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おはようございます。会えなかったときのために、こんにちはとこんばんは、おやすみなさいも。
今回は原案の人にアイディアを頂き、それをできるだけライトノベルを意識して書いてみようという実験的作品です。
こちらをもとに、原案の人にさらにラノベライズして頂いたお話がこちら( https://ncode.syosetu.com/n5077gp/ )。
男には、人生で三回だけ泣いていい時があるという。
一つ目は、生まれ落ちた時。
二つ目は、親が死んだ時。
そして三つ目は、財布を無くした時。
俺はあまり立派な男でもないので、それ以外にもずいぶん泣かされてきた人生だったが、今日はここに四つ目を付け加えたいと思う。
仕事で死にたくなった時か。
満員電車で急な腹痛に襲われた時か。
借金して女にプレゼントしたバッグが、借りた先の質屋に並んでいた時か。
それらはそれらで大いに泣いていいと思うが、俺としてはこいつを付け加えたい。
ろくな武器も覚悟もなしにゴブリンの巣穴に乗り込まなけりゃあならん時だ。
ゴブリン。
そう、ゴブリンだ。
ファンタジーの定番。
雑魚敵の代名詞。
親の顔より見た馴染み。
邪悪にして醜い妖精。意地が悪く性根も悪い小鬼。誰かが失敗する度に生まれ落ち、サイコロの目の数だけ湧いてくる魔物。
いつの間にか棲みつき、増えて、人畜に害をなし、ともすれば旅して拡がる厄介な害獣。
子供程度にはものを考えるが、大人と同じくらい想像力に乏しいので、放っておくと際限なく悪さをする。
男は殺して食らい、女は……ぞっとしない話だ。
そりゃあ、誰だって、ジャンルの違いこそあれ、空想の世界で遊んだことはあるだろう。
変身ヒーローだったり、魔法少女だったり、宇宙人だったり、未来人だったり、あるいは俺みたいに、冒険者の駒を磨いてゴブリン退治に精を出したりな。
だがそういうのは、空想の中だから楽しいのであって、現実となるとちょいと笑えない。
中学生高校生の若者ならいざ知らず、夢も希望もない三十過ぎたおっさんが、チートもなしにファンタジーに首突っ込むってのは、どうにも無謀過ぎる気がする。
じゃあ止めるかって言うと、それもできないのがおっさんのつらいとこだが。
すえたようなにおいのする洞穴から一歩下がって振り向けば、頼れる仲間たち。
がいればよかったんだがな。
ここまでゴブリンを追跡してくれた猟師のおっさんは、頭にこさえたこぶをわざとらしく抑えつつ、猟犬を撫でまわしてそっぽを向いた。追加の銅貨をちらつかせてみたが、こりゃ銅貨が銀貨でも頷かないだろうな。
その常識的判断は俺的にはとても共感が持てるんだがな。
視線を横にずらせば、マリエ、えー、自称旅の女傭兵のマリが、さあ行こう早く行こう急がねばと鼻息も荒い。
仰々しすぎるとも思えた角付きの兜は勇ましく、引き抜いた分厚い剣は頼もしいが、あなぐらの中では天井に壁にと引っ掛かりまくりそうだ。立派な体躯が、この狭い穴ではかえってアダかもしれない。
どう見てもあなぐらに挑む装備じゃねえんだよなあ。
なんて言ってみたところで、俺だって大したものなんて持っちゃいない。
荷物はほとんど宿に置いてきちまったし、いまの俺にあるのは、銅貨の詰まった財布に、ちょっとしたナイフ。幸いなことにランタンは持ってきてたが、松明と違って割れたら終わりだ。
十フィートの棒でもあれば、もうちょっと安心できたかもしれんが。
「ええい、さっきから口ばかりではないか!」
「だが、巣穴の中はゴブリンの――そんなものがいるとして――ホームだぞ。中に何があるかもわからん、俺たちは夜目も利かん鼻も利かん」
「お嬢様がさらわれたんだぞ!」
それを言われると、なあ。
なにしろこっちはひと一人さらわれているから、急いで助けに行かなければならないというのは、これはこれで正しい感情だろう。
俺だって、見捨てて放っておこうとは、さすがに言わないし、言えない。
ただそのうえで、自分の危険な目には合いたくないってだけだ。ミイラ取りがミイラになんて笑い話にもならん。
とはいえ、いつまでもこうしてるわけにもいかないのは確かだ。
俺は猟師のおっさんに入り口の見張りと、マジで出てこなかったときの後を頼んで、覚悟を決めそこないながらもしぶしぶ穴に潜った。
やれやれ。どうしてこんなことになったのやら。
俺はヨシダ。今年で三十路になる。以前は――つまりここにくる以前は、うだつの上がらない調理人をやっていた。
自己紹介で始まるラノベが今も多いのかは知らんが、まあ自分でも整理のためにボヤいてるだけなんで読み飛ばしても構わん。
そもそもおっさんはラノベ一冊十万文字ぽっちを読むのさえ辛くなってきたんで、はやりに合わなくても諦めてくれ。
さて、そんな夢も希望も需要もないおっさんがなんでゴブリンの巣穴に向かう羽目になったかってことだが、喜べ少年少女、お前たちのお好きな異世界召喚展開だぞ。実際みんな好きなのかは知らんが。
ある晩のこと、アパートの三階までえっちらおっちら上り、自室前にたどり着いたところで、俺の足元に魔法陣っぽいなんか光る模様が広がった。
俺がもうちょっと危機意識のある人間だったり、定番展開に逆張りかけるタイプの人間だったり、もしくは単純に十代の頃の反射神経とフットワークがあれば回避できたのかもしれんが、疲れて回らない頭と立ち仕事で強張った足は咄嗟には動いてくれなかった。
まばゆい光に包まれたと思った次の瞬間には、俺は知らない部屋の中で棒立ちしてた。
蝋燭のちらちら揺れる灯り。埃っぽいようなかび臭いような、どこか古本屋か図書館を思い出させるようなにおい。ヨーロッパの古城を思わせる石造りの壁。
そして俺の前には目を輝かせる美少女。
回らないなりに空想に慣れた頭は、ちらっと思ったね。異世界転生、いや、召喚ってやつかと。毒されてるよな、まったく。
まあ、ちょっとは期待したし、向こうさんも何やら期待してたらしいんだが、残念ながら俺は特別な存在じゃあなかった。チートもない。ギフトもない。スキルもない。くたびれかけた三十路のおっさんだった。俺は俺のままだった。
せめてものご都合主義ってやつか、何とか言葉だけは通じたが、落胆はすさまじかったな。
俺の方はなにしろ、絶望と仲良くしてる現代日本人だ。諦めも早い。だが相手はなあ、古いおとぎ話の召喚魔法なんて試してみようとする夢見る十代だ。癇癪起こしてどうなるかと思ったぜ。
幸いというか、その美少女はともかく親御さんはいい人でな。俺が召喚されたとかどうとかは半信半疑だったが、娘のわがままに振り回されたせいだってのはわかったんだろうな。お情けではあるが、屋敷で雇ってもらえたよ。
この年で、しかも勝手も分からん異世界で就職活動は、さすがにしんどい。
現代っ子の俺としてはいささか不便な中世ヨーロッパ風世界だったが、近代よりっつうか、割と発展はしてるみたいで、長いこと戦争もない天下泰平の時代だってのは助かった。おっさんものも流行りといえば流行りだが、俺は活躍しない方のおっさんなんだ。
仕事も、厨房につけてくれたから、勝手は違うがやり方を覚えるのはそう苦でもなかった。
ひねれば水が出る蛇口も、簡単に火がつくガス・コンロも、食材を山と詰めておける冷蔵庫や冷凍庫も、もちろん電気だってないが、俺一人じゃない。現地の頼れる先輩方の助けがある。
当座の暮らしとしちゃ、悪いもんじゃない。
そんな中で問題があるとすりゃあ、例のお嬢様さ。
カビの生えたおとぎ話を掘り起こしてくる情熱。
召喚魔法なんて胡乱なものを試してみようとするようなフットワークの軽さ。
そーら聞こえてくるぞ。
「ヨシダ! ゴブリン狩りよ!」
そして付き合わされるのは俺なのだ。
行動力のあるファンタジー脳ってのは、まったく手に負えない。