ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説 9章
九
ぐっすりと、夢も見ないほど深い眠りに落ちていたヤイバの意識に、ふと、さざ波が立った。
(うん? なんだろう)
どこかで誰かが自分を呼んでいるような……ひどく騒がしいような……?
目を覚ますと、何者かがしきりとドアをノックしていた。といっても、やたらめったら乱打するような激しいものではなくて、ごく控えめなたたきかただった。
手を伸ばしてボタンを押し、天井のシャンデリアを灯す。かたわらを見やると、ルシ子は幸せそうな寝顔で「もう食べられない……おなかいっぱい……」と寝言をつぶやいていた。
ルシ子を起こさないように、そっとベッドを下りる。
その時になって、ただならぬ雰囲気の爆音や喊声が聞こえてくることに気づいた。
どうも、ただごとではない。
「なんだい?」
足早にドアに歩み寄って引き開けると、レッドが一礼した。
「大暗黒魔皇帝様。このような夜分に宸襟を騒がせ奉ること、臣下の分を越える無礼千万の所業とは思いますれど、火急の用にございますれば、いたしかたなく、ご報告にあがりました。なにとぞご容赦くださいませ」
「窓がぶあついせいかそう大きな音には感じられないけど、外で物騒なことが起きていないか? もったいつけずに、かいつまんで説明してくれ。嫌な予感がする……」
「なに、下民どもにとって大事ではあっても、大暗黒魔皇帝様にとってはたいしたことではありません。じつはヴァンパイアどもが、性懲りもなく、またまた攻め寄せて参りました」
「ええっ! なんだってぇ!」
思わず大声をあげてしまったものだから、ルシ子が「うゅ?」と目をこすりこすり身体を起こした。
「じゃあやっぱり、ヴァンパイアたちはおれがメテオストライクしたことを怒っているんだな。ああ、まずいぞ。おれ、悪くて嫌なやつって思われているにちがいない。明日になったら、おれの方からバダリム砦へ出向いてハイダスにきちんと謝ろうと思っていたのに。あれはついうっかりやってしまったことで、悪意はないと説明したかったのに。魔界の平和のために、ともに手をとりあいましょうって言うつもりだったのに――」
「またまた、なにをおっしゃいますやら。そう持ちかけておいて、ヴァンパイアどもが安心したところで軽くたたき潰して二重のダメージを与えるおつもりだったのですな? いえ、みなまで申さずともレッドめはわかっております、はい」
「なあ、まさか軍は動かしていないよな? 今からでも遅くはない、おれが出ていってハイダスと話し合うよ。可能な限り早く誤解を解かないと、ますますこじれてたいへんなことになる」
「いえ、すでに我が軍と敵軍は城外で交戦しております」
「なんだとー!」
「やむをえません、敵の方から仕掛けてきたのです。防がねば城壁を突破されてしまいますので。ああ、そうそう、大暗黒魔皇帝様にとってはどうでもいいことと思われますが、いちおう、これもご報告を。今回、攻めてきた敵の総大将はハイダス・ラデリンではございません。きゃつの娘であるウィンディ・ラデリンです」
「どうでもよくないって! そんなことになっているなら、なんでもっと早く起こさないんだよ! と、とにかく、一刻も早く出むかないと。ルシ子、ルシ子!」
「ふぁい……」
「ヴァンパイアたちがまた攻めてきたんだ。着替えを頼む」
「ええっ? またですか! ちょっと待ってくださいですぅ。えっと、ワンド、ワンド……。ていっ!」
ルシ子の魔法により、一瞬でヤイバは学ラン姿となった。
急ぎ足で廊下へ出たちょうどその時、むかいの部屋のドアが開いて、バスローブ姿のユキが「もう、なんの騒ぎ?」と目をこすりこすりあらわれた。
かくかくしかじかと事情を説明する。「とにかく、すぐおれは城外へむかう」とヤイバが告げると、ユキは「またなの? 懲りないなあ……。まーでも、アニーが行くならあたしも一緒に行くよ」と答えた。
「あ。じゃあ――ていっ!」
ルシ子がユキも魔法で着替えさせる。
「では、こちらへ。すでにダンガルドは待機させております」
レッドにうながされ、ヤイバたちは昇降機に乗った。
大テラスに出る。ドラゴンやグリフォンたちは強い月光を浴びて濃い影を落としていた。この場所からだと、爆音やら喊声やら剣戟の音色やらが、よりはっきりと聞こえてきて、のっぴきならない事態なのがますますはっきりとわかる。ヤイバたちはあわただしくダンガルドの背に乗った。
「では、行きますよ! しっかりつかまっていてくださいね!」
ダンガルドは不自然なほど明るい声をかけ、翼を鳴らして飛び立った。
ごうごうと夜闇を切り裂いて飛ぶ。ダークドラゴンはまたたくまに城壁にたどりつくと、前回同様、物見塔の上に着陸した。
「うわあ、なんてこった……」
塔の上から戦場を見下ろして、ヤイバは頭を抱えたくなってしまった。ヴァンパイア軍団の規模はハイダスが攻め寄せてきた時以上のもので、例によって例のごとく、敵味方入り乱れての大乱戦ときたものだ。
「コラー! やめやめー! 戦闘中止ー! 中止ー! 戦うのやめろー! おいっ、聞いてんのかー!」
ヤイバはありったけの声で叫んだが、
「なにがヴァンパイアじゃボケェ!」
「蚊トンボどもがぁ! おどれらは自分の血でも吸うとれやダボ!」
「プッ。下等魔族がいきがっちゃってるしー」
「オレらヴァンパイアは不死者に君臨する偉い魔族なんだよ。お前らなんかとはラベルがちがうんだよ。わかったぁ?」
「ラベル? ひょっとして、レベルっていいたかったのか? うわあ、こいつらアホだ。ヴァンパイアって長生きしてんのにアホだ。こいつらチエン卒以下だ」
「ちょ、ちょっと言いまちがえただけだろぉー! 許さねえ……! 殺す……!」
敵も味方もひっきりなしに悪罵を放ち、頭に血が昇って、頭上から降るヤイバの声など耳に入らない様子だ。
「まあ、なんです。大暗黒魔皇帝様のご威光を示すためにも、ここは一発、いえ、二、三発ほど、メテオストライクをお見舞いするのがよろしかろうかとぞんじます」
レッドがおよそこの場にそぐわないのんびりとした口調で進言した。
「ふざけるな! おれは、暴力は嫌いなんだよ! だいたいそんなことしたら、ますますヴァンパイアたちの怒りを買うばかりだろうが! くそっ、敵の大将と話あわないと。敵の大将の、ええと、名前なんだっけ?」
「はあ。ハイダスの娘のウィンディでございます」
「そのウィンディってのはどこだ?」
戦場に目を凝らしていると、
「そこにいるのは先代魔王の子、新たなる魔王か?」
こちらめがけて凜とした声を放ってきた者がある。
ヤイバは声の主を見つけて注視した。
六本足の黒い馬にまたがった美少女。白銀の鎧を身にまとい、月光を浴びて燦然と輝く様は息を呑むほどに気高く、レイピアの鋭い切っ先をヤイバにむけている。
「我こそはウィンディ・ラデリン! 父より爵位を受け継ぎし、新たなるラデリン伯! 雌雄を決するべくわざわざこうして出むいてやったのだ、我が前に降りてきて尋常に勝負せよ!」
ウィンディは最初から目当てはこの男ただ一人とばかりに、きっとヤイバを睨んで言い放った。
「勝負? なあ、色々と誤解があるんだよ! おれは話し合いがしたいんだ! ひとまず、戦いを中止してくれ!」
ヤイバは懇願したが、ウィンディは「なに、臆したか! 戦わずば、魔界中に貴様の臆病ぶりを喧伝してくれるぞ!」と聞く耳もたない。
「ああもう、しかたない!」
ヤイバはいったん後方へ下がると、軽く助走をつけて塔の上から飛び降り、一気にウィンディの前に降り立った。ただの人間なら飛び降り自殺になってしまう高さだが、超人じみた身体能力を宿しているヤイバはへっちゃら平気、なんてことない。
「な、なんと……! メテオストライクを使わずに、まさか、素手ゴロ? あえて拳をたたきこんでヴァンパイアどもを蹴散らそうというので? いやあ、さすが大暗黒魔皇帝様。乱暴者ですなあ」
レッドが感心したようにうなずく。
「え。アニー、まさかこの状況で、本気で、話し合いをしようっていうの? まずいんじゃないの? ちょっと、ダンガルド!」
「は――はいっ! ユキ様、なんでございましょう」
「あたしを乗せて、アニーのそばへ降りて!」
「あっ! ルシ子も一緒に行くですぅ! だってだって、ルシ子はいつだってヤイバ様のおそばにいなくちゃならないんですぅ!」
ユキとルシ子の二人を乗せ、ダンガルドは急いで飛び立った。
「あ、行ってしまわれた……。レッドさん、おれたちはどうしましょう」
親衛隊のオーガがレッドにおうかがいを立てる。
「無論のこと、ついてゆかずにどうする。我らは大暗黒魔皇帝様の臣下であるぞ」
というわけでレッドほか取り巻き連中も、グリフォンやペガサスを駆って戦場のただ中へとむかった。
「おい! 手を出すな! 絶対に手を出すな! 特にユキ、メテオストライクを使うんじゃないぞ!」
一同が後を追ってきたと知ると、ヤイバはひとこと注意をうながしてから、ウィンディにむきなおった。
「フッ。これが、父上をさんざんな目にあわせた新たな魔王か。さほど強そうにも見えん」
黒馬の背からヤイバを見下ろし、ウィンディは形のよい小さな牙を、かちんと噛み鳴らした。
「この軍団の総大将だな? 名乗ろう。おれの名はヤイバ。クロバネヤイバだ。先代魔王の息子……らしい。でも、君のお父さんのハイダスを撃退したのは、そのー、ものの弾みだったんだよ。わざとじゃないんだ。だいたい、攻め寄せてきた君のお父さんにも非はあったわけで――。とにかく剣をおさめて話を聞いてくれないか」
「わざとじゃない、だと? 白々しいにもほどがある!」
「まあ、確かに白々しい……かな。でも、おれは暴力は嫌いなんだ。ほんとうに。おれってどういうわけか、この世に産まれ落ちたその日からずっと、他人に誤解されやすい星回りで、なにをやっても悪い方へ悪い方へ誤解されてしまうんだけど、じつはいいやつで――」
「面白い世迷い言をほざく。しかし、わたくしを小娘と侮り、大地に降り立って術の射程に入ったのが運のつきよ! 食らえ、我が秘術!」
ウィンディは牙を剥いて笑うと、双眸をカッと赤く輝かせた。レイピアをすばやく動かして、宙に逆十字とそれを囲む円を描く。その軌跡は宙に残って赤い光を放ち続けた。
「エナジードレイン!」
凜と顔を引き締め、レイピアの切っ先をヤイバに突きつけて叫ぶ。
するとヤイバは全身から力が抜けてゆく感覚に襲われた。
ヤイバの身体から吸い出された力は、血のように赤い無数の小さな光となって、レイピアの切っ先へと吸いこまれてゆく。生命力そのものであるその赤い奔流は、切っ先から刀身へ、刀身から柄へ、柄からウィンディの腕へ、腕を伝って心臓へと流れこんでゆく――。
「なっ、なんだこれは?」
まずい、と直感してヤイバは闇雲に腕を振りたくり、得体の知れない魔術を振り払おうとしたが、生命力を吸い出す流れは止まらない。それどころか、加速してゆく!
「フフッ。エナジードレイン! 吸精の魔法! 貴様の生命力をどんどん吸いだし、我がものに! 吸えば吸うほど貴様は弱り、逆にこちらは強大化する! 他人の生命力を強奪する我らヴァンパイアならではの秘術よ!」
ウィンディは親切にも魔法の効果について解説してくれた。
「なんだとっ! ま、魔界においては、勝利を確信した際に行う上から目線の解説は強者のたしなみ……! しかし、それを大暗黒魔皇帝様に対してするとは! なんたる不遜、なんたる傲慢! 不敬にあたるぞ、貴様ァ!」
レッドが目を剥いて吠えたが、じゃあウィンディに立ちむかってゆくのかといえば、そんなことはせず、その場で地団駄踏んでいるだけだ。
「う……」
ヤイバはゆらりと膝を揺らした。あわや倒れるかに見えたものの、危ういところで足を踏みしめる。
「ええっ! ちょっと、アニー! アニーってば! まずいんじゃないの? 話が通じる相手じゃないよ、戦わないと!」
ユキが悲鳴のように叫んだが、
「だめだ! 手を出すな!」
ヤイバはさらに大きな声で叫び返した。
「おれは……おれは、ぐう畜じゃない……。『ぐうの音も出ないほどの畜生』なんかじゃない……。こんなかわいい子に手をあげるだなんて、そんなこと……絶対にするものか……。この世界は、いつも、おれに辛く当たる。だけど、おれは――善人として生きることを諦めはしない!」
「……アニー……」
ヤイバは残る力をかき集め、意志の力を振り絞って顔をあげた。もはやそれだけの動作でさえ緩慢だ。
瞼を持ち上げるのさえおっくうなのをこらえ、真心を瞳にこめてウィンディを見つめる。
「ウィンディ……だったか……。おれに、戦う気は無いんだ……。話し合いに応じてくれ……頼むよ……」
しかし、ウィンディは鼻で笑った。
「女々しいぞ、ヤイバとやら! わたくしの魔法を食らって勝ち目はないと踏んだのなら、負けを認めて這いつくばれ! 命ごいでもしてみろ! この魔界では強者こそが真理、強者こそが支配者よ!」
「あううう、ヤイバ様! ヤイバ様ー! 戦ってください! このままじゃやられちゃいます! ルシ子はわかっていますから! ヤイバ様が悪い人じゃないってこと、ルシ子はちゃんとわかっていますから! だから、今は戦ってください! そうでないと、ヤイバ様は……」
ルシ子が悲痛な声で訴えても、ヤイバはウィンディを真正面から見据えて、ひたすらにこの真心伝われと念じているばかり――。
ひそ……ひそ……。
「どっ、どうなってんだ?」
「どうって、大暗黒魔皇帝様が、押されて……いる……?」
「そんな馬鹿なことがあるか! メテオストライク一発でかたがつくだろうに!」
「いや、しかし――あのウィンディなる娘の魔法! あれを食らって力を奪われ、メテオストライクを放てなくなってしまったのでは?」
「嘘でしょう、そんな――」
うろたえ騒ぐ取り巻き連中。そんな中、不意にレッドが目を剥いた。
「ああっ! お、思い出した!」
「なにをですか、レッドさん?」
ただならぬ様子を察知して、サキュ子がたずねる。
「ウィンディ・ラデリン! あやつめは、ガンデリオン公立小学校を現役合格後、留年なしで卒業し、円周率を小数点以下第二位まで丸暗記している天才……!」
「なんですって? あれは、そんな天才が開発した魔法なのですか? それはまずいでしょう、色々と!」
そう、どう見てもまずい状況だった。
「アニー……。気持ちはわかるよ……。わかるけど――」
ユキは右手を握ったり開いたりした。ずっと一緒だったから、ずっと愚痴を聞いてきたから、兄の心情は痛いほどわかる。わかるが、これはもう、兄の心情を踏みにじることとなっても、自分がメテオストライクでヴァンパイアどもを一掃するほかないのではないか? それ以外に打開策は見当たらない。
「ヤイバ様。ヤイバ様ぁ……。このままじゃ、死んじゃいますぅ……。ルシ子は、ずっと、ヤイバ様のおそばにいたいんですぅ……」
ルシ子は激しく泣きじゃくって訴え、自分の非力さを忘れて駆け出そうとした。それを「いっちゃだめ!」とユキがあわててひっつかみ、押しとどめる。
そんな修羅場の中、一同の背後で、一人、ぎらぎらと目を輝かせる者がいた。
ダンガルドだ。ダークドラゴンは充血した双眸でこの光景を見守っていた。
「今なら……。そう、今なら……。大暗黒魔皇帝様を助けるためという名分がある……。あの化け物は今、弱っている……! それに戦場では、事故死はよくあること……!」
つぶやいたものの、もし失敗したらどうなるか。その恐怖が決断を鈍らせて、ダンガルドは爪で地面をひっかき、しばし迷っていた。
「く……ええい……ううぅ……。なんで倒れないの……? も、もう……生命力吸いすぎて……おなかいっぱい……」
と、ウィンディが顔を歪めて、左手でおなかを押さえ、小さなげっぷをした。
刹那、ヤイバの膝が今までになく大きく揺らいだ。
「殺るなら今しかねえ……!」
ここでついに、ダンガルドは覚悟を決めた。
「危ないっ! 大暗黒魔皇帝様! ボクがお助けいたします!」
足音を響かせて突進する。後足で立ち上がり、大きく前足を振り上げる。
「おおっと、ついうっかり手が滑ってしまったあー!」
叫びざま、ドラゴンは渾身の力をこめてヤイバの後頭部に爪を振り下ろした。
ガツンッ!
もの凄い音がした。ヤイバはブッ倒されて、うつぶせに面にめりこんだ。
「や……やったあー! オレはやったんだ! この化け物を倒したんだ! イヤッフゥー! ハァー! 爽快だ! 心に青空が広がってゆく! オレはペットから支配者へと返り咲いたんだ! オレを見捨てて鞍替えしたオークそのほかの子分どもめ、覚悟しやがれ、ブッ殺してくれる……!」
ダンガルドは快哉を叫んだ。もうなんちゅーか、マイクを手にこの場で持ち歌を披露したいくらいの気分だった。
が……。
突然……。
ヤイバはむっくりと立ち上がった。まるで何事もなかったかのように、いともあっさりと、だ。
それでいて、ヤイバの目は焦点を失っていた。
「……アニー?」
ユキが心配げに声をかけた次の瞬間、ヤイバの全身からドス黒いオーラが、噴水かさもなければクジラの潮吹きみたいな勢いで噴き出した。
その黒いオーラはヤイバの全身をあっというまに覆い尽くし、際限なくむくむくと、火山の噴煙がどこまでも立ち上るように膨れ上がっていった。
戦場の剣戟や喊声は、いつのまにか途絶えていた。誰もが、目の前の戦闘を中止して、ヤイバの方を見ていた。
その場にいた全員が、例外なく感じていたのだ。(これって……よくわからんけど、なんかまずいんじゃいの?)と。
ドス黒いオーラは、加速度的に勢いを増して膨れ上がってゆく。そしてある段階から、そのオーラはなにかの形を……禍々(まがまが)しいなにかの輪郭を形づくり始めた。
ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
天も地も揺るがす凄まじい咆吼が放たれ、その場にいた者のうち約半数がおしょんしょんをちびってしまった。
彼らは、見た。ドス黒いオーラの中から、とんでもないものが出現しているのを。
それは二本足で立つ超巨大な怪物だった。
青黒い鱗に覆われた爬虫類の肌。
骨太な体格。
筋肉りゅうりゅうのぶっとい手足。
一撃でガンデル城を粉砕できるであろう太く長いしっぽ。
巨大な皮膜の翼。
ずらりと牙の並んだ口。
黄金の光を放つ双眸。
雄山羊のそれに似た形状の二本の角……。
理屈ではなく本能で、誰もが理解した。大暗黒魔皇帝が、ついに超弩級畜生の正体をあらわしたのだ、と。
巨獣はあくびをするように月をあおぎ、軽く肩を回した。
それから、ゆっくりと……じつになんともゆっくりとした動きで……首をめぐらし、小さな小さなドラゴンを見下ろした。
「あ……ああ……あの……あのですね、ボクは、あの、大暗黒魔皇帝様を、お助けしようと……しただけで……。あ、あのっ、話は変わりますけど、ドラゴンはですね、じつは、絶滅が危惧されている希少な野生動物で、あのっ、みんなが力をあわせて保護しないといけないんです。あの、ワシントン条約でも保護対象になっていますし、そ、それに、パンダのロゴでおなじみのWWF……世界自然保護基金でもですね、あの、パンダはもう人工繁殖に成功していて絶滅の心配はないことだし、これからはロゴを、もっともっと深刻な絶滅の危機にあるドラゴンにすべきじゃないのかって議論がですね、あの……」
ぶるぶる震え、ほぼ無駄と知りつつも早口であれこれいいわけするダークドラゴンを、巨獣は指先で軽くつまみあげた。
そうして、やおら大きく腕を振りかぶると、ブン投げた。
ドパァン!
大きな破裂音が生じた。物体が音速を超えた際に生じるソニックブームによるものだ。
地平線の彼方に投げ捨てたドラゴンにむかって、巨獣はあくまでゆっくりとした動きで、中指を突き立てた。
それから……。
それから、怪物は……。
これまたゆっくりとした動きで……。
地上に蝟集した小さな生き物たちを睥睨した。
この段階ですでに気絶していた者は幸運だった。