報告を受け取る。
「……了解だ。お前達はそのまま任務継続。敵の増援が入り次第、知らせてくれ。以上」
携帯をしまうと、通話内容を察した部下が尋ねてくる。
「偵察チームからっすか。敵は、誰なんです」
「噂をすれば、だ。ランスギフターが来た」
まぁ予想通りだな。と付け足しながら、九朗は次にトランシーバーを取り出す。
「国相部隊に告ぐ。目標はランスギフター。空を飛べる故やっかいな相手だがこちらも切札を用意してある。我々の任務は対象の防衛であるからして、奴の動きを封じれば充分に勝機は見込めるだろう。総員、ヴェノム弾、装填せよ」
命令を皮切りに、正面入り口の遮蔽物という遮蔽物に潜む隊員のライフルへ、N粒子の具現化を阻害する弾が込められる。
やがて全員が準備を終えたことを確認すると、九朗は部下に頷いて見せた。
「さぁ、ドンパチだ」
白い廊下に置かれた椅子に座り、彼女達は俯いている。
その中でつっこがふと顔を上げ、周りを見渡した。
「なんか、静かになったね」
「夜も遅いからな」
「そうですね……」
静けさは時に不安を運んでくる。つっこの感情に気付いた宝蔵槍子が、優しく頭に手を乗せる。
「長い夜に押し潰されては駄目だ。こんな時こそ楽しいことを考えないと。例えばほら、水無月が戻ったら何と言って出迎える?学校で一緒にやりたいことは?」
「それは色々ありますけど……」
つっこが言い淀んでいるうちに、糸子がさっと手を上げた。
「つっこの歌をどうにかするってのはどうだ」
「あー、それは早急に取り組まなきゃいけない問題よね」
ビッちゃんも同意して、つっこの顔を見た。あんまりマジマジと見るので、つっこの頬っぺたがぷくっと膨れる。
「ちょっと、私の歌ってそんなにひどい?」
「自覚が無いのが一番ヤバイよね」
「音楽の授業の時、気持ち良さそうに熱唱してたもんなぁ」
糸子とビッちゃんがクスクス笑い、つっこはムキーっとする。つっこは腹を立てたかもしれないが、その場は少しだけ、明るさをとり戻したように見えた。
そうだ、そうやっていればいい。
満足そうに、宝蔵槍子は頷く。
「ところで、京子はまだ屋上なのか?」
近くの友人との繋りは、ここにいない存在を強く意識させたのだろう。糸子が心配そうに京子の話題を出す。
あの子も辛いのよ。と、ビッちゃんが答えた。
「京子が辛い?」
「あの子は前の私と似ているから。誰かに依存しないと生きられない、以前の私に」
つっこと出会い、輪が広がり、今の楽しい高校生活がある。中学時代には得られなかった居場所。蜜柑ちゃんを初めて見た時、京子は自分の席を獲られるのでは、と思った。自分以上につっこを知る彼女に危機を覚えたのだ。
実際、後になって考えれば子供じみた考えだと自分でも分かる。席は単純に増えるだけ……いや、もともと用意されていた空席に、然るべき人物が収まるだけなのだろう。
自分の卑屈さが恥ずかしかった。だから梓さんに式神を貰った時、これで挽回出来ると喜んだ。蜜柑ちゃんに害意を持って近付く敵を倒せば、蜜柑ちゃんにも、つっこにも胸を張ってまた会える。
その計画は、一本の電話の後、梓さんの口からもたらされた言葉で雲行きが怪しくなった。
「さぁ、もうすぐ敵が来るわ。京子さんは下で友達を守って頂戴」
「ちょっと待ってくれ。一緒に闘うんじゃないのか?」
「来るのはゴーレム、あの忍者君と同類なのよ?」
そんな危険に娘を晒せないと、梓さんは言う。
親の優しさだとは京子にも分かった。されど汚いとも思ってしまった。
「つまりこういうことか。梓さんは私に、安全に罪の意識から逃れさせようと」
「そういう言い方をしないで。京子さんの役割だってちゃんと意味はあるわ。この闘いは一定時間この場を守れば私達の勝ち。時間稼ぎが重要なのよ」
「一定時間?だとすると……終わりは何なんだ」
「それは……水無月さんの意識が戻るか……」
「おい、まさか」
言い淀む梓さんの態度は、京子に残酷な勝利条件を伝えるに十分なものであった。そしてちょうどその頃、彼女が憚った先を、彼の超人は叫んでいた。
「つ、ま、り、女が逝っちまう前に俺の槍をぶちこめばいいってことだろ!?」
雲の上に吹きすさぶ風の中に、ランスギフターのカラカラと笑う声が混じる。彼は赤毛をそよがせ、今度は八重歯を見せる攻撃的な笑顔を作った。
「ああ~、生き残るってパターンもあったか。だったら下品な物言いは控えなきゃなぁ~。嫌われて言うこと聞かなくなったら困るもんなぁ」
あんまり調子に乗るな。ルドヴィコをやった奴が紛れているかもしれないんだぞ。
身体そのものに備わる通信機能から、諌める声を聞くまでもなく。彼の眼光は既に鋭い物へと変わっている。
「分かっているさ。あいつの仇は絶対にとる」
なぁ、アーソンマン。
推進ジェットが火を吹いて。結界槍のゴーレムは戦場へと急降下していった。




