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新生月器ポスリア  作者: TOBE
日常編
5/88

ポストクラス会議③

 人間の行動はことごとく打算によって成される。

 黒淵という少年は、この偏った観念を本気で信じていた。

 だから善意のほとんどは偽善だと断じており、人間は自分の安全、利益を差し置いて善行はあり得ないと考えている。

 そして、あまりに底の浅い偽善行為を軽蔑もしていた。例えば今、黒淵の白衣、背中部分から生えた巨大な鉄のアームを鼻先につきつけられ、驚きと恐怖に体を硬直させている崎原に対して。黒淵の容赦ない口撃に、精神を徹底的に追い詰められた橘美咲に救いの手を差しのべ、黒淵のやり方を胸倉を掴んでまで非難したその、見栄えは良い行動に対して。


「お前の行動は俺がお前より弱い前提、つまり自分の安全が保障された上での行動なんだろう?」


 さて、それが覆された今、いつまでその正義面を保っていられるかな?

 馬鹿にしたような薄い笑みには、そんな意味が含まれているようだ。


「や、や、や、辞めろ。し、死ぬぞ」


 崎原が言っているのは勿論、自分がという意味だ。

 鉄のアームがどれだけの威力を出せるのか分からないが、背中から射出されたスピードを見るだけでも、頭に食らえば吹っ飛ぶくらいはあるだろう。


「はてさて、倫理観と己の信念か。俺の天秤はどちらに傾くタイプかな?」


 黒淵はクックック、と含み笑いを見せてから。


「まぁ、それはさておき。お前は命を張ってまで橘美咲を守ろうとはしないんだな」

「命を張るとかそんなのしないに決まってるだろ!」

「つまるところ、お前たち偽善者はそこまではしないだろうと嘗めてかかって、いざとなったら尻尾を巻く。まぁ、それを責めはしないが、それなら負け犬らしく頭を下げて命乞いをしろ」

「誰がそんなこと…!」

「ああ、そうか。まだ楽観してるわけだ」


 確かに崎原は、黒淵が本気で自分を殺すなど思っておらず、あくまでも脅しの範疇と捉えていた。それは黒淵からすれば「嘗めている」気構えなのかもしれないが、いたって普通の感覚である。

 ナイフをつきつけられてもまさか本当に刺しはすまいとは、誰しも思うこと。それ故に貫ける正義であったとしても、偽善だとか楽観だとか咎める者は、かなり偏った思考の持ち主だろう。

 崎原の不幸は、対峙した人間がまさにそれであったことだ。


「うわぁぁああ!!!」


 鉄のアームが崎原の胴体に食らい付き、開いていた窓から外へ伸びる。ベランダの柵を越えて空中へ突き出される崎原の身体。

 皆の視線が追えないくらいの一瞬の出来事に、まず自分の状況に気が付いた崎原が更に大きな絶叫をあげた。次いで、それを聞いた全員が否応なしに知らしめられる。アーム一本で空中に吊り下げられた崎原の頭は地面に向けられており、いくらここが大して高くない二階であっても、このまま落とされたらひとたまりもない態勢だということ。

 クラスの人気者の命が脅かされている。理解した生徒たちは、今日何度目であるだろうかの悲鳴をあげた。

 やめて、やめて!

 黒淵やめろ!

 こんなこと許されないぞ!

 喧々諤々に対して黒淵はジロリと視線を送ると。


「それじゃあ誰か代わるか?」


 更に追加で射出された三本のアームは今しがた口を開いた生徒に向けて、掌をガチガチと猛獣の顎のように威嚇する。このようにされて、それ以上声をあげる者はいなかった。

 やはりそうか、と黒淵は鼻で笑う。

 所詮その程度の勇気、その程度の信念。己を危険に晒してまで貫く者などいない。人はみな驕り、打算的であり、偽善者である。それが黒淵鉄の価値観、彼の世界の常識。今日という日は、それを更に塗り固めていくのだと、密やかな落胆が芽生えていた。


 ――しかし世界は、ひょんなことから姿を変える。


「いい加減にしろ」


 三剣京子の竹刀が黒淵の鼻先につきつけられる。

 表情は怯えるでもなく、怒りに染まるわけでもなく、瞳は水面のように静かな輝きを放っていた。


「ほう」


 黒淵の興味深げな息とともに、三本のアーム全てが三剣京子へと鎌首を向ける。


「そんな得物で勝てるとおもっているのか」

「ああ」

「楽観だな」

「違う、これは自信だ」


 これは驚いたという思いが黒淵の胸中に浮かぶ。

 こいつは本気で言っている。つまり、いざとなったら己とやりあう覚悟があり、しかも勝てる気でいる、と。


「他と違ってお前は芯の強い人間だと認めよう。だが善悪はどうなる?元はと言えば俺は被害者だ。あそこで吊り下がってるゴミも先に暴力を振るったからああいう目にあっている。俺を咎めるならそれなりの理由を聞かせて貰おう」

「えっ」


 正義の所在を問われ、それまで泰然と竹刀を構えていた京子の顔に滝のような汗が現れる。


「そ、そりゃ、ダメだろ。なんとなく、お前は」

「だからその根拠はなんだ。理屈を言ってみろ」

「うぅ…つっこぉ」


 涙目の京子がつっこに助けを求め、振り返る。どうらや随分と本能に頼った生き方をしており、ロジカルな話は苦手なようだ。


「ああ~もう!」


 業を煮やしたつっこが頭を掻きむしりながら立ち上がった。

 皆が固唾を飲んで見守る中、ツカツカと早足で黒淵に近づく。

 そして、鉄のアームなど知ったことかとばかりの態度で、眼鏡の直前に指を突き付けた。


「人の悪さを寛容に許すのが立派な人間、ぐだぐだ責め立てるのは器の小さな人間。分かった!?」


 それは、黒淵をもってしても「はい」と頷いてしまいそうな迫力があった。何より短い言葉故に分かりやすく、聞く者の胸にストンとハマるような説得力。教室に「そうだよ、それが言いたかった」というような空気が流れる。


「そうだぞ、器が小さいぞ!」


 途端に元気になる京子をかなりのお調子者だと評価しながら、教室の隅で静観を決めていた女担任、宝蔵槍子(ほうぞうやりこ)は小さく頷いていた。

 結局のところ黒淵の目的がどこにあるかが、是非云々の根幹を成している。橘美咲が悪事を働いたことにかこつけて、彼女が苦しむ様を楽しもうというのなら、それはもはや同列の悪党である。

 更にそれを「二度と同じことをしないように」と、抑止力として正当化するのなら、それは恐怖政治となんら変わらない。やられたらそれ以上の苦痛を相手に与える。このやり方で人類は何度も過ちを繰り返したのだし、何よりも日本の美徳にそぐわないのだ。肩をぶつけられた相手をいちいち殴りつけるのはチンピラであり、海原かもめの言う通り器が小さな人間だろう。例えそれがわざとであっても「大丈夫ですよ」と笑って済ませるのが望ましい姿のはずだ。


「あんたさ、人を信じて裏切られるのが怖いんでしょ。上履きをかくされないような関係を作ろうにも、そんな関係は損得勘定の前では一瞬で崩壊すると思っているから、痛めつけることでしか解決できない。でもね、それは弱虫のやり方なんだ」

「……馬鹿の生き方じゃないか。何度も裏切られるのを承知で、それでも自分だけ良い人間であろうとするのは」


 過去に何かあったのだろうか。つっこに向かって吐き出された言葉は、呻くように、絞り出すように。

 馬鹿でもいいじゃない。

 つっこがそう返そうとした瞬間に、ビリビリと何かが引き裂かれる音が響いた。


「お前ら何やってる!」

「ち、ばれた!走るぞラーメン!」


 引きちぎったカーテンを抱えて駆け出す二人の男子。鉄のアームがその背中を狙って伸びるも、それを阻む生徒がこれまた二人。糸のように細い目が瓜二つの双子のような男女は、驚くことに素手でアームを受け止めている。


「ここは俺たちに任せて早く下へ!」

「助かるぜ!」


 本屋とラーメンが崎原を受け止めるべく階下へ急ぐ。


「な、何を…」


 動揺する黒淵に、京子はニヤリと笑みを向けた。


「損得勘定で動く人間ばかりではないということだ。理屈抜きに他人を助けようとする。これもまた人間の本質」

「ば、馬鹿な」

「馬鹿かもな。だけど馬鹿だからこそあれこれ考える前に動けるんだよ。猿!」


 あいよ。

 小さく手をあげた猿は既にベランダに出ていた。そして、そこから皆がまさかと思う行動に出る。柵を越えて、アームに躊躇なく飛び付いたのだ。


「お、お猿君、助けてくれ!」


 逆様の崎原が喚くように助けを求める。


「てめぇに猿呼ばわりされる筋合いはねぇ!」

 

 猿は目を三角に吊り上げつつも、するするとアームを伝って掌に近づいてゆく。

 な、何が起こっている。こんなことをしてあいつらに何の得があるんだ。英雄願望か?その願望が恐怖を凌駕している?いや、しかし……。

 ここでようやく、そんなことはどうでも良いことなのだと黒淵鉄は理解する。根っこにどういう理由があれ、彼らは身体を張って他人を助けようとしている。それにケチをつけようというのは、ひねくれ者を通り越してガキだ。


「…だけど俺はっ」


 ヴゥゥゥゥゥンと、何かが駆動する音が黒淵の白衣から発し始め、段々と音程を上げていく。感情の暴走。それがそのまま力となって襲いかかってくるような、不吉な音であった。


「そこまで。それ以上はルール違反だ」


 音の高まりが頂を迎え、いよいよ得体の知れぬ力が具現化されようという段階になって、今まで静観を決めていた宝蔵槍子が動く。


「論戦を武力で征しようというのは、この場の趣旨にも、お前の矜持にも反するはずだぞ」


 崎原に対する暴力、その他の生徒への脅しは、行き過ぎとはいえ、黒淵なりの論理によって為されたものだ。だが論破された後に暴れる行為は完全に蛮行である。


「癇癪を起した子供……か。確かにみっともないな」


 内心では分かっていたことを教室の責任者に指摘され、黒淵は視線を落とした。




 アームがゆっくりと窓から教室に帰ってくる。


「よっと」


 軽やかに着地した猿をつっこが労った。


「ご苦労さん」

「いいって。俺、しがみついてただけだし」


 崎原は床に足をつけるなりへたり込んで放心している。漫画なら髪が真っ白になってるような心持だろう。


「あー、結局カーテン駄目にしただけだったな」

「使うような状況にならなくて幸いだろ」

「そりゃそうだな。ま、それはともかく協力してくれてありがとな、お二人さん」


 本屋とラーメンが糸目の男女に頭を下げている。教室も安堵と共に、落ち着きを取り戻していく。もちろん、どっかりと自分の席に座った黒淵からは、皆なるべく席を離して距離をとっていたが。


「ま、だいぶ暴れたことだし、今回はこれでイーブンにしてやる」


 本人も反省したかと思えばこの言い草である。結局のところ、このロングHRでは誰も謝らず、クラスに蔓延る問題点だけが浮き彫りになった。

 それは当初の目的である上履き隠しの犯人は誰か、ということよりよっぽど深刻で、終業のチャイムが鳴っても、皆の心の中に後味悪く居座り続けるのだった。

 そして、どんよりとした放課後がやってきた。


「なんであんなになるまで何も言わなかったんですか」

 

 屋上から街並みを見下ろし、煙草を燻らせるその背中に声がかかった。


「ん?ああ、海原か」


 宝蔵槍子は首だけ動かして肩越しにつっこの姿を確認すると、目を細めた。

 来ることが分かっていた、というような態度に、つっこは溜息をつきながら食えない担任の横に並ぶ。


「私、面倒なことはごめんなんですけど」

「奇遇だな。私もだ」


 あんたはそれが仕事でしょうが。

 出かかった言葉は頭にポン、と手を乗せられることで封殺される。


「お前は面倒見がいいようだな」


 ガチャリ。

 タイミング良く、あるいは悪く。

 屋上のドアが開かれた。


「つっこ、こんなところにいたのか。探したんだぞ」


 京子が言って、その後ろからぞろぞろ仲間達が続く。


「先に帰ってって言ったじゃん」

「そう言うな、京子はつっこがいないと寂しいんだから」

 

 本屋がニヤニヤしながら茶化し。


「うむ、その通りだ」


 何故か京子が胸を張っている。


「キマシキマシ」


 猿の悪ノリに。


「お前、またビンタされるぞ」


 ラーメンが冷静なツッコミを入れている。


「ったく、しょうがないな」


 つっこは苦笑いを浮かべて。それでも軽やかな靴音がコンクリートに響いた。


「おい海原」


 ふと振り返ると、声の主は相も変わらず街並みを見下ろしたまま、煙草を燻らせている。


「気をつけて帰れよ」


 何となく、その背中は優し気であり。

 つっこは素直に言うことができたのだ。


「先生、さようなら」



 

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