2 (学生時代の謳歌と影)
すると次の瞬間、そんな気分を打ち消すかのように、バシっという衝撃が頭に走った。
「ごめんごめん。江畑、だいじょうぶ? ボール、当たっちゃった」
川尻宗一朗の弾んだ声がコートに響いた。危ない恋の橋を渡りかけていた後輩女子を救い出す、純真な一打だった。
川尻キャプテンたら。お茶目ね――。
軽いしびれを頭に感じながら、私は冷静にそう思った。そして、側頭部にジンジンと広がる鈍痛に不埒な自分を戒めながら、改めて自分の気持ちを問い直してみた。それとは別に、なにかを言わねばという思いから口が動いて発したのは、
「大丈夫です、先輩。ありがとうございました」
という返答だった。それを聞いた周囲のメンバーらは、笑いをかみころそうとしておかしな表情になっていた。女子の頭にボールが直撃したので心配そうに私の顔を見つめていたのに、私の答が余りにも当を得ていなかったせいだからだ。自分の気持ちが意味不明な会話となって現れたことに気付いた私は、顔中に血の気が上り、のぼせたままの恥ずかしさでいっぱいになった。穴があったら入りたいとはまさにこのことだろう。
その日も、次の日も、なにかしらのアタック、恋愛を感じさせるような行動は内村から見られなかった。
あの手紙の答を求めていないのかしら――。
私は、自分が不誠実な女に思えてきた。彼の心理状態を察すると、彼は手紙を私が読んだと思い込んでおり、私からの返事をじっと待っているはずだ。そのストレートな思いに対して、ことの成り行きをあやふやにして誤魔化している私という存在は、先輩の告白が片思いにしかならないという結果を知りながら、それを知らせずに相手の方であきらめて引き下がってくれるのを待っているズルい女、ある種の裏切り行為をする女、はぐらかす女を演じている。そんな風に自分の内面を整理した。そして、そうした気持ちと相手の気持ちが、一本松の周りをグルグルと追いかけっこし始めて、世界がねじれていくような感覚に囚われていた。
向こうが何を考えているのかを探ってみたくなった私は、最終日の帰るどさくさにまぎれて、ある作戦を決行した。思い切って相手の陣地に入り、質問をぶつけてみることにしたのだ。宿では帰り支度をする時間帯となり、めいめいが部屋の掃除をしたり、忘れ物がないか点検したり、部屋の片付けをしていた。そのスキを狙って、私は葵の間を抜け出した。部屋割り表が書かれた紙を頼りに、内村のいるであろう部屋、桔梗の間へと向かった。私の荷物はマリエールに預けていた。ルシオールでケーキセットを奢る約束を交わし、内村戦線に共同タッグを組んだのだった。途中、竹富と廊下ですれ違ったが、愛想笑いを振りまいてそこは切り抜けた。
部屋の前に着いた。
中から先輩男子らの笑い声や話し声が聞こえてくる。ドアが半開きになっていた。女子においてはいけないことだが、遊び盛りの男子のことだ。それに、男子たちというのは見られて困るものも、隠すものも特にないのだろう。どうせ、十分後には部屋をもぬけの殻にしてロビーに集まるから。
誰かを呼び止めて伝令係になってもらおうかしら、と思っていたら、渡りに船、いいカモが襖を開けて姿を見せた。上原だった。
「あのお。上原先輩。お願いがあるんですけど」
わざと作ったようにしおらしく喋り、もどかしそうに体をくねらせてみた。
「なんだい? 江畑」
効果てき面だ。上原はくせ毛の頭を撫でながら、不思議そうな目を私に向けてきた。
「あのお……。内村先輩って、部屋の外に呼んでもらうことできますか」
「おう、なんだ。内村か。ちょっと待ってなよ」
気安く答えた上原はすぐに襖を閉めて、その向こうに引っ込んだ。私は、この空間で他の先輩方と鉢合わせになりたくなかった。だから、その場を離れた。ドアの外に出ると、廊下の端っこに寄った。なるべく人目につかないように見せかけるためだ。廊下の壁にもたれてみたり、窓の外を眺めたりして、相手を待った。
「やあ、チヅルちゃん」
渦中のヒトが姿を現した。ちょっと様子が変だ。キョロキョロと辺りをうかがっている。なにかを意識しているろう。
「あのね。先輩、最近なにかありました?」
「え?」
それとなく投げた変化球に対して、内村先輩は面食らった表情を見せた。
「何かって?」
「だから。ウキウキすることとか、ドキドキすることとか」
「ああ。あったと言わなきゃうそになるよな」
「どんなことなんですか? よかったら教えてください」
「ええ? 分かってるくせに。それは、ええと……。あのさ、返事はどうなってるの?」
正直な人。同学年の男子だとしたら、よしよししたくなるかわいさだ。
あの手紙の差出人であるオレが、まさか受取人から問いただされ、このように気持ちを白状させられるとは思ってもみなかった。一体オレは、なんのために手紙を書いて渡したのだろうか。
彼はきっとそんな風に思い、焦りを感じ始めているはず。だって、彼のおでこは脂汗でテカテカしてる。意地悪な私は、さらに非情な現実を吐露した。なるべくオブラートにくるんで。
「そうなんですか。返事をもらいたいんですね。私ね、好きな人がいるんですよ。だけど、いろいろ相談したくて、こうして先輩に相談できたらいいなって思ってお呼びだてしたんです」
女子がこう言う場合、二通りある。一つは相手のことが好きで、その照れ隠しで本人に相談し、その相手とは実を言うとあなたですと最後に打ち明けるパターン。もう一つは、本当に相談することでそれを解決しつつも、聞き手がどれほど親身にしてくれるかを量っているパターン。後ろの場合、もし恋が破れたら親身な方に乗り換える計算が働くときもある。
「そういうことね。……うん、聞いてあげるよ。僕がチヅルちゃんの力になれるのなら」
やさ男の悲しい性が出た。相手はもう、私の方に絡め取られている気がする。冷静な私は、網を張って待っていた女郎蜘蛛が掛かった獲物にゆっくりと歩み寄り、舌舐めずりをして料理法を思案するような動物ドキュメンタリーのワンシーンを頭に思い浮かべた。というのは少し誇張させすぎているが、明らかに自分の優勢が確定したので、この哀れな男性の熱中度合いと思いやりや温かみがいかほどなのかを見極めてみようと考えた。勉強するときのものとは異なった恋愛回路みたいなものがあるとするならば、その回路は男性がしゃべる間にパタパタパタと恋の計算を始めてしまう。男性には信じられないだろうが、太古の昔から種を残してきた遺伝子、母性本能の類いとは、実にシビアだ。
「先輩。私、片思いなんです。実は、去年フラれちゃって。心の傷は新しい恋をして埋めるに限りますよね。その新しい恋の相手にまだ思いを伝えてなくて。というか、まだ伝えられないんですよ。どうしたらいいですか」
この部分に限れば、それはストレートな私の気持ちそのものだった。いきなり予期せぬ展開にあい、内村は少したじろいだ。まるで、テニスの試合で、強敵の相手が左へ右へとボールを打ち分け、揺さぶられながらも何とかネットの向こうにボールを叩き返すのに精一杯になっている感じだった。
「そうだなぁ。オレの経験では……。君みたいな子ってさ。前のヒトに引け目を感じてたりするよな。だから新しい恋に百パーセントの自分をぶつけられないんじゃないの?」
「うーん。そうなのかなあ」
私は歯切れの悪い返事をした。正直に言うと、答を求めてなんていないのよ。分析はいいし、結論もいらない。ただ、一緒に仲間として分かち合って欲しい。共感してほしいだけなんだったら、先輩。そういいたかった。
「そうじゃないのか? まあさ。周囲の目もあるし、すぐに相手を変えるのって、他の女子には悪く映るじゃん。大変だろうけど、頑張りなよ」
「ありがとうございます。先輩って、とってもいい方なんですね」
私の中では、手紙うんぬんはさておき、この人は親切であり、こちらの事情にも分別がある。合格点! そう思った。ユアーにはかなわないけど、もしユアーにもフラれたら、こんな人と巡り合うのも悪くはない。恋愛コンピュータは、そういう判断を瞬く間にはじき出した。
結果として、そのあともあれやこれやの話をし、私は腕時計に目をやると、ロビーで私の荷物番をしているマリエールの元へと向かった。この間のてきぱきしたやり取りは、時間にするとわずか十分足らずだっただろうか。しかし、実に濃密な駆け引きがなされたと私は思う。
鋭く打ち込んだはずのサーブをあっさりと見送られ、逆にこちらの方からサーブを受けた内村さんは、恋というものが一筋縄ではいかないことを身をもって勉強しただろう。ロビーに遅れてきてから帰りの電車の座席で疲れて眠りこけるまで、彼はなにかを考え込むロダンの像のように口を真一文字に結んで、けして開くことをしなかった。内村とのやり取りは無事終了し、私とマリエールは元の定位置へと引き揚げたのだった。
ある日、サークルのテニス練習が終わり、そのあとに、お楽しみ会、すなわち技術と個々人の成長を議論する反省会という名の飲み会が開かれ、いつものカスタード亭はスポーツとアフタースポーツを愛する若人らで賑わっていた。
土曜日の午後八時を回っていた頃か、隣の席で飲んでいた団体の二、三人がこちらのテーブルにやってきた。
「よう、竹富。久し振り」
「ああ先輩。お元気ですか」
「うん、元気だよ。君らもこの店で飲んでるのか。麗しき伝統だな」
竹富に先輩と呼ばれた男は、どうやらサークルOBの方だったらしい。バーベキューの時に見かけたあの方だが、私と会うのは初めてだ。彼の声は朗々として店の隅まで響いた。まるで店内に居たサークルの皆に聞こえるように、激励を広めて鼓舞し、ボリュームを大にして、彼は竹富に語りかけていた。
「いえいえ。代々つづく反省会ですから」
「そうか。その割に、大きな空のグラスが泡をつけて並んでいるが」
「ははは」
「なあ、竹富よ。サラリーマンも大変だぞ。オレはな。お前たちを見ていると、スポーツに明け暮れたり、仲間同士で勉強を教え合ったりしていた学生時代が本当に懐かしくなる。まるで、つい昨日のことのように思えてくるよ」
「そんなもんですか。マック先輩」
OBを紹介したいが、相手がその話を横に置いてずんずん進むので、竹富は会話の中に彼の渾名を挟んだ。彼を知らない周囲を気にしてのことだったのかもしれない。
「あのなあ。仕事っちゅうもんはよ。アルバイトでもそうなんだが、勤務時間内じゃなくても働いてんだよな。分かる?」
赤ら顔のOBは、自身の熱弁がそうさせるのか、ますます体温が上昇したと見えて上着の背広を脱いで横に畳み、ストライプのネクタイを緩め、身振り手振りをさらに大きくして主張した。
「ですよね、分かります。オレも、バイトが終わっても脳がビンビンして興奮状態が続くんです。あれこれ考えて。あのときのあれはああで良かったのか。怒られたことは何が悪かったのか。シフトに入る前も、ああしたらこうするとかの確認ばっかしで。終わったら終わったで、そういうことでしょ。あれがベストの選択でなかったら他になにができただろう、とか悩みますもん。気付いたら午前零時を回っていて、ビールを買いに行ったり、シャワーを浴びたり、深夜テレビを見る。結局、興奮が取れないんです」
「まあ、そうなんだけど。不安から緊張、緊張から反省、興奮で一日が終わってしまう感じになるよな。時間外で体は休めていても、頭の中がグルグル回っているだろ。頭回しても賃金は発生しないのに、どうしても考え込むよな。それは真面目な人間の証拠なんだ。社会人になって現実に働き出しても、しばらくは学生時代の延長戦が続くと思えよ。俺なんかよ。三十五を過ぎて、女房子どもを持ってから数年が経つけど、いまだに、毎日が会社も家も問題の山積だよ。やっと最近、仕事のことは仕事の時だけ、って割り切れるような機会が増えてきつつあるけどな。ずーっと仕事が頭にこびりつくときも多いぜ。本当、疲れてくるんだよな」
マック先輩こと木下はそう捲し立ててから、空のコップを差し出し、竹富に瓶ビールを注がせた。私とマリエールは梅サワー二杯で軽く酔っていたが、横にいた里莉阿先輩から、木下がなぜマック先輩と呼ばれているのかの説明を受けた。その人は、薬大時代にマクドナルドでアルバイトをしていたそうだ。バニベリ内にいた同名の後輩と名前が重複していて混同しないように、マクドナルドの木下をマック先輩と呼ぶことにしたらしい。下級生の方は、単に木下と呼ばれていたという。
私たちは横目で年上男性二人をチラチラ見ては、木下と竹富の会話にときどき相づちを打ちながら聞こえているフリだけして、女子の先輩らとのトークに花を咲かせていた。そのうち彼らの話が伝染したのか、将来の話から就職や仕事の話、さらには仕事の大変さへと話題が移った。アルバイトの大変さも仕事の大変さも結局変わらないという男性陣と同じ結論に至った。私とマリエールは感心した。お金をもらう行為というのは、かくも人々を悩ませるものなんだ。私もそれを実感していた。
女子たちの談義に割り込みたかったのか、持論を聞かせようと私の斜め前に移動してきた木下は、したり顔で色々と解説してくれた。私たちはフンフンと頷き、彼のグラスに適当にお酌をしながら、横で話す人たちの与太話に笑いを禁じ得なかった。もお、あの人ときたらさ。また懲りずにボタンを開けっ放しにしてるのよ。笑っちゃうよね。そんな話に真面目な説教も混ざり、武勇伝や失敗談、恋愛模様に至る雑多な会話が飛び交う社交場は、宴たけなわとなった。しばらくすると木下の紹介があり、弁の立つ木下が製薬会社の営業主任であることが判明した。どおりで、ああいえばこうと、どんな打球でも打ち返してくるはずだった。日頃からお得意先回りの営業で連日連夜人と話すのが商売なのだから、当然ではある。やがて、ひととおりの料理も出尽くし話も尽きてきたので、今後の予定や近況報告などがキャプテンから紹介され、反省会はお開きとなった。
さて、二年から三年にかけては、薬剤師国家試験を睨んで専門科目に気を引き締め、なるべく自分だけの力で薬学を理解しようと努めた。国家試験の合格率はある程度高いものの、きちんと理解してこそ正解に辿り着くだろうし、みんなが解ける問題は絶対に落としてはならないと思った。
有機化学は一年のときの延長であり、さらに各種の分光法や個別の製法、反応などを勉強した。生物有機化学、医薬品化学、分析化学など有機化学の知識を土台にした授業は、さらに詳しい化学の分野を掘り下げて学んだ。分析化学の講義に関して課題として提出を求められたレポート作成のために週末の予定がつぶれてしまったこともある。そのとき、私はコンビニに菓子を買いに行き、炭酸飲料も仕入れて、万全の籠城状態に徹夜も辞さない覚悟でレポートを仕上げようと机に向かっていた。そんな折り、夕方に電話があった。入間市に住む父からだ。父がマンションに偵察に来るらしい。もっとも本人曰く、「今東京にいて仕事中で、真っ直ぐ家に帰ろうかと思ったものの、お前の所を覗いてみたくなった、用事が早く済んだから足を伸ばしてみる」とのことだった。とりたてて隠すものもないし、別に訪ねてきてくれて構わないが、部屋を整理したり、父の晩酌に用意するつまみを用意するなど、それなりに気を遣うのがまた面倒に思えてくる。こっちは勉強も山場にさしかかろうというときに限ってこれだ。まったく父親ってもんは、しょうがない。ブツブツと悪態をつきながら、押入を開け、中からお客さん用の座布団を出してきて、座卓の脇に敷いた。料理もちゃんとしている所を見せようと、冷蔵庫に入っていたインゲン豆で簡単な和え物をこしらえ、ラップを掛けて食卓の真ん中に並べた。まだ来ないので、夜の七時を回っているし、テレビをつけた。ニュースを見ていると、ピンポンとドアチャイムが鳴り、玄関に出て覗き穴を見ると、見覚えのある顔が仏頂面でこちらを見ている。父だ。どうぞと言ってドアを開けると、開口一番、「空気が汚い」と父は言った。私はあわてて窓を開け、換気をした。部屋にひんやりとした夜風が入り込む。気付いていなかった。何時間も部屋の窓を閉め切って、スナック菓子やら煎餅やらをバリボリと食い荒らした。だから、それらの匂いが部屋に充満していた。少し恥ずかしかった。よっこらしょと茶色い座布団に腰を下ろした父は、「土産だ」と言って紙包みをブラブラと私の前で揺らした。文明堂のカステラだった。私の好物だ。いま食べるのと聞くと、「いや要らん、お茶をくれ」と亭主の口ぶりをしてくる。奥さんじゃないのにと思ったが、食卓に置いてあった急須を手にして熱いお茶を注ぎ、四角い座卓に散らばったノートや菓子を脇にどけ、湯飲みをお盆で座卓まで運び、父の手元に置いた。父はすっかりくつろいで、ワイシャツを脱ぎ靴下も脱いで、下着姿でニュースに見入っていた。すっかり、娘の下宿が自宅のようになっていた。そんな姿に母も父の頼りがいを感じたのかしら、と私は思ったりもした。たくましい腕っぷし、胸から腰に掛けての丸々と太って盛り上がった脂肪の稜線、それらが醸し出す中高年の色気と老練さは、まさに一家の大黒柱そのものだった。
父が来た理由には他に大事なものがあった。どうやらそれが本当の訪問理由だったのだろう。それは次のようなことだった。
「お前、本当に薬大を卒業したら、薬剤師になるんだな?」
「うん、そうよ」
「美佐恵はその道を歩んでいる。あれはいい。結婚も近いし、いずれは子どももできるだろう」
「え! やっぱり、そうなの? お姉ちゃん、あの彼氏と結婚するんだ」
「知ってたのか。そうだよ、磯部くんとな。美佐恵は堅実だからだいじょうぶだ。問題はお前だ。チト心配になる」
「なにが心配なのよ」
「頭がいいからな、お前は。考えすぎる所がある。もっと自分の気持ちを前面に出した方が生きやすいぞ」
「そうかもしれないわね。でも、お父さん。私は私なりに、すべて勉強中なのよ。もっともっといろんな人に出会って多くを学び、自分を磨いていくんだから」
「そうか。まあ、そう言うなら構わん。だが、しっかり勉強して一人前の薬剤師になってくれよ。オレの言いたいことはそれだけだ」
「うん、わかった。ありがとう、お父さん」
父の厳しい顔つきが、話の終わりになってやっと和んだのを見て、私も目元に熱いものが少しこみあげた。父は埼玉県入間市で薬店を経営している。薬大を卒業した姉の美佐恵は、父が営む薬局で調剤や薬の販売をしている薬剤師だった。私は、父の薬局と離れた所で薬剤師として働く夢を持っていた。勤務先が他になく、父の所しかないのなら、父に泣きついて自宅で働く手も考えてはいた。が、一応は、姉や父が居る自宅とは違う所で、自分だけの力を頼りにして働きたかった。まだ二十前後の人間だが、薬大生である以上は将来の進路に沿った人生設計を描くのも決して早すぎることではなかった。娘を心配する親心に触れ、私はますますこれから歩む道が眩く照らし出されていくような気がした。父が帰ったあと、いつもの倍ほどの元気が出た。ご飯を二膳平らげた。コアラのぬいぐるみを恋人に見立てて話しかけた。テレビを見て大笑いした。みんな、父がくれたパワーのおかげだったのかもしれない。実際、レポートの続きをやってみるとグングン進み頭はフル回転して、あっという間にそれを片付けてしまった。人との出会いとは、こんなにも刺激をもらえる、力になるんだと思うと嬉しくなる私だった。
物理化学では、相変わらず法則が多くて、数式が板書一杯に飾られていた。
解剖生理学はヒトの体はどのようにできており、そこでどんな現象が起こっているのかを解明し理解する学問だった。微生物学では、微生物は二種類あって、ヒトの生活や健康に資するもの、病気の元となるものに分けられるという基本を習った。よくない菌は今でも新聞紙上を賑わしている。高校の部活で朝に握ったおにぎりを弁当箱に詰めたままふたをせずに放置して用事にかまけ、昼に食べたらお腹が痛くなった体験を思い起こした。食中毒を起こす菌もあれば、ビール酵母やチーズを作るカビなども微生物に含まれる。消毒はコレラなどの感染・蔓延防止を保健所指導で行うし、減菌については、実験において器具を加熱したり、病院での手術や検査などでゴム手袋に放射線を当てたりする場面が浮かんだ。生薬学に関しては、日本薬局方に収載されている生薬について勉強した。製薬企業の人が大学に来て、アロエを成分とする医薬品開発の研究やその他の生薬に関する市場動向などを話された。あのとがった葉のアロエが、生薬として昔から愛用されていたとは知らなかった。
生化学に関しては、生物の仕組みとしてアミノ酸や糖などをどう分解するのかを学んだ。
語学は、英語もドイツ語も一年から三年まで続く。英語は、しだいに専門的な文章を読み、英語ビデオを見ながらのリスニングがあった。外国人ネイティブとのグループディスカッションは苦手だった。ドイツ語はその逆で、ドイツ語で描かれたマンガや小説を読めたときは楽しかった。少しだが、基礎力はついた。大人になり、神戸を観光で訪れていたとき、ちょうどビール祭りが開かれていて、ドイツのケルシュ (ケルンのビール)をおかわりしまくった楽しい記憶がある。心医学では、患者心理を理解することで円滑な対人関係を構築し、患者さんの抱える不安や心配を緩和したり、生活習慣病への助言を行ったり、正しい服薬指導につなげたりすることの重要性を学んだ。製薬社会学では、医薬品の副作用や薬害事例を素材に問題点を解説したり、討論を行ったりした。
さまざまな実習科目もあった。薄層クロマトグラフィーを扱う有機化学実習、漢方製剤の確認を行う生薬学実習、医薬品の確認を行う医薬品化学実習、炎色反応などを調べる分析の実習、物理化学の実習などである。他にも、組織標本を観察したり、菌の培養や観察を行ったり、ラットを用いて免疫を調べたりした。また、保健所の業務の一つで、食品中のタンパク質やビタミンなどの定量、飲料水のpHや塩素濃度の測定などもあった。
薬学実務と薬理学の実習はとてもハードで、私のような若輩者で本当に薬剤師が務まるのかと不安になった。実習中は久々に埼玉県の実家暮らしに戻って親に甘えた。毎朝目覚ましを二つかけて起床し、薄化粧を施してスーツ姿で電車に揺られた。薬局に遅刻せぬよう出勤し、毎日薬局内で挨拶することを心掛け、明るく振る舞いながら笑顔の応対で勤め上げた。お酒も控え、早寝早起きで健康管理はバッチリだった。最後に薬局の方々にきちんと感謝と御礼の言葉を述べ、マドレーヌ大にも感想文と実習日誌を提出した。本当は病院実習と半々の日程で申し込んだが、受け入れ先がまだ少なく、病院が遠方のために断念した。病院実習をこなした人によると、夜勤の薬剤師に怒られた、病棟を間違えた、治験データの扱いが大変そうだったとかの話を聞いた。それでも私はそこに就職したわけで、実態を学生の間に目にすることはなかった。いざ病院薬剤師になったらなったで、夜勤だろうが治験だろうが若さとガッツで乗り切った。
現在の薬学部生は、聞いたところによると、病院実習と薬局実習合わせて数ヶ月単位の長期実習へ移行したそうで、それなりに現場での空気を読んだり体力勝負だったりと大変さもあるらしい。私のいた頃は、現場の業務を覚えたら終わりで、お世話になりましたの短期体験チャレンジだった。
三年生になると、受講科目も専門色が濃くなり、本格的に気合いを入れていかないと留年してしまうものもいる。バニベリの活動に参加する機会も減っていき、キャンパスにいる空間がごく一部に限られていった。大講堂と講義室のある一号館、二号館の研究室、学生食堂の三つである。ちなみに正門に近いキャンパス内の喫茶店は「ル ボン」という。春から夏にかけては、生化学、医薬品化学、薬用植物学、放射薬品学、病原微生物学の講義が行われた。
薬用植物学に関しては、植物のもつ特殊成分を中心に、形態や内部構造から分布、栽培法、化学式に至るまで薬用植物に対する様々な内容を学習した。化学的な内容は退屈だったが、各論に入ると面白かった。トリカブトの話やナツメ、パパイア、ジギタリス、クチナシ、キキョウ、アヤメ、ウコン、ハトムギなど聞き覚えのある植物が次々に紹介された。有機化学が発展する近代以前において、日本のみならず外国においても、人間生活に利用できる植物を探し出し、見つけては改良を重ね、薬用も含めて広く利用してきたことなどの歴史と文化背景の事実がとても面白かった。私にとって特に印象に残ったのは、台湾原産で葉を結核に用いるマンサク、南ヨーロッパ原産で果実を健胃薬にするクチナシ、キキョウ、カキツバタだった。最後の花に関して言うと、非常に昔からなじみがある。クチナシは歌にもあるように純白で香りがよい。どうしてクチナシと言われるようになったのかの説明が分かりやすかった。キキョウは秋に咲き、歌人山上憶良もそれを鑑賞して秋の七草に数えたと言う。カキツバタに関しては、「いずれがアヤメかカキツバタ」と言われるように、どちらもよく似ている美しい花であり、ショウブやカキツバタも含めてアヤメと呼ぶ習慣が広まったらしい。私も混同してしまう。水辺にあるのがカキツバタで、乾燥した場所に咲くのがアヤメらしい。クチナシは果実を消炎や鎮痛に用い、キキョウは根を去痰薬に、カキツバタは根茎をキキョウ同様に用いるという。咳が出がちな私にとっても、それらはよい薬になりそうだった。おばあちゃんが庭にクチナシやキキョウを植えていたのも、私と同じ症状があり、それで……などと想像を膨らませると楽しくなった。実を言うと、私は小さい頃から喘息気味だった。それが大人になって発作となり、持病と化した。なにかをひらめくと急に胸が詰まって苦しくなり、激しく咳き込むようになった。床にうずくまり、しばらく動けなくなるくらいそれが続くと血痰が混じることもある。吐血を伴うことも増えた。その症状を鎮める薬はあっても、一時しのぎにしかならないことを私は知っていた。そうした症状は、新たな発想が生まれ出たサインでありながらも、体の苦しみを誘発し、自身の命をすり減らすかもしれぬ危険信号になっていると思われた。この講義を聴いて海外の植物とその薬効に興味を持ったTくんが同級生の辻本にそそのかされてメキシコへ旅をしたという話は、ずっと後でユアーの口から聞いた。彼本人の言葉を信用した私は、単なる旅行だとしか聞かされていなかった。
病原微生物学では、病原性細菌、ウイルス、その他病原微生物それぞれについての感染症と治療、予防について学習した。リケッチアを保有するダニが媒介する感染症は二十一世紀あたりから被害が急増しており、三年生だった八十四年五月の発見が疫学の歴史を塗り替えたと言っても過言ではない。
三年の秋から冬にかけては、医薬品化学、天然医薬品化学、病態生理学、免疫学、臨床医学概論、薬物治療学などの講義が行われた。
病態生理学では、私たちの身の回りで見聞きするような身近な疾患をいくつか取り上げていた。糖尿病、痛風、高脂血症、肝炎、肝硬変、胆石症、白血病、血友病、血栓、気管支炎、気管支喘息、肺気腫、肺結核、肺がんなどの疾患を学習した。疾患に対する自分の知見に新しい概念と詳しい作用機序が加わり、患者さんを見る目が変わるだろうなとの期待に胸が膨らんだ。その一方で、日進月歩の先端医療と二十一世紀における医療人のあり方がどうなるのかを考えると、責任感で身が引き締まる思いもした。特に、糖尿病に関しては、ジョーカーの祖父が定年前にかかったらしく、彼女が少しかわいそうに思えた。白血病は当時から不治の病といわれ、急激な経過をたどって出血死に至る死亡例が多いのが特徴だと習った。実際、当時の映画やドラマなどでもそのように描かれていた。それが昨今、医療の進歩に伴い、新薬開発、化学療法の導入、輸血、骨髄移植などにより、治癒できる悪性腫瘍という感じに近づいているようだ。実際、医者からの話でも治療成績が向上していて、とても昔とは比べものにならないと言っていた。しかし依然として難病には違いない。
免疫学では、免疫がもたらす感染症やアレルギー、自己免疫疾患などについて学習した。感染症は病原体がいくつかの経路でヒトの体内に侵入することから始まる。例えば、病原体を口や鼻から吸収したり、ヒトの咳やくしゃみを浴びたり、手指で触れたりすることで感染する。そして、病原体と免疫とのバランスが崩れているときに病気が発症する。主な感染症の一つにインフルエンザがあり、それにかかるのを防ぐためにワクチンが開発された。また結核も感染症で、免疫による菌の封じ込めが正常に行われるなら一生発症することはないが、現在でもよく耳にする代表的な疾患だ。さまざまな要因によって免疫不全になると感染症を起こしやすくなり、抗体を注射したり抗生物質を投与することで治療することになる。アレルギーはアレルゲンの増加がかかわっていると考えられ、当時の研究では充分な解明はまだなされていなかった。
臨床医学概論では、さまざまな症状と治療について、薬の観点から学んだ。私の個人的な興味の範囲である気管支炎、肝炎、貧血、白内障に関しては、図書館でさらに詳しく調べるなど、よく勉強した。祖父が肝炎と白内障を患っており、自分は咳き込む発作があるし、母が少し貧血だった。白内障は加齢のせいで水晶体が濁る。確かに、視界がかすむと祖父も言っており、近所の眼科に通って目薬をもらっていた。また、祖父の肝炎はアルコール性ではないが、医者通いをするうちに、職場の同僚と行った南米旅行から戻ってきて以来悪化したことが分かってきて、どうやらE型ウイルス肝炎のようだった。母は貧血で、疲れやすかったり、めまいがおきたりする。ストレスを溜めたからなのか、原因がはっきりしないと母は言う。貧血に関して学習した観点で言うと、無理なダイエットをする人、野菜ばかりの偏食の人、一人暮らしの学生に貧血が多い。母は偏った食事をとってばかりいるから血液に必要な鉄、タンパク質、ビタミン類などの栄養素が不足しているのだ。菓子パンや麺類だけで済ませる昼食を長年続けているのなら、それは改めるべきだと思う。私もそうだが、朝食を抜いたり、自分好みの偏った食事にしているときがあり、栄養上よろしくない。
進路ガイダンスもこの時期に行われた。私は薬剤師志望で、当時は病院薬剤師が不足していたので、実家の薬局に勤める選択肢は最後の手段に回し、都内の病院で出される求人を探すことを前から計画していた。ガイダンスでは聖マドレーヌ大の助教授が司会進行をする傍ら、先輩OG、製薬メーカーの社員、現役薬剤師の方などが登壇し、それぞれの人生における選択、いま知っておくべきこと、業界の実情と今後の展望などをシンポジウム形式で述べ合うことがなされた。また、会場にはブースが設けられ、質問コーナーや薬剤師の歩みや活躍の場をパネル展示するなどちょっとしたイベント会場の様相を呈していた。最後にガイダンス参加のアンケート用紙が配られ、私はその回答欄に薬剤師を志望した動機を丁寧に書いて受付のポストに入れた。
当時の薬大を取り巻く環境のもとではまだ実習期間が短く設定されていて、院に行く修士・博士以外は四年間で終えるカリキュラムだった。毎年三月上旬には薬剤師国家試験が行われ、卒業後の四月に合格発表、就職活動が始まる。我々にとって、卒業旅行は前々から準備しないと国試の手続きと重なってしまうので注意が必要だった。学生の間にやるべきことは、卒業に必要な単位を揃える、研究を行って卒業論文を出す、薬剤師国家試験に合格するの三つだった。三年からすでに勉強をしてはいたが、学生でもあり、用事だのイベントだのがあると、やはり楽しいことにかまけてしまうのは致し方ない。本腰を入れるのは一月下旬の卒論を提出した翌日からで、みんな残りひと月に賭けていた。家に籠もったり、図書館で勉強したり、優秀な同級生を喫茶店に誘い込み、自分が間違えやすいところの解き方を教えてもらったりしていた。計算問題は基礎さえ押さえれば大丈夫だ。暗記物は長い時間をかけてやっても逆効果。薬事法規の毒薬などの区別、届出先による方法の違いなどは早くから勉強しても忘れるぞと先輩からアドバイスを受けていた。しかし実際は、棚橋事件のショックが尾を引き、精神的に勉強は無理だった。受けてよかったのかもしれないが、とても就職できる状態ではないし、周囲からの勧めもあり、一度目になる国試に関しては資格条件こそ満たせど、受験することは見送った。
少し前から小さな事件が起きていた。それが露骨になってきた。
「君が提出したレポートの誤りで、私は学会中に恥をかくことになったよ。レポートに重大な事実誤認があった。いろいろな会議の場で間違いを指摘され、改めて調べさせたら江畑くんが書いたレポートであるらしいと判明してね。各方面にお詫びと訂正した説明をして回らなければならなくなった。さらに、それを含んだ論文数本を撤回せざるを得なくなった。本来なら厳重に処分してもよいところだが、悪意がないようなので今回だけは見逃してやる。まったく酷い学生だな、君は」
そんなデタラメを大学教授が言うものなのか。薬物治療学のI教官のことだ。I教官は私を不満のはけ口にしたかったのだろうか。
Kの友人からも言われた。
「江畑さんが周囲を押しのけて優等生ぶるから、Kさんが単位を落としたのよ」
はあ? こんなことがまかり通るのか。たまったもんじゃない。そんな道理が通るのなら全員が落第だ。急に周囲の風当たりが強さを増した。
話は前後するが、三年生の通年にわたって、衛生化学、薬理学、製剤学の講義があった。夏休み前にはテストがあるので、そこそこ気が抜けなかった。夏休みには千葉へ出掛け、そこでバカンスを楽しんだ。
衛生化学では、個々の栄養素、経口感染や食中毒、発がんと食物の関連、添加物の汚染と危険性、生体の毒性、化学物質の毒性と体内動態、酵素の活性化と発がんの機序などを学んだ。また、各器官の器官毒性も学習した。食の安全も学んだ。サルモネラ菌やブドウ球菌、カンピロバクター、腸炎ビブリオ、セレウス菌などの感染型・毒素型の細菌を習った。これらはメディアにもよく登場しているので私も名前だけは聞いたことがあったが、こうした病原体が食中毒を引き起こす元凶である。これらは概して熱に弱く、中毒被害の発生時期も夏に多い。手洗いと消毒も大事だし、調理の際は加熱することで食品に付着した菌を死滅させることも重要だ。食中毒以外にも、コレラや赤痢、チフス、ウイルス肝炎などの経口伝染病や回虫などの寄生虫病といった食品にまつわる健康被害も後を絶たない。近年多いもののひとつにノロウイルスが挙げられるが、嘔吐、下痢、発熱といった症状があり、施設では神経をとがらしているようだ。食中毒もあるが、糞便と嘔吐物などで発生したホコリを介した経口感染による二次的な集団発生被害が恐い。私が卒業してから、特に中毒や集団感染の被害が増えてきた感じがする。O一五七やノロウイルスなどは社会現象にまで発展する事件となった。保健所に勤める友人も、予防啓発や電話相談などの場を通して、責任の重さを感じると言っていた。生活習慣病についても触れられて、栄養の取りすぎによる健康リスク、過剰摂取が肥満症状を経て動脈硬化や心臓病の要因になる事例をいくつか紹介された。
佐倉先輩が四年になって、卒論生として研究生活にドップリと浸っているとき、朝まで実験したり研究室で寝起きしてはコンビニ弁当を食べるという生活サイクルが続いたらしい。その結果、野菜不足となり、ニキビ、肌荒れが悪化したとか。あれはビタミンCの不足かもしれない。先輩曰く、野菜を補うために、野菜ジュースを毎日飲んでいたというがそれではダメだ。マリエールによれば、「そりゃあ、ダメじゃん。肌の大敵。これからは飲める健康食品が必要な時代よ。将来、きっと出てくるわ。もしなけりゃ、私が作っちゃう」ということらしい。いかにもマリエールの言いそうなことだ。
薬理学では、薬を服用した場合,人体にどのような反応が見られるかを中心に講義が行われた。
製剤学では、投与された薬剤が溶け、コロイド粒子として生体表面へ吸着されるメカニズムを学んだ。
バカンスはユアーと遊んだ。思う存分にはじけていた。男三人、女三人で九十九里浜に出掛けた。ユアーが車を運転して房総まで行った。ワゴン車をレンタルして。クラスメート、山上貴子の実家がそこにあった。二晩泊めてもらった。帰省も兼ね、彼女の家に仲良しグループでお邪魔した。貴子の姉がバニベリの徳子先輩だった。彼女はバイトの予定が詰まっていて帰省しなかった。
夏の海は楽しかった。
波打ち際をユアー、Tくん、君島くんの三人が駆けっこをした。フライングディスクを飛ばし合って、キャアキャアはしゃいだりもした。わざと失敗して海に飛び込むものもいた。私は、少し離れた所の浜辺で、枯れ木をペン代わりに手紙を書いた。文字通り、砂に書いたラブレターだ。数分後に波にかき消された。見つかると恥ずかしいので、小さな文字で「私を愛してね」と書いてすぐにみんなの所に戻った。夜は花火をし、満天の星空を見つめた。流れ星が出るまで夜空を見つめ続けた。首が痛いよ、と愚痴を漏らすものもいたが、明け方にその時がきた。
「あ! いま、流れたよ」
「え? どこ、どこ?」
よそ見をしていたTくんは、ジョーカーの甲高い声に反応し過ぎて流れ星を見落とした。
「もう遅いよ。無理だわ、棚橋くん。また来年ね」
私は意地悪な言葉を投げては彼に哀れな目をして見せた。Tくんは諦め、夏の大三角形を探し始めた。ユアーが彼の様子に気づき、
「そりゃ、お前。夏の三角関係だよ」と大声でわざと間違え、皆を笑わせた。ユアーの高笑いに引きつり笑いをするTくんは、「三角形の内角は足すと百八十度」と私に向き直って言ってきた。真意をはかりかねた私が、
「どういう意味があるの」と小首を傾げると、
「たとえ三角が崩れても、力を合わせればいつも真っ直ぐなんだ」と売れない詩人のような屁理屈をこねた。……。どういうことだろう? 三人のバランスが釣り合ってるのかしら。
あとでジョーカーにそれを吐露すると、
「気にんすんなって。大丈夫よ、チヅルは」
とポーンと肩を叩かれた。その励ましが、キャンパス内にある「ル ボン」ていう喫茶店で交わされ、そのあと、ジョーカーがトイレに立っているときに流れてきたのが、杉真理の「ラブ・ハー」だった。切ない曲だねと言うと、「それこそ、ナイアガラトライアングルじゃん。フフフ」と笑われた。あれは男三人の友情でしょ。そう思ったが、それ以降、彼らの音楽を耳にするたび、「内角の和は百八十度」のフレーズが耳にこびりつき、そのフレーズが呪文のように音楽にかぶさって頭が混乱する私だった。
貴子の父が車を出してくれて男子らは夜釣りに出掛けた。一日目のことだ。房総半島の磯釣りで、釣れたのはキスやヒラメ、スズキ、ガシラ、イサギなどだった。釣果が上がるまで長かった、と言っていた。二日目の夕食にそれらが登場した。夕方、それらを刺身、唐揚げ、煮付けにしている間、山上邸の庭に育っていたキュウリやオクラ、トマトなどを女性陣が収穫し、きれいに洗ってサラダを作った。二日目の晩ご飯は、自然の恵みあふれる料理が並んだ。都会から少し離れるだけで自給自足の生活もできる貴子の実家の暮らしぶりが、正直、うらやましく見えた日だった。
もちろん、一日目と三日目は存分に海水浴を楽しんだ。遠泳する君島くんは我が道を行き、私とジョーカー、貴子は優雅に泳いだ。甲羅干しをしたり、砂浜で砂の城を作ったりもした。ユアーとTくんは、クロール早泳ぎ対決をしていたはずだが、浮き輪を膨らませ、頭をそこに突っ込んで逆立ちをしてふざけだした。ユアーは女子の視線を一身に浴びたかったのだろう。Tくんはそれを見て、八墓村だと言って腹を抱えて笑った。沖から戻り、浜辺に腰掛けていた君島くんも、笑い声を上げていた。夕方になり、クーラーボックスから冷えたビールやジュースを取り出すと、皆で飲んでは騒ぎ、踊ったり歌ったりを繰り返した。酔った勢いで、ジョーカーはどこからか持ってきた新聞紙で一芸を披露した。三角に折り畳んで「幽霊」と頭に当てたり、「三角ビキニ」と称して水着の胸元にくっつけたり。しまいには、ギザギザに蛇腹折りしてハリセンを作り、Tくんをパシパシ叩きだした。
そんな間抜けで滑稽な私たちを上から眺めるかのように、天高く円を描いて海鳥の群れが優雅に舞っている。のどかな夏の風景がそこにあり、それは穏やかに過ぎていった。
三日目の昼食を終えると、山上さんのご両親への感謝も込めて食器を洗い、床の雑巾掛けや庭掃除をし、元気に挨拶して東京へと車に揺られた。
三年から四年にかけて、選択科目として機器分析学、漢方医学入門、有機合成化学、化粧品学、薬局管理学の五つを受講した。
機器分析学では、各種の分光光度計や解析法、MRI、X線造影などの画像診断分析などを一通り学習した。
漢方医学入門は中医学の思想と生薬の用い方に関する内容が中心だった。気、血、水を基本概念にして、鍼やツボなどの施術を行うのだ。経路とツボを学んだとき、ジョーカーが手足のツボや耳のツボを押してきた。ダイエットに効くとか消化不良に効くと言っては、肌の上から強く刺激してくる。が、爪が当たって痛い。
「鍼灸師じゃないんだからさ。いい加減、下手な刺激は止めなさい」と私も応酬する。
「煙草の吸い殻でお灸をすえるよ!」
最後は脅しでツボ刺激を止めさせた。
化粧品学では、人の皮膚や肌を清潔に保ち、化粧品と薬学との関わりを中心に据え、種類、開発、技術、安全性、機能の説明などについて学んだ。講義が終了し、教室の隅でマリエールと談笑していた。
「肌の敵は、紫外線、酸化、乾燥だって」
私が言うと、マリエールは言い返した。
「そう言えば、千鶴の頬にニキビが吹き出てるよ」
「えっ。そ、そう?」
私は冷や汗をかいた。最近、それを気にしてるのだ。実際、疲れか心の乱れからなのか分からぬが、最近生活リズムが悪化している。ここで引き下がれぬ私は、嫌味を言ってみた。
「マリエール、毛穴が目立ってるよ。黒ずんでる。美人が台無し」
私は逆襲に出てやった。マリエールはトイレに駆け込み、鏡とにらめっこしたようだ。
今にして思えば美容や健康に関す言葉も増えた。「活性酸素」「ネイルアート」「環境ホルモン」「コラーゲン」「SPF値」「アトピー性皮膚炎」「アロマテラピー」「アーユルヴェーダ」「アンチエイジング」など数々の言葉が生まれ、化粧品の世界も変わった。私も正しい意味と理解を深めるため、成分ガイド等の化粧品解説本を自宅の書棚に並べ、時々調べたりしている。
少し前に百貨店に寄ったとき、私は化粧品売り場で声を掛けられた。
「お肌をチェックされませんか」
「ええ」
「ストレスや運動睡眠不足は大敵です。肌のはりがなくなり、シワやシミのもとになりますから」
「ええ。知ってます」
椅子を引かれて後に引けず、私は座らざるを得なくなった。
「では」
機械が私の肌を映し出す。
「毛穴の少し大きい所がありますね」
「そうですか」
そう言われ、私は海で日焼け止めクリームを塗らなかった時代を思い出した。
「それと、お客様の肌は少しカサカサ肌のようですね」
「そうなんですか」
「ええ。この化粧乳液をご存知ですか」
そこから長い説明があり、要するに、シミ、ソバカス、くすみが三悪人ってことらしい。
「メラニン退治。それしかないです」
「はあ」
「自分の肌質を知り、正しいスキンケアを行うことが大切ですから」
最後はよくある言葉で締められた。
私が薬剤師として働いていた平成十三年に規制緩和があり、ユーザー側の使用責任が大きくなった。「知る権利」「PL法」「自己責任」という流れに沿い、私たち自身がものを見極めなければならなくなったのだ。社会で何が起きているかを理解し、何気なく使うもの、口にするものの安全性を考えることが求められている。
薬局管理学では、医薬品情報、疑義照会、服薬指導、関連法規、などに関する内容を教わった。医薬品情報は大切な伝達内容で、今でこそパソコンによって情報が豊富に入手できるようになっているが、当時の医薬品情報は、学会に発表される論文や学術誌などに掲載された研究事例を参考にして書き取りを行う地道な作業が主流の時代だった。あるいは、特定の新薬などに詳しい人やベテラン薬剤師と会い、じかに効能や副作用などを聞いたり、その道の権威と呼ばれる方々の出版した書籍も大いに参考にした。服薬指導は平素から患者さんとの間に壁を作らず、話しやすい関係を築いておくことが前提で、そうした会話力に加え、患者さんの言葉遣いや様子など些細なことをキャッチする敏感さや観察眼といった力量も問われることになる。とにかく、薬に携わる人間として最低限知るべきことは学んだ。当時薬局と言えば、病院内にある薬局か、昔ながらの薬局しかなかった。私も薬局実習になったものの、病院薬剤師になるつもりでいた。その後、保険薬局へと移ったのも成り行きと言えば成り行きだったが、全国各地に保険薬局やドラッグストアができ、長く薬剤師として働ける環境が出来上がったのはたいへん喜ばしい。病院では、たくさんの患者さんや医療従事者に囲まれ、緊張の日々がしばらく続いたが、保険薬局になると、白衣を着た薬剤師と待合室の患者さんを合わせても数人程度だ。それだけ、患者一人あたりの薬剤師数が改善されてきた裏付けなのかもしれない。講義が進むにつれ、職業人としてそのスタートラインに立つ日が近づいていることをひしひしと感じるようになった。講座の最後にあたり、教官は幾つかのエピソードを披露した。それは、今後の業界展望、薬剤界という成長分野の発展、人材育成の教育的観点から見た学生の心構えなどだった。
「お金・健康・薬の関係性、選択の基準、適度なバランス。それらは、常に国民一人ひとりの考えるべき課題です。以上で、本講義を終わりにします」
客観的把握に定評のあるその教官は締めの言葉を我々に贈った。
いざ私が現場に配属されたとき、医療の担い手として、きちんと薬事法規や薬の情報を伝えられるだろうか。薬局に佇む姿は様になっているだろうか。遠くて近い未来に思いを馳せていると、ジョーカーに腕を鉛筆で突かれた。なによ? とノートを見たら、「薬」の字をイタズラ書きで「楽」に変えられてあった。思わず笑ってしまった。
四年になると、棚橋事件のショックで講義の出席が欠けてしまい、友人にノートを借りるなどの助けを頼りにして残りの課目で単位を辛うじて取り、なんとか苦しい難局を切り抜けた。それらはもう講義もロクに覚えておらず、ただただ専門知識が紙の上だけで流れ、自分が薬科大の学生である自覚すら失っていた。だから、それらの学問に関しては割愛する。申し上げられるほどの勉強はしておらず、それらに関しては不充分だった。
卒論前の出来事として話しておかねばならないことに、学内いじめがあった。それはまさに出口のない回廊巡りのような仕業だった。廊下を歩いていたとき、すれ違いざまにひどい皮肉を聞かされた。私じゃないわ、と言い聞かせた。試験期間中に入ると答案用紙が直前で足りなくなる意地悪をされたり、落とした消しゴムを誰かに蹴飛ばされたりしたときは、冷静に落ち着けと何度も自分で自分を励ました。女子トイレの個室に水を入れられたこともあった。結局、真面目でスイスイ生きてるように見える人は攻撃対象になりやすい。しかし、真面目が悪いのなら言い返してやれと思い、現場を差し押さえたこともあった。有無を言わさず相手の髪を掴み、数本の毛を引きちぎってやった。相手は餓鬼のような血走った眼で私を蔑み、服の乱れを整えると静かに立ち去った。あれこそが人間の本性。そうした主題のドラマがあっても少しも驚かないし、むしろ昔も今も、泥沼を題材にする作品は不変で万人受けする。憎しみを抱く人間も悪いが、人間の心を作った神様がいちばん悪い。争いながら生きるように心を作ったのだから。
大学二年生だった頃の私は、アルバイトをせず、仕送りだけに頼る、しがない学生暮らしを送っていた。なにぶん不器用な私はアルバイトが長期に続かず、友人に紹介された単発のアルバイトをやっては当座の家計不足分を補っていた。
春の桜も散り、薬剤師国家試験のテキストと問題集の代金が嵩んできて、テニスサークルの飲み会、合宿費用のダブルパンチで財布が圧迫されていた頃だった。ふだんは話さないグループの女子から突然に、「チヅルさんのせいで、好きになった彼が私の方を振り向いてくれなくなったのよ」と言われた。また、「江畑がHさんの交際相手をばらしたせいで、Hさんは迷惑してる。怒ってるんだぞ」と、全く身に覚えのないことを一方的に言い寄られた。なんなんだ、この人たちは。人違いも甚だしいと思ったが、友人らが気にしなくていいよ、と取りなしてくれたので放っておいた。勘違いだろうと高をくくった。でも、「私、知りませんから。いい加減にしてください」と相手を睨みつけたり、「喧嘩を売る気ですか」と相手ににじり寄ることもした。そうでないとなめられる。極めつけは、「あなたの男にK先輩は乱暴されそうになったのよ」などと酷い罵声を浴びせられた。私はそう話す女を羽交い締めにし、三発の平手打ちを食わせてやった。相手は、「ごめんごめん」となぜか謝り、逃げていった。ヤクザの恫喝。そんな言葉が浮かんだ。あの相手とは二度と口をきかなかった。卒業して会ったら、また張り倒してやろうと思う。
そのような嫌な思い出も薄れかけ日々の忙しさに紛れていた頃、私の発案で、あのクラスメートたちを集めてもらった。そのときの経緯の方こそが、春に後悔心を引き起こす本当の原因だった。毎年、花見の季節になると、のどかな風景とくつろぐ人々とは裏腹に、私の心に引っ掛かったとげが、あの夜の秘密と謎の死の記憶を伴って心を埋め尽くす。
大学四年生の春に、入学したクラスの仲間たちが集まり、夕方から花見をした。そして、私、ユアー、Tくんの三人は板橋区にあるTくんの下宿に集まり、三人で飲み直した。Tくんは煎餅布団を枕にし、灰皿を側に置いて、寝そべりながら缶ビールを飲み干した。夜が遅くなり、ユアーは私を送っていった。酔っ払ったTくんは下宿で寝たのだろう。次の日の朝のニュースでは、「東京都板橋区の住宅で未明に火事がありました。住宅の焼け跡から一人の遺体が見つかり、消防と警察は行方不明の棚橋陽一さん(二十二)とみて調べを続けています」と報じていた。まさか、彼が火事の死亡人になってしまうなんて。駆け付けた私とユアーは、焼けて煤だらけの真っ黒焦げの建物を見て、呆然となった。私もそうだったし、彼も頭の中が真っ白になったろう。涙が止めどなくユアーの頬を伝う。テレビ放送で聞いた「東京都板橋区で未明に火事」の事故報道をうそだと思った私は、首を左右に激しく振り続けた。何かをわめき、嗚咽を漏らして震えが止まらない。真っ赤に泣き腫らしたユアーは、その廃墟を見て絶句した。なんてことをと言い、私の黒髪を撫でてくれた。
私が覚えてるのはそれだけだ。あとはショックでよく覚えてない。Tくんと私の秘密を知っているのは、私だけだった。彼にも私にも秘密があった。ユアーと駆け付けたときには、変わり果てたTくんの真っ黒焦げの遺体があった。それを前にして、恐怖と絶望と信じがたい気持ちが洪水のように私の心を襲った。花見で浮かれた季節に、何でまた……。しばらくショックで就職も研究も手につかなかった。大学にもしばらく出てこられなかった。当時の恋人だったユアーと私は、交わす言葉もなくしていった。心の不安定と動揺が続き、やせ細っていくばかりの身体は生きているのが不思議なくらい衰弱した状態となり、就職が決まっていたT病院の内定を棒に振った。みんな私を哀れんだ目で見ていたが、そのうちに卒業していった。先生や友人からずいぶんと心配され、連絡も受けたが、事情の概要を知る人らはそっとしてくれた。学生課にいた渡辺朱美という事務員の女性がいなかったらどうなっていただろう。彼女と面談し、そのお陰で期限付きで学内事務員を世話してもらった。そして一年後に国家試験に受かり、薬剤師の道が開けた。私には人に話せない心の痛みがあり、それを心の中に宿しつつも何とかその痛みを和らげる方法を探しては何度も試み、試みては挫折することを繰り返しながら独身を貫き、今に至っている。
さて、話を戻すことにしよう。学業が手につかなくなった私だが、なんとか研究をして卒業論文を書き上げた。留年せずにすんだ。
小さな事件が起きたのは、卒業論文の発表の日だった。私が卒業研究の発表プレゼンテーションを行っていると、会場に学生が乱入してきて、「江畑さんの薬事実験はデータが不正で捏造論文だ」と根拠のないデタラメをわめいて場内の空気を乱した。その数分間の中断で、私の晴れ舞台は台無しになった。卒業してしばらくしてからユアーに事情を教えてもらったが、どうやら学科の主任教授が仕込みの学生を乱入させて妨害を指示したという。当時、若くて気の回らなかった私には、Tくんの事故死の前後も、一連の嫌がらせの根っこが一つの塊から伸びていること、それが深く広く張り巡らされていたことに考えが及ばなかった。また、棚橋くんの事故死のショックを引き摺っていた私には、別のことを気にする気力もなかったし、まだ気力が回復していなかった。とにかく、私は不可解な妨害に落胆した。発表が終わり、研究室の机の上で呆然とした私は、卒業できるのかそればかりを思案した。卒業さえできれば、あとは学内事務員の仕事が内定しており、仕事と勉強を両立させればよい。受ける機会を逃した国家試験を受けて薬剤師を目指すという未来が待っている。意地悪されたことよりも、友の死を胸に、最終的に資格を得て就職を果たすことが一番の供養になると自分に言い聞かせた。薬科大に入り、薬剤師になる夢が私にはある。入学した目的を果たさないと、故郷から四年間、せっせと働いて仕送りを送金してくれた両親に合わせる顔がない。そう思うと、おかしな人たちには何も感じなかった。研究室の竹村教授が私にかけてくれた言葉は、「学内での会議が異例に長引いたが、僕が反対する教授らを説得したから大丈夫だよ」だった。
発表の翌日から冷静に戻った私は周囲のことは気にせずに、残された実験結果の整理と三年生への引き継ぎをこなした。研究室においては、幸いにも先輩や担当教授に恵まれた。竹村教授は本当に人間的に良い人で、彼の教育者としての正しさにはただただ頭が下がるばかりで、温情に感謝するしかなかった。あの時、ちゃんとお礼の言葉を伝えただろうか。とにかく、その年の三月には、卒業に必要な単位の揃った通知表を受け取り、無事に卒業を迎えた。
少し、私とTくん、ユアーの関係の経過をおさらいしておこう。
私は大学一年生の頃、クラスメートと仲良くしていた。テニスサークルよりもクラスの和を大事にしていた。なぜかと言うと、テニスサークルは先輩たちを含めて人数も多く会話もそれほど交わしていなかったからだ。練習も球拾い以外は出来ない状況で、一年女子の結束はあってもそれほどに顔を出すことは多くなかった。むしろ、毎日授業で顔を合わせるクラスの仲間の方に親しみを感じ、これから四年間の長い道のりを一緒に過ごすという自覚が芽生えていたので、クラスメートの方を重視した。というと聞こえはいいが、早い話、素敵な男子が三人、クラスに居たからだ。そんなもんだ、女子たちって。それで最初に好きになったのが加藤くんだった。彼は男らしくて豪傑だったけど、他に好きな子がいてもおかしくないくらい女子にモテていた。だから、相手にされないと思い諦めた。のちに、加藤は辻本と付き合っているらしいことを友だちから聞いた。次に好きだったのがTくんだった。彼はすごく真面目な人だ。それがのちのち私の助けになる。この頃は彼の真面目さがすごく尊敬の対象だった。でも、若者として、男子学生として、何かに燃えているとか何かをしているときに目が輝いているといった顔つきを、私は最後まで見なかった。どうしてだったのか。少し醒めたところがあり、人がワイワイ話したり興奮して騒ぎ出したりするのを、ニコニコ微笑んで見ていることはあっても、どこか一歩ひいて冷静に振る舞うところがあった。だから、そこだけが嫌いだった。でも、いつも誰にでも優しく分け隔てなく接している姿を見ると、胸がキュンってなる。それで、彼に告白して交際を申し込む作戦をジョーカーと練った。
「ねえ、ジョーカー。話したとおりの真面目なTくんなんだけど。いい作戦てないかしら」
「ふんふん。まあ……。ないこともないよ」
「本当? ね! 教えて、教えて!」
私は彼女の袖を両手で掴んで揺すったり腕を抱きしめたりして、甘えてみた。
「そうね。いくらなら出す?」
ジョーカーは冷静だ。
「えー、お金とるの? そんなに持ってないよお」
私は鞄から財布を取り出して、中身を覗くフリをした。だいたいが底をついていることは分かっていた。仕方ない。ふうーっとため息をついて、少し演技をした私は、
「はい、これ」
と言って、まだ見慣れない重みのある硬貨を取り出した。
「わあ、なに? おもちゃみたい。これって、ひょっとして……」
「ジャーン。五百円玉よ」
「うわあ。やっと手に入れた。これで、みんなに自慢できるわ。ありがとね」
「うん、よかった。じゃあさ。教えてくれる?」
私は運良く手に入れた新硬貨の五百円玉を、ここぞの場面で惜しげもなく送り込んだ。当時新しく導入された五百円玉は人気が出て、手にした人は滅多に使うことなく仕舞い込んだため市中に出回らず、新硬貨は貴重な存在だった。それをジョーカーの小さな手に握らせたのだ。すると、ジョーカーは大事そうに貰った五百円硬貨を財布にしまうと、少し上を向いて左の人差し指を立てて、私に作戦を授けた。
「あのね。まず、かますのよ。私にはいま、大事な人がいますって」
「へえー。それで、それで?」
「まあまあ。落ち着きたまえ。でさ。その大事な人は、かくかくしかじかの人なんですけど、あなたなら、私とその人のことをどういう目で見ますか? お似合いですかって聞くの」
「すごいな。ジョーカーって」
「すごい? ふふ。カードを切るのはこれからよ。そう言って、じらしといてね。じゃーん。実は私の大事な人は君のことなんですって告白するじゃんか。でさ。びっくりした彼の手を握るとかして。あとは上手くやればいいのよ。そんなもんよ」
「うん、分かった。上手く行きそう。サンキュー」
私は彼女に礼を言うと、頭の中で台詞を繰り返しながらブツブツと呟き、両手で小さくガッツポーズの態勢を取った。
「頑張れよ! うぶな田舎モン!」
「ちょ、ちょっと。うぶでも田舎者でもないもん!」
私は少し拗ねた顔をして、頬をふくらませたあと、照れ笑いを浮かべた。
かくして、Tくんへの恋愛大作戦はスタートを迎えることになる。昼休みの間中、ジョーカーの言葉を真に受けて幸せなときの訪れをひとり噛み締めた。そんな馬鹿な私は、昼明けの最初の講義中もその台詞ばかりが頭を巡り、目で彼をさんざんに観察し尽くし、講義の終わりを待ちわびた。講義が終わり、席を立った私は、彼をそっと追いかけて、窓際でユアーたちと話をしていたTくんを手招きした。
「ねえねえ、棚橋くん。ちょっと話があるんだけど、あっちに行こうよ」
私はコケティッシュに唇を丸めると、彼の腕を引っ張って廊下に連れ出した。「あのね。私、いま大事な人がいるの」
「そう。良かったね」
「え? それだけ? 何よお。それでいいわけ?」
「僕は、毎日出会う人がみんな大事だけど」
「僕のことじゃなくて、ワタシの大事な人のこと、言ってるんだけどな」
「うん。それで?」
「私の大事な人はね。○○でね。○○でさ。すごく、○○なんだけど」
「あのさ。僕、忙しいんだけど。もう、いいかな?」
「えっ! ちょ、ちょっと待ってよ! 続きがあるのよ」
「なに? 手短に、結論から言ってよ」
「あのお。その大事な人がきみなの。棚橋くんのことなの」
「うん。分かった。ありがとう。僕も君を大事だと思っているよ。じゃあ、また」
そう言い残したクールなTくんは、その場を去って教室に戻っていった。
フラれたの? 何、今の――。
非情にも授業開始のチャイムが鳴り響き、私は力なく教室の席に着いた。
私は確かに告白した。それは夢でもない。彼も告白をちゃんと聞いてくれた。しかし、ジョーカーの作戦通りには行かなかった。呆然となったまま彼を見送るしかなかった。私は、彼の公平な人付き合いを理解するのにまだ時間がかかりそうだということ、自分が彼にとっては大事な人たちの一人であって特別な存在にはならないということを受け止めなくてはならなかった。
Tくんのバカ! ――。
そう叫びたかった。ひとりきりになれるのなら。
こうしてTくんへの告白作戦は失敗に終わった。私はジョーカーにその状況を逐一報告した。彼女は言った。
「気にするな。男なんて星の数。チャンスは無限にある。あの男も、いつか君を女として見る日がくるかも知れん。君は勇敢に立ち向かった。これからも迷わず惑わず、文武に励めよ」
こういう感じで応じ、さらに調子づいて慰めてくれた。
結局Tくんへの思いは片想いとなり、私の愛を彼が受け容れることはなかった。だが、その思いはくすぶり続けたままだったのに、私の脳は違うターゲットを目指すよう指示を与えてきた。あっちがダメならこっちがあるじゃないか。キューピッドが弓矢を構えて狙いをつけたのはもうひとりの好きな人、ユアーだった。三番目になったものの、Tくんと同じくらいに気になっていた人だ。どうしてTくんよりも先にこちらに声を掛けなかったのだろうと悔やんだ。後々ジョーカーが指摘した私の特徴として、「チヅルはいつも、確率が低い危険な方からまず試そうとするよね」というところが私にはあるらしい。
それはともかく、ユアーに告白するのは自分の力だけでやろうと考えた。人に頼って失敗すると、人のせいにしてしまう自分がいる。やっぱり最初から最後まで自分で計画を立てて実行に移し、結果が成功しても失敗に終わっても全責任は自分が負うべきだ。そう思うことにした。
ユアーとの距離を縮めたのは二年生の前期試験前だった。それまではひたすら待った。すぐに相手を変えると悪い噂が立つ。あの子、すぐに目先を変えたわねって。私もそんな悪女に見られたくはなかった。そんな所だけは変に気が回る。素敵な男性をただ眺めるだけであれこれ思うだけでいい。それが青春というものだ。
さて、私を振ったTくんは、一年生のときから計画を綿密に立てて、薬剤師国家試験に向けての準備、すなわち勉強をしていた。彼は勉強とアルバイトだけの生活を送り、勤勉で実直だった。だから、私はフラれた後も尊敬していたし、告白前と同様の友人関係を保とうとそれなりの努力をした。夏休み、ユアーと三人で映画を見に行った。ユアーとのデートにも時々はTくんを混ぜて、三人でドライブすることもあった。真面目男だから彼が根を詰めないかと心配してのことだった。でも三人で遊んでいても、妙な気を回さず普通に仲良くしてくれて、それはこっちも助かった。本当に素直でいい人だった……。Tくんに女っ気がなかったのは確かだが、女性に興味がまるっきし無かったわけじゃない。ちゃんと興味を持ってはいた。ただ理想が高いのか、好きな女子のタイプが偏っているのか。詳しく聞いたことはなかったが、彼が私やマリエール、ジョーカーらの仲良しグループ以外の女子と何かしているのを、学内でも外でも見かけたことは一度もなかった。他の子が恐かった? それともシャイなんだろうか? いテレビに出ている人には憧れの目を持ってたようで、ある女優が好きだとは言っていた。
Tくんの一番好きなことは、モーツアルトとかクラシックを聴くことだ。彼によると、クラシックとは人生そのものを五線譜という縮図に描くために設計されたもので、喜びや悲しみなどの波瀾万丈を演奏する音楽らしい。クラシック以外でも、有名なポピュラー歌手のコンサートには嬉しそうに付いてきたが、彼の本当に愛する音楽はあの時代の古典派音楽なのだ。それを聴いていると、自分の過去を回想したり、未来の進路が開けてくることがあったりすると言っていた。彼は、N響アワーとか新春ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の新春コンサートって言葉を聞くだけで、心が弾んで目が輝く。確かに私が聴いても、あの音楽は荘厳でスケールの大きな音楽だとは思う。あまり若者っぽくはないが。それに彼ったら、薬事実験のときに撹拌棒を指揮者が使うタクトのようにして振り回すのだ。あれはよした方がいい。ちょっと、みっともないから。
私が二年生の頃、マリエールは君島くんと付き合っていた。あの腰の低い男子のことだ。付き合っていたのは前から知っていたし、四人で行った銀座のときにはすでにいい仲だったからさして驚くこともないのかもしれない。が、改めて考えると、あのおとなしい君島くんのお相手があのスケバンのマリエールなんだから、男と女なんて分からないものだ。従順な君島くんを手下にしたのか、と女子の間で噂が立った。「さぞかし、棚橋くんにきび団子でもあげて、お供を連れて鬼退治にでも行くのよ」と口の悪い仲間に言われていた。私もそう思っていた。が、あるとき見かけた二人はまるっきりあべこべだった。君島くんがふんぞり返って、あれこれと気を揉んで甲斐甲斐しく世話を焼くマリエールに対して細かく指示を与えていたのだ。夫婦でいうなら夫唱婦随、亭主関白とでも言うべきか。まさに、言うのと聞くのとでは正反対だった。こんなことがあるのだろうか。桃太郎が家来の犬に顎で使われるているなんて。何があったんだろう? いくつものハテナマークが頭からフワフワと生えてきてはポヨンポヨンと飛び出し、宙をさまよった。この光景は見てよかったのかしら? 思わず口を押さえ、壁に身を寄せて隠れるフリをした。これを人に説明しようにも全く説明のしようがない。お互いが入れ替わってしまったのではと思うような場面だから。気を取り直して今みた寸劇を茶番だと思い、その場を通り過ぎた。
しかし、同じような光景を見たという証言はあちらこちらから上がっていた。ちらほら聞こえてくる噂に耳をそばだててみると、こういう話だった。
「万里江ちゃんでも、案外ダメな所ってあるのねえ。好きな男には」
女子更衣室のむせ返る熱気の中、細長いロッカーの棚に置かれたビニールバッグに自身の汗臭いTシャツを折り畳んで入れながら、山上徳子は皮肉たっぷりに笑みを浮かべた。「さすがの女弁慶も、義経にはかなわなかったのね」
着替えをしながらの吉野里莉阿は、三色のアメリカ国旗を思わせるタオルで首回りの汗をふきふき嬉しそうに喋っている。
「そうよ、そうよ。暴れ姫も猛獣遣いのムチには大人しくなるのよ」
部屋の中央にある青いベンチに置かれていた炭酸飲料のカップを手にして飲み干しながら、岩本慶子も口を挟んだ。
「ウフフ。まるでサーカスみたいね」
なにを想像したのか、佐倉安南は大口を開けて笑っている。本当だったんだ! あのときの二人の様子こそが人に見せない真実の姿であり、当人たちにしか理解できない上下関係だったんだ……。食べたものが腹から逆流しそうになった。その後も一つ上の先輩女子四人衆の品定め談義は延々と続けられた。先輩方の例え話は上手だが、少し品の欠ける物言いだわ、と私は思った。
やがて、女子キャプテンの志保先輩が手を叩いて注意を喚起し、お喋りを終わらせた。
「はいはい。お喋りやめえ!」
ざわざわしていた一同は水を打ったようにシーンとした。
「女子の皆さん。来月からインカレの大会が始まります。シングルでエントリーする人は早めに私まで。あとジョダブ(女子ダブルス)のペアは二年生以上。変更も受け付けてます」
女子キャプテンの低い声が更衣室内に轟いた。この人の前でヒソヒソ話すと後で男子の先輩に告げ口されてコートでスマッシュの雨嵐が飛んでくる。女子の間ではこのように井戸端会議が繰り広げられて、悪口も含めた情報交換とその共有がなされていた。
私は二年生になりユアーと付き合いだしていても、勉強やスポーツと恋愛のバランスが崩れることのないように、満遍なく気配りをすることを心掛けていた。三つ上の姉、美佐恵から忠告されていたことがある。「恋や愛に溺れたりうつつを抜かしても、未来の花嫁になれる保証なんてどこにもないよ」とか、「勉強をさぼると一生後悔することになるよ」とかだ。姉の立ち居振る舞いを見て育ってきたせいもあった。ある意味、その教えを守り抜こうと努力したからこそ、青春時代が充実していたと自負できるのだろう。
姉も薬剤師で奇しくも同じ道を私は選択した。私にとっては良き手本がすぐ目の前にあり、Tくんやユアー以上に姉という存在が心強いものに感じられた。姉を尊敬し、信頼もしていた。姉は大学を出て故郷に帰り、薬剤師になった。住んでいる場所が異なるけれど、休日に東京から電話を入れたり、私が帰省したときには二人で色々と話し込むことも多かった。
二年の前期試験が終わった秋口に、私はユアーにアタックを開始した。今回はTくんのときと趣向を変えて、告白抜きで行う計画を練った。マリエールやジョーカーに特別な相談を持ち掛けることもなかった。
バニベリの夏合宿が終わったその晩、合宿に持参した膨らんだ鞄を抱えたままの私は、いつもの居酒屋に寄った。そして、酔った勢いでユアーをカスタード亭に呼び出した。合宿の疲れを吹き飛ばすかのような黄金色の飲料で乾杯した私とマリエールは、六時過ぎから飲み始めて夜の八時過ぎにはもういい具合に酔いが回り、すっかり出来上がっていた。この時間帯になると、女子ペアはお互いの恋愛話に花が咲いていた。
「私はさあ。彼氏が居るからさ。心配ないのよ。心配なのはチヅル。誰か好きな人はいるの?」
目の周囲を真っ赤っかにして猿の顔をしたマリエ―ルは、焼き鳥を頬張りながら酒臭い息を私に吹きかける。
「へ? 私? うん、まあね。まだ形になってはいないけど」
「ふふん。やるわね。お主も。で、誰? 若くん? それともほっしー? まさか、竹富先輩や川尻会長じゃないよね?」
「なんでよ! 先輩二人には彼女が居てるじゃんか。あり得ませんよ。若くんやほっしーでもないよ」
「そうだよね。ユアーだもんね、本命は」
「どうしてそれを……」
「見てりゃ分かるわよ。簡単よ。アナタって単純なの。私も鈍感じゃないし」
エヘンと咳払いをしたマリエールは、すぐに出てきたオーダー済みのピザが載った皿を自分の前に引き寄せた。指で一片を摘まんで口を寄せつつ垂れたチーズを舌でキャッチし、つまらなそうな目を向けて私の脇を小突いてくる。




