3 (花見の悲劇)
「な、なによ」
酔いが醒めかけたていた。意中の人を言い当てられて勢いを盛り返した私は心までが熱くなってきた。
「分かってるくせに。どこまで行ってんの? 二人は?」
「ええ?」
「早く吐きなさい。カツ丼出そうか? 警察署の取調室みたいに」
目を細めながら友人を揶揄するマリエールは、だんだんと本領を発揮して図々しくなってくる。形勢が悪くなる前に反撃しようと拳を固く握りしめた私は、
「どこまでも何も、まだなーんもしてないもん。これからが勝負なのさ。見ててご覧なさい」
と曖昧な大見得を切った。
「よっしゃ、そうか。やったれよ!」
意味不明の掛け声を掛けた彼女は、パンパンと私の頬を軽く叩いた。そして、長皿に等間隔で並べられた焼き鳥の串の一つを指で摘まみ、居酒屋の天井に向け、エイエイオーと言わんばかりにリズムを刻んで突き上げた。その無言の雄叫びに気を良くした私は、気が付くとカスタード亭の入り口脇に置かれたピンク色の公衆電話に駆け寄り、メモ帳を出して「ヤ行」をめくっていた。「YUASA:〇三ー××二六ー×五×三」の番号を見て、すぐに数字を押し始める。
十分後、酔いどれペアにユアーは呼び出された。彼は最初こそ、場の雰囲気に圧倒されて戸惑っていたものの、三十分後には酔いどれトリオを結成していた。
「なんだか、男一人が両手に花なんてさ。今夜は楽しいな。ハッハッハ」
呼び出しにあったユアーは上機嫌となり、両隣の女子たちの肩に手を回した。昔はそんな風に彼氏彼女が居ても自由に振る舞うのが普通で、それが許される時代だった。何せ、まだ携帯電話も写メもない時代だ。証拠も何もないし、口裏合わせは日常茶飯事だ。
こうして恋人がおる輩もおらぬ輩もひとつの卓を囲んで皿をつつき合い、赤提灯の下で互いの結束を固めて誓い合う夜は、熱く熱く更けていった。
さてこれだけでは私のユアーに対する思いは伝わらなくて当たり前だ。それは私にも分かっていた。だから、なにかにつけて彼が友人たちと談笑している場に顔を出したり、マリエール情報で彼の居場所を掴むと、その場所にさりげなくお邪魔することを繰り返すという地味な活動を繰り広げ、それを続けていった。告白はしていないのに、いつもあの娘が○○のそばにいるよな。そんな風に周りから言われたかった。思われたかった。この「顔出し作戦」を実行していく過程で、幾つかの明らかなラブモーションも仕掛けていった。姉の美佐恵に見つかったら絶対に怒られて説教されたことだろう。が、恋に夢中になると、空からピンク色のオーロラがキラキラ舞い降りてきて、外からの声が聞こえなくなっちゃうような気がするのだ。そんな幻想的な世界に包まれる。北欧の神秘的な恋のカーテンなんて詩的だが。
それでは、ラブモーションの話をしよう。その第一弾は次のような場面から始まった。
ある日、来週の月曜日が休校になるのをいいことにユアーをデートに誘った。池袋駅に朝九時半に待ち合わせをして、二人で遊園地に着いたのが十時過ぎだった。駅から真ん前にゲートが伸びている。回転木馬の屋根やら観覧車やらが既にこちらを向き、早くおいでよと手招きせんばかりにぐるぐると回っている。子どもでなくても遊園地までのプロムナードを走り出したくなる。が、乙女だから自重して澄まし顔でこらえ、彼の手を引いてしゃなりしゃなりとスカートを風になびかせて歩いた。それって誰が見てもカップルのはずだ。その辺は、「顔出し作戦」が効いたと見えて、鈍いTくんとは大違いだった。鋭敏なユアーだからして、私がどういう存在で、この一連の行動が何を意図しているものかぐらいは充分に分かっていたようだった。
とにかく、ゲートの前まで来た。ここが肝心。入場料を払うのは、どっち? 私が誘ったから、これを奢ってもらうわけにはいかない。だから、お互いが顔色をうかがいつつも、冷静に鞄から財布を取り出して「大人二枚」の入場券を買うときに、何食わぬ顔をして私が彼の手に一人分のチケット代金を滑り込ませた。係りのお姉さんもそういう光景をずいぶんと見飽きるくらいに見てきたからだろう。その素早い動きに微笑みを口元に浮かべながら、明るい声で、「三千円です」と告げた。そして、湯浅くんが差し出した代金と入場券二枚を交換してくれた。実はそうした駆け引きは当時の若者雑誌でもたびたび取り上げられる「デート・マニュアル」なる恋愛指南記事に登場する場面の一つだった。「どちらが○○を支払うか? その代償としてなにを要求できるか? 女(男)は、それを求められたときどういう顔をしてお洒落に決めるか」なるテクニックが掲載されていたらしい。毎度まいど、デビュー仕立てのフレッシュな男女はその図式を演じきることがスマートな若者と言われていた。私もそういう知識は見聞きしたが、男子が必ずそうしたマニュアルを参考にしていたとは知らなかった。あとでユアーから聞かされて少し恥ずかしさを感じた。そんな流儀に男ってこだわるものなんだ。この場面においては入場券を割り勘にしても、全部割り勘でいいという発想は当時なかった。それをすると男女の仲が醒めてしまうし、女が男に依存しなさすぎるのも可愛い女とは呼ばれない。割り勘は始めだけとか大きな金額のときだけとかにして、少額だったりは男に出させる風潮が強かった。また当時から、女の方が男に甘えて、「仕方ねえなあ。○○ちゃんには負けるよ」などと言わせるスタイルが定番となっていた。
かくして、乗り物代金はユアーが四回払い、私が二回払った。私は四勝二敗だったわけだ。ゲームコーナーも含めるとさらに一勝積み上がる。昼食はあまり料理の得意な方じゃなく腕前も大した自信はなかったからして、サンドイッチを二人分作った。玉子のサンドイッチ、ハムときゅうりのサンドイッチ、レタスとトマトの野菜サンド。唐揚げチキンも入れた。冷凍のチキンをレンジでチンしたものだ。お弁当箱は籐製の編み籠タイプのを二つ用意した。バッグの下の方にレタスとトマト、唐揚げ入りの箱を入れ、上の箱には玉子サンドとハム・きゅうりサンドの方を入れた。飲み物は冷蔵庫で冷やした紅茶を赤い魔法瓶に入れて持参した。当時、まだペットボトルがなく缶ジュース全盛の時代だった。簡単に自販機で飲み物を買うことはしなかった。
その遊園地で最初に乗った乗り物が、「スイングするボート」だった。立ち止まってお客さんたちが悲鳴を上げたり、絶叫しているのを眺めていたら、「チヅル、乗ってみるかい?」って優しく言うのだ。私は心臓が強いからなんでも来いだけど、ユアーは大丈夫なのかしらと思った。度胸ある人だとも思った。動き方が珍しい。円を描く乗り物だ。最初は横にぶらんぶらんと揺れる。太い支柱から伸びた柱時計の振り子みたいな棒が左右にボートを揺すりそれが激しく左右に振られていくうちにぐるっと一回転する。驚いた。こんなの、ありかなって。スイングから一周しちゃうのだから。体操選手みたい。遠心力らしいが、ボート自体は逆さにならず、柱が円を描く。乗ってみた感想は、途中までの左右の揺れからギュイーンと一周するときのスピードとのギャップがすごかった。私はキャアキャアと絶叫して楽しめた。が、ユアーは黙ってニコニコしながら平然と構えていたのに、一周したときの顔ったら引きつっいて痛々しく見えた。絶叫系の乗り物はまだまだあってこんなの序の口なのに、乗り物系の免疫がユアーにはないのかしらと思った。少し落ち着いてから、口数が少なくなったユアーを「ジャイアント・スイング海賊船」に乗ろうと誘った。これぞスイングのみの絶叫系決定版だ。ある高さで船が止まってから、だんだんと加速がつくときのフワッと体が浮くような高揚感がある。一番下の位置に戻って通過するときの疾走感も凄い。アメリカ人というのはこういうのを考え出すと天才的だと思った。どうなるか知らない子どもたちがポップコーンなんて片手に持って座っていたらフワッとした瞬間にパラパラパーンて宙にポップコーンが散らばるわ飛び跳ねるわで大変な目にあっていた。それもおかしくて楽しかった。ユアーは椅子の前にあるバーを両手で強く握りしめ、必死の形相だった。髪の毛も逆立っていた。私はストレスやうさ晴らしによく乗ってたから平気だった。これぐらい朝飯前のへっちゃらだ。
そんな感じで、普段は態度の大きいユアーも次第にプラレールで遊ぶ子どものようにおとなしく従順になってしまった。
いつまでもこんな風にできないから、お弁当を食べたらゲームコーナーや木陰でいちゃついたりしてトーンダウンした。でも私がいちばん楽しかったのは、絶叫系じゃなくて、密着系の乗り物に乗っているときとサンドイッチの甘いランチタイムだった。
二人乗りの変な乗り物があった。よく分からない原理でカップルを乗せた円筒がゴロンゴロンとレールの上を回転する。スカートを履いているとめくれる。それを押さえたり見えたりするスリルがあるのと、遊具が回転していると天井や壁にぶつかるし、その勢いで相手にもぶつかる。当然、何回もユアーの体に触れたし、ぶつかったりぶつかられたり、押し合いへし合いだ。肉弾戦で楽しかった。やっぱり、ここだけの話、ふだん触れることのない異性の体を思いっきり触れ合えるのってドキドキする。気持ちいい。いい体験をした。
いい時代だった。もうこの頃になるとカップル成立だ。でも女という生き物は「好きです」の言葉を欲しがる。その一言の担保が欲しくなる。それを言わせるが為に、第二弾の作戦が待っていた。
第一弾から数週間後、よく晴れた秋の日。
ジョーカー、マリエール、君島くん、ユアー、私の五人で、山梨県のブドウ狩りに出掛けた。レンタカーを借りて。マスカットとか巨峰とかブドウにもいろいろある。たわわに実った果実を獲る男性軍ってなんか目つきがやらしく見えた。どうせ、私の果実はたわわじゃない。都内からレンタカーでくねくねとドライブして行って果樹園に着いた。そこでは一時間で取り放題、一人頭二千円だった。最初は安いって思った。でも業者も頭がいい。食ベ切れないのだ。ブドウばっかり、二千円も。二房食べた頃からお腹がチャッポ、チャッポ鳴る始末。無理だ。一房五百円にしても、四房二千円。不可能だ。元を取れるとか、持ち帰り不可だから食いだめとか、そんな浅ましくてもほとんどがギブアップ。よく出来たシステムだ。それで二房目あたりから胃袋が気になりだして、ゆっくり味わいながらも、巨峰やデラウェアの甘さが逆に気になりだしてくる。一口で二つを同時に放り込んでみたり、種を口にためて遠くへ飛ばすゲームを始めたりと、男子らは脱線する。
ドライブしながらの我々は、運転手を除くと、ワイワイ騒ぐチームと、次のレクリエーションを考えるチームに分かれてきた。ジョーカーとユアーがワイワイチームで、マリエールと私が考えるチーム。君島くんはボックスカーの運転手だった。マリエールとまたしても相談した。この間の遊園地カップリング・デートを説明して笑い転げた。上出来でしょって。
「それで、今回のドライブのブドウ狩りを第二弾にして企画してみたの」
「えー、そうだったの?」
「そうよ。だから、これからがカップリング・タイムなの」
「ちょっと、まさか、このまま君島ドライバーに指示してホテルへ行って……」
「やーん。そんな訳ないじゃん。一人余るし」
「なに言ってんの」
「だから違うって。ジョーカーは余るけど、もっと健全かつ低コストのカップリング・タイムを設定するにはさ。何すればいいと思う?」
「うーん。分かんない」
そんなことを言い合いながら適当に道沿いの喫茶店にしけこんだ五人衆だった。
ウッド調のカナディアン・ログハウス風喫茶店、「グラン・モンテ」に入り、窓際に陣取った私たちは、白に花柄のエプロンを着けた女子高生風のアルバイト店員にメニューを渡された。私とジョーカーはミルク・ティーを、マリエールはホットココアを頼んだ。男性陣は君島くんがホットコーヒーをミルク付きで頼んだ。テーブルのシュガー・ポットをこねくり回す君島くんを横目に、ユアーはなにを考えていたのか、もう二度と来ることはないであろうこの田舎の鄙びた喫茶店のメニューを隅から隅まで眺め尽くしたのちに、ホットケーキとウインナーコーヒーを注文した。しばらく、ブドウ園での様子やら、おかしな食べっぷりをしたのは誰で上品に食べて少しだけ残したのは私よなどと、とりとめのない振り返りをしていた。少し時間が立って、ようやく注文した飲み物が一枚の銀のお盆に載せられて運ばれてきた。五人衆に注文されて戸惑ったかしらと思いきや、その店員は注文票にどんな目印を付けたのか、ちゃんとオーダーした人を覚えていて、何も見ずにそれぞれの席に正しい注文品を並べていった。普通は、「ホットコーヒーの方は? ミルク・ティーの方は」と聞いてくる。それがなかった。素晴らしい! この手際に田舎の店といえども侮れないわとみな感心していた。後で気付いたが、服の色や顔の特徴、髪型などけっこう私たちってバラバラなのだ。オーダーの横に短くメモでもしてその場で記憶したとしたら、この子は接客業に向いているかも知れないと私は思った。どおりでひげ面のオーナーも安心しきって、ゆったりとサイフォンでコーヒーを沸かしていられるはずだ。かくして、田舎の、静かでのどかな喫茶店に現れた都会育ちの珍道中一行は、ワイワイ騒ぎ立てながらお喋りを繰り返しては、秋の夕景色を眺めてくつろぎのティータイムを過ごした。
さて、マリエールと私が考え出したラブ・モーション。それは次のようなものだった。
まず、五人衆で乗った車で、適当に人を降ろしていく。そして最後にカップルを残す。自宅や下宿が近くだからとか、適当な用事があるとか言って。確か君島くんが都内の調布市だから、彼を調布駅付近で降ろす。君島くんが降りた時点でドライバーは私の恋人ユアーに交代している。ジョーカーは明大前だからその次に降ろす。あとの三人のうち、マリエールが邪魔になるので、彼女に遠慮してもらって、用事のある適当な駅で降りてもらう。あとはユアーが運転して助手席には私がちょこんと座り、二人だけのドライブは、レンタカーを乗り捨てる適当な駅まで自由に制限時間内までお楽しみという手はずだ。
ドライブインでの休憩中、ユアー以外の四人は、隙を見て打合せをしていた。完璧。こういうときには、本当にマリエールの友情に感謝、感謝だ。彼女だって君島くんと二人きりのデートをしたかっただろうに。でも姉御肌の彼女はかわいい子分のためならと、ひと肌脱いでくれた。
そういうわけで、計画は順調に進み、最後には私とユアーの二人が残った。都内の道をドライブする二人はデートを楽しんだ。二人きりの狭くて熱々の空間を独占し共有した若きカップルは、車内で好き放題の甘い時間を過ごした。もちろん、根回しできるメンツを最初から選ぶのと、あとで協力者たちにお礼とちょっとしたプレゼントを渡すぐらいの器量がなければあとでみんなから恨まれるだけだが。
それでレンタカーのワゴンの中はというと――。
「今日は楽しかったね」
「ええ。良かった、ユアーが楽しんでくれて」
「うん。とても楽しかったよ。チヅルは?」
「ええ。私も楽しかったわ」
「そうか。よかったよ……」
「……」
「ちょっと寒くない?」
「うん」
「これ、着るかい」
ユアーは片手で薄手のセーターをつまんで見せた。ジャケットの下に彼が着込んでいたのだ。
「え? いいの?」
「構わないよ。ちょっと待ってね」
そう言うと、紳士ぶる彼は車を信号手前で路肩に寄せて、停止のランプを点滅させた。
「あ。いいのよ、そのまま……」
私はユアーの腕にしがみついて、そっと顔をくっつけた。
「あ……」
小さく声を漏らした彼はハンドルから手を離すと体を捩って右腕を伸ばし、私の頭を軽く撫でた。日の落ちた暗がりが車の中でしっかりと抱き合う二つのシルエットを包み込み、その影は彫像のように周囲の時を止めていた。
私は彼と口づけを交わした。興奮と喜びに恥じらいも混じり、顔が火照ってくる。私の唇は彼のそれを求め、互いのものが合わさった瞬間、しっとりとした潤いがそこから顔全体に広がり、異性の血潮が自分の体内に溶け込んで一つになるような錯覚に私は浸った。
どちらからともなく口と口を離すと、私は訊いた。
「ねえ。私のこと、どう思う?」
「チヅルのこと、好きだよ」
やっと言った――。
私は心が落ち着いて安堵した。キスと告白の順番が逆かなとも思ったが、すべてはこの二つをしてもらうがために今日という一日を迎えたからそれでいい。
そのあと、いろいろ二人で話し込んでいると、時計が夜九時近くを指してきた。車を返却する予定時刻だ。ユアーは都内の道路に詳しかったのですぐに車を出すと大きな駅前に出て、レンタカーの営業所を示すサインランプを見つけ、返すことができた。
私は彼とラブラブのままで電車に乗り、最寄り駅まで電車に揺られた。駅からマンションまではあっという間だった。送ってもらっている間も、車の中でのことが頭に焼き付いていて、レンタカーを返してから何を話したのかはすっかり忘れてしまった。ただ車での睦まじい言葉と甘いムードは今も大切な宝物として心に残っている。
二年の後半からユアーとの付き合いが始まり、三年生、四年生へと交際は続く。あのTくんの事故死までは以前と変わらずの生活を送っていた。すなわち、バニベリでのテニス練習や合宿、薬学の基礎勉強、ガイダンスなどを始めとするOBとの懇親会、ユアーとの交際などをバランス良く続けていった。それは、友の事故死と研究室配属まで、変わることはなかった。当時の三角関係は、恋愛状態にあった私が欲張りだったのか、最初に好きだったTくんも幸せにしてあげたいというお節介の気持ちと彼への捨てきれぬ思いがこんな風に反映されていたからこそ産み出されたのだった。
私には誰にも言えない秘密があった。
発端は、私の成績にまつわることからだった。三年生の冬、一月にあった学科の単位を落としかけた。十二月にどうしても避けられぬ用事が入り、南雲助教授の講義を二コマ続けて欠席した。しかも、年明けの試験のできが悪かった。若くて精力的な先生はテストと授業の出席率を加味して私にDの評点を与えた。学生指導にも手を抜かない南雲先生らしい裁定だった。困っていた私は思いついた。全ての講義に録音機を持ち込み、テープを回している友だちがいたのだ。それが真面目男のTくんだった。感謝、感謝、とうわべのお世辞と愛嬌を振りまいて、私は彼のテープコレクションの中から「南雲助教授 昭和五十九年度免疫学第十一回~十二回/十五回」とラベルが貼られたテープを貸して貰える約束を取り付けた。これで二月の追試に間に合う。安心したら頭は桜の花見にユアーの側にいたいという若者思考になってしまった。しばらくの間、薔薇の花だの菜の花だのが咲き乱れる真っ白な空間に遊ぶような少女漫画のワンシーンに浸りかけた。事は筋書き通りに進む。真面目な友人の厚意に甘えてテープを受け取り、講義内容で足りない部分を埋め合わせて補った私は、追試に受かり単位をもらえた。その礼が延び延びになり、四年生の花見の季節を迎えた今、この少しのんびりした時期に礼がしたかった。それを兼ねて私が花見を企画した。もうすぐ研究室配属となり、しばらくは皆にもご無沙汰になるだろう。だからこの機会を利用してそれまでの三年間でお世話になった仲良しグループのクラスメートをユアーに集めてもらった。その花見の席でみんなに礼を述べた私は、適当な場面で追試に役立ったテープの礼としてプレゼントをTくんに贈るはずだった。しかし例の如く、酒と春の陽気に心がざわめいた。缶ビール、ユアーの優しい言葉と笑顔。頭に花が咲き、用事は吹っ飛んだ。挙げ句に三人で二次会を開こうとTくんの下宿にまで押しかけたのに、また渡すのを忘れた。本当に私ったら馬鹿なんだから。「お酒や恋も大事だけど、卒業を左右する単位も大事だよ。誰のお陰でここまで来れたの?」。実家の母がパンチパーマの菩薩となって、女神のように優しく私に語りかけている気がした。ちゃんと卒業して国家試験に受かり、病院か薬局の薬剤師として働く。留年したら親に怒られるし、仕送りも大変なのだ。今年は卒業よ、しっかりしなきゃ、千鶴。賢い自分が怠惰な自分を叱っていた。かくして、何度もプレゼントを渡しそびれた私はユアーにラブラブでマンションまで送ってもらった。恋心に酔いが回り、渡すのを失念していたが、部屋の床に無造作に置かれたピンク色の袋に目が行った。あれ、これ何だっけ。家で酔いが醒め、やっと用事を思い出す始末となった。我に返った私は自分に言い聞かせるように呟いた。マメ男のTくんに早くプレゼントを渡さなきゃ! 私はあわてて地味な鼠色のパーカーを羽織ると、女の色気を消しつつ、今し方の帰り道を引き返すことになった。幸い誰にも呼び止められず誰にも会わずに、Tくんのアパートにたどり着いた。途中で降り出した小雨が強くなって、アスファルトを激しく叩いた。アパートの二階横に付けられた外階段を静かに上がり、入り口の扉を開けると、廊下の突き当たりのドアが目に入った。鍵がかかっておらず、半開きだ。男子学生はみんなこんなものなのか。不用心……。中から音は聞こえない。クラシック演奏会のポスターが貼られたドアを回して中に入ると、暗闇に人影が横たわっている。Tくんだ。手に持っていたピンク色の袋からプレゼントを取り出し、布団に寝そべる彼に毛布を掛け、その傍らにプレゼントと手紙を置いた。すると、彼は物音に目を覚ました。起き上がった彼は私を泥棒と勘違いしたのか素手で殴りかかってきた。
「いやあ、きゃー!」
黄色い声を出す私に対し、彼は女と分かると、今度は私のスカートに手を掛けてきた。甚だしい勘違いだ。物取りでないなら、女が暗闇にいると犯すのか? こんな形で自分の片思いを成就させ、彼を受け容れたくはなかった。だから私は思いっきり彼の立っている布団の端を引っ張った。ステン。かれは背中から転倒した。とっさにひるんだTくんを近くに転がっていた酒瓶で叩いた。が、暗闇で半分顔を背けての反撃は運悪く彼の頭に命中する。
「ああああ……」
頭を押さえて片膝をついたかと思うと彼はすぐに口から泡をぶくぶく噴き、倒れて失神した。片手で口を塞いだ私は、何秒も声が出ず、時は流れた。気が動転した私はちゃぶ台にあったクスリの袋を破って、反射的にマグカップに入れると一目散にドアに向かった。その辺から、よく覚えてない。なぜそうしたのか分からない。あとで自分の行為をたどると、もしかしたら薬を飲めば失神が治ると思ったのだろうか。しかし、失神したままで服薬は出来ない。けれど他に出来ることがなかった。冷静に彼の体を何度も揺すり意識を戻してあげれば良かった。何度も何度もそう思った。後悔した。今もそう思う。しかしあの時は、犯されるかもという恐怖心が勝り、反撃という行為を正当防衛化してしまったようだ。被害者と加害者の立場が一瞬で入れ替わってしまうと脳が混乱する。どちらの立場にいても早く立ち去りたかった。反射的に薬をコップに入れたのも、もし刑事に問い詰められたら説明のつかない行為だった。大急ぎでアパートの外付け階段に急いだ私は、誰にも会いたくなくて足早に降りた。一段一段、降りる足の運びが、長い長い嫌な作業に感じられた。頭の中が混乱しながらアパートの敷地を出た私は恐る恐る振り返ってみた。誰もそこにはいなかったが、雨に濡れて葉を揺するタンポポだけが私の姿を恨めしげに見送っていた。ただ、あのあとになぜ部屋から出火して、Tくんが火事で死ぬことになったのか。それは、タンポポにも私にも分からぬことだった。
Tくんの事故死で慰めの言葉より冷笑や嘲笑が多くても気にも留めなかった。というよりは、自分が恋人として選んだユアーより前に好きになった片想いの相手を不慮の事故でなくしたばかりの大学生にとって、周囲の反応などを冷静に分析するような余裕は皆無だった。事件はテレビや新聞等で報道され、一般の人々にも知られることになった。他人が邪推する範囲の事柄と警察や消防が現場で調べ上げた報告に基づいた事実の間には明白に境界線が引かれた。当時の私には難しいことは分からずじまいだったが、事件の概要の一部は感覚的に掴んではいた。翌日のニュースでTくんの死亡を知り、下宿に駆けつけるとあまりの惨状に茫然自失になった。下宿は真っ黒に焦げ、辺り一面が異様な匂いと熱気で覆われていた。真っ黒な炭と化した友人の亡骸は原形をとどめていなかった。彼の死を契機に私の情緒も乱れ、当時の彼氏だったユアーとの関係は崩れていった。結局、就職先のT病院の内定を辞退し、私は学内で事務員として働き、国家試験の勉強をやり直すことになる。あの夜、自分の取った行動がTくんを死に追いやったとしたらという罪の意識を引き摺ったままで私は卒業研究をやり、就職した。毎年、花見の季節になるたびに心が痛み、彼が事故死した真相を知りたいという気持ちと呵責の念に苛まれている。あの夜、何があったのか。私は友の死を乗り越えようと必死の思いで都内の薬局で働いた。あの当時の秘密を私は人にもユアーにも話せなかった。秘密が悩みとなり、それを抱えたままでずっと心の中で答を探す自分がいた。
春が近づき、雨が降ると足元がぬかるむ季節は、泥のようなどんよりとした空気が、会社、病院、薬局に漂う。「泥の春」だ。そう感じて三十年が過ぎた。ぬかるむ土、淀む空気、華やぐ子どもらの声。ビルの外では若い男女らが賑やかに歩き、以前から勤める社員に新人も加わって愉快そうに花見の場所へと向かう。楽しげな光景の裏で、私にとっての春はちくちく痛む思い出が巡る季節でもあった。泥の春だと思うのは、自分の不誠実な心が春先の雪融けや雨上がりの泥水のようにぬかるんでいるからだった。
報道では棚橋陽一という大学生が下宿のアパートで火の不始末で火事を起こして亡くなったというよくある事故としか伝えられなかった。しかし、深層には別の事実が存在していた。火事を起こす前に人の出入りがありTくんが最後に出会った人物こそが私であること、そのときに起こった私しか知り得ない事実、私が帰ったあとに彼がとった行動の事実といった内容は、公にされることはなかった。私は内心ヒヤヒヤしていたが、私のところには警察からの連絡はなかった。その未知なる闇の事実たちは、私にとっては奇々怪々な事件として、泥のようなぬかるみの心痛を伴い、しばらく私の中で留まっていた。
二十五年後の集まりをきっかけに、止まったままの時計が少しだけ動き出し、また止まってしまう。Tくんとは真剣に付き合う機会が一度も訪れなかったが、何かあれば身近な相談相手として電話をする仲だった。
「あの、棚橋くん。相談があるんだけど」
「うん。なんだよ?」
「あのね。夏休みに北海道へ旅行に行く計画を立ててるの。友だちと。でね。北海道旅行のお土産だけど、なにか欲しいものある?」
「北海道ね。そうだな、お菓子でいいよ。安くていいから」
「うん、分かった。ところでさ。四年になったら、どこの研究室に行きたいの?」
「それが本来の相談事なんだろ? うーん。まだ決めとらんよ。免疫学教室あたりがいいのかな」
そんな風に気軽に相談できる間柄だった。
だから、まだ彼があのようにして亡くなったことを現実のものとして受け入れられない時期も長く続いた。その期間は、ふさぎ込んでしまっており、ユアーともロクに会えない状態で過ごさざるを得なかった。私がTくんを振り向かせられなかったから、彼は死を選んだのか? いや、あれは事故死だ。自分で火をつけて自殺したんじゃない。彼は酔っ払ったまま煙草を吸っており、火の不始末で寝ている間に焼け死んだか、煙を吸っての一酸化炭素中毒で死亡した。警察も、そのように詳しい経緯を説明してくれたではないか。実際、私があの晩に下宿を見た限りでは、部屋は雑然としていて宴会の後片付けもなされずに散らかった状態で布団が敷かれ、そばに灰皿と吸い殻が数本揉み消してあったと記憶している。だけど……。彼の部屋にいたのに、私は彼を助けることが出来なかった。私が間違えてあんなことをしなければ。あの失神騒動が起きなければ私の体に触れている内に正気に戻って……。私のしたことは過剰反応、行き過ぎた正当防衛なんだろうか? 今思い返してみても、当時の私の頭の中はというと、自分を責めたり相手を思いやったりの繰り返しの毎日だった。
彼の葬式には出た。斎場では涙があふれてフラフラになり、喪服を着たユアーに抱えられながら、どうにか焼香をした。ご遺族の方々にどんな顔をしてよいか分からず、うつむいたままで頭を下げて自分の席に着いた。ごめんなさいと言えばよかった。何度も後悔した。Tくんが死亡した日から二、三週間は大学を休み、家に閉じ籠もった。自分が塞いでいても彼がまた私らの前に姿を現すことはないが、それを分かった上で、なおやるせない気持ちでいっぱいで生きる気力が削がれていた。何もかもが手につかなかった。ユアーからの慰めの言葉を電話の受話器越しに聞いたが、届いた声は左の耳から右の耳へと抜けて行くばかりだった。手紙も友だち数人から届いた。その行為自体には、ありがとうと心の中で手を合わせた。肝心の励ましの内容は、やはりすぐにどこかに消えていった。病院に行ったらと見かねて言う人もいたが、なんとか生活できる状態を取り戻しつつあった頃でもあり、それを実行に移すことはなかった。
相変わらずの元気のない姿でありながら、顔を洗い薄化粧を施して、また大学に通える日が訪れた。三週間ぐらいたったころか。前日の晩、母から電話があった。あれこれと話をして、私が大学に行くと約束すると、母はこう言った。
「明るめの服を着なさいよ。着ると心まで明るくなるわ」
娘を思う励ましの言葉だった。その言葉に希望が湧いた。かけてくれた言葉に親としての愛情や年長者の教訓が滲み出ていた。もう一つの言葉にも、沈んだ私の顔を上げさせてくれて思わず嬉しくなった。「暗い気持ちのときでも人に悟られず、明るく振る舞うことが世間様への礼儀だよ」というその時代の常識がそれだった。
さて、大学に行くと研究室の手配は終わっていて、事故の前に提出した希望申込み通り竹村研究室に決まっていた。とりあえず研究室を訪ね、先生や先輩、仲間に挨拶をした。
「江畑千鶴といいます。一年間お願いします」
いろいろと自己紹介を聞いたが、自分のことで精一杯でほとんど記憶に残らなかった。少しずつマイペースでやれよ。そういう言葉だけが耳に残った気がする。そうした紹介や挨拶が済むと、みんなで食べようと昼食に誘われた。明るい陽射しのカフェテリアで数名が長いテーブルを囲んだ。私は先輩のまねをして定食を頼んだ。先輩たちの談笑が始まりそれに耳を傾けながら、肉や野菜を箸で口に運び、どうにか食事を喉に通した。まだ、個々の研究内容や竹村教授らの専門分野は皆目理解できていなかったし、ほとんど把握もしていなかった。が、卒業研究でお世話になるからして、周囲に迷惑を掛けることだけはしないようにしようと思った。いや、もう最初から充分に厄介をかけているのは明白なんだけれど。
さて、環境の変化に慣れてきたのは六月の終わり頃だっただろうか。研究室の同じ部屋に、藍澤さくらという女子がいて、その子に誘われて大学近くの喫茶店に入った。「ロメロ」という名の喫茶店に入るのは私には初めてだった。さくらはズケズケと奥に入っていき、店内をキョロキョロする私を手招きして奥のテーブルソファに座ると、テーブルに立ててあるメニューをつかむや私に渡して、こう言った。
「ロメロっておかしな名前でしょ。先輩方は、『メロメロ』とかって呼んでんだよ」
顔をクシャクシャにしてゲラゲラ笑う快活なさくらは、手を叩いてまだ思いだし笑いを続けている。私も少しはにかんだ。
「あ、笑ったね。そう、その元気」
さくらはささいな私の変化を喜んだ。私もその意味を悟った。
さくらは、その後もテレビや映画の話から自分の研究内容までを詳細に語ってくれた。私を励ますために誘ってくれたのか。そう思って、オーダーして運ばれたミックスジュースを飲んでは相づちを打っていた私だった。
数週間が過ぎた。ロメロにさくらといたときだった。
「そろそろ、チヅルも研究テーマを決めないとね」
さくらの言葉に焦りを感じて強ばった顔をしたからか、彼女は続けて、「犬飼先生は親切だよ」と付け足してにっこり笑った。そして、注文したケーキセットのチョコレートケーキをフォークで崩しながらパクついた。
その笑顔つきの助言に私は安心した。その言葉を信じた。とにかく自分の判断はまだまだ未熟だから。
研究室に戻った私は、犬飼助教授と書かれた白いプレートが貼られたドアの前に立つと、指を折り曲げて二度ノックした。
「犬飼先生、失礼します」
先生が電話で喋り終わるまで待ち続けること数分後にようやく一声を発した。
「あら、江畑さんね。待ってたわよ。そろそろ来る頃かなと」
「え? そうなんですか」
「いえ。竹村先生の弟子は、もう一杯よ。残ってるのは私の所だけ。まあ、掛けなさい」
黒髪をお団子にまとめた先生は手を広げて歓迎した。まるでジュディ・オングのように白衣を広げ、そばのソファを示した。少しその自己妄想で吹き出しながら、アイボリーのソファに腰を下ろした私は部屋を見回した。書棚には難しそうな題名を冠した薬学の本が並び、幾冊もの分厚い論文集が重そうに鎮座していた。まもなく秘書の方が日本茶を運んできた。それを啜り、助教授が考えている研究テーマの解説を一時間ほど拝聴しただろうか。ようやく終わったので頭を下げて助教授の部屋をあとにし、自分の部屋に戻って深呼吸をした。やった。研究テーマをもらえた。そして、あとはそれについて理解を進めていけば研究を行える。安心した私は鞄を開けてノートを取り出し犬飼助教授がさきほど解説された内容を頭の中で思い出しながら、話の要点をいくつかノートに書き込んでいった。それを読み返すうちに、今度は新たな疑問点が沸いてきた。幾つかの専門用語は知らなかったし、他の研究事例との関連性が自分の考えで合っているのかを誰かに聞いてみたくなった。そこで談話室に行くと、コーヒーを飲んでくつろいでいる講師の江藤先生がいた。絶好の質問相手とみるや、私は果敢にも自己紹介をして、今年一年間研究室でお世話になるのと、思い付いた疑問点を尋ねてみた。
「私は『メチシリン耐性ブドウ球菌へ投与する抗生物質の感受性試験』を卒論でやるんですけど、ブドウ球菌とはなんですか」
「ああ、それね。ブドウ球菌ていうのはブドウの房のように連なった細菌で、黄色ブドウ球菌は特に毒性が強くて抗生物質が効かないのよ」
「分かりました。これから勉強します。ありがとうございます」
江藤智美先生に礼を述べて彼女を見送ると、私は椅子に腰掛けた。談話室に置かれたテーブルに自分のノートを置いて、疑問に対する回答を忘れぬように赤色のボールペンで書き足した。これで具体的な実験のイメージを固定させた私は少し遅くまで研究室に残り、竹村先生や犬飼先生が発表した論文、研究室の先輩たちが過去に行った実験の足跡をたどってみた。どれも非の打ち所のないようなしっかりとした科学論文に感じられた。
翌日の放課後、さくらに昨日の礼が言いたくてロメロにまた立ち寄ってみた。奥のテーブルで仲間と談笑していたさくらをみつけると、空いている椅子に座り、話に割って入った。
「昨日はありがとうね。犬飼先生ったら、素敵な方ね。私、あこがれちゃうわ。研究の意義や背景をきちんと説明してくださるのよ」
「あら、そう。あたしさ。犬飼っていう名前が好きでね。いぬをかう、ペット好きみたいで」
「なによ、それ。ただのダジャレじゃない。そんなので犬飼先生を薦めたわけ?」
「え? まあ、女の先生で気が合うならよかったじゃん。結果オーライ」
あきれ顔の私は、さくらにまんまとかつがれたが、残りものには福と内心ではほくそ笑んでいた。Tくんの他界で低空飛行だったから、ふんわり吹いた上昇気流で少しは高く飛べそうな気になってきた。なにしろ卒業まではまだ一年という時間が残っている。気落ちすることはたびたびあるだろうが、最後の砦である卒業研究の単位を修めねば先が見えてこない。
七月に入ると、研究室に泊まり込むことが多くなった。男子禁制の女性仮眠室があることもそのときに知った。夜の一時を回ると、自家用車で帰宅する江藤先生の講師室に三台のパイプベッドが持ち込まれて、最低三名は仮眠できる即席の女子キャンプ場がこしらえられる。部屋の扉には、江藤講師のプレートを隠すように、「ただいま乙女が仮眠中。男子禁制」の吊り看板が掲げられるのだった。
また、夜十時を回り、徹夜組が出そうなときは、たまに犬飼先生や江藤先生が気を回されて、菓子の差し入れなどをして頂くこともある。プリンだったり、マドレーヌだったりがそれだ。その意味でも、聖マドレーヌ薬科大学というのはそこから来ているのか? それは違うだろうが、なにせちゃんと差し入れは人数分以上はある。そのときは死ぬほど年上の女性が神々しい女神のような、菩薩のような方たちに見える気がした。しかし、差し入れで余った分の一個、二個を巡ってじゃんけんバトルが起きることもあった。その意地汚い争いも場数を踏めば、冷蔵庫に入れておいて、翌朝来られた先生か男子に残しておこうという麗しき結論に落ち着いた。
さて、肝心の研究内容はというと、メチシリンという抗生物質の勉強から始めて、黄色ブドウ球菌に関するさまざまな論文を読みあさった。アメリカ発祥のテーマで学者の研究事例が多く、英語で書かれた論文を学内の図書館から取り寄せたり、先生から論文のコピーを頂いたりした。が、なにせ英文のため、翻訳に苦労した。そこは私の腕の見せ所で、色々な同級生やら先輩やらに拝み倒して、分からぬ箇所を教えてもらった。専門用語は数をこなせばだいたい分かるが、ちょっとしたニュアンスの言葉、米国流の考え方など、科学のスタンダードという台上に載らない単語にはずいぶんと悩まされた。
暑くて体から湯気が上るような八月の時期から、メチシリン耐性を持ったブドウ球菌を培養してそれを打ち負かす抗生物質を一つひとつ調べ上げ、試験を行っていった。もちろん、自分一人で抗生物質を一から作るのではない。さまざまな過去の事例を参考にして製薬メーカーが開発中のもの、国立感染研究所が作り上げた抗生物質を特別に借りて、分けてもらったものを用いて感受性試験を行い、耐性を持たぬような抗生物質を見つけるのが今回の研究目的だった。それは犬飼先生からレクチャー済みであり、変わることはない。また、共同研究者として都心医大の桐村白銅さん、株式会社ライバン製薬研究員の井ノ月亘氏も加わって三名で研究実験を行った。主たる実験者は私と桐村さんだったが、感受性ディスクを用いるディスク拡散法の難しいところなどはベテラン研究員である井ノ月氏の力を借りることもあった。簡単に書いたが、菌の冷蔵室や実験室での温度・品質管理、菌の培養、阻止円の計測や判定などに神経がすり減った。途中スタミナ補給にケーキ四つを頬張ることもあったが、それでも持たぬくらいの疲れと緊張に襲われるのだ。若さと体力勝負の夏と秋が一日いちにちとカレンダーの日付をめくるように過ぎていった。国内での類似研究例がまだまだ少なく、某製薬会社の研究所に何度も足を運んでは結果を見せて、研究員の方々に助言をもらったり、社の研究風景を見学させてもらったりと本当にお世話になった。犬飼先生までが、
「エバタ製薬さん。お加減はいかが?」
と半分からかいながら声を掛けて下さった。
その研究における権威のアレックス=モーガン博士が秋に来日したとき、食事会が都内のホテルで開かれた。なんと私も招かれたのだ。いや、犬飼先生がモーガン博士のナビゲーターを務めていた関係で、その付き人として鞄を持ったり、タクシーやホテルの手配をする役が私にも回ってきた。事前に秘書の方に大半を予約してもらったとはいえ、当日の手配などは私が代行したから、少し手に汗を握った。もちろん、モーガン氏には遠く及ばぬものの、博士と同じテーマを研究する学生として犬飼先生が特別な配慮で選んで下さったのだろう。今の研究の疑問点などは聞ける立場でないと充分承知の上で、研究の方向性についてモーガン博士に聞いてみたいと内心思っていた。その機会をうかがっていると、食事会後に博士が周囲と談笑していたので、通訳さんを押しのけて、拙い英語で突撃取材を敢行した。
「モーガンさん。メチシリン耐性ブドウ球菌に対する抗生物質についてなにか考えはお持ちですか」
「ああ、君がその研究をしているのかい? いい質問だ。それはエンドレスだ」
とだけ彼は言った。最後の単語だけは、その後の研究中で何回も頭の中で再生される言葉になった。
エンドレス。なんと、実に残酷な! ――。
博士の考えでは、いくら抗生物質を特定して投与しても終わりがない、つまり、必ずブドウ球菌の方がその抗生物質に耐性を持ち、いずれそれは効かなくなる、ということだ。要は、私の研究も長い目で見れば、一時的な結果を示すデータ、その場しのぎの抗生物質の発見にしかならない。私は医者でも製薬会社の研究員でもない。お偉いさん方が見つけた薬を、患者に投薬できるか、有効と言えるかのための治験という小さな小さな手伝いを短期間しただけなのだ。そう自分に言い聞かせた。だって、アメリカの権威ですら「エンドレス」のお手上げ状態なのだ。一介の女子学生が立ち向かったところでびくともしないのは分かり切っている。私は、ぶ厚いベルリンの壁に小さな蟻がたかってその顎で小穴をいじましく掘るさまを頭に思い浮かべ、苦笑した。
後日、江藤先生と研究の意義や結果に対する考察などについて議論することがあった際、彼女は面白いことを言った。
「江畑さん。人類の敵と思われている細菌だけどね。菌をやっつけるばかりが薬じゃない。リスクを低くして悪玉菌と共生することもできるの。童話の『北風と太陽』にあるでしょ。強さや攻撃じゃなく、自然と敵の働きを変えたり鈍らせたりすることも考えるべきなの。抗生物質や除菌で善玉菌までも殺しちゃうと、患者はもっともっと重篤になるわ。痛めつけない感染防御もあるわけ」
「へえ。先生、おもしろいです。私も小さい頃、いじめっ子にいじめられまして。最後は一緒に遊ぶようになったらいじめられなくなりました。似たことですかね」
「ふふ。まあ、そんなもんね。ブドウ球菌なんて平常時でも健康な体内にいっぱい存在しているわけだから。悪い子もいい子も、仲良くしないとね」
「はあ」
私は話がすり替わりそうで、それ以上なにかを言うのをやめた。この世の生き方にも通ずるような割り切り方が、自然界でも人の世でも求められると解釈した。
また、竹村先生と廊下ですれ違ったときには、こんなことを言われたことがある。
「江畑さん。真理の扉というのはね。権威ある人間に開かれるものでなく、真理を求めようと努力を重ねる求道者に開かれるのですよ」
「はい、先生」
「だから、江畑さんも研究に疑問が湧くたびに調べ、努力を怠らずに進んで下さい」
こういうことをサラッと言えるのだ。竹村先生は。
昭和六十一年二月、ようやく、「メチシリン耐性ブドウ球菌へ投与する抗生物質の感受性試験とその検証について」なる卒業研究が完成し、学部の講堂で研究発表を行った。
その研究は引き続き行われ、社会的にも広く認知される大変重要な研究テーマとなった。学生時分は、黄色ブドウ球菌が食中毒や感染症で人々をこれほどに悩ますとは正直思っていなかった。それは薬剤師になった今でも、次々に抗生物質へ耐性菌を作り出すブドウ球菌が恐ろしい存在であることを認めざるを得ない反面、抗生物質の正しい使用量、使うタイミング、人間が備える免疫力を維持する健康作りの大切さに改めて気付かされた。そして、それも含めた薬への正しい理解と啓発のために、今日も薬局に立ち、患者に薬を届ける仕事をする私がいる。そう思って働く毎日だった。
さて、卒業後は、薬剤師国家試験に備えて浪人と社会人を兼ねた生活が始まった。聖マドレーヌ薬科大学で事務員として採用され、学生課で働いた。事務作業の毎日ではあったが、研究生活とは正反対で、規則正しい毎日がスタートした。
下宿を朝八時に出て大学に向かい、到着して十時から受付業務を始める。それまでは、資料のコピーや伝達事項の確認、学生の問い合わせへの回答作成などのデスクワークに追われる。帰宅したら夕飯を済ませ、薬学の復習と試験対策の勉強をした。
ついこの前までキャンパスの主役だった私もそのときは学生を管理する側になり、学生らが安心して過ごせるように手伝いをしている。そういう意識を持って仕事をこなしていた。
ある日、大学入試のデータをパソコンに入力する作業を二時間ほどやっていたときだった。女性職員、渡辺さんが歩いて私の横を通り過ぎるとき、私のパソコンを覗き込んだ。
なにかしら。まずいことをしでかしたか――。
隣で立ちつくす渡辺さんを振り返る不安顔の私に、「あなたって一途ね」と言う先輩は、長い髪を束ね、長い睫毛をパチパチと上げ下げして瞬きをした。私は仕事の手を止めた。「そうですか」
「ええ。まるでよその国の人みたい」
「え?」
私は、先輩の唐突な言葉に眼鏡がずり落ちそうになった。
「そういうタイプもいる。自分なりの哲学があるんだよね?」
私と先輩のやり取りに耳を傾けていた学生課長は、大きな腹を揺すりながら近づき、年上らしい物言いで宥めてくれた。
「あ。それ……」
「ん? どうかしたか?」
「いえ。同じようなことを、昔いわれた気がして」
まだ付き合う前のユアーだった。あれはあながち口から出任せではなかったのか。
あとで疑問が湧いた。なんで一途なの? 私が脇目もふらずにパソコンに向かっているように見えたのかしら。少しして何となく分かった。私がここに来た理由を課長から聞いたのだろう。学業が疎かになってもくじけなかった事情、薬剤師になりたい理由ぐらいは耳に挟んだのかな。それともバニベリのことまでが筒抜けだったりして。昼の休憩時、隣のソファーに腰を降ろし、テレビを観て屈託なく笑う渡辺さんの横顔に、社会人の温かな眼差しを発見したようで嬉しい気分になった。
学生課の受付に立つとさまざまな学生がやって来る。奇抜な格好の男子、お嬢様のような女子、リクルートスーツを着た就職活動の学生などだ。一年目の私は業務に不慣れなところもあり、用件を手短に頭でまとめて整理した上で、渡辺さんなど後ろに控える職員にすぐ繋げるよう指示されていた。私の窓口は三番だ。ほとんどの対応が追加試験の日程確認や証明書などに関する告知、手続きなどだったが、月や年度を言い間違えて学生から叱られることもあった。
それでも数ヶ月もすればデスクワークや受付業務に慣れ、平常通りの仕事に追われる毎日が単調に過ぎていった。
そうした職場において、ある事実をベースに、渡辺さんと課長との間に大人の関係があるのに気付いた。渡辺さんは父を早くに亡くしている。あの課長に父親像を重ね、異性への信頼や不足していた愛情を求めた結果、年の離れた夫婦のように振る舞い、そうした関係すらも受け入れることが可能だったのではないか。そう推測した。
ある事実とは幾つかある。まず、課長が出張のときには必ず渡辺さんが休みを取っていた。彼女が課長の独身アパートで留守番をしていたのか。現に、その近くで夕飯の買い物をする姿が目撃されている。次に、課長が外に飲みに行く日は必ず同席し、同じタクシーに乗り込んで帰る。これはすぐに怪しいと噂が立った。
本人たちは、「家が近くで同方面だ。不適切でない」と言っていたが、仲良さげに車窓の内側で笑い合う二人の様子は、単なる上司と部下、酔い客同士ではないのかもと思わせる雰囲気があった。
これらの事実から、私は渡辺さんと課長とが内縁関係にあると結論づけた。周囲もそのように陰口を叩いていた。この学生課で働く関係者の誰もが知っていて、職務上誰も口に出せない秘密。そうした大人の事情を遠ざけたい気持ちと、年がいけば理解してしまう自分の姿が混在し、そのギャップに少し戸惑いと怯えを感じる私だった。
渡辺さんは私の身の上話を最初に相談した人で、世間をよく知る姐御的な存在だった。仕事が忙しい時期や給料日のあとなどには、私を連れて赤坂や六本木などをよく飲み歩いた。そういうときは金払いもよく、彼女が年上の分、私より多めに払ってくれた。いつもJCBのカードを赤い財布から取り出して支払いをする姿を、私は何度も見かけた。ふだんはお堅いイメージである大学職員なのに、いざ遊ぶときは色気の漂う大人の女に変身していた。美貌もさることながら、艶やかな化粧、長い髪、グラマーなボディと脚線美で、すれ違う男性を虜にしてしまうほど、夜の街に溶け込む渡辺さんだった。他にも、何度か合コンに呼んでもらったし、彼女の知り合いのパーティーに紛れ込ませてもらったこともあった。そのパーティーでトイレに立った私は、会場に戻るときか、ハンカチを落としたらしく、そのまま気付かずに帰宅した。どこかでなくしたものと思ってやり過ごしていたら、一週間後、事務員の女子更衣室で着替えをしているとき、渡辺さんが近寄ってきて、「パーティーで落としたわね。ハイ」ってアイロンがけした私のハンカチを彼女から渡された。それを受け取ったときすごくハンカチが柔らかく、彼女がつける香水の匂いが染みていて、ポッと赤くなってしまった。もしハンカチを落としたのが私でなく渡辺さんだとしたら、きっと素敵なシンデレラが誕生していたのかも。そんな妄想も浮かんできて、真面目な顔をして上司に昨日の業務報告をしている彼女の姿を見ると、思わず口元を押さえてしまったものだった。そんな時に限ってつまらない取り違えをしでかし、上司に見つかって大目玉を食らう。一年目の私は気の緩みからそのように些細な失敗を犯してしまうが、その日はなぜか六年目の渡辺さんさえも入力ミスが多発してしまったようで、あとで上司に怒られていた。
「でもさ。怒る課長と怒られる渡辺さんができちゃってるんだから、あとで埋め合わせるのはいとも簡単よね」
帰りの更衣室で、他の女子職員同士がキャッキャといやらしい話を膨らませていた。
昼の顔と夜の顔、事務員部下と内縁の妻を使い分ける人もいれば、公私とも裏表なく明朗快活な態度で働く人もいた。また、子育て中ながら、渡辺さんと同じくらい仕事のできる主婦事務員の方も数名いたし、独身で四六時中結婚したいと言いまくる目がハートの女性事務員もいた。
そんな中、人生に早くもつまずいた私という存在は本当にヒヨッ子であり、早く仕事や世間に慣れ、上手に世渡りできたらいいな、と思って働いた。
事務一年目の私は任される仕事の重さも責任も小さく、たいして学生課には貢献できていなかったと思う。そんな私を置いていて下さった課長や女性職員の皆には、本当に世話になったし感謝している。決して私が薬剤師国家試験を受けなかったことや棚橋事件に巻き込まれたことなどを口にする人などおらず、短い間ではあったが、気持ちよく仕事をさせてもらった。腰掛けのつもりで働いたわけではないし、ここで社会勉強をできたこと、仕事の基本、決まり、重要性、厳しさなどを学んだこと、人間として尊敬できる先輩方に恵まれたことを嬉しく思った。
さて、薬剤師国家試験は初めての挑戦となり、四年生の時に開講する国試の対策講座を特別措置で受講させてもらった。苦手な箇所や間違いやすい盲点は反復して解いた。また、受験生が確実に正解する問題は落とさぬように、過去問を定期的に解くことも忘れず、授業や参考書で得た知識が頭から抜け落ちないように努力を重ねた。社会人になっても浪人生の身分であり、学内で毎年おこなわれる直前講習会には、OGながらも参加の許可を頂き、出席できた。
冬場になると気分も沈みがちになるので、就職した友人らに頼み込んで、方々を案内してもらったり、遊びに付き合ってもらった。そうすることで、息抜きとリフレッシュをして体を休ませることも欠かさなかった。むしろ、その為に勉強しているような感じもした。
また、夜型生活ではなかったものの、早朝に起きられるように早寝をし、ちゃんと毎朝の食事を摂ることも心掛けた。半分眠気をかみ殺して仕事をすることもあった事務と違い、試験直前は受験生との二重生活で、試験時間に合わせてすっきりした気分で試験当日に臨めるように整えた。早朝型に慣れた上で、夜の誘惑も封印し断ち切ったお陰で、生活リズムは安定した。
そして本番当日の朝を迎えた。
三月の空はどんよりと薄曇りで、冷たい風を吹かせていた。沈丁花の花が咲き、大学入試の受験生と思われる一群が地下鉄に混じっている。喋りながら余裕をかます者あれば、参考書を読み耽って最後のふんどしを締め直す者もいる。気合を入れた顔つきで念を籠め、有名神社のお守り袋を静かに握りしめる者もいた。私は五年前に経験したあの若き日が蘇った。
大学入試は広々とした講堂の静粛な空気の中で行われた。シャープペンシルを走らせて一所懸命に問題を解答する。大きなミスがないことを確認する。試験官が筆記用具を置いて下さいと厳かに号令をかけ、試験用紙が集められる。すると蜘蛛の子を散らすように若者らはその場を立ち去り、教室は閑散とする。肩の荷が下りた私は友だちとその日に放送されるテレビ番組の話をして帰宅した。そして、週末を待たずに次の日に遊園地へ行き、キャアキャアと友人と騒いだ。その友人の一人が他大学に推薦枠で入学が決定していた疋野和美で、彼女らと観覧車に乗った。私たちの組は先に乗り込んだ。てっぺんに来ると、下や遠くを見てははしゃぎながら写真を撮った。富士山がかすかに見えたのに、あとでネガを現像したらなんにも写ってなかった。でも、和美は観覧車の中で、意気揚々と語った。
「めったに見られない富士山が見えたんだよ、すごいじゃん。私たち、天下を取れる。日本一になれるよ」
興奮気味に話す彼女は小さな部屋で立ち上がり、小躍りして喜んだ。ゴンドラは激しくその躯体を揺らし出した。危ない。注意しなきゃ。
「分かるよ、その気持ち。だけどさ。揺らし過ぎだって。まあ、落ち着きなさいって」
私は和美を宥め、両手で彼女の肩を押さえて力尽くでシートに座らせた。
ああ。あの頃は、まだまだ子どもだったな――。
現実に戻った私は、資格を取得しても遊園地のようなご褒美がないことにガッカリした。遊んでいられるのももうおしまい。遊んでいい季節は過ぎ去り、薬剤師として一日も早く世に出て働かねばならない。
そんな風に、試験や合格うんぬんより待ち受けている仕事や職場のことばかりが頭をよぎり、そうした先のことを考えながら電車に揺られた。そして、試験会場に到着した。いざ、試験が始まると問題が違った風に見えた。もちろん過去の出題傾向と大きく変わってはいない。ここ数年の出題とさして変わらないはずなのに、なんだか簡単に見える。問題が頭にどんどん入り、これならここ、あれならそれと手がスイスイと動く。不思議なことに、犬飼助教授が藍澤さくらの前で熱血指導する家庭教師のようなシーンが頭に浮かんだ。正解を間違えると、「こらこら、さくら。だめじゃんか」と叫ぶ魂が消しゴムを持たせ、間違った番号を消し去り、持ち替えた鉛筆できちんと正しい番号を塗り潰していく。研究室の人間関係が空想の物語となり、解答用紙の上で指人形となってちょこまか動く寸劇を演じている気がした。それほど心はリラックスしていたのだろう。実際、試験会場を後にすると、正解を確かめるよりもどこが間違えたかを覚えていて、そこを参考書などで調べるほどに余裕があった。つまりは、よく出来ていたのだろう。
もともと、薬剤師国家試験というのは合格率が高い部類に属し、一度目にして私は合格通知を受け取ることができた。こうして薬剤師の資格取得手続きを経て薬剤師となったのは四月だった。四月に学生課に届けを済ませ、退職願いを提出した。
桜はすでに散り、雨風に吹かれて道端の隅に積もっている。ゆるやかな小川に流れるものは河口へと旅をし、旅を嫌がるものは小さな岩場に身を寄せ合って最後の別れを惜しんでいるかのようだった。ピンクの塊の群れは、それがまだ四月であることを告げていた。
春の空気はますますのどかになるが、街の雰囲気は入れ替わっていく。行き交う人々は新年度の学業や仕事に精を出し、新旧世代が活発に動き回っている。
これから私を薬剤師として受け入れてくれる求人を探さねばならないが、昨年内定を受け取っていたT病院に連絡を入れ、行ってみたら、こちらの身の上話を聞いた上で簡単に内定通知を出してくれた。いわゆる第二新卒の扱いだったのだろうが、あまりにもあっけなく就職が決まってしまい、拍子抜けした顔で実家に帰宅した。母にその報告を済ませると、私は茶の間の畳にヘナヘナと座り込んだ。別に腰が抜けたわけでもなかったが、無駄に力を入れる必要がどこにもなかった。こんなにすんなりと就職が決まる様は、エスカレーターが来てスーッと上へ登っていく感覚とでも言えばよいのだろうか。
その晩、実家に泊まり、家族で特上寿司を食べた。ささやかな宴会をしてもらい、ぐっすり眠った。
翌日から下宿の整理に追われた。引っ越しをする。むろん、学生と事務員として通った聖マドレーヌ大学からT病院へと日中働く場所が移動するだけだ。が、あれこれ考えて親を適当な理屈で説得した。第一、乗車する路線が異なってくるし、気分も変えたかった。娘の固い引っ越しの決意に、親は白旗を上げた。
自由の身になると、それなりに悩みもある。何を基準に選ぶか。それは正直迷った。薬剤師は長時間勤務と聞いている。白衣が頻繁に汚れたらどうしよう。遅い時間帯でも開いているクリーニング店が自宅の近くにある方がいいだろう。いや、それも大切だが、食事の問題が! 朝晩にすぐ食べ物を買い求めることができるスーパーやパン屋、コンビニがないとダメ。いろいろ考え出すとしんどくなり、けっきょく先輩に電話して助け船を出してもらった。
「何を最優先するかよ。それはあなたが決めなさいね。どのエリアに住むと満足感が大きいかってとこかしら」
先輩の言葉を電話口で必死にメモした。
少し家賃が高くても、治安や交通、買い物に便利な街を一つに絞り込み、そこから近い大きめの不動産会社の支店に駆け込んだ。
四月というのは、学生らは既に住み始めており、転勤族のサラリーマンも然りだ。この時期に空いてる物件は、売れ残ったもの、高いもの、人気がないもの、なにかのいわくつきのもの。そこで、不動産屋である程度の譲歩をしながらも、こちらの職業をアピールした。薬剤師という職業の雇用的な安定面、収入面はもちろんのこと、医者と結婚したらまたここに来る、とか色々言った。医者のくだりでは、とびきり高いマンションがいいとか、一戸建てなら資産家の多い住宅街を照会してもらいますからと先のことまで話を大きく膨らませた。話だけでなく、私の癖で小鼻が膨らんでいたのかもしれない。
よく喋る人だと横柄な口を利いていた販売員も、医者とか玉の輿というフレーズに食いついたのか、少し身を乗り出し、重い腰を上げると、分厚い方のファイルを棚から取り出してきた。パラパラと手早くめくっては早口で要点だけを説明してくれた。私もさすがにその金額のゼロの多さに目が飛び出そうになり、あくまで仮定の話だからと恐縮してそちらの線を引っ込めさせた。
いざ、物件を見て決めたいと申し出て外に出ると、狭い車に乗り込んだ。少しして、変な空気が流れた。それでも私は、果敢にお色気作戦に出た。相手より優位に立ちたかった。本気のところを見せたかっただけだが。眼鏡をかけた中年の販売員が雑談しながら運転し、だんだん話すことがなくなると、煙草に火をつけてあげたり、ボタンをひとつ外して胸元をチラチラ見えるように体勢を変えてみたりもした。そうした努力の甲斐もあってか、だんだんいい物件が巡ってきて、ここらでいいかなと思ったので、「それにしましょう」と胸を叩いた。本当は、これ以上時刻が遅くなるとその中年男に危険な時間帯になる可能性が否定できなかった。でも、最後は真っ暗になり、かろうじて形の残る月夜の中、引っ越し前の下宿に送ってもらった。きょう知り合った男の車から降りるのは気が引けた。
翌日に、実印を持って再び不動産会社に出向き、契約書にサインをした。難しい契約事項にも目を通したが、大人の決め事は二十歳そこらの人間が理解するには難しすぎた。判子のついた契約書を実家に郵送し、連帯保証人の欄にサインと印鑑をもらい、新しい自宅が誕生した。メゾン・シナモンクレープ。そういう名前だった。これも美味しそうな名前だ。大学もそうだったし縁があるようだ。シナモンクレープに住み続けること十数年、そこの借り主の元締めになってしまうとは思っても見なかった。いや正確に言うと、「このアパートを潰します。頼む、出て行っておくれ」とオーナーに泣きつかれた。こりゃしょうがないなと思って、出る踏ん切りをつけた。気が付いたら干支が一周以上していた。それからも、あちらのマンション、こちらのマンションと渡り歩き、それぞれで長期ステイを繰り返す私だった。賃貸の広告にやたらと詳しくなり、地下鉄別の引っ越し攻略法も持論を有し、年下にはアドバイザーとして解説してあげた。「やどかりさん」という変な渾名を頂戴するようにもなった。それを聞いたときは変に納得してしまった。
薬剤師として都内近郊で働きだした私は、規模が大きいT病院内の薬局カウンターで働き始めた。
東京に住んで長く暮らしたが、学生時代や事務員時代と違い、病院という職場は拘束時間が長い。いったん病院建物に入り、作業衣に着替えると、建物から抜け出すことはタブー視された。目立つし、患者に気付かれたり、通行人にジロジロと見られてしまう。そういう規則はなかったが、会社の制服のような事務員は別として、明らかに専門系の服を着た医療関係者は、服を脱がないと出づらかったのは事実だ。緊急時以外は篭の中の鳥で、出勤から退勤まで金を下ろすのもトイレやちょっとした買い物もすべて院内で済ませなければならなかった。それも長くかかると、あとでビシビシとキツい小言を言われるからうかうかできない。つまり、それだけ目の前にある業務に集中できるし、顔を合わせる人間も自ずと限られてくるというわけだ。数人のドクター、検査技師、看護師、同僚の薬剤師、製薬会社の営業マンや納入担当など、いつも同じ顔ぶれが挨拶してくる。顔ぶれで何曜日とか何日だったとかを再確認していたぐらいだ。だから、担当が交代すると、いろいろな噂や憶測が飛び交った。いや、私が流す側に回ったこともあったかもしれない。
あのドクター、○○病院へ転勤するらしいのよ。へえ。すごいじゃない。栄転よ、栄転。さすがにT病院のホープと言われただけのことはあるわね。それよか、○○製薬の担当がSさんからIさんに交代したでしょ。そうそう。Iさんて子連れのおじさんらしいわよ。えー、本当? そうなのよ。昼に働いていて子どもはどうするのよ。そりゃあ、出勤前に保育園に預けるでしょうが。それでさ。帰りに迎えに行って、スーパーに寄って惣菜かなんかを買ってさ。家で親子でご飯食べてんじゃないの。わあ、侘しそう。でしょ? いい再婚相手が早く見つかるといいわね。あなた、そういう気はないの? え? 私? Iさんはちょっと……。子持ちもなしね。いきなりは無理よ。そうか。そうよねえ。あなたはまだ半人前だし、料理もしないんでしょ? いえ、いえ。休みの日にはちゃんと作りますよ。肉じゃがとかおでんとか。あら、おでんは料理のうちに入らないわよ。アハハ。先輩、ひどいです。ひどくない! いいこと? こどもに食べさせるってのは、オムライス、グラタン、ハンバーグ。これくらいササッと作れなきゃ泣かれるわよ、子どもに。それぐらい出来るようになってから料理をするって口を利くのよ。……。担当が代わるだけで、話の矛先が自分に向けられたり、だれそれの悪口だの、学歴や年収、異性関係、それはもう薬剤師と無関係の話が延々と続き、薬剤師長がストップをかけないと終わらない。長が席を外しているときなどはときに聞きたくない話まで聞かされての作業となり、どこまで続くのと言いたくなった。そうしたコアな人間模様にも終止符が打たれるときがやがてやってきた。病院内の薬局が外へ移される話が持ち上がったのだ。
さて、私の姉は地元埼玉の薬局で働いていたが、私は都内の仕事を探した。昼は埼玉県内で働き、夜に実家に帰るという生活を私が好まなかったからだ。姉はそうして結婚し、子育てでしばらく仕事を離れ、十二年後に復職し元の薬局でパートの薬剤師として働いている。そういう生き方もあるし、そっちの方がいいよ、と何人かには薦められた。が、棚橋くんの事故死もあり、それを引き摺ったままで自分の幸福などを考えてはいけないという贖罪の意識がまだまだ強く、都内で独身生活を送りながら日々の仕事に打ち込みたかった。実家に暮らして、親や姉夫婦に甘えていたらいつまでたっても自身の人間的な成長が見込めない。そう思っていた私だった。
T病院では優秀なドクターが多く、たくさんの薬を出し検査も多かった。いつも患者の処方箋を過去のものと見比べたり、他の科から出されている薬とこの処方箋の薬とが相互作用で悪影響が出ないか、薬価基準で調べたり、ドクターに聞いたりと、大病院ならではの忙しさがあった。薬はいっぱいあっても、患者は一人であり、健康になるためならと精一杯の気持ちで相手と接し、ひたすら奉仕の精神で身を粉にして働いた。大手製薬会社の社員も頻繁にT病院にきてはたくさんの薬とそれに関する情報をもってきた。もちろん、部外者には話せないマル秘事項もいっぱいあった。新薬開発の治験のときなど、複雑な手続きや検査手順、薬事規定などを確認する事務作業を手伝うときは、薬の安全性が保たれますようにと本当に神様に祈りたいぐらいの気持ちでことの成り行きを見守った。結構な数の優秀なスタッフが周囲にいて、緊張感に包まれながらの調剤作業や事務作業で一日が終わると、若いながらも疲労が溜まっていたと思う。
しかし、そんな仕事漬けの毎日に、ふって湧いたような恋愛事件が起きた。
ある日、病院の休日に出勤し残務整理をしていたら、白衣の影がツカツカと廊下を響かせてやって来る。休日出勤の当直医ね。
「あら、先生」
向こうで看護婦が呼び止める。しばらく音がせず薬の棚を確認していると、扉を開く音がしてスーッとドアが開いた。そこに、日頃見かける人が立っていた。
ドクター。白衣を着た若手の先生だ。胸元の名札には円城寺と書いてある。
彼は腕を後ろに組んでもじもじすると、両腕を前に出して振り上げ私の肩に降ろした。え? おっ。そんな小声を消したいと思うくらい、恥ずかしさが見えない霧のように私の体を包んだ。そして彼は言った。
「江畑さん、前から君が好きだった。そばにいていいかな」
私は痛かった。顔が突っ張ってきた。赤みが差したのは見なくても分かる。
「え? もう一回言って下さい」
手をスカートのポケットに突っ込み、汗ばんだ手はハンカチをぎゅっと握りしめている。そうしろと命じた意識も飛んで、頭の中は、告白以外受け付けていない。
「ああ。何度でも言おう。江畑さんが好きだよ」
「恥ずかしい……」
長らく連れ添う夫婦ですらも、そうした言葉が支えになるという。それで幾多の試練を乗り越えたか。どれだけ励みと支えになったか。叔母の話ではそうらしい。今、その甘い告白が私の身に起きている。神様、ありがとう。生きていて良かった。
ドクター円城寺は皮膚科の医師で、何度か声を掛けてもらっていた。ただ、誰に対しても分け隔てのない方で、自分を特別視しているなんて知らなかった。上の人にも下の事務員に対しても公平に接する態度に、以前から好感を抱いていたが、本当に私を見初めるなんて、と思った。
病院なんて大所帯で異動も多いし、あまたの医者が勤務している。三十人はいただろうか。その中で、円城寺ドクターは私を相手に選んだ。医者ならば、自分と同レベル、同クラス、知的ハイソな階級でしか知り合わない。そういう人としか釣り合わないものと思ってたから……。はっきり言って、舞い上がった。跳ねるようにステップを踏む自分を、暫くのあいだ抑えきれなかった。デートした場所は美術館や博物館、相撲の国技館、ホテルのラウンジなどだった。こう言っていいのか分からないが、大人が満足するところでないと嫌がる主義のようだった。若い割に意外と古風なろころがある。敬語に気をつけて話し掛ける私に、医者なら至って普通だよと彼は言う。澄まし顔で髪をいじる彼は、インテリと和風をミックスしてスマートさで割ったような感じがした。私のどこに惚れたのか、最後まで聞けずじまいだった。看護婦にも若くて綺麗なのもいるのにどうして私なんかに、と思う。
が、現実に円城寺さんを受け入れることはなく、外で会うばかりのデートを数回して、それ以上の進展はなかった。やはり、棚橋事件が尾を引いていたのだろう。思い切り自分の気持ちをぶつけることが叶わなかった。頭のいい彼は、私のふがいない態度に失望したらしく、残念だという趣旨の手紙を医局の封筒に入れ、薬局の未使用ファイルに忍ばせた。巡回が終わって薬局に戻り、未使用ファイルに気付いた私だったが、心の中ではドクターを引き留める勇気が友人を偲ぶ自責の念を上回らなかった。こうして恋は終わり、また仕事に追われる日々が始まっては終わり、一定の周期で進んでいった。
私が二十九のときにマリエールが結婚した。彼女はその二年前に起業し、会社を経営していた。それは聞いていた。実業家として忙しくしている時期だったのは分かっていて、こちらも遠慮して連絡は取ってなかった。大まかなことはジョーカーから伝え聞いていたが、恋愛の方は進展中か迷走中なのか、私になにも言ってくれなかった。そして、長らく連絡も取らず、急に結婚通知のはがきが郵便受けに挟まっていた。驚いた。そういう展開か。君島くんとは上手く行かなかったのか。バニベリに顔を出さなくなってから、二人のことはどうなっているのか気がかりではあったけれど。
そこに書かれてある差出人の名は、「星野万里江」となっていた。ほっしーの方とくっついたのか。同級生、薬局のボン、星野信吾。あの短い髪をしたスポーツマンのほっしーか。ということは、ほっしーは薬局の跡取りであり、女社長の旦那ということにもなる。マリエールは無難な選択をした。チャキチャキ兄ちゃんとスケバンのカップルか。実際、手紙には、短い言葉で、「卒業後、星野くんと縁があり、いいお付き合いを経てこうして人生の門出を迎えました。今後は、私の会社ともども公私にわたり、ご指導頂けたら幸いです」と綴られてあった。マリエールらしい。そう思うとあの当時を少し思い出し、感慨深かった。
その後、marie & cool というマリエールの会社は順調に業績を伸ばし、星野万里江という名前がたびたび雑誌などのメディアに登場した。その後は堅実に顧客の要望に応え、充分な財をなしたそうだ。星野くんも薬局をチェーン展開し、夫婦そろって仕事が盛んだった。
私の方は、病院薬局の時代が十年以上つづく中、転機が訪れた。医薬分業の黒船がきて、この病院でもそれを進めることになった。その計画では、T病院の三十メートル先に、小さな調剤薬局を作り、待ち時間を軽減させるというものだった。当然、私はその新薬局に行くことになった。
新しい職場、N薬局で勤め出すようになってからはドクターの所へ行くこともなくなり、処方箋に関する問合せのほとんどを電話で済ませるようになった。限られた少人数の薬剤師だけで行う作業となり、患者も遠方の方など他の駅前に出来た調剤薬局に行かれる人も増え、見慣れた顔も少なくなっていった。
職場の環境はと言うと、これが良好だった。幸いなことに職場の上司に恵まれて、長く勤めたい気持ちが芽生えた。裏を返せば、薬の種類と処方に熟達し、患者の顔一人ひとりを覚え尽くしたベテランは少数派で、結婚や育児を理由に辞めていく中堅薬剤師も多い中、この薬局で長期間にわたって働き続けることを内心は望んでいた。上司にも、そのような希望は出していた。もちろん、いったん育児で離職してから復職なさるパートの方も多数いらっしゃったが、遅い時間などに対応できる人材はかなり絞られてくる。この熟練さに縛られて、次に勤めた薬局においてもいい戦力として重宝がられた末、最後には薬剤師長に抜擢されることになる。
N薬局への転勤はT病院の仲間も連れての異動となったが、ドクターや一部の薬剤師とは別れることになった。異動が正式に決定した三月、T病院の年度末に行われる合同送別会の場では、ふだん真面目で折り目正しいドクターや看護婦がおかしな格好をしたり、酒の勢いで踊り歌い、派手に騒ぎまくる。退職して新しい病院などに異動なさる方もいるのに、それはそっちのけだ。おとなしい私はいつも圧倒されっぱなしだった。
私が送られる最後の送別会の二次会は行きつけのカラオケスナックで行われた。赤や紫のカクテル光線が飛び交う中、無礼講の宴たけなわとなり、酔った看護婦にしなだれかかられ、失恋話の聞き役に回っていた。その看護婦が最後に言ったのは、
「あのさ。マスカラつけてる美人の薬剤師さんはね。もてマスカラ。なんちゃって。アハ、アハハハハ」
だった。変な冗談を言われ、私は引きつり笑いをを浮かべながら、お酌をすませ、トイレに立った。トイレで病院関係者は誰もいないことを確かめ、あの黒タイツの看護婦の太股にぶっとい注射針を打ってやりたいわと毒づいて用を足した。
宴会場所に戻ると、なに食わぬ顔で、昨年のレコード大賞のカラオケを歌いきり、拍手喝采をあびて場を盛り上げた。




