ポスト兆しの花火④
ビッちゃんを助け起こしながら、メガネが言う。
「無事か、ビッチ」
「うん、平気」
ああ、また会えた。
メガネに無事を告げた時、ビッちゃんの心に浮かんだのはその一言であった。
助かったことよりも、助けてもらったことよりも、再び顔を見られて、声が聞ける。それが何よりも嬉しくて。
確かになった感情は、自然と彼女に目を閉じさせた。
「……こんな状況でウマヅラハギのマネか?」
ウマヅラハギ。スズキ系フグ目カワハギ科ウマヅラハギ属。すごくチューしたそうな顔の魚である。
「う、馬面……違うもん!」
「それじゃホンカワハギか?そりゃ悪かった」
アホみたいなすれ違い二人に、サングラスに黒いジャケットの男は苦笑いを浮かべていたが、見るに耐えなくなったのか口を挟む。
「黒渕くん相手にそういうことしたいなら、もっと落ち着いてからの方がいいよ、お嬢ちゃん」
「あなた、だれ」
「僕はサイレント。封じられし男さ。意味不明だろうけど今は詳しく自己紹介している暇はない」
ほら、とサイレントが指差す先。
マネキンに担がれた神輿の上で三田村が怨嗟の咆哮をあげていた。
「黒淵、くろぶちぃ~!」
ドンドコドンドコ一心不乱に下手くそな太鼓を打ちならし、音に呼応して地面からマネキンどもが這い出てくる。
例のごとくマネキンは顔に面を着けており、そこに書かれている漢字は「捕」から「壊」に転じていた。
そんな明らかに害意を持った物体群が、無茶苦茶に手足を振り回す、不気味な走り方で殺到してくる。
群の規模は既に先程メガネが破壊したマネキンと同数か、それ以上だろう。
間違いなくヤバい状況だが、メガネはそれでも不敵に笑う。
「さっき手駒を瞬殺して見せたはずだが。同じことを繰り返して何になる」
しかし嘲笑い返すようにボコボコという怪音が背後で鳴る。
振り向けばアスファルトが波立っており、そこからもマネキンどもが沸きだしていた。
「同じことの繰り返し、とはならないようだね。このままじゃ挟み撃ちだ」
サイレントの言葉にメガネは舌打ちすると、ビッちゃんに向かって「移動するぞ」と言い、白衣についたボタンを軽く押す。
変形したのは以前、押杉真理音を救った時のようなロボット兵器の出で立ちだが、ところどころ相違点も見てとれる。
前は背部の射出口から鉄のアームが伸びていたものが、今回は白衣自体が部分的に変形し手足を成形、操縦席とそこに乗るメガネの体重を支えていた。
「新型の白衣だ。N粒子の応用によって汎用性が増した」
「前の姿が某アメコミのヴィランそっくりだからとは言えないよね~」
ま、向こうはミジンコ程も認知してないから無意味だと思うけどね。
軽口を叩くサイレントを白衣パンチでぶっ飛ばすと、メガネはビッちゃんの方に向き直り、 ほらこんなことも出来るんだと、自慢気にレバーを操作する。
すると白衣の一部が帯状に伸びて、ビッちゃんの目の前で先端を変形させた。それはビッちゃんの為の助手席であり、メガネは新車に誘うべく目で「乗れ」と合図する。
おっかなびっくり、されど万感の信頼をもって腰を沈めるビッちゃんの姿を、三田村は遠目に見ていた。
(僕の、ボクノ誘イハコトワッタトイウノニ)
憎しみはパワーとなるのか、マネキンどもの体に一瞬、赤い稲光が走り、殺到する勢いが増す。
このまま二人が呆けていれば、あっという間にマネキンどもは、面に書かれた命令を果たしてしまうだろう。 なので、メガネはレバーを引く。
ビッちゃんが運ばれたのは操縦席の傍ら、メガネとの距離は身体が触れ合いそうな程。
尚且つ。
「しっかりつかまってろよ」
出し抜けに彼が肩など抱き寄せてくるものだから、彼女の頭はもう沸騰しそうになり。コクコク過剰に首を振って、了解の意思を示すだけで精一杯であった。
そんな乙女の内心になど、気付くそぶりもなく。
「ちょっと早いが新型の真骨頂を見せてやる」
不敵な笑みを浮かべて、メガネはビッちゃんに「高い所は平気か?」と訊いた。
「え、まぁ、ジェットコースターとかは好きだけど…」
答えた瞬間に嫌な予感が走り、応じるようにバサリと音が鳴る。
バサリ?
確認の為に身を捩って背後を見れば、ビッちゃんの視界に飛び込んだのは、大きく開かれた白い翼であった。
「ま、ま、ま、まさか」
「テイク・オフ」
少し暗くなり、祭会場の海浜公園は花火待ちの人々でごったがえしていた。
小さなコロシアムのような形で海の方向へ下る階段のスペースも、そこに座る人々でほぼ埋め尽くされている。
同様に並んで花火を待つつっこ軍団であったが、団長はキョロキョロと何かを探していた。
「メガネとビッちゃんか?」
察したラーメンがそう訊くと。
「今くらいには合流することになってたんだけど……遅いよね」
と、若干に心配そうな顔をするつっこ。
「俺が見てこようか?チャリを飛ばせば天野町まであっという間だ。花火には十分間に合うだろ」
「だったら私が」
「いいから任せろって。団長は軍団を見てないと」
「あ、あんたまで団長とか言うなっつーの!」
赤い膨れっ面になる幼馴染にふっと小さく笑い、ラーメンは片手を上げつつ背を向ける。
向かった先で何が起こっているかなど、歩きだした彼は知るよしもなく。相変わらずの賑わいを見せる祭の様子に目を移らせながら、その足取りは当然気軽いものであった。
と、ととと、飛んで、飛んで。
回って回って等と続ける余裕はビッちゃんにはない。
沢山のビルや店舗、人や車以外の建造物が視界に収まる俯瞰の光景に、彼女はパニックを起こしていた。
「大丈夫だビッチ。顔を上げてみろ」
肩を抱き寄せる手に少しだけ力を込めて、メガネが安心させるようにそう、促す。
下を見ない方がいいよね、と悟ったビッちゃんが言われるままに視線を上げると、そこには悲しみの色が拡がっていた。
夕暮れ時にしては明るく、されど空はくすんだ色をしている。
心?三田村君の……。
「ねぇ、メガネ。この世界は一体」
「お嬢ちゃんの想像で大体あっているよ」
思いがけない方向から答えがかえってきて、ビッちゃんは驚き、横を向いた。
横。足場もなく、人間が存在し得ない位置だ。しかしてさも当然のように並行する、サングラス男の姿がそこにあった。
「サイレントさんも、と、と、飛んで」
ただでさえ非常識な状況で、生身で上空までやってきた更なる非常識。
再び混乱に陥りそうになるビッちゃんを気遣う様子もなく、サイレントは「ああ、違うよ」と笑った。
「僕の場合は飛行じゃなくて跳躍。だから」
そこまで言うと、彼の身体はビッちゃんの視界から下へとフェイドアウトし始める。
重力に従って落っこちるんだぁぁぁ……。
声と姿を小さくさせながら下方へ遠ざかっていく怪人を見送り、ビッちゃんは「一体なんなのよ」 と呟くしかないのであった。
かように理解不能の連続で、もはやちょっと現実に対する感覚が麻痺してきたビッちゃんであるが、この世界はまだ手を緩めるつもりはないらしい。
サイレントと入れ替わるように下から近づいてくる飛行物体が三体。それは面に『飛』と書かれたマネキン共だ。
「メガネ!」
「ああ、分かってる」
間違いなく二人を追ってきた敵なので、メガネは迎撃の為、ロボット型白衣の体勢をそちらに向けてレバーに手をかける。しかし。
「何も、してこないね」
幾分拍子抜けな声でビッちゃんが言うとおり、飛行マネキン共は腕をパタパタと羽のように上下させて二人を見据えるばかりだ。
「おそらく面に書いてあることしか出来ないんだろう」
予測を述べると共にメガネがレバーのボタンを押すと、白線がミサイルのように三本、マネキンに向けて発射される。
白線は先端を銛のように硬化されており、対象を空中に縫い付ける。そしてバチッという引き裂くような音で電撃が走れば、マネキン共はその身体をバラバラと下界にばら蒔くのであった。
「楽勝ってかんじ?」
「今のところはな」
メガネの表情はまだ警戒を解かない。その理由は彼の前に現れる度に顕著になる、種の特性故。
「また来るよ!」
「くっ、やはりか」
下からやってくる新手に、メガネの顔が益々険しさを増す。
再び現れた飛行マネキン三体。そしてその背中にそれぞれ一体づつ『壊』のマネキンが。
(まただ。また短時間で状況に対応してきた!)
奴らの意図は明白であり、それに付き合ってやる義理はない。歯噛みしながらもメガネは白線を射出する。『壊』のマネキンも応じるかのように飛行マネキンの肩に足をかけ、二人に飛び掛かかるべく空中に身を投げ出した。
白線は三体中、二体の『壊』マネキンを貫くものの、一体はグニャリと身体を歪ませ回避に成功する。
白線の軌道にも及ぶ敵の状況対応力を、恐ろしいものだと内心で評しながらも、メガネの顔色は変わらない。
反面、危機は急速に近づいてきた。
手を伸ばされたら触れられてしまいそうな程の距離にマネキンが迫り、ビッちゃんの口から悲鳴が迸りかけたとき。
『壊』の文字から白い槍が生えた。回避された白線がUターンし、背後から貫いたのだ。
「ホーミング機能つきだ。エグい角度で曲がる、な」
メガネはふ、と笑い「安心しろ」と言った。
「相手の学習能力も底知れないが、俺の白衣も全ての機能を見せた訳ではない。常に上手はとれるさ」
「問題は時間だね」
合の手を入れたのは再び空中に跳んできたサイレント。
彼は喋りながら飛行マネキンを掴んでブーメランのように残り二体にぶつけ、破壊している。
ビッちゃんはもはや驚きを通り越して呆れていたので、真顔で問うた。
「さっきから時間が無いって、何が起こるのよ」
「もうすぐ三田村君にとりついた種と呼ばれる核から花が咲く。そうなったら」
サイレントはそこまで言ってから「ああ、時間切れだ」と下に落ちていった。
「本当に一体なんなのよ」
存在もワケわからない上にビッちゃんへの答えも気になるところで尻切れ蜻蛉。サイレントという男は疑問ばかり残す男のようである。
それはともかく「そうなったら」どうなるのかお預けではビッちゃんの精神衛生的によくない。
ビッちゃんがメガネに顔を向けると、彼はため息を一つつき、簡潔に答えた。
「消しとぶ。結界の範囲で、現実世界もまきこんでな」
聞いても精神衛生的に良くない答えであった。少なくとも結界内にいる自分達の命はないだろう。
こういう事態において冷静さを見せるメガネはやはり異端であり、ある意味その性質は目的に邁進する武器でもあるが、武器は以前より鋭さを失って弱くなった。
守るものが出来たからだ。
「今からお前を結界の外に下ろす。出来るだけ遠くに離れるんだ」
「言うと思った。お断りよ」
「馬鹿野郎、ここにいたらどうなるか分からないんだぞ!」
お前だけでも逃げろというメガネを、ビッちゃんは黙って睨んだ。
それじゃあ、あんたはどうなるのよ。
いかにもこの男が考えそうな思考を、彼女は視線で否定する。
「時間が無いんでしょ。だったら私に構わずさっさと三田村君の所へ行くべきよ!」
「……怖くないのか」
「怖いわよ、でも私は」
安全なところで、問題が通過するのを待つのは止めた。
ほっとけば誰かが何とかしてくれるなんて考えはもう捨てた。
過去の自分との決別をはっきりと眼に宿し、ビッちゃんはメガネにそう、伝える。
「だけど私に出来ることなんて、怖いのを我慢することくらいだから、だから」
………。
その先の言葉にメガネは「分かった」と頷き、それから「やっぱり女ってのは我が儘だな」と笑った。
それは騎士と姫君の誓約の如く。
「俺はお前の側を離れない」
飛行マネキンとそれに乗った『壊』マネキンを白線がまとめて貫く。
「危険にお前を出来るだけ巻き込まない」
縦列するのは不味いと学習したマネキンどもが、今度は囲いこむように接近するが、赤く熱を帯びた白線が巨人の剣のように周囲を凪ぎ払う。
「お前を必ず守り抜く!」
白い四本のアームが電撃を発し、ひとところに集約されたエネルギーは球体を作り出す。下方に放たれた球体は今まさに飛び立とうとした一体にぶつかり、そこから荒れ狂う竜のごとく稲妻が乱舞、多くのマネキンが砕け、破片が地面に散乱する。
そして蹂躙するように破片を踏み潰し、白衣の機兵は大地に降り立った。
「流石だねっ、とぉ!」
続いてサイレントが地面にマネキンを叩きつけながら着陸する。
自分の、あるいは種の目的を妨げる者達を前に、三田村は苦々しい表情で彼らを睨み付けた。
静寂の中、無人の繁華街、くすんだ空の下。マネキンの支える神輿の上に一人、そこから20メートルと離れていない場所に三人、対峙している。
束の間の静寂を破ったのは三田村の方だった。
「なんだ黒淵、年貢の納め時とでも言いたそうな顔をしているぞ。まだ君達は僕の顔を拝める場所までやって来ただけだというのに」
「この距離なら俺の攻撃は届く。分かっているだろう?」
「なら何でさっさとそうしない」
三田村は「知っているぞ」と続ける。
「君の白衣は完璧ではなく、エネルギーは有限だ。もう残り少ないんだろう?」
「種を破壊するには充分だ」
「僕ごとやる勇気があれば、ね。君はなんだかんだ言って人を傷つけることは避けている。だが種だけやるとなると慎重にならざるを得ない。違うか?」
残されたエネルギーで種だけを確実に、しかも迅速に。くくく、健気だねぇと三田村は笑った。
「比べて僕が得た力は無限大。種だけ破壊しようだなんてあまっちょろい計画、みすみす成功させやしないさ」
「いや、種にも限界はある。芽が出て成長するごとに扱えるN粒子の量は倍増していくが、同時に負荷も相当なもの。種は器としての機能を果たせなくなり、崩壊するんだ」
「それで。どうなるって言うんだい」
「具現化能力の臨界点を迎えたN粒子は逆流現象を起こし、自然状態、つまり無に転ずる。お前や俺達は勿論、結界内とそれに重なる現実世界を巻き込んで、巨大なクレーターが出来るだろう」
「ふーん、もっともらしいことを言うね。それで君は白衣のN粒子を取り込む機構にリミッターをつけているわけだ」
「暴走を防ぐ為だ」
「だけどそれは妥協だとおもわないか?無限の力がそこにあるのに、力を使いこなす存在が、そこにいるというのに」
三田村が顎で示す先にはサイレントがいた。彼は自嘲気味な笑いを浮かべ「今は封じられてるけどね……」と後頭部を掻く。
彼らの会話から察するに、先程の戦闘で見せたサイレントの能力はほんの片鱗に過ぎないようだ。
「そいつは本物だからな。俺の白衣やお前の種のように、人が模倣して作った偽物じゃない」
偽物。メガネの発した単語に、三田村は歯茎を見せて怒りの感情を露にした。
「僕のだって本物だ。お前と一緒にするな!」
「種がそう思わせているだけだ。このままじゃ花が咲く前に乗っ取られて、お前の精神が消されるんだぞ!」
三田村の心臓部からは既に「根」が太い脈のように腕を侵食し、手にもった太鼓のバチと同化しようとしていた。
そしてメガネの懸念に応じるかの如く、また1拍の脈動と共に根が伸び、同化が進む。
彼は種にとっての単なる道具、太鼓のバチそのものに成り果てようとしているのだ。
にも関わらず。
「黒淵、お前は僕と同じ学校の日陰者、いや僕は地味でも崎原君のグループに入っているから僕の方が上だったはずだ。なのにちょっと友達ができたからって僕よりも楽しそうにしやがって。僕の欲しいものを手にいれやがって……。リア充にでもなったつもりかよ!」
バチはその身を太鼓に叩きつける。
「この力だけは絶対に奪わせないぞ!」
下手くそな太鼓の音が鳴り響き。三田村と三人の間に、巨大なマネキンの壁がそびえ立った。




