ポストけいどろ
この日、高校生になる海原かもめは少し緊張気味に家を出て、通学路の横断歩道で信号を待っていた。
高校デビューなどという気はさらさらなくとも、新しい制服の感触は否応なしにこれからの学生生活に期待と不安を抱かせる。
一生物の出会い。その足音が聞こえてくる気がする。
…というか既に隣にいた。
「第一印象を大切に。さわやかな笑顔、さわやかな笑顔」
何やらスラリとそこそこに長身の女子が、ぶつぶつと丸聞こえの独り言を呟いている。
(あれこの人、竹刀持ってる)
かもめがまず気づいたのは、腰のベルトに提げられたそれであった。こんな時代劇みたいに持ち歩くものなのか疑問だが、剣道のことはまるで知らないので変なのかどうか判断はつかない。
(剣道部の人かな)
だとしたら先輩ということになるが、よく見れば襟元についてる校章はかもめと同じ一年生の色であった。
なら剣道部志望なんだろう。かもめは結論付け、竹刀持参なんてなんというやる気、と感心した。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。あんたみたいにやる気のある新入部員なら、きっと剣道部の人達も大歓迎だよ」
ちょっとおせっかいかなと思いつつも、竹刀女の真面目ぶりに心を打たれたかもめは励ましの言葉を送る。
ところが返ってきたセリフは予想外のものだった。
「いや、私は君に話しかけようとしていたんだ」
「は?」
「高校生になったら絶対友達作るって決めてたんだ。さぁ、今からさりげなく天気の話から入るからちょっと待っててくれ」
「いや無理だから。今さら全然さりげなくないから」
あ、このひと真面目じゃないわ。変な人だわと、この時かもめは悟ったという。
「いやあ、かもめって名前なのかぁ。どっかに飛んで行っちゃいそうないい名前だなぁ」
「それ褒めてるか?」
結局、成行き的に二人は一緒に学校へと向かう。竹刀女、もとい三剣京子はやたら高いテンションで喋っていた。
「海原かもめに渾名を贈らねばならんな。『つっこ』とかどうだ?」
「なんだそれ!?あ、まさか私がツッコミ属性だからとかそんな意味か!?」
「分かりやすくていい渾名だろう?」
「それならあんたは『しないもちこ』な」
「えっ…」
「なんでドン引きしてんの。同じ系統のセンスでしょうが」
「ええ~と、つっこ、つっこと…ないな」
京子が靴箱ルームの一角に貼ってあるクラス割り当て表をキョロキョロと見渡す姿を眺め、つっこは呆れかえっていた。
「そこに『つっこ』なんて書いてあったら明日から登校拒否るわ」
そして二組の紙を指さして、
「ほら、ここに海原かもめって書いてある」
「ってことは私と一緒だな!やった、やったぁ」
「ちょ、ちょっと。人が見てるから抱きつかないで」
「つっこと一緒、つっこと一緒~」
(くそ、ちょっとかわいい)
教室に着けばある意味戦場が待っていた。
高校生活にスタートダッシュをかけられるか。今からHRまでの短い時間にそれがかかっていると言っても過言ではない。
既に教室にはいくつかのグループが出来ており、それぞれが更なる拡大を図って勧誘に勤しんでいる。
「おっ、海原じゃーん」
つっこに話かけてきた女子も、そんな風に教室中を顔見せしながらまわっている一人であった。
「おっす、飯塚。同じクラスだったんだね」
「ねぇねぇ、あそこの男子、誰だか知ってる?なんと真砂原中の崎原君!」
「あー、確かサッカーすごいんだっけ?」
「中学総体だよ、中学総体!でさ、私さっき友達になったんだけど、海原にも紹介してあげようか?」
「ああ、それじゃあ後で挨拶しにいくよ。今は混んでるみたいだし」
とてもじゃないが、あの人だかりの中を割っていく勇気はつっこにはなかった。
「あちゃー。いつの間にか凄いことになってる。崎原くん人気者だからねぇ。私が言えばどいて貰えるけど、そんなことしたら海原が白い目で見られちゃうもんね。うんうん、分かった。それじゃあ後でおいでよ!」
なんだか勝手に納得すると、飯塚は次のターゲットへ移っていった。
「今の、中学の友達か?」
「まぁ、会ったら話すってくらいのね」
「友達じゃないのか?」
「友達にも色々あるからね。あいつは浅く広く交友関係を持つタイプ」
大抵そういうタイプは派閥意識を持っていて、クラスのトップグループを形成するものだが、どっちかというとつっこは苦手なやり方であった。
「私はそういう付き合いは社会人になってからでいいや」
「なんか引っ越し蕎麦を配って歩く人みたいで大変そうだもんな」
京子の表現に、成るほど言い得て妙だとつっこは思った。
「おい、かもめ」
「大変だつっこ、男子が話しかけてきたぞ!」
「ん、ああ、雪尾じゃん。あんたも2組なんだ」
「腐れ縁もここまでくると凄いよな」
「なんせ小学校から同じクラスだもんねぇ。あ、京子、こいつは雪尾翼。中学で一緒だったんだ」
つっこの言葉を聞いているのかいないのか、京子は固まっている。
「…SEXしたのか?」
「「してねーよ!ただの幼馴染だっつってんだろ!」」
ツッコミが見事にハモったところを見るに、SEXはしてなくてもなかなか仲はいいらしい。
「ったく、いきなり何を言い出すやら。それはそうと雪尾、そっちのパーマは誰なの?」
話を振ると、パーマ自身が待ってましたとばかりに喋り始める。
「俺は貝柱保だ。雪尾君とは以前ビブリオバトルで会っていてね。まさかこんな所で再会するとは思ってなかったよ」
説明しよう!ビブリオバトルとは、いかに観客の心に響く本の紹介が出来るかを競う、知的書評合戦である。
「いやぁ、コミュニケーションが苦手だと言っていた割には雪尾くんはリア充みたいだな。こんな可愛らしいお嬢さん方と知り合いだなんて」
貝柱はメガネをくいっと持ち上げながら歯の浮くようなセリフを吐いた。ぶっちゃけ美形ってわけではないので胡散臭い感じになっている。
「よし、お前の渾名を思いついたぞ」
突然、京子がポンと手を打って言った。
「今日からお前は『中身だけチャラ男くん』な」
「うわぁ」
そのあんまりなネーミングに貝柱は本気の悲鳴をあげた。
「京子、さすがに可哀想だよ。長いし」
「ならどうすんだよ。あ、お前、実家は何やってんだ?」
「俺んちか?本屋だけど…」
「じゃあ本屋」
「ツッコむとさっきのやつにされそうだから、もうそれでいいよ」
本屋はトホホと諦めの溜息をつき、それを見ていた雪尾はとても嫌な予感がした。
「で、お前の実家は何やってんだ?」
「俺んちはラーメン屋だけど。まさか渾名はラーメン…」
「マンをつけて欲しいか?」
「マンは絶対につけるな」
このようにして新たな出会いと新たな渾名を獲得しつつ。彼らの慌ただしい朝がすぎてゆくのであった。
昼休みがやってきた。この時間は朝のグループ争奪戦の結果発表みたいな時間である。
和気あいあいと集団で昼食をとる者、寂しそうにぽつねんと独りで食べる者、むしろ独りの方が落ち着くと言わんばかりに澄ました顔をしている者と、様々であった。
つっこはまぁ一人でいるよりわね、といった感じで、朝方知り合った面子で食事をとるのだった。
「おい、ラーメン。ラーメン屋なのに弁当は普通なんだな」
「あのな京子、当たり前だろ。鞄からどんぶり出してきたらみんなドン引きだぞ」
「こいつ自分で弁当作ってるんだよ」
「うっそマジ?今度俺の分も作ってくれない?パンだと味気なくてさぁ」
「男の手作り弁当うれしいか?本屋」
と、それなりに会話が弾んでいる。
その近くで、一人黙々とバナナを齧る少年があった。彼は男子にしては小柄であり、何より目立つのがその短く刈り込まれた金髪だった。
(不良かな)
(不良?)
(ヤンキーゴーホーム)
しかしその目つきの悪さは悪党の圧迫感はなく、どちらかというと。
(猿みたいだな)
(餌をとられまいと警戒する猿)
(猿みたいだけど失礼だから黙っとこう)
つっこ達が目を合わせないように気を付けていると、少年は急に呟いた。
「俺は…群れない」
「ふーん」
誰もそんなこと訊いてないので、つっこの口からも興味なさそうな声が出る。しばらくモシャモシャと皆黙って食事を進めていた。
そして。
「おい、猿。唐揚げやるからこっち来い」
「ちょっと京子、あんまり関わらない方がいいよ。ほら、怒ってるんじゃない?」
見ると少年はプルプルと震えている。不良とは何が原因でキレるか分からないのだ。いや、いきなり猿呼ばわりされればキレても仕方ないのだが。
ところが少年の口から出た言葉は実に情けない声色だった。
「いいのぉ?」
そしてガタガタっと慌ただしく席を立ってつっこ達のもとへ駆け寄ってきた。
「俺本当は寂しくて…」
「うむうむ、いいんだ。ほら、唐揚げやるから泣くな」
「いや、それ俺のだから。まぁ、いいけどよ」
そんなこんなでラーメンの唐揚げ一個と引き換えに猿みたいな仲間が増えた。と、いうかつっこ達の中で呼び名は猿に決定していた。
「しかし猿は派手な頭してるな」
「実は俺ハーフなんだよ」
「なんか残念なハーフだな。顔は超絶日本人なのに」
「もしかしてよく不良に間違われないか?」
「いや俺、実際超悪いやつだから」
「はいはい、そういう時期を抜けきれてないのね」
既に猿のことを猿としか見ていないつっこにとって、猿の言動はただの病気にしか思えなかった。実際、つっこの兄が昔かかっていたあの病気。
「ああん?何だとブス!」
そしてこの病気に侵されている者は無闇に凄んで見せたりして、結果、両方の頬に真っ赤な紅葉を咲かすのである。
すっかりしょげ返ってしまった猿の肩に、ポンと本屋の手が置かれる。
「金輪際、ボス猿に歯向かうのはよせ」
「うん…」
この群れの主導権は、どうやら女子陣営にあるようだ。
カラオケ行こーぜ!
帰りのHR前ともなれば、そんな声がチラホラと教室のあちらこちらで上がっている。今日できたばかりの友人関係をより強固なものにしようというのだ。
「どうする?俺たちもカラオケ行くか?」
本屋が提案すると。
「ああ…カラオケ、ね」
「楽しいよねーカラオケ(棒)」
「私も毎日行くわ、カラオケ」
「唐揚げ旨いよな」
などなど。乗り気でない返事が返ってくる。
(こりゃあ、この手の遊びには不慣れなメンツだな)
本屋はすぐに察して何か他にないか考えだす。そういう辺り割と空気の読める男であった。
「それじゃあ無難に喫茶店で…」
「ケイドロだ!」
「何故っ」
こうして京子の一声で、親睦会は非常に低年齢なものに決定した。
放課後になり、ビブリオ二人組は文系の部活を見学に、猿はその付き添いということで、つっこは京子と二人で校舎を出ることになった。勿論ケイドロが反故になったわけではなく、後から川沿いの公園に集合が決まっている。
「うわぁ、凄い人だかりねぇ」
靴箱ルームから校門までの道を眺め、つっこが歓声をあげた。
さながらそこはお祭り模様。出店のように長机が並べられ、先輩方の熱烈な部員勧誘合戦が繰り広げられていた。
外での勧誘はアクティブな部活が、というわけか知らないが、主にスポーツ系が集まっているようで「一緒に汗を流さないか!?」とか「充実した高校生活を!」だとか、爽やかな笑顔がつっこ達にも向けられる。
つっこはその気がないので適当にあしらいながらも、このいかにも青春!という雰囲気を楽しみつつ校門に向かって足を進めていた。すると。
「ああ、君、君。こっちだよ」
一人の先輩がやってくるなりそんなことを言った。その先輩は制服だったが、彼の指さす先には何人か胴着を着た男女がいて、みな京子に手を振っている。
「そうだ、あんたケイドロなんてやってる場合じゃないでしょ!」
つっこは大事なことを思い出したとばかりに大声を出した。
「あん?」
「ほらほら、ぼさっとしてないで挨拶しなよ。ああ、先輩、この子は三剣京子っていいまして、ちょっと変わってるけどやる気は人一倍!」
「うん分かるよ。自分の竹刀を持って来る子は珍しいからね。もしかして中学で有名な選手だったり?」
先輩の声には期待が籠っているし、後ろの先輩方の視線も同じ。つっこだってこれから京子が歩む剣の道を応援する気満々だった。
ところが。
「いや私、剣道部には入らないから」
「「はぁ?」」
つっこと剣道部の先輩は揃ってポカンと口を開ける。
「それじゃああんた、その腰に吊ってる竹刀はなんなのよ!」
目を三角にしてズビシと指を突き付けるつっこであったが、京子は平然としており、そして言ってのけた。
「そりゃカッコイイからだろ」
ひぃっ。
怖いっ!
その瞬間、周囲の人間は1メートル後退り、大きく仰け反るのであった。
ケイドロ。またはドロケイ。
警察組と泥棒組に分かれ、警察組は泥棒組を捕まえることを目標とする。捕まった泥棒は刑務所をイメージしたエリアに入れられるが、まだ捕まっていない泥棒にタッチされれば晴れて脱獄、再び逃亡することが出来る。
「と、ルールはこんなだっけか?」
警察組に抜擢された本屋が同じく警察組になった京子に確認すると、なぜだかギロリと冷たい視線が返ってきた。
「その態度は何だね?このノンキャリ風情が!」
そして、本屋の顎を人差し指でくい、と上げると。
「君の人事は私が握っているのだ。口のききかたには気を付けたまえ」
そう言い捨てて後ろ手を組みながらスタスタと歩き出す。本屋は呆然と立ち尽くし、呟いた。
「俺の知ってるケイドロとなんか違う」
30分間二人以上逃げ切れば泥棒組の勝ち。逆に全員捕まるか、二人捕まった状態で30分経過すると警察組の勝ちであり、敗者は罰ゲームを受ける。
つっこは刑務所エリアから少し離れた階段に身を潜めながら、その罰ゲームについて考えていた。罰ゲーム=自分の良いところを一つ発表すること。
(絶妙に恥ずかしい罰ゲームだ!)
えっとー、自分うなじが綺麗ってよく言われるんですー。
(はぁぁぁっ!死ね!死ね!)
脳内で調子こく自分をギッタギタにぶちのめしていると、声が近づいてきた。
「ホシは海原つっこ。ピンポンダッシュの常習犯だ。手榴弾を所持しているというタレコミが入っているから気をつけろ!」
「何故ピンポンダッシュごときに凶悪な装備を…てか警視正的なキャラは現場に出ないんじゃ」
「今は刑事長と呼びなさい」
「うわぁ、めんどくさい!」
なんか自分がアホの犯罪者にされてる!と、つっこは叫びそうになるのを抑えてそろそろと動き出す。
そして、お約束のように小石をジャリっと踏んだ。
「刑事長!」
「うむ、確保だチンタオ!」
(チンタオってなんだよ!ああ、青島か…)
心の中でツッコんでから即納得という小器用な芸当をやってのけつつ、それどころじゃないと慌てて駆け出す。しかし追ってくる本屋はヒョロでも男子、このままじゃ追い付かれてしまう!
「気を付けろ!追いつめられると手榴弾が飛んでくるぞ!」
「やめろ、つっこ。手榴弾なんて絶対なげるなよ!」
(くそ、恥ずかしいけどここはその設定に乗るしかない!)
多分こいつら馬鹿だから大げさにリアクションとるだろう。その隙に逃げてやる!とつっこは考え、見えないピンを口で抜き。
「これでも喰らえ!」
見えない手榴弾を本屋に投げつけた。
「えっ、何?」
「あっるぇー、つっこ何か投げた?」
「あ~、ぷすっ。きっと真面目に設定を演じてくれたんじゃないですかい?うぇへへへ」
「あっちゃ~」
そんなに笑っちゃ悪いよと言いながら爆笑する本屋は忘れていた。昼間に猿がどんな目にあったかを。
「危うく殉職するところだったな」
「凶悪な犯人でしたね」
ほっぺたに引っ掻き傷ができた本屋はさめざめと涙を流す。割と大きな木を中心に設営された刑務所エリアの中ではつっこが「ガルルル」と獣の唸り声をあげていた。
「さて、次はラーメンだな。近くまで来ていると思うが」
「へぇ、どうしてそう思うんだい?」
「ラーメンはそこそこ賢い感じだからな。各々が適度に逃げて中盤で二回程脱獄かませば勝ち確定、くらいの計算は出来てるはずだ」
「なるほど。あまりにもつっこが早く捕まってしまった為に計算が狂ったと。なんか急にちゃんとケイドロしてる!」
この一人捕まっている状態は、30分間二人以上逃げればという少し特殊なルール上、とても重要な意味を持っている。泥棒組は敗北条件に王手をかけられているので、そのまま残り二人で逃げ回るか、脱獄を仕掛けるかの二者択一をしなければならない。どちらにもメリット、デメリットがあるのだが、重要なのは二人捕まったらほぼ詰みであるということだ。当然ながらその瞬間から警察組は刑務所エリアの防衛に回り、30分経過を待つ戦法に切り替えるだろう。
「脱獄を仕掛けるのはもちろん諸刃の剣だが、このパターンならまず仕掛けてくるだろう」
長時間逃げ回るのは難しい。何故ならば大抵ケイドロのルールに課せられる逃亡エリアの制限が今回も採用されているからだ。加えて逃げ回る方は一人なのに対して追う方は二人でいける、という点も理由にあがる。ただの鬼ごっこなら警察組に分がある。であるからして、序盤でこの状態になったなら必ず泥棒組は仕掛けてくると京子は読んだ。
「問題はどのタイミングで、何人で来るか、だが…」
「二人逮捕でゲームオーバーと同義と割り切るなら二人で来そうだけどな。一人囮になって」
「こっちもいつまでも刑務所エリアに陣取る訳にはいかない。最低一人は犯人を捜しに離れないといけないんだが、そこで提案がある」
京子の提案とは、互いの行動にブロックサインをつけようというものだった。ここから先はよりチームワークが重要となり、なおかつ相手に行動を読まれないようにという配慮だ。出来るだけ2体1になる隙を与えないようにしようと示し合わせ、まずは本屋が偵察に出る。打合せ通り、決められた近場の隠れ場所をあらかた捜すと刑務所エリアに戻ってくる。
その間京子はぐるぐると木を中心に刑務所エリアを巡回し、本屋が戻ってくると少し間をおいてまだ探していない方へ偵察に出る。
いちいち交代する理由は、泥棒組に脱獄のタイミングを掴ませない為だ。
先のブロックサインについては「見つけた」「見つけたが、向こうが気づいていない」「一度戻る」「追いかける」「突撃要請」「突撃フェイク」と決めたが、今のところ「一度戻る」のサインしか出番はなかった。
(変だなもうあまり時間もないのに、動きがない)
徐々に探索範囲を刑務所エリアから遠くへ移しながら、京子は首を傾げていた。予想外に、泥棒組はこのまま逃げ切るつもりだろうか。だとしたら愚策だと京子は考える。警察組は探索エリアを文字通り虱潰しに埋めており、もう隠れられる場所もあまり残っていない。
(時間ギリギリで二人目が捕まってしまえば勝負は決まってしまうが…)
そう思いながらトイレの裏にまわった時だった。
「あっ」
「ラーメン、こんなところにいたのか!」
最早ブロックサインの見える距離ではないので京子はそのまま追いかけることにした。目印の木が小さく見えるくらいに刑務所エリアから離れていれば、泥棒組が連携する心配もないし、運動神経に自信があるので、いくら男子とはいえ文学少年に後れを取ることもない。
少し逃げ回ったものの、程なくしてラーメンはお縄につくことになった。
「これで決まりだな。泥棒組は作戦とかなかったのか?もっとやりようがあったと思うが」
「はぁ、はぁ…作戦なら、あるさ」
走り回ったせいで荒い息を吐きながら、ラーメンは不敵に笑って見せる。
「どうしてつっこは初めから刑務所エリアの近くにいたと思う?」
「何?あれはわざとだったのか?」
「そうさ。加えてルールでは捕まっていない泥棒組の刑務所エリアへの侵入を禁止していなかった」
「まさか…」
「猿のやつ、渾名どおり木登りが得意だって言ってたからな。お前らがつっこを追っていた時に潜り込ませたのさ」
やられた!と、京子は額に手をやった。まさに灯台もと暗し。脱獄のキーマンはずっと自分達の頭上にいたのである。今ごろ隙をついて木から降りた猿が脱獄を成功させ、刑務所は空になっているに違いない。
いや、そのはずだったのだが。
「なんで捕まってんだよ!」
刑務所エリアに連れられてきたラーメンが見た光景は、つっこの横で頭をかく猿の姿。
「いや、木の上からバナナの皮が降ってくるんだもん。さすがに気付くぜ」
本屋が苦笑気味に言うと、ラーメンはガックリ項垂れた。
「すまん、すまん。腹減っちまって…」
そこまで猿そのものなのは如何なものか。彼に頭脳プレーを求めたのがそもそも間違いだったと、つっことラーメンは後悔するのであった。
もうだいぶ葉っぱの混じった桜が夕陽を受けている。
こんな桜も綺麗なもんだと思いながら、つっこは家路を歩く。
京子の横顔もオレンジ色がかかり、どこか嬉しそうに見えた。
「ん、どうした?」
「機嫌よさそうだなって」
「ああ、今日は上手くいった。学生生活で一番上手くいったよ。やはり友達とはいいものだな」
今まで友達いなかったの、という質問をつっこは飲み込んだ。ケイドロだ何だとよく分からない一日だったけど、楽しい気持ちに水を差したくなかったからだ。
「これがリア充というものか」
「いや、それは違うと思う」
自分も楽しんでいたのは認めるけれど、リア充というにはシャレオツ感が不足していると思うつっこであった。
何はともあれつっこと少し変わった友人達の高校生活がはじまった。
この出会いを偶然、あるいは運が良かったと言う人がいるかもしれないが、まずは隣を見て欲しい。
一生物の出会い。
それは案外、同じ信号を待つその人かもしれない。