ポスト「その結婚、待った」
城の中庭にある大聖堂から、神父の声が聞こえてくる。
「汝はこの女を妻とし、病める時も健やかなる時も共にあり、寄り添うことを誓いますか?」
「勿論、誓いますよ」
バチッ、ドサッ。
「では女に問う。汝はこの男を夫とし、病める時も健やかなる時も共にあり、寄り添うことを誓いますか?」
「ち、ちかい」
足元の向こう側に気絶して転がる衛兵達が見えている。そこから視点を上に上げれば、決意に満ちた本屋の顔があった。
「まさかこの台詞を言う時が来るとは」
大聖堂の大きな扉がゆっくり開かれる。蝋燭の灯りのみの薄暗い聖堂内において、ヴェレタの目には射し込んだ光がとても眩く見えた。やがて光は広がっていき、一つのシルエットを浮かび上がらせる。
そうして、このテンプレ通りの台詞は、聖堂内に放たれたのだ。
「その結婚、待った!!」
「摘まみだせっ」
直ぐ様、近衛兵達が剣を抜き、迫る。
「スタンボード」
本屋のスキルが発動し、半透明のダーツボードが魔方陣のように空中に展開。通常のものと違い、外枠に雷を纏ったそれに、これまた特殊な、実体のない魔力の塊であるダーツを投げ入れれば、気絶効果を持つ雷撃の矢が一条の青い軌跡を描いて飛翔する。大聖堂の厳かな空気をバリバリと引き裂いた雷撃の矢は、剣を振り上げ斬りかからんとする一人の甲冑に直撃。「カハッ」と喘ぐ声を最後に、王国の精鋭は冷たき石床にその身を沈めた。
カランカランカラン。剣が転がる音が一抹の静寂をつくる。
「キャアアッ」
どこぞの貴婦人の悲鳴と共に列席者の間にざわめきが走り、あるものは立ち尽くし、あるものは隅に避難、既に窓から外へ脱出を試みる者まで出ていた。
こんな混乱の最中、流石は精鋭というべきか。近衛兵達は冷静に配置をとり、王家を守る者と賊を排除する者に分かれ、ジリジリと本屋との距離を詰める。
「妙な魔法を使うぞ、気を付けろ」
「裏口から回り込め、退路を塞ぐんだ!」
連携の為に誰かが発した言葉を、女の声が笑う。
「退路?」
大聖堂の大扉がゴトンと音を立てて閉まる。そしてあろうことか自ら退路を断ったジーナは本屋の横に並び立ち、杖をトンッと鳴らした。
「逃げる気なんて、ないわ」
不遜ともとれる態度に、近衛兵の中でもベテランらしき一人が片手を掲げる。
「舐めるな!フォティアブラスト!」
国王直属ともなれば剣だけではないらしい。放たれた火球は轟と唸りをあげ、盾も持たぬ本屋の身を飲み込んだ。
やったか。蓄えられた髭の下で口の端が持ち上がるも、それも束の間。
「くっ、精霊持ちか」
炎の残滓が晴れると、そこには魔法障壁を展開する精霊と、その主人が傷一つ無く健在していた。
「二人旅の時はバリアなんて」
「いいから!またあの人、魔法撃ってくるよ!」
「ああ、それは大丈夫」
大丈夫とは何故?
敵側の精霊と同じ疑問を抱いた瞬間、ベテラン近衛兵の耳にバチバチッと甲高い音が届く。
「あ」
ほんの刹那、その瞳に青き雷光を映し。彼は意識を手放すのであった。
「は、速いっ」
ドサリと膝から崩れ落ちたベテラン近衛兵を目にした同僚達に動揺が広がる。
ジリとたたらを踏む靴音、されどそれをかき消すような、強い怒りを孕んだ声が響いた。
「お前はっ、こんなことをする男だったのか!?姫を、ヴェレタ王女を裏切るのかライナス!!」
一人、前に出て剣を構え、鋭い眼光を飛ばす若き神官を、本屋は静かな眼差しで見返し、近付いていく。
「自分の気持ちを裏切っているのはお前だろ?トゥルヴレイ」
「何っ!?」
「俺は知っているんだぞ、その剣が誰も斬れないということを」
一歩、また一歩と。二人の距離は縮まっていく。
「なのに鍛練を欠かさず、そして俺の前に立っている。その意味はなんだ!?」
「そ、それは……」
遂に本屋はトゥルヴレイの間合いに入り、それでも動かない、いや動けない刃の切っ先を握りしめた。
斬れないが、ほんの少し切れた指先から血の滴が一筋、流れ落ちる。現実世界で喧嘩すらしたことのない少年は痛みにも構わず、トゥルヴレイの心に語りかけた。
「大好きな姫様がいけ好かないやつと結婚して、良いってのかよ」
「……っ!!」
なんてことをするんだ。トゥルヴレイの中で、置いてきたはずの感情が吠える。それは遠い昔に消した灯火。公国の神官という境遇に身を置くうち、失われた熱。 いやもしかしたら焔は今もなお燃え続け、時を経るほどに滾っているのかもしれない。
……見るまいとしてきた物をこの男は、目の前に突き付けてきたのだ。
「私に、どうしろと言うのだ」
絞り出された声は葛藤に震えている。
いまだ謎多きライナスと呼ばれる男は、剣を離すとすれ違い様「任せろ」とだけ残し、トゥルヴレイの先へと向かう。止めることも、託すことも出来ず、迷える者は唯唯立ち尽くしていた。
「何をしに来たのです、ライナスさん」
本屋と対峙したヴェレタの第一声はそれであった。
「結婚式に乱入して来た人間がすることなんて、一つでしょう」
「私が望んでいるとでも?この結婚は私自身も合意しているのです。はっきり言って余計なお世話ですよ」
「国民を守る為に選んだ道、ですか。大義名分は確かに美しいですが、本当に人を支えるのは心の奥底にある、ありのままの気持ち。俺は王女の本心を聞きたい」
大義名分が崩れ去った時、前に進めるように。
「それはどういう……」
「アハハハハ、素晴らしい。感動的な余興じゃないか」
妙に気取った哄笑が、ヴェレタの声を遮った。整ってはいるが、不誠実さ漂う容貌に空々しい笑みを張り付け、エグズムの王子は言う。
「ヴェレタ姫、あなたは国民に深く愛されているようだ。彼のように、直情的で愚かな行為に及ぶ者が出る程にね」
言ってから「ああ、すまない」と、謝意のこもらない謝罪を本屋に向けてくる。
「愚かではなく、健気と言った方がいいのかな。だが君、下々の者には理解出来ないかもしれないが、政略結婚など王家にはつきものだよ。始めは義務でもそこから育まれた愛も星の数程ある。此度の条約実行により、両国の結び付きはより強固なものとなり、それはそのまま我々夫婦の絆となるだろう。だから安心して引き下がりたまえ」
それに対し、本屋は「腹話術なのか?」と訊いた。
「は?」
「だから、その長い台詞は術者が喋ってんのか、お前にまだ心が残ってるのか訊いてるんだよ」
何を言っているのか分からない。
戸惑うエグズムの王子に輝く鎖が絡み付いた。
「なんだこれは……ぐぉぉぉぉっ!!」
鎖はジュウと音を立てて王子の身体を焼く。ついには青い炎が吹き上がり、絶叫もろとも包み込んだ。
「ジーナさん、何てことを」
ヴェレタはこの凶行に及んだ者に非難の視線を向けるが、石床に杖を突き立てるジーナの表情は小揺るぎもしない。
「通常、ホーリーバインドは縛めでしかない。破邪の効果が顕れるのは、文字通り邪悪な者だけよ」
見なさい!と、指差された場所で青い炎が晴れると、中から現れたのはくすんだ白い身体をカタカタと震わせる、禍禍しき骸。
「なんてこと、王子が燃えて、骨だけに!」
「バカ、動いてんだろが。スケルトンだよ。王子に化けてたんだ!」
微妙な天然っぷりに本屋がツッコむと、ヴェレタは「嘘……」と口に手を当て絶句する。その耳に聖堂内のあちこちから悲鳴が聞こえてきた。
「ああっ、エグズム王がスカルキングに!」
「魔術師部隊まで!」
「エグズムのやつら、みんなモンスターだったのか!?」
近衛兵に守られ、狼狽えるトゥリアンダ王が「女王よ、これは一体……」と助言を求めると、女王はキッと鋭い目付きを一人の男に向けた。
聖なる鎖に縛られながら、他の者と違い人間の姿を保つ男。エグズムの大臣は頭を振って弁明する。
「何かの間違いです、女王陛下。そうだ、全て賊が仕組んだ陰謀に違いない。おい貴様ら、本物の王を、魔術師部隊をどこへやったのだ!!」
金切声をあげる大臣に、女王は「大臣殿」と静かで冷たい声を浴びせる。
「私の元に一通の書が届いております。先日城に侵入しようとした者が持っていたというこの書、送り主は貴国の隣に位置し、戦端を開いているアナズールの王、ベッケル陛下」
女王はそのまま封筒を王に渡す。王は封蝋印を見て、驚いた顔をした。
「これは、正式なアナズール王家の紋様ではないか。して、中身は……」
封を解き、中にあった書を読むうちに、王の顔色が変わっていく。
「エグズムの魔術師部隊、前線にて我が軍と交戦中、じゃと!?」
今から前線より移動しても、不死竜の復活には間に合わない。エグズムは最初からトゥリアンダを守る気などなかった。
真実が白日の元に晒され、王家がどよめく中、本屋はヴェレタに「な、言ったろ」と笑って見せた。
「大義名分は崩れた」
一方、エグズムの大臣はグヌヌヌ、と追い詰められながらも悪あがく。
「ぎ、偽造です!紋様も巧妙な魔法か何かで……」
「それは無理があるんじゃない、大臣さん」
何を小娘が!大臣が振り向くと、ジーナは呆れた顔で指を差した。
「だって術が解けてきてるわよ?」
ギクリとした表情が自らの手を見る。青い炎こそ吹き上がらぬものの、大臣の右手からジワジワと化けの皮が焼け剥がれ、おおよそ人間の物とは思えない、紫色の肌が露になっていた。
途端、大臣の口にふ、と冷笑が浮かぶ。
「これはこれは、ホーリーバインドがこれほど強力な魔法だとは。ばれてしまっては仕方ありませんね」
ボウ、と黒い霧が立ち込める。抑えていた邪気を解放すると、大臣は黒衣を纏った怪人に姿を変えた。
「ネクロマンサーですって!?」
予想だにしなかった正体にジーナが声を上げる。
尖った耳に紫の肌。明らかな魔族、又は悪魔の特徴であるが、その中でも特に邪悪な禁呪法に手を染める者が得る呼称、それがネクロマンサーであった。
ネクロマンサーは拳を握る動作一つで自分と、使役する骸の縛めを砕く。
「全く、あなた方が余計なことをしなければ、姫は国が救われると信じたまま逝くことが出来たのに。まぁしかし良いでしょう。不死竜の破壊で死した所を回収するつもりでしたが、絶望のままに尽きた魂の方がより強力な糧となる」
糧。と聞いてジーナは自分達が思い違いをしていたことに気付く。
「まさかそっちが本命なの?封印の破壊に乗じたトゥリアンダ侵攻ではなく、王女の力を手に入れることが」
「それはそうでしょう。想像してみて下さい、固定ダメージ200を持った骸の軍団を。トゥリアンダなどおまけに過ぎませんよ」
平然とした口調で聞かされた恐ろしい計画に人々は声を失い、静けさが辺りを包む。勇猛で知られる女王でさえ「なんとおぞましい」と悪寒を堪えるかのように両腕を掻き抱き、本屋の額からも一筋、汗が滑り降りた。
(エグズム王家は悪魔と契約したってのか?何にせよ協力関係にあるんだよな、エグズムと、このネクロマンサーは)
人の魂を道具のように扱う行為に同調する人間達がいる。その事実に本屋が戦慄していると、すぐ側でカチャリ、鎧が音を立てた。
「ああ~、今日はいい日だ」
「げっ、おっさんもう復活したのか!」
雷撃の矢で気絶したはずのベテラン近衛兵がいつの間にか本屋の横に来て、ニッと白い歯を見せている。
「小僧、さっきはよくもやってくれたな」
「い、い、い、今はそれどころじゃなくて」
「安心しろ、俺は今とても機嫌がいいんだ。何せ」
近衛兵の証したる特製の剣がネクロマンサーに向けられ、不快な静けさを豪快な吠え声が一蹴する。
「姫がエグズムの糞王子と結婚せずに済むのだ。これ程嬉しいことはない。そうだろ、お前ら!」
封印の破壊から国を守る術は失われ、城内にはモンスターが侵入している。
それでも今日は吉日であると。鼓舞を受けた男達は互いに顔を見合せ、そして頷き合った。おう!と勇ましい声が揃い、近衛兵達は一斉に剣を構え、ネクロマンサーを包囲するべく陣を組む。
「皆さん、ですが」
「姫様。我々近衛兵、いや国民の誰一人として、姫様が無理に結婚されるのを喜んだ者はおりませんぞ。さぁ、我等が道を開きます。条約が破られた以上、不死竜と闘う義務もありますまい。どこか遠くで平穏に暮らすなり、ここから先は好きにされるがよろしい」
ベテラン近衛兵の言に王と女王も頷いている。思えば幼少の頃より、選ばれし姫君として重い荷を背負わせてしまった。父と母の目はそう、言っていた。
しかし、選ばれし姫君はそこまで簡単に宿命を捨てられなかった。
「みんな、何を言っているの?私一人、逃げるなんて。不死竜を倒し、国を守る力を私は……わたしは……」
あなたの力が何の役に立つ?八方塞がりの闇の中で、ヴェレタの深層心理が毒づいている。
あなたが不死竜を倒せば国民は死ぬ。倒さなくても死ぬ。もう分かっているでしょう?もはやあなたは無価値なのよ。だからさっさと受け入れて、皆が言うように遠くで静かに暮らしたら?
「逃げるなんて嫌よ!私は無価値じゃない。まだ希望は残されているはず。だって私は見たもの!」
闇の中に浮かびあがったのは、聖堂に彼が飛び込んできた光景。そうだ、あのとき差し込んだ光は、あれは……。
「その通り。諦めるのはまだ早い」
肩を掴まれたヴェレタは、その真剣な眼差しの中に同じ光を見つけ、確信する。
――この光はきっと、道標。
「ライナスさん」
「ヴェレタ、君の力があれば不死竜を完全に倒すことが出来る。俺はその方法を知っているんだ」
本屋の発言に周囲がどよめく。
「本当なのか小僧っ!」
「そんなまさか。今まで誰も成し得なかったんだぞ」
「しかしあいつからは何か不思議な雰囲気を感じる。もしかして……」
本屋はベテラン近衛兵達に「ああ、信じてくれ」と答えて「だからヴェレタ」と再び向き直った。
そこで驚いた表情になったのは、目の前に泣きじゃくる少女の姿があったから。
「本当に?私は無価値じゃない?」
「無価値なもんか。ヴェレタの力あればこそ、だ。」
そうか。この子にとって、使命は一つの拠り所だったんだ。
本屋はヴェレタの境遇と抱えてきた思いを悟り、眉を下げながらも優しく微笑んで見せる。
「だからあとは君が決めろ。まさかまだそこの骨と結婚したいだなんて言わないだろ?」
その時ネクロマンサーの瞳が怪しく光ると、そこの骨……王子に化けていたスケルトンの手に、錆びた槍が現れる。
「ヴェレタ!」
カタカタと駆け出したのを見た女王は、何かを放る。おそらくはアナズールの密書により、不測の事態が起こると見越して持ってきたのであろう、空を渡ったのは愛娘の愛剣。
グイ、と少女の目から涙が拭われる。
剣を掴み、居抜き胴の動作が完了するまでの間、誰の目も追うこと叶わず。ヴェレタは剣を真っ直ぐに抜ききった姿勢で言い放った。
「こんなのと結婚?真っ平御免よ」
背後で、200の固定ダメージを受けたスケルトンが真っ二つにズレた。




