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「ゴブリン狩りよ! ヨシダ!」
前後を入れ替えりゃいいってもんじゃねえんだよなあ。
聞こえなかったわけでも聞き取れなかったわけでもない。
聞きたくなかったんだよ。繰り返すな。
両手が塞がってるから、耳を塞ぐわけにもいかない。
塞いだところで無駄だろうが。
しっかしなんだ。芋剥いたり人参剥いたり玉葱剥いたり、仕込みに精を出す俺のもとにあまりにも簡単に顔を出すなこのお嬢様は。
普通はいいとこのお嬢さんは、厨房なんかに顔は出さんだろう。
俺としてはそう言うイメージなんだが、厨房の主たる料理長は肩をすくめただけで、キッチン・メイドたちも、またいつものねって顔で自分の仕事をしている。
またいつものなんだよなあ。
こうなると仕事にならんのは料理長も承知だから、適当に手を振られてしまう。
俺は芋とナイフを置いて手を拭き、渋々お嬢様に向き直った。
「あー……イヴリーヌお嬢様」
「イヴよ」
「俺も旦那様に雇われてる以上は、」
「あんたはあたしの使い魔よ」
「……はー……オーケイ、イヴ」
お嬢様。イヴ。イヴリーヌ・ド・ロリフラン。
本来なら見上げるほどに身分の高い貴族の令嬢なんだが、おしとやかさの欠片もないこれに対して俺は敬意とかそう言う感情を抱くことに今まで失敗し続けている。サイコロが十個あっても無理だ。
年のころは確か、十三か十四か、そのあたりだったか。
背丈は平均位だろうが、日頃から野山を駆けまわって泥まみれになったり、剣やら乗馬やら淑女らしくもなく体を動かすのが好きなせいか、いくらか骨ばった少年のような精悍さがある。いや、もっと子供っぽく、やんちゃさや腕白さといった方がいいかもしれん。
肌は白人種にしちゃ日焼けしてる方で、健康的ではあるが、やっぱり貴族のお嬢様らしくはない。
年頃なのに化粧っ気もなく、そばかすを恥じらう素振りもない。
ストロベリーブロンドっつうのか、ピンクがかった金髪は見事なもんだが、いつもリボンもせずただ三つ編みにしてるってのは、ありゃ髪型に凝るのが面倒だからなんだろうな。侍女ももったいないって顔してるし。
服装も、足首まであるスカートなんてごめんだと常々ボヤいており、タイツやズボンで通していることが多い。下手するとこいつ、乗馬服で過ごしてる時間の方が長いんじゃなかろうか。
娘を溺愛してる旦那様としちゃ、もっとお洒落して欲しいんだろうが、高価なドレスはもれなく箪笥の肥やしになってるらしい。
そんな具合にまあ色々残念ではあるんだが、そこまで減点されてもなお文句なしの美少女ではある。
洋風の顔立ちのせいもあるが、迫力のある美少女と言ってもいい。
同じクラスにいたら、思わず目は行くし、美人だよなって世間話にもなるが、お近づきになるのは腰が引ける感じの。
その文句なしの美少女が、見開いた榛色の目を爛々と輝かせ、八重歯をぎらつかせて笑うのは、厄介ごとの合図みたいなもんだ。
「それで、なんだって?」
「ゴブリンよ!」
へこたれねえなこいつ。
うんざりした気分で俺はイヴを見下ろした。
いまの「なんだって?」は、「落ち着いて聞いてやるから、お前も自分の発言を冷静に思い返してみろよ」という「なんだって?」であり、「俺の聞き間違えということにしてやるというかしたい」という「なんだって?」であり、「俺は突発性難聴が発症してお前の話を聞き取ることができないし聞きたくもない」という思いを込めた「なんだって?」であり、断じて決して「是非詳しくお聞きしたいので最初からお願いします」という「なんだって?」ではねえんだよ。
「なによあんた、ゴブリン知らないの?」
「知らんわけじゃないが」
「いい、ゴブリンってのはね!」
聞いちゃいねえ。
イヴは思わずはたきたくなるようなお手本のようなドヤ顔で、ゴブリンについてべらべらとまくしたてた。
まあ、おおむねファンタジー界隈でよく知られる、小さくて醜い妖精で、人畜に害をなしては追い払われるという、害獣そのもののモンスターだな。
おとぎ話や伝説を読み漁っては知識をため込むという、大人になったとき教養となるか黒歴史となるか微妙な趣味をお持ちのこのお嬢様は、ゴブリンにまつわる逸話や、ゴブリン討伐のこまごまとして物語を早口で叩きつけてきた。
異世界の住人が語る現地のファンタジーな物語って言うのはちょっと心惹かれるものがあるが、それも状況によるな。
落ち着きのない高い声で早口に語られると、いやもうお腹いっぱいです、書面でくださいという気持ちになってくる。そしてそれも多分読まない。読んでも目が滑る。
おっさんの心は繊細なんだよ。
いつまでも続きそうなオタクの早口語りに、俺は息継ぎのタイミングを狙って強引に割り込んだ。
「それで?」
「それで? つまり、ゴブリン狩りよ!」
振り出しに戻すな。
なだめすかして時系列順に話させてなんとか要点を掴んだところ、つまりこうだった。
イヴは以前から、使用人や出入りの商人に変わった話があれば教えるようにと強請っていた。
それで、どこだかの何とかいう村で、ゴブリンを見かけたとかいう噂が流れているのを知った商人が、世間話の一環として伝えてくれた。
なのでそのゴブリンを退治するために出かけることにした。俺を連れて。
オーケイ。
なぜにホワイ。
その「なので」はどういう接続詞なんだ。
つながらねえんだよなあ、世間一般では。
百歩譲ってつながったとしてそこに俺を巻き込むな。
善良な一市民を胡乱な話に引きずり込むな。
これから一緒にゴブリンを殴りに行こうぜってどういうお誘いだ。
こみ上げる言葉を丁寧に押し包んで飲み込み、六秒かけてため息に変えて吐き出す。
言葉のアンチドーテはおっさんの基本スキルだ。
好きなことを好きに言えるのは、子供と老害だけの特権だ。
アーティストのそれは特権じゃなくてアートだし、ロックンローラーのそれもロックだからまた別の問題だが。
しかし、それにしたってゴブリンだって?
そんなものはいない。
そりゃあ、俺だって、召喚魔法だ、異世界だとなりゃあ、自分にチート能力がなくっても、ちょっとは期待したさ。
おっさんだってさ、かつては若者だったんだぜ。夢に夢見る少年だった。
冒険者の駒を並べて、サイコロを振って、ゴブリン退治に精を出しては悪辣なゲーム・マスターに地獄に叩き落とされる日々を送ったこともある。
そりゃ憧れるさ。
憧れないでいられるかよ。
だが生憎と、この世界にはファンタジーがなかった。
厳密には、いまはもうないのだった。
ずっと昔、大昔、何百年前だか何千年前だか知らんが、その頃にはあったそうだ。
神々や、奇跡や、魔法や、魔物、そんなもろもろが。
おとぎ話にも、残っている。
というより、おとぎ話にしか残っていない。
かつてこの世界にも神々がいて、奇跡が起こり、魔法が振るわれ、魔物たちが棲んでいた。
天を突く世界樹、世界の果ての向こう側、地の底の国、天の上の園、人はそれらの間を行き来した。
魔王が暴れ、勇者が現れ、世界を救ったという伝説だって残っている。
だが、いまは、もうない。
神話の時代は終わった。
伝説はおとぎ話になり、おとぎ話は忘れられていく。
神々は去り、奇跡は失われ、魔法は忘れられ、魔物たちは姿を消した。
あるいは最初からそんなものはなかったのだ。いまおとぎ話であるものが、遠い昔もおとぎ話であったに過ぎないのかもしれない。
いまもわずかながら、魔法の武器や不思議な力が確かに存在しているが、それを生み出す技術は失われて久しい。
しかしそれさえもいずれは科学が解決するだろう。何も不思議な所などない、自然科学の延長線上のモノとして。ロスト・テクノロジーなんて、そんなものだ。
この世に不思議なんてものはないのだ。
夢は夢のままであるくらいが空想を遊ばせるのにはちょうど良い。
日常の中にそんなものは軽々しくあっちゃあいけないのさ。
そういった悲しくも厳然たる現実というものを語ってやった俺がどうなったかというと、
「ハッ、ロマンのない奴ね」
鼻で笑われた。
このクソガキ。
俺だってファンタジーしてえよ。
おっさんだってできるもんならロマン語りてえよ。
剣と魔法を携えてダンジョンに挑んだりしてえよ。
俺なんかしちゃいましたかとか言ってみてえよ。
難聴系主人公のハーレム道中やってみてえよ。
格好良く必殺技名叫んだり、敵の幹部とかにさすがだなとか一目置かれてえよ。
ワンチャンあるかなとかいまだに思ってはいるよ。
でも、ないものはないんだから仕方がないだろう。
と、言い返せたらよかった。
ないんだから諦めなさいは大人の常套句だった。
そこになかったらないですね、と。
しかし。
ああ、だが、しかし。
「あるわよ」
だが悲しいかな、このファンタジーの失われた世界に、非ファンタジー世界からやってきた俺は、そのくせファンタジーそのものなのだった。
「あたしが喚んで、あんたが来たのよ。魔法だってなんだって、あたしが全部引きずり出してやる」
ああ、まったく、勘弁してくれ。
それを言われると、俺は何も言い返せない。
にっかり笑った無邪気な笑みは、俺にはちょっと眩しすぎる。
俺自身は何も持っていないのに、俺自身こそがこいつのファンタジーを信じる証拠になっちまってるんだから。
フットワークの軽すぎるお嬢様は、その日のうちに旦那様におねだりして、ゴブリン狩りに遠出する許可を取り付けたのだった。
ついでに言えば、哀れなおっさんを従者として同行させる許可も。
勘弁してくれ。
マジで。