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出立の朝は早かった。
もともと厨房の朝は早いが、気が急いたイヴに日の出る前に引きずり出されて、慌ただしい出発になっちまった。準備してた荷物はすべて俺が背負い、イヴは乗馬服に、腰に剣を吊るしただけの身軽なものだ。
革のベルトで雑に吊るしてるけど、一応その剣、家宝の剣らしいがな。旦那様も娘に甘すぎる。
旦那様も見送りたいだろうと宥めてはみたのだが、絶対に引き止めにかかるから面倒くさいと強行された。しかし気持ちはわかる。娘を溺愛してるからこんなアホな遠出をさせてくれるが、娘を溺愛してるからやっぱり危険な目には合わせたくないのだ。
昨日時点でもじゃあ護衛をつけようとか言ってファンタジーでお馴染みのの女騎士をついていかせようとして、全力で拒否られてたからな。
いや、そこまで心配ならちゃんと護衛はつけてほしかった。娘に嫌われちゃうからじゃねえんですよねえ。
雇ってくれた恩は感じているが、貴族として領主としてはどうなのかと思わないではいられない。
出立と言っても、直でゴブリンがいるとかいう現地に向かうわけじゃない。そんなに近くはなかった。
まず屋敷から馬で最寄りの町に駆ける。
馬と言っても、こいつは本当に馬だった。
なにを言ってるんだって思うかもしれんが、ファンタジーだとよくあるだろ。
馬って言ってるけど巨大な鳥だったり、ドラゴンもどきな爬虫類だったり。
生憎とそこら辺でもファンタジー要素はないようで、こいつはごく普通の哺乳類馬だった。
俺は馬になんぞ乗れないんだが、鞍にしがみついてるだけならできる。落とさないように気を遣ってくれる賢い馬の背に乗って、落ちないようにするだけだからな。
だからイヴが俺の乗った馬の手綱を取って、半ば牽引する形で早駆けした。
俺は馬に詳しくないんだが、この速度でそれやるの曲芸なんじゃないのか。
カウボーイかよ。ああ、ガールか、一応。
俺は荷物、固定された荷物と念仏を唱えているうちに、馬はすぐに町にたどり着いたが、何しろ日もでない内だから、門は閉ざされてる。
多分、門番を呼びつければ、なにしろ領主の娘だ、すぐにも開けてくれたことだろうが、わがままなくせに妙なところで常識的というか、イヴは大人しく開門を待った。
まあ、それでも、日の出が近くなって顔を出した門番は、特徴的なストロベリーブロンドを見つけるや泡を食って、急いで門を開けて通してくれた。
「悪かったわね。これで酒でも買いなさい」
そう言うイヴだが、実際にその銭を出すのは財布を持ってる俺だ。
いやまあ、その金の出所はイヴだから間違いではないんだが。なんか釈然としねえな。
町に着いたら今度は町中の別邸に寄って、これまた急な来訪に慌てる馬丁に馬を預けて心付けを握らせ、急いで出迎えにやってきた使用人たちを尻目にさっさと退出。人騒がせにもほどがあるぞこいつ。
その脚で向かったのは駅だ。
駅っつっても鉄道じゃあない。馬車の駅だ。駅馬車ってやつだな。
大きめの町は大体この駅馬車でつながってるんだそうだ。俺も乗るのは初めてだが。
駅はロータリーみたいな広い道に馬車が並んだ場所で、長距離をつなぐ大型のものや、近隣を巡る中型のもの、それに町中を巡るバスのようなものである乗合馬車などが、それぞれの乗り場に構えているのだった。
俺たちが乗るのは近隣を巡る中型で、四頭引きの馬車だった。区間内は料金一律で、前払い。俺の庶民的な感覚からすると安くはなかったが、貴族の財布からするとはした金だ。
始発まではしばらく待たにゃあならんかったから、俺は朝飯の包みを取り出して、イヴにも渡してやった。
どうせ朝飯も食わずに出ていくだろうと思って、昨日のうちにこさえておいたのだ。
イヴ用だと言ってちょろまかした柔らかく上等な白パンに辛子バターを塗り、新鮮な葉野菜とたっぷりのハム、チーズ、ピクルスをはさんで、柑橘系の果物を使った甘めのソースをちょいと垂らしてある。
普段はなかなか口にできないお高い食材ばかり使ったが、今日ばっかりは臨時労働の正当な対価として頂いちまおう。役得役得。
御者相手に商売してたスープ売りにカップを渡して注いでもらえば、小銭程度で贅沢な暖かさも手に入る。具の方は野菜くずみたいなもんだがな。
始発の時間になって、駅馬車に乗り込んだのは、俺たちを含めて十人に満たない程度だった。
商人風のやつや、ちょっとした荷物を持った紳士に、ごつい兜をかぶった物々しい姿。だが誰も素性を尋ね合ったりはしない。そうしたいんならだれも止めないがね。
荷物はみな、屋根の上に乗せ、そこにも一応幌がかかっていた。座席は、屋根のある内席と、屋根のない外席があった。
馬車後部の外席は、席とは言うもののほとんど足のついた板といった程度の椅子が二脚があるばかりで、景色はいいが快適とは言えなさそうだった。
内席が快適かというと必ずしもそうではなく、座席の座面は狭く、背もたれはまっすぐで、クッションが敷かれていたがどれもせんべいみたいな薄さだった。座れるだけずいぶん楽だが、それでもちゃちなサスペンションに揺られていると尻どころか全身あちこちが痛くなってくる。
俺たちはそんな駅馬車に都合半日ばかり揺られた。
速度計なんぞないから具体的にどのくらいとは言えないが、まあ、歩くよりは早く、全速力で走るよりは遅い。自転車をのんびり転がした程度と思えば、まあ時速一〇キロいくか、いかないかってとこか。
半日揺られたと言っても、途中の町や村の駅で止まって、客や荷を乗り降ろしして、馬を替えて、ちょいと休憩をはさんでとちょくちょく間があったから、実際の移動時間はもう少し短いだろうな。
三〇キロか、四〇キロか、まあそのくらいじゃねえかな。舗装された道を自動車で走ったら三〇分かからないんだろうが、ここらはまだまだ世界が広いんだよ。
それでも、王都とか大都市じゃあ蒸気機関車が走っているとか、いないとか噂も聞く。
いよいよもって幻想は駆逐されていやがる。せっかくの異世界だってのに、とは思うが、まあ文明が発達していくのは、仕方がない。
文明が発達してくれた方が俺の生活の文化レベルも上昇するだろうし、悪いことではないのだ。