ポスト同類との邂逅
もともと、部屋のベランダから飛び降りる選択もあった。
だが上手く着地の衝撃を殺す自信が、ラーメンにはなかったのだ。
さやかちゃんの安全を考えてもと来た道を行くことにしたのだが、こちらはこちらで困難な道であった。
部屋にいた数分でアパート内部は崩壊が進み、瓦礫が行手を遮り、天井から頻繁に木材やコンクリートの塊が降ってくる。
ラーメンは瓦礫の山に遭遇する度に右目から赤い光線を放ち、それらを消し飛ばす。
これで前に進めると思った矢先、上から崩落の音。今度は光線を頭上に放って、飛散した礫を右腕から発生する半透明のシールドで防御する。
「息、苦しくないかい?」
時おり左腕で抱えた少女に確認すると、頷いているのが、彼女が顔を押し付けている胸から伝わってきた。
良かった、エアバリアとやらはちゃんと役目を果たしているらしい。
慎重に進む。2階から1階に掛かる階段を降りれば出口はすぐそこである。 階段は一度踊場につながり、そこから90度曲り角を描いて下に繋がる造りであったが、階段を見下ろしたラーメンは足を止める。
驚くことに、踊場に人の姿があった。
鷲鼻の金髪男が手摺りにもたれるリラックスした体勢でこちらを見上げている。
「やあ、待っていたよ。その姿、なかなか様になっているじゃないか」
金髪男の口からラーメンの非人間的な姿を煽るような発言がとぶ。自然、ラーメンの声も固いものになった。
「だ、誰だ」
「そこまで覚醒が進んでいるならピンとくるんじゃないか」
発言もそうだが、何よりこの火炎地獄の中で平然としていられる事実そのものが彼の正体を雄弁に語っている。
よく見ると周囲の炎は彼の身体を避けるように動き回っており、ラーメンと同じ機能を使っているのは明白だった。
「お前もゴーレムなのか」
「そうさ、君の同類、同士さ」
「同士だと」
ラーメンの頭に、とある警告が甦った。
それは以前サイレントが言っていたこと。
あの夜、腕を引きちぎられ、痛みと恐怖にのたうち回るラーメンに、敵か味方か分からぬサングラス男は教えたのだ。
「覚醒すれば必ず他のゴーレムが接触してくる。友好的なやつなら良いが、そうでない場合、君にゴーレムとしての自覚がないとすこぶる危険なんだ」
「ご、ゴーレムってな、な、何。う、腕、俺の腕が」
「落ち着けもう治りかけてる」
ラーメンは肩から離れ、布団の上に転がった自分の腕を見る。断裂部から肩の傷口に向かって煙が流れ込んでおり、徐々に肩から肉が生えてきていた。まるでちぎれた腕の構成物質を使って、肩口に再構築しているかのような現象。
こんな治癒能力を、人間が持つはずはない。
「受け入れろ、自覚しろ。君は……」
「お前がアパートを燃やしたのか、俺を誘い出す為に」
「怒っているのか、そりゃ怒るよな。ここにやって来たってことは君はそういう性質だってことだ。人間の味方をし、自分自身、優しい人間でありたいと願っている」
「悪いかよ」
「悪くはないさ、だが間違っている。君は人間の側にいたいと願いながら人間に対して疑念も持っているだろう?今から外に出ていって人間達が君の姿を見た時、君を英雄として讃えてくれるだろうか。化け物呼ばわりして罵詈雑言を投げてこないだろうか。友人達は、愛する人は、今まで通り自分と接してくれるだろうか。それらの懸念は真実だよ、全てな」
「それは……」
ラーメンは言い返せず、語尾が淀む。
聞いていたさやかちゃんは自分の意思を伝えようと、ラーメンの腕を掴む手に力をこめたが、彼は気付くことが出来なかった。
「もし君が人間の味方で居続けるなら、この先、想像を絶するような苦しみを味わうだろう、今までの我々がそうだったようにな。しかし我々の下に来るのなら、疑念や不審、恐怖のない人生を保証する。今日はこれだけ伝えにきた」
ま、よく考えることだ。
金髪の男はまるで道端で軽く挨拶を交わしたような体でそう締めくくると、ラーメンの横を通り、上の階へ向かう。
「ちょっと待て。放火をするような奴を見逃すと思うのか?」
「止めとけ。君は強いがその子を守りながら勝てるほど俺も温くはない。やるのはまた今度にしよう。もっとも」
それまで今の気持ちを保っていられれば、だがな。
不穏な言葉を残し、金髪男は今度こそ上階に消えていった。
「もうすぐ梯子車が到着するそうです」
「けっ、今更突入したって女の子はもう……」
「仕方ないですよ。隊員の命だって大切なんです。無理な突入はさせられませんよ」
そんなことは分かっている。大体、自分もここで消火剤を撒くくらいしか出来ないのだから、これは完全に八つ当たりだ。
「こんな時にヒーローがいりゃあな!」
己の無力さにやりきれなくなった消防隊員の、やけくそのような叫びが夜空に向かって吐き出される。
そして、何を言っているんだ俺は、と視線を元に戻すと、同僚が口をパクパクさせていた。
「い、いた……」
「あ?何が」
「ヒーロー……」
同僚が指差す先を見ると、ボロボロになった少年が一人、女の子を抱えて立っている。
「ま、まさか君は」
夜闇に炎のコントラストが顔を見えにくくしているが、間違いなくさっきの少年だった。
驚きのあまり声の出ない消防隊員の下へ、少年は何故か俯いたまま歩いてくる。少女を受け取った消防隊員は我に返ると、すぐさま母親を探した。
「奥さん、娘さんは無事ですよ!」
「さやか!」
「お母さん!」
駆け寄って少女を抱きしめる母。
周囲で見守っていた人々も皆、涙を流して母子の再会を喜んだ。
「君、名前はなんというんだ。是非、感謝状を」
しかし消防隊員が振り向いた時にはもう、その場所には誰もいなかった。
「嘘だろ……」
「お化けさんどこ行っちゃったの?私、まだお礼言ってない!」
お化けさぁん、お化けさぁん、と。少女の探す声が炎に照らされた道に木霊する。
「優しいお化け、ですか」
「もしくは正義の忍者、だな」
消防隊員は昔を思い出していた。ヒーローに憧れて今の仕事に就いたばかりの、若かりし頃の自分を。
ふらふらと夜の街を歩く。
今は人目の無い所へ行きたい。
市内の真っ只中を流れる川沿いの公園。そこから川縁の遊歩道に掛かる階段を降り、橋の下へ。
ラーメンは壁に背を預け、ずるずると座り込んだ。おそるおそる右目に手をやると、もう穴は開いていない。
もっともまだ皮膚は再生されておらず、冷たいレンズの感触が指先に伝わった。他にも身体じゅう火傷や怪我で酷い状態であり、服もボロボロ、もう二度と着れないだろう。
こんな状態でも彼は、生命に危険を感じないのである。
友人達は、愛する人は、今まで通り自分と接してくれるだろうか。
金髪男の言葉が頭から離れない。
怪我が治ったらこのままどこか遠くへ消えてしまおうか。何せ、食事も飲み水もいらないのだ。傷付くことに怯えて暮らすよりも、一人で世界を旅する方がずっと楽かもしれない。
そんな孤独の誘惑が心に忍びつつあった、矢先。
コツコツとコンクリートに靴音が鳴った。
しまった、誰か来たのか。
驚かせてはいけないと腰を上げかけると、近付く人物が「待って」と言う。
「かもめか?く、来るな」
しかし、相手はそう言ってきくような性格ではなかった。
靴音は駆け足に変わり、ラーメンは手で顔を隠す。
「なんでこんな……」
「ああかもめ、見ないでくれ。見ないで」
「じっとしてて」
つっこは言うなり自分のTシャツを脱ぎ、ラーメンの顔に巻いて包帯代りとした。
「意識があるなら教えて。どうしたら治るの。私に出来ることはない?なんでもいいから!」
「あ、あのな、かもめ」
「死んじゃ嫌だよ、雪尾。お願い、私の目を見て。意識をしっかり持って」
泣きじゃくるつっこに、ラーメンは自分の不安も忘れて宥める。
「大丈夫だ、俺は死なない。ほっとけば治るんだ」
「本当に」
「本当だ」
精一杯力強く頷いて見せると、つっこはふーっと長い息を吐いて、へにゃへにゃとへたりこんだ。
「良かったぁ」
「良くはないだろ。俺の目を見なかったのか。人間じゃないんだぞ」
「それって最近知ったの?体調悪いって言ってたのもそれで」
「ああ、そうだよ」
「そっか、ごめん。いきなり自分が人間じゃないなんて知ったらショックだよね。でも雪尾が人間だったらきっと助からない。人間じゃなかったから、これからも側に居てくれるって思ったら、私にとってはやっぱり『良かった』なんだよ」
「こわく……ないのか?」
「普通は怖いよね。雪尾が心配してることは分かる。でも全然怖くない。理由は分かんないけど」
つっこはラーメンの顔を真っ直ぐに見ている。そこに同情や強がりは無い。
そして真剣な顔のまま「そんなことよりも」と言った。
「意味無いんだったらTシャツ返してくんない?私、ブラ丸見えなんだけど」
「えっ!あ、い、い、いや、ちょっとは回復が早まるかもしんないし、血とかも着いちゃってるから」
「こんのムッツリスケベ!」
怪我人に容赦の無いビンタが炸裂する!
「ちょっと優しくするとすーぐ調子に乗るんだから。大体ムッツリってのが駄目よね。かと言って本屋みたいになられても困るけど、内に溜め込んでんのはやっぱ不健康というか……って聞いてんの!?」
いつまで痛がってんのよ。と、うずくまる背中をはたこうとする。その途中で少し様子が変だと思い、手は彼の肩に向かう。
「まさかほんとに痛がってる?もしかして傷口触っちゃったとか」
やや強引に振り向かせると、現れた表情につっこは目を見開いた。
「ご、ごめん。まさか泣くほど痛かったなんて」
「違う」
泣いてなんかいない。と、無理に口を歪ませたところで限界がきた。
喉の奥から嗚咽が漏れ。
「う、ぐ、うう……」
ラーメンはきっと、心底ホッとしたのだろう。自分が人間ではないと知っても、変わらぬ眼差しで見てくれる幼馴染に。今まで通りのやりとりに。
その気持ちがつっこに伝わり、彼の頭を素肌の肩に優しく抱きしめる。
「大丈夫だよ」
うぁぁぁぁっ。
堰を切ったような号泣。少女の身体にすがり泣き続ける姿は、一人の弱い、人間であった。
「すごい。ほんと、サイボーグってかんじ」
ラーメンの目を覗きこんでつっこが感嘆を漏らす。
「おい」
「ごめん、ごめん、無神経だったね」
ラーメンは口を尖らせてみせるも、それは顔の近さからくる気恥ずかしさを誤魔化すためであった。
つっこは顔を離すと寄り添うように座る。
残念ながら彼女の格好はTシャツに戻っていた。血が着いたTシャツでもブラ丸出しよりはマシということらしい。
「でもさ、ちょっと格好いいなって」
「このムッツリが」
「どういう意味よ」
「漫画の主人公みたいとか言い出すんだろ。お前意外と隠れ中二病だよな」
「そ、そういうことじゃなくて、誰かを救える力があるのは格好いいって言ってるのよ。火事の現場から女の子を助けたのはあんたなんでしょ?ここに来る途中で通ったけど、みんなあんたの事探してたわよ。ヒーローはどこだって」
「でもこの姿を見たらヒーローなんて言ってられないだろ。お前みたいな人間は少ないんだ。未知の存在に出くわした時、ほとんどの人間が感じるのは恐怖だからな」
「そうだね。それについてはどんなことを言っても気休めにしかならないだろうけど、これだけは覚えといて。あんたがどんなになろうとも、味方はいるってことを。京子達や、それに勿論オヤジさんも。そう言えばオヤジさんはこの事知ってるの?」
「多分知らない、隠し事は出来ない性格だから。きっと母さんは全部知ってるんだろうけど、今はどこにいるのかも分からないしな」
「お母さんに会いたい?」
「どうだろう。もう、会ってない時間の方が長い」
「そっか……」
つっこは何か迷っているような顔で俯く。
そしてラーメンの不思議そうな視線に気付くと「あ、いや、なんでもないよ」と慌てて手を振り、誤魔化すように話題を変えた。
「そう言えばあんたの服、焦げてボロボロじゃない。帰る途中で警察に補導されちゃうかもよ」
「そりゃそうだけど着替えなんてないし」
「そんなあなたにピッタリの物が!」
ビシ、と顔に指を突き付けてくるつっこを、ラーメンはジト目で見返した。
「ピッタリの物ってそのスポーツバッグの中身じゃないだろうな。さっきから透視能力でメイド服見えてんだけど」
「………」
つっこは汗を滴らし、しばし固まった後、わざとらしく親指を立てて言った。
「すごい、サイボーグってかんじ!!」
「おい」
久しぶりにぐっすりと眠り、気持ちよく目覚めた朝、爽快感はすぐにぶっ飛んだ。
部屋の中に、黒いジャケットにサングラス男と、白衣の少年が仁王立ちしている。
ラーメンの第一声は。
「……ア○ンジャーズには入らないぞ」
「いや、そういう話じゃない。まずはこれを見てくれ」
メガネはノートパソコンを布団の上に置く。画面には蜘蛛とかコウモリとか忍者とか、色んなスーツの画像が。
「どれがいい?」
「ア○ンジャーズみたいな話じゃねーか!」
「不満ならこういうのもあるけど」
後ろに置いてあるスーツケースに向かったメガネ。
透視能力を使ったラーメンは思った。
(なんでみんなメイド服持ってんだ?)




