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ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説 7章



 ワアアアアアアアアアアアアアアアア!

「大暗黒魔皇帝様ー!」

「先代魔王様のご子息様ー!」

「我らをお守りくださり、ありがとうございます!」

「この調子で、生意気なヴァンパイアどもを駆逐してくださーい!」

「D・A・M! D・A・M!」 (ダイ・アンコク・マコウテイ)

「邪悪の化身、大暗黒魔皇帝様に栄光あれ!」

「メテオストライクを見ました! 悪い! なんて悪いお方かしらっ! すてきすぎます!」

「あなた様なら魔界はおろか、人間界や天界も支配できましょうぞ!」

 街路をゆくヤイバに、市民たちは褒めてるんだかけなしてるんだかよくわからない台詞を浴びせまくった。彼らの異常なほど興奮した様子にレッドほか側近の面々は(よっしゃよっしゃ)とご満悦だったが、ダンガルドの背に乗って先頭をゆくヤイバは、手を振るでもなければ笑うでもなく、むすっとしていた。

 ひそ……ひそ……。

「なあ。ヤイバ様、機嫌悪くないか?」

「うむ、ご気色がよろしくないご様子。あれほど華麗で圧倒的な勝利をおさめ、このような大歓呼で迎えられているというのに……なぜだ?」

「アホかお前ら。大暗黒魔皇帝様にとって、たかだかあの程度の軍団なんぞは、アリンコの群にすぎんのよ」

「なるほど。おれたちがアリの群を踏み潰して、べつのアリたちに礼を言われたところで、とりたてて嬉しくないもんな。あっそ、てなもんで」

「そうやでぇ。大暗黒魔皇帝様にとっては、敵だろうが味方だろうがしょせんは虫けら。下等生物にすぎんのやでぇ」

「なんという巨悪……! やることなすこと、たまりませんわぁ」

 で、例によって例のごとく、みなさんはヤイバにとって嬉しくない解釈をしているときたものだ。

 こうして街を練り歩き、ガンデル城の本丸に帰り着いた時には、もう日が暮れていた。

「夕食のお時間でございます。厨房づとめの者たちに、大暗黒魔皇帝様にふさわしいお食事を用意させましたので、心ゆくまでご(たん)(のう)ください」

 レッドの先導で、ヤイバ、ルシ子、ユキは食堂へ案内された。

「うわ。なんかまた、やりすぎちゃってる感じの食堂ね」

 ユキがそう感想を述べたのも無理はない。無駄にだだっぴろい食堂で、マンモスの丸焼きだって載せられるくらい巨大な黒曜石のテーブルがでんと置かれている。天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がっているし、椅子は当然のように黄金製だし、庶民からどんだけ血税吸い上げたらこんな風にできるんだ? と空恐ろしくなるほどだ。

 ともあれ、ヤイバとユキとルシ子は椅子に腰を下ろした。すると、なにかと手配りの早いレッドの指示のおかげか、すぐに給仕たちが湯気の立つ料理を次々に、それも(どう考えてもこんなに食べられるわけないだろ)って量を運んできた。

「わあ、すっごいごちそうばかりですぅ! ルシ子、こんなにおいしそうな料理は生まれてこのかた一度も食べたことがないですぅ!」

 ルシ子は満面の笑顔とともにナイフとフォークを握ったが、どれから手をつけようかと目移りしてしまっている。

「おいしい……! アニー、このローストビーフ、柔らかくってジューシーだよ! それにこの、シチューのパイ包みもいけるっ!」

 魔界の料理なんてどんな肉が使われているかわかったものではないが、ユキは恐れげもなくぱくぱく食べて舌鼓を打った。

 しかしヤイバは……あいかわらずむすっとした表情を続けていた。ナイフとフォークを動かし、てきとうな料理を口に運んでもぐもぐと()(しやく)するものの、食べ物の味がわからないかのように、ひとことの感想も述べない。

 ひそ……ひそ……。

「いかん……! 大暗黒魔皇帝様のお舌にあわなかったのではないか……?」

「だ、だとすればたいへんなことになるぞ。料理長から給仕に至るまで、一人残らず皆殺しにされる!」

「それですめばいいほうやでぇ。家族にまで(るい)が及ぶやもしれんっ! 一族郎党根絶やしにされて、その肉が焼き加減ウェルダンでこの食卓に載ることになるのとちがうか?」

「でっ、では、どうすれば?」

「ええい、今からでも遅くはない、なにかこう超絶インパクトのある料理でご機嫌をとるべきだ!」

「おおっ、例えばそう、ドラゴンの活き作りなどはどうだっ? ちょうど、殺しても誰からも文句の出ない嫌われ者のダークドラゴンが一匹いる!」

「馬鹿言え、今から調理してもまにあわんだろうが!」

「ああ、ど、どうすれば……。お、おれたちは……今日ここで……死ぬのか?」

「そうだ、妹君のユキ様におすがりしてはどうだ? 大暗黒魔皇帝様には理屈も泣き落としも通じんだろうが、ぐうの音も出ないほどの聖人であらせられるユキ様に命乞いすれば、あるいは兄君を説得して助けてくださるかも――」

 怯えきった給仕たちがささやきあうのを、ヤイバは地獄耳で聞き取り、ますます不機嫌になって、ぴくぴくとこめかみのあたりを震わせた。

「あう……? あのぉ、ヤイバ様。あまり食が進んでいないみたいなんですけどぉ……。こんなにおいしいのにぃ……。もしかして、お疲れなのですか?」

 と、ルシ子が、そんなヤイバを見てに首をかしげた。

「おいしいものばかりなんだけど、なぜか……。なぜか、しょっぱい味に感じられるんだ……。今日は、もう眠りたい」

 ヤイバは目尻に涙の粒をきらりと光らせ、立ち上がった。

「あっ。では、ご寝所へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」

 レッドがあわてた様子で駆け寄ってきて揉み手をする。

「え。あたし、まだ食べたりてないんだけど……。まあでも、いいか」

 ユキは少し不満げな顔になったものの、ヤイバに続いて立ち上がった。

 例によってとんでもなく長い廊下を歩いた末、一同は昇降機に乗り、玉座の間のひとつ下の階で降りた。

「えー、それでは、大暗黒魔皇帝様と奥方ルシール様はこちらに……。また、妹君のユキ様はこちらに……。レッドめが手配りいたしましたが、なにか不都合やご要望などございましたら、室内に用意した金の鈴を振ってくださいませ。ただちに侍従が駆けつけますので、必要なことはその者にお申しつけください」

「んっ? アニーとルシ子は……一緒の部屋で寝るわけ?」

 ユキが驚きをあらわにした。

「それはもう、ご夫婦でございますから、当然……。あっ!」

 レッドはしまったという表情を浮かべ、ヤイバにむきなおった。

()(とぎ)担当の者も多数とり揃えておりますので、奥方様だけではものたりないとお思いでしたら、お申しつけください、はい」

 そしてレッドは(どうも大暗黒魔皇帝様のご機嫌が悪い。(げき)(りん)に触れてしまう前に退散しよう)といった態度で、そそくさと消えた。

「えっと……アニー。その、ルシ子と……ほんとに一緒の部屋で寝ちゃうわけ?」

 ユキはまじまじと、兄とルシ子を見やった。

「べつに不思議じゃないですぅ。だって、ルシ子はもう、ヤイバ様のお嫁さんなんですよ?」

 ルシ子はあっけらかんとしたものだ。そんな彼女を見て、ヤイバは微苦笑を浮かべた。

「じゃあ、そういうことだから。ユキ、お休み……」

「う、うん。おやすみ、アニー……」

 ユキと分かれ、ルシ子と一緒に寝室へ入ると、ヤイバは室内をざっと見渡して「ふーん。悪くないな」と無感動につぶやいた。

 実際には、悪くない、どころではなかった。

 この寝室は窓の面積をかなり広くとる構造になっており、今は巻き上げ式のカーテンが引き開けられて窓が全面的に開放されているため、夜景がすばらしい。町並の光は地上の星空だ。煌々と輝く月も、人間界の月より大きいため、じつに絵になる。調度品類も(ごう)(しや)で、ベッドは天蓋つきで絹張り、壁際には多数の酒が入った棚とホームバー、特殊性癖の人もこれで満足な三角木馬、ガラスの引き戸のむこうにはアダルトビデオでお馴染み『例のプール』じみた大きさの浴槽、さらにその浴槽のそばには大型のピンクのマットレス……。色んな意味でいたれりつくせりだ。

「んっ?」

 と、マットレスのそばで何かが動いた。

 それは黄色っぽいゼリー状の塊で、シャクトリムシのような動きで、ぺったんぺったん音を立てて這いずり出した。続いて、やはりマットレスのそばにいたモップのお化けみたいな緑色の塊が動き出し、触手をうねうねざわざわと(うごめ)かしながら、ゼリーの後を追った。

 謎の不定形クリーチャーたちはガラス戸をからりと引き開けて、ヤイバの前にやってきた。

「大暗黒魔皇帝様、お初お目にかかります。僕はスライムです。ぬーるぬーる」

「大暗黒魔皇帝様、お初お目にかかります。僕は触手です。ざーわざーわ」

「僕たち」

「二人あわせて」

「夜の」

「いやらしいブラザーズです」

 スライムと触手は伸び上がり、二人してハートマークを作った。のみならず、(こう)(ふん)を伸ばして「きゅぴぃ~ん」とセルフ効果音もつけ加えた。

「ぬーるぬーる。長い夜をぬるぬると淫らに楽しみたい時は、どうか遠慮なくお申しつけください」

「ざーわざーわ。みんな大好き触手プレイ! 気持ちいいですよ~。ざーわざーわ」

 ヤイバはこめかみに青筋を浮かべて「出ていけ」と命じた。

「ぬーるぬーる……えっ?」

「ざーわざーわ……えっ?」

「いいから出ていけ!」

「あっ。で、出ていきます。ぬーるぬーる」

「でも、あの、気が変わりましたらぜひ呼んでくださいね。ざーわざーわ」

 ヤイバは犬を追い払うように「シッ!」と手を振った。スライムと触手は大暗黒魔皇帝様の逆鱗に触れないうちにと彼らなりに急いでいるのか、ぺたぺたぺたぺたざわざわざわざわと忙しくドアまでゆくと、ドアノブを回すことなくドアと床の隙間から器用に外へ出て行った。

 しかし彼らはなぜ追いやられたか理解していないようで、ドアの向こうから声が聞こえてくる……。

「ぬーるぬーる。ねえ触手君。大暗黒魔皇帝様、機嫌が悪いみたいだったけど、なんで?」

「ざーわざーわ。ぼ、ぼくにもわかんないよ、スライム君。ぬるぬるプレイやざわざわプレイはみんな大好きなのにぃ……」

「……ハッ! ま、まさかっ!」

「うん? どうしたの?」

「ぬーるぬーる! 大暗黒魔皇帝様は、比類なき邪悪の化身……! 普通の性癖じゃないんだよ、きっと!」

「ええっ? 普通じゃないというと? 縛りプレイとか? ざーわざーわ」

「ぬーるぬーる! そんな生やさしいものじゃないんだ! 死姦……! 大暗黒魔皇帝様は死体相手でないとおセックスしたくならない超絶邪悪性癖の持ち主なのさ!」

「ざっ、ざーわざーわ! うわあああ! もはや変態なんて言葉さえ生ぬるいね! だけどそれ、新婚初夜はどうするわけ?」

「とりあえず死ねや、ってことだよ! ぬーるぬーる!」

「おっ、恐ろしすぎる! さすがは大暗黒魔皇帝様! 恐ろしすぎる……!」

 バン!

 ヤイバがブチきれ寸前でドアを蹴り飛ばすと、クリーチャーどもはぺたぺたざわざわと耳障りな這いずり音を立て、その音はすぐに遠のいて消えた。

「ふー……」

 ヤイバは肩を落とし、窓辺に歩み寄った。

「ヤイバ様、すてきな夜景ですね。ルシ子、こんな綺麗な景色を見たの初めてですぅ」

「…………」

「……ヤイバ様?」

「なあ、ルシ子」

 ヤイバは彼女の方を見ることなく言った。

「はいですぅ」

「まだ聞いてなかったけど、ルシ子は、どうしておれなんかと結婚しようと決心したんだ?」

「えっ……?」

「みんなが……おれのこと、嫌なやつだって言う。悪いやつだって言う。おれにとっては不当な評価だけど、でも、みんながみんな、そう言う……。人間界ではずっとそうだったし、この魔界に来てもそれは変わらない。ルシ子はおれのこと、どんなやつだと思う? 正直なところを聞かせてほしいんだ」

 あいかわらず、ヤイバはルシ子を見ずに話し続けた。

「ルシ子は、魔界の戦乱を終息させて平和をとりもどしたいと思っていた。で、アドン山の預言者とやらに相談に行き、先代魔王の息子であるおれなら魔界平定ができると信じて、その代償としての結婚の取引を持ちかけた……。なあ、それがすべてなのか? ほかのみんなのように、おれのこと……悪くて嫌なやつだと思っていて、でもそれを我慢して、魔界の平和のためにと、おれに身を捧げることにしたのか?」

 そこまで話すと、ようやくヤイバはルシ子のことを見た。

 といっても、彼女の顔をまともに見つめる勇気がないと告白しているのに等しい、上目づかいだった。

 ルシ子はそんなヤイバの視線を、しばし、ぽやんとしたあどけない表情で受け止めていた。

「ヤイバ様。ルシ子の気持ちを知るのは、怖いですか?」

「……怖い」

「じゃあ、みんなが恐れる大暗黒魔皇帝のヤイバ様でさえ、ルシ子が怖いってことですね。そうなると、ルシ子は魔界で一番怖い人ですぅ!」

「はぐらかさないでくれ」

 するとルシ子は、ヤイバのことをいとおしんでいるとも哀れんでいるともとれる、なんとも名状しがたい微苦笑を浮かべて、ふいと(きびす)を返した。

 ベッドのわきにある小さな丸テーブルに歩み寄り、椅子を引いて腰かける。

 むかい側にもうひとつ椅子があるので、ヤイバはその椅子を引いて腰を下ろした。

「ヤイバ様。少し長めの話をしたいんですけど、いいですか?」

「かまわない」

「じゃあ、話すですぅ」

 うなずいたルシ子は、これ以上ないくらい真面目な顔つきだった。

「これはルシ子が子どものころ、おばあちゃんから聞いた話なんですぅ。むかしむかしのその昔……。とっても古い時代、魔界、人間界、天界のみっつの世界は、まだ境界が(あい)(まい)で、かなり大物の天使や魔族でさえ行き来できるくらい大きな次元のゆらぎが、今よりもずっと頻繁に生じていたんだそうですぅ。そのため、天界のエンジェルが人間界に紛れこんでしまったり、魔界のデーモンが人間界にやってきてしまったり、そういうことがよく起こったんだそうですぅ」

「ふうん……。じゃあ、人間界に伝わる天使や悪魔の伝説は、そういう古い時代に起きた、意図せず来訪してしまった天使や悪魔がもとになっているのかな」

「おばあちゃんは、そう言っていたですぅ。で……そういう古い時代には、人間界から魔界へ来てしまった人たちがたくさんいたんだそうですぅ。その人たちは元から魔界にいたドラゴンやデーモンといった(きつ)(すい)の魔族にくらべるとはるかに弱っちい存在で、でも、がんばって、魔界で生き抜いたんですぅ」

「え。それってつまり、人間の(まつ)(えい)にあたる魔族がこの魔界にいるってこと?」

「はいですぅ。というよりむしろ、魔界で暮らしている魔族のうち、人間を祖先とする魔族のほうが、数の上では大多数なんですぅ」

「そうなのか? ひょっとして、サキュバスとかオークとかヴァンパイアとか、ああいう二足歩行型で人間と全体像が似ている連中って――」

「当たりですぅ。魔界へ来てしまった人間たちは、魔界に満ちた魔力にさらされているうちに、次第に魔法の力を身につけたり、身体が変化したりして、色んな魔族に分化していったんですぅ。ウィザード、ウィッチ、ダークエルフ、ドワーフ、ウェアウルフ、ヴァンパイア、オーク、オーガ、ラミア、サキュバス……。人間っぽい姿形の魔族は、ほぼ全部、元は人間だった……そうなんですぅ」

「ふうん。じゃあ、ウィッチのルシ子も、ご先祖様は人間だったんだな」

「そうなんですぅ。それで、ここからが肝心ですよ、ヤイバ様」

 ルシ子は身を乗り出した。

「おばあちゃんの昔話によるとですね、今でこそ魔界の住人の大半は『悪くて強いやつほど偉い』って価値観に染まっていて、みんな自分勝手で喧嘩っぱやくて乱暴ですけど、最初はそうじゃなかったんですぅ。なぜかというと、元々は人間だったし、人間は良い心と悪い心、両方を持つ生き物だから」

「……そうだな。人間はそういう生き物だよ。いいやつもいれば、悪いやつもいる。いいや、いいやつでもちょっぴり悪いことをしたり、悪いやつでもちょっぴりいいことをしたり、複雑なんだ。完全にいいやつはいない。でも逆に悪いだけのやつもいない……。おれのことを誤解し、黒羽刃は悪いやつだと不当な評価をしていた連中だって、決して極悪人だったわけじゃない……」

「ですから、昔は、大半の魔族は力を合わせて平和に暮らしていたそうなんですぅ。だけど、魔界に満ちている魔力の影響を受けて様々な力を身につけるに従い、その力を振りかざして争うようになり、いつしか悪い心が良い心に勝るようになっていって、『悪くて強いやつほど偉い』って価値観が、こんなにも広がってしまったのですぅ……」

「…………」

「でも、ルシ子のおばあちゃんは言ってました。それはまちがっている、って。争わず平和に暮らすほうが、みんな今よりも幸せになれるはずだ、って……。ルシ子もそう思うんですぅ。ルシ子たちウィッチは弱っちい魔族で、力ある者のわがままがまかり通る今の魔界では肩身が狭いんですけど、でも、自分たちが損をしているから今の価値観はまちがっていると思うわけじゃなくて……。ルシ子の心にある『なにか』が、争いのない平和な世界を求めるんですぅ」

「その……さ。顔も知らないけど、おれの父さん――先代の魔王が魔界を平定していた時代はどうだったの? 父さんは魔界に平和をもたらしたんだろ?」

「そのことですぅ。ヤイバ様のお父上が魔界統一を成し遂げていた時代、ルシ子はまだ生まれていませんでした。でも、お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、口を揃えて言うんですぅ。いつもどこかで大きな争乱が起きていた魔界が、魔王様が平定してからは、驚くほど平和になった、って……。そして当時は、『悪くて強いやつほど偉い』って価値観がじょじょに薄れ、多くの魔族が『みんなで仲良く』って価値観を受け入れつつあった、って……」

「父さんは偉大だったんだな。でも、謎だ。なんでいきなり姿を消してしまったんだろう」

「価値観がちがうから、魔王様のこと、気に入らないと思う者も大勢いたんじゃないかなって思いますぅ。だから、あるいはそういう人たちの手で――」

「…………」

「ルシ子は、ヤイバ様のお父上にお会いしたことはないですぅ。だけど、ルシ子はヤイバ様のお父上のこと、とっても尊敬しているんですぅ。おばあちゃんと同じくらい大好きなんですぅ。おばあちゃんと同じように、あたたかくて優しい人だったんじゃないかなって想像しているんですぅ」

 そこまで話すと、ルシ子はきらきらと光る大きな瞳でヤイバを見つめた。

「ルシ子は、会ったばかりで、ヤイバ様のこと、まだまだ知らないことだらけですぅ。でもルシ子は、乱暴で怖い人は、女の勘でなんとなくわかっちゃうんですぅ。ヤイバ様と初めて会った時、顔を見てこう思ったんですぅ。この人は、怖い人じゃない、って。悪い人じゃない、って」

「ルシ子――」

「ヤイバ様は、ダンガルドを一発でのしちゃったり、メテオストライクを使えたり、すんごいお力をお持ちですぅ。でも……でも、ルシ子は、少なくとも今のところ、ヤイバ様は悪い人じゃないって感じているんですぅ。理屈じゃなくて、とにかくそう感じるんですぅ。ルシ子は……ヤイバ様のお嫁さんになって一生つくすと契約しましたけど、もしヤイバ様が悪いことをしてしまったら、すごく悲しいし、その時はヤイバ様に『それはまちがってます』って注意したいなって思うんですぅ」

 ヤイバは胸にこみあげてくるものをこらえるために、唇を噛んだ。

「おれのこと……ルシ子は、悪いやつだとは思っていないんだな?」

「はいですぅ!」

 即答したルシ子の無邪気な笑顔を、ヤイバはまばゆい太陽を眺めるように、目を細めて見つめた。

「ルシ子。おれ……魔王の息子で、馬鹿げたパワーや強力な魔法があるみたいだけど。みんなに大暗黒魔皇帝様って持ち上げられているけど。こんな馬鹿でかいお城の王様扱いだけど。でも、おれがほんとうに、心から欲しいのは、そういうものじゃないんだ。おれのことを理解してくれて、そばにいてくれて、孤独を()やしてくれる誰かなんだ。寂しいって思いを遠ざけてくれる人なんだ。つまり……ルシ子のような……」

「ルシ子は、ずっとヤイバ様のおそばにいるですぅ。だから、ヤイバ様は寂しいってこと、これからはないはずですぅ」

「……ありがとう……。おれ……ルシ子を悲しませやしないよ。この魔界を統一して、平和にして、『みんなで仲良く』って価値観を広めて……。ルシ子が誇れる、いい王様になってみせるよ。きっとだ……」

 涙ぐみながら、ヤイバは語った。そうして口を閉ざすと、そっと目もとを拭ってルシ子に笑いかけた。

「よかったぁ。ヤイバ様が笑ってくれて、ルシ子、安心したですぅ」

「ごめん、心配かけちゃったな」

「どうってことないですぅ」

「色々あって、疲れたよ。今日はもう寝るとしよう」

「じゃあ、カーテンを閉めるですぅ」

 ルシ子は窓辺にいって、「これかなぁ」とつぶやきながらボタンを押した。すると引き上げられていたカーテンは、(どん)(ちよう)が下りるようにするすると落ちて窓を覆った。

 それからルシ子は小さなワンドをとりだし、「変身っ! 寝間着にっ!」と唱えた。

 するとあら不思議、ルシ子はきらきらした光の粒に包まれ、ハロウィンの魔女みたいなかっこうから、一瞬にして、薄いピンク色のパジャマ姿にお着替え完了!

「その魔法、便利だね」

「ルシ子はウィッチとしてはだめな方で、魔法は苦手なんですけどぉ、それでも、このくらいならお手のものなんですぅ。ヤイバ様も、えいっ!」

 ルシ子がヤイバにむかってワンドを振ると、ヤイバは学ラン姿から、やはり一瞬で、薄いブルーのパジャマ姿になった。

 しかし、

「……なんだこのセンスは……」

 ルシ子のパジャマの胸元には銀の、ヤイバのパジャマの胸元には金の、大きなドクロがプリントされている。

「ペアルックですぅ。気に入っていただけましたか?」

「んっ? うん、ルシ子とおそろいなら、文句なんかあるはずないよ」

 心を重くしていた嫌な気分は今はもう過去のものとなったし、寝間着にも着替えた。というわけで、ヤイバはごろんとベッドに寝転がった。

(あ)

 その時、今さらのようにヤイバは気づいた。この寝室にベッドはひとつしかない……! と、どきどきするよりも先に、ルシ子は無造作にヤイバのそばに「ごろーん」と台詞つきで寝転がった。

 ヤイバは彼女のことを意識して顔が紅潮してしまった。心臓がすごい勢いでばくばくしている。

「えーと……ルシ子はおれのお嫁さん?」

「そうですぅ」

「じゃあこれ、初夜?」

「あう? なんですか、それ」

 ヤイバの顔を見たルシ子は目をぱちくりさせている。これが演技とは、とうてい思えない。

「ルシ子は……その……子どもってどうやってできるか、し、知ってる?」

 我ながら超恥ずかしいと思い、声を上ずらせながらも、ヤイバはたずねてみた。

 するとルシ子は「むー……」と難しい顔をして、「たぶん、卵から産まれるんですぅ。ルシ子は、ひよこが卵から出てくるの、見たことありますぅ」と大真面目に答えた。

(こんなナイスバディで性的知識ゼロとか、そんなんあるかっ!)

 とヤイバは叫びたかったが、相手は、母親や妹以外では、唯一、自分を悪いやつじゃないと認識してくれる女の子だ。広い世界に唯一無二かもしれない貴重な存在だ。へたなことをして関係を損ねたくはない。

「卵か……」

「ヤイバ様、おなかへっちゃったんですか? あんまり食べてなかったみたいだし……。いまから食堂へもどって、オムレツでも食べます?」

「いや、いい。明かりを消すよ。ええと、スイッチは……これかな」

 ヤイバが枕元のボタンを押すと、室内を照らしていた豪勢なシャンデリアが、ふっと光を失って闇が流れた。

 それからものの数秒で、ルシ子はすーすかすーすか寝息を立て始めた。ヤイバはこんな状態で眠れるか自信がなかったものの、不思議と安堵感が心の奥へじんわり広がり始め、眠りに落ちていった。

(おれは、もう孤独じゃないんだ)

 眠りに落ちる寸前、その思いと、いい夢を見られそうな予感がよぎった。





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