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新生月器ポスリア  作者: TOBE
日常編
21/88

ポスト未知との遭遇

 昼前に母親が身支度をしているのを見て、どこかに行くのかと猿が訊くと、年甲斐もなくマリアンヌさんは女子会なんぞに行くのだと答えて、千円札を握らせてきた。

 仕方がないので猿は本屋を誘い、バァさんの定食屋、ミドリ食堂に足を運ぶ。 いつも唐揚げなので、たまには、と注文したしょうが焼き定食はこれもなかなか、息子の兄ちゃんの腕はさすが長いこと修行に出ていただけはあると感心するのであった。

 さて、満腹になったところの食休み。

 エアコンと併用すると効率が良いとの理由で現役続行となった扇風機の前に猿は陣取ると、いつものお約束をやり始めた。


「ワレワレハウチュウジンダ」


 何が面白いのか、それは誰にも分からない。厨房は息子に任せて給士にまわったバァさんも呆れ顔だ。


「高校生にもなって、恥ずかしくないのかい?」

「いやいやバァさん、扇風機があったらとりあえずやるんだよ。儀式みたいなもんだよな、ボウズ?」


 何故か常連のおっさんは理解を示し「男ってのは分からないねぇ」と、バァさんの呆れ具合に拍車をかけている。


「まあ、しばらくしたら治まりますから」


 側で漫画を読んでいる本屋も完全に発作扱いであり、特に気にする様子もない。

 しかし、さっきからヤバイ宗教みたいにワレワレハ……をやっていた猿の声がそこでピタリと止まる。


「お、もう満足したか?」

「ワレ我地球人も広い宇宙の一員に相違無いのである。そう考えれば確かにこう言えるのではないだろうか。我々は宇宙人であると」

「なんか壮大なこと言い出した!」


 翌日の朝。

 たまには動物園に行って人間の愚かさを反省しようと、京子、本屋、猿の三人は駅前に集まることにした。

 珍しく約束の時間よりも早く到着した京子は、駅の階段に設けられたベンチに、これまた珍しく待つ方にまわった猿の姿を確認する。


「よぉ、早いな」


 階段下から片手をあげて挨拶すると、猿は立ち上がってペコリと頭を下げた。


「おはようございます、京子さん」


 思わず足をかけた階段を転がり落ちそうになる京子。


「なんだそりゃ、気持ち悪い」

「はて、気持ち悪い?わたくしは普通に挨拶しただけですが」

「その一人称がまずおかしいだろ!ふざけんな!」


 猿が丁寧に挨拶すると京子が怒る。 実に不思議な現象である。

 まぁ、普段が普段なのでおちょくってるようにしか見えないのが理由なのだが。


「何怒ってんだ?」


 そこへ、時間丁度に本屋がやって来る。


「聞いてくれ、本屋。猿が変な言葉遣いで私を馬鹿にするんだ」

「どういうことだ、猿」

「さあ、知らね。俺が普通に挨拶したら急にキレだすもんだからよ。あの日なんじゃね」


 特に変なところはない猿の返答を受けて、よせばいいのに本屋は余計な質問をする。


「あの日なのか?京子」


 朝っぱらから竹刀の錆びにされる二人組であった。




 動物園への道程、電車の中でもずっと不機嫌な京子であったが、いざ楽しげな動物達のレリーフが飾るゲートをくぐる頃には、持ち前のテンションを取り戻していた。

 サファリゾーンと称された広いスペースに、同居可能な大小様々の動物達が放たれ、草を食んだり駆け回ったりしている。

 入園してすぐに掴みを持ってくる趣向の、この市営動物園の目玉の一つであった。


「うお、キリンでけぇ」

「やっぱ生で見ると迫力あるな」


 画面越しにならば、ネットやテレビでいくらでもその姿を視聴できる現代っ子だからこそ、京子と本屋の感動も一潮である。

 そんな中、猿のポツリと漏らした呟きが京子の耳に届いた。


「哀れな。彼らはこの人工的に設けられた空間の中でしか生きられないのですね」

「はぁ!?」


 機嫌を取り戻していた京子の眉が再びつり上がる。


「聞いたかよ、本屋。これだよ、これ。さっき言ってたの」

「まあ、まあ。そういう見方もありなんじゃないか。動物園ていうのはさ」

「でも喋り方も気持ち悪いし」

「キャラチェンしたいと思ってんじゃねーの?中学の時にたまにいたよ。急に語尾に『~っす』てつけ始めるやつ」

京子に比べ、本屋は寛容に見守るスタンスのようで、気軽く笑っている。

「まぁ、一時的なもんだろ。お前は猿がおかしいと調子狂うだろうけどな」

「あのな、そんなこと言われても私はつっこみたいに赤くなったり、ビッちゃんみたいにふくれ面になるような可愛げはないぞ?」


 赤くなった頬を膨らませて、京子は本屋に抗議するのであった。




 いくらか動物を見てまわったところで、トイレ休憩を入れることになった。

 猿と本屋は並んで便器の前に立つと、用を足す。

 ジョロジョロという音に混じり、何気ない感じの本屋の声が狭いスペースに響いた。


「なぁ、キャラチェンもいいけどさ。あんまり京子を怒らせるなよ」


 返答は、ない。

 不審に思った本屋が横を見ると、じっと考えこむ猿の横顔があった。

 猿は無言のままチャックを上げ、手を洗い、鏡で自分の顔を眺めながらポツ、と呟くように言った。


「昨日遅くまで起きてたからかな。朝から所々記憶がないんだ」

「おいおい、大丈夫かよ」

「体調はちょっと眠いだけでどうってことは無いけどな。京子がなんであんなにキレてんのかは分かんねぇ」


 ま、そのうち直るだろ。

 気軽に言い置いてさっさとトイレから出ていく猿の背中、その残像を本屋はしばらく追う。

 しかし、いくらそうしていても僅かに芽生えた違和感の正体に、答えが出ることはなかった。




 人間は突然変わることがある。良い方向にせよ、悪い方向にせよ、それはそのままその人間の本質として定着する場合もある。

 別に悪いってわけじゃないんだよ、と本屋は心の中で呟いた。

 丁寧な言葉遣いだって、急に自然愛護的な発言をしたって、それで誰かの迷惑になることはない。

 だがそれが本人の意図していないものならどうだろう。

 近くでさっきからぶつくさ言ってる京子も、猿の変化がまるで誰か他の意志がそうさせているように感じているのかもしれない。

 少し変な雰囲気のまま、三人は洞窟風の建造物の前にやって来た。

 入り口には『爬虫類の館』と題打たれており、中は少し薄暗い。

 ここで、またしても猿が思いがけないことを言い出した。

 突然帰ると言うのである。


「帰って勉強したいんです」


 またクソ丁寧な物腰で、普段とは180度なことをたれている。

 あまりの空々しさに、京子はニヤニヤしながら指摘した。


「ははん、お前爬虫類駄目なんだろ」

「爬虫類の何が駄目なんです?」


 普段の猿でも強がりを言う場面だが、この台詞にそんな響きはなかった。

 京子は「こいつマジかよ」と唸る。


「確かに学生の本分は勉強だし、立派だと思うが急にどうした。将来の目的でもみつけたか?」


 また京子が騒ぎだすのを宥める意味も含め、本屋が探りを入れる。

 すると、将来の目的ならある、と返ってきた。


「それは、社畜になることです」


 普段の猿とは180度な夢であった。




 その日、昼には仕事を切り上げてきた宝蔵槍子はいつも通り、ビール片手にだらしない大人を演じていた。

 そこへ突然チャイムが訪問者を告げる。


「なんだよ、ナイター録画を見ようって時に」


 ぶつくさ言いながら彼女はアパートのドアを開く。


「新聞勧誘ならお断りだよ。あたしゃスポーツ新聞しか読まないんだから」


 普段生徒には読めと言ってるのに矛盾したことをほざきながら顔を出すと、まさしくその生徒が3人、戸口に立っていた。先頭に立つ三剣京子は大分切羽詰まった顔をしている。


「先生、猿が、猿がおかしくなっちまったんだ」


 はて、猿こと、洋介・ブラウンが多少おかしな言動をするのはいつものことだが。

 そう思いながら、取り合えず京子の話をカクカクシガジカ聞いてみる。聞き終えると、宝蔵槍子は一瞬驚いた顔をしてから猿に問いかける。


「なぁ、お前、学生にありがちな病気ってことはないか?突然語尾に『~っす』ってつけ始める類いの」

「なんですかそれ、自分ではよく分からないんですが」


 京子の話していた通りの丁寧な物腰に、宝蔵槍子はううむ、と唸る。

 そこへ、本屋が捕捉を入れてきた。


「それは俺も考えたし、実際その可能性もあるけど、何となく違う気がするんですよ。ほら、キャラチェンするにしても猿の夢が社畜ってのはどうかなって」


 病気にしたって方向性に問題ありだと本屋が答える。

 確かに「俺、地球防衛軍を創設するわ」なんて言い出す病気の方がまだ納得できそうだった。

 本屋の意見に頷いてから、3人を部屋に招き入れると、宝蔵槍子は自分の頭の中にある考えを喋り始めた。

 それは、教職についてから間もない頃の、不思議な体験談からくるもの。

 当時、彼女には気にかけていた男子生徒がいたという。

 成績は中の中、口数少なく地味な生徒だったが、ある時突然成績が急上昇した。

 それはよかったのだが、引き換えに前よりもまして無口でほとんど誰とも喋らなくなってしまったのだ。

 彼が休み時間になると屋上に出て、ぼんやり街並みを眺めることが多くなった、そんなおりのこと。

 放課後、彼は屋上に宝上槍子を呼び出した。

 そこから見える景色に何を思うのか。孤独な背中に彼女が声をかけると、「御多忙のところ、申し訳ありません」と男子生徒は前置きし「お別れを言いに来たんです」と、続けた。

 お別れとは何のことだ、転校でもするのかと思う前に、こいつはこんなに物腰の低い態度だったかと、そんな疑問を宝上槍子は抱いたという。

 それは営業マンが客と相対する時の当たり障りない言葉遣い。そんな風に感じたのだ。

 この歳で立派なもんだと思うと同時に、子供に子供らしさがないのは担任としては不安にもなる。『お別れ』などというワードが出れば尚更のことだ。

 だからあえて、宝上槍子は話題をそらした。


「最近随分と成績を上げてるじゃないか。将来の目的でもみつけたか」


 男子生徒の顔に、貼り付けたような微笑みが浮かぶ。


「将来の目的なら最初から決まっています。それは」


 社畜になることです。

 彼の答えは猿と全く同じだったという。




「それで。先生、その生徒はその後どうなったんだ。お別れって一体どういう意味で!?」


 詰め寄る京子を押し留め「ああ、それが不思議なことにな」と、宝上槍子が続きを話そうとしたその時。

 本屋の携帯が着信音を鳴らした。


「ちょっとすみません、応援を頼んでたやつがいるんです」


 そういうと、本屋はテレビ電話のアプリを開き、電話の向こう側の人物と対話を始めた。

 画面に写っているのは、何やら怪しげな機材に囲まれ、デスクに腰かける白衣の人物。


「おう、メガネか。こっちは先生の家に着いたところだが、そっちの準備は……そうか、それじゃあよろしく頼むよ」


 前もって打ち合わせされていたことが伺えるやり取りを済ますと、本屋は携帯の画面を一同に向ける。


「話は本屋に聞いた。試してみたいことがあるんだが、猿、携帯の近くに寄ってくれないか」


 一体何を始めるつもりなのか。

 一同が疑問を抱く中で、猿はメガネの指示通り素直に携帯のそばに寄ってくる。


「これでいいんですか?」

「……」


 いつもと違う態度にメガネはちょっとの間、画面越しに猿の様子を見ていたが、


「ありがとう、それじゃ始めるぞ」


 そう言ってデスクに置いてあるノートパソコンをマウスを使って操作した。

 すると。


「これは……」

「なんだ、この音楽」

「不思議な感じだけど心地いいな」


 ノートパソコンから携帯を通して流れだしたのはあまり聞いたことのない旋律。

 普通、人間は聞き慣れない音やメロディを不快だと感じるものだが、不思議とこれは耳に馴染むようであった。


「なぁ、メガネ、これは一体……」


 本屋が言い掛けた時、京子の焦ったような声が上がる。


「おい、どうした猿!なんで泣いてるんだよ!」


 皆の注目の先、猿の目からさめざめと涙が流れている。


「こ、これは一体。わたくしは何故泣いているんだ」


 猿自身にも理由が分からないようで、困惑の表情を浮かべていたが、それにメガネが答えた。


「遥か昔、お前達がまだ肉体を持ち、母星で暮らしていた頃の音楽だ。かつてお前達が捨て去った感情や希望が揺り動かされているんだよ、宇宙人」


 本屋の携帯に映るメガネは猿を見ているようで、その実、彼の後ろ、あるいは中にいる存在に話しかけているようだった。

 宇宙人。突拍子もない単語に狼狽する一同であるが、京子のうろたえぶりは筆舌しがたく。


「ど、どういうことだよメガネ!猿は宇宙人だったのか!?」

「いや、猿はれっきとした地球人さ。アメリカ人と日本人から生まれたハーフのな。ただそれに宇宙人がとりついている。こいつは知的生命体に寄生するタイプの宇宙人なんだよ」


 メガネの説明は、そう言われてはい、そうですかと飲み込める程、現実味のある内容ではなかった。

 メガネ自身それは分かっているので、このSFのような現象に信憑性を加える為、猿にとりついている宇宙人に話しかける。


「お前達は宿主と完全に同化する間際、束の間に自我を取り戻す。今は目覚めているんだろう?」


 すると不思議な音楽に身を震わせ、項垂れていた猿が顔を上げ、口を開いた。

 猿の中にいる宇宙人、彼はついに自分の存在を認めたのだ。


「ええ、わたくしは仰る通りの地球外生命体です。進化の過程で肉体を捨て去った存在なのです」


 宇宙人は猿の瞳から涙を流しながら、つらつらと身の上を語り始める。


「わたくし達はもともと、地球人となんら変わらない特徴を持つ種族でした。肉体もそうですが、個としての感情、そして希望も含む様々な欲望も持ち合わせていたのです」


 しかし、それは時として争いを生みます。嘆くような、訴えるような声色で宇宙人は繋げる。


「個としての感情や欲望がぶつかりあった時、それが国家間の規模まで膨れ上がると、大きな戦争になりました。その結果、わたくし達は母星を失うことになったのです」


 一度自分達は滅んでいるのだと、宇宙人は表現した。

 そして、その瞬間に別次元、つまり精神だけで生きる生命体に生まれ変わったのだと。


「もう二度とあの過ちを犯さないように、なのでしょう。わたくし達は地球人が持つような人間性を捨てました。感情と欲望を抑え、具体的には、きつい労働を安い報酬でこなせるような精神的耐久力を身に付け、個ではなく群としてスムーズに社会が回るように進化したのです」


 それは、ひとつの種が存続する為だけなら非常に効率の良い生き方なのかもしれない。

 しかしだからと言って地球人である京子達には到底受け入れられない話であった。


「だからって猿の人格を変えていいわけないだろ!」


 叫んだ京子の知る猿は確固たる『自分』を持つ性格だった。やりたいことをやり、気に入ったものを守る為に全力を尽くす、そんなところに彼女は惹かれているのだから。それは、この宇宙人とは真逆の生き方であった。


「そうだ、支配する側ではなくされる側にまわるとはいえ、これは立派な侵略だぞ。その辺はどう思う」


 メガネが問いかけながらパソコンのマウスをクリックする。

 音楽が止み、静けさの戻った部屋に淡々とした答えが返る。


「わたくし達は倫理的な観点を持ち合わせていません。行動基準はいかに争いの起こらない世の中にするか。地球人は放置するとすぐに争いを始め、互いを害する生物です。わたくし達と同化すれば平和になるのですから、全体的に見ればそちらの方が良い結果であると考えます」


 現に。そう宇宙人が繋げた話の先は、聞く者の肌を総毛立たせるような内容であった。


「最初にわたくし達が降り立ったこの日本では、既に同化を済ませた同志達によって社会がまわり始めているように見えます。労働組合は力を落とし、安い労働力で資本家を支える構造……そして、日本は世界でも稀にみる平和主義の国。まさに、わたくし達の理想とする社会が築かれようとしているのです」


 恐ろしい事実に凍りつく一同。

 皆の脳裏に現代人の過労を報道するニュースが浮かぶ。 ニュースキャスターは一生懸命にこの異常さを訴えているが、果たしてそれで世の中変わっているだろうか。 宇宙人の言う方向性で、社会は安定しつつあるのではないか。

 特に後数年で社会に出る学生達は、未だ社会を知らないからこそ得体の知れない不安にかられてしまう。

 たとえ宇宙人にとりつかれていなくとも、社畜を肯定するような社会に巻き込まれては、それに抗うことなど出来ないのだから。

 しかし、この中でただ一人の大人で、既に社会に出ている宝蔵槍子は違う見識を持っていた。


「そうならない為に私達教育者がいるんだ」

「教育者……あなた達には出来るのですか。個を殺さず、争いの起こらない社会を。サービス残業に頼らず運営出来る企業を。利益第一主義に走らない出資者を。生み出すことが出来るというのですか」

「出来ると信じている。少なくとも私は諦めていない。お前のいう生き方は地球人にとって目指すべき生き方ではない。地球人の生き方は地球人が決めることだ」

「戦争で滅んだとしてもですか?」

「そうだ。私達にはな、たとえ死んだとしても守らなくてはならない尊厳がある。お前達とは違う価値観を持っているんだ」


 宝蔵槍子の主張を受けて、価値観ですか、と呟く宇宙人。


「ならばますますどうしようもないことです。価値観が違うからと言って我々が地球から去る理由にはなりません。もとより議論の余地もなかった、ということなのでしょう」

「いや、お前達の中にもまだ人間らしい価値観か残っているはずだ」


 はて、先程価値観が違うとおっしゃっていたようですが、と宇宙人は無表情のまま首を傾げる。

 何か確信があるように、宝蔵槍子は軽く口角を上げた。


「さっきの私の話には続きがあるんだ。『お別れ』と言っていた男子生徒の話だよ」

「それは、間もなく同化が完了して人格が消えるからでは」


 違うんだよ。

 遮るように前置きして、宝蔵槍子は昔話を再開した。




「存在意義を見出だせない?一体どういうことだ」


 男子生徒の語る『お別れ』の理由を聞いて、宝蔵槍子は焦った。若者がアイデンティティーを見出だせずに自らの命を断つ。そんなケースを思い浮かべたからだ。

 ところが、彼はそれを察したように首を横に振る。


「先生が心配するようなことではないです。私という存在がこの体から離れるというだけのことですよ」


 正直、言っている意味が分からず、やはりこいつは少し病んでしまってるのではと宝蔵槍子は思ってしまう。

 そしてそんな心情も察したように、男子生徒は苦笑した。


「真実を理解して貰うには、先生は大人過ぎるので説明に困るのですが、つまるところ、私の目的は潰えたから、ここから去るということです。同化した地球人と共に社畜として世の中を支えるという目的がね」


 夢破れたりは悲しいが、社畜になるという夢ならば破れてよかったのでは。そもそも同化するとはなんのことだ。と宝蔵槍子が返答に困っていると、彼はまた「存在意義ですよ」と、それを口にした。


「地球人と同化して、この世界をより良い方向へと導く。感情、欲望を捨て去った私達に残ったその存在意義だけが、私達を知的生命体たらしめている最後の楔なのです。 ただ宿主に寄生して生きるだけの生物は地球上にもたくさんいますが、それは知的生命体とは呼べません」


 地球人にとりつく、のくだりはともかく、存在意義が知的生命体を知的生命体たらしめているのは確かだと宝蔵槍子は納得した。

 しかし、だとすれば何故彼の『社畜になる』という目的は潰えたというのだろうか。

 宝蔵槍子は教職という立場からして、世論に広く目を向けている人間である。ピンときたのは彼女もまた、現代社会に疑問と苦悩を抱く一人だったからかもしれない。


「……放っておいてもそうなると言いたいのか」


 重々しく彼女の口からでた言葉に、男子生徒――にとりついた知的生命体だと自称する何かは頷いた。


「私達がいてもいなくても地球人は同じ道を辿るでしょう。だから私はこの体から離れます。ここ最近の宿主の変化もそれで治まるはずです」


 結局のところ、この時の宝蔵槍子には、男子生徒との会話が妄想からくるものなのか、はたまた本当に人外の者がとりついていたのか判断は出来なかった。

ただ「それではサヨウナラ」と言う前に、感情を捨てたはずの彼は「ありがとう」とも言ったのだ。

 いつも気にかけてくれていたことを忘れません、と。

 その後、我にかえったように「あれ、ここは?先生、僕は一体何を……」と困惑する男子生徒に宝蔵槍子は訊いてみた。


「お前の夢は何だ?」

「あの、花屋になりたいです。植物育てるのが好きなんで」


 男子生徒ははにかみながら、しかし希望に目を輝かせてそう答えるのであった。




「そんな、まさか」


 宇宙人は絶句した。

 そして。


「今この国に起きている変化は地球人自ら招いたことだというのですか」


 ぶつぶつと自問するように呟いている。


「精神生命体であるお前達はテレパシーで意識を共有出来るはずだ。どうだ、仲間を感じられるか?」


 何故か宇宙人の事情に詳しいメガネが問うと、視線を落とす。

 それが答えだった。


「ならば、同志達は一体どこへ」


 メガネは黙って人指し指を空のある方へ向けて見せた。


「お前が最後の一人だ。大気圏と宇宙の境目で、仲間が待っているぞ」


 しばしの沈黙、その後に。宇宙人はふっ、と笑った。

 それはまるで、捨てたと言っていた感情を取り戻したように。


「地球人は不思議な生き物ですね。これ程にわたくし達の生き方と同調する知的生命体は今までいませんでした。にも関わらず、それに抗おうとする意識もまた強い。正直困りましたよ。普通わたくし達が宿主に影響を与えることはあっても、その逆はないのですが……」


 ふふ、地球防衛軍ですか、と宇宙人は笑う。


「本気で目指しているんだから性質が悪い。この少年の描く夢、無限の希望、熱に、危うくわたくしの方が飲み込まれそうになったんですから」


 もしかしたらたとえ自分と同化しても、猿という個がねじ曲がることはなかったかもしれない。宇宙人は何故か嬉しそうにそう語った。


「なぁ、これからどうするんだ。他の星に移ってまた社畜の世界を目指すのか」


 それが良いことなのか、悪いことなのか。

 本屋は皆よりも少し引いた、公平な観点から問う。自分達は御免被るが、本当に社畜の世界の方がマシな、血で血を洗う星もあるかもしれないと考えたからだ。


「突然生き方は変えられないので、多分、そうでしょうね。でも地球に来てわたくし達はあくまで妥協の選択をしているのだと思い出すことが出来ました。地球人には諦めないで欲しいと、『個人』的には思います」


 明らかに変化のあった宇宙人の様子に、京子は無責任で真っ直ぐな思いを投げる。


「お前らも諦めずに頑張れよ。その方が人生楽しいぞ、絶対に」


 人生楽しく。

 それは宇宙人にとって強烈で、新鮮な考え方であったろう。驚いた顔の後の「ありがとう」には、どのような思いが込められていただろうか。

 推し量ることは地球人には不可能だが、とにもかくにも猿にとりついた宇宙人、精神生命体の新たな旅立ちである。


「それではお別れです。皆様どうかお元気で」


 宇宙人は立ち上がると、ペコリと丁寧なお辞儀をする。最後まで物腰の低いやつだったと、皆の印象に残ることだろう。

 とりついていた、という悪辣さはともかく、結果的にこの出会いは地球人にとって意味深い物であった。

 自分達が直面している問題に向き合えたのだから、感謝さえ沸いてくる。

 間際は温かい眼差しの中で。

 宇宙人は一つ、にこりと微笑むと、空の彼方へ消えていった。……いや、消えていったのか?

 特にエフェクトもなく、なにしろ姿形のない生命体だったのでよくわからない。ポツネンと佇む猿を一同が見つめるという、妙な間が出来てしまった。

 たまらず京子は猿に話しかける。


「おい、猿。猿、だよな?」

「ん、ああ、京子か。血相変えて一体どうした」


 猿は辺りをキョロキョロ見回し、想定外の場所にいると気づく。


「なんだここ。まるでガサツなせいで結婚できない独身女性の部屋ってかんじだけど」

「寝ぼけているようだから目を醒ましてやろう」


 宝蔵槍子のアイアンクローを喰らう姿をして、ようやくいつもの猿が戻ってきたのだなと安心する一同であった。




 安心したら腹も減る、ということで、こんな時はやはりミドリ食堂である。

 京子は初めての来店であり「ここが男子共の溜まり場なのか」と興味津々で大衆食堂然とした店内を見渡している。

 そこへ、男子達から「唐定」と略称されるまで馴染まれた唐揚げ定食を盆に乗せ、バァさんがやって来た。


「はい、お待ちよ。しっかし、あんたらがこんな可愛らしいお嬢ちゃん連れてくるなんてねぇ」


 ニヤついた視線を京子に向け、それから本屋と猿にスライドさせる。


「むさ苦しいところだから、華があるってのはいいもんだ」

「バァさん、私も可憐な乙女なんだが」


 宝蔵槍子の寒い発言に無言で寒い視線を返してから、それじゃあゆっくりして行きなと、バァさんは厨房に帰っていく。


「あんのクソババァ」


 いきり立つ担任は置いておき、生徒達は楽しい食事を始めた。

 一口唐揚げをかじった京子が「うまいな」と顔を綻ばせ「だろ?」と男子達が得意げな顔をすれば、そこから会話が発展していく。

 いつしか話題が今回の事件、宇宙人の話になったのは自然な流れであった。


「やっぱり宇宙人はいるんだな。だとすると地球侵略を狙う悪党もいるかもしれないってわけだ」


 猿が唐揚げと共に白飯を飲み込むと、京子が味噌汁の椀を置いて頷く。


「今回のは割りとましな方かもな。そう言えばお前、地球防衛軍を創るんだって?私が長官やってやろうか」

「馬鹿言え、俺が創る地球防衛軍の長官がなんでお前なんだよ。長官は俺に決まってんだろ」

「じゃあ私はエースパイロットな」

「あっ、ちょっと待て。それも捨てがたいなぁ」

「なぁ、俺は?」

「本屋はあれだ。物語中盤で玉砕する……」

「そうそう、最終話であの世からちょっとしたアドバイスを送る」

「そりゃないぜ」


 生徒達の会話を聞きながら、宝蔵槍子は静かにほほえんでいた。

 若人よ、大いに妄想しろ。夢を描け。

 たとえ時を経るうちに現実を突きつけられても、この時の語らいは決して無駄ではない。

 熱を、希望を持ち続け、妄想の中から自分の出来ることを探す。

 あるいは出来るように努力して、現実とする。

 そんな風に、人は人生の目的を見つけてゆくのだから。


「ふぅ、ごちそうさん」


 さて、ぶっきらぼうでも一応は胃袋の小さい女子ということで、京子は男子勢よりも少し遅れて箸を置いた。

 コップの麦茶を口に運び、一口飲んだところで横目をやると、既に食べ終えた男子達の姿が視界に入る。

 本屋は何やら古い漫画本を夢中で読んでおり、そして猿は。


「ワレワレハウチュウジンダ」

「やめろっつーの」


 懲りない馬鹿の頭に京子の竹刀が炸裂するのであった。

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