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新生月器ポスリア  作者: TOBE
覚醒編
35/88

ポストあめあきないと海の思い出(前編)

 雨が上がった。

 糸男は傘を畳み、微笑むとともに天を見上げる。空が雲の衣を脱ぎ、洗いたての青が広がってゆく。

 気持ちの良い午後の予感。


「おや、あれは……」


 少し歩いたところで、脇道から見知った人物が現れる。

 向こうもこちらに気付き、大きく手を振った。


「おーい、糸男!」

「糸子か。お前俺んちの近くにしょっちゅう出没するな。何してんだ」


 近づいて来ると、糸子は「そこの通りに古い木があるだろ」 と、自分の来た道を指差した。


「その木の下で、たまに女の人が珍しい物を売っているんだ」

「珍しい物?」

「そうさ。決してほどけない靴ヒモとか」


 糸男はコメカミに手をやった。

 糸子には変な物を買ってくる癖があり、そのせいで今月は金欠だと、弟の悟から聞いていた。ひょんなことからその経路を知って、頭が痛くなったのだ。


「また何か買ったのか」

「買ったよ。ほら、これだ」


 糸子が見せたのは巻き貝の貝殻、大きさは拳ほど。たしかにちょっとしたオブジェにはなりそうだが。


「いくらだったんだ」

「3円だ」

「3円?」


 変な価格設定だと糸男は思った。3円を馬鹿にするわけではないが、商売人が、わざわざ3円の物を売るのか、と。


「なんか怪しくないか」

「そんなことない。優しそうな女の人だったぞ」


 糸子の優しそうはあてにならない。何せこの天然は人を疑うということを知らないのだから。

 糸男の心に浮かんだ女の人の正体が正しければ、何か裏がある疑いがあった。


「直ぐに返品した方がいいんじゃないか」

「嫌だよ、気にいってるんだ」

「でもまたそんなの買ってきたら、悟君が心配するんじゃないかな。糸子は姉貴なんだから、それは良くないと思うよ」

「うー」


 結局、今度一緒に浜で貝殻を拾ってやるという約束をして、二人は話にあった木の下に戻った。

 しかし、そこには誰もいない。


「あれ、おっかしーな。ついさっきまでここに居たのに」


 まるで、雨と共に消えてしまったかのようであり、糸男は女の人の正体について確信を深めた。


(やっぱり、あめあきないか?)


 だとしたらやはり、糸子は騙されているのかもしれない。あめあきないと言う妖怪は、狐や狸のように、人を化かす術に長けた妖怪なのだ。


「また雨が降った時に返そう。その時は俺に連絡するんだぞ」

「なんでだよ。ちゃんと一人で返しに来れるよ」

「俺も会ってみたくなったんだよ。その不思議な女の人に」


 糸男が言うと、糸子はふくれっ面をニパッと晴れのような笑顔に変えた。


「すごく素敵な人なんだ。私の欲しい物が全部分かってて」


 ああ、何て危なっかしいんだろう。こんなんじゃ同じ人間にも騙されるんじゃないか。

 糸男の心配は尽きないけれど。


「へぇ、欲しい物が分かるなんて凄いな」


 そんな純粋な友人と過ごす日々を、彼はとても楽しく感じているのだった。




 その日、庭で草むしりをしていた糸男を訪ねて来たのは変わった客だった。


「河童が何のようだい?」


 と、言うか人間じゃなかった。頭の上に水の溜まった皿、亀のような甲羅を背負う、極標準的に世間に知られた姿。そしてアヒルを彷彿とさせるとがり気味の口が、来訪の理由を述べる。


「井戸に住まわせて欲しいんですわ」


 河童が住みたそうな顔を向ける方向には、確かに井戸があった。糸男が生れる前からあり、今も使っている古井戸が。


「あそこに?お前はたしか、思われ川に住んでいる河童じゃなかったか」

「そうなんですが、あそこも護岸工事が進みましてなぁ。住みにくくなってしもうたんですわ」

「なるほど、そりゃ申し訳なかった。人間を代表して謝るよ」

「いやいや、北野の若旦那、頭を上げて下さい。井戸に住まわせて貰えさえすれば手前に不満はありませんから」

「ああ、それがなぁ。ちょっと無理かもしんない」

「そんな殺生な。何故なんです」


 何故か、は「ほらあれ」と糸男が指さす先にいた。幼女の姉が「むー」と唸っている。もしもプラカードを背負っていたなら、そこには「ダメ」「断固反対」等と書かれていただろう、そんな顔だった。


「姉はん何故です」

「河童が住んでる井戸の水なんて飲みたくないわよ!」


 それを聞き、河童はホッと胸を撫で下ろす。


「なんだ、そんなことですか。気にせずとも無害ですよ、河童汁は」

「汁ってもうアウトでしょうが!」


 ふーむ、今日の河童汁はちょっと苦いな。

 想像して、それは俺も嫌だと思う糸男であった。


「百兎の森に池があったろ、あそこじゃ駄目なのか」

「勿論最初に目をつけましたよ。ですが先客がおりましてな」

「先客?あそこは蛍女(ほたるめ)がたまに水を飲みに来るか、翔魚(かけるいを)が冬場の空を飛ばない時期に隅の方で眠っているばかりだぞ。住むところくらい空いてるだろ」

「そうなのですか?確かに女河童がおりましたがな。随分グラマラスなもんで、シャイな私は逃げてきたのです」

「新顔か?俺のところに話は来ていないが……気になるな」


 というわけで糸男は池まで見に行くことにした。森を見守る者として、新しい居住者が入ったのなら把握しておく必要があるからだ。


「せーちゃんグラマラスってとこに釣られた訳じゃないよね」

「断じて違うよ姉さん」




 糸男と姉と河童が池に行くと、確かに女河童のような者はいた。

 正しくは作り物の甲羅を背負い、紙皿を頭に乗っけて顎ヒモでとめ、スクール水着を着て浮き輪で浮かぶ糸子だった。


「おい、今回ばかりはちょっと問題あるくらいの奇行だぞ糸子」


 糸男に言われると、作り物のアヒル口がこちらを向き「グア」と鳴く。


「グア、じゃない!何してんだよ」

「いやぁ、こうしていればお姉さんが見えるようになるんじゃないかと思ってな」

「姉さんに、会うために?」


 驚いた糸男は思わず姉の方を見る。姉も小さな口を手で覆い、言葉を失っていた。馬鹿らしい格好に反してひたむきな糸子の思いに、心を打たれたようだ。


「あながち間違ってはおりませんな。妖怪になりきって妖力を得る。人間の修験者にはそのような修行もあるとか」

「ああ、知ってる。俺も昔、親父にやらされたからな。だが心得のない者がやると危険だ。身も心も妖怪になって戻れなくなるんだ」


 小声で河童に説明を終えると、糸男は「ほら、上がれ」と、糸子に向かって手を差し出した。


「でも、まだ見えない。お姉さんそこにいるんだろ。気配は感じるんだ」

「俺が必ずなんとかするから。そんなところに長くいると風邪ひくぞ」

「うん……」


 後髪引かれる様子で伸ばされた手を握れば、そこから伝わってくる感触はやはり、冷たい。


(すまない)


 糸男の心に自責の念が湧く。

 祭のあったあの日から、彼はずっと迷い続けている。

 糸子が人外の世界に足を踏み入れることは、果たして良いことなのか。迷いが今日までの彼を縛り、行動を許さぬ枷となっていた。

 ――俺も、覚悟を決めるべきかもしれない。


「私も会いたいよ、糸子ちゃん」


 姉の呟きが聞こえてきた時に、糸男は強く、そう思った。




 三日後、その日は朝から雨が降っていた。

 10時になろうかという頃に糸男の携帯が鳴る。


「おう、ちゃんと覚えてたんだな」


 ついこの前なんだから当たり前だろ、私を何だと思ってるんだ。

 電話の向こうのふくれっ面を想像して、糸男は「ごめん、ごめん」と謝りながらも、つい笑ってしまう。それに感付いたのか、ますます不機嫌そうな声の主は「一時間後に幾富駅な」と言い残して電話を切った。

 これは出会って開口一番謝んないとまずいな。糸子を相手にすると、何故か意地悪になってしまう糸男だったが、この上遅刻しようものなら本気で怒らせかねないので、急いで身支度を始める。

 とは言え幾富駅は糸男の家から徒歩で5分もかからないので、余裕をもって到着し、待つこと15分。糸子が乗っているであろう電車がホームに入ってきた。

 さて、どの降り口から出てくるか。それはプシッと音をたててドアが開いた瞬間に分かった。


「お~い糸男、着いたぞ。お~い」


 ブンブン手を振りながら向かいのホームから陸橋を歩いてくる彼女は、機嫌は直っていたようで結構だが、対向列車を待つ客の視線に糸男の顔が赤くなる。

 今日の二人は小言からスタートだ。


「やめろよそういうの。恥ずかしいだろ」

「何が?」

「これだもんなぁ。さっきの電話のこと謝ろうと思ってたけどやめだやめだ」

「えっ、何か言ってたっけ」


 お前はニワトリか何かかとツッコむと「コケコッコー」と返してきたので、糸男は呆れてスタスタと歩き出した。

 シトシトと降る雨の中を、駅前のロータリーを抜けて住宅地に向かう。並んで揺れる傘のうち片方は時おり立ち止まり、何やらキョロキョロとやっては少し進んだもう片方を追いかけ、再び横に並ぶ。その度に少女はニヒッと笑いかけて見せ、少年は照れ隠しに「何をやってんだ」と口を尖らせた。

 そんな、楽しげな道中。


「糸男、お前やっぱ私のこと心配で一緒に行こうって言ったんだろ」


 ふいに糸子がそんなことを言う。

 糸男は少し言葉を選び、応えた。


「……正直に言うと、危なっかしいと思った。馬鹿にされたと感じたならごめん。でもそんなつもりはないんだ」

「いや、馬鹿なのは分かってるよ。なんてゆーか私は自分が考えてることを言葉で伝えるのが苦手なんだ。だから糸男のお姉さんや、森の人達、それにこれから会う女の人が私達と違うってことも本当は分かってる。そういう存在の全てが私達に優しいわけじゃないから、糸男は心配するんだろうけど、だけど、私はこうも思うんだよ。みんな、私達とあんまり違わないって」


 そうか。

 心の中で、何かがはまり、糸男は立ち止まる。

 糸子は何も分からず、妖怪と人間を混同してる訳じゃない。世界の見え方が他の人間と違っているのだ。

 異なる存在なれど、共に心を持つのだから、きっと分かり合える。それは以前、百兎の森の鎮守様が語った、妖怪と人間の共存に近い考え方だった。


「ホントに、ごめんな」

「なんで謝るんだよ、糸男は悪くないのに」

「嬉しいからさ」


 変なやつだな。楽しそうに言うと、糸子は軽やかなステップで先に行く。

 その背中に、糸男は聞こえない声を投げた。

 だけど糸子、俺はやっぱりお前が傷つく姿は見たくないんだよ。

 たとえ彼女がそうと分かっていて妖怪に近づいたのだとしても、傷つく覚悟さえ出来ているとしても。

 あめあきないが悪い妖怪じゃないか俺が見定める。

 決意を新たに糸男が歩き出した矢先、糸子が派手に転んだ。




 先日の道は、改めて足元を見ると、アスファルトではなくレンガを敷き詰めたような、なかなか年季の入った道であった。

 成る程、妖怪が好みそうな古めかしい風情の坂を下った先に、木が一本。その下に今日は人影がある。

 帽子にコートという季節にそぐわぬ格好の女性は、ただぼうっと何を見るでもなく立っていた。


「あっ、いるぞ、糸男」

「いや待て、お前転んだだろ。びしょびしょじゃないか」


 何事もなかったかのように駆け出しそうになる糸子に、糸男が待ったをかける。


「なんだお前、私の透けブラが気になるのか?」

「そうじゃない!風邪ひくだろっての」

「大丈夫。馬鹿はなんとやらさ」

「自分で言ってて悲しくならないか。いや、そんなことよりも気付かないのか?お前が転んだ理由は……」

「さーて今日は何を売ってるんだろ」

「あっ、ちょっと待てって!」


 話も聞かずに糸子は行ってしまう。おっとりとした性格に反して高い身体能力を持つ彼女は、あっという間に坂を下り、帽子の女性のいる木の下へ。

 糸男には理解出来なかった。

 なんで何でもない様に挨拶してるんだ。なんで楽しそうに笑ってるんだ。

 怒りが足を早める。


「糸子!」

「ああ、糸男、この人が時々ここで物を売ってる雫さんだ。雫さん、彼は糸男。私の友人だ」


 木の下へ着くと、のんきな紹介が待っていた。

 紹介を受けた帽子の女性は「知っておりますとも」と、見た目は人間の顔を微笑ませ「初めまして、北野の若旦那様」と挨拶した。


「俺を知ってるということはやっぱり」

「はい、あめあきないでございます。雫という名は正確には雫屋。屋号のような物でございます」


 涼しげに妖怪であることを打ち明ける顔が、糸男を更に苛立たせる。


「なに怖い顔してんだ糸男」


 と、糸子が心配そうな声をあげた。


「お嬢さん、若旦那様は私があなたを騙しているのではと、疑っておられるのですよ」

「決してほどけない靴ヒモがほどけた。そのせいで糸子は転んだんだぞ」

「糸男、たいした怪我もしてないし、私なら平気」

「決してほどけないという謳い文句で売り付けたのが問題なんだ。やっぱり貝殻も信用出来ない。何か悪いことが起こるんじゃないか」


 糸男の糸目がうっすらと開かれ、あめあきないを見据える。

 険しい目を向けられたあめあきないは、意外にも驚いたように僅かに表情を変えた。


「はて、決してほどけない靴ヒモがほどけた」


 そしてちょっとの間、思案顔を浮かべると、今度はにっこりと笑った。


「ならば、ほどける必要があったのでしょう」


 悪びれない態度に、糸男は奥歯をギリ、と噛む。


「詭弁を言うな。貝殻も返品するぞ。ほら糸子、貝殻を出せ」

「でも……」

「お嬢さん、自分の思う通りになさい。それが答えですよ」


 糸子はあめあきないと糸男を困ったように交互に見る。そして小さな声で、自分の考えを述べた。


「糸男には申し訳ないけど、やっぱりこれは持っていたい。持っていた方が良い気がするんだ」

「糸子……」


 落胆のような糸男の声。対して満足げに頷き、あめあきないは言う。


「あめあきないは必要とされるものを売るのです。世にとって、雨が必要とされるように。そして……」


 おもむろに空を見上げる。つられるように糸男が視線を辿ると、雲間から日が射しこむところであった。

 ――晴れることが、人から望まれるように。

 ハッとなった糸男が急いで視線を戻すと、あめあきないは雨と共に消えていた。




 肌が夏の日差しを感じ始め、雨音に代わって蝉の声がジワジワと大気に馴染みつつある。

 夢から現実に戻されたごとく、木の下に立つ二人。


「あのさ、糸男」


 糸男の心配を汲んでやれなかったことに、謝ろうとする糸子。そこへ、別の人物が声をかけてきた。


「あら、まぁ。雨が上がったと思ったら、こんな素敵な学生さん達に会えたわ」


 それは品良く歳を召されたお婆さんであった。


「こんにちは、お婆さん」


 糸子が挨拶し、色々と思うところを整理していた糸男も「あ、ああ、こんにちは。晴れて良かったですね」と後に続く。


「はい、こんにちは」


 お婆さんは満面の笑みで頭を下げるが、上げると同時に白い眉を寄せた。


「あら、あなた。肘から血が出ているわ」

「えっ、あ、ホントだ。さっき転んだ時に受け身をとったから」


 先程糸子が言った通り、大した怪我はなさそうだが、確かに肘から腕にかけて小さな擦り傷が血を滲ませていた。


「こんな傷、唾つけてれば治りますよ」

「駄目よ、女の子がそんなんじゃ。あなたも男の子なら、連れの女の子を放ったらかしちゃ駄目じゃない」


 急に水を向けられて「あ、いや」と驚く糸男だったが、やがて頬をかき「面目ありません」と謝った。


「ぜひ家で手当てしていって頂戴」


 見た目によらず、こうと決めたら譲らない雰囲気を醸し出すお婆さんに、彼らは素直に甘えることにした。


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