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新生月器ポスリア  作者: TOBE
日常編
25/88

ポスト兆しの花火②

 ビッちゃんこと橘美咲が鏡台の前に根をおろしてからかれこれ2時間が経つ。

 そろそろお尻が痛くなる頃合いだが、そんなこと気にもならないくらいおめかしに集中していた。


「あいつは厚化粧は嫌いだろうからあんまりケバくならないようにして、と……」


 何やらブツブツと言っている彼女は浴衣姿である。

 今日は県内一の規模を誇る夏祭りが開催されるのだ。

 メガネと同行をとりつけるという快挙を成し遂げたビッちゃんの気合いたるや、浴衣を着るだけで既にもう2時間かけていたのだから相当のものだ。

 そんな長丁場をドアの隙間から覗くのはなかなか若作りの様になるビッちゃんの母、橘美香である。


(今回は気合いが入ってるわね。本気で好きな人でも出来たのかしら)


 自分も若い頃は恋多き乙女であった故に、娘の恋愛事情が気になるところ。

 特に娘は自分に似て恋に恋する性格である。そろそろ何となくではない、運命の出会いを果たして欲しいものだけれど。

 そんな母の熱気が伝わったのか。気配に気づいたビッちゃんがドアを振りかえる。そして目が合うや否や顔を赤くして、まくしたてた。


「ほ、本気の恋なんかしてないんだからね!」

「なるほど」


 得心がいき、満足そうに頷く母、美香であった。




 県内一の祭は当然ながら人が多く集まる場所で行われる。 則ち県名を拝した市内が開催地であり、つっこ軍団で唯一の市外住みである糸男は電車に乗って夕方、水族館前の広場に参じなければならなかった。


「フラフラじゃないか。やっぱ電車は混んでたか?」

「ああ、夏場の押しくらまんじゅうはキツイな」


 来た人間は当然帰る。

 帰りのことを考えると、本屋に向ける糸目も自然、ウンザリと垂れ下がった。


「まぁまぁ、そんな苦労もあれを見れば吹っ飛ぶだろ?」


 本屋が指し示す先、こちらに歩いてくる女子三人の姿がある。

 ラーメン、猿、糸男の口から「おお」と歓声が上がった。


「じゃーん、どうよ?」


 到着するなり浴衣の袖をつまんで持ち上げて見せるつっこ。刺繍の蝶がひらひらと男子達の瞳に舞う。


「いやぁ、いいよ。すげぇかわいい」

「京子は花、糸子は金魚の刺繍か。三人とも凄く似合ってるよ」

「その、なんか新鮮だな」


 本屋は相変わらず軽い感じで、糸男は紳士的に、ラーメンは幼馴染みの晴れ姿に少し赤くなりながらそれぞれ誉めそやした。


「えへへ、そうかな」

「ま、当然だな」

「ほんと?ほんとに私、いい感じになってるか?」


 女子達もリアクション様々に賞賛を受け取る。

 だがしかし、ここに思ったことをどストレートに言ってしまう馬鹿が一人いた。


「あれだな、やっぱ馬子にもいしょ……」

「ちぇいあ!」

「せいっ!」

「しゃっ!」


 本屋のチョップ、糸男の正拳突き、ラーメンのローキックの三位一体攻撃をくらい、馬鹿猿は地面に沈む。


「お前はお約束を言わんと気がすまんのか!」


 本屋はこめかみに青筋をたてて叱責を飛ばし、ラーメンと糸男が怒りのオーラを立ち上らせる女性陣に「うちのがほんまに、すみませんねぇ」とペコペコ頭を下げた。

 そんなこんなの一方その頃。

 ビッちゃんはオカプラザ天野町という若者向けの衣料品を扱うビルの前にいた。通称オカプラ前と呼ばれ、繁華街ど真ん中に位置する、定番の待ち合わせスポットである。

 今日の彼女は流石の全力少女であり、約束の時間十分前には待ち合わせの為に散在する人々の一員と相成った。

 本屋あたりなら「雨でも降るんじゃ」等と言いそうであり、京子は自分を棚に上げて「槍を降らすんじゃないぞ」と言うだろう。

 かように凶事の前ぶりとされそうなビッちゃんのイレギュラーな行動だが、残念なことにそれは現実のものとなりつつあった。




 遡ること数分前、メガネは県庁の屋上にいた。

 県内屈指の高さを誇る建造物からは、市内の様子を一望するに最適である。


「そろそろ向かった方がいいんじゃないかい。今日はデートなんだろう?」


 横合いから幾分茶化すような声をかけるのは、つっこ達の知らない人物。サングラスとこのくそ暑いのに黒色のジャケットを羽織る、怪しい男であった。

 見た目は若いが放つ雰囲気は妙に年季の入った奥深さがあり、胡散臭さに拍車をかけている。


「今日みたいな日は人々の感情の起伏が激しい。分かっているだろう?」

「祭に浮かれる裏で負の感情も育ち易い、か。確かに種の発芽があってもおかしくはないけど」

「けど、なんだよ」

「君は学生なんだから、もっと今を満喫するべきじゃないか」

「巻き込んどいてよく言うよ。仕事の為ならなんだって犠牲にするくせに」

「人の恋路を邪魔してお馬さんに蹴られたくはないんでね。それに女の子の涙に心を痛めるくらいの良心は持っているつもりさ」


 と言うわけで、とサングラスの男は言う。


「ここは僕が見張ってるからさっさとアバンチュールしてきなよ」

「気持ちは嬉しいがそうもいかないようだ」


 アバンチュールなどとカビの生えた言葉にツッコミもせず、いや、そんなこと気にしている余裕もなく、メガネは顎でとある方角を示して見せる。

 誘導されるままにそちらを見た男は額に手をやった。


「ったく、君もつくづく運が悪いねぇ」




 群衆の中に立つと、時としてより強く孤独を感じるものである。

 自分はこのまま永遠に待ち続けるのではないか。

 そんな気分にさえなるがそれはちょっとしたスパイスだ。

 あと数分で意中の人がやってくるという期待。このふわふわとした感覚を楽しみながら、ビッちゃんはぼぉっと佇んでいた。

 周囲の雑踏や信号の発する音は、さながらBGMのように彼女の無意識に囁いている。だから、その些細な「始まり」に気づいたのも、ほんの気まぐれのようなものだった。

 何気なく仰ぎ見た空が、瞬き一つで色を変える。正確に言えば、青色が褪せた。

 雨でも降るのかと考えが過ったが、雲がたちこめる様子はない。


(夜になるにはまだ早いはずだけど)


 胸中に湧いた疑問は、この時点では軽い違和感程度だったのだが。


「えっ」


 ビッちゃんが空から視線を戻すと、街の風景は一変していた。

 無人の繁華街。それは、繁華街の名にふさわしい日頃の賑わいを知る者に、得体の知れない不気味さを抱かせる風景。


「みんな、どこに行っちゃったの…?」


 車の走行音さえ聞こえない静寂。ここだけ時間に取り残されたような有り様に、速まる自分の息遣いがやけに耳についた。

 カツン、カツン。 誰かの足音が近づいてくる。

 良かった、自分以外にも人がいる。 と、思うと同時にこの状況で一体何が現れるのかと恐怖心も迫る。

 ビッちゃんの鼓動を登場のドラムロールよろしく、通りの角から一人の少年が現れた。見た目は些か拍子抜けの、地味な顔つきである。

 特徴と言えばインドア派を思わせる青白さくらいであり、その血色の悪い唇がニコリと薄く笑った。


「やぁ、待たせたね。橘美咲さん」




 視点を戻して祭会場。

 水族館前に広がる広い敷地に様々な屋台が軒を並べ、つっこ達も最初のうちはそれらを見物したり、買い食いを楽しんだりしていた。

 しかし、今は海を臨める階段に腰を下ろし、暇をもて余している。


「祭って何すりゃいいんだっけ」


 実に率直な疑問を呟く猿に誰も答えられず、本屋が大人びた笑いを上げる。


「みんな特に何かするって訳じゃないのさ。楽しいような雰囲気を楽しむというか。俺はそういうの嫌いじゃないけど」


 したり顔で静の嗜好を主張する本屋の顔。

 そこへ「さすが文学部様は風流でありますなぁ」と嫌みを言いながら近づいてくるジト目の持ち主は、動いてないと死んでしまう、沖合いにいる魚のような人物。三剣京子は拳を握って力説した。


「退屈な祭なんて私は認めないぞ!祭ってのはもっとこう、スペシャル感がぐあーって押し寄せてくるような、そんなパワーで溢れているはずだ!」


 興奮の余り、しまいには「祭よ!うぬの力はそんなものか!」等と咆哮し始める京子をつっこが押さえつつ、呆れた声で問う。


「それじゃ何するの?あっちでバンドやってるけど、あの集団の中に飛び込んで一緒に縦ノリしてみる?」

「あんなもん、何割かは大して面白くもないのに周りの空気に合わせてやってるだけだろ」

「それは思っても言っちゃ駄目なやつだよ……」


 様式的な楽しみ方を京子はとことん嫌っているようで、ドライな発言につっこは若干引いてしまう。

 そして、様式から逸れた楽しみ方とは、当然ながら突拍子もない遊びとなるのだ。


「よし、かくれんぼしよう」

「何故!」



「会いたかったよ、橘美咲さん」

「あなた、誰?どうして私の名前を知ってるの」


「よーし、つっこが鬼畜役な」

「普通に鬼じゃ駄目なの……?」


 それぞれの祭は佳境に向けて進む。

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