ポスト旅立ち
ベテラン近衛兵、ベテランだけに近衛兵長であるゴリンスキーには、一つの懸念があった。それはネクロマンサーがヴェレタのスキルを知っていながら、全く恐れる様子がないことだ。
私は不死竜を倒すわ。そしてトゥリアンダに永遠の平穏をもたらしてみせる。自分達近衛兵に言い切った姫の顔は、今まで見たことのない程晴れやかだった。
彼女の使命と望む未来、そして国民の希望が漸く一つに重なったのだ。
こんな所で頓挫させるわけにはいかない。ゴリンスキーはスケルトンを切り払いながら大声を出す。
「姫、ここは我等に任せて早く脱出を!」
「嫌よ!嫌、嫌!ゴリンスキーのバーカ」
自分もスケルトンを蹴散らしながら舌を出すヴェレタにゴリンスキーは思った。
(あれ、こんな子だったっけ?)
「やつめ、一体何を企んでいる」
近衛兵達の尽力もあり、スケルトンの群れは一掃された。トゥリアンダでも精鋭中の精鋭であれば、当然の結果。それが却ってゴリンスキーを不安に駆り立てているようだ。
一方、見た目によらず脳筋全開なヴェレタは「次はあなたです、ネクロマンサー!」と息巻いている。
(まあ、何かはあるだろうな)
皆より少し客観的に場を見れる本屋はそう、予測した。物語的な観点からすれば何も無い方が不自然なわけで。だから、ネクロマンサーが「ほほう、流石は選ばれし姫君の力」とほくそ笑み出した時には内心「ほら来た」と思った程だ。「ならばわたくしも本気を出しましょう」もテンプレ過ぎる台詞だが、倒したはずのスケルトンの残骸がカタカタ動きだしたのには驚いた。
「そう、来たか」
空を飛んだ残骸がネクロマンサーの下に集い、組まれた骨が巨大な手足と胴を形成していく。
最後は頭部にネクロマンサーが乗り込むと、骨の巨人が完成した。
「ゆけ、ボーンジャイアント。人間共を踏み潰すのだ!」
名前はそのままボーンジャイアントと言うらしい。なかなかの威容だが、ヴェレタに怯んだ様子はなかった。
「所詮は骨でしょ。大きくても所詮はただの骨」
所詮を二回聞いたジーナがヒソヒソ本屋に話しかける。
「なんか骨に並々ならぬ憎しみを感じるけど」
「骨とキスさせられそうになったからじゃないか?」
「なるほど」
二人が呑気な会話を交わしている間にもヴェレタは剣を斜め下に構え、突撃を開始する。
「ああっ、姫。待ちなされ!」
ゴリンスキーの制止は梨の礫。ボーンジャイアントは迎撃の腕を振り上げるが、彼女は構わず距離を詰める。
「あや、うく!」
怒りのこもった叫びと共に懐に踏み込み。
「ファーストキスが!」
剣を大きく上段に振り上げ。
「台無しですよ!」
スパ、と薪のように切断された骨の腕が宙を舞い、大聖堂の壁にガシャと叩きつけられた。
「乙女の純情を踏みにじった代償は高くつきますわよ」
やっぱ根にもってたんすね。
剣を振った姿勢のまま、上を睨み付ける背後で皆が思っていると、一つの影がヴェレタに近付く。
ドン、と体当たりのような衝撃が彼女を襲い、身体を数メートル後退させた目の前に骨の腕が通った。
「いつつ……何が」
石床で打った腰を擦りつつ状況を見渡すと、自分を助けた人物が仰向けに倒れていた。
「トゥルヴレイ!」
慌てて駆けつけて上半身を起こしてやると「ぐっ……」と苦悶に顔を歪めながらも目を開ける。
「姫……私は自分で回復出来ます。それよりもあれを」
トゥルヴレイが示す先、ボーンジャイアントの姿を見て、ヴェレタは目を見開く。
「そんな、腕が再生している?」
「恐らくあれはただの乗り物や鎧ではなく、HPを持っている」
その推測を敵であるネクロマンサーが高笑いと共に拾った。
「その通り。そしてHPを持つなら回復出来る、このダークミストで何度もね。防御力は貴女のスキルの前では無力だが、HPの壁ならいかがでしょうか」
「そうか、ボーンジャイアントを倒さぬ限り、姫の剣は届かない。だからあいつはあのように余裕の態度を」
「そんな……私のスキルが通用しない?」
今までぶつかったことの無い壁にヴェレタが打ちのめされていると「構え!」と勇ましい声がする。
ゴリンスキーは近衛兵の中でも弓を得意とする者を数人従え、自分も魔法を撃つべく腕を突き出す。
狙うは頭部。「放て!」の合図で弓と火球がネクロマンサーに殺到した。
しかし。
「防がれただと」
操縦席を囲う障壁が魔法を含めて全てを弾き返す。そしてお返しとばかりにネクロマンサーは黒い魔力の塊を放ち、爆風がゴリンスキー達を吹き飛ばした。
「ハハハ、無駄無駄ぁっ。このボーンジャイアントは正に攻防一体。貴方達人間に攻略する術などないのです!」
「くそっ」
傷付いたゴリンスキーは剣をついて無理に立上がろうとし、途中でカグリと膝をつく。
「ひ、姫様……早く、お逃げ下さい」
「さて、これ以上抵抗も無いようですし、姫の魂を頂くとしましょう」
ゴリンスキーの願いも虚しく、ボーンジャイアントは尖った白い指を開く。反応が遅れ、固まるヴェレタの瞳に、ゆっくりと覆い被さってくる掌が映し出された。
――タンッ。
「は?」
突然間抜けな声を出したネクロマンサーは、キョトンとした顔で自分の額を触る。指の先にドロリとした感触を覚えたので目の前に持ってくると、それは緑色の自分の血液であった。
タンッ、タンッ。
今度は両肩に痛みが走り、見れば刺さっているのはダーツ。
「ちょっと待て。なんで障壁を素通りするんです!?」
空中に浮かんだダーツボードの前から、ライナスと呼ばれる男の緊張感の無い声が返ってくる。
「いやぁ俺のダーツ、必中らしいんだ。ボードさえ外さなきゃ」
「はああぁっ!?なんだそのスキル!うっ………」
あまりの理不尽さに激昂するネクロマンサーを吐き気が襲う。更には「ゲハッ」と大量の血飛沫が口から噴出した。
(たかが小さな矢を受けただけでこれ程のダメージだと!?)
毒でも塗ってあるのかと思ったが、実際の所は分からない。正体不明で回避不能の攻撃となれば冷酷な悪魔とて恐怖を覚えるらしく、再び向かってくる一筋の矢を見ると「ひぃっ」と情けない悲鳴をあげて顔を両腕で守った。
だがしばらく経っても痛みは来ない。これは必中というのはハッタリか?と目を開けると、自分の身に最悪の事態が起こっていた。
ダーツに結ばれた光の線がネクロマンサーの胴体をぐるぐる巻きに縛っていて、反対側はダーツを投げた男の手元まで繋がっている。まさか、と息を飲むネクロマンサーの眼前で男が周りに声をかけると、ワラワラと集まってくる屈強な近衛兵達。
ネクロマンサーの顔にダラダラ汗が流れ始めた。集まった男達は何をしようとしているのか。それは勿論、綱引きである。
もしもオーエス!と掛け声を出したなら一回こっきりで終わってしまったであろう程あっさりと、ネクロマンサーの身体はスポーン、ボーンジャイアントの頭部から引っこ抜かれ、そのままベシャァと墜落した。
「ウゴォ……」
もはや先程まで中ボスくらいはあった風格はどこへやら。完全なギャグキャラに成り下がったネクロマンサーは鼻血を垂らしながらなんとか顔を石床から引き剥がすと、目の前に沢山の脚がある。
恐る恐る見上げるとおっかない顔の男女が一斉に見下ろしてきた。
「みんな、知ってる?ネクロマンサーって本人は意外と紙耐久」
「ほほう、それは良い情報ですな。精霊殿」
ゴリンスキーが代表して礼を言うと、一同の顔に目の奥が笑っていない笑みが浮かび……滝汗を流すネクロマンサーの耳にバキバキと指を鳴らす音が聞こえてきた。
意外にもネクロマンサーは命までは取られなかった。ただ本屋の目の前で半分は殺された、ボッコボコの半殺しにはされていたが、これは当然の報いだろう。
「エグズムとの交渉材料として生かしたのですよ」
申し訳ないが本屋の話を100%鵜呑みにする訳にもいかないのだと、女王は言う。
そもそも不死竜を完全に倒せると宣言した者など、トゥリアンダの歴史においても初のこと。完全な勘違いかもしれないし、単純にその手順を完遂出来ないかもしれない。
故に今からでも魔術師部隊を寄越すよう、エグズムとの交渉材料とするそうだ。魔族と組んでいることが周辺諸国に知れ渡れば孤立する恐れがある。流石の軍事国家でもそれは避けるのでは、という目論見だった。
「そうなればこっちとしても好都合ですね。無理だと思ったら引き返せますから。魔術師部隊が来れば復活した不死竜の攻撃も少しは持ちこたえるのでしょう?その間に別の方法が見つかるかもしれない」
「御自分の計画を盲信せず、そこまで考えておられるとは、やはり貴方は他の冒険者とは少し違うようですね。ですが私個人としては、無理だと思ったのなら城には引き返さず、そのまま国外へ……」
「陛下、それ以上は為政者として口にしてはなりません。心配せずとも俺は国を救おうなんて気概はない。俺が救いたいのはたった一人の女性だけです」
本屋の言葉に女王は驚いた顔をしたが、やがて口元に手を当てると「ありがとうございます」と潤んだ目を伏せ、頭を下げた。
そこへパカパカと馬の蹄が奏でる音が近づいてくる。停車した馬車の御者は喰えない笑みで本屋をからかった。
「やぁライナス。女泣かせとは思っていたけど女王陛下はまずいんじゃない?」
「ち、違いますよブルーノ隊長」
「これ、プレパー伯爵。失礼なことを申してはいけませんよ。ライナス殿は私を励ましてくれたのです」
「アハハ、こりゃ失敬」
ブルーノ隊長が頭を掻くと、御者台の後ろから、パレード用のドレスに着替えたヴェレタが顔を出した。
「何をもたもたやっているのです」
「おお、ヴェレタとても綺麗」
「そんなのどうでもいいからさっさと不死竜を討伐しに行きましょう。早く馬車に乗って下さい!」
綺麗と言われてどうでもいいと答える花嫁も珍しいなと思いながら乗り口に回ると、苦笑気味のジーナが手を伸ばしてきた。
「早く冒険に出たくてウズウズしてるみたい」
「はは、そうらしいな」
手を取り馬車に乗り込むと、既に一角を陣取っていたレイブンも「あれが王女の本来の姿なんだろう」と、意見を揃える。
「さぁ、ブルーノ。出発です!」
ヴェレタの、前方に指差すポーズに頷き、ブルーノ隊長が「ハイヤァッ!」と馬の脇腹を一蹴りすると、馬車は大聖堂の前からゆっくりと走り始めた。
「お母様、行ってきます!」
「行ってらっしゃい、ヴェレタ。必ず、必ず無事でいるのよ!ライナスさん、娘を頼みます!」
「お任せ下さい。王女は俺達が守ってみせます!」
城の正面、正門へ続く道に出るとそこではゴリンスキー以下近衛兵、騎士団が道沿いに整列し、正門を背にした道の真中で王が剣を携えて待っていた。
馬車は一度止まり、降車したヴェレタは王の下へ歩み寄り、片膝をついた。
恭しく剣を戴くヴェレタを見ながら、本屋はジーナに話し掛ける。
「あの剣って本来なら王子が受けるんだよな。お前が持ってきた本の中に書いてあった」
「そうだけど偽者の王子がやるのも変な話じゃない?第一、偽者の王子は今こんなんだし」
ジーナが顎で示す御者台の後ろには、冠を被ったトゥルヴレイが緊張のあまりブルブル震えていた。
「わ、私が王子?姫の夫?お、お、お、恐れ多い!」
「大丈夫かよこれ」
呆れて指を差す本屋にブルーノ隊長は真顔で「あんまり大丈夫じゃない」と言った。
「トゥルヴレイ君、もうちょっと自然体でいないと。条約が破られ魔術師部隊が来ないと民衆にバレたら、暴動になるかもしれないんだぞ」
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼうどう?そ、そ、そ、そんな」
本屋が「駄目だこりゃ」と肩をすくめた所でヴェレタが戻ってくる。トゥルヴレイが落ち着くまで少し待っては?という意見を御転婆姫が一笑の下に却下し、無情にも馬車は門の外へ走り出した。
姫様ぁ!
ヴェレタ様、こっちを向いて下さい!
門を出ると道沿いにギッシリとトゥリアンダの民が詰めかけ「こら、これ以上前に出てはいかん!」と兵が必死に押し止めている。
割れんばかりの声援が送られているが、本屋はふと、あることに気付いた。
(おめでとうとは、誰も言わないんだな)
それでもヴェレタは御者台の後ろから顔を出し、にこやかに手を振っている。
一部から聞こえてきた「なんでパレード用の馬車じゃなくて幌馬車なんだ?」との疑念も、熱気の渦にかき消され、それ以上広がる気配はなかった。
どうやらバレる心配はなさそうだな。一同は安心し、安心した故にヴェレタの中にイタズラ心が生まれる。
真横の席ながら極力ヴェレタから離れ、隅で縮こまっていたトゥルヴレイは、自分の名を呼ぶ声に恐る恐る膝から視線を移し、そこで目を細めるヴェレタを見つけた。
あれは幼いころよく見た、自分をからかう時の表情。それがズイと鼻先まで近づいてきて、トゥルヴレイの喉をゴクリと唾が通る。
「ねぇ、トゥルヴレイ。花婿がそんなに離れてちゃ変ですよ。もっとこっちにいらっしゃいな」
「だ、ダメですそんな、とんでもな」
腕を絡ませてくるヴェレタから顔を真っ赤にさせて逃れようとするも、それ以上離れれば馬車の外である。
「うわっ、ととと」
危うく落下しそうになって踏ん張ったところで、運悪く馬車が石畳の亀裂を踏んだ。
「ぐあっ」
走行に支障をきたす程の揺れではなかったが、バランスを崩していたトゥルヴレイは重心をかけていた方向に身体を持っていかれ、結果、ブルーノ隊長の背中に覆い被さる形でぶつかってしまう。
「ちょっとあんたら、何やってんの!」
珍しくブルーノ隊長が大声を上げ「すみませんっ!」と謝るトゥルヴレイだったが、すぐに大勢の視線を感じて二人は「あ」と顔をひきつらせる。見渡す限り全ての民衆が二人を凝視していた。
お、おいエグズムの王子じゃないぞ。
本当だ、ありゃ神官のトゥルヴレイじゃないか?
え、それってどういうことだ。トゥルヴレイと結婚するのか?
「皆さん、これは……」
ヴェレタが言い訳する間もなく、ざわめきが道沿いに伝播していく。
王女が神官と結婚するわけないだろ。ありゃ替玉だ。
替玉って、じゃあ結婚はどうなったんだ。条約は守られなかったのか?
徐々に騒ぎに発展しそうな様相を見て、ブルーノ隊長が鞭を構える。いつでも全速力で離脱出来る用意にヴェレタは首を振り、それどころか停車するよう命じた。
やむなく、といった顔つきでブルーノ隊長が馬車を停めると、ヴェレタは開口一番「ごめんなさい!」と民衆に向かって頭を下げた。
「結婚の約束は破棄されました。魔術師部隊は来ません!」
呆然と固まる仲間たち。そしてシンと静まりかえる民衆。
(言ってしまった!)
ヴェレタは唇を噛んで俯く。
(国民を騙すのに耐えられなかったとは言え、私の手でみんなの希望を……)
民衆の目には、自分は最低限の役割りさえ果たせなかった役立たずと映っているだろう。何を言われても仕方ないと、前に重ねた両手に力がこめられる。
だが。
「そいつぁめでてーや!」
予想に反して、慶事を祝う声が一つ。
「え……?」
てっきり罵倒されるとばかり思っていたヴェレタは困惑した顔を上げ、民衆を見る。彼らは皆、笑っていた。
あのエグズムの糞王子と結婚しなくて済んだんだろ。最高じゃねーか。
良かったねぇ、ヴェレタ様。
ってことはあれか?俺にもまだチャンスが。
あるわけねーだろ、バカ。
「皆さん、でも、魔術師部隊が来ないと魔法障壁が……」
「あのねぇ、ヴェレタ様」
民衆の先頭に立ち、腰に手を当てるのは酒場の女主人。
「ここにいる奴等はみんな覚悟の上で留まったやつらさ。私達をこの国に引き留めたのは何だと思う?他国の軍事力を期待したから?いいや、違うね。みんなあんたのこと、一分一秒でも目に焼き付けておきたかったのさ。そして今、私達はこう思ってる」
女主人が目配せすると、周囲の者は頷き、次の瞬間には大勢の声が重なった。
「「「「逃げちまえ、王女様!!!!」」」」
不死竜なんかと戦う必要ねぇって。
そうそう、こっちはこっちで何とかするからさ。
不死竜が襲ってきたら氷漬けにしちまうってのはどうだ?
おお、確か発明家のイノバが強力な冷凍庫を開発したって聞いたぞ。
「姫様が幸せになってくれるのが私たちゃ一番さね」
ヴェレタの瞳から、ポロリと涙が零れた。
「何よ、みんな強いじゃない」
ゴシゴシと目を擦る。
「あーあ、結局私が一番弱虫で、嘘つきだったのね」
目を擦っていた手が止まる。そして最後の一滴を払うと、選ばれし姫君の凛とした顔が現れた。
「私は絶対に逃げません!!」
なんだとこのひねくれ王女!
頑固ものー!
バーカ。
「バカッつったやつ死刑ね。ともかく、皆さんにお伝えしなくてはならないことがあります。とある人物がもたらした情報により、私の旅は目的を変えた……」
歴史上、それを成し遂げた者はいない。永年の願いは願いであり続け、だからこそ形にするために、ヴェレタは高らかに宣言した。
「私は、不死竜アパドーガを完全に滅して見せます。その方法はこの手にある!」
大歓声が走り抜けた。




