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婚約

「よく来てくれた」


きらびやかな装飾に縁どられた明るい部屋の中で、檀上で優雅に座っている王は、まさに王様と呼ぶにふさわしい風情だ。その口端が、にたり吊り上がる。


肩まで伸びたつややかな黒髪に、意思の強そうな緑の瞳。リヒャルトは母親似なのだろう。

王に寄り添うようにして座るクリスティーナ妃は、キルスティの母の出身国の北国の姫君で、全体的に色素が薄い。


ふと、二人の隣に立つリヒャルト王子と目が合った。優し気に細められた目元に、少し安心する。


もしかしたら、この後の交渉は、上手くいくかもしれない。


「こちらへ」


呼ばれたフロンツェル侯爵一家は側により、最上級の礼を取った。


「楽にしてくれ。まずは、キルスティ嬢。先日、私の妃を助けてくれたことに感謝を。そして、貴殿に大きな怪我をさせてしまったこことを心からお詫びする」


「もったいないお言葉でございます。我らフロンツェル一族は、王家に忠誠を誓う身。我らが妃殿下をお救いできたこと、大変光栄に思っております」


まっすぐに王を見ながら返答したキルスティに、王は「ほお」と感心したように呟いた。


「さすが、お前の子だな。ダン」


愛称で呼ばれたダミアン・アッテ・フロンツェル侯爵は、むうと頬を膨らませた。アレリシオ王国一の剣士と謳われる屈強な将軍である彼に、その姿ままったく似合わない。


「本当なら、この子に王家への輿入れなど身に余りすぎることですので辞退申し上げるべきなのですが、アレキサンダー王がどうしてもと仰るので…」


侯爵のあまりな物言いに、クリスティーナ妃はぷっと吹き出し、アリエルはじとりと夫を睨んだ。


クリスティーナ妃は立ち上がると、優雅に礼をした。


「前日は、本当にありがとう。貴女のおかげで、命拾いをしました」


「いえ、私が出ていかずとも、優秀な騎士の皆様が剣となり、盾となっていたことと思います」


「まあ、そんなことはないわ。貴女のような勇敢なお嬢様をお嫁にもらえるなんて、ルト…リヒャルトは、とても幸運だわ」


いや、お宅の王子さまは勇敢な女より守ってあげたいような女が好みですよ、とは、さすがのキルスティにも言えない。

曖昧に笑うキルスティが緊張していると思ったのか、クリスティーナ妃は場を仕切りなおすように言った。


「今日は堅苦しいことはなしにしましょう。別室へどうぞ。少し、これからのことをお話ししましょう。その間、小さなお二人は、仲を深めるために、お茶でもしていらして。ルト、貴方の未来のお嫁さんをエスコートして差し上げて」


リヒャルト王子はうなずくと、檀上からゆったりとした仕草で降り、そっとキルスティに腕を差し出した。

キルスティは、大人しく彼の腕に手を添える。


アリエルがさも微笑ましいというように「まあ」と笑い、侯爵は「ぐう」と悔しそうに唸った。


お父様、リヒャルト王子のこの態度も運命の女性が現れるまでなのですよ、と冷めたことを思いながら、キルスティは謁見の間を後にした。





応接間らしき部屋に入ると、リヒャルトはふかふかのソファを勧めてきたが、キルスティは首を振った。


「本日は、リヒャルト王子殿下にお話ししなければならないことがあります。発言をよろしいでしょうか」


かた苦しい態度に、リヒャルト王子は少し眉を寄せた。


「発言なら、いつでも許可しているよ。君は僕の婚約者だからね」


初めて聞いた王子の声は、それはそれは可愛らしいソプラノで、キルスティは微笑ましく思う。どうやっても彼を同じ年の男の子と意識できそうにもなく、気分は近所の可愛い子どもを目の前にするおばちゃんだ。


「不躾な物言いをお許しください。もし、私のほかにお心を動かされる方が現れましたら、殿下には躊躇などせず、婚約を破棄していただきたいのです」


王家からの打診である以上、この婚約は侯爵側からは断れない。

まだまったく娘の婚約者など決めるつもりのなかったあの父が、しぶしぶながらも従ったのは、いい縁談がないだろう未来を考えただけでなく、純粋に断ることができなかったからといところもあるだろう。


それに、王妃をかばい傷を負った侯爵令嬢を捨て置くのも、王家としては外聞が悪い。


「…それは、僕が不貞を働くということかな」


8歳でよく不貞なんて言葉を知っているな、と考えながら、キルスティは首を振った。

アレリシオ王国は、一夫一妻制。

諸外国では珍しく、貴族の不貞はあまり好まれない。


「王家の方々が責任を感じて私を望んでくださったのは、とても感謝しております。ただ、私は王族の妃には向かないでしょう」


「…それはどうしてかな」


「…お恥ずかしながら、私はあまり淑やかなほうではありません」


「そうだね。靴を脱いで走り出し、不審者を撃退するくらいだもの。お天馬なご令嬢なんだろうね」


リヒャルト王子が笑う。

キルスティは、違和感を覚えた。


あの茶会の日に見たリヒャルト王子は、もっと子どもっぽかった気がする。お菓子に気をやり、姉姫にくっつく、ただただ可愛い男の子だった。


それがなぜか、今日のリヒャルト王子は大人びた笑みを張り付かせ、難しい言葉を使う。


「君はとても強い。さすが剣の一族というところかな。まだ婚約者なんて選ぶつもりはなかったけど、これならある程度は放っておいても大丈夫そうだ」


「…リヒャルト殿下は、剣としての私をご所望ということでしょうか」


「ルトでいいよ。親しい者はそう呼ぶ。僕もキルシーと呼ぶよ」


キルスティは目を見開いた。ルトは、物語の主人公にのみ呼ぶことを許された王子の愛称だ。


戸惑うキルスティに、一歩、一歩、リヒャルト王子が近づく。その姿は正しく天使のようなのに、なぜかキルスティは肉食動物に捕食されそうな気分で、半歩後ろに下がった。


「そんなに怖がらないでよ。僕のお姫様」


気圧されている少女などものともせずに距離を詰めると、リヒャルトはキルスティの手を取る。そしておもむろに、その手の甲に唇を落とした。

やけに分厚く、やわらかい唇だった。


この国では手の甲へのキスは珍しくないことだが、まるでおとぎ話みたいだわ、と思う。


「僕から課す君の仕事は、ひとつだけだよ。僕より先に、死なないこと」


「…はあ…」


キルスティは、曖昧な返事をした。

王の剣の一族には、少々難しい要求に思える。


「君には王家に入るものとして妃教育受けてもらうことになるけれど、剣はどうするのかな」

「続けるつもりです」


婚約破棄された場合、キルスティには実家からの勘当というイベントが待っている。

その時、自身の力だけで生きていくすべが必要だった。幸いにして、キルスティにはかなりの剣の才能がある。


磨けばそれなりに物になるはずだ。


「本来ならば妃になる者には剣は必要ないが、それを不問にしよう。そして、先ほどの要求ものむ。これでどうかな。僕からの課題は、受けてもらえる?」


キルスティは少し考えてから、首を縦に振った。


ゲームでのキルスティは、勘当の後にどうなるかが描かれていないが、なかなか手練れのご令嬢だ。処罰はあっても処刑の結末はなかったし、まさか野垂れ死んでいることはないだろう。


それならば、十分にこの要求は果たせる。


「承知致しました。リヒャルト殿下。私が貴方より先に死ぬことはございません」


「ルトだよ。キルシー。では、契約成立だ」


リヒャルトは、まだ手に取ったままだったキルスティの小指に、自身の白く長い小指を絡ませた。

そして、それはそれは甘く笑ったが、なぜかキルスティには、その笑顔が少し不気味に思えてならなかった。



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