ポストファッション
ある日の晩、自室にて糸子は鏡の前に立っていた。
じっと見つめる先には、制服姿の自分が写し出されている。そして彼女はおもむろにスカートをずり上げると、高い位置でベルトを止めた。
結果的にかなりのミニスカート状態になる。
「パンツ見えちゃう~」
わけのわからない独り言を呟いたその瞬間。夕飯に彼女を呼びに来た弟がその光景を目撃してしまう。
弟の視線に気づいた糸子は目線を合わせたまま近付くと、尋ねた。
「なぁ、どう思った」
「オカマみたい」
明くる日の休み時間。
「うむうむむむ」
「糸子、何唸ってんの。何これ雑誌?」
机に広げられた雑誌を見て、つっこは驚愕に目を見開く。
「大変だ京子、糸子がファッション雑誌を!」
「何ぃ~!」
御用だ御用だとばかりに駆けつけてきた京子と揃って、何か悪い物でも食ったんじゃないかだの、熱でもあるんじゃないかだの、大変に失礼な心配を始める。
「糸子だって女子高生なんだからそんなの普通よ、ふ、つ、う!」
むしろそういうのに興味ない方がおかしいわよ。
そんな意見と共にビッちゃんが現れ、会話に加わる。
「みんなは彼氏とか欲しくないわけ?」
「彼氏ねぇ」
「彼氏なぁ」
彼氏のいる生活。
つっこの妄想がポワンポワンと広がる。
「悪ぃ、遅くなった」
「ったく、彼女を待たせるってどういう…ちょっと、なんであんただけ飲み物持ってんの」
「ああ?なんだようるせーな。ほらよ」
「ほらよってあんた、これ飲みかけじゃない!か、か、か、間接キ」
「間接キス嫌か?」
「べべべ別に嫌じゃないわよ、ばーか!」
ポワンポワン妄想終了。
「うわあぁぁぁぁぁ!!」
恥ずかしさのあまり床を転げ回るつっこ。
「ど、どうしたつっこ」
「そうぞう、想像してみて!」
息も絶え絶えになりながらのつっこの発言に、取り敢えず京子もポワンポワンと妄想してみる。
「皆の者、よくぞ集まった。大儀である」
「京子様!」
「京子様!」
「京子様!」
ポワンポワン京子の妄想終了。
「フム、悪くないな」
「京子のは違うと思う……」
ビッちゃんの予想通り、京子の妄想は彼氏がいたらという内容からはどこかズレていた。どっちかと言うと下僕がいたら、もしくは自分が信長だったらの妄想である。
「とにかく!彼氏うんぬんは抜きにしたって女子高生にお洒落は必須だと思うのであります!」
「おお~」
謎の迫力を醸し出すビッちゃんに、一同とりあえず拍手を送るのであった。
日曜日、つっこ軍団の女子陣営はビッちゃんがよく行くという小洒落た衣料品店の前に集合していた。
当然ながらみな普段着、つまり私服でやってきている。
「つっこはオーバーオールが意外と似合うのね。京子はネイビーのYシャツにタイトなパンツスタイル。出来る女って感じでこれもありか」
ビッちゃんが批評を下していくが、以外にも上の二人は好評を受けていた。
だがしかし問題は。
「糸子はなんでまたジャージなの?この前の釣りの時もそうだったよね?」
今日も糸子の胸には「1-2 香月花梨」の文字がしっかり書いてある。
「色々迷ったけど、結局これに落ち着いたんだ」
「服の店に行くって考えたらむしろ守りに入ってすらいないわよ、それ」
確かに地味どころかかえって目立ちそうである。
「でもなぁ。お洒落だと思ってダサい恰好だと余計ダメージが大きい気がして」
「うわ、分かるそれ」
「真理だな」
「もう!」
すぐ後ろ向きな思考になる面子に、ビッちゃんは憤った。
「そんなんだから駄目なの!今日は私が皆にお洒落をレクチャーします!」
一方その頃、衣料品店内では若いお姉さんが品物を並べているところであった。
「なんか外が騒がしいなぁ」
もうすぐ夏休みだもんなぁ、と羨ましくなるお姉さんであった。
「つっこと京子は似合っているけど、それでもモテる恰好とは違うわ。つまり、色気が足りてないの」
「色気?エロさのこと?」
「エロいまでいかないけどちょっとエロいみたいな」
「お前の恰好はそうなのか?」
京子の指摘するビッちゃんの服装は、白のブラウスに小さな花柄の刺繍をあしらった薄紫のスカート。それを腰の高い位置で大きめのベルトで止めている。
「スカートって時点でちょっとエロいでしょ」
「なるほど」
「それって中学男子の発想では…」
つっこは疑問に思ったようだが男は皆、中学男子みたいなものだから釣られてしまうのだ。いやホントに。
「何を隠そう、ここに来る途中で私、ナンパされました」
「おお、ナンパ」
「あの伝説の!」
「ビッチ先輩すごい!」
そーれビッチ!ビッチ!わしょいわっしょい。
「あはははは……ビッチってゆーなし」
ビッちゃんが地面に手をつき落ち込んでいる一方その頃。
「いいから早く入ってこないかな」
衣料品店のお姉さんは営業妨害を注意しようか本気で考えていた。
さっきまでウザいなと思っていても、店に入ってくれば「いらっしゃいませ」と笑顔を見せるのだから、さすがお姉さんプロである。加えてその集団が過剰にキョロキョロやってても、気にしないスルースキルも持ち合わせていた。
「ちょっと、あんた達恥ずかしいからやめてよ」
「だって超アウェイ」
ビッちゃんが苦情を漏らすが、つっこと京子は普段もっと大型の、おばさんとかも行くような店で服を買うし、糸子にいたってはTheお母さんが買ってくるやつ、であったから、完全におのぼりさん状態であった。
「すまんが下僕がたくさんついて来るような服を一つ」
「はい?」
「うぉぉい、待てぇぇい!!」
しかも約一名アウェイでも物怖じしない、かえって性質の悪いやつもいる。
「変なこと言わないでよ。店員さん困ってるじゃん!」
あははは、すみませんねぇと、ビッちゃんは乾いた笑いでごまかすと、急いでその場から京子を引き離す。のっけから前途多難であった。
「で、私達一体どうすりゃいいのさ」
猫にするみたいに京子の首根っこを掴んで引っ張ってきたビッちゃんを、意外と力あるのねと評しながらつっこが問う。
「つっこと京子は取り敢えずいいとして、糸子の恰好をどうにかしようよ」
というわけで、3人はそれぞれ糸子に似合いそうな服をチョイスしてくることになった。
果たしてシンデレラは華麗な変身を遂げるのか。
「やっぱ糸子ってスタイル抜群なのよね」
試着室から出てきた糸子を眺め、ビッちゃんは唸る。
今の糸子の恰好と言えば、下はデニムのホットパンツ、上は大胆に胸元を開いたタンクトップと、シンプルながら健康的であり。
「エロさがすごい!」
つっこが少し赤くなるのも道理の、出るとこ出しまくりの恰好であった。
「フム、糸子のノホホンとした雰囲気とのミスマッチがより煽情的だな」
京子も官能小説みたいな感想を漏らしている。
「でもこれはちょっとエロ過ぎない?」
「こんくらい思い切ったほうが絶対いいって」
攻めすぎではないかと言うつっこに対してビッちゃんは自信満々だ。
「糸子はどう思うの?」
「うう~全身がスースーする」
胸をかき抱いてモジモジとやるのがこれまたエロい。
本屋がここにいたらさぞ大喜びしただろう。
「ウッホホーイ」
そして何故か本当にそこにいる本屋に一同おどろく、というか引く。
「なぜ女性物の服しか売ってない店に本屋くんが!」
「下着とかもたくさん売ってて普通の男は寄り付くのも嫌そうな店に本屋が!」
そして、京子が侮蔑を込めて言った。
「つまり、お前はそういう奴なんだな」
「やめろよ、エー〇ール的な返しは」
いつものように取り敢えずヘコむと、本屋は「誤解だって」と弁解する。その誤解が何なのか証明するかのごとく、店員のお姉さんが本屋に話しかけてきた。
「おっす、たもっちゃん、牛丼買ってきた?」
親しげに話す二人の関係はいかに。
「従妹なんだ」
「そうなんですよ。それで、たもっちゃん近くを通るって言うから、ついでに牛丼買ってこーいって」
女性に頭の上がらないイメージの本屋だが、彼は従妹にもこき使われているらしい。それはともかく、今回に限って言えば、本屋に変態的な動機は無さそうだ。
「なんだ、私はまた本屋のやつが学校に被っていく下着でも物色しに来たのかと思ったぞ」
「たもっちゃんどんな学校生活送ってるのよ…」
「由衣ネェ、京子の言うことなんか真に受けちゃ駄目だって」
親戚に変なことを吹き込まれては大変なので、本屋はお姉さんに牛丼の袋を渡すと、さっさと食べるよう促す。
何かあったら呼んでくださいね。と残して、お姉さんは店の奥に引っ込んでいった。
「ところでお前らは服を買いに来たのか?」
「そうだけど、今は糸子の服を選んでるところ。ねぇ、本屋はあの恰好どう思う?」
つっこは訊いてみたが、答えなんて決まっている。
「最高!」
親指をグッと立てる本屋を見て、女子達は口々に決定を下した。
「じゃあ駄目だな」
「本屋くん好みの恰好じゃねぇ…」
「失敬なやつらだな!」
憤る本屋であったがここは女性専門の衣料品店。つっこ達がアウェイなら、本屋にとっては超アウェイなのだから仕方ないのだ。
「そんじゃ、次は私が選んだ服だね」
つっこは自分の選んだ服を糸子に渡し、試着室のカーテンを閉める。
内心かなりウキウキしているのは、女子はみな着せ替え人形遊びが好きなわけで、他の二人だって同じような心境であった。
「服を脱ぐ音とか聞こえるのかな」
約一名の男子は違う意味でウキウキしていたが。
「着たぞ、どうだ?」
しばらくしてカーテンが開くと、これまた違ったイメージの糸子が現れた。
白のノースリーブに青のロングスカート。つっこの選んだ完全な清楚系ファッションである。
「これはなんというか、別人だな」
「似合ってなくはないけど、これって着る人を選ぶっていうか、見た目だけじゃなくて立ち居振る舞いも上品さが求められそうだよね」
なかなかに鋭い意見を言うビッちゃんに、つっこは不敵に指を振って見せた。
「チッチッチ。そう言われると思って奥の手を用意してあるんだよ。みんな知らない糸子の秘密…」
何やら怪しいことを呟きながら糸子の顔に何かを装着させる。それは伊達眼鏡であった。
「もう、つっこちゃんたら。いきなり眼鏡なんか掛けるんだもの。びっくりするじゃないの」
彼女は頬をぷっくり膨らませ、口を尖らせてつっこに抗議する。その瞳はパッチリと開かれていて、糸目の糸の字すら見当たらない。
「だ、誰だ!」
本屋が狼狽のあまり叫ぶと。
「本屋くんたら変な冗談いわないの。みんなの糸子でしょう?」
どうやら糸子で間違いないらしい女性は、本屋の額にツンと人差し指をあてて「ウフフ」と笑う。
「べ、別人だ……」
赤くなりながらもう一度呟いたそのセリフ。今度のは正真正銘、違う人という意味である。
「人格まで変わってる…」
「憧れの図書委員の先輩って感じだな」
あっけにとられているビッちゃんと京子に、つっこは「でしょう?」と自慢げな顔をした。
「前にメガネの眼鏡で遊んでた時に偶然発見したんだよ」
「何それ凄い勇気」
「私でもそんなことしないぞ」
さり気なく発表されたつっこの大胆行動にドン引きの二人であったがそれはともかく。確かにこの、糸子眼鏡バージョンならつっこの選んだファッションにぴったりのようだ。だが。
「でもなぁ」
京子が納得いかないような声をあげると。
「これでいいのかって思っちゃうよね」
ビッちゃんも後に続いた。そして本屋。
「確かに今の糸子は美人なお姉さんて感じでいいんだけどさ」
彼はチラリと糸子に目線をやり、ニコリと微笑まれて赤くなった顔を慌てて戻し、続ける。
「元の素朴な感じの方が落ち着くっていうか、糸子らしいっていうか」
本屋の意見にそれが言いたかったとばかり、京子とビッちゃんも頷く。
つっこは後頭部を掻きながら溜息をついた。
「やっぱ反則は駄目か」
「はっ!私はいったい……」
「記憶もないとかキャラ濃すぎでしょうよ」
眼鏡を外された途端そんなことを言う糸子に呆れる一同であったが、それは置いといて。
「次は私の番だな!」
遂に順番が来たかと京子のテンションが上がる。同時に、遂に来てしまったかと皆のテンションが下がった。
ある意味の真打ち登場である。
「京子、着ぐるみとかは無しだからね」
「古代ローマ風も」
「魔王の側近風も」
先に潰しとこうと皆の口から出る様々なNGに対し、京子は。
「あ~そういうのもありだったな。みんなセンスあるな」
などと言いながら糸子に自分の選んだ服を渡す。その発言にますます暗雲立ち込める空気の中、閉められた試着室のカーテンは暫くのちに再び開かれた。
「こ、これは!」
「なんというか…」
「思ったより普通」
普通というか、糸子はGパンにTシャツ姿であった。
「いや夏なんだから間違いじゃないけどさ」
「これだったら糸子も持ってるんじゃない?」
今日はお洒落がメインテーマなのに、この恰好はベーシック過ぎやしないかというのがつっことビッちゃんの意見だ。
そんな中、一人顎に指をあててジッと糸子を眺めていた本屋が呟く。
「なるほど、七分丈か」
「あっホントだ」
「足首見えてる」
糸子の履いているGパンはよく見ると通常の物より丈が短い一品であり、それが軽やかさを演出していた。
「これにいいかんじのサンダルを履けば、近所の気さくなお姉さん風になるだろ?」
確かに「よっ、少年!」とか声を掛けて来そうだと皆は思う。そして。
「これ、いいね」
今まで黙って着せ替え人形に徹していた糸子が初めて笑顔を見せた。
元が糸目なので、仲間内にしか分からない笑顔ではあったが。
ありがとうございました~。本屋の従妹に見送られ、一同はそれぞれの買い物袋を手に店を出る。
糸子は早速新しい服を着ており、スキップ混じりの足取りで先行する。
その背中を見ながらつっこは呟いた。
「まさか京子の選んだ服が当たりとはね」
「う~ん、でももうちょっと思い切った服の方が良かったんじゃないかなぁ」
ビッちゃん的にはもっと劇的な変化を期待したのだろう。少し残念そうな顔をしている。
「思い切ったのさ、糸子にとっては」
本屋が言うと、そうなのかなぁとまだ不満そうなビッちゃん。
本屋は苦笑した。
「気持ちは分かるけど、本人が納得する恰好が一番じゃないかな。見ろよ、今の糸子を」
言われて見ると、クルリと踊るように振り向いた糸子は。
「お~い、なに話してるんだ。早く来いよ!」
弾んだ声でブンブンと手を振っている。
「な?」
「そうか、そうだよね」
今回の買い物でビッちゃんが学んだように、ファッションで一番大事なのは自分が素敵だと思う恰好をすることである。たとえ変化を望んだとしても、それぞれに合ったペースというものもある。
糸子の場合、ほんのちょっといつもと違うGパンを履くだけで、今までと違う自分になれたような、そんな気分を味わえたのだから。
流行や好きな人の好みを気にし過ぎて疲れた人は、一度肩の力を抜いて自分と向き合ってみるのも良いかもしれない。
「ところでビッちゃん」
「何、本屋くん」
「どうして支払いは俺持ちだったのかな?」
女が着飾れば男の財布がしぼむ。それはこの世の摂理であった。




