ポスト呪いのUSB
短パンからスラリと伸びた脚が水面に映っている。
健康的な色気が大変よろし、いや、けしからん風景であるが、当の京子は己の肢体の持つ魅力などまるで興味がないようで、水際にしゃがみこむとおかしな行動を始める。
具体的には棒に糸をつけて先にスルメをくくりつけた仕掛けを水の中に投入した。
河原にでんと鎮座する大きな岩に気だるげに座った猿が言う。
「ザリガニはいないぞ。こんな清流には」
「えっ、いないのか?」
猿は京子の隣にしゃがむと、心底残念なものを見るような眼差しで言った。
「なぁ、本当に知らなかったのか?ザリガニはもっとこう、流れのない池みたいなところにいるって」
「うるさいな、人間誰だって知らないことくらいあるだろ。それをなんだ、いつもいつも偉そうに」
そういえば。と、京子は目を細めて猿の顔に自分の顔を近づける。
「お前、私以外には馬鹿で通ってるよな。なのに私といる時は色々知識を披露したり、常識ぶったことを言う。何故だ」
「そりゃお前、お前が俺以上に馬鹿だからだろ」
頭を抱えた猿の呻き声が河原に響く。
「前から思ってたけど竹刀装備してんのはズリーよ」
「じゃあ盾でも買ってくりゃいいだろ」
猿が盾を常備するようになったら修志高の矛盾コンビとして名を馳せてしまうだろうが、それはともかく。
「ああ、午後の予定がパーだ」
女子高生の午後の予定がザリガニ釣りでいいのか。そんな突っ込みを入れるべき人物はいつのまにか京子の隣から消えており、代わりに目の前の水上をとある物体が流れていく。
それは笹舟であった。
「おお」
途端に京子の目が輝く。
戻ってきた猿が今度は京子の目の前から笹舟を発進させる。
結構な速度で流れていくのを、二人して見送る。
「ああ、ただただ流されていく」
「俺の人生みたいな言い方するな。悲しくなるだろ」
京子は猿の苦言をさらりと無視すると、唇をなめつつ「よし、私も」と笹の繁る場所へ向かった。
しばらくして猿の目の前に流れてきた物体は、笹で出来た何かだった。
もうほんとに何かとしか形容出来ない、モジャモジャっとした笹の塊は、当然ながら瞬く間に浸水し、海の藻屑ならぬ川の藻屑に。
「ああっ、宇宙要塞ヘカトンケイルが!」
追っかけてきた京子が悲鳴をあげると、猿は呆れて言った。
「道半ばで沈んだな」
「人生みたいに言うな」
「しかし、どうするこれ。結構すごいの買ってきちゃったんだが」
京子はでっかくお徳用と書かれたスルメパックを猿に見せながら言う。
「どうするって喰うしかないだろ」
……。
現在地表を流れる水は、はるか太古の地下水が沸きだしたものである。
クチャクチャ。
長い年月をかけて少しずつ、少しずつ染みだした水滴はやがて大きな流れとなり……。
クチャクチャ。
大きな流れとなり、木々を、動物を育むいしず……。
クチャクチャ。
礎とな……。
クチャクチャ。
クチャクチャクチャクチャケチャクチャクチャクチャ。
「なんか、俺達ってなんなんだろうな」
「自然との対比がシュールだよな」
人間とは愚かな生き物である。
先ほど擬音の中にケチャが混じっていたことを深くお詫びする。
それはともかく。
猿と二人してパックを空にした京子は立ち上がると、「んん~」っと伸びをした。ちなみに空になったパックはビニール袋に入れられ、ビニール袋にはマジックペンで「絶対持ち帰る」と書いてあるので河原が汚されることは無いだろう。
エコはともかく。
二人はやることのないこの時間を、むしろ楽しむことにしたようだ。
身体を存分にほぐした京子は、深呼吸で森の空気を満喫する。
「涼しくて、気持ちいいな」
「ああ、昼寝にはもってこいだ」
猿はさっき座っていた大きめの岩までいくと、腕を枕に寝転がった。
視界に入る夏の日射しは木々の間を通るうちに弱められ、されど陰鬱にならない程度の明るさを保っている。
ポツリポツリと顔を覗かせる青空には、ゆっくりと雲が流れ、長閑さの一端を担っていた。
このまま本当に眠ってしまおうか。
微睡みかけていると、彼の耳に、トサリと衣擦れの音が届く。
横を見ると、京子が寝転がっていた。
「お、おい」
男女が並んで寝るのは流石に不味いと猿が咎めるような声を出すと、京子は横目に睨んでくる。
「調度いい大きさの岩はこれしかないんだ。それとも吾が輩にその辺の石を枕にしろと?ついでに耳もそそげと言うのか?」
「漱石か。お前、キャラ的に文学的なことは知らないはずだろ」
「お前もな」
コロコロと川がせせらいでいる。
日頃暑苦しい蝉の鳴き声も、風に揺れる木々の音と調和して、むしろ涼やかさを演出していた。
草の匂いが微かに香る空間。そこに、ポツリと猿の呟きが放たれる。
「俺、もうすぐ死ぬんだ」
「そりゃ御愁傷様」
聞いた京子は顔を動かしもせず、空を見上げている。
「信じてないだろ」
「だって超元気じゃん」
「病気じゃねーよ。呪いのビデオを見たんだ」
「うひょっ、マジで」
呪いのビデオと聞くや跳ね起きる京子。
猿はこめかみに青筋をたてた。
「面白がってんじゃねー!あれはマジでやばいビデオなんだからな!」
「どんなやつだった?やっぱ井戸とか出てくんのか?」
「井戸は出てこないけどおぞましい映像だった。死期が早まりそうだから詳しくは話せないけど……」
「あー、そういうのあるよな。ところでビデオデッキよく持ってたな。最近あんまりないだろ」
「悪い、ビデオっつーか、宝蔵先生に借りた大容量USBだ。野球の動画だと思って開いたんだ」
「……呪いの大容量USBって字面的に微妙な怖さだな……。それはそうとお前、宝上槍子になんか恨みでもかっているのか?」
「そんなわけないだろ。多分宝蔵先生も間違えて渡したんだと思う……あ、いや待て。恨まれる原因になるかは分からないけど、この前の期末テストでちょっとあったな」
『そうは言っても』を使って例文を作りなさい。
教師というのは意外と出会いの少ない職業である。そうは言っても宝蔵先生に彼氏が出来ない理由はそれだけではないはずだ。
「それをテスト用紙に書いたのか」
「本屋のヤマが当たってさ。事前にこのお題にはこう書けば点が取れるって言われてたんだ」
「で、とれたのか、点」
「とれたよ。そして、物凄く力強い花丸がつけてあった。プリントからはみ出す勢いのな」
「こもってるこもってる、怨念が」
京子には自分のデスクで「キェェェイ!!」と叫びながら、隣の数学教師の目の前まで筆を振り切る宝上槍子の姿が見えたという。
「私には呪いのUSBより百倍恐ろしく思えるぞ、その花丸」
ま、刺し殺されるにしても呪い殺されるにしても往生せいやと京子は笑った。
「帰りにハンバーガーでも奢られてやるから元気だせ」
せめて奢ってくれよと思う猿であった。
『お分かりいただけただろうか。車窓から中を覗く、恨めしそうな男の顔を』
心霊番組のナレーターが独特の口調で語り、つっこ、ビッちゃん、糸子の三人はゴクリと喉を鳴らす。
そして、お決まりの流れ。
『スローでもう一度』
今度はハッキリと見てしまったビッちゃんが「キャア」と悲鳴を上げた。
「うわ、結構はっきり映ってたわね」
と、つっこも顔をひきつらせる中、糸子は一人首を傾げる。
「どれだ?私、見えなかったんだが」
「ほらあそこ。父親の背後にしゃくれた感じの顔が」
「ほんとだしゃくれてる!」
「生前はジャーキーとか好きだったのかな」
「三枚くらい一気にいってたかも」
怖さは壊滅してしまった!
下顎が頑丈そうな幽霊あるあるという訳の分からない会話で彼女達が盛り上がっていると、畳を踏んで、糸男宅に新たな来客が現れた。
「お前らなんの話してんだ」
「あ、京子、いらっしゃい」
外暑かったでしょ、冷蔵庫にジュースあるよと、つっこがもてなす。
因みに家主不在である。
「だけどいくら糸男君ちとはいえ、男の子の家に女だけで集まるのってどうなんだろうね」
ビッちゃんが言うと、京子は何やら壁にペタペタと紙を貼りながら鼻で笑った。
「別にいいだろ、糸男んちだし」
張り紙には『安全牌』と書かれてあった。
「ところで何見てたんだ」
「暑いから怖い系のDVD借りてきたの。京子も見る?」
「どうせインチキだろ」
「そりゃインチキでしょうけど」
「じゃーん」
「何それ」
「呪いの大容量USBだ」
微妙な怖さの字面だとつっこは思った。
「そんなもんどっから手に入れたの」
「この前猿のポケットからちょろっとな」
「あんた友達なくすよ……」
「で、どうだ。そんなありがちなDVDよりよっぽど面白そうだろ」
「うーん、そうねぇ」
割りと興味深そうに京子の手元を覗きこむつっこに対し、ビッちゃんは怖そうに遠くから見ている。
「でも呪われたらどうするの?」
「いや、それはないでしょ」
「まさかビッちゃん、信じているのか?」
「い、い、いや、信じているわけじゃないけど。無いって証明もされてないし」
「あのねビッちゃん。見せるだけで人を殺せるような物があったらどっかの国が兵器として採用していると思わない?」
「うわ、凄い角度からの論破。でも確かにそう考えるとつっこの言う通りかも」
「んじゃ、決まりだ。パソコンある部屋はあっちだよな」
一方その頃、糸子は下顎頑丈幽霊ジャーキー一気食いギネス記録に挑戦という訳の分からない妄想に耽っていた。
槍子ちゃんの選ぶ、珍プレイ好プレイ傑作選。
なんとも長いタイトルのフォルダにファイルが一つ入っていた。
「ファイル名がただの番号なのよね。これじゃあ間違えるのも無理ないよ」
多少パソコン知識のあるつっことビッちゃんが頷くうしろで、京子と糸子は「そういうものなのか」と感心している。
「それじゃ、宝蔵槍子が怨恨で送りつけたって線は薄いと」
「あの人はよっぽど特殊な状況以外は物理攻撃してくると思うよ」
京子と糸子はなるほどそれもそうかと納得した。何しろ二人はしょっちゅう物理攻撃されてるのだから。
「ま、とりあえず見てみよう」
つっこ達がよく知る顔のメイドが一人、立っている。
彼女はカメラに近付くと、少し位置をずらした。
どうやら脇に置いてあるパソコン画面で自分の姿を確認しながら撮影しているらしい。
しばらくカメラを弄ってようやく納得したのか、所定の位置につき、深呼吸を一つ。
「お帰りなさいませ、御主人様」
ニコリと天使のようなアラサースマイルを炸裂させると、すぐに真顔に戻って顎に指をあてる。
「まぁ、普通だよな。基本ってやつだ」
なんかブツブツ言ってて気持ち悪い姿も、しっかりカメラは捉えている。恐らく編集前の動画なのだがそんなことはどうでもよく、つっこ達は身体中に鳥肌が立ち、胃がムカついてくるのを感じていた。
しかし容赦なく再生は進む。
「こんのクソ御主人様、私をほったらかしてどこほっつき歩いてやがった」
(やめろよデレるなよ)
「でも、ま、決まりだからいちおー言ってあげる。お帰りなさい、御主人様」
(ちくしょう……)
オロロロと女子高生四人の口元はモザイク必須の状態に。糸男のデスクは後で念入りに拭いとく必要があるだろう。
「御主人様は守って見せる!この剣にかけて!」
(ややこしい設定やめろ!)
「ああん、御主人様、そんなとこ弄っちゃ」
そこで動画は途絶えた。
堪りかねたつっこが止めたのだ。
四人の女子高生達はガタガタと震え、揃って顔を両手で包み、目をかっ開いて叫んだ。
「呪われてる!!」
うわぁぁぁ!タイムマシン、タイムマシンはどこだ!(机の引き出しに無理矢理入ろうとしながら)
失え失え記憶を失え! (柱に頭をぶつけながら)
……阿鼻叫喚である。
その時畳の部屋に置いといたつっこの携帯が不穏なメロディを奏でだす。
宝蔵槍子からの着信音をふざけて某ホラー映画の例のやつにしたことを、彼女は心底後悔した。
急いで駆けつけると、つっこは恐る恐る通話ボタンを押す。
「か、海原ですけど、先生?」
「私、メイドちゃん。今、幾富郵便局の前にいるの」
ひいっ!
漏れ聞こえた台詞に全員の背筋が凍る。幾富郵便局は糸男の家から5分と離れていないのだ。
「お、おい、宝蔵槍子。私だ、三剣京子だ。猿は、猿はどうなったんだ?」
焦った声でつっこの携帯に話しかける京子。
まるでほくそ笑んでいるかのような沈黙のあと、電話の向こうの化け物はこう、答えた。
「……死んだよ」
ブツッ、ツーツーツーツー。
「よう、お前らも来てたん……」
糸男とゲームでもやろうとやって来た本屋とメガネは、真っ白になった四人組を見て戦慄した。
「おい何があった」
「とりあえずこれを見てくれ」
京子が前置きも無しに二人をパソコンの前に連れてくる。結果。
「てめぇ、何てもん見せるんだよ!」
「うおお、精神が汚染された……」
「ウワハハハハ、これでお前らも道連れだな!」
極悪非道である。
そして、愚かでもあった。逃げる時間を逸したのだから。
「きゃあああ猿君が!」
ビッちゃんの悲鳴で皆が畳の部屋に戻ると、縁側に猿の生首が。
いや、しゃがんで縁のラインから首だけ出す馬鹿をやっているのだが、ふざけてる割に何故か目が死んでいた。
「何やってんだよ猿……。死んだとか聞いて心配したんだぞ」
京子が近寄ると、猿は「死んだよ」と言い、無表情のまま立ち上がった。
「社会的にな」
彼は、メイド姿であった。
一同なんか悪いと思って少しは堪えた。
だが、本屋の「に、似合っているぞ猿。かわいいよ」の一言で決壊した。
「ウワハハハハ。愛想悪そうなメイドだな!」
「ヒーヒー、マジ、そのカッコで電車乗ったの!?」
「ちょっと似合ってんのがまた……」
爆笑である。
しかし猿は表情を変えぬまま、静かに言った。
「何が面白いんだ。未来のお前らの姿だというのに」
「……は?」
気付いた時にはもう遅かった。
笑った顔のままギギギと錆びついた機械のように皆が首を動かすと、背後には化け物がニッコリ笑っていた。
「私メイドちゃん。今あなた達の後ろに……」
予感があった。
玄関の戸を開け、ズラっと並んだ靴を見て、糸男はそれを再確認する。
「みんな、来るなら来るって一言……」
小言を言いながら畳の部屋に入ると、そこは異様な空間だった。
「お帰りなさいませ御主人様」
メイドが、たくさんいる。
「俺んちに何が!」
「まーお前の疑問ももっともだが、まずはこれを着よう」
「本屋お前その格好犯罪者そのものだぞ。なんで俺まで着ないといけないんだ」
糸男の抗議は正論のようだが、ここではつっことビッちゃんが団扇で扇いでいるメイド長様がルールである。
「なんすか先生、何ボキボキ拳ならしてんすか」
「メイドか冥土、どちらか選べ。メイド長様はそうおっしゃっておられる」
「そんな先生理不尽ですよ。俺何もしてない……」
「ボキッ」
「分かりましたよ……」
糸男は胸に7つの傷がある男を前にしたモヒカン共の気持ちが分かったという。
「よう、筋肉変態メイド」
「やぁ、変質パーマメイド」
本屋と糸男が互いに揶揄しあっている横で、メガネが「おい、俺の眼鏡を返せ!」とアワアワやっていた。
凄い美少女メイド姿である。
「何でお前はそんなに似合うんだよ!」
男子達の突っ込みを無視して、メガネは「誰だ眼鏡とったやつ」と犯人探しを続行する。
そして、当然犯人はビッちゃんであった。
「……いい」
口元からジュルリと欲望を溢れされる彼女もまた、メイド服がよく似合っていて、はっきり言って女子陣営はそれほどダメージが無さそうである。
そして男子達も。
「そーれ、メガネ、どんなパンツはいてんだー?」
「やめろ本屋!スカートめくるな!」
はしゃぐ彼らを見て、メイド長の頬がピクリと動く。
「お前達もしかして……楽しんでないか?」
めめめ、滅相もありませんと残像の残るスピードで首を振るつっこのうしろで、京子がビッちゃんにこっそりと言う。
「やっぱ若さの違いだよな。恥ずかしいと思うかどうかってのは」
「ぶっちゃけ文化祭でメイド喫茶やるとこだってあるもんね」
こっそりと言ってるつもりだろうが微妙に聞こえそうなトーンでズケズケと言うもんだから、つっこは気が気でなかった。
「あんた達いい加減に……」
「いやあ、最高に楽しいな。一度着てみたかったんだメイド服」
しまったうちのクソ天然を野放しにしていた!つっこの後悔先に立たず。
「ほう。ならば女子どもにはこちらの服なんかもどうだ?」
「げっ、あれはマジデスの衣装」
魔法少女マジカルデストロイ。日曜日の朝にやってる、低年齢の女の子向け……にしては敵の殺り方がやたらえげつないと評判のアニメーションである。
ねじれたり細切れにしたりと猟奇的な魔法を放つ主人公だが、衣装はゴスロリにステッキというコテコテな物で、確かにつっこ達が着るにはメイド服以上にハードルが高そうであった。
「おお、そんなのもあるのか」
「糸子やめときなって、流石にキツいよマジデスは」
「いや、存分に楽しむべきだぞつっこ」
「本屋までなに言って」
「先生が自らリハーサルまでして催してくれた仮装パーティーだ。楽しまなきゃ失礼ってもんだろ、ね、先生?」
「かそう、パーティー?」
「そう、夏休みに暇をもて余した俺達に、刺激を与えてくれたんですよね。ほら前に先生、言ってたじゃないですか。若者は常に感受性を磨くべきだって」
「えーっとお」
目をパチクリさせて頭をフル稼働させる宝蔵槍子。
その顔は普段の彼女からは想像出来ない程あどけなくて「なんか可愛い生き物だな」と皆に思わせた。
やがて頭の整理がついたのか、
「フハハハハ。感受性、そうだ感受性だよ貝柱君!」
そう言って本屋の肩をバッシバシ叩くと何やら長ったらしい持論を展開しはじめる。
「暇は人間の魂を腐らせるからな、常に心に風を送らねばならんのだ。その為には普段やらないような、そう、コスプレのような物にも目を向け、視野を広く持つことが大切だ。確かに私の本来の趣味である手料理や家庭菜園(話し相手のサボテン)などとはかけ離れた、所謂少し世間から軽視されがちな分野であるが、それでもやってみようという心持ち自体が健全な精神を培うということは私の長年の教師人生の中で既に実証済み……いや、長年と言ってももちろん私はまだまだ若く麗しい乙女であるのだが、教育に真摯に向き合ってきた私は大学生のころからこの問題に取り組んできたわけでそれを含めれば十分に長年と言え」
以下、後略。
白目になった一同を代表して、本屋が鼻息荒くべらべら喋り続ける宝上槍子の両肩を掴む。
「分かりました、つまり、コスプレは先生の本来の趣味ではないということですね」
「うむ、その通りだ」
憑物のとれたような、晴れやかな笑顔だったという。
糸男の住む町から電車を乗り継ぎ市内へ戻ってきた一同は、駅を出て宝上槍子を見送ると、いやはや疲れましたなと苦笑しあってそれぞれの家路へとついた。
つっこと京子はいつもの川沿いの道を行く。
「そういえばラーメンはまだ具合悪いのか?」
雑談の合間、ふいに京子がつっこにきく。
つっこは少し眉を下げ。
「うん、まだ部屋から出られないって今朝LINEがあったよ。それっきり連絡ないから、相当悪いんじゃない?」
「よし、宝蔵槍子にもらったメイド服持って今から見舞いにいくか」
「マジで辛い時そんなふざけた奴等が来たら本気で怒ると思うよ」
帰れ。
冷たくいい放つラーメンの姿が浮かんだのだろう、京子も流石に乾いた笑いで「そうだなやめとこう」と言った。
「しっかし、やっぱ心霊とか呪いの類ってのは存在しないんだなぁ」
「そりゃそうでしょ」
少し残念そうな京子につっこが苦笑いしていると、例の不穏な着信音が鳴る。
「あ、先生からのメール、さっきみんなで撮った写真がのってる」
「ほぉ、早いなどれどれ」
二人してつっこの携帯を覗きこむと、なるほどそこには並んだメイド達がタイマーセットされたデジカメに向かって笑っている。
しかしメールには文章も打ち込んであり、こう書かれてあった。
「右下の幼いメイドは一体誰だ?」
二人は盛大に顔をひきつらせた。




