ポスト終わりの序曲
何故っ、何故普通に食っている。うちの飯を!
「ああ、このスープはコクがあって最高だな。ジーナが作ったのかい?」
「それはライナスが作ったのよ」
「ムニエルも、バターの風味が素晴らしい。ジーナが作ったのかい?」
「それはフィンが作ったのよ」
そしてやめろ。料理下手なジーナを煽るのを。
「だけどこのパンは硬いな。ちょっと焼きすぎなんじゃ……」
「ブルーノ隊長!」
遂にデッドラインを越えようとするブルーノ隊長を、本屋は慌てて止める。
「話ってなんすか、早く話して下さい。そしてさっさと帰宅して下さい」
「ちょっとは歯に衣着せてくれよ。流石に傷付く」
全然傷付きそうもない澄まし顔で、ブルーノ隊長は「授与式だ」と言った。
「もう大分経つが、不死竜を討伐した時に、爵位を断ったろ」
「ええ、畏れ多いし、自由でいたかったので」
本屋の代わりにジーナが応える。はっきり言って本屋にその辺の記憶は無い、というか曖昧なので、偶然助け舟の形になった。
「そうだろうけど、国としては救国の英雄が何も受け取らないのは、反って困るんだよ。そこでこの度、ヴェレタ女王が名誉的な物を与えることになった。名付けて『よく国を救ったで賞』」
………。
「なぁ、ジーナ。この国大丈夫かな」
「うーん、ヴェレタさんの感性って独特よね」
ジーナは料理レポートで芸能人がよく使うような逃げ口上を垂れた。ちなみに彼女の料理に独特の味なんて言ったらしばかれます。
それはともかく。
「それは素晴らしいことです」
横合いから弾んだ声が聞こえて、ブルーノ隊長はそちらを向いた。
「お、フィンもそう思うかい?」
「勿論ですよ。二人がこの国にとって如何に必要かは、息子である僕が一番よく知っています。さっきも大活躍でしたし」
それを聞いた本屋はいやいや、と手を振ってみせる。
「子供相手の喧嘩に勝ったところで自慢にならないよ」
「そこじゃありません。その後でカイツ君達と契約を交わしたでしょう?施しではなく対等な契約を」
「そう言えば何か話してたな。俺は離れてたからよく聞こえなかったけど、あの時ライナスは何を言ったんだい?」
興味を持ったブルーノ隊長はフィンに詳細を聞き、「うーん、なるほど」と興味深そうに顎を触った。
「先進的だな」
「そうですかね」
「そうだとも。孤児達とさえ対等に、なんて者は、この国だけでなく世界中探してもほとんどいないだろう。思えば君は人と人との間に序列を作らない言動をしていた。そうでなきゃ、俺もここで食卓を囲ったりしなかったろうね」
「あ、ブルーノ隊長って伯爵でしたよね。なんかすみません」
「いいってことさ。必要としていたんだ、ヴェレタ女王も俺も、孤児達も。君の考え方は確かに、国にとって新たな風となるかもしれない」
「新たな風なんてカッコいいもんか分からないけど、この人が変わってるのは確かよね。ライナスの故郷ってどんなところだったのかしら」
故郷。
その言葉が出ると同時に「ごちそう様」と、食卓を去る者があった。
「あら、ウルポックちゃんもういいの?」
うん。と、少し元気の無い声を返して、フヨフヨとねぐらのある二階に向かう。
「いつもは50回はおかわりするのに」
「それは普段が異常だっつーの」
心配そうなフィンに突っこみを入れて場を和ませようとする本屋だったが、彼自身、前にも見た何かを訴えるような表情が気になっていた。
(ウルポック、お前、何を隠している?)
「ええーっと、俺、ちょっとその辺うろついてくるわ」
「あら、流石のライナスもここは入りづらいのね」
「その流石は何にかかってるんだ」
こんな夫婦のやり取りがあって、本屋はそそくさと下着販売店の入口から離れた。
服飾通りを目的もなく歩いていると、向こうから篭を提げた小さな働き者がやって来る。
「お父さん!」
「おう、フィン。配達終わったのか」
「ええ、滞りなく」
「なんか悪いな。子供のお前ばかり働かせて」
「何を言ってるんですか。お父さん達は命懸けでダンジョンに潜っているのですから、店の方は任せて下さい。ところでお母さんは」
「パンツ選んでる。一時間って言ってたけど、二時間はかかるんじゃないかな」
「はは、流石のお父さんでもランジェリーショップは辛いですか」
「だからその流石って何にかかってんの。変態?息子に変態って言われるの凹む!」
「変態だなんて……言葉の綾ですよ。それにしても意外です。お父さんならダンジョンに被っていく下着を物色するかと」
「綾になってない!」
微笑ましい親子の会話を繰り広げながら、二人は行く。道中フィンがパンツマンと言いかけてからお父さんと言い直すので、なんとかやめて貰うべく購入したマフィンを手に、食事場所は先日立ち寄った水路脇と相成った。
今日は日差しが強い。こんな日に休むとしたら水辺の木陰なんか最高だろう。
「それに、気になってるんだろ」
腰を下ろすと、早速マフィンに囓りつく育ち盛りに、本屋は訊く。フィンはゴクンと飲み下し、「ええ、まぁ」と言った。
「今日も来るでしょうか」
「うーん、来るっていうか、もう来てるっていうか。俺の後ろから猛獣のような目でお前のマフィン狙ってるぞ」
「え、いや。それだったらお父さんの方が」
近いのでは。フィンが言うよりも早く。「グルァァァ!!」
「うわぁぁぁ!!」
本屋の持っているマフィンには、ざっくり歯形がついている。
「大丈夫?俺の手、指もってかれてない?」
「ひぃふぅみぃ、よ、いつ、と。大丈夫、きちんと5本ついてます」
「そっか、そっか。ちゃんとマフィンだけ噛みついて偉いねパド」
ってそうじゃない。
ゴン。
「いたぁぁ!また殴ったぁぁ!」
「俺もいてぇんだよ、この石頭!」
のたうち回る二人に、「何やってんですか」とフィンの呆れた視線が注がれている。
「いくらなんでも行儀が悪いですよ、パド」
「我は腹がすいて」
「それは分かるけどよ」
食べ物をくれと頭を下げるより、奪う方がよっぽど恥ずかしいんだぞ。
本屋は説教を飲み込む。言葉より心。優しさを注げば、子供はきっと優しく育つ。
「ほら、やるよ」
「我に物を恵むというのか!?」
「うるせぇ、子供は腹が減ったら食うんだよ」
「僕のも半分あげます。一緒に食べましょう」
差し出された二つの手をじっと睨んでいたパドだったが、やがて引ったくるようにマフィンを掴み、ガツガツと食べ始めた。
フードの中を見られるのを嫌ってか、それとも泣いているのを隠すためか。こちらに向けた震える背中に、本屋は確信を持つ。
「……あ、ありがとう」
この子は、変われる。
食卓にパドの話題が上るようになってしばらく。今日もフィンは新しい友達について語る。
「それで、奪った金品は全部返したそうですよ」
「代わりに自分が食えなくなったのか。あいつ、生活力低そうだもんなぁ」
「どうでしょう、お父さん。パドは強い魔力を持っています。そのうち僕とダンジョンに潜る前提でうちに置くというのは」
「ジーナ、どう思う?」
「私はあなたが良いなら別に構わないわよ。大事なことはあなたが決めるべきよ」
その晩、本屋は床の中で物思いに耽っていた。物語の趣旨が終わっても、彼の毎日は続いている。冒険、息子の事、新たな出会い。気苦労も絶えないが、大体のことが良い方向へ向かっている。この異世界で彼の生活は安定していた。
……それは、別の言葉で停滞と言うのかもしれない。
ふと窓を見ると、射し込む月明りの中に小さな丸い影が浮いている。眩しさに手をかざす向こうに、一瞬それは人の形をとった。
「ウルポック?」
振り返った姿は、やはりマスコット然としたモコモコで。「ねぇ、ライナス」と、感情の読み取れない声色を奏でた。
「どちらもは、無理だよ」
停滞は動き出す。精霊の一言と、未来の幻を皮切りに。
きりーつ、れい、ちゃくせーき。
「ねぇ、先生さぁ」
「あん?どうした押杉」
授業が始まるなり話しかけてきた押杉真理子に、宝蔵槍子の片眉が上がる。
「私の隣の席なんだけど、なんで誰も座ってないの」
「おや、そこ誰もいないのか」
そりゃ押杉がおっかねぇから誰も座らねーんじゃ。
「あ?」
い、いやいや何でもあらへんがな。
途中で茶々を入れたお調子者を一睨みしてから、押杉真理子は頬杖をついてブー垂れる。
「何か気味悪いんですけど」
「確かにあまり見栄えがよくないな。よし、押杉。後ろに持ってってくれ」
「えー、何で私が」
「夏休みの補習を夏休みが終わってから受けるってのも乙だよなぁ」
「っち、一回免除したのを持ってくんのマジ卑怯」
渋々と立ち上り、隣の机に手をかける。 そこへ。
「は、何?」
空席の後ろから、ラーメンが手を伸ばして妨害してくる。
「駄目だ。この席は……」
「はぁ?どうしちゃったのこいつ。ねぇ、美咲、あんたんとこの地味ーが……美咲!?」
ビッちゃんの方へ苦情を言いかけた押杉の目が見開かれる。彼女は、泣いていた。
「だめ。だめなんだよ、その席は……何か大切なものが」
「あんた達一体」
揃って涙を流すつっこ軍団。そう言えば押杉自身も得体の知れない喪失感が、心の隅をチクチクと刺している。
「おい押杉、早く持っていけよ」
「でも先生」
……先生も、泣いています。
自分の席だった場所を真ん中に、訳も分からず泣き咽ぶクラスメイト達。
ライナスは教室の隅からそれを眺めていた。
俺は消えたくない。俺は俺でいたい。俺は……。
「俺は本屋、貝柱保だ!」
跳ねるように身体を起こした先には、柔らかな日差しで満ちていた。この世界でライナスと呼ばれる男の頬を、ジーナは優しく拭う。
「大丈夫。まだ大丈夫だから」
「ジーナ、これ以上惹かれたら、俺は」
「うん。でも少しだけ。ね?」
甘い香りと愛しい感触の中で、彼は耳元にもう一度、「大丈夫」の声を聞いた。
「全部私に任せて」
英雄の、誉を戴く晴れの日の朝に。物語は終局の兆しを見せつつあった。
深入りし過ぎた。この世界に、そして、ジーナに。このままではいけない。頭では分かっているのに、心が手放そうとしない。
本屋は、決定的な決着を必要としていた。
「ライナスさん、聞いてますか?」
「あ、ヴェレタ」
「ふふ、あなたでも緊張するのですね。こんなに大勢の前ですみませんが、みんなあなたの言葉を待っています。何か言ってあげて下さい」
「ああ……」
振り向くと噴水広場に集まった街じゅうの人、人。隣にはジーナ、そのまた隣にはレイブンも居り、みな本屋の動向に注目している。
「けじめをつけないとな」
演説の始まりは、「俺は英雄なんかじゃない」であった。
「あの時俺が抱いたのは、国を救おうなんて大それた物じゃなかった。俺はただ、友を救いたいと思って、それが俺の運命なんだって。それだけだった。そして確かに、俺とヴェレタの出会いは互いの運命を変えたんだ。それぞれ愛すべき人を見つけ、俺には息子も出来た。ジーナやフィンのいるこの街の平穏を、俺は願い続けるだろう。隣にいる友人を、愛すべき人を守る。これからのトゥリアンダに必要な英雄とは、国民一人一人の意思に宿っているものだ。その一人として、いつまでも俺は傍らにあり続けよう。以上だ」
主人公としての役目を物語に返す。この演説にはそんな意味も込められていた。
割れんばかりの拍手の中にいる誰か。顔も分からない人物に後を託し、本屋はヴェレタに向き直る。
「どうだったかな」
「あなたらしい、良い演説でした。では、記念品の授与を。不死竜の残骸より見つかった宝玉で作らせた一品です」
赤い玉石のあしらわれた首飾り。ヴェレタは本屋の首にかける前にまず、民へ向けて掲げ、披露する。
美しさに目を奪われる聴衆の吐息。
同時に。愛する人の声による、予想もしない言葉。
世界の理から外れた音のように、妙に響く、それは。
「ポーズ」




