ポスト蛇足
「お、お父さん?俺が、君の?」
本屋が目を白黒させていると、少年の目にじわあっと涙の玉が浮いてきた。
「そんな、ひどいです。忘れちゃったんですか、僕のこと」
「わわわ、待て待て、泣くなって。今思い出すから」
このようにいつの間にか物語が進行している状況は久々であった。それ故、本屋は「今思い出す」等とフォローになってないフォローを入れてしまう。
「お父さんは僕がいらなくなったんだ。僕はいらない子なんだ」
少年がワンワン泣き始め、通行人の視線が集まってきた。そこへ、ドタドタと店内から乱暴な足音がやって来る。
足音の主は壊れるんじゃないかという勢いでドアを開け放つと、怒り眼で本屋に迫った。
「何、フィン泣かせてるのよ!」
「あ、ジーナ。やっぱりこの子って俺と君の……」
バチーン。
強烈なビンタが答えであった。
それから時を置かずして、店の前で母子に土下座する情けない父親が一人。
「すみません。ぼーっとしてました」
「洒落にならないボケをかますんじゃないわよ!子供が傷付くでしょ」
「本当にそうだよな。悪かった、フィン」
本屋が手を差し伸べると、フィンは目許を擦り、握ってきた。
「ううん、僕も人通りのあるところで、泣いてしまって、ごめんなさい」
どうやら出来た息子のようだ。それはもう、ちゃらんぽらんな親父よりずっと良い子に違いない。本屋自身、そう思いながら立ち上がると、ジーナに目をやる。彼にはどうしても確認しておかなければならないことがあった。
「あのさ、子供がいるってことは、その、俺達セッ……」
通り過ぎた平手が帰ってきた。
息子と父親。親子二人でローゼスシティの街並みを歩いている。勿論、本屋の両頬には真っ赤な紅葉が咲いていた。
「大丈夫ですか」
「うん、まぁ、ヒリヒリするくらいだ。悪いな。情けないところ見せちゃって」
「アハハ。気にしてないですよ。いつものことですし」
「いつものことなのか……」
ちょっと凹むが、自分とジーナが結婚したんなら尻に敷かれるのも当然かと、受け入れる。
そんなことよりも、彼は現状こそが気になっていた。
(ジーナとキスした瞬間、終わったと思ったんだけどな。今のこれは物語的には蛇足じゃないか?)
良く言えば余談、後日譚。どちらにしても、男女の出逢いを描いた「出逢い物語」とは主旨を逸脱しているだろう。現状にタイトルをつけるなら「出逢っている物語」とか「出逢った物語」になってしまう。
「あの、僕と一緒に歩くの、つまらないですか?」
急に黙りこんだからだろう。フィンが不安そうな顔を向けてきた。本屋は慌てて笑顔を返す。
「つまらない訳ないだろ。フィンはいい子だし、自慢の息子だよ。ただちょっと考え事していただけさ」
そう、つまらない筈はないのだ。今、彼は現実世界の多くの人間が憧れる、異世界ライフを満喫している。そして何より、もう会えないと思っていた最愛の人と再会出来たのだから。
しかし。終わらない物語は彼に不安を抱かせている。そして終わらせられない主人公であることに、多少の罪悪感も感じていた。
「ま、考えていても仕方ないよな。それで、どこ行くんだっけ?」
「アルフレドさんの店に商品を卸しに行くんですよ。沈黙の秘薬に必要なマンドレイクの花粉をね」
「沈黙の秘薬、ね」
「あ、その顔は忘れましたね。駄目ですよ、いくら強くても冒険者がそれじゃ。沈黙の秘薬っていうのは撒くと辺一面無音空間になる粉のことです。使い方が多少難しいんですが、無詠唱で魔法を使える人なんかはかなり重宝するそうですよ」
「なるほど、そりゃ無敵だな。それにしてもフィンはよく勉強してるんだな」
「勉強、というよりは、『アイテム査定』のスキルが大きいですね。アイテムの相場や効果が分かりますから。あ、勿論、ちゃんと勉強もしてますよ」
言ってから、フィンは若干訝しそうな顔をした。
「でもお父さん、僕のスキル知ってますよね」
「あ、ああ。だけど、一度見たアイテムの効果とかを、ちゃんと覚えてるところが勉強熱心だって言ったんだ」
「そうだったんですか。えへへ、ありがとう!」
ニパッと笑うフィンを見て、本屋はホッと胸を撫で下ろす。
まったく、どこからボロが出るか分かったもんじゃない。
言葉は慎重に選ぶべきだと、自分に言い聞かせていると。
「よぉ、ライナス!」
太い声の主はレイブンだった。気付けば二人は冒険者ギルドの前まで来ており、彼は丁度、ギルドから出てくるところであった。
「レイブンおじさん、こんにちは」
「おお、フィンも一緒か。どうだ、勇者の剣は抜けるようになったか?」
勇者の剣、という単語に釣られて本屋がフィンの腰に目をやれば、確かに随分立派な剣を提げている。立派だが、ちょっとばかし身長に合わない大剣。その柄を握りしめ、彼は俯いていた。
「すまんすまん、悪気はないんだ。だけどいつも言ってるだろ、あんまり気にすんなって。聞けば勇者の使命ってスキルは、運命神が授けたもんらしいじゃないか。だったらその時が来たらきっと抜けるさ、トゥルブレイの時みたいにな」
「本当に?」
「本当だとも。なぁ、ライナス」
自分の息子が勇者と聞いて本屋は驚くが、主人公の息子なんだからそれもありかと、話を合わせる。
「そうだな。運命神関係のスキルは発動するタイミングが予め決められてるようだからな。必要な時にはきっと使えるはずだ」
「そっか……」
フィンの顔に明るさが戻ってきて、レイブンは頷いている。不死竜討伐からこれまでの間に、家族ぐるみの付き合いがあったのだろう。更に深まりを見せる交友を、本屋は嬉しく思った。
と、その時。ギルドから冒険者らしき若者たちが出てくる。彼らはレイブン、そして本屋の方を見ると、目を丸くして固まった。
「ま、まさか、ライナスさん?」
「腰にダーツ提げてる冒険者なんて一人しかいないだろ。きっと本物だ!」
「す、スゲェ。俺、マジの英雄なんて初めて見たぜ」
ここまで分かりやすい反応だと、正直照れ臭いな。
本屋は頭を掻きつつ、軽く手を上げてみせる。
若者達がよこす崇敬の眼差しは、完全に熟練冒険者へ向けたものであった。いや事実、10歳手前くらいの子供がいるのだから、物語上は立派に大人だろうけれど。中身の高校一年生としてはいささか、妙な感覚ではある。
本屋が戸惑っている間にも、若い冒険者達は目を輝かせて近づいてくる。そのうち一人がレイブンに話しかけた。
「親分、本当にライナスさんと知合いだったんですね」
「なんだ、面接の時に言ったこと、疑ってたのか!?」
「いや、宣伝の為の口上かと」
「あのな、俺だって不死竜討伐に参加した英雄の一人なんだぞ。何でこうも扱いが違うんだよ」
「だって親分はなぁ……」
「いつも『マリーの酒樽』の女主人に殴られてるイメージしかないから……」
「う、うるせぇっ!マリーさんにはどんな冒険者も頭が上がらないんだよ!下らないこと言ってねぇでさっさとクエストに行っちまえ!」
はーい、行ってきまーす!
ライナスさん、今度話聞かせて下さいね。
絶対ですよー!
若者達は手を振りながら去っていく。
「まったく、最近の新人は……」
反省の欠片も感じられない彼らの背中に、レイブンは鼻からフンスと息を吹き出して、本屋の苦笑を誘う。
「まぁまぁ。親しみやすい親分ってことなんじゃないか?」
「舐められてるとも言うぞ」
「そんなことないですよ。おじさんの事はみんな尊敬しています」
「おお~。ほんっと、フィンはいい子だよなぁ。ライナスには勿体ないくらいだ」
「どういう意味だよ。俺だってちゃんとしてるだろが」
「頬っぺた真っ赤に腫らしてるやつがよく言うよ。遊ぶのもいいが、程々にしとけよ」
「こ、これは違うって」
「冗談だよ。どうせジーナだろ?」
レイブンは豪快に笑い、そして「いつものことだからな」と、言った。
山頂にある王城の近くには水源がある。そこからいく筋かの川がローゼスシティに流れ込み、そこから枝分かれのように水路が街に巡らされている。
アルフレドさんの店は水路の一つに面する形で建っていた。そこまで大きくはないが、老舗に相応しい佇まいから出てきた本屋は、フィンに「やるな」と丸い目をみせた。
水路沿いを歩きながら交わすのは、先程の商談についてだ。この日、フィンは長期に渡る契約を獲得していた。
「5年契約とは、なかなか大きな仕事をしたじゃないか」
「前から勧めてはいたんですよ。マンドレイクの花粉は貴重品ですが、創られるアイテム、沈黙の秘薬は扱いが難しく、買い手も限られてくる。こちらとしては常に一定数の顧客を抱えるアルフレドさんとは長いお付き合いをしていきたいし、その為には割り引きも吝かではない。いい返事を貰えて良かったです。正にお父さんの教えてくれた、ウィンウィンの関係ってやつですね」
「うんうん、フィンには商才があるってアルフレドさんも褒めてたけど、本当にその通りだな。でも、どいつもこいつもフィンを褒めるのに『ライナスには勿体ない』って言うのは勘弁して欲しいな。アルフレドさん千回くらい言ってただろ」
「千回は被害妄想過ぎますよ……」
「いいや、言ってたね。もうやめてよ!って言ってるのに、こう、老人のサディスティックな視線で……ま、これでうちの営業部門は安泰だな」
「ウルポックさんも手伝ってくれてますしね」
「あいつが営業だと?」
「ええ、知らなかったんですか。大きなアイテムボックス持ってますし、重力魔法で荷物も運べますから」
「俺と二人旅の時はずっと俺が荷物持ちだったのに」
本屋がいつもの愚痴を吐いたところで、件の丸い浮遊生物を発見する。
水路に釣糸を垂れる老人の向う側、橋の上で、ウルポックと中年くらいの男性が言い合っている。言い合っている、と言うよりは商人らしき彼が小さな精霊に懇願しているようで、耳を澄ますとその会話が聞こえてきた。
「ちょっと、勘弁して下さいよ、ウルポックさん。このポーションは確かに品質は良いですが……明らかに市場より高いではないですか」
「商人が買うのは物だけにあらず。うちの店は誰が経営してると思ってんの。冒険者ギルドのエース、緊縛のジーナと百中のライナスだよ。二人の信頼を買いたいとは思わないかな?」
「そ、そんな……」
な、なんか阿漕なことやってんぞ。
本屋は焦った顔で橋へと足を速める。
「うちの二人が星屑の迷宮にアタックしてるのは知ってるよね。ここだけの話、今度新しい階層に挑戦するんだ。人類未踏の階層とくればどんなに貴重なアイテムが転がっているか……それを卸す相手は誰になるんだろうねぇ。あんたか、それともライバルのヤリーテさんか」
「うう、それは」
「即断即決は商人のきほ……」
ウルポックが追い打ちをかけようとしたところで、藁のような身体がムンズと掴まれる。コメカミをひきつかせた本屋の笑顔が間近に迫った。
「何やってんだ」
「何って、商談だけど」
「お前はうちの評判を落とす気か?」
「ふっ」
ウルポックは鼻で笑い、それからギラギラとした瞳で言い切って見せた。
「綺麗事なんて糞喰らえだ。商人の世界は最後に金持ってた奴が正義なんだよぉぉぉ!!」
「しゅ、守銭奴になっとる……!!」
本屋はポーションを全て正規の値段で売却すると、新たな階層のアイテムに関しても、公平な商談の場を設けると約束して、その場を後にした。金で信頼みたいな物は買えるが、それは仮初めでしかないのだ。そういった内容をウルポックに説教しながら行くと、またも橋が見えてくる。この辺は水路が集まる地帯らしく、それに比例して、釣り人の姿もそこかしこに見受けられた。
その中に一人、見知った人物を見つける。
「やぁ、ブルーノ隊長。今日は非番ですか」
「お、ライナスか。そうだな非番なような、仕事のような」
曖昧な返事は水路への流し目と共に成された。水際の一部に点検作業用の足場があり、脇に空いた大きなトンネル、地下水道の入り口へと続いている。そのトンネル付近に、複数の小さな影があった。
「孤児ですか」
「ああ。彼らについて、君はどう思う?」
「どうって……仕方ない部分もあるんじゃないですかね。どんなに平和な国だって、彼らのような存在はいる。それに教会は孤児を受け入れているのでしょう?それでもあえて子供だけで暮らすのは、それは彼らの選択だ」
「なるほど。君らしい現実的な意見だ。じゃあフィン、君はどうかな?」
「僕は……やっぱり救ってあげたいです。せめて住むところと食事くらいは」
フィンが目を伏せたのは、父親の考えに反することを述べたからだろう。しかし本屋は息子の発言を好ましく思った。早熟故に自分が少しスレているように感じる高校一年生にとって、純粋な優しさを持つ少年は眩しくさえ見えたのだ。
それはブルーノ隊長も同じだったかもしれない。
「そうだね。育ち盛りの子供達が皆、お腹一杯食べられる。それはきっと、国の目指すべき指針の一つなんだろう。だけど俺達がいくら道を示そうと彼らは耳を貸しはしない。境遇の違う、それも大人から言われても、所詮は自己満足だと切って捨てられるんだ。でもフィン、同じ子供である君の言葉ならどうかな。最近、孤児を仕切っていると言う問題児も、君になら心を開くかもしれない」
「問題児?」
「パドのことですよ、お父さん。最近になってローゼスシティに現れた子で、規格外に強いって噂です」
「元々はカイツって子が孤児を仕切ってて、その時はそれなりに秩序が保たれてたんだけど、パドが来た途端、彼らによる犯罪が増加し始めた。なんでもパドが金品を巻き上げる余波で、盗みに走る子が多いらしい」
「それで更正するよう頼みたいって話ですか。ブルーノ隊長、うちのフィンを買ってくれてるのは嬉しいですが、そりゃちょっと危険じゃありませんか」
「勿論、無理にとは言わないよ。だけど彼が勇者として多くの人を救うなら、そこには危険がつきものだ。だったら第一歩は我々の目の前で踏み出した方がいい」
相変わらず、一理を十理にも百理にも聞こえる話し方をする人だ。
本屋は思わず考えこんでしまう。
フィンは正義感が強く、困っている人が居れば危険も省みないような少年だ。それは勇者として必要な資質かもしれないが、経験も無しに飛び込めば大怪我の可能性もある。
自分達がフォロー出来る環境でというブルーノ隊長の意見、かなり説得力があった。
「でもパドって子の居場所も分からないし」
それでも出てきた煮え切らない返事。それに被さるように「やめてよ、パド!」と、女の子の悲鳴が水路に反響した。
「そこにいるみたいだよ。偶然、ね」
「偶然ねぇ……」
本屋がジト目を向けている間にも、フィンは声のした方へ歩もうとする。
「待て、フィン」
華奢な肩が掴まれ、悲しそうな顔が振り返った。
「お父さん、僕……」
「俺も一緒に行く」
「でもお父さんは首を突っ込むの、反対なんじゃ」
「お父さんは息子のやることに賛成さ」
周辺諸国に比べ平穏であるトゥリアンダにも、根無しの民というのは一定数、存在している。一日を生き延びるのに必死な彼らは、一般市民よりも複雑な側面を持っていて、普段大人しい少女が実はスリの常習犯だった、なんてことはよくある話。善だ悪だと割り切れない事情がそこにはあるのだ。
しかしそれを念頭に置いたとて、この時フィンの目に映った光景はとても酌量出来るものではなかった。地面に額をつける少年の頭を、フードを目深に被った人物が踏みつけている。顔は見えず、魔法使いじみた法衣を纏った小さき暴君。その冷酷な行為に、フィンは声を荒げた。
「やめるんだ、パド!」
「なんだお前は」
足下へ傾いていたフードが億劫そうにフィンを向いて「お前は、違うだろ」と言った。
「何が違うって?」
「住む世界だろ。関わるなって言ってるのさ」
フィンの隣に立ち、本屋もパドを見る。フードの奥に表情は見えず、闇の中で金色の眼が二つ、浮いていた。
(この子は……人間なのか?)
パドの異様な風体に本屋が眉をひそめていると「そうだ」と抑揚の無い声がフィンに語り始める。
「平和ボケしたお坊ちゃんには黙っていて貰おうか。我らには我らの法がある」
「法ですって。強者が弱者をいたぶることがですか?」
「誰しもが強者を目指し、勝ち残った者が弱者を従える。権力者達と渡り合うにはそれしかなかろう」
「しかしそれは、非人間的です」
「現実的と言って欲しいね」
互いに相容れぬ相手であると。交錯する視線の中で二人が評価を下し合っていると、ヤレヤレといった口調の本屋が割って入った。
「まぁオマセさん達、議論はそのくらいにしておいて。取り合えずパド、その足を退けるんだ」
「何故お前の命令をきく必要がある。言ったであろう、これが我らのやり方だと」
「我らっつーか、お前のやり方だろ。そしてお前は踏みつけるやり方ばかりで、手を差し伸べる道を知らない。一方を知らない癖に自分が正しいって言い切るのは、やっぱりガキだな」
パドは言い返さなかった。黙ってしばらく本屋を眺めた後、少年を踏みつけていた足がゆっくり下ろされる。
……そして、少年の顔面を思いきり蹴り飛ばした。
「ガッ」
「カイツ!」
「君っ!」
少女とフィンが、少年に駆け寄る。鼻血を流し、喘ぎながら。それでも少年はパドに向かって這っていこうとした。
「パ、パド。フィオに首飾りを……返せ」
「カイツ、もういいからぁ!」
「動いちゃ駄目です。今、回復魔法かけますから」
三人を見下ろすパドは、相変わらずの平坦な声で「さて」と言う。
「ガキのワガママをどう止める?」
本屋も表情を変えず、握りこぶしを作ってこう言った。
「ゲンコツだ」
「俺の敬愛する先生が言っていた。先端を真っ直ぐにするには口で間に合うが、根っこが曲がっちまったら叩くしかねぇって……多分、下ネタではないと思う。あの人意外と耐性ないからな。指摘したら真っ赤になって狂人化するからな」
「子供の我には何言ってるか分からぬが、やれるもんならやってみるがいい」
パドの掌が空を向き、黒き炎が球状に渦を巻く。それはこの世界の常識からしても、子供が到底持ち得ない力。暗く濃密なエネルギーの塊を目に映し、フィンは「規格外……」と、噂にあった言葉を呟いた。
愕然とする子供達。一方、不死竜討伐に参加した二人は冷静だった。 いつも本屋に反抗的なウルポックだが、こんな時の援護は流石に早い。直ぐ様、魔法障壁を展開すべく呪文が唱えられるも、途中で本屋の手が遮った。
「大人が精霊の力を借りたんじゃ大人げないだろう?」
彼は一人で充分だと言っている。それはハッタリや強がりでなく、経験に裏打ちされたものであった。不死竜討伐から10年の間、ライナスが重ねた冒険の日々。その中で生まれた力を、本屋は今、彼の身体を通してハッキリと感じている。数多の、新たな力は、例えばそう。
相手の魔法を吸い取るスキル。
「な、なんだそれは」
外枠に黒炎を纏ったボードを前に、パドの声は震えている。
「何って、アブソーブボードっていう俺のスキルだよ」
「我の魔法を返せ!」
「返して欲しいか。いいだろう、今ならオマケに鉄の矢をくれてやる」
本屋は軽く手を振って、ダーツをボードに投げ入れる。推進力と、黒き炎と。両方を蓄えた一射が真っ直ぐパドに向かった。
「お父さん!」
フィンの悲鳴じみた声。いくら悪逆が過ぎるとしても、人を、それも子供を殺害する父親など見たくはない。
そんなことは分かっていると応えるかのように、ダーツはパドの目の前で軌道を変えた。
カクリと90度を描いて真上に向かったダーツは、はるか上空で蓄えていた魔法を解放する。ダーツを中心に円形に広がった炎の波紋は、空気に薄まり、やがて消えていった。
「あ、あ」
腰が抜けて、へたりこむパド。投げ出した足と足の間に、降ってきたダーツがザクリと刺さる。
「ひっ」
怯える様を笑うかのように、見下ろす影の主は悠々とそれを拾った。
ガクガクとパドは震えている。魔力や腕力こそ全てであったパドは、大人でさえ怖いと感じたことはなかった。されど、一見何も無いヒョロヒョロの男に、自分の身体は全く言うことを聞いてくれない。
片や本屋は心の中で苦笑いを浮かべていた。
ここまで怯えてしまって。これは、罰は充分か。
フードの頭に優しく乗せるべく、手を伸ばす。しかし「おい、お前ら何をやっている。我を助けろ、さもないと燃やすぞ!」の声を聞き、手は再び拳を作った。
……あまりいい音はしなかった。というかグキっと本屋の拳のほうで嫌な音がした。
「イッテェェ!」
「いたぁぁい。我を、我を殴ったぁぁ!」
のたうち回る二人を見て、カイツは呆れた様子でフィンに訊く。
「お前、父ちゃんに殴られたことあんの」
「全然ないです。お母さんにはしょっちゅうですけど」
ったく、ゲンコツにも技術が必要ってか。
本屋は悪態をつき、真顔を繕うと、頭を押さえて踞るパドの前にしゃがみこむ。
「どうだ、分かったかよ。自分の弱さが」
「こ、こんなに強い者がいるなんて」
「そうじゃない。お前や俺、一人一人の力なんて大したことないんだ。本当に強い奴には、いざというとき助けてくれる仲間がいるんだよ。脅して動かす下僕じゃなくてな」
パドが周囲を見回すと、周りにいた何人かの子供達は、一斉に目を反らす。
「ならば、ならば我がもっと力をつければ」
「それで世界最強になって何になる。皆に嫌われて、憎まれて。そんなのは魔物よりももっと孤独な……魔王とか呼ばれる存在だろ。お前は魔王になりたいのか?」
「魔王は孤独……」
パドは呟き、少し考えた後、首飾りを外して本屋に手渡した。
「別にお前の考えを受け入れた訳じゃないからな。敗者は勝者に従う。我の法に従ったまでだ」
それだけ言うと、地下水道の奥に向かって走り出す。
「パド!」
「やめとけフィン。今日はここまでだ」
追いかけようとするフィンを本屋が止め、反響していた小さな足音は、水音に紛れて聞こえなくなった。
本屋はフィオと呼ばれた少女に首飾りを返す。
「ありがとう。これ、妹の片身なんです」
「そうか」
孤児の中には若くして命を落とす者も多い。それを実感し、彼の言葉はそこで途切れる。
逞しさゆえ。若しくは死に対しての感覚の麻痺、それとも空気を変える為の気遣いか。カイツは軽い口調で「それにしても噂通りの腕だな、ライナスさん」と言った。
「俺を知っているのか」
「このローゼスシティであんたを知らない方が少ないよ。なんたって国を救った英雄だ」
「英雄、ね」
「今、俺達を救えない自分を責めただろ。そりゃ自惚れってもんだぞ。パドのやり方は度が過ぎてるけど、俺達は俺達でやっていける」
でも。と、言ったのはフィンだった。
「でも、今の生活はあんまりですよ。盗みをしないとろくに食べることも出来ないなんて……どうでしょう、お父さん。彼らをうちの店で雇ってあげるのは」
「やめとけ。中途半端な情けは彼らの為にならない」
「そうだぞ、フィンって言ったっけ。お前がいい奴なのは分かるけど、俺達にもプライドってもんがある。役にも立たずに金を恵んで貰うんなら、教会に駆け込んだほうがマシさ」
さて。
カイツは立ち上り、周りにいた孤児達に目配せする。
「今日はありがとう。借りはいつか返す」
去って行こうとするのを、本屋は「まぁ、待て」と止めた。
「仕事の話がある」
「施しは俺達の為にならないって自分で言ったろ」
「分かってるさ。俺も施しとか、慈善事業とかは柄じゃない。だから対等な契約を結ぼうじゃないか。店員以外の、もっとお前達の能力が発揮出来る仕事なら文句ないだろう?」
「へぇ、俺達の能力が発揮出来る仕事って?」
「情報さ。お前らの情報網はこの街全体に張り巡らされているんだろ。例えばどこどこの誰が怪我をしたとか、何か探してたとか。それだけでも商売の糸口になるってもんだ。つーかこのくらいの事、他の商人はやってないのか」
「いや。こんな話、初めてだぞ。大抵の市民は俺達に施しをしようとするか、怖がって関わらないようにするかのどっちかだからな。対等な関係っていうのは……しかしなるほど、情報か」
ああ、そうか。ローゼスシティはファンタジーの舞台としては割りと治安が良いから、安い労働力として彼らを使う、なんて発想が生まれなかったんだな。勿論、俺も安く使おうなんて思ってないけれど。
本屋が黙考していると、フィオがおずおずと手を上げた。
「あの、困っている人なら私、知ってますけど」
「お、早速か。何でもいい、教えてくれ」
「商人のダシヌーさんが、精霊に足下見られて困ってるって」
「……」
本屋は凄く苦い顔でフィオに近付くと、黙ってその手に銀貨を5枚。「えっ、こんなに?」と驚いているところへ更に5枚追加した。
「他言無用で頼む」




