婚約者として
妃教育も進み、キルスティも達も14歳になった。
リヒャルト王子殿下の学園入学の年ということで、王族としての責任も増えていく中で、今回初めて、王城で開かれる夜会に出席することになったのだ。
「お嬢様。もう少し真剣に選ばれてくださいませ」
「そうは言ってもねえ。私、こういうのはあまり得意ではないのよ」
並べられた色とりどりの布地見本を見つめながら、キルスティはため息をついた。
エマが光沢のある青い布地を手に取って、主人に見せた。
「これなんていかがでしょうか」
「いいんじゃないかしら」
「いっそ淡いピンクというのも…」
「…いいんじゃないかしら」
「…真剣に選んでください。本当なら1年は猶予をもって選んでいただきたかったものを、ギリギリまで催促しなかったのですから」
睨んでくるエマに、キルスティはまたため息をついた。
4月には、キルスティ達の学園への入学が決まっている。
学園は全寮制なので、それぞれが実家に帰るのは長期休暇のみとなる。
王妃殺害未遂事件や第一王子の体調不良、王妃の西宮への拠点変更など、色々と重なったため遅れていた2人の婚約発表を先日したばかりだった。
「あの方のエスコートで入場するなんて、憂鬱だわ…」
今までの春のガーデンパーティなどは、まだ社交界デビューもしていないということで、あくまで来賓の1人といった具合で、エスコートは兄がしていた。
だが、さすがに婚約発表をした後の最初の王家主催の夜会だ。
本格的に社交界で活動するのは学園卒業後の18歳だが、今回も婚約者がエスコートするという社交界の形式は踏むべきだ。
「僕のエスコートでは不満かな」
隣で困ったように事態を見守っていたリヒャルトが苦笑した。
だんだんと背が伸びてきたリヒャルトは、はちみつ色の髪が少しくすみがかってきていて、すでに幼さが抜けている。
ふっくらとした唇とすっと通った鼻筋はまさに完璧な比率で、優しい面差しと合っていた。
こんなに綺麗な人の隣に立つのは、かなり緊張する。
「王宮裁縫師が困っていたよ。君のドレスがまったく決まらないって」
王子の婚約者ということで、今回は王宮お抱えの裁縫師にドレスを作ってもらうことになっている。
「あまり彼らを困らせてはいけないよ」
「貴方様の隣に立って見劣りしないようにするには、少々骨が折れるのです」
「キルシーが見劣りするなんてことはあり得ないと思うけど…それでは、色合いは僕が決めてもいいかな」
「殿下が?」
「君には、これだね。菫色」
「なるほど」
瞳の色に合わせるのは、なかなか無難で良い。
「そうですね。では、この色を採用させていただきましょう」
エマを振り返ると、彼女はすでに裁縫師を呼びに行ってもらえるよう手配している最中だった。
入室した裁縫師は、挨拶もそこそこに、嬉しそうに色見本を見た。
「お色をお決めになられたのですね!」
「ええ。この淡い紫色にします」
「それは素敵です! 瞳の色ととても合うことでしょう」
「スカートの裾はあまり広がらないよう、体にそう形でお願いします。胸元はを開けるなら、鎖骨が見えるくらいに。下品にならない程度にしてちょうだい。そこに紫色に染めた透かしレースをはるのも良いわね」
口早に告げたキルスティに、裁縫師は目を白黒させた。
「そのあたりを考慮していただければ、あとは好きにデザインしていただいて大丈夫です」
「とても素敵なドレスになると思います…ただ…また、流行とは少し違うものですね」
最近のドレスは、ふんわりと広がったスカートで、レースよりはフリルを使用したものが多い。
また、胸元は大胆に開けるのが流行っている。
「初めての夜会ですし、上品なほうが良いかと思いまして。スカートは、広がらないほうが好みなのです」
それに、この1年後予定のゲームの中では、レースを使ったドレスが流行していたはずだ。
それほどおかしな事にはならないだろう。
「分かりました! すぐにデザイン画を作ります!」
なぜか嬉々とした裁縫師が、生地見本を握りしめて退室する。
「裁縫師の憂いが晴れて良かったよ」
リヒャルトがくすりと笑った。
キルスティはダンスが上手ではない。
運動神経が良いために下手でもないのだが、いかんせん音感というものが死んでしまっている。
これから会場でダンスをしなければならないことを思うと、自然とため息がもれた。
朝から髪や肌を手入れされ、磨き抜かれたキルスティは、菫色のドレスに身を包んでいた。
披露宴ギリギリでできあがったドレスは、キルスティの要望どおり控えめで、すとんと落ちたデザインのスカートは、いくつか切り返しが入っており、身をひるがえすたびにそれはそれは綺麗に揺れた。
さすが、王宮おかかえの裁縫師である。
冷たそうに見える銀の髪は、エマの好みで、ハーフアップにして編みこんだ。
精一杯おめかししたつもりだが、華やかな装いをすることで、さらに容姿のキツさが引き立ってしまっている気がする。
「ドレスに着られているように見えないかしら」
「大丈夫ですよ。私は腕が良いので。今のお嬢さまは、この国の誰よりも美しいです」
エマが、キルスティを褒めているんだか自画自賛しているんだか分からない返答をする。
鏡の前で渋い顔をしているうちに、リヒャルトの迎えがきた。
行先は王宮なので迎えはいらないといったのだが、「仲の良さをアピールしたほうがいいよ」と言って、わざわざ来てくれることになったのだ。
「今日は一段と美しいね」
女性を褒めるのは、この世界の貴族男性の義務である。
「どうぞ」
自然な動作で、馬車に乗り込もうとするキルスティの手を取る。
ドレスを着た普通の女性では一人で乗り込むことが困難な馬車だが、キルスティには造作もない。
それをわかっているのに、律儀に女性として扱うリヒャルトは、やはりとても紳士的だと思う。
王子様みたいだ。
「…王子様か」
「どうしたの」
「いえ。独り言です」
婚約者といっても未婚の女性であることに配慮したのか、リヒャルトがキルスティの前に座る。
代わりに、付き添いのエマがキルスティの隣に座った。
馬車が動き出してからしばらくして、リヒャルトはおもむろに言った。
「今日は僕から離れないようにね」
「どうしてでしょうか」
「確かに今日は僕の誕生日パーティーということだけど、君との婚約の正式発表の場でもあるんだよ」
「なるほど。仲が冷め切っていると思われては、王家としては体裁がお悪いですものね」
「…そうだね。だから、僕のそばにいてくれる?」
「もちろんです。王家の威信にかかわることです。全力で殿下の隣を死守させていただきます」
今日は残念ながら第一王子は体調不良で来られないが、王妃のクリスティーナ様が参加されるのだ。
なにか危険があるかもしれない。
決意を胸に、キルスティは気をひきしめた。