ポスト本屋の死闘
合理的ってなんだ。夢の中のルールで、だろ。
本屋はつい見失いがちなことを思い出す。それはこの夢の中心は自分であるということ。
(夢の中でくらい可愛い女の子を救っても罰当たらないっつーの)
今まで数多の物語を読み、幾人もの主人公達に会ってきた。中でも憧れたのは、不利な状況にも決して諦めず、強敵に立ち向かう不屈の勇気を持つ者達。
憧れは憧れに過ぎないと目を反らし続けた眩しい背中。今の俺はあの背中を追う権利がある。
決意の狼煙のごとき一投目が放たれる。矢は見事、真中のbullを通りイルルヤンカシュの鼻面に刺さる。現実世界でそこそこ上位のプレイヤーである本屋にとって、これは別段特別なことでは無い。
問題はここからだ。本屋は2本目を掴み、掴んだ勢いそのままに腕を引く。後ろで杖を抑えるジーナには、一投目との違いがはっきりと分かった。
(構えが、無い?)
ダーツを構え、ターゲットを狙う行為をセットアップと言う。第2投目はそれが省略、いや、実際使っているプロからすれば、セットアップと腕を引くテイクバックという行為が一体化したこの投げ方。
しっかり構えることに馴れたプレイヤーにとっては難しい技術だが、物にすれば一投あたりに掛かる時間は、俄然短い。
(いつもの二倍の早さで投げれば当然火力も二倍。それなら確かにイルルヤンカシュを倒せるかもしれない。だけど課題もあるわよライナス)
ジーナの懸念はすぐに的中する。本屋の2投目3投目は僅かにbullを外れ、それぞれ6と16のナンバーへ。
(やっぱり。いつも通りの精度が出なきゃ意味がない)
普段と違うスタイルで投げる弊害は、案の定大きな壁となって本屋に立ち塞がる。メンタルスポーツと呼ばれるほど繊細な競技であるからして無理からぬ話、それでも彼は静かにトライを続ける。外しても外しても壁を崩そうともがく姿は、ジーナの胸をひどく締め付けた。
20、6、11、3、16。更に5投、bullを捉えることなく経過。ジーナは堪らなくなり、声をあげかける。もういい。もう諦めて逃げて、と。
……矢が一本、真っ直ぐにbullを通った。
「えっ」
続いてbull。その次もbull。現実世界ならこれでワンセット、ハットトリックだが、彼の矢はまだまだその軌跡を辿る。
bull、bull、bull。
立て続けに50のダメージを受け、最初は余裕を見せていたイルルヤンカシュも鼻息荒く首を降り始める。
されど容赦なく50の雨は降る。いくらダーツを避けようと身を捩っても、一度ダーツ盤を通ったダーツはまるでホーミングのように軌道を変え、硬い鱗に鋭く突き刺さって行く。化け物の猛る姿は熟練の戦士ですら股間を濡らしそうな様相だが、本屋は微動だにせず腕を振り続けた。
(急にどうして。スイッチが入ったってやつ?それにあんなに沢山のダーツをどこから出しているのよ)
よくよく見ると彼の平らに構えた左手には、湧き出すようにダーツがストックされていく。
(アイテムボックス!でもアイテムボックス持ちは特殊クエストを斡旋されるからギルド会員証に明記してあるはず。あいつの会員証は普通だったけど、まさか)
そこでジーナはとある考えに思い当たり、思わず笑ってしまう。
(今獲得したってわけね、HPの高い敵を倒す為に。やっぱりあんた大当たり、ううん、それどころじゃない)
必用な時に必用な能力が開花する。これを異世界物の小説ではこう呼ぶ。
チート。
世界を味方につけたような力にしかし本屋は気づくそぶりもなく、ダーツを左手から拾い、投げるを繰り返す。
その精神は既に集中という言葉では足りぬ程に研ぎ澄まされ、トランス状態の域に達しつつあった。
「拾う、投げる、拾う、投げる、拾う、投げる……」
まるでそれが決められたことであるかのようにbullに入り続けるダーツ。イルルヤンカシュの頭部はもはや針鼠のような有り様である。
「凄い精度……これも彼のスキルなの?」
「多分違うよ。精度に関してはライナスが元から持っていた力だと思う」
思わず口から出た疑問に肩の精霊から返答があり、ジーナは本屋の能力の真髄を悟った。
「そっか。ダーツプレイヤーをダーツゲームにおける能力だけで闘えるようにする。それが彼の力の正体。でも、だとしたら」
「うん、命中力にはスキルの援護が無いのだから、後は純粋にライナスという人間の集中力が試される。あいつはそういう闘いを選び、身を置いている」
「そんな。危険な賭けじゃないの。会っていくらも経たないけど分かる、あいつは臆病な性格よ。なのに何故」
それはね。
そう言って微笑んだウルポックの目は、いつものマスコット然とした雰囲気ではなく、柔らかい包容力を湛えていた。
「男の子ってそういうものだよ?ジーナちゃん」
「男の子……」
鎖に封じられているとは言え、イルルヤンカシュの前に立つのはどれ程の勇気を必用としたか。ジーナはお世辞にも逞しいとは言えない本屋の背中を見つめる。
男の子という存在を彼女はあまり知らない。それどころか、たった一人の友人以外、他人を殆ど知らなかったし、仲間同士の絆など生まれようもない環境で暮らしてきた。
それはずっと憧れていたもの。大切だから、怖くても、弱くても守る。そんな掛け値なしの感情を向けてくれる相手を、彼女は狭い世界で長い間想い続けていた。
そしてその人が困っている時は自分が力になって、そういう関係の中でならきっと、泣いたり笑ったり、自分は本当の意味で生きていることを実感出来る。
欲しくて欲しくてたまらなかったものが今、目の前で闘っている。
――なのに。
悔しさのあまり、ジーナの目から涙の粒が零れ、杖の刺さった地面を打つ。
「ごめん……ライナス。もう、限界……」
聖なる鎖の一つが明滅を始め、パキリと砕ける音がなる。
「あと少し、私の魔力が足りなかった。お願い、逃げて!」
そうか、あと少しなのか。
合理的判断を捨てた。強大な敵への恐怖を捨てた。いつものやり方に頼ることを捨てた。
そして最後に彼は、安定を捨てる。
本屋は当たり前のように視線を上に上げ、20のナンバーを見る。そこにはダーツゲームの最大火力がbullよりも更に小さな口を開け、彼の矢を待ち受けていた。
……ス。……イナス。
「ライナスってば!」
ジーナが大声を上げて漸く、本屋は腕を振るのを止めた。既にアイテムボックスからのダーツの補充は無くなっており、今まで彼はただただ素振りを繰り返していたのだ。
ダーツの補充が無くなる。それはその必用が無くなったことを意味していた。
「そうか、倒せたんだな」
実感の籠らない彼の呟き通り、イルルヤンカシュは蛇の巨体を地面に横たわらせており、カッと拡がった瞳は既に光を失っていた。
ダーツ盤はまだ空中に残されていて、最後に刺さった20のトリプル、その小さな長方形が点灯している。
「こんな狭いところ、よく3本も通したわね」
「最後の最後にton80(180点)か。本当に自分でも信じられな……おっと」
言葉の途中で本屋はフラりと体勢を崩し、尻もちをつく。
「ライナス!」
心配そうに駆け寄るジーナに「あはは、集中し過ぎた」と、本屋は笑って見せた。
「一生分の集中力を使いきった気分だよ」
緊張の糸が切れ腰が抜けただけだと知り、ジーナは心底ホッとしたように息を吐く。そして悪戯っぽい表情になると腰を屈め。
「それは困るわ」
「えっ、何が」
「一生分のってやつ。だってそうでしょ?あんたと私の冒険はまだまだこれからなんだから」
ね、相棒。差し出された手と共に覗きこんだ微笑みは、出会ってから一番の魅力に満ちていて、本屋は一瞬見蕩れてしまう。
「?」
不思議そうに見つめるジーナの前で頭をブルンブルン振るい、なんとか平常に戻った顔で微笑み返すと。
「ああ、よろしく」
本屋はその手をしっかりと握るのであった。




