ポスト異世界転生(転生とは言ってない)
まんまのデザインでは芸がないと誰かが思ったのか。プニプニとしたゼリー状のモンスターは、この世界では正四角錐、つまりピラミッド型をしていた。
そいつが3体、追いかけてくる。
「こんなシーンから始まるのかよ!」
本屋は大して優秀ではない運動神経をフル動員して走る。あの半笑い顔はゲーム画面では可愛いとすら思えるが、実際に迫ってくるとかなりの恐怖だ。
しかも結構速い。ピョンピョン跳ねたり地面を這いずるやつらから、本屋は距離を離せないでいた。
「アンギュライムごときから逃げてたんじゃ、この先旅して行けないよ」
ふいに横から声がかかったので見ると、肩の高さくらいの空中に、藁束を丸めたような物体が並んで飛行している。
「うわ、新手か!?」
「新手じゃないよ、ウルポックだよ。ねぇライナス、なんで戦わないのさ。あいつは大して強くないのに」
「そんなこと言ったって」
俺は喧嘩も苦手、と言いかけたところで、ウルポックが一体のアンギュライムへ勢いよく飛んでいく。バシッと体当たりを受けたアンギュライムは動きを止めると、そのまま霧散して消えていった。
「えっ、お前強いの」
「だからこいつらが弱いんだって。ライナスもいつもやっつけてるじゃないの」
「そ、そうか、それなら」
意を決した本屋は腰に手をやる。しかし、掌に何も手応えがなく、スカスカと空を掴むばかりだった。
「剣が無いんですけど!」
「何言ってんの、剣は五歳の時、一時間で断念したじゃない」
「剣を振れない主人公って……じゃ、じゃあ魔法だ。火の球なんかでババーンと」
「それも八歳の時、五分で」
「マジかよライナス駄目駄目じゃねーか。いつもどうやって戦ってんだよ」
「寝ぼけてんの?ベルトに提げてあるでしょうが」
「ベルト……これって」
確かにベルトに幾つかホルダーがついていて、小さな棒状の物が数本収められている。それは、本屋にとって見慣れた物であった。
「ダーツぅ?」
抜いてみると先端が普段使うプラスチックではなく、鉄で出来た所謂ハードタイプであったが、間違いなくダーツだ。
「しかし、距離とか的が動いているとか全然条件が違うんだが」
「でもいっつも上手に当ててるよ。ヘタレ糞虫野郎なライナスの、人としての尊厳を保つ生命線だね」
可愛い見た目に反したウルポックの凄まじい毒舌に軽く打ちのめされつつ、本屋はアンギュライムの迫ってくる方向を向き、構えをとる。
(もしかしたら主人公補正ってやつがかかってるかもしれない。何せこれは俺の夢なんだからな)
果たして、その主人公補正とやらはすぐに形となって現れた。本屋が二体のアンギュライムのうち一体にダーツの先端を向けると、立っている場所から2、3メートル先に半透明の丸い板がホログラムのように展開されたのだ。
「な、なんだあれ、ダーツ板か?ちゃんと数字も書いてあるし……待てよ、もしかして」
本屋は大きく深呼吸、腕をコンパクトに畳み、真っ直ぐ振り下ろした。ダーツは綺麗な放物線を描き見事、的の真中へ。50点の得点が配されたbullと呼ばれるエリアを通り、そこから更に勢いを得て飛翔、アンギュライムの眉間にズブ、と刺さった。命運の尽きたモンスターは最初の一体と同様、空気中に溶け、消えていく。
「や、やった」
(やっぱり主人公補正があるみたいだな。動いてて距離があってもダーツ盤さえ通せば追尾してくれる。それともう一つ確認すべきは……)
本屋はとあることを試すべく、最後の一体にダーツの先端を向ける。先程と同じく半透明のダーツ板が現れ、本屋の放ったダーツは今度はbullの少し下、3のエリアを通ってアンギュライムに当たる。
そう、刺さらずに「当たって」跳ね返った。
アンギュライムは少し怯むような様子を見せたが、未だ健在でこちらを伺っている。
(やっぱり通った場所の数字がそのままダメージになるんだな。3じゃ流石に倒せなかったわけだ)
自分の推論が正しかったことを確認し、頷く本屋。確かに、己の持つ能力を正確に把握しておくのは大事なことだろう。
しかし、彼はまだまだ旅人としてアマチュアであった。戦闘中に手を抜くなど、如何なる理由があっても許されるはずないのだから。
「ライナス!」
「うわわわ!」
突如アンギュライムは大きく跳ねると、本屋との距離を一気に詰める。そして着地と同時に身を縮ませ、体当たりの体勢に入った。
本屋は慌ててダーツを放る。だが、メンタルスポーツに肝要な集中力に欠けていた。
「げっ、力んじまっ……」
手離れの遅れたダーツはまたしてもbullの真下、3のエリアへ向かう。今回は完全に失投だ。
本屋の目が、こちらへ突撃してくるアンギュライムの姿を捉える。3ごときのダメージでは奴の攻撃を止められないだろう。
体当たりが迫る。
(夢だから痛くないよな。痛くありませんように!)
衝撃の備えに身体を強ばらせた本屋の眼前で、ダーツは案の定3のエリアを通り……アンギュライムの顔面、中心辺りに突き刺さった。
慣性の法則はどうなっているのか、空中で動きを止めたアンギュライムはそのまま霧散する。
「な、何が起こったんだ」
意外とHPが低かったのか?首を捻りながら本屋はアンギュライムの消えた場所に近付く。その途中、半透明のダーツ板はまだ残されており、ダーツの通った場所が蛍光色に光っていた。そこは、3のエリアの中に更に小さく仕切られた得点ゾーン。
「トリプルか!」
そう、ダーツゲームにはダブルとトリプル、つまり刺さった場所の得点が2倍、3倍となるゾーンが設けられているのだ。今回は3でもトリプルだったのでダメージは9。さっきのダメージと合わせてなんとか倒すに至ったのであった。
「はぁぁぁ、ラッキ~」
へたり込む本屋、そこへ仲間らしい藁束ボールが飛んでくる。
「危なっかしいなぁ、まったく先が思いやられるよ」
首が無いので身体全体をモシャモシャと振るマスコットに、本屋は改めて訊いた。
「お前は一体何なんだ」
「ウルポックだよ」
木造の廊下を忍び足で玄関へ向かっていると、道場の引戸から女性がニュッと顔を出した。
「こら、京子さん。宿題やったの?」
「うひっ、梓、いたのか!」
京子の裏返った声を聞くと、女性は引戸から全身を露にする。女袴にポニーテールが清楚な美しさを引き立て、顔に浮かべた笑みは穏やかであり……されど怒りを孕んでいた。
スタスタスタと廊下を早歩く音が聞こえたと思ったら。次の瞬間、竹刀が京子の額を襲う。
「あべしっ」
額を押さえて蹲る京子を見下ろす、サディスティックな視線。
女性は竹刀で自分の肩をトントンと叩きつつ、底冷えのする声を出した。
「さんをつけなさい、さんを」
デコスケ野郎、もとい京子は涙声で弁明する。
「だってあずささんって、ささんって部分が噛みそうになるんだよ」
「また屁理屈言って……それとさっきも訊いたけど宿題は?まだやってないんでしょ」
「午前中、剣の稽古は真面目にやったろ。今から勉強したら友達と遊ぶ時間が無くなるじゃないか」
「文武両道!一流の武芸者は猪武者じゃないっていつも言ってるでしょう。私の学生時代なんかそりゃあもう容姿端麗才色兼備の剣道小町と……」
「今の台詞を英訳せよ」
「え」
「海外の要人のボディーガードもやってるんだろ。それくらい出来るよな?」
「あ、当たり前でしょ。ええっと、ソード・アンド・スタディ・アー・インポテンツ!じゃなくてインポータント。なんか凄い片言っぽいわね。じゃあ、そうだ剣の道!剣の道剣の道……ソード・ロード……この場合の道ってロードであってたかしら」
梓さんは顎に指をあててウンウン唸っていたが、突然「はっ!」と、凄い低い声で凄い顔をした。少し目を離した隙に京子が忽然と姿を消していたからだ。
「あんの小娘変な知恵ばっかりつけおって~」
歯ぎしり音と共に道場の引戸が閉まる。梓さんは待たせていた客人がこちらを見ているのに気づき「オホホホホ」とわざとらしく笑った。
「お恥ずかしいところを見せてしまいましたわね」
木床に正座したスーツの男は静かに首を振る。
「いえいえ、元気そうで何よりだ。随分大きくなられましたね、京子ちゃんは」
「身体ばかり大きくなって、心は成長するどころか最近じゃますますやんちゃになる一方で困ってますのよ」
「きっと高校生活が楽しいのでしょう。良いことではないですか。以前の彼女は少し陰があったから」
「ええ、まぁ。私もあの子の口から友達と遊ぶなんて聞けるとは思ってませんでした。でもあの言葉遣いはいただけませんわ。あんな乱暴な喋り方……」
「ハッハッハ、言葉遣いが丁寧でも中身が乱暴な人よりは良いではないですか」
竹刀の炸裂音が響き渡り、道場の屋根から雀達が慌てて飛び立つ。
「一体誰のことかしら」
梓さんが竹刀を振り切った姿で問うと。
「殴ってから訊かないで下さいよ」
スーツの男は額を押さえ、呻き声で返した。
雀が恐る恐る帰ってきたところで仕切り直し。スーツの男は居ずまいを正して本題に入る。
「見ていただきたい物があるのです」
梓さんが渡されたのは三枚の写真。彼女は不思議そうにそれぞれを見比べていたが、やがて険しい表情を浮かべた。
原因は群衆に紛れるように写りこんだ、喪服のような姿の男。血色の悪い肌に生気のない瞳が、見る者に不気味な印象を与えている。
「まったく同じ、それこそ同一人物としか思えない男が三枚とも写っているわね。これってまさか」
「そう、この街で同時刻、全く別々の場所で撮られた物です」
つまり、見た目のそっくりな人物が三ヶ所同時に現れたということだ。いや、そっくりというには生ぬるいほど細部まで一致した容姿であり、三つ子というよりは大量生産された人形の感。
「マス・マン」
知らず知らずのうち、梓さんはその名前を呟いていた。
「ご存知でしたか」
「ええ、以前見たのは某国の紛争地帯だった」
「なるほど、やつらが現れそうな場所ですね。マス・マンの出現は死と破壊の予兆。そしてその影には必ず月の民の存在がある」
「この街に月の民、いえ、月の民の反人類派組織がいるというのね。それで?私は何をすればいいのかしら」
「月の民の共存派が独自で警戒にあたると報告があったのですが、政府としても傍観する訳にはいきません。人員を出すことになったので、そこに加わっていただければと」
「別にいいですけど他人を守って戦える程、余裕はないですよ。マス・マンは私でも容易い相手ではないわ。ましてや月の民やゴーレムが出てきたら……。はっきり言いますけど政府側の出動に効果なんてあるのでしょうか」
「共存派のリーダー、雪尾氏によれば、囲っているだけで動きを制限する効果はあると。反人類派は存在が公になることを嫌っていますから」
今はまだ、ね……。
梓さんはスーツの男の言葉にそう継ぎ足すと、立ち上がる。
祭壇の前まで来ると波刃木家に伝わる刀を手に取った。
カチャリ。鞘から少しだけ抜く。覗いた鋼は鏡のように澄み、道場に射し込んだ日の光をうけて一瞬、白く輝いた。その刹那の閃光の中にあったのは、彼女の記憶に古傷のように残る光景。
瓦礫と、母の亡骸にすがる、黒髪の幼女。
――某国の紛争地帯にあった小さな村は、あの日、永遠に姿を消した。
「あの子に二度も同じ思いはさせない」
キン、と音を立てて納刀が成される。決意を定めた女の眼光は、一人の剣客の鋭さを放っていた。




