ポストお泊まり
コツコツと床を歩く音が響く。
今は国語の授業中であり、生徒達は古文の翻訳に勤しんでいた。
そんな、静かな教室を巡回するのはつっこ達の担任でもある宝蔵槍子 。
彼女にとってこの時間は戦いの時間である。
何と戦うかというと。
(こいつ……)
三剣京子が腕を枕に堂々と眠っている。
そして、瞼の上にはマジックペンでパッチリとした目が描かれていた。
あまりにもバレバレで古典的なやり方が、いかにも人を馬鹿にしている。宝上槍子のこめかみに青筋が浮いたのは当然であった。
速やかに京子の頭へ拳骨を落とすと、宝上槍子は巡回を続ける。
すると、糸子こと香月花梨が不動の体勢でじっと教科書を眺めている光景に出くわした。
(これは……強敵だ)
彼女の目が開いてるのか閉じてるのか一瞥で判断できるのは産みの親くらいのものだろう。
(こいつは相当マイペースな性格をしているからな。もしかしたら凄く集中しているだけかもしれないし)
下手な誤解で叱りつけてしまうと、真面目に課題に取り組む生徒の邪魔をしたことになってしまう。
それは教師としてあるまじき醜態だと宝蔵槍子は考え、葛藤に悶え苦しむ。今の彼女には糸子の顔が自分をせせら笑っているような悪どい顔に見えた。
普段から笑っているような顔をしているので何も変わらないのではあるが。
(くそっ、どうしたらいいんだ!)
答えが出ずに、頭の沸騰した宝蔵槍子が心の中で叫び声をあげた、その時。
プーっと、それは見事なちょうちんが糸子の鼻から膨らんだ。
「よし」
「お宅のお子さん二人の居眠りに困っているんだが……」
「誰が私の子なんですか!」
突然宝蔵槍子に呼び出されたつっこはそんなことを言われて大声をあげた。
「いや、ペットの不始末は飼い主の責任だろ?」
今度はペット扱いと、口の悪さは相変わらずの宝蔵槍子であったが、つまるところ「お前のグループでだらしないやつがいるからお前がなんとかしろ」と言っているのだ。
「うわぁ、何それ面倒くさぁ」
とはいえ、何となく自分の役割を受け入れているつっこは渋々ながら了承すると、教室に戻ってくる。そこにはたんこぶのできた頭をさする、件の二人組の姿があった。
「宝蔵先生の授業で居眠りなんて、なんでそんな無鉄砲するかなぁ」
「次はバレずに眠ってみせます」
「坊っちゃん風に答えてもダメだよ!あんたは深夜にプロレスとか見てるからでしょうが!」
京子が居眠りをする理由は明白だった。単純に夜更かしである。
「だって面白いぞ?プロレス。特にブーメラン吉川の自滅攻撃なんか……」
「詳しく話さなくていいから。それで?糸子はなんで居眠りするの」
「なんで?何でだろう……」
自分で自分のことが分からない。
糸子にはよくあることなので、つっこは答えが見つかるまで待つことにする。
すると糸子はうんうん唸りながら自分の生活の中に原因を探し始める。彼女は天を仰いだりマンダムのポーズをしてみたり、ひとしきり考えを巡らせた挙げ句。
「グゥ」
「寝るんじゃねぇぇぇぇ!」
これは自分の目で確認する以外突破口はないと、つっこは糸子宅に泊まり込むことを決意したのだった。
「友達の家に泊まるのなんて初めてだ」
「私も友達を家に呼ぶのは初めてだな。そもそも友達がいなかったんだけど。だからこそ楽しみだ」
「遊ぶのもいいけど、主な目的は糸子の居眠りの原因を探ることだからね」
糸子の家に向かう道中、わいわいテンションを上げている二人につっこが苦言を呈する。宝蔵槍子の命じたミッションに京子は必要どころか邪魔にしかならないだろうが、どうしてもというので一緒に泊まることになったのだ。
あんたプロレス見ようとしたらすぐ止めるからね。
ついでに京子の夜更かしも妨害してやるとつっこが決めたところで、 糸子宅に着いた。
「あら~、いらっしゃい」
事前に連絡を受けていた糸子の母親がニコニコ顔で出迎える。
「お母さん、ただいま」
「どうも。三剣京子だ」
「お邪魔します。海原かもめといいます」
二人が自己紹介すると、糸子の母親は嬉しそうに目を細める。
「花梨が友達を連れてくるなんておばさん感激よ。お菓子と飲み物持っていくから、花梨の部屋でゆっくりしていて頂戴」
おばさんに言われるままに、糸子に連れられて一行は二階に上がる。いくつかあるドアのうち、一つが糸子の部屋であった。
「特に変なところはない、普通の部屋だね」
糸子のことだから蝉の脱け殻でもコレクションしているかと思ったが、なんてことはない、適度に生活感のあるありふれた部屋という感じであった。
あえて言うとすれば、女子高生の部屋にしては飾り気がなく、置いてある漫画本も少年向けであるくらい。
それでも何か、糸子の居眠りに繋がる物はないかとつっこが見回すと、四角い箱が目に入った。
「おっ、パソコンあんじゃん。もしかしてあんた、夜中にネットばっかしてるんじゃないの?」
「パソコンなら得意だぞ?」
糸子はそう言いながらパソコンに近づき、ボタンを押して起動させる。
そして、マウスを動かすと画面の中から一つのアプリケーションを選択した。
「マインスイーパー?」
「へぇ、マインスイーパーってゆーのか、これ。これはここをこうして押すと……」
つっこの目の前で糸子が並んだセルの一つをクリックする。
すると、爆弾を踏んだことを意味する演出と共に、ゲームオーバーとなった。
「ほら、一発で爆弾が見つかっただろ?」
「遊び方間違ってるよそれ……」
割りと豊かな胸を反らしてどや顔をする糸子を可哀想な目で見るつっこであったが、それはともかく。
「ネットは?」
「ネットってうちの弟がやってるやつか?」
ティーンエイジャーにあるまじきとぼけた答えを糸子がほざいたその時、部屋のドアがノックされた。
「姉ちゃんパソコン使っていい?」
ドア越しに聞こえた声の主は、どうやら話題に出た弟のようだ。糸子が返事を返すよりも早く、京子が勝手にドアを開ける。
そして見慣れぬ二人の存在に驚く弟に向かって「いいぞ、入れ」と、大変意味深な笑顔で言うのだった。
「あ、いや、すみません。お邪魔しました」
それだけ残し、慌ただしく自分の部屋へ去っていく弟。
「なんだあいつ。人見知りかな?」
糸子は弟の意外な一面を見たような顔をしていたが実際は違う。
京子の笑顔を見た彼は本能で危険を察知していたのだ。
自分の部屋に退避した彼は荒い息を吐きながら呟いた。
「危ねぇ、オモチャにされるところだった。あれはそういう目だ」
「しっかし、パソコンも原因じゃなさそうだね。まさか徹夜でマインスイーパーやってるわけないし」
しかもあんな自己流ルールである。もし一晩中やってるとしたらかなり危ない人だ。
くくく、三連続数字だ。今回は手強いな。
ちょっと病んでしまっている糸子の姿を頭から追い払うと、とりあえずつっこは女子トークを楽しむことにした。
「それにしても弟さん、あんまり似てないね」
「特に目がな。むしろ大きかったぞ」
「ああ、悟はお母さん似だから」
「てことは糸子はお父さんに……」
つっこが言い終わらないうちに、再びドアがノックされる。 返事を待ちもせずにいきおいよくドアを開けたのは、スーツ姿の男性だった。手にはお菓子と飲み物の乗った盆を持っている。
「花梨が友達連れて来たって!?ああ、どうも、どうも。私は花梨の父親をやっている者です。いやぁ、花梨が友達をねぇ……」
感激のあまり涙ぐんでいる男性の顔を見て二人は思った。
((間違いなく父親似だ!))
「あなた、お菓子を置いたらさっさと帰ってきなさい!」
「ごゆっくり~」
オメメパッチリの母親に引きづられ、糸目の父親は名残惜しそうに退散していく。
成る程、糸子ファミリーだなぁとつっこは微笑ましい気分になるのであったが、それはともかく。
「何かして遊ぼうか」
「いいな、さっきから気になる物があるんだ」
京子が言っているのは漫画本の並ぶ本棚の上に置いてある箱。平べったく、大きめの長方形であることから、ボードゲームが予想される。
「モノポリーね」
「モノポリー?」
「なんだ、京子はモノポリー知らないのか」
再びどや顔の糸子は持ち主ということもあり、大体のルールは把握していた。
京子に対する説明も途中までは順調であったが。
「こうして同じ色の物件を揃えると、家を建てることができる」
「ほう、それで?」
「それだけだけど……」
「いや、そこからがこのゲームのみそでしょうよ」
恐らく糸子はずっと一人でモノポリーをやっていたに違いない。それはモノポリーをプレイしたとは言えないのだが。
口で説明するより実際にやってみた方が早いと判断したつっこはとりあえずボードを床に拡げ、モノポリーをスタートする。
そして、その「みそ」のシーンがやってきた。
「よし、パシフィック通りとノースキャロライナ通り、ペンシルバニアにそれぞれ家を一軒ずつ。これで緑に止まった人は2倍のレンタル料を私に払うことになるよ」
「何っ、家ってそういうことなのか!?」
「知らなかった……これがモノポリーの恐ろしさ」
モノポリーとは元々経済をテーマにしたボードゲームである。そして、経済はそんな生易しいものではない。
つっこが展開した恐怖のフィールドが、次にサイコロを振るう京子を大口を開けて待っている。モノポリーとはこのように他人の金を貪欲に奪い取る、弱肉強食のゲームなのだ。
結局緑のマスに止まってしまった京子はそこからゴロゴロと貧民街道へ転落してしまう。たとえ最初は二倍のレンタル料という大した額ではなくとも、その金を元手につっこは更に家を増築し、レンタル料はその度に跳ね上がるのだ。
少しのミスが絶対的強者と弱者を二分してしまう。この辺がモノポリーのリアルさであった。
「だあぁぁぁ!もう抵当に入れる物件も無いぞ!」
どうにか持ち直すということも出来ず、遂にホテルにまで進化を遂げたつっこフィールドに止まってしまった京子は、正真正銘すっからかんになってしまった。
破産、つまりゲームオーバーである。
「かくなる上は臓器でも売るか……」
「こらこら」
「買った!」
「買うな!」
そんなブラックなリアルさはいらないと思うつっこであった。
「夕飯おいしかったぁ」
「母ちゃん料理上手いんだな。お前はどうなんだ?」
「私が料理できるように見えるか?」
「いやそんなシリアスな顔されてもだな」
そんなかしましい女子トークが展開される香月家。
彼女達は友人と過ごす一晩を心から楽しんでいたが、つっこは本来の目的を忘れた訳ではない。
「プレステやろうプレステ」
「えっ、プレステ?」
プレステと聞いてつっこの眉が動く。
「出ました夜更かし代表。こいつが犯人てわけね」
「いや私、あんまり得意じゃないからたまにしかやらないんだ。今日はみんながいるから」
そう言いながら糸子はゲーム機を用意し、電源を入れる。
「みんながって……RPGじゃん」
極希に友達呼んどいて一人プレイ用のゲーム始めちゃう奴がいるが、よもや糸子がそのタイプとは。
まあでも糸子はマイペースだからなと寛容の精神を持ち出すつっこであったが、微妙に事情が違うらしい。
「どうしても倒せない敵がいてな。私の代わりにやってみて欲しいんだ」
糸子は城の周りでレベル上げなんてものを永遠に見せつけてくるような自己中ではなかったようだ。
つっこにコントローラーを渡して自分は観戦にまわるという。それならばと引き受けたつっこは、ボス直前のセーブポイントからプレイを開始した。
「やけにステータス高いね。これって最大レベルいくつ?」
「それ以上上がらないよ」
ウインドウを開いてステータスの確認をしたつっこが訊くと、糸子はカンストだという。
端で聞いていた京子も首を傾げた。
「私はこういうの詳しくないけどもうこれ以上強くならないってことだよな?それで倒せないなら無理なんじゃないか?」
「特定のアイテムを使わないと倒せないって線もあるけど、もしかしてこれって……」
とある予想というか、嫌な予感を抱きながらつっこがコントローラーを操作してボスのもとまでやって来ると、画面には到底強そうでもない猫耳ロリ娘が映しだされた。
『ニャギャー!因果の魔王様から力を賜ったこのミッチの恐ろしさ、とくと思い知るがいいニャ!』などというセリフと共に、戦闘が開始される。
レベルがカンストしているので、数ある技やスキルの中からつっこは火力の高そうな物を選び、主人公達はミッチに大ダメージを与えていく。
対してミッチの攻撃は僅に主人公達のHPを削るだけ。 かすり傷といった感じだ。
「なんか、弱いな」
京子の呟きにつっこが頷く。
「その割りに変にHPが高い。見た目やセリフ、攻撃力からしてラスボスでもないのにこの耐久力はおかしい。もしも私の予想が当たってるならそろそろ……」
果たして、つっこの言葉に促されたように画面に変化があった。 突然ウィンドウにセリフが流れたのだ。
『これが私の真の力ニャ!因果残影!』
RPG特有の厨二くさい技名と共に、全体攻撃が主人公達を襲う。その火力は今までの攻撃とは桁違いで、半分ものHPを削っていった。
「今のレベル上がってなかったらやられてたんじゃないか?」
「うんだから上げたんだ、レベル」
「そうだろうね……」
もはや全てを悟ったつっこは糸子を哀れみの目で見ている。
レベルカンストまでの途方もない無駄な時間と、これ以降このゲームがつまらないだろうという予測がそうさせたのだ。
「何やってんだつっこ。それじゃあ勝てないぞ?」
突如、ボス戦で使用するとターンを無駄に消費する「逃げる」を選択し始めたつっこ。
勝負を諦めたのかと非難する糸子だが、実際つっこは勝つことは諦めていた。
「これは、この方が早く消化出来るからいいの。まぁ見てなって」
主人公達は一方的にボコられてHPを減らす。
糸子の視点からはもしかして逆転するような裏技でもあるのかと思ったがそんなことはなく。
『これが私の真の力ニャ!因果残影!』
普通のプレイングでは見られない二度目の必殺技により、主人公達は全滅してしまった。
「あーあ、やっぱり駄目だったじゃないか」
溜め息をつきながらリセットボタンを押そうとする糸子を、つっこは「ちょっと待った!」と慌てて止めた。
「何?」
「いいから画面見なって」
「あれ、ゲームオーバーになってない」
もうお分かりだと思うが、この戦闘はストーリー進行上、必ず負けるように設定された、いわゆる負けイベントというやつだったのだ。
『ニャハハハやはり魔王様の力は偉大ニャ!さてお前達をどうしてやろう。殺すのは容易いが……そうニャ!無限に広がる平行世界へバラバラに飛ばしてやるニャ。記憶を無くしたお前達は不様に争い、味わう孤独、悲しみ、憎しみが、因果を束ねる魔王様の力となるニャ!ニャーハッハ!』
ミッチの高笑いと共に次元の渦が展開され、倒れている主人公達を飲み込んでいく。
彼らの行く末は一体どうなるのか?というところで画面は暗転、第二章に続くのメッセージの下に『セーブしますか?』と出た。
「成る程、こういう展開だったのか」
「多分この後は嫌になるほど楽勝だろうね……」
京子とつっこが何とも言えない表情をしている隣で、糸子は涙目だった。
「もうお風呂入ろうお風呂」
「ちょーちょ、ちょ、狭いって狭い!」
「いたたた、これ、三人で入る意味あんのかよ!?」
数分後、何故か彼女達は湯船に寿司詰め状態だった。
窮屈さと暑苦しさに苦情を訴えるつっこと京子だったが、糸子は笑っている。
「いやー憧れだったんだ。裸の付き合い」
なら銭湯でも行きゃいいじゃん!と思うつっこだったが、流れで入っちまった以上はしょうがない。
なんとか楽な姿勢はないかと模索して、もがいていた。
「糸子、あんた胸がでかいって!」
「あんまり擦らないでくれよ?変な気分になるから」
「何なんだろうな今回は。見えない誰かへのサービスか?」
京子のメタい発言の通り、今のシーンに意味があったのかは不明だが、上がる頃には三人共すっかりのぼせてしまっていた。
「あー、あぢぃ」
「あまり良い汗のかきかたじゃなかったな。疲れたし」
「よっしゃアイス買いに行こう」
何故か一人元気な糸子のアイスという言葉に誘われて、三人は近所のコンビニへと出掛ける。
こんな時に感じる夜風というのは大変気持ちよく、道中も何やらワクワクとして楽しいものだ。
しかし彼女達は知らなかった。
自分達が上がった後の湯船を覗きこみ、絶望する人物がいることを。
「お湯少なっ」
姉の所に友人が遊びに来ると、何らかの形で弟が被害に遭う、の法則であった。
「つっこのパンツは水玉かぁ、私もあーいうの履いた方がいいのかな」
「いや、水玉や縞パンはちょっと狙い過ぎな気も……」
先程風呂場にて目撃したつっこのパンツについて議論する京子と糸子だが、コンビニの店先でそんな話をされたら本人はたまったものじゃない。
「やめてよ二人とも。そんな話してたら本屋が出るよ!」
顔を赤くしたつっこは気の毒だが、害虫のような扱いを受けた本屋はもっと気の毒である。
そして噂をすれば陰、なのである。ウィィーンと自動ドアが開くと、レジにて会計中の天パ眼鏡がいた。
「あ、よお」
気付いた本屋が手を軽く上げると、一同は驚いた。というか引いた。
「「「うわぁぁぁ!出たぁぁぁ!」」」
「えええ!何その反応!」
女性陣に本屋が傷つけられるのはいつものことだが、何故か今回は女性の店員さんまで胸元を防御している。
「店員さん、それどういう意味なんですか!」
「すみません、とてつもない不審者なのかと思って」
恐らく今年の本屋がおみくじを引いたら女難の相ありと出るだろう。
「先に言っとくけどな、俺がここにいるのはラーメンの家に行った帰りに偶々寄っただけで、ストーキングでもいかがわしいことをする為でも何でもないからな!」
ラーメンの家から本屋の家の丁度中間地点にこのコンビニはあるのだから、本屋がいてもなんら不思議なことはなかった。
「なあんだ。私はまたお前が学校に被っていく下着でも」
「お前は俺の顔を見るたびにその疑惑を抱いてんのか?」
「お客さん、どんな学校生活送ってるんですか……」
「店員さんも京子の言うことなんか真に受けないで下さい!」
このままではここら一帯にパンツマンとして名を轟かせてしまうのではないかと、不安におののく本屋であった。
ウィィーン。ありがとうございましたー。
「なんか店員さんがガン見してるけど気にするなよ、本屋」
「気にしないから殊更に強調しないでくれよ」
それに誰のせいだと思っているんだと本屋は愚痴をこぼすがそれはともかく。
「お前らは糸子の家に泊まってるんだって?」
「うん、みんなでアイス食べようってなって、買いにきたんだ」
ほれ、とつっこは買い物袋を掲げてみせる。
「女子だけじゃ夜道は危ないから送って行こうか?」
「緊急時にお前が役にたつとは思えないが」
京子のストレートな物言いに、本屋は苦笑する。
「糸子は柔道有段者だったな。それに京子は古流剣術だっけ?確かに俺なんかよりずっと強いだろうけど、でもなぁ」
「フフ、男子の矜持ってやつでしょ。せっかくだからお願いするよ、本屋」
男子のそういう部分が嫌いではないつっこは本屋の好意を汲むことにする。
自転車のスタンドを蹴った本屋の「それではエスコートしますよ、姫様方」という寒いセリフと共に、一同は歩き始めた。
「カブトムシいないかな」
「案外電灯に寄ってたりするから見つかるかもしれんな」
少年のような心を持った女子二人、京子と糸子はそんな会話を交わしながら夜道をいく。
少し遅れた所を、本屋とつっこが並んで歩く。本屋の押す自転車が、キィキィと規則正しい音を住宅街に響かせていた。
「みんなで歩く夜道ってなんでこんなに楽しいんだろうね。なんかこう、お祭りの後的な?」
「そうだな……」
「ん、どうしたの?本屋」
何か言いたげな顔をする本屋につっこが首を傾げると、本屋は少し照れ臭そうに頬を掻いた。
「いや、礼が言いたくてな。今のところ俺は楽しい毎日が送れてる。つっこのおかげだよ」
「はい?なんで私のおかげなのさ」
「なんで?なんでだろうな……でもみんな何となくそう思っていると思うぞ」
本屋が目線で示した先で、糸子と京子が騒いでいる。
「あ、いたいた!珍しいカブトムシ!」
「馬鹿、そりゃカナブンだっての」
それは何でもない光景だったが、彼ら、彼女らがずっと求めていた、そんなやりとり。
本屋はフッと笑い、続ける。
「俺らって結構変わり者が多いだろ。中学じゃ周りに馴染めずに一人だった奴もいる。そんな奴らがお前の元に集まって、何だかんだで上手くやってる。ありのままでいられるお前の傍は、みんなにとって大切な居場所なんだと思うよ」
お前は面倒くさいかもしれないけどな。冗談めかした言いぐさで本屋は笑った。
つっこも笑い「ううん」と首をふる。
「確かに面倒くさい時もあるけど、嫌じゃない。私も楽しいから」
「そうか」
本屋がなんとなく見上げた空にはぽっかりと満月が浮かんでいた。
太陽と言うよりは月かもなと、本屋は思う。何故なら月の光は星の瞬きを完全に消すことなく、むしろ照らしているようにも見えるのだから。
「んじゃ、こっからはすぐだから」
やがてやってきた曲がり角で、見送りはここまででいいとつっこが言う。
「うむ、大義であった」
「また明日な、本屋」
糸子の言った、また明日という言葉を本屋は噛みしめる。
そして自然と浮かんできた笑顔のまま、言うのだった。
「なぁ、俺も泊まってい」
「駄目に決まってんだろボケ」
なんかもう、色々台無しである。
アイスを買ってきたのだからアイスを喰らうのが定石である。
糸子の部屋についた三人は、早速棒アイスのパッケージを開けて舐め始めた。
「はぁぁ~ん、一杯たれてくる~」
「いや~ん、口の周りベトベトぉ~」
ちょっとよくわからないことを言う京子と糸子に、こいつら馬鹿なんだなと結論づけて、つっこは自分のアイスを少しずつチロチロ舐めていた。
その食べ方も見ようによってはエロいぞという発言は、怒られるので控えた方がいいだろう。
「さて、アイスを食べて涼しくなったところで、寝る前の歯磨きをしますか」
その、何もおかしくないつっこの提案に、京子と糸子は驚愕の表情で仰け反った。
「おいおい、寝るってもうか?」
「きっと冗談なんだよ、京子。じゃないと今時の女子校生がそんなこと言うもんか」
今時の女子校生ともっともかけ離れた二人には言われたくない。つっこがそう思ったのかは分からなかった。
何故なら彼女の表情は「無」になっていたからだ。
「ヤバイ、これはつっこがたまに見せる、『絶対に意思を曲げない』の顔だ」
「なぁ、頼むよつっこ。今日はイベントじゃないか。一緒にプロレス見ようぜ?」
なーなーいいだろ、なーなーなー。
発情期の野良猫みたいに騒ぎが始まり、つっこの顔色が変わる。もちろん怒りの表情に、だ。
「そん、なに!」
つっこの足が京子の足に絡む。
「プロレスがいいなら!」
そしてぎゅうぎゅうと締め付け、圧力をかける。
「自分の身体で味わいな!」
「ぐあぁぁぁ!つっこ、どこで四の字固めを!」
苦しむ京子に悪のりした糸子が「ギブ、ギブ?」と訊く。
京子は「ノーノー」と首をふって、身体を一回転させた。すると今度はつっこが「いぃいだだだだ」と悲鳴をあげる。
「説明しよう!四の字固めは裏返ると攻守もひっくり返るのだ!」
「ちょっと糸子、誰に説明してんのいたたた!」
こんな訳の分からないテンションが数分続き、
「ギブ!ギブ!」
プロレス観戦反対派のくせに何故か技を修得しているつっこのサソリ固めにより、勝負は決まる。
今は糸子の部屋に疲れた蛙が二匹転がるばかりであった。
「はぁ、はぁ、やっぱプロレスは見るものであって、やるもんじゃないな」
「ひぃ、ふぅ、さあ、程よく疲れたところで寝るよ?あんたらの居眠りをどうにかすんのが本来の目的なんだから」
「わかったわかった降参だ」
何事においても勝者の言い分はきかなくてはならない。ようやく諦めた京子と糸子は、歯磨きを済ませると大人しく床につくのであった。
「それじゃ、電気消すよ」
パチリとスイッチを切って部屋が真っ暗になる。
するとつっこが自分の寝床に入るより早く、二つの寝息が聞こえ始めた。
「寝付くのはやっ!」
いざ寝るとなれば非常に健康優良な二人である。
眠れるならさっさと寝ろっつーの。
ぶつくさ言いながらタオルケットを被るつっこであった。
今何時だろうか。
目を瞑っているので正確なところは分からないが、12時くらいだろう。
外の気配でつっこはなんとなく察する。
世界が眠りにつく時間。
出遅れた人々が家路を急ぐ、息づかい。
このまどろみのような時間を、つっこは好んでいた。
遠くの方から聞こえる電車の音も、まるで子守唄のように感じられるのだ。
ああ、もうすぐ寝られるな。
夢の世界に片足を踏み入れながらつっこが思っていると、傍でカラリと音がした。どうやらベランダへ出た者がいるらしい。
隣にいるはずの京子が動き出す気配はなかった。とすると糸子ということになる。
ふいに目覚めて夜風を浴びに行ったのかもしれない。それは別段変わった行動でもないので、つっこはそのまま眠ってしまおうかとも思った。
だけどベランダから一瞬入り込んできた風は少しざわついていた。
そのざわめきはつっこの胸に伝染した。 宝蔵槍子から面倒みるようにも言われている。つっこは起き上がると、糸子の後を追った。
ベランダに出るとそこに糸子の姿はなく、代わりに屋根へと梯子がかけられていた。少し勇気がいったが間違いなくこの上にいるので、つっこはそろそろと登り始める。
そして屋根の上、視界が開けると、彼女は座って遠くを見ていた。
「来たのね」
まるで来ることが分かっていたかのように、糸子は首だけ動かしてつっこを見る。
片方だけ立てた膝に腕を乗せるその姿は、月明かりの中で別人に見えた。
いや、別人に見える理由は他にはっきりしたものがあった。彼女はメガネをかけていたのだ。だからいつもの糸目ではなく、多くを見通すような、大きな目でつっこを見つめていた。
「風邪引くよ」
何故か返す言葉に困ったつっこは、とりあえずそのように応える。
糸子はふふっと妖艶に笑うと。
「優しいわね、つっこは」
と言い、視線を遠く、町並みへと戻す。
「そんな優しさに触れるのは久しぶり。この世界に来てからは初めてと言っていいわ」
つっこにはよく分からないことを糸子は言う。
だからつっこの質問もより根元的で、自分でも何故それを問うのか分からない質問だった。
「あんた、一体誰なの?」
その質問に答えたのは糸子ではなく、梯子を登って現れた人物であった。
「その昔、我らは仲間だった。そう、命を預けあった、な」
言いながら京子はツカツカと屋根を淀みなく歩き、糸子の傍らに立つ。
その絵姿に、つっこは胸騒ぎが強くなるのを感じた。
「私は……私は何かを忘れている?」
「無理に思い出すこともない。今の生活だって幸せなのだろう?」
「だけど、覚えてないけどなんとなく感じるの。ここにいる私は本当の自分じゃない。本当の自分はきっと何か大きな使命を帯びて生まれてきたんだ。そしてその時はもうすぐやって来る」
「知りたいか?全てを失うかもしれんのだぞ?」
「覚悟は出来てる。今の暮らしは平穏だけど、このままじゃきっと後悔するから」
「ならば歓迎しよう、深緑の賢者、つっこよ。因果の魔王の復活は近い。共に死力を尽くそうではないか」
「やっと三人目ってところね。覚えているかしら?私は青き魔闘士、糸子よ」
「ふふ、昔は三人でよく飲み明かしたものだ」
「うん、だんだんと思い出してきた。あの闘いの前日、あの時もこうして集まって……」
つっこは京子の身体にそっと手を伸ばす、そして。
「コブラツイストかましてたよなあぁぁぁああ!!」
「あガガガ、痛い痛い、マジで痛いってばつっこ」
「な~にが『深緑の賢者』だ!中二病も大概にしろっつーの!」
「あらあら、つっこちゃんたらはしたな……」
「ていっ」
「あー!メガネとんないでよう」
「あんたもあんたで、毎晩こんなことしてたらそりゃ居眠りもするわ!」
「うわっ、つっこ危ないから暴れるなって。ここは屋根の上なんだぞ!」
「飛んでみろよ。あんだろ!?特殊な能力があぁ!」
RPGでは割りと定番の高所での死闘だが、現実世界ではそう長時間やれるものではない。
馬鹿みたいに騒いで馬鹿みたいに体力を消耗した馬鹿三人は、空気の抜かれた風船のようにふにゃふにゃと屋根にへたりこむのであった。
「ほんと、あんたら馬鹿」
というつっこの呟きに「お前も結構ノリノリだったけどな」と京子が余計なことを言ってチョップを受ける。
二人のやり取りに爆笑する糸子であったが、笑いが収まり涙を拭くと、唐突に言った。
「でも私の言ったことは、半分くらいは本当のことだけどな」
「今の流れのどこに本当のことがあるのよ」
「ん?つっこは優しいって部分さ」
あんたのそういうところ、反則だっての。
突然優しいなどと言われては困ってしまう。つっこは照れ臭さを誤魔化すためにゴロリと屋根に寝転がった。
「ふぁ~。スゲーな、こっから見る月」
「そうだろう?眺めていると、色々な空想が浮かんでくる。中学じゃ誰も理解してくれなかったけどな」
「私も中二病は理解できないけど」
一緒にするなとジト目で釘を刺すつっこだったが、言葉の最後に「だけど」とつなげた。
「綺麗なのは、認めるよ」
月明かりに照らされた友人の横顔に、糸子は頷きながら自分も空へと視線を移す。
「それで十分さ」
これからもたまにはこうして月を眺めよう。
へ、 へぇ~意外とロマンチストなのね。
そんな風に愛想笑いを浮かべる人間はここにはいない。
美しい物を美しいと感じられる。それを共感してくれる仲間がいる。
ずっと欲しかった宝物の感触を確かめるかのように、三人はいつまでも夜空を眺め続けるのであった。
コツコツと床を歩く音が響く。
今は国語の授業中であり、生徒達は漢字の書き取りに勤しんでいた。
そんな静かな教室を巡回するのはつっこ達の担任でもある宝蔵槍子。
彼女にとって、この時間は闘いの時間である。
何と闘うかというと。
(おいこら海原)
彼女の闘うべき相手、居眠りをする不届き者が今日は三人に増えていた。
こめかみに青筋を立てた宝蔵槍子は腹立たしげな足取りで教壇に上がり、チョークを手にとる。
そいつで黒板をカッ、カッ、カッと叩けば、生徒達は何事かとそちらを見る。
「よーし、諸君。ここで諺の勉強だ。ミイラ取りがミイラになると言ってだな……」




