5.毒入りカップ麺事件
リーサ
「さてさて、続いての作品は、『毒入りカップ麺事件』ですね」
まゆゆ
「なんか間の抜けたタイトルですね。それに、どこかで聞いたことがありそうな……」
リーサ
「なかなか鋭いですね。おっしゃる通り、アンソニー・バークレーの名作『毒入りチョコレート事件』をもじっています」
まゆゆ
「なるほどね。ところで、今回のテーマはなんですか?
たしか、第一作が『足跡ミステリー』、二作目が『クローズド・サークル』、三作目は『アリバイ崩し』、四作目が『ダイイング・メッセージ』でしたよね」
リーサ
「はい、五作目のテーマは、ずばり、『毒殺ミステリー』です!」
まゆゆ
「おおっ、これまたミステリー業界の代表的テーマの一つじゃないですか?」
リーサ
「『ミステリトリック大全Wiki』というHPによると、毒殺ミステリーのトリックは、大きく次の四種に分類されるそうですよ。
1、どうやって毒を持ち込んだのか?
2、いつ、何処に毒を仕掛けたのか?
3、どうやって被害者に服毒させたのか?
4、持ち込んだ毒入りの容器を、どう処分したのか?
ですね。」
まゆゆ
「なるほど。一言で毒殺事件といっても、細かく見れば、謎の種類がいくつかに分類できるわけですね」
リーサ
「ところで、そんなことも知らずに本作を執筆した作者は、毒殺テーマの本格ミステリーの難しさを、もろ思い知らされることとなるのです」
まゆゆ
「はて。いったい、何がどう難しいのですか?」
リーサ
「本格ミステリーは、唯一無二の犯人を、現場に残された手掛かりから必ず推理できなければなりませんよね」
まゆゆ
「ふむふむ」
リーサ
「たとえば、円卓のテーブルを四人の人物が取り囲んで、食事をしていたとしましょう。そのうちの一人が、突然胸をかきむしって椅子から転げ落ちました。さあ、犯人は誰でしょう?」
まゆゆ
「分かるわけありませんよ。仮に犯人が同じテーブルに座っていた三人のうちの誰かだとしましょう。でも、その三人がそれぞれ何をしていたかという記載が、全くないじゃないですか?」
リーサ
「そうですよね。犯人が一人に絞り込めるためには、現場の状況説明を用意して、容疑者を区別する必要がありますね。それも、読者には簡単に当てられないよう、さりげない区別でなければなりません」
まゆゆ
「いわれてみれば、たしかに難しそうですね」
リーサ
「では、やってみましょう。殺されたのは某会社のワンマン社長。同じテーブルに着いていたのは、会社の専務と、行きつけスナックのママ、お得意先の資産家老人、の三人です」
まゆゆ
「ふむふむ、いかにも、といった感じの三人ですね」
リーサ
「まず、専務がハイボールを振舞いました。あらかじめ冷やしておいた四つのグラスに、ステンレス製のアイスペールに入れられた氷を、アイストングを使って、三個ずつに取り分けました。そのあと、バーボンウイスキーのボトルから、それぞれのグラスに、五分の一ほどそそぎ込み、さらに、ペットボトルに入ったソーダ水を、グラスがいっぱいになるまでつぎ足しました。四人分のハイボールを作ったので、ソーダ水のペットボトルは、全部で二本が消費されました。
ハイボールが出来上がるや否や、スナックママが真っ先にグラスを二つ手に取って、片方を社長に、もう片方は自分の前へ置きました。ママその様子を見た専務は、残った二つのグラスのうち右側にあったグラスを資産家老人に渡すと、残ったグラスを自分の席の前へ置きました。
食事が始まると、テーブルに今朝採れたばかりの新鮮な生牡蠣が並べられました。社長が真っ先につるんとすすりました。すると、となりに座っていた資産家老人が、自分には牡蠣アレルギーがあるといって、自分の牡蠣も社長に食べるよう勧めたので、牡蠣がもっぱら大好物の社長は大喜びで、老人からもらった牡蠣も、ぺろりと平らげてしまいました。
すると、社長が急に思い出したように、『おお、そうだ。ママにオーストラリアで買ったお土産があるんだ』といって、ポケットから小物入れを取り出すと、そっとふたを開けました。中から出てきたのは、とても見事なオパールのネックレスでした。興奮したママは、思わず社長に抱き着いて、唇をあわせてキスをしました。あまりのあらわな行動に、専務と資産家老人は顔を赤らめて下をうつむいてしまったほどでした。
キスのサービスでますます上機嫌になった社長は、グラスに入ったハイボールを一気に飲み干しました。すると、途端に顔色が変化して、両手でのどを掻きむしりながら、社長は椅子から転げ落ちました。三人が慌てて駆け寄ったものの、すでに時遅しでした。
駆けつけた警察が、犯人を見つけ出そうと、懸命に捜査を行いましたが、結局、誰が犯人なのか突き止めることは、最後までできませんでした。
さて、社長を毒殺した犯人は誰でしょう?」
まゆゆ
「はい、はーい。簡単ですよ。犯人は、専務です。毒はハイボールの中に入れられたのです」
リーサ
「でも、待ってください。ハイボールのバーボンウイスキーは、同じボトルから注がれていますよね。それに、ソーダ水も、ペットボトルが二本使用されたという文章から、一本を二人ずつに分けて入れているはずですから、特定の一人のグラスに毒を盛ることができないはずですけど」
まゆゆ
「ちっちっち。違いますよ。毒は、バーボンウイスキーやソーダ水に仕込まれていたのではないんです。毒が仕込まれていたのは、氷の中。それも、アイスペールに入っていたたくさんの氷の中のたった一つに、毒を詰めて凍らせてあったのです。氷が解けると、中の毒がハイボールへ混入されるという仕組みですね」
リーサ
「でも、その氷をどうやって社長のグラスに入れることができたのですか?」
まゆゆ
「氷を取り分けたのは、ほかならぬ専務自身です。彼は社長のグラスにだけ、毒の氷をそっと入れたのです」
リーサ
「でも、専務が作った四つのハイボールグラスから、社長が飲むグラスを選んだのは、スナックのママですよね」
まゆゆ
「あら、そうだったですね。だとすると、専務の思惑がうまく行きませんね。
むむむっ……。
そうか。分かりました。犯人は、資産家老人です!」
リーサ
「えっ、どうしてですか?」
まゆゆ
「資産家老人は自分の前に置かれた生牡蠣に、こっそり毒を仕込んだのです。そして、自分は牡蠣が食べられないとか、勝手な理由をこじ付けて、社長にまんまと食べさせたのです」
リーサ
「でも、そうだとすると、資産家老人が社長に渡したお皿の中に、毒が残っているでしょうね。警察が調べればすぐに犯人が分かっちゃいますよ」
まゆゆ
「だからどうだというのです?」
リーサ
「問題文をよく読んでください。駆けつけた警察の懸命なる捜査にも関わらず、犯人は見つからなかったのです。その文章に矛盾します」
まゆゆ
「いちいち細かいことにうるさいですねえ。うむむ。
しからば、犯人はママですね」
リーサ
「して、いかなる手段で?」
まゆゆ
「ママはあらかじめ、自分の唇に塗った口紅に、毒を仕込んでおいたのです。そして、社長とキスをすることで、社長の口内に毒を投与したのです」
リーサ
「その前に、ママが死んじゃいませんか? お食事もしているんだし」
まゆゆ
「むむむむむ。それは、まあ、そうですよねえ」
リーサ
「それに、キスをした程度で、死に至らしめる毒薬って、実際には、はちゃめちゃな猛毒なんですよねえ。かの悪名高い青酸カリでさえ、致死量は0,2グラムなのです」
まゆゆ
「ええと、0.2グラムって、どのくらいなんですか?」
リーサ
「スーパーでウナギのかば焼きを買うと、おまけで、山椒の小さなパックが付いてきますよね。あの中身が、およそ0.2グラムだそうですよ」
まゆゆ
「ウナギですか。そういわれても、最近はお高くて、あまり食していませんからねえ」
リーサ
「0.2グラムは、耳かきにすると十五杯分くらいだそうですね。とどのつまり、結構な量なんですよ。ですから、仮に青酸カリを唇に塗ってキスをしたとしても、相手を死に至らしめるのは難しいかと……」
まゆゆ
「うわーん、分かりません。降参です。誰が犯人なのですか?」
リーサ
「と、こんな感じで、毒殺ミステリーって、創作が意外と難しいんです。お分かりになっていただけましたでしょうか?
細かなところまで、謎解きになると重要となってくる反面、そのわずかな証拠を、同じテーブルに着いた人たちに、証言をさせなければならないわけですよね」
まゆゆ
「能書きはいいですから、この例題の犯人を教えてくださいよ。気になって、夜も寝られないじゃないですか?」
リーサ
「犯人は、社長の主治医でした。主治医は社長にカプセル入りの薬を処方したのですが、社長はそれを食事の三十分前に服用していたのです。そして、そのカプセルが社長の体内で溶けて、カプセルの中に仕込まれていた毒で、社長は死んでしまったのでした」
まゆゆ
「なんですか、そのインチキ問題は?」
リーサ
「でも意外な犯人だったでしょう?」
まゆゆ
「馬鹿馬鹿しくて、コメントできません……」
リーサ
「それでは、いよいよ、本作の解説と行きましょうか」
まゆゆ
「待ってました。『毒入りカップ麺事件』ですね?」
リーサ
「はい。如月恭助シリーズの第五弾となる本作は、毒殺ミステリーを短編で書き上げよう、というのが作者のコンセプトでした」
まゆゆ
「短編だと謎解きにも切れ味が出ますからね」
リーサ
「お話の舞台は、大学の数学の研究室。午後ゼミに参加していた教授と学生たちが、休憩時間に食べるカップ麺に、なんと毒が仕込まれていたのです!」
まゆゆ
「シンプルな設定ゆえに、解答意欲も湧きますね」
リーサ
「事件当時に現場にいたのは、全部で七人の男女です」
まゆゆ
「恭助さんもその七人の中に含まれていたと聞きましたが?」
リーサ
「そうですね。彼も立派な容疑者の一人です!」
まゆゆ
「あらら、恭助さんも災難ですね……」
リーサ
「まさに、彼の行くところに事件あり、といったところでしょうか」
まゆゆ
「まるで、金田一耕助さんみたいな人ですね」
リーサ
「そして、恭助さんを除いた六人の登場人物のお名前ですが、なにかお気づきになりませんか?」
まゆゆ
「名前ですか?
佐伯宗太郎、枕崎真幸、竜ヶ水隼人、影待千穂、赤瀬清武、青井岳直見、の六名ですよね。
さあて、これといった特徴といわれてもねえ……」
リーサ
「『宗太郎』、『真幸』、『竜ヶ水』、『赤瀬』、『青井岳』の五つは、いずれも九州地区に現存する秘境駅の駅名なのです!」
まゆゆ
「……」
リーサ
「あれれ、どうかしましたか?」
まゆゆ
「だから、なんだっていうんです。単なる作者の自己満足に過ぎないじゃないですか?」
リーサ
「さらに、『影待』といえば、秘境駅オタクなら、知る人ぞ知る、2006年に廃線となった高千穂線に存在した、伝説の秘境駅です」
まゆゆ
「はいはい、随所に作者のこだわりが込められているということですね」
リーサ
「作者はかつて、『宗谷本線秘境駅殺人事件』の登場人物の一人の名前を『又村直樹』としておいて、あとになってから慌てて『又村俊樹』と修正した経験があります。
まゆゆ
「某著名人と、名前が酷似していたからですよね」
リーサ
「このように、小説の登場人物の名前って、意外と神経を使うのです。うっかり、現実にいる人物とかぶると、なにかと問題を引き起こしますからねえ」
まゆゆ
「だから、絶対にリアル人物の氏名とかぶる心配がない、秘境駅の名前を使用したと、自らの正当性を主張しているわけですね。作者は……。
でも、だとすれば、本シリーズの主人公『如月恭助』さんの名前って、ちょっとやばくないですか?」
リーサ
「……」
まゆゆ
「だってそうでしょう? 如月恭助って名前は、横溝正史が創作した名探偵『金田一耕助』と響きが似ているし、高木彬光が生み出した名探偵『神津恭介』と、字違いで完全にかぶっていますよねえ?」
リーサ
「……」
まゆゆ
「なにを黙りこくっちゃっているんですか?」
リーサ
「その件に関しては、作者もやばいと思いつつも、今さら主人公の名前は修正不能ということで、お茶を濁していましたね」
まゆゆ
「たしかに、小説の登場人物の名前って、十分に気遣う必要がありますね。たとえ、素人作家が創るマイナー作品であるといっても」
リーサ
「得てして、ぱっとひらめいた名前をそのまま登場人物に使うのは、危険です。今では作者は、心配に応じて、ネット検索でその名前が引っかからないかどうかを、調べています」
まゆゆ
「ところで、この小説の第一章って、途中からちんぷんかんぷんの数学理論が展開されていますよね」
リーサ
「作者の言葉によると、第一章の恭助君と影待さんの間で交わされた数学の議論は、読み飛ばしてもらっても、のちの推理には全く影響を与えないそうです」
まゆゆ
「じゃあ、なんでそのような無意味な文章を入れたのですか?」
リーサ
「まあ、数学に詳しい読者の方にも楽しんでいただけるようにと、どこかから調べてきたことを書いたらしいのですが、実際には、作者自身も書いた内容を理解していない、という闇情報も入ってきております」
まゆゆ
「読者から小馬鹿にされないようにと、必死にもがいている作者のあわれな姿が、眼に浮かんできますね」
リーサ
「第二章からは、いよいよミステリーの開始ですね。推理のポイントはただ一つ。犯人はいかなる手段で、毒を仕込んだ特定のカップ麺を選んで、被害者に食べさせることができたのか、ということです」
まゆゆ
「本作は、影待千穂と佐伯教授との対話形式で文章が記述されているから、展開もスムーズに進行していきます。まさに謎解きに特化した短編といえましょう」
リーサ
「そして、『読者への挑戦状』の前に、一連の事件内容を要約した、三十四項目のメモまで、サービスで添えられていますね」
まゆゆ
「名作『グリーン家殺人事件』で、ファイロ・ヴァンスが作ったメモを真似ていますね。重厚さでは、名作には遠く及びませんが」
リーサ
「それはともかく、最後の三十四番目もメモだけが、内容が読者に提示されません!」
まゆゆ
「それって、騎士道精神に反していませんか? 正々堂々としていない気がしますけど」
リーサ
「作者の言い分によれば、それが示されなくても、読者は論理的に真相にたどり着けるようになっているそうです」
まゆゆ
「解決編もうまくまとめられて、作者はこの作品にかなり満足しているみたいですね」
リーサ
「短編作品は最後の一文で読者をあっといわせたい、という願望が、作者にはあるそうですが、本作の最後の一文は、いかがだったでしょうか?」
まゆゆ
「……。
まあ、それはともかく、小説の第一文と最後の文には、常に特別なこだわりを持っていきたいものですね」
リーサ
「それでは、華麗なる毒殺短編ミステリーの本作。どうぞお楽しみください」