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自分への説得


目を覚ますと、そこは期待していた室内ではなかった。


何故か一面が真っ白で、かすかに肌寒い。


「……嘘だろう」


起き上がり、辺りの景色を見て愕然とする。


ここは寝室ではない。


背には意識を手放した時と同じように木の幹があり、辺り一面は真っ白な雪に覆われていた。


本来ならば凍える様な寒さの筈だが、夢だからだろうか。肌寒いとは思うが、耐えられない寒さではない。


「夢の中でまで眠るとは」


まさかこのまま、一生目覚める事はできないのだろうか。


そんな恐怖を抱きながらも、いつまでも雪に埋もれているわけにもいかず、道端へと出る。


遠くには、明かりのついた実家が見えた。拓摩は無意識に歩みを進め、そちらへと進んでいった。


「今度は冬か。なんなんだ、一体」


さくさくと、冷たさのない雪を踏みしめるのは、なんだかおかしな感覚だった。


こうなったらもう、気が済むまで付き合ってやろう。半ば開き直り、庭の垣根に近付く。


意識を手放す前は秋だったのだから、次に冬がくるのは自然な事だ。が、なんとなく、この冬は、同じ年ではない様な気がした。垣根から中を覗き込む。


すると縁側には、少し成長した拓摩少年が、上着も着ずに座り込んでいた。


(一体どうしたんだ?)


その表情は酷く悲しげで、時折鼻を啜っている。どうやら泣いている様だ。


何か悪いことをし、閉め出されたのだろうか。だが、さすがにこの真冬に、コートも着せずに子供を締め出す様な事はしないだろう。


それに、こんな折檻じみたことをされた記憶もない。


訝し気に見ていると、拓摩少年は視線に気付いたらしく、こちらを見た。


目が合い、慌てて身を隠す。


『何してるの』


遂に見つかってしまった。さすがにこの状態で隠れているわけにはいかず、観念して顔を出す。ふてくされた拓摩に、拓摩少年はもう一度声をかけた。


『おじちゃん誰?』


「おじちゃん……?」


自分は28だ。まだまだ若いつもりでいたが、子供から見れば、立派なおじさんらしい。


「おじさんは、お父さんの知り合いだよ」


『お父さんの、友達?』


「あぁ。それより、どうしたんだ、こんな格好で。風邪引くだろう」


よく見ると、靴下も履いておらず裸足だった。このままでは、いくらなんでも風邪を引いてしまう。


しかし拓摩少年は涙を浮かべたまま、先ほどの拓摩と同様、ふてくされた表情を浮かべた。


『良いんだよ。僕なんていなくても、誰も困らないから』


「どういう事だ?」


呟いた時、家の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。その瞬間、拓摩少年の表情が変わった。


自分が隣夫婦の赤ん坊の泣き声を耳にした時と同じように、子供ながら、忌々しそうな顔で室内を睨んでいる。それは、自分自身で見ても恐ろしいと思った。


こんな表情を浮かべる子供の自分も、常々こんな表情を浮かべていた、今の自分も。


『この前、友也――弟が生まれたんだ。毎日毎日泣いてばかりで眠れないんだ。お母さんもお父さんも友也に付きっきりで』


それを聞き、拓摩は思い出した。


5歳の頃、弟が生まれた。友也は性格なのか、一日中泣きっぱなしで、夜中が特に酷かった。


毎晩毎晩、眠れない程の泣き声が家中に響き渡る。


今まで1人っ子として甘やかされて育ってきた拓摩は、急に両親を年の離れた弟に奪われ、悲しみと憎しみ、苛立ちを抱いていた。


20年以上経った今でも、あの頃抱いた感情はうっすらと覚えている。


だからこそ拓摩は、すんなりと少年の気持ちに同意する事ができた。


「その気持ち、わかるよ。俺にも弟がいてね。突然両親を弟に取られて、すごく悔しかった」


『おじちゃんも?』


初めて理解者を得た事が嬉しかったのか、拓摩少年は僅かに表情を明るくさせた。


「あぁ。それに、今住んでいる家でも、隣に住んでいる夫婦の子供がうるさくてね。毎晩毎晩、眠れずに参っているんだ」


あの金切り声を聞くと、頭が痛くなる。


安眠を妨害される苛立ち。いつ止むのかすらわからない、永遠の様な雑音。


初めは拓摩も我慢はしていた。赤ん坊が泣くのは仕方がない事だと。


だが1週間、1ヶ月と続くうちに、赤ん坊のみならず、子供の泣き声ですら鬱陶しく思う様になった。

壁を叩いてもドアを叩いても止まない騒音。


次第にこの泣き声が止まないのは、隣夫婦がきちんとした躾やあやしをしていないからではないかと思うようになった。


そしていつの間にか、泣き声が聞こえる度に、怒鳴り込む様になってしまったのだ。


『じゃあ、おじちゃんも分かるよね?僕、友也の泣き声が大嫌いなんだ。うるさいし、なにをしても泣き止まないんだよ。お母さんも構ってくれないし。おじいちゃんの所にでも行っちゃえば良いんだ。――友也なんていなくなればいいんだ!』


そう叫ぶと、拓摩少年はぐずぐずと涙を浮かべて泣き出す。拓摩はそんな自分を見つめると、穏やかに笑いながら言う。


「赤ん坊は言葉を話せないから、泣いて意思表示をするんだよ」


「え……?』


「俺は――いや、拓摩は腹が減った時や、眠たい時は言葉で伝える事ができるだろう?だけど赤ん坊は何も言えない。だから不満があれば、泣いてそれを伝えるしかないんだ」


いつの間にか拓摩少年の涙は止まり、相変わらず不満気ではあるが、こちらの話に耳を傾けているようだ。


拓摩は少年――いや、自分自身に語りかける様に続ける。


「不満を理解してくれない苛立ちから、また泣くんだ。お前はわかるか?いくらお腹が空いたと言ってもご飯を食べさせてくれない苛立たしさ。赤ん坊は言葉を話せる様になるまで、ずっとそれが続くんだ。だから――赤ん坊が泣くのは仕方がない事なんだ」


拓摩少年は目元を拭い、黙って俯く。


相変わらず何も言わないが、理解できているのは分かっていた。


「それにお前も、赤ん坊の頃は酷かったんだぞ?毎日毎日泣いて、真夜中にお前をおんぶしてこの辺りを散歩したりして。時には朝までかかる時もあったんだ」


『僕が?』


「あぁ、そうだ。毎日毎日……」


『拓摩、どうしたの?』

『どうして寝てくれないの?』

『お腹が空いたの?』

『おむつが濡れているの?』

『お願いだから眠って、拓摩』


母親の困り、疲れ果てた表情が痛々しく記憶に残っている。


この夢の中で、拓摩は小学生の自分に会う前に、もう1つ、違う光景を目にしていた。


それは、赤ん坊の自分が葉っぱを口に入れた瞬間だった。


突然光景が変わり、夜になった。突然辺り一面が真っ暗になり、周囲には赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。


目をこらすと、母が縁側に腰掛け、泣き喚く自分を抱き、懸命にあやしていた。


『拓摩、もう3時よ……。眠たくないの?どうして泣きやまないの?』


体を揺らしてリズムをとりながら、母は必死に泣き喚く自分に語りかける。


『お腹が空いちゃったの?違うわよね。さっき、おっぱい上げたばかりだもの……ねぇ、拓摩。お母さんは眠たいの。良い子だから、そろそろおねんねしましょうね?』


母は決して声は荒げなかったが、口調から、切実な思いが伝わってきた。


『そんなに泣いたら喉が痛くなるわよ。目だってこんなに腫れて……』


母は深い溜め息を吐くと、ぎゅっと泣き止む気配のない自分を抱き締めた。


すると障子が開き、眉を寄せた父が姿を現した。


『あ、ごめんなさい……。起こしちゃったわね。拓摩が全然寝てくれなくて』


『お前、もう2日も寝ていないだろう?拓摩は俺が見ているから、そろそろ寝ろ』


『でも……』


『大丈夫だ。明日は休みだからな』


父は優しく母の肩を叩くと、笑みを浮かべて拓摩を抱き上げる。


『よしよし。拓摩は男の癖に泣き虫だなぁ。父さんと一緒に、散歩でも行くか!』


さすがに、赤ん坊の頃の記憶まではない。が、あれはただの夢の一部だと切り捨てられない思いもあった。


隣夫婦の子供も、さすがにあんなに泣きわめいてはいない。


自分の時は近所からの苦情がなかったのは、まさしく山奥の田舎に住んでいた為だと知った瞬間、今まで夫婦に浴びせてきた暴言を恥じ、後悔した。


『僕……全然覚えてないよ』


「赤ん坊だったんだから当然だ。だけど本当の事なんだ。お前はいつも泣いてばかりで母さんや父さんを困らせてな」


思わず、笑みが漏れる。まさか自分が、一番嫌悪していた子供そのものだったなんて。


「でも、それを気にする必要はないんだ。赤ん坊が泣くのも騒ぐのも当たり前の事だから。だけど――」


呟くと、笑みを浮かべたまま、目を伏せる。


「どうかそれを、許してくれ。これから先、色々考え方が変わるかもしれない。子供が走り回る音や騒ぎ声がうるさいと思う事もあるかもしれない。だけどそれは全部、お前がやって来た事で、大人達に許されてきた事なんだ。だからお前も、ちゃんと許せる大人になるんだ」


『……?』


いつの間にか自分へ言い聞かせる為に話が飛躍してしまい、拓摩少年は理解できないらしく、不思議そうに首を傾げた。


『おじちゃんの言っていること、わかんない』


「俺が言いたいのはつまり、弟を大事にしろって事だ。夜泣きも許してやれ。たった二人の兄弟なんだから、いなくなれとかなんて言うんじゃないぞ」


拓摩少年は再び、泣き声がする室内に視線をやった。が、その表情は先ほどの様に、憎しみや怒りを持った、恐ろしい表情ではなかった。


すると突然障子が開き、慌てた様子の父が駆け寄ってきた。


「拓摩!こんな格好で何しているんだ!?風邪引くだろうっ」


「お父さん……」


拓摩少年は父親にぎゅっと抱き付くと、再び涙を流し「ごめんなさい」と繰り返した。


「泣かなくて良い。本当にお前は、昔から泣き虫だな」


父は笑みを浮かべ、拓摩少年の頭を優しく撫でる。それを見た拓摩も笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。


「あ、そうだ。今ね、お父さんの友達とお話していたんだよ」


「なに?父さんの友達?」


「うん、ほら。あのおじちゃん……あれ?」


拓摩少年が指を差した先には、真っ白に染まった垣根だけが並んでおり、誰の姿もない。


「誰もいないじゃないか。きっと近所の人でも通りかかったんだろう。それより早く中に入れ。風邪引くぞ」


「うん……」


拓摩少年は釈然としない表情を浮かべながらも、父親に手を引かれて室内へと姿を消した。

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