子供の遊び
久しぶりに歩く家路は、酷く懐かしかった。
どこを見渡しても畑ばかり。舗装されていない砂利道の左右には、子供1人ならばすっぽりと体が収まる程の水路がある。
今ではもう、こんな場所に足を入れたいなどと思わないが、小学生の頃は、この水路がプール代わりだった。
虫網を片手に、アメンボやタガメ、時にはザリガニなどを釣って遊んだ。
今でこそ東京の都心部に住んでいるが、実家が農家を営んでいたため、もともとは埼玉の田舎で暮らしていた。
都会色に染まってしまった為、実家には何か特別な行事がない限り帰省はしない。
しかしここは、紛れもなく、高校卒業まで過ごした故郷なのだ。
秋になり、実りをつけた栗の木を見上げる。
未だに自分が下着姿である事に違和感は抱く。
都会に慣れてしまった為か、素足で秋虫が鳴く草むらに足を踏み入れる事に、一瞬躊躇した。が、これは夢なのだからという免罪符を繰り返し、恐る恐る歩み寄る。
足元には茶色いイガに包まれた栗がまるでトラップの様にばらまかれており、油断をして踏みつけてしまうと、飛び上がるほどの激痛に襲われた。
「なんだって、夢のくせに痛覚があるんだ」
忌々しいイガを避け、やっとの事で木に触れる所まで近付いた。
都会に出て来るというのは、良くも悪くも世界を知り、視野を広くする。
あの頃は、この家と、学校までの道のりが拓摩の世界の全てだった。
視野が広くなれば、自ずと見えなくなるものもある。
この奇怪な夢は、自分が見えなくなっていた何かを、再び視野に入れようとしているのだろうか。
そんな気がした。
年老いた田舎の両親だろうか。音信不通になりつつある、年の離れた弟の事だろうか。それとも――。
空を見上げると、たくさんのトンボが飛び回っており、それがいっそう、秋の景色を深めていた。
今ではもう、触れる事すらできないかもしれない。興味本意で、目の前に止まった1匹のトンボに、恐る恐る手を伸ばした時だった。
『今日もたくさん落ちてる!』
子供の声がし、振り向く。そこには黄色い帽子に黒いランドセルを背負った少年が佇んでおり、目をキラキラさせて地面を見ていた。
あの子供は、恐らく小学生の自分だ。背格好から、恐らく1、2年だろう。
自分に自分は見えるのだからと、慌てて木の陰に身を潜める。
あの位の年齢ならば、こんな場所に下着姿の男が居るのが正常ではないという判断は出きるはずだ。
さすがに、自分自身に変質者扱いをされるのは困る。
少年はランドセルにぶら下げていた給食袋から中身を取り出すと、慣れた手付き(正しくは足付きだが)で、イガの中から栗を取り出し、袋へ詰めていく。
(そういえば昔は、よくこの栗を拾っていたな)
学校帰りに木に立ち寄り、近所の友人達と争って栗を持ち帰った。
給食袋いっぱいになったそれを差し出すと、母は嬉しそうに笑い、栗ご飯を作ってくれた。
最近では和栗はさっぱり見かけなくなった。代わりに、輸入物の安い剥き甘栗を、たまにおやつ代わりに口にするだけだ。
少年はまるで宝物を見つけたかの様に、せっせと熟した栗と、すぐ近くのモンゴリナラ、いわゆるドングリの木から落ちた実も拾い集めている。
(あんな物を拾っても木は育たないぞ)
心の中で呟き、思わず笑みを浮かべる。
かすかにだが、身に覚えがあった。幼少期はああやって、ドングリやスイカの種、給食で出たビワの種などを集めては、庭で収穫できることを夢見て、せっせと植えたものだ。
結局芽は出ず、父には雑草が生えるだけだと怒られた記憶がある。
少年は栗やドングリを袋一杯に詰め込むと、満足したように立ち上がった。が、目の前に止まったトンボを見ると、笑みを浮かべ、素早く羽を掴んで捕まえる。
『おーい、拓摩ー』
するとそこへ、1人の少年が駆け寄ってきた。
名前は忘れたが、近所に住んでいた同級生だ。
彼は拓摩少年に駆け寄ると、パンパンに膨らんだ給食袋を見て、感心したような声を上げる。
『へぇ。もうこんなに取ったんだ。すごいなぁ』
『明日はこれで、お母さんに栗ご飯を作ってもらうんだ』
『いいなぁ、拓摩は栗の木がすぐ近くにあって。ねぇ、今度少し分けてよ』
『うん、いいよ』
少年達は無邪気にはしゃぎながら、家に向かって歩き出す。
すると同級生の少年が、拓摩少年の手にあるトンボを見て、ニヤリと笑った。
『そういえば今日、4年生から面白いことを聞いたんだよ』
『なに?』
『トンボの羽を取ると、シーチキンが出てくるんだってさ』
『シーチキン?』
その会話を聞いた瞬間、拓摩は思わず木陰から飛び出しそうになった。
これは記憶にある。アリをひたすら踏んでみたり、巣を掘り返してみたり。
今ではできないような、子供特有の残酷な遊びだ。トンボのシーチキンは、未だにその実態はよくわからない。が、恐らく神経か何かがそう見えたのだろう。
『おもしろそうだね。やってみようよ』
拓摩少年は無邪気な笑みを浮かべると、捕まえたばかりのトンボの羽を掴む。
今すぐに止めさせたい。が、飛び出し、止める事はできない。
見ているのもおぞましく、拓摩は木を背にし、その光景は見ない様にした。
『わぁ!本当だ!シーチキンだ!』
『すげーっ!』
背後から、少年達が喜ぶ声が聞こえて来る。子供達が、知らぬが故に残酷な遊びをしている事は、メディアの情報で知っていた。
トンボの頭を弾いて、胴体だけを飛ばせるというものには、嫌悪感を通り越し、その感性を恐ろしいとさえ思った。自分が子供嫌いになった理由の1つでもある。
まさかそれを、幼い自分も行っていたとは。
これは夢なのだから、現実の過去とは違うかもしれない。だが、拓摩には否定する事ができなかった。
目の当たりにし、思い出した。
昔、幼なじみの『和君』とは、こんな遊びをしょっちゅうしていた事を。
(もうこんな夢はたくさんだ……!早く目を覚ませ!)
しゃがみこみ、目を閉じて必死に願う。夢から目を覚ますには、痛みを感じればいいらしい。が、先ほど毬栗を踏んだ際に、それだけでは目覚められないのだとわかっていた。
後はもう、祈るしかない。
(頼むから目を覚ましてくれ!こんな所にはもう、居たくないんだ……)
なぜ、こんな夢を見せるのか。無意味以外の何物でもない。
故郷を懐かしむのならば、田舎に帰れば良い。
幼少期や幼なじみを懐かしむのならば、卒業アルバムでも眺めていればいい。
どんな理由であっても、こんなにリアルな夢を自分自身に見せ、更には嫌悪していた自分の過去を蘇らせ、意味があるとは思えない。
(覚めろ。覚めろ、覚めろ……)
心の中で繰り返すうちに、徐々に意識が薄れていくのを感じた。
(あぁ、やっと目覚める事ができる)
安堵し、拓摩は眠る様に意識を手放した。