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第2王子


物事を円滑に進めるためには、まず事実の整理が必要である。


毎日のように王城で行われる妃教育は恐ろしいほど厳しかったが、剣の稽古を認めてもらうため、キルスティはなりふり構わず頑張った。


あの契約通り、騎士としての剣など妃に不要とあやうく剣を取り上げられそうなところを、リヒャルトは止めてくれた。


「キルシーが剣は使えるのは心強いから」と涙を浮かべながら訴えるリヒャルトに、大人たちは先日の事件の恐怖を蘇らせてはならないと、キルスティから剣を奪うことを止めた。


皆一様に美しい王子に同情的だったが、キルスティだけは、なぜかまたあの寒気を堪えることができなかった。


1か月が過ぎる頃には、キルスティもだいぶこの忙しい毎日に慣れてきて、ゲームの詳細を書き留めるべく筆を取った。使う文字は、もちろん日本語だ。


これなら、侍女のエマに見つかったところで、彼女には読めないだろう。


今回の王妃殺害未遂事件、心を病んだ衛兵の王家への逆恨みということになっていて、すでに極刑が決まっているが、これは事実とは少し異なる。


まず結論から言うと、今回クリスティーナ妃を襲った衛兵は、第2王子派の者の息がかかっていた。


この第2王子というのが厄介で、実はこの王子、クリスティーナ妃の産んだ子どもではないのである。

あの威厳の塊のような王様、この一夫一妻制の社会において、クリスティーナ妃が第一子を妊娠中に、不貞の子を作っている。


この第2王子の本当の母親は、王妃の侍女をしていた子爵令嬢であり、この国の宰相フェルマン侯爵の親戚筋の人間だ。


もともと、フェルマン侯爵は自身の娘を王家に輿入れさせ国を牛耳るつもりでいたのだが、他国と同盟を結ぶ際に、その国の王女をもらってしまったため、この計画は潰えてしまう。


そこでクリスティーナ妃の妊娠中に自身の息のかかった者と不貞行為を行わせ、子どもを作った。

第2王子は早産だったとされているが、時期が合わないのはこのためである。


そして、早々に外国に婿入りさせることが決まってしまった第2王子を王にするため、 クリスティーナ妃殺害を思いつく。


毒殺や暗殺ではなく、茶会で堂々と犯行を行うことで、現王朝の無能さを明らかにしてやるというフェルマン侯爵の目論見は、今回意外なことに、仇敵であるフロンツェル侯爵の幼い娘が阻止することになってしまうわけだが…


ちなみに、宮中では実しやかに噂され続けていることではあるのだが、幼い王子たちの耳にもこの話は入っている。


第2王子のアロイス殿下は、このゲームの攻略対象であり、ダークヒーローというか、悪役も兼ねているわけで、主人公が彼とのハッピーエンドを迎えると、アロイス殿下が王になり、主人公は王妃となる。


その場合、第一王子のローラント殿下は体が弱いことを理由に廃嫡、リヒャルト殿下は隣国の王族に婿養子に入ることになる。


ちなみに、主人公がリヒャルト殿下を選んだ場合も、ハッピーエンドは同じように彼が王になる。

日本ではリヒャルト殿下ルートが人気で、リヒャルトは公式推奨キャラクターでもある。


深く考え込んでいると、ふと部屋の扉が開く音がした。


「キルシー?授業はもう終わったの?」


「殿下」


「ルトだってば」


リヒャルトは苦笑すると、キルスティの手を取った。


「豆ができているね。今日も剣の鍛錬をしてきたの?」


ここ最近のリヒャルトのお気に入りは、キルスティの手の豆チェックだった。豆なんて確認して、何が楽しいのか、にこにこしている。


すでに本日の妃教育は終わっていて、あとはキルスティが家に帰るだけの状態だが、ぼんやりしているキルスティを急かすこともなく、エマはただ後ろに控えていた。


「鍛錬は、朝行いました。本日の勉強は終わりましたので、私は失礼させていただきます」


「なるほど。お疲れのところ申し訳ないのだけれど、実は今日は、キルシーに見せたいものがあるんだ」


「なんでございましょうか」


「ちょっと待っていて。僕も授業を抜け出してキルスティの様子を見に来てしまったから、一度許可を取ってくるよ」


ひらひらと手を振って、リヒャルトが出て聞く。

が、その後1時間ほど経っても、呼び出しはなかった。






ふと、本から顔を上げた。どこからか争う声がする。


しかも、一方はそれはそれは可愛らしいソプラノだ。

許可を取りに行くといってから1時間を過ぎているし、あの王子が人を待たせるとも思えない。


そっとバルコニーへ出る。

扉の前に待機していたエマが、「お嬢様」と呼んだのを無視して、下をのぞき込む。


1階には、ブロンドの髪を風になびかせたリヒャルトと、黒髪の男の子がいた。詳しくは聞こえないが、黒髪の男の子がリヒャルトを責めているようだ。


ふと上を見上げたリヒャルトが、バルコニーの柵の間から見ているこちらに気付いた。その小さな唇が、「キルシー」と動く。


ここは2階。いける。


バルコニーの柵はちょうどキルスティの背丈ほど。そこに手をかけてひょいと勢いをつけて体を持ち上げると、キルスティは柵を乗り越えた。


後ろからエマの「もう!お嬢さま!」と侯爵令嬢のお転婆をいさめる侍女の声がする。が、キルスティはすでに空中だ。


下のふたりは、2階のバルコニーから落ちてきたキルスティにぎょっとしている。リヒャルトにいたっては受け止めようとでもいうのか、とっさに手を伸ばしている。


が、王子にそんな真似はさせられない。


猫のように体をひねらせて落下地点を操ると、キルスティはちょうどリヒャルトと黒髪の男の子の前に着地した。


黒髪の子は、リヒャルトより少し大きく、しかも第2王子と言い争いができる間柄だ。

あまりの事態に固まっている男の子に、乱れた銀髪を手早く整えると、キルスティは最上級の礼をした。


「ごきげんよう。私は、フロンツェル侯爵の娘、キルスティ・アイリ・フロンツェルと申します」


先ほどの暴挙が嘘のように、キルスティの挨拶は優雅だった。

妃教育のたまものである。


ぽかんとしていた男の子は、「あ、どうも」とうつろな返事をしてから、はっと目を見開いた。


「き、君…いまバルコニーから…」


「はい。リヒャルト殿下が見えましたの。貴方様が殿下と親しげなご様子でしたので、ぜひご挨拶をと思い馳せ参じました」


馳せ参じ方は淑女としてあるまじきやり方だったが、この際それは置いておこう。


まだぽかんとしている男の子。


リヒャルトの行動は早かった。

がしりとキルスティに肩を、それは拘束とも取れる力で引っ張ると、自身の隣に立たせた。


キルスティとしては危うげな男の子がいる以上、リヒャルトの前に立っていたいのだが、そんなことはお構いなしのようだ。


「アロイス兄上。こちら、僕の婚約者のキルスティです。キルスティ、こちらは第2王子のアロイス・ルイ・アレリシオ殿下です」


強引にふたりを紹介すると、「では」と短く言って、キルスティをリードしているように見えるよう、内実は罪人を連行する刑務官のようにキルスティの手を引っ張って歩く。


やはり、キルスティの勘は正しかった。

あの黒髪の男の子が、第2王子のアロイス殿下だったようだ。


リヒャルトが自身の部屋までキルスティを引っ張るころには、追い付いたエマが後ろに控えていた。


扉を閉めるなり、リヒャルトのソプラノが、なぜか地獄の底から這いだしたように沈んだ音で「キルシー」と呼んだ。


エマは、やはり扉の前で待機中で、キルスティを助ける気はないらしい。


「君には、危険と危険ではないことの区別がつかないようだ」


「殿下がお呼びになったのでしょう」


「あれは、気にするなという意味だよ!まさか二階から飛び降りるなんて…」


「大丈夫です、殿下。私は小さいころから、フロンツェル侯爵領の猿の称号をほしいままにして参りました」


「それ、絶対誉め言葉じゃないから」


冷静に言い返すと、リヒャルトは大人びた仕草でさらさらの金髪を書き上げると、8歳児とは思えないそれはそれは深いため息をついた。


「…君を婚約者にしたのは、早計だったかもしれないね。思ったよりも僕の予想が追い付かない」


「あら、殿下。お言葉ですが、私が妃に向かないお転婆であることは、最初から申し上げておりましたわ。詐欺ではございませんよ」


「その通りだ」


リヒャルトがこめかみを抑える。この数か月で、キルスティにもわかっていた。

リヒャルトは、とても危うい立場にいるため、人前では利発さを見せない。子どもらしく振舞いながら、彼はいつでも場の打開策を探していた。


そんな彼に、キルステはィ好感を持っていた。特に迷いはなかった。


子どもらしくいられないリヒャルトを可愛らしいと思う。これは母性本能とかいうものなのかもしれない。


キルスティは、自分にできる最大限に、やさしく微笑んだ。


「リヒャルト殿下。私、あなたを裏切ることは致しません。私は、王の剣の一族です」


「知っているよ」


「そして、私はリヒャルト殿下の剣でございます」


「…なるほど。君は王の剣の一族ではあるが、君自身は僕の剣であると?」


「その通りです。貴方様のお好きにお使いください。私、必ずお役に立ちます」


静かに告げたキルスティに、リヒャルトはあやしく微笑んだ。


「君が僕の剣であるというなら、大事に使わせていただこう。しかし、キルシー」


反応に遅れるくらいすばやく距離を詰めると、リヒャルトはキルスティの額にかかった髪を優しくはらった。


「淑女はあまり、男に好きにしてほしいなどと言うものではないよ」


リヒャルトの唇が、キルスティの額に触れる。


フロンツェル侯爵家の娘であり、前世でも生娘であったキルスティにはいささか強すぎる刺激に、彼女は後ろにばたりと倒れた。


今回の口づけは、なぜか、先日手の甲に受けたものとはまったく違いもののような気がする。


あわてたリヒャルトの声は、ただの子守歌のようなもので、キルスティは意識を手放した。


そういえば、リヒャルトが見せたかったものとは何だったのだろうかーーー

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