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一章 デラ、師匠に出会う

 湖の桟橋につながれた小船の中に横たわり、空を見上げている少女は、周囲の者からはデラと呼ばれていた。

 黄金色の髪に白磁の肌、澄み切った空色の瞳、そしてさくらんぼ色の唇を持つデラは、まだ齢六つを迎えたばかりの少女だった。

 そんなデラの目の前に、不意に現れたのは、一人の妖精。

 こちらも黄金色の髪に白い肌だが、デラの頭のちょうど半分くらいの身長しかない。

「おやおや、かわいいおさなごが、一人でいるよ?」

「妖精、さん?」

 上体を起こしたデラの周りを、その妖精は優雅に羽ばたきながら漂っている。

「リビルドラと呼んでおくれよ、おさなごさん。」

「わたしは、デラよ。」

「ほうほう、お前さん、なかなか良い魔力の芽をお持ちじゃないかね?」

 舌なめずりをする、リビルドラ。

 それまで纏っていた柔らかなオーラが一変、灰色の奔流となってデラを包み込もうとする、その一刹那、

「えいっ!」

 能天気な掛け声と同時に、デラの目前から妖精の姿が消えた。

 どぼーん!と、大きな水しぶきが、デラを襲う。

 目をパチクリさせる、ずぶ濡れのデラ。

 程なく、湖面にポッカリと浮かび上がってきたのは・・・

「無闇に、邪妖精に話しかけちゃいけないよ!」

 そう、デラに話しかけてきたのは、長く尖った耳朶が特徴のエルフだった。

 ただ、エルフにしては、ずいぶん丸顔だ。

 一般に痩身と美貌が特徴とされるエルフ族だが、目前のエルフは、耳の形以外は人間族との差異は感じられなかった。

「よっこらせっと!」

 ちょっとオッサンくさい掛け声とともに、そのエルフは桟橋の上に飛び乗った。

 年季の入った旅装に包まれた体は、丸顔から連想される通りに少し太めで、エルフ族の特徴である金髪緑眼はともかく、全体に緊張感のない風貌だ。

 ポタポタと水滴をたらしつつ、彼女は、デラに向かって握りこぶしを差し出した。

 その手に握られていたのは、先刻の妖精だ。

 ただし、その姿は先ほどまでと異なり、全体にくすんだ灰色を帯びていた。

 力なくうなだれているものの、まだ、かすかに息はしているようだ。

「その子、悪い妖精?」

「あんたみたいに小さな子を虜にして、魂を喰らうのさ。」

 そう言うとエルフは、邪妖精を握った手に、力を込める。

 もだえ苦しむ、邪妖精。

「殺しちゃうの?」

 デラの問いに、

「なまじ情けをかけて、(えにし)をつながれると、後で厄介なんだよ。

 だから、こうする!」

 エルフは妖精を自分の口の中に放り込み、ゴクリと飲み込んでしまう。

 目をまん丸に見開くデラに、

「んーっ、まぁ、後味は悪くなかったかな。」

「食べちゃったの?」

「正確に言うと、あたしの魂に取り込んだって、言えばいいのかな?

 殺しちゃいないし、苦しめてもいないよ。」

「わたしも、食べちゃう?」

 怯えるデラの眼差しに、

「おあいにくさま。

 あたしにゃ、人喰らいの趣味はないよ。」

 と言って、デラの頭をポンポンと手のひらで叩く。

 いつの間にか、二人の服は乾いているようだ。

「ところであんた、一人でこんなところまで来たのかい?」

「ええ。」

「ふぅ~ん。」

 値踏みするようなエルフの視線に、ちょっと、居心地の悪さを感じていると、

「こうやって出会ったのも、何かの縁だ。

 少しの間、動かないでいてくれるかな?」

 そう言ってエルフは、デラの額に両手をかざした。

 同時にデラの全身を、仄かな熱が包み込む。

「ふむふむ。

 ひょっとしたら、存外に掘り出し物だったかな?」

 そうつぶやいて、エルフは手を引っ込めた。

 デラを包んでいた熱も、同時に消えた。

 小首を傾げるデラに、

「あんたの魔力を探ってみたのさ。」

「まりょく?」

「さっきの邪妖精は、あんたの持つ魔力に惹かれてやってきたんだ。」

「わたしの、まりょく?」

「さっき、体が熱くならなかったかい?

 並みの人間だったら、何も起こりはしない。

 魔力が弱ければ、意味のないおまじないってことさ。」

「わたしに、魔力があるの?」

「魔力を持った人間は、あやかしなるモノたちを引き寄せる。

 さっきの、邪妖精のようにね。」

「邪妖精・・・これからまた、怖い目に会う?」

「まぁ、いずれそうなるだろうね。」

「怖いのは、イヤだわ。」

「あんたがイヤでも、奴らは放っておいてはくれないさ。

 夜のともし火に虫が惹きつけられるように、魔力を持つ者には、それを好物にしているモノたちが吸い寄せられる。

 たとえ本人が、そういう状況を望んでいなくてもね。」

「そんな・・・わたし、どうしたらいいの?」

「どうすれば、いいと思う?

 怖いと思うのは、相手のことをよく知らないから。

 魔物どもの素性や習性・・・何を好み、どういう振る舞いをするのか。奴らに対する知識を深めてゆけば、やりようはいくらでもある。

 それに・・・」

 エルフの手が、デラの髪をくしゃっと乱した。

「こう見えてもあたしゃ、腕っ節には、多少の自信があるんだぜ?」

 そう言って力こぶをつくってみせるエルフだが、デラの見るところ、そんなに強そうには見えなかった。

 ・・・と、今さらながらデラは、エルフの名前を聞いていないことに気が付いた。

「わたしはデラルナ。

 エルフさんのお名前は?」

「あたしゃ、リィヨンネ。

 仲間内からは、ヨンネって呼ばれてる。

 あんたとはしばらく付き合うことになると思うから、ヨンネって呼んでくれて構わないよ。」

「それじゃ、わたしもデラでいいわ。」

「さて・・・」

 片目を閉じて、ヨンネはデラを見つめる。

「?」

「魔力の素養があり、知力はまぁまぁ。

 体力は・・・贔屓目に見ても人並みか、それ以下か。

 それじゃ、さっそく、体力づくりから始めるか。」

「体力づくりって、何するの?」

「何って・・・まぁ、そうそう死にゃあしないから、大丈夫だよ。」

「えっ?」

「最悪、死んでも生き返らすから、大丈夫。」

 にこやかに、ヨンネが答える。

「痛いのは、イヤだなぁ。」

「痛いのは、最初のうちだけ。

 そのうち、痛みも快感に・・・」

「ホントに?」

「ホント、ホント。」

「あ、わたし、そろそろ帰らないと・・・」

 (きびす)を返そうとするデラの肩を、ヨンネはむんずと掴み、

「逃がさないわよ!」

「だって、ライネが心配するから・・・」

 使用人の名前を口にするデラだが、ヨンネはあくまでにこやかに、しかし、肩を掴む手に、さらに力を込めて、

「あんたは当分、家には帰れないよ。」

「えっ?・・・ええっ?」

 ヨンネはもう一方の手を優雅に動かすと、その手の平から光の粒が大地に零れ落ち、むくむくと地面が盛り上がってゆく。

 程なく、デラとほぼ同じ大きさの土の像ができあがった。

「泥人形?」

 手を触れることなく造形されたのは驚きだが、あまりに雑な出来栄えに、デラは不審げな表情を浮かべている。

 だが、ヨンネはまったく無頓着に、土の像の頭のてっぺんに手をかざすと、

「おりゃっ!」

 品のない掛け声とともに、像の全体が光を帯びた。

 そのまぶしさに思わず顔の前に手をかざしたデラだったが、光が消えた後の光景に、目を丸くした。

 そこにあったもの・・・いや、その姿は、まさしくデラと瓜二つだった。

「それじゃ、仕上げに・・・」

 おもむろにヨンネは腰を屈め、そのデラそっくりな像に唇を重ねた。

「あうあうあ・・・」

 自分そっくりな姿の像の体に、徐々に生気が宿ってゆくのを、デラは感嘆と羞恥がまぜこぜになった気分で眺めていた。

「あんたの家には、この子が代わりに行ってくれる。」

「この子が?

 わたし、お家に帰れないの?」

「自分で身を守れるようになったら、帰れるさ。」

「それって、いつ?」

「さぁ、そいつはあたしにも分からないね。

 ただ、今のまま帰ったとしても、遠からずあんたは、魔物たちの餌食になるだろう。

 一回目は運よく無事だったとしても、何度でも、魔物たちはやってくる。

 結果、たとえあんた自身が無事だったとしても、身近な誰かが犠牲になるかもしれない。

 そんなことになってもあんた、平気でいられるのかい?」

 ううん・・・と、デラはかぶりを振った。

「だったら、自分の力で何とかするしかないのさ。」

「自分の、力で?」

「まぁ、少なくとも、ここいらに住み着いている魔物たちを追い払えるようにならなければね。」

「まものを、追い払う?」

 魔物と聞いただけでも、恐ろしさに身の竦む思いなのに、それを追い払えるようになるだなんて・・・

「まぁ、悪いようにはしないさ。」

 にこやかなヨンネの言葉は、不安を打ち消してはくれなかったが、今は彼女の言う通りにする以外の選択肢は持ち合わせていないデラだった。




 ヨンネはデラを連れて、湖を見下ろす山の中腹の小屋に入っていった。

 簡素でこじんまりとしているが、最近まで人が住んでいた気配が感じられる。

 デラの姿を映した像は、勝手に自分で家まで帰っていったようだ。

 どういう原理で家の場所を知りえたのか、ヨンネの説明はなく、そういうものだと納得するしかなかった。

「さて、鍛錬を始めようかね。」

「何するの?」

「何すると思う?」

「魔法の、お勉強?」

「いやいやいや、それはまだ、先の話。

 まずは、体造りからかな。」

 ヨンネは、ワキワキと手を握る。

 不穏な気配をまとったヨンネに、

「や、やめて・・・」

「よいでわないか、よいでわないか・・・じゃなーいっ!」

「じゃないの?」

「じゃないの。

 まぁ、幼女と戯れるのは嫌いじゃないけど、いや、むしろ心から望むところではあるけれども、とりあえず今は、ヤるべきことをヤってしまおう。」

「やるって、何を?」

「そりゃ、もちろん・・・」

「お久~、ヨンネちゃん。」

 気の抜けたような女性の声が天から降ってきたかと思うと、その人は、優雅に二人の目前に降り立った。

 ヨンネより頭半分ほど背が高く、凸凹がはっきりした体形は、薄桃色の薄布の衣装で包まれていて、ひたすらに妖艶だ。

 そして何より、地面に付きそうな程に長い、巻き毛の濃い目の金髪が特徴的だった。

「お久~って、ちょっと、時間かかりすぎじゃないの?」

 腕を組んで怒り顔のヨンネに、その人はヒラヒラと手を振りつつ、

「ゴメンねぇ、ちょっといいオトコ見つけちゃって、xxして、xxだったんで・・・」

「ちょっとちょっと、コドモの前で、そんな艶話なんかしないでよ。」

「ってことは、この子が、今度の遊び相手?」

「遊び相手とは失敬な。

 まぁ、あながち間違ってはいないけど。」

「遊び相手って、どういうこと?」

「どういうことって、こういうことよ。」

 その人の伸びやかな腕が、デラを包み込む。

 さほど力を込めているとも思えないにも関わらず、動けない。

 全身を撫でられているような、心地よい感触。

「おぅふ。

 これは、なかなか・・・」

 ひどく艶っぽい、その人の声音に、

「どう?

 モノになりそう?」

 いつになく生真面目なヨンネの言いように、

「毎度のことながら、原石を見つけ出すことに関しては、あんた、最強だわね。」

「それって、あんまり褒め言葉には聞こえないんだけど・・・」

「ごくごく控え目に言って、大賢者級の潜在能力があると見たわ。

 まぁ、後はどこまでそれを引き出せるようになるかだけど・・・」

 ヨンネに向けるその人の笑みは、悪巧みする者のそれと酷似していた。

 ヨンネは、ひどく優しげな笑みをデラに向けると、

「ヴェナに来てもらって、正解だったわ。

 人の住む世界では、過ぎた力はいいように利用されるか、無駄死にするのがオチだもの。」

「それじゃ、いつものように封印の術を掛けておくわね。」

 ヨンネの返事を待つこともなく、デラの周囲を包み込んでいた光は、たちまちデラの体に吸い込まれてゆき、そして消えた。

「ふぅ。」

「お疲れさん。」

「どういたしまして。

 まぁ、どっちか言うと、お礼を言うべきなのは、わたしの方なんだけどね。

 何しろこの子の魔力、質も量も特級品なんだもの。」

 恍惚の表情を浮かべ、自分の体を抱きしめるようにして身震いする、ヴェネ。

「デラ、もう大丈夫だよ。」

 こちらも陶然とした表情のデラに、

「ほら、しゃんとしなよ。」

 バシンと音をたてて、背中を叩く。

「いたッ!」

「目が覚めたかい?」

「あの、その人は?」

「わたしはアウヴェナ。

 ヨンネとは、長い付き合いになるわね。

 まぁ、どっちかと言うと、腐れ縁て方だけど。

 わたしの事は、ヴェナって呼んで。」

 言って、ヴェナはデラを抱き寄せ、唇を合わせる。

「う、むぐぐ・・・」

「はむはむはむ・・・ぷはぁ。」

「あのな~、誰かれ構わず発情するのはヤめろよな。」

 ヨンネはヴェナに蹴りを入れようとするが、ヴェナはふわりとした身のこなしで、難なく回避した。

「何、妬けたの?」

「何でそうなるんだよ!」

 怒るヨンネだが、本気の怒りはない。

「ヨンネのことも、とっても大事に思っているわよ~。」

「分かったから、早く帰りなよ!」

 真っ赤になって、拳を振り上げる、ヨンネ。

「それじゃ、まったねぇ~。」

 現れた時と同様、ヴェナの姿は、瞬時に掻き消えた。

「あの、今の人って・・・」

 おずおずという(てい)で、デラが尋ねる。

「サキュバスのヴェナよ。」

「さきゅばす?」

「って言っても、アレは変り種で、精気の代わりに魔力を吸うの。」

「魔力を、吸う?」

「正確に言うと、他人の魔力を操れるの。

 しかもそれは、呪いとして体に刻むこともできる。

 ちょっと、胸元を覗き込んでごらん。」

「えっ?・・・あっ!」

 襟元から自分の体を覗き込んだデラが、声をあげる。

 デラの心臓の真上にあたる部分に、赤い痣のようにも見える、丸い印が刻まれていた。

 もっとも、デラは特に痛みは感じていない。

 そもそも、いつ、こんな印が付けられたのかも分からなかった。

「それが呪いの印さ。

 魔力を抑える、手助けをしてくれるんだ。」

「わたし、魔法が使えるの?」

「今から、使えるようにしていくのさ。」




 ヨンネと一緒に過ごすようになって、一週間ほど経過したが、実はまだ、デラは魔法らしきものを教わってはいない。

 それでは、いったい何をしているかと言うと、ただ、ひたすらに野山を駆け巡っていた。

 もちろん、その間には何度も魔物に遭遇してはいるのだが、それはすべてヨンネが撃退してしまっている上に、デラは足を止めることを許されてはいないので、恐怖に怯えるヒマもない。

 気が付けばデラは、湖の周辺域を、おおむね走破してしまっていた。

 はぁはぁと息を切らせつつ、デラはペタンと尻餅をつく。

 傍らで昼食の支度をしているヨンネには、息の乱れはない。

「どうだい?

 ちょっとは慣れたかい?」

 鍋の中身をかき混ぜつつ、ヨンネが尋ねる。

 肉と香草の入り混じった、良い香りが漂ってくる。

「はい、師匠。

 わたしも、何か手伝う?」

「そうだね・・・せっかくだから、ちょっと魔法でも使ってみるか?」

「魔法を?」

 高ぶる気持ちを隠せないデラに、

「ヴェナの呪いもいい感じに馴染んできているようだし、魔法を覚えるのに、早すぎるってことはないのさ。」

「師匠は、何歳の時から?」

「覚えてないけど、物心ついた時には、それなりには使えてたかな?

 まぁ、エルフの場合は普通なんだけど。」

「ふぅ~ん。」

「人間も、環境によっては、結構早いうちから修行をはじめることがあるそうだよ。

 もっとも、みんながみんな、モノになるとは限らないけどね。」

「難しい?」

「教わる側は素養と本人の努力次第だけど、どっちか言うと問題は、教える側の方だろうね。」

「??」

「武術と違って、手取り足取りってワケにはいかないからね。

 一歩間違えれば命に関わるのは同じだけど、魔法の場合、本人たちだけで済まない場合もあるんだよ。」

「人がたくさん死んだりする?」

「場合によっては、魔力が暴走して周囲一帯が呪われてしまうこともある。

 だから、用心するに越したことはないのさ。」

「わたしに、できるのかな?」

「そのための準備はしているさ。

 まぁ、あたしがついてるから、大丈夫だよ。」

「うん。」

「ところで、実はもう、あんたは魔力を使ってるって知ってた?」

「えっ?」

「不思議に思わなかったかい?

 あれだけ森の中を走り回っても、平気だってことに。」

「そう言えば・・・」

 魔物に追われて逃げ回るのに必死だったので気が付かなかったが、田舎暮らしとはいえ、運動らしいことは、今までほとんどやってこなかったデラである。

「種明かしをすれば、あんたは自分の魔力で体力不足を補っていたのさ。

 まぁ、正直言って、ここまでヤれるとは思ってなかったけどね。」

「でも、わたしは・・・」

「魔力を使おうとした覚えはないって言いたいんだろ?

 それが、ヴェナの呪いの恐ろしいところなのさ。」

 言われてデラは、自分の胸元に手をやった。

 トクン、トクンと、微かに心臓の音が伝わってくる。

 それと同時に、何か熱のようなものが印のある場所から溢れてきて、それが全身に伝わってゆく感覚がある。

「『魔気』とか呼んだりもされるけど、これはあくまでも基本の術。

 だから、息をするように魔力をまとえるようになるのが第一段階・・・って、思ってたんだけど、もう、改めて教えることはないようだね。」

 感心したようなヨンネの言いようだが、デラはと言うと、途方に暮れたような顔をしている。

 そんなデラの頭を、ポンポンとやさしく叩いて、

「無意識で『魔気』を纏えるようになるまで、最低でも数ヶ月を覚悟してたんだけどな。」

 そう言われても、やはりデラは、釈然としない表情のままだった。

「予定はだいぶ前倒しになるけれど、これなら次の段階に進めそうだ。

 ある意味、ここが出発点になるんだから、ちゃんと付いて来るんだよ。」

「はいっ!師匠!」

 迷いのないデラの返事に、ヨンネは満足して頷いたのだった。




 湖での出会いから、ほぼ一年が過ぎた。

 齢七歳にして、デラは基礎体力については大人以上になり、本格的に、魔法の修練を始めるに至っていた。

 もっとも、体力が上がったとは言っても、それは魔力の補助があってのことであり、見かけは普通の少女と変わらない。

「魔術士の、兵士としての長所と短所は分かるかい?」

 鍛錬の合間の休憩時間に、ヨンネは尋ねた。

 一年近い鍛錬の結果、デラはすでに、数日は休憩なしで活動可能な体力(魔力)はあるのだが、午前と午後のお茶の時間を設けることについては、決して譲れない、二人の間の決まりごとなのだった。

「遠距離攻撃と、属性切り替えの時の隙?」

 一度火から離し、少し冷ましたお湯をポットに注ぎ込みながら、デラは応える。

「王国の兵学校なら、半分だけ正解って感じかな?」

「半分だけ?」

「ぶっちゃけ、あんたが苦もなくやれてることが、全然やれない魔術士ってのは、案外多いんだよ。

 例えば、王国騎士団付き魔術士でも、原則、近接戦闘なんて(ろく)にできないのさ。」

「でも、足の速い相手だったら?

 飛んで来る相手には?」

 素朴な疑問のように尋ねるデラに、ヨンネは決して上品とは言えない笑みを浮かべて、

「魔術士の戦闘の基本は、動かない、直接戦闘しない、単一魔法のみ行使って言うのが定石なのさ。」

「えっ?」

 信じられないという顔をする、デラ。

「でも、それじゃあ、すぐに死んじゃう・・・」

「確かに。

 少なくとも、この森の中じゃ、そういうやり方では、生きてはいけない。」

「うん。」

 頷くデラは、素早く周囲に目を走らせていた。

「昨日の狼どもが、お仲間連れてやってきたかな?」

 ヨンネが、ふわりと立つ。

「師匠も出るの?」

「あんたばかりにヤらせてたせいか、なんか最近、太ってきたような気がするんだよね。」

 いや、それは元からだろうという言葉を、何とかデラは飲み込んだ。

 そんな、自分のお腹の辺りを行き来するデラの視線に気づいてか、

「今、何か言おうとしただろ?」

「それより師匠、来る!」

 狼たちの気配が、二人の周囲を取り囲んでいる。

「ざっくり、三十ってとこかね?」

「ボス一と、子分が三十一、子供も少し。」

「子持ちは死なすと厄介だな。

 くれぐれも、加減を間違えるんじゃないよ!」

 ヨンネは、まっすぐにボスの気配に向かって、足を踏み出す。

 瞬時に、ヨンネの姿がかき消えた。

(速い!)

 絶対的な筋力で言えば、デラはまだ、ヨンネの足元にも及ばない。

 それは、魔力の補助があったとしてもだ。

 エルフという種族は戦いを好まないものの、生きるために必要な肉類を得るため、最小限の狩をする。

 刀剣よりも弓を得意とする者が多いのは、血で森を汚すことを好まないからだ。

 そういう意味では、肉弾戦に特化しているヨンネの戦いぶりは、ひどく異端なものと言えた。

『下手クソな弓のために無駄な修練を積むよりも、少しはマシな格闘術に磨きをかけた方がマシ。』というのは、本人の弁だが、実際のところ、下手な弓と言いつつ、得意の穏行で獲物に十分近づいていれば、ほぼ十割がた、相手の急所を射抜く腕前のヨンネだった。

 ただ、本人にしてみると、息を潜め、相手の感知しえない距離からの射撃よりも、正面からのドツき合いが好みらしい。

 近距離攻撃に対応するためというのは、どうも後付けの理由な気がするデラだった。

 少し遅れて追いついたデラは、狼のボスと対峙するヨンネの姿を見つけていた。

 体高でさえヨンネをはるかに上回るボスの姿は、三十頭余を数える狼の群れを率いるに足る風格を備えているように、デラには思えた。

 一方、正対するヨンネはと言うと、まったく気負いも感じさせず、いつもと同じ自然体だ。

「さて、お互い準備はできてるようだ。

 殺られたいヤツから、かかってきな!」

 ボスに向かって、クイクイと手の平を動かし、挑発するヨンネ。

 それを見た若い狼たちが思わず前に進み出そうとするが、ボスはそれを一瞥して抑えた。

 ヨンネを囲む狼たちの輪が広がってゆくと同時に、ボスは数歩前に出る。

 それに合わせて、ヨンネも近づく。

「イくぞ!」

 ヨンネの姿がブレる。

 その残像に、飛び掛るボス。

 ボスの体を跳び越えたヨンネが、ボスの尻尾を掴む。

 それを追うボスの牙が、宙を噛む。

 ボスの背後に廻ったヨンネが、ボスの首にしがみつく。

 激しく、首を振るボス。

 だが、ヨンネの腕はガッチリと首に食い込んでいて、離れない。

 不意に、走り出すボス。

 そのまま、進路上の木の幹に体当たりするが、ヨンネは離さない。

 ヨンネはさらに両腕を組み、いっそう力を込める。

 ついに、ボスがよろめいた。

 もちろん、ヨンネが力を緩めることはない。

 ボスの体がビクンと震え、そしてその巨体は大地に倒れた。

「師匠!」

 デラが駆け寄ると、もぞもぞとボスの毛皮が膨らみ、ついでヨンネが顔を出した。

 例によって、その表情には疲労のカケラもない。

「殺しちゃったの?」

「まさか。

 死なないように、わざわざ攻撃魔法を封印したんだから。」

 確かに、ヨンネは『魔気』以外の魔法は使っていなかった。

 しかも、その『魔気』にしても、防御のみに徹していた。

「おいこら、いい加減に死んだ振りはヤめておけよな。」

 ポンポンと毛皮を叩くと、ボスはパッチリと目を開けた。

「姐サマには敵いませんな。」

 流暢な人語がボスの口から放たれ、デラが目を剥く。

「言葉を話す・・・狼?」

「いかにもオレは、人の言語を理解する。

 で、姐サマ、こちらの娘御は?」

「デラって言う、不肖の弟子さ。」

「ほほぅ。」

 ボスは目を細め、デラを見た。

 値踏みしているような、面白がっているような、様々な表情が交じり合っているように、デラには思えた。

「デラ嬢よ、オレはオルガだ。」

「オルガ、さん?」

「オルガと呼び捨てで構わん・・・と、言いたいところだが、納得しない者がいるようだな。」

 オルガの視線の先にいたのは、オルガより一回り小柄だが、俊敏そうな体つきの若い狼だった。

「エルフの姐サンはともかく、そんな子供にオヤジを呼び捨てされたくはないな。」

「オヤジ・・・って、お前のセガレかよ。」

「ナマイキざかりで申し訳ない。」

「まぁ、誰もが通る道だしな。

 デラ、お前が相手してみるか?」

「はぁい。」

 躊躇なく、進み出るデラに、

「泣きべそかくなよ。」

 若狼も、すっかりヤる積もりだ。

「ウルガ、くれぐれも侮るなよ。」

「分かってるって。」

 ウルガの返事を聞くオルガは、心配気だ。

「デラ、好きにやって構わない。

 程々にがんばんな。」

 デラに向かって、親指を立てるヨンネ。

「はい、師匠!」

 二人をその場に残し、他の者はすべて距離を置いた。

 程よく雰囲気が落ち着いたところで、デラはウルガに向かって片手を突き出し、クイクイと手の平を動かす。

(おいおい、そんなトコなんか、真似しなくてもいいのに・・・)

 そう思うヨンネだが、存外に図太いデラの振る舞いに、なかば感心もしていた。

 一方、ウルガの方はと言うと、血気にはやっているかのように振舞ってはいるものの、内心は冷静に相手を観察しているようだ。

(これは、思ったより面白い勝負になりそうだ。)

 ウルガは、オルガほど圧倒的ではないものの、並みの狼が数頭で襲いかかっても、かすり傷すら与えられないだろう。

 一方の、デラはと言うと・・・

(我が不肖の弟子ながら、どこまでヤれるか、正直、分かんないんだよなぁ。)

 デラが、天賦の才を持って産まれたことは明らかだった。

 今のところ、体力、魔力、経験値のすべてで圧倒するヨンネだけれども、今後さらに経験を積み、潜在している能力を存分に開放できるようになった時、いったいどれほどのことができ得るのか、長らくこの世界に生きてきたヨンネにすら、まったく予想が付かないのだった。

 そんなヨンネの想いをよそに、デラはトコトコとウルガの目前に歩みより、

「えいっ!」

 何気なく繰り出された拳が、瞬時にウルガの鼻面に迫る。

「うおっ!」

 思わず声を漏らすウルガの鼻先を拳が掠め、さらに続けてデラは片足を蹴り上げる。

 ウルガの体毛が筋状に削り取られ、うっすらと紅いものが滲んだ。

 たまらず大地を蹴り、後退するウルガを、デラは間髪入れず追いかける。

「とうっ!」

 追うデラの方が速度で上回り、その足が、トンとウルガの眉間を踏んだ。

「オレを踏み台にするっ?」

 ウルガの頭上でクルっと廻ったデラが、何もない空中を蹴ると、地面に向かって加速してウルガに迫る。

「くっ!」

 顔を背けるウルガの肩口に、飛び込むデラ。

 その勢いを受け、キリキリ舞いをしながら、ウルガは大地に落ちた。

「そこまでっ!」

 いつの間にか、ヨンネがウルガの肩に乗っていた。

 その手が、デラの拳を掴んでいる。

 もし、ヨンネが止めなかったら、その拳はウルガに向かって打ち込まれていたはずだった。

「し、しょう・・・」

 デラが、不意に意識を失って倒れこむ。

 ヨンネに抱き上げられた時には、穏やかな寝息をたてていた。

「勝負あったってことで、構わないかね?

 セガレくん。」

「ああ、オレの完敗だ。

 あまりに一方的すぎて、言い訳する気もおきねぇ。」

 負けた悔しさ以上に、デラの体術に度肝を抜かれてしまったというところだろうか。

「お前らも、異存はねぇよな。」

 周囲を取り囲む仲間たちに呼びかける。

 当然ながら、異論を申し立てる者はいない。

 ざわつく狼たちをよそに、

「しかし、参ったぜ。」

 寝顔のデラに向けるウルガの瞳は、存外に穏やかなものだった。

「確かに。

 いったい、どのような鍛錬を積めば、この幼さで、これ程の技を身に付けられるものか?」

 呟くようなオルガの問いに、ヨンネはかぶりを振って、

「いや、まじめな話、あたしもここまでデキるようになってるとは思わなかった。」

「と、言うと?」

「何しろ、まだちゃんとした闘い方を教えてはいないんでね。」

「マジかよ・・・」

 呻くウルガに、ヨンネはクイっと顎をしゃくって見せて、

「そういうお前さんこそ、デラの攻撃をしっかり見切ってたじゃないか。

 お坊ちゃん育ちかと思っていたが、正直、見直したな。」

「そ、そうかな?」

「とは言え、せっかくの素養を、まだ全然生かしちゃいないがね。」

 ヨンネは、オルガが何か言いたげな表情をしていることに気が付いた。

 目線で促すと、

「ウルガは、オレ以上の戦士になれると思うかね?」

「可能性という意味なら、ここら一体の森の王にさえなれるかも知れないよ。」

「オレが、森の王に?」

「王になることを目指すなら、もしかしたら、王になれるかもしれない。

 でも、今の群れを率いるだけのリーダーで満足しているんなら、恐らく王にはなれない。

 まぁ、そういうもんじゃないのかな。」

 考え込む表情のウルガを見つめるオルガの瞳は、厳しくも優しげだ。

 ・・・と、ヨンネの腕の中のデラが身じろぎした。

 すぐに目を開け、周囲を見回す。

「あれ?わたしは・・・」

「勝負は、オレの負けだ。

 失礼なことを言って、済まなかった。」

「あなたが負けってことは・・・わたしの勝ち?」

「命のやり取りなら、気を失ったあんたの方が負けさ。」

 ヨンネが言うのを、デラは神妙な面持ちで聞いている。

「なんで負けたのか、分かるかい?」

「分からない。

 気が付いたら、師匠に抱っこされてたから。」

「人間に限らず、生き物ってのは、精神や体力の限界に近づくと、意識を失ってしまうことがある。

 あんたの場合、体力と魔力は問題なしだったんだが、魔力を操る精神力が、一瞬、限界を超えたようだね。」

「せいしん・・・心が、弱いってこと?」

「膨大な魔力を使いこなすためには、もっと心の鍛錬が必要ってことさ。

 いくら巨大な魔力があったとしても、戦闘のたびに気を失ってはいられないからね。

 まぁ、師匠の立場からすれば、まだしばらくは師匠面できそうで安心、てトコだけど。」

「心って、どうやって鍛えればいいのかな?」

「実体がないだけに、難しい問題だね。

 ただ、一つ言えることは、色々な経験を積むことで、心は強くなれると思う。

 それが、心の強靭さなのか、あるいは心のしなやかさなのかは、あたしにも良く分からないけどね。」

「強い、心・・・」

「もう一つ言っておくと、強くなるのは、必ずしも本人でなくてもいい。

 誰かを信じる心に揺るぎがなければ、それはとてつもない力になる。

 誰か・・・いや、人間でなくてもいい。

 神サマを信じたり、身に付けた武器を信頼してみたり、人によって、その在りようは、さまざまさ。」

「ヨンネは、誰かを信じてる?」

「デラは、あたしを信じていないかい?」

 頭を振って、デラは応える。

「それなら、問題ないさ。

 あんたは、今の時点でかなり強い。

 これからもっと大きくなって、体も心も強くなれば、もしかすると、あたしなんかより、ずっと強くなるかもしれないね。」

「師匠より、強くなれる?」

「ああ。

 ま、もっとも、そう簡単には超えさせやしないけどな。」

 ヨンネはデラの頭に手を置くと、くしゃっと、髪を乱した。

 デラは、はにかんだ笑みを浮かべている。

「オレも強くなりたい!」

 不意に、ウルガが吼えるようにして口を挟んだ。

 真剣な口調に、ヨンネはニヤリと口元を歪めて、

「セガレはこう言ってるけど、オヤジ殿としてはどうなんだい?」

「うむ・・・」

 考え込む仕草をするオルガだが、その腹はすでに決まっていたようだ。

「姐サマ・・・いや、師匠が引き受けてくれるというのであればだが・・・」

「ちょうど、デラの稽古相手がそろそろ欲しくなってきたところだ。

 魔法を伴わない、素の戦闘力の高い魔狼族なら、うってつけだな。

 デラ、お前さんはどう思う?」

「ウルガと一緒に修行するの?」

「ああ。

 二人とも、問題はないようだな。」

 デラは、ウルガのしっぽを弄んでいる。

 ウルガの表情は読めないが、しっぽがパタパタと動いているところを見ると、嫌がってはいないようだ。

 そんな二人の様子を眺めつつ、

「オヤジ様としては、手元から離すのは心配かね?」

「心配がないと言えば、正直ウソになるが、オレを超える存在を目指すのなら、過酷な環境に身を置く方が良かろう。」

「過酷な、環境?」

 不思議そうな顔をするデラに、

「デラ、世の中にはまだまだ、お前の知らない場所がある。

 天を突く大山脈。

 常に火と岩石を噴き続けている火山地帯。

 誰もその深さを知らない大海溝。

 どんなに目のいい者であっても向こう岸の見えない大河。

 数千年もの間、融けることがないと言われている永久氷河・・・

 そんな場所にも、生き物たちがいる。

 過酷な環境に耐えて、暮らしている人間たちがいる。

 どうだい?

 ワクワクしてこないかい?」

 尋ねるヨンネは、二対のキラキラ光る瞳を見た。

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