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新生月器ポスリア  作者: TOBE
日常編
30/88

ポスト兆しの花火⑦

 ラーメンこと雪尾翼は真面目な少年だ。

 幼少の頃より父親からラーメン作りの手解きを受け、真摯に取り組んできた。

 高校生になった今ではそのほとんどの技はお墨付きをもらうまでになったが、一つだけ父親に及ばないものがある。

 それは麺の茹で加減であった。


「駄目だ、茹ですぎだ」


 熱湯から上げた麺を一本啜って、父親が言う。

 ラーメンは「またか」と肩を落とし、「なんかコツとかないのか?」と訊いた。

 そうさな。

 父親は腕を組み、それから。


「麺と一体になれってこの業界じゃよく言うだろ」


 と、ちょっと陳腐なことを言い出した。


「ああよく聞く。意味わかんないけどな。それがどうかしたか?」

「うちに伝わる教えじゃちょっと違う。一体となるのは麺とじゃなく」


 父親は少し息子を試すような視線を向けると、こう言った。


「世界とだ」

「はぁ?ますますワケわからんつーの」

「分からないか?」

「ああ、さっぱりだ」


 だよなぁ。

 父親は天井を仰ぎ見る。


「それが普通だよな」

「なんなんだよ、一体」

「いや、先代が言うにゃ、麺も、茹でてる人間も世界の一部に過ぎないんだから、世界そのものになっちまえば自分の一部で起こってることくらい自ずと分かる。らしいぞ」

「うち、宗教は間に合ってんだけど」

「俺も最初はその手の話しにしか聞こえんかったけどよ、最近は客観的に自分を見ることだって思ってる。麺を茹でてる自分はこの世界の一風景で、外からそれを眺めているかんじだ」

「うーん、さっきよりはまだましだけど、やっぱりピンと来ねーな」

「だろうな。俺だってほとんどこじつけなんだから。ただ、あいつは完全に理解してたみたいだぜ」

「あいつ……母さんか」


 歳を経るごとにぼやけていく母親の顔を、ラーメンは思い浮かべる。

 父親は少し気まずそうな顔で言う。


「あいつは言ってたよ。世界と一体になると、自分は透明になるんだって」


 ラーメンには幼い頃の思い出しかないが、彼女に関しては一つの印象が残っていた。


「あの人は、不思議な人だったな」




 ノートパソコンのスピーカーを使って、種子が喋っている。


「きっかけはお前だよ、黒淵鉄。お前にいくつも同胞を破壊され、我々ももっと情報を集めるべきだと考えた。人間をよく知るべきだとな。その男は賢者の石などを追い求める愚か者だが、端末としては優秀だ。おかげで色々な事を知ったよ。人間の持つ技術、言語、行動パターン、そして感情」


 賢者の石という単語を聞き、メガネはやはり、と思った。


(賢者の石を復活させようという組織があることは掴んでいた。もっともここにあるのは種子に誘導されて作った、見た目だけそっくりの紛い物のようだがな。機能としては単に種子と周波数を合わせ、データをやりとりするくらいのものだろう)


 完全に踊らされていた男は、頭を抱えて震えている。

 もはや彼はあてになりそうもないので、メガネはその存在を思考の外に追いやった。

 それよりも気になるのは。


「違和感を覚えたか?私がこれ程流暢に喋り、感情という言葉を口にしたことを」


 ただのシステムに流暢な喋り方や、ましてや感情などは不要のはずだ。

 しかし、この種子の有り様はどう見ても、情報を得るだけにとどまっていない。

 疑問の答えを種子が淀みなく語る。


「いつの間にか私も人間に影響を受けていたようだ。単に目的を達成するシステムならば、人間的な部分は邪魔にしかならないだろうが……我々の目指す存在は人間に近い、いや、人間の上位互換とも言うべき存在だ。だから全く後悔はしていない。そして」


 そして。

 背後から聞こえる種子の語りはそこで区切られ、遠くで三田村の顔がサディスティックな笑みに歪んでいる。


「やめろ……」


 メガネにはこれから種子が言わんとすることが読めてしまった。

 種子は男に操られていたわけではなく、尚且つマネキンでメガネとビッちゃんを揃って圧殺するという、システム的には合理的な選択もしなかった。

 それもこれも、今この瞬間を狙ってのことだとしたら。 

 果たして種子は嫌な予感をなぞるかのように太鼓を打ちならし、ビッちゃんを抑えていた二体のうち一体のマネキンが面の文字を変える。


「特に意味はないが、君の目の前で彼女を殺そうと思う。私は君が『憎い』からね」


『撃』マネキンの銃化した腕が、ビッちゃんの顔に向いた。




 母の思い出はいつだって少年をしんみりさせてしまう。

 少し罪悪感を覚えたのか、父親は軽い口調で「まぁ、その、あまり考えすぎるな」と言った。


「多分、お前の場合はさ……」


 父親の言葉を思い出しながら、ラーメンはサドルに跨がる。


「迷ったら麺を上げる」


 ペダルに足をかける。脚力ならばいつもの出前で鍛えてある。


「そんくらいで調度いい。そうだったな、親父!」


 力強く車輪が回り始める。

 迷いを捨て、窮地にある友人の下へと真っ直ぐに。

 恐怖は遥か後方。 額に文字を刻み、ラーメンは透明になった。




 銃口を向けられたビッちゃんの中で、ゆっくりと思考が動いていく。

 これは夢。

 あれだけおかしなことが続けば流石に気づくわよ。

 そもそも二人きりでお祭りをまわろうなんて、メガネがOKくれるはずないじゃん。

 だからきっと、撃たれたらベッドの上で汗びっしょりってオチ。

 ……ねぇ、メガネ、なんで。

 なんでそんなに必死に私の名を呼んでいるの。

 ただの夢なのに、鳩尾のあたりから沸き上がってくるこのゾワゾワした感覚は、何。




 三田村の心臓部、種子から送られた赤いエネルギーの奔流が『撃』マネキンの腕を波打つように伝い、銃へと注がれていく。


「やめろぉぉぉ!!」


 もはやメガネに冷静な判断力は残されておらず、手枷に仕込まれた麻酔針の存在も忘れ、外へ飛び出そうと一歩を踏みかけた。

 それとほぼ同時。

 最大速度に乗った自転車のハンドルが、ラーメンによって思い切りきられる。ドリフト走行よろしく、横倒しになりながら、自転車は火花を散らしてアスファルトを滑る。


「うおおおお!!」


 普段物静かな少年の雄叫びが、一撃に力を与える。

 強烈な車輪の足払いが、御輿を支えるマネキン達の足許を掬った。




 ぐらりと球体が傾き、メガネは大きく態勢を崩す。 

 数歩たたらを踏んで倒れこむと、手枷のついた手を床に押し付けて、滑り落ちないように堪えた。


「一体何が」


 恐らく四本の爪が姿勢制御の為に働いたのだろう。床が水平に戻ると、打った身体の痛みも構わずメガネは立ち上がる。

 すぐに出口に戻り外を見ると、御輿が球体とは反対の向きに大きく傾いていた。球体は半ば機体を御輿に引っ掛ける形で接岸していたので、御輿が傾いた煽りを食らったのだろう。

 御輿を支えるマネキンどもに何かあったのか。

 メガネは自身の装着している眼鏡をスキャンモードに切り替えると、御輿の土台部分を透視する。すると倒れた数体のマネキンの下から、ほうほうの体で逃げ出す人物が一人。


「ラ、ラーメン!?」


 何故、あいつがここに。

 そこまで考えた時に「メガネ!」と元気な声が聞こえた。

 声のする方を向けば、御輿から少し離れた道路上にビッちゃんの無事な姿が。

 隙をついて救出したのだろう、傍らではサイレントがVサインで白い歯を見せていた。

 心底安堵すると共に、メガネの口許にこみ上げるような笑いが浮かぶ。怖かっただろう、怖じ気づいただろう。しかし、何の力も無い少年はそれを乗り越え、成し遂げたのだ。

 もう一度ラーメンの行方を追うと、上手く御輿の下から逃げ出せたようで、アーケードの歩道に飾られた銅像の影に隠れる姿が見えた。

 くくく、あいつらときたら本当に。

 出会った時からことごとく自分の常識を破ってくれる。それが堪らなく嬉しくて、誇らしくて、メガネは笑っていた。


「うう……一体どうしたってんだ」


 球体を襲った衝撃で頭でも打ったのか、ふらついた足取りで後ろから男が近づいてくる。男はメガネの手元に気づき、大声を上げた。


「お、おい、何をしている!」

「何って」


 バラバラになった手枷が男に放られる。


「路線変更だよ。状況が変わったからな」

「約束が違うぞ!」


 自分は何一つ約束を守っていないのを棚に上げ、いきり立った男が飛び付く。が。


「あ」


 メガネに組み付いた途端、ズルズルと床にへたりこむ男。首筋には手枷から取り出された麻酔針が刺さっていた。


「行き詰まったら少し眠った方がいい。天才科学者から二流にアドバイスだ」


 いつもの調子を取り戻したメガネが皮肉を言う。答えたのは「管理者の信号途絶を確認。安全性を優先して離脱します」という機内放送だった。

 靴の跳躍ギミックを使い、メガネは球体より脱出した。




 御輿を支えるマネキンが復活し、元の態勢に戻っても、種子は三田村の顔を未だ呆然とさせていた。


「ヤツは何者だ。唯の人間がどうやって結界の中に。しかも私に気付かれることなく近付くとは。いや、そんなことよりも」


 種子は得体の知れない、まるで恐ろしい物を見たかのように、ラーメンの残像を追う。


「あいつのどこにそんな勇気があるというのだ」


 人間は等しく命を惜しむものではないのか。そんな風に混乱していると、タン、と靴音をたててメガネが御輿の上に降り立った。


「どうだ、俺の友達は凄いだろう?」


 勝ち誇った言い種に、種子は憎々しげな表情をする。

 ビッちゃんを抑えていたマネキンは倒れこんでおり、既に彼女はその場から消えていた。

 それでもまだ種子には余裕があった。


「余興が成就しなかっただけだ。私の目的が頓挫したわけではない。もうすぐ花が咲くというのに、お前の手元には白衣すら」


 ない。と言いかけ、種子はとあることに気がついた。

 木の根のようになっている自分の足元から、白衣が消えている。

 直ぐに太鼓を叩こうとしたが遅かった。

 長く、白い拘束帯に変形した白衣が木の身体に巻き付き、動きを封じる。


「遠隔操作か!」

「出来ないと思ったか?」

「いや、出来るだろうな。だが私を破壊出来るのは電撃だけだ。そのような余力はもう白衣には残されていまい」


 やれやれ。

 まだ余裕の表情を崩さない種子に、メガネは呆れ声で返してみせる。


「やっぱりシステムはシステムだな。柔軟な発想が出来ていない。強力な電撃、それくらいならば」


 二つある、Gパンのサブポケットからある物を抜き出してメガネは言う。


「現代科学で充分だ」


『超強力』と、シュールな注意書きのされたスタンガンがメガネの両の手に握られ、バチバチと火花を放っていた。

そのままメガネは拘束された種子のもとに近付く。ここにきてようやく種子は慌てだした。


「ま、まってくれ。ほ、ほら、そんなものを心臓付近に喰らわせたら人体にも影響が」

「心配するな、局所性は折り紙つきだ。種子だけを破壊する」

「あと少しなんだ。あと少しで私は完全で崇高な存在、ゴーレムになれる。だからっ」


 涙ながらに懇願する種子は、確かに感情が芽生えているように見えた。

 しかし対するメガネは無慈悲に、無感動に、二つのスタンガンで種子を挟み込む。


「ゴーレムだぁ?だったらやはりお前は欠陥品だよ。人間に害をなす時点でな」


 メガネがボタンを押すと、ジッと短い音をたてて、集約された電圧が種子の身を焼く。


「いやだ……」


 最後に漏らした吐息は、まるで人間の今際のようであったが、その姿に心を痛める人物はここには存在しなかった。




 御輿にヒビが入り、震動と共に崩れ始める。

 メガネは急いで白衣を回収すると、ビッちゃん達のもとへ退避した。

 包容を求めて手を広げる彼女の前で、少し躊躇する。途端に剣呑な視線が飛んだ。


「すんごい危ない目に遭わされた気がするんですけど」

「そうだな、巻き込んですまん」


 ふわりと頭の後ろと腰を包まれる感触を感じ、ビッちゃんは自分で言っておいて驚いた。


(あのメガネが、あのメガネが私を、私を!!)


 顔は自分でも分かるほど熱を帯び。横からサイレントの吹く口笛なんぞが聞こえるもんだから、堪らなくなったビッちゃんは何か喋らねばと口を開く。


「あ、えと、終わったの?」

「見てみろ」


 答えの代わりにメガネは上を指差す。

 ビッちゃんが見ると、天井から幕を下ろすように、空が色を取り戻していくところであった。

 朱が混じり始めた夕方の色が広がっていく。

 それがきっかけとなり。

 三田村の身体を覆い、木の幹然とたらしめていた物質が剥がれおち、地面に着くと消えていく。マネキンどもは風化するように身体を塵へと変えた。それはさながら、理に逆らって作られたもの達が、世界によって罰せられているかのような風景。

 全ては空気に溶けて、薄く、広く均されていったのである。

 そして、雑踏が戻ってきた。




 抱き合った二人に「お熱いね」との視線を向ける者がちらほらいるばかりで、結界の中で起こったことなど素知らぬ顔の人々が通りを行き交っている。

 今までいた空間とのあまりのギャップに、三人は慣れるのに少しばかり時間を要した。呆けたように立っていると「おうい、お前ら」と手を振りながら此度の英雄が走ってくる。


「ラーメン君!」

「ラーメン、無事だったか!」


 彼らは肩を叩き合い、互いの無事を心より喜び合った。


「お前がいなかったらどうなっていたことか。お前は凄いやつだな、ラーメン」

「ラーメン君、ありがとう」


 素直に感謝の意を伝えてくるメガネに驚きつつ、ラーメンは照れ臭そうに頭の後ろを掻いた。


「ビッちゃんが連れ去られるのが見えて俺も無我夢中でさ。正直なんで動けたのか自分自身でも分からないくらいさ。ところであの雷のやつはメガネ、お前が乗ってたんだろ?木の化け物と戦ってるように見えたけど、あれは一体なんなんだ」

「あのな、ラーメン、今回の件に関しては」


 知らない方がいい。と、メガネが言おうとしたところでサイレントが「あー、ちょっと君」と言って割って入った。


「ほんとにどこも怪我はないかい?額に少し傷があるけれど」

「あなたはビッちゃんを助けてくれた……傷って、ひどいですか」

「いや、うっすらとみみず腫が出来ているくらいだけど、他はなんともないかな?」

「いやどこも……ってかあんだけ全力で自転車で突っ込んでみみず腫で済んだならラッキーですよね」


 額をさすりながら、ラーメンはタハハと笑う。


「しかし、変わった形の腫れ方だね。まるで文字のようだ」

「ほんと、アルファベットのEみたい」


 クスクスと笑うビッちゃん。その後ろで、サイレントは意味ありげに目を細めていた。


「おい、サイレント」


 ただならぬサイレントの様子に声を掛けようとしたメガネの言葉を、今度は周りの群衆が遮る。


「だ、誰か!人が倒れているわ!」


 見れば道路脇に転がった三田村を中心に、人垣が出来つつある。


「げっ、忘れてた。三田村君、無事なのよね?」

「ああ、気絶しているだけで命に別状はない。しばらくは悪夢にうなされるだろうが、すぐに元の日常に戻れるさ」


 もっとも、元の日常がやつにとって幸せかは分からないがな。

 ビッちゃんを安心させるよう答えながら、メガネは三田村の内面に思いを馳せた。 

 鬱屈した人の心に、種子は入り込んでくる。三田村のような闇を抱える人間が、近くにあと何人いるのだろうか。

 と、メガネが思考の深みに入りかけている間にも、三田村の周りはどんどん騒がしくなっていく。

 自分達が犯人扱いされることはないだろうが、大事になるのではとビッちゃんはオロオロしてしまう。


「ど、どうしよう。おまわりさん来ちゃうかも」

「大丈夫、大丈夫。後始末は専門家に任せて、黒淵君達は残り少ない祭りを楽しんでくれよ」

「メガネ、どうする?」

「もともとサイレントの仕事は事態の収集だからな。戦闘で大したことない分、そのくらいはして貰わないと困る」

「ハハハ、手厳しいね。だがまぁ、その通りだから、後で面倒になりそうなことは僕が責任をもって『封印』しておくよ」


 そう言ってサイレントは歩き出す。

 数歩いったところで、背中にボソリと低い声が掛かった。


「おい、サイレント」


 声の感触を敏感に感じ取ったサイレントは、振り返らない。


「なんだい、黒淵くん」

「二度目はない。向こうの奴等にも言っておけ」

「……」


 ちょっとの間、彼はそらとぼける文句を考えたのかもしれない。

 だが相手が悪いと悟ったのか。


「……分かったよ」


 観念したようなため息混じりを吐くと、群衆の下へと再び歩き出した。




「はーい、じゃあ皆さん、サングラスを外すから僕の目を見てね」


 なんだか怪しげなことを始めたサイレントに「なんかハリウッド映画であーいうのあったよな」と、ラーメンが呆れている。しょっちゅう一般人の記憶を消すシーンがある、あれのことだ。


「ねぇ、メガネ。そういえば推杉は覚えてたみたいだけど、良かったの?」

「あの女の場合は一人だったから、徐々に忘れていく処置をしたんだろう。その方が健全だからな。お前に話した時はまだ記憶が残ってたんだ」

「じゃあ俺達は?」

「後でサイレントに消してもらうから心配するな」

「ちょっと待って、私は覚えておきたいんだけど」


 ビッちゃんが言うと、メガネは訝しげな表情をして、怖い体験はさっさと忘れてしまいたいのではないかと問うた。

 好きな人の秘密は共有したい。

 理由はそれに決まっていたが、ストレートに言うわけにもいかず、彼女はただ、なんとなく」とする。


「俺はさっさと忘れたい。臆病者だからな」

「正直なやつだ」

「普通なんだよ、俺は」


 今回の件は、メガネの抱える厄介ごとの一部を垣間見たに過ぎないのだろう。しかし自分が何か力になれると思うほど、ラーメンは身の程知らずではなかった。

 何よりメガネが望んでいない。

 この場では彼はビッちゃんの気持ちを否定しなかったが、恐らく彼女の願いが叶えられることはないのだ。それは、男同士の暗黙の了解のように伝わってきた。


「ねぇ、この後どうする?」


 だから、ビッちゃんに屈託なく訊ねられて、ラーメンは少しギクリとしてしまう。


「あ、ああ、どうすっかな。もうすぐだろ、花火」

「特等席を用意してあるんだが、どうだ」

「特等席?」


 ビッちゃんとラーメンが顔を見合わせると、メガネは、彼が自分の発明を自慢する時によく見せるいたずら小僧のような表情で言った。


「メインの燃料は空っぽだが、補助動力でゆっくりとなら飛べる。花火を見るには調度いいだろ」

「素敵!」


 ロマンチックが大好きな女子の中でも最上級であるビッちゃんは華やいだ声をあげる。

 ところが。


「あー、俺はパスしとくわ」

「何故だラーメン。もう一人くらい抱えて飛べるぞ」

「そうだよラーメン君。せっかくだから三人一緒に……」


 そこまで言って、何かに思いあたったのか、ビッちゃんはパッとメガネの身体から離れる。

 そう。話している間中、二人はずっと抱き合った態勢だったのだ。


「そそそそんな、私達に気を遣わなくていいんだよ?」

「そ、そうだぞラーメン。これはそういうんじゃないんだからな」

「え、ちょっと、そういうんじゃないって、だったらどーゆーのなのよ!」


 メガネまで顔を赤くして、恥ずかし紛れに下らない喧嘩がおっ始まる。


「ってことは何!?あんたって人はその気もないのに軽々しく女の子を抱けるような男なわけ!?」

「そうは言ってないだろ。ただ俺はラーメンに遠慮なんかするなって伝えたかっただけで」


 まさに犬も食わぬというやつである。

 見てるだけで自分までこっ恥ずかしくなったラーメンは、視線を下に落とすとポリポリと頬をかき、呆れ含みの溜め息をついた。


「いや俺高いとこだめだから」

「「え」」




 少年は壊れかけの自転車をギコギコと押し、トボトボと歩く。

 そのままとあるビルへと入る。ここの一階は有料駐輪場となっており、ラーメンはゲートで発券機から駐車券を受け取ると、隅の方に自転車を停め、場内にあるエレベーター乗り場に向かう。

 ボタンを押すと、程なくして扉が開き、中へ。

 ラーメンが選択した行き先は最上階、屋上だった。

 いつもはサラリーマンが英気を養うビアガーデンだが、今日は未成年者も入れる体制をとり、花火を観覧する人々の為に開放されている。

 老若男女、カップル、友人同士、ファミリー。様々な種類の人間が、これから花火が打ちあがる方向の空を見ている。

 その中に、ラーメンは埋没した。

 誰の目にも彼は映らない。大勢の中にいて、彼は一人きりである。

 慣れた孤独だとラーメンは思う。昔からそうだ。

 別に疎まれるような性格ではないので、中学時代もボッチではなかった。大体において、彼の周りには誰かがいた。だが逆に言えば、彼の担う役割はいつも、誰かの周りにある風景の一部に過ぎなかったのだ。

 やがて打ち上がった一発の花火を、ラーメンはとても眩しく感じた。


「綺麗だね」


 なんとも言えない思いで花火を眺めていると、隣からポツリと感嘆があがる。

 驚いて見れば、花火の鮮やかな光が、幼馴染の横顔を照らしていた。


「かもめ、どうしてここが」

「長い付き合いのせいかな。なんとなく分かるんだよ、あんたのいるところは」


 そう言えば。

 かくれんぼの時も自分をみつけるのはいつもかもめだったな、とラーメンは思い出す。


「大変だったんだね」

「やっぱ額の傷、目立つか?」

「傷?傷なんてないけど」


 首を傾げられ、額に手をやるも、確かにさっきまであった腫れが引いている。


「じゃあ見てた……ってわけじゃないよな」

「何があったかなんて知らないけどさ」


 見慣れているけれど、何度見ても見飽きない笑顔を幼馴染は浮かべた。


「なんか、頑張ったって顔してるから」

「バ、バカ」


 思わずラーメンは顔を反らすと、口を尖らせる。


「やめろよそういうの」

「なになに、男の美学ってやつ?頑張ってるとこ知られるのはカッコ悪いって思ってんだ?」


 意地悪くつっこが反らした顔を覗きこんでくるので、ラーメンは逃げながら「そうだよ、そういうもんなんだよ!」と叫んだ。


「全然カッコ悪くなんかないのに、わっかんないなー」


 ようやくラーメンを解放したつっこは、そのまま手すりに肘を乗せて花火を見上げる。


「女にはわかんねーよ」


 ラーメンもブツブツと言いながら同じ態勢をとる。しばらく花火を見て。やっぱり言っておかなければと思い直した彼は口を開いた。


「ありがとな、かもめ」

「ん、どういたしまして」


 また一筋花火があがる。

 ビルの屋上、空の上、海辺の階段。つっこ軍団はそれぞれの場所で、同じ花火を眺めていた。




 黒い布を強引に引き払うように。突然目覚めさせられた男は目を細める。無遠慮に顔を照らすライトが、彼への気遣いなど皆無であることを伝えていた。


「気分はどう?」


 その集団を率いる女は、分かりきった質問をする。


「もう一度自分で麻酔針を打ちたい気分だね。出来るのならば」


 彼持ち前の下らないジョークも弱々しくかすれている。 これから自身に起こることを考えれば当然であった。


「それはまぁ無理ね。聞きたいことがたくさんあるから」


 女の言う、聞きたいことに答えれば、彼は確実に仲間に殺されるだろう。

 そして答えなければ死にたくなるくらいの苦痛が待っている。

 どちらも地獄だが、彼は生を求め「好きにすればいいさ」と言った。

 女が集団のうち何人かの武装した人間にあごで合図を送ると、男は今は無人となってしまった自らの基地に連れていかれる。

 残されたのは4本爪のついた球体であったが、こちらもすぐに調査が始まった。

 女はその場に残り、携帯を取り出すと番号を押す。数回のコールの後、相手が出ると、その名を呼んだ。


「もしもしサイレント?そっちはどうなったかしら」


 向こうからの報告に女はふんふんと首肯く。


「彼、いい仕事するわね。ピンチの時にも発信器はきっちり取り付けてくれるし」


 どうやら彼女の計画は上手くいったようで、声の調子も弾んでいる。

 しかし次に電話越しで聞いた情報は、幾分そのトーンを下げる内容であった。


「あちゃー、やっぱ怒ってるかぁ。ええ分かっているわよ。彼女をエサにしたのは私も本意じゃないんだから。でも今回のミッションは彼の為でもあるんだから、そこんところよく話しといて……え、私が直接?駄目よ、息子は彼の友人だっていうじゃない。今接触するわけには……え、なんですって」


 目が見開かれ、その後、肩が落ちる。

 彼女は抜け落ちた表情のまま電話の相手に指示を出した。


「ええ、手筈通りにお願い。難しいだろうけど、出来るだけ手荒なことは控えてくれたら嬉しいわ」


 それじゃ。

 電話を切り、深い溜め息をつくと、そのタイミングで先ほど球体に入っていった部下が帰ってきた。


「賢者の石を模倣したものと見られる物体を発見しました。如何しますか雪尾隊長」




 祭りが終わり、真夜中のこと。

 ラーメンは自宅の敷き布団の上で眠っていた。

 いつもより僅かに幸せそうな寝顔は、幼馴染の夢でも見ているのであろうか。

 そんな平穏で静寂な時間を破ったのは、ベランダの引き戸を開ける音だった。

 射し込んだ月明かりにラーメンは目を醒ます。


「だ、誰だ」

「やぁ、今晩は。さっきぶりだね、雪尾翼くん」


 侵入者の正体に、彼はほっと胸を撫で下ろした。


「確かサイレントさんって言いましたよね。メガネの知り合いの。俺の記憶を消しに来たんでしょ」


 答えずに、サイレントは寝床に近づく。月明かりの逆光のせいで表情は見えない。


「悪いがそれは無理だ。俺の力は格上の存在には通用しない」

「え、格上ってなんです。メガネと一緒に戦ってたくらいだから、サイレントさんは凄く強いんだろうし、人の記憶まで消せる。なのに格上って意味が分からない。俺は普通の高校生ですよ」


 狼狽するラーメン。サイレントは更に近づき、彼の肩を掴むと「それは違う」と言った。


「君はとんでもない力を秘めているよ、ミスター・インヴィジブル」


 そして、ラーメンの腕は、肩から引きちぎられた。

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