ポスト物語の始まり
また来るね、と言って友人は帰っていく。しばらくすると、窓から見える道路に束の間、彼女の姿が現れる。時おり、そこでは他の仲間が待っていたりする。
外の世界の住人達だ。
こちらの世界は白くて清潔だけど、無機質で狭い部屋の中。
疑問と希望の混じった感情が湧く。いつの日かあの輪の中に加わる時は来るのだろうか、と。
――私の夏休みは終わらない。
一人の少女の独白によりこの物語は幕を開ける。この物語に名前をつけるなら、やはり、そう。
「出逢い物語?」
糸男は古風で上質な背表紙を撫で、声を上げた。
振り向くと、カウンターの中で意味ありげな笑みを浮かべる本屋と目があう。
「へぇ、その本が気になるか」
「まぁ、ね。ちょっと普通じゃない感じがして」
「糸男はそういうとこ勘が鋭いよな。確かにお前の言う通り、その本はちょっと特殊だ。具体的に言うと、二冊で一組なんだ」
「上下巻てことか?」
「それが違う。二冊はお互いに関与しているが、それぞれ独立した物語で、一方が一方の続きというわけじゃない。どういうことかと言うと、二つの物語は同時進行で綴られていて、男と女、それぞれの主人公が互いを探し、男女の出逢いによって最終章は一つに重なる。どうだ、面白いだろ」
「なるほど、まるで本と本が出逢うような構成なのか。ところでここにあるのは一冊だけみたいだけど」
「親父も前から揃えたいって言ってたけど、かなりのレア物でさ。今だ出逢えず仕舞いってわけ」
「ふーん、で、お前はこの本読んだのか」
「いや、あらすじを知っているだけだ。そういやこんなに面白そうなのになんで読んでないんだ?希少価値が高いから迂闊に扱えないってのはあるけど……」
「でも読まない方がいいかもな。なんか曰く付きっぽいし」
「確かに曰く付きの本てのはあるが、そいつがそうだとは思えないな。ちょっと変わってるけど、内容はボーイミーツガールだぞ」
「男女の因縁ほど根深い物はない。お前なら分かるだろ」
糸男に言われ、本屋は少し考える。そして何か思い当たるふしがあったのか、婦女子の敵は頷いた。
「肝に命じておく」
「なぁ、ビッちゃん。何でも願いを叶える代わりに魔法お相撲さんになれって言われたらどうする?」
糸子から突然変な質問をされ、ビッちゃんは思わず「え」と聞き返した。
「リスクを考えたら迷うよなぁ。直ぐには答えられないか」
「まず魔法お相撲さんて何」
竹刀の手入れをしていた京子が糸子の代わりに答える。
「魔法を使う少女が魔法少女なんだから魔法を使う力士に決まってるだろ」
全くビッちゃんは世間知らずだなぁふへへへ、と笑う二人に、コメカミに怒りマークを浮かべたビッちゃんは「ドスコーイ」と張り手を食らわせる。
こんな意味不明なやり取りが交わされるのは、特にやることがないからである。
彼女達は大学病院前のバス停にて、つっこを待っているのだ。屋根つきの、ちょっとした小屋のような作りなので陽射しは防げるものの、つっこがいつも薦めるようにもう少し離れたコンビニで待った方がずっと快適であろう。
それでも彼女達がここを選ぶのは、理由があった。
「つっこのやつ、大丈夫かな」
「大分無理してる感じよね。最近頻繁にお見舞いに行ってるし、あまり良くないのかな、知合いの病気」
京子とビッちゃんの会話から分かる通り、前からたまにつっこは大学病院に行くことがあった。デリケートな事情があるのか彼女はあまり多くを話はしなかったが、昔からの知合いが入院しているという。
「あ、メールが来た。今出たところだって」
スマホを見たビッちゃんが立ち上がると二人も後に続く。
「よし、急いで迎えに行こう」
彼女達がバス停で待つ理由は、つっこが一人辛そうに歩く時間を、出来るだけ短くする為であった。
本屋の実家である貝望書店。カウンターの内と外で、本屋と糸男が最近出た流行の本についてあれこれ話していると。
「保、店番ご苦労。やぁ糸男君、いらっしゃい」
と、ベストを着たロマンスグレイの紳士が入ってくる。
「親父、長かったな」
彼は本屋こと貝柱保の父親であり、貝望書店の店主である貝柱作。さてその為人は。
「うむ、まず花屋のスミレさんに自家製の紅茶入りクッキーを届け、そこで買った花束を淡味堂のフミカさんに贈り、フミカさんの新作ケーキを持って押葉茶亭のリンコちゃんの所へ……」
「……あのな、親父。男女の因縁ほど根深い物はないんだぞ」
「そんなもの怖がってたら楽しい人生は送れはせんよ」
「なるほど、確かにあんたの言う通りだ、中身だけチャラい父よ!」
「分かってくれたか中身だけチャラい息子よ!」
熱い抱擁。
親子過ぎる!と思う糸男であった。
店番を完遂した本屋と糸男は、近くにある漫画喫茶で遊ぶことにする。つっこ軍団の男子勢の間で、今ソフトダーツが流行中なのだ。
本屋の放ったダーツは真ん中に二本、そして、最後は惜しくも少し右の6のナンバーに刺さり、ダーツゲーム機の画面にLOWTONと出る。一本外したとは言え、二本も狙った場所に刺さったのだからこれは本来凄いことなのだが。
「全く、自信無くすよなぁ」
隣の的には真ん中に三本、綺麗に刺さったダーツが。ハットトリックを決めたのはダーツは初心者だと言う糸男である。
「本当に今日で二回目かよ。てかこの前初めてみんなで行った時からそんなだったよな」
「まぁ、普段から暗器の訓練は……ゲフンゲフン……それよりも、ラーメンの方が凄かったじゃないか」
「ああ、まるで機械みたいに正確に刺してたな」
「なぁ、この前のダーツだが、やり過ぎだったんじゃないか」
とあるビルの屋上にて、メガネは後ろに響いた着地音に向けて苦言を言う。
ラーメンは忍装束の頭巾の部分を脱ぎつつつ「そうは言ってもよ」と返した。
「手を抜くって意外と難しいんだぞ」
「分かるが些細なことから正体がバレることもあるんだぞ。成長型ゴーレムであるお前には力にブレーキをかけるシステムがついてるんだから、それを上手く使うんだ」
ラーメンにはちゃんと幼少期があった。これはゴーレムにはなかなか珍しいことで、恐らく人間社会に上手く溶け込む為に製作者がそう造ったのだろうとメガネは語る。
「そういう風に造られてるってことは、そもそも『人間モード』があるはずだ。超人的な怪力や反射神経を持たない、人間としてのお前のもう一つの姿。そのモードでは何か物事を上手くなろうと思えば、時間をかけてトレーニングするしかない。普通の人間と同じように」
メガネは「良かったな」と笑う。
「お前を造ったやつは努力する楽しみを奪わなかったようだ」
「確かにな。何でも出来るって憧れてたけど、達成感もないんじゃ人生つまらなそうだ」
「それが分かったならさっさと力をコントロール出来るようになれ。でないと火消し役のサイレントが泣くぞ」
「あの人に借りをつくるのはごめんだね」
緊急措置とは言え、腕をもがれたのだ。ラーメンには少しだけサイレントに隔意があった。それを感じとったメガネは「あいつも悪いやつじゃないんだけどな」と溜め息をつく。
「サイレントさんと言えば、つっこの記憶はどうするんだ。正体バレたって知っているよな」
「その件だが、お前に任せるって言ってたぞ」
「いいのかよ」
「一人で秘密を抱えるのは辛いだろうからってさ」
「……悪い人じゃないんだな、サイレントさん」
罪悪感の混じった呟きを吐いて、ラーメンはメガネの隣に座る。
「ま、一応あいつも人間の味方だからな。今もどこかでこの街を監視してるだろう」
「俺まで駆り出されるってことは何か起こっているのか?あの放火魔ゴーレムが動いているとか」
「アーソンマンか。やつが絡んでいるかは分からないが、この街のN粒子濃度が異常な数値を指している。偶然ということもあり得るが……」
「一番濃度が高い場所ってどこなんだ」
「それはあそこだ」
メガネが指差す先には、大学病院があった。
(あそこは確か、つっこの……)
ラーメンが思考を巡らせている間にも、メガネの指は空中をスライドする。
「えっ、ちょっと待て」
「一番があるということは二番がある。そして俺達にとってはそっちの方が重要な場所、つまりあそこだ」
メガネが指を止めた先を、ラーメンはその超人的な視力で認識する。
「マジかよ……」
そこは、商店街の一角にある小さな書店であった。
ボボ……ボボ。
ロウソクが、無数に皺の刻まれた老人の顔を夜闇に浮かび上がらせる。老人は底の知れない叡知の宿った瞳を彼らに向け。
「さて、今日は何について話そうかの」
と、骨張った手を擦り合わせた。
彼ら、まだ幼い二人の子供のうち一人が目を輝かせる。
「僕、ドラゴンの話が聞きたい!アッシュバランの英雄が昔やっつけたっていう」
実に男の子らしいリクエストが上がると、老人は、やんちゃ盛りの相貌を微笑ましげに見返し、言う。
「そんなものはおらん!」
「うわぁぁぁん」
男の子は泣き叫びながら部屋から出ていった。
「さて、お嬢ちゃんは何の話が聞きたいかな?」
「私、妖精さんの話が聞きたいなぁ。透明な羽根が生えた小さいの、前に見たことあるんだよ!」
「はぁ?妖精が見えるってあれですかねぇ、お嬢ちゃんヤバイもんでもキメてんですかねぇ」
「うわぁぁぁん私、キメてないもん!」
女の子は自身の潔白を叫びながら部屋から出ていった。
いたいけな幼児が二人も泣き叫びながら出ていった伏魔殿。
そんなおっかない部屋の前で、本屋は呆然と立ち尽くしていた。彼は老人に用があってドアの前まで来ていたのだが。
(は、入りたくねぇ)
しかしそれでも入らねばならない。でないと話が進まないのだ。
「長老……でいいんだよな。入ります」
「おお、勇敢なる村の若者、ライナスではないか。いかがしたかな?」
「ああ、俺の名はライナスだったな……ええと、以前占いに出た運命の女性を探しに行きたいのです。旅に出る許可を」
本屋が決められた通りの台詞を言うと、長老の眉が釣り上がり、口が人をおちょくるような形で開かれ、耳障りな鼻抜け声が吐き出される。
「はぁ、運命のひとぉ~?」
「は、はい」
「結構可愛くて性格も良くて着痩せするタイプなのかよく見るとスタイルもなかなかどうして、な女の子がお前のことを探していると?」
「は、はぁ。占いではそのように」
長老は深い溜め息をつき、哀れみと侮蔑に満ちた、つまり超ムカつく顔で本屋の肩に手を置く。
「いねーよ」
「いやそれはいなきゃ話が終わっちゃうでしょうが!」
……。
ツッコミポーズでしばし虚しい余韻に浸る本屋。自分の声で目覚めた場所はベッドの上。まぁ、彼自身大体分かっていた通りのオチである。
枕元には当然のごとく一冊の本「出逢い物語」が転がっている。寝る前に読んだ本の夢を見るとは己の単純さに苦笑いが出るばかりだが。
この夢が全ての始まりだということを、このとき彼はまだ知らないのであった。
そして。
「運命の人ってどんな人だろう」
白く、無機質な部屋で目覚めた少女の枕元にもまた……。
彼らの物語はまだ序章である。




