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村はずれの薬師小屋、というワードだけでもうファンタジー臭がする。
森に住む魔女の小屋に近いが、人里寄りの、程よいファンタジー感だ。
村はずれという時点で何か訳ありっぽい印象があるし、薬師というのが日常から少しはみ出たところがある。そこに住む老婆とくれば、もうこれは善き魔女の登場を期待してしまってもおかしくはあるまい。
だがまあ、お察しの通り現実はわびしいものだ。
村はずれと言ってもまあ他の家々からちょっと離れてるというくらいで気軽に顔出せる程度の徒歩圏内だったし、普通に踏み固められた道も続いていて、往来もそこそこありそうだった。
小屋も村の他の小屋と大差なく、ちょっとした畑があって、玄関脇には花壇に花なんかも育ててあってお洒落ですらある。
カウチなんかがさりげなく置かれていて、そこにこう、木漏れ日がさらさらと流れるように落ちてきていて、猫がすぴすぴ昼寝なんかしてる。天気のいい昼下がりにお茶でも飲みながらのんびり本を読んだりしたら快適そうではある。
年取ったらこういう家に住みたいよなって言う理想の、一つの形ではなかろうか。
なんかこう、昼でも薄暗くて、苔むして、壁につる草が生い茂ってて、怪しげなオブジェとかが並んでそうな、そう言う怪しい小屋要素は欠片もなかった。
これにはイヴもがっかりである。俺もちょっと気持ちがわかる。
いやだって、なあ。
露骨にイベントっぽいシチュエーションだったからな。
村はずれの薬師に話を聞きに行け、なんて。
ドアを叩いて呼びかけてみると、薬師は存外すぐに出てきた。
老婆といえば老婆なんだが、はいはーいと張りのある声で、ドアを開ける手もしっかりして、腰はちょっとまがってるが、かなり健康でピンシャンしたばあさんだ。
耳が少し遠いようで、本人も声がでかいが、話し方や振る舞いは品がよく、それがまた完全に近所の人好きのするおばあちゃん感が強い。いるわ、こういう人。
一応年寄り相手ということで、イヴもいくらか腰を低くして、お話を伺いたいんですがなどと殊勝に尋ねると、薬師のばあさんは実に気軽に気さくに快諾してくれて、俺たちを家に上げてお茶を淹れてくれた。
家の中は、イヴもちょっと目を輝かせたくらいには、不思議な感じだった。
期待と違ってかなり綺麗でがっかり、しかしこれはこれでおとぎ話の様で楽しい、という二律背反がイヴの顔には浮かんでいるようだった。素直に喜べ。
通された居間は、花の香りなのか、ハーブの香りなのか、甘いような、ピリッとするような、不思議な香りに包まれていた。天上からは植物の茎や根、葉、花がすだれのように垂れ下がっては干されており、窓辺に広げたむしろにはなにかの実や花が広げられて日干しされていた。
壁の棚には陶器やガラスの容器が並び、何かが付け込まれているようだった。眼球とか動物の死骸だったら魔女っぽいかもしれないが、どれも植物の類だった。観賞用のハーバリウムというよりは、オイルやアルコールに浸して成分を抽出してるんじゃなかろうか。
そう言ったものが溢れかえっているから、一見して散らばっているような印象もあるのだが、ソファやテーブルは綺麗に片づけられており、来客がよく使っているのかもしれなかった。
散らかっててごめんなさいねえとばあさんが入れてきてくれたお茶は、おそらくここに並ぶ花はハーブの類を使ったハーブティーの一種らしかった。
具体的に何といえるほど俺はハーブに詳しくないが、少しピリッとした甘みがあって、胸に広がる香りはなんだか落ち着くような心地よさだ。
イヴの屋敷の茶も、いい茶葉は使ってるんだろうが、どうにも洗練され過ぎた感じがあるんだよな。
軽い挨拶と自己紹介を済ませたところで、俺は飛び上がりそうなイヴを抑えて、ゴブリンについて尋ねてみた。
ばあさんは、あらまあとでも言いそうな具合に頬に手を当て、ゴブリン、と繰り返した。
「子供たちが言っていたものね。村にゴブリンが出たって。私の知っているのは古いおとぎ話だけれど、それでよければ、お話しするわ」
そう切り出して、ばあさんはゴブリンについてのおとぎ話を語ってくれた。
ゴブリン。
それは邪悪にして醜い妖精。
意地が悪く性根も悪い小鬼。
誰かが失敗する度に生まれ落ち、誰かが成功する度に妬んで生きる。
鼠のように臆病で、猫よりも図々しく、狐のようにずる賢く、狼より貪欲。
いつの間にか棲みつき、増えて、人畜に害をなし、ともすれば旅して拡がってしまう。
子供くらいの力しかないが、その悪意は大人と同じように悪辣で、放っておくと際限なく悪さをする。
男はなぶってから殺して食らい、女は弄んでから殺して食らう。
その邪悪さと際限なく湧いて出るおぞましさから、人間にもっとも忌み嫌われた魔物の一種だ。
ばあさんはゴブリンを扱ったいくつかの短い話を語って聞かせてくれた。
勇者が村を脅かすゴブリンを退治していった話。
村人が愚かなゴブリンを騙して罠にはめた物語。
ゴブリンの王やその軍勢が押し寄せてきた伝説。
そのひとつひとつにイヴは目を輝かせて聞き入った。
俺は、まあ、俺も、面白くはある。だがまあ、それは民俗学的に面白いという興味程度のもので、結局のところそれはおとぎ話だという認識が最後にはあるのだが。
物々しく情感たっぷりに語るばあさんも、そこのところは俺と変わらない認識のようであった。
ゴブリンなんていない、と。
「私のおばあさんの、そのまたおばあさん、ずっとずっと昔の人たちの頃には、ゴブリンもいたのかもしれないわ。コボルト、スライム、ユニコーンやケルピー、たくさんの妖精たち。でも私はそのどれも見たことがないわ。この年になるまで一度も。私のお母さんも、おばあさんも、見たことはないの」
イヴはぎゅっと鼻にしわを寄せた。
ばあさんは聞き分けの悪い子供を見るように、しかし優しく諭すように、困ったように笑った。
「ずっとずっと昔はいたかもしれないわ。いまも、世界のどこかにはいるのかもしれない。でもそれは、きっとここじゃあないわ」