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ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説 6章



 魔界の太陽は人間界の太陽がそうであるように西へと沈み、いつしか夜となった。

 代わって白い月が空に昇る。今宵の月は細い三日月だった。ただ、魔界の月は人間界のそれよりはるかに大きく、地上に落とす光もずっと強い。

「これはいったい何事なの?」

 ここはガンデリオン北西のバダリム砦。留守を預かっていたウィンディ・ラデリンは、ほうほうの体で帰ってくる敗残兵たちの無残な姿に目をみはった。

 いったい、何があったのだろうか?

 兵たちの顔は屈辱と恐怖で歪み、大半の者は武器はおろか鎧さえ身に帯びていなかった。その理由をウィンディが問いただすと、うつろな瞳で「身軽になって、少しでも早く逃げたくて……」と涙ながらにこぼすばかり。

 ヴァンパイアといえば、魔界はもちろん人間界においても古くからあまねくその名を知られているメジャーな魔族。その光輝ある歴史はヴァンパイアにとって心のよりどころとなる誇りだが、今やその誇りを完膚なきまでに打ち砕かれて、正視しがたいほど哀れな姿をさらしている――。

 ウィンディはあまりのことに心の置き所を見いだせず、わなわなと震えるばかりだった。

 ウィンディ・ラデリンはハイダス・ラデリンの(まな)娘で、ハイダス麾下のヴァンパイア軍団においてナンバーツーの地位にある。

 プラチナブロンドの髪に青い瞳、すっきりとした面立ちの美少女で、理知的な外見は見かけ倒しのものではない。なにしろガンデリオン公立幼稚園卒後、ガンデリオン公立小学校に現役合格、その後は留年することなく六年間でストレートの卒業を果たした(たぐ)い稀なる才女なのだ。わけても高等数学を得意とし、円周率を小数点以下第二位まで丸暗記しているのは、父のハイダスにとって(うたげ)の度に持ち出す自慢の種だった。

 そのような頭脳派美少女が、うろたえ、落ち着きを失うほどの異常事態……!

「父上!」

 やがて、砦の門をくぐった兵の中に、足を引きずるようにして歩く父の姿が見つかると、ウィンディはだっと駆け寄った。

「ああ、父上! ご無事でしたか。わたくし、どれほど心配したことか!」

「あ……。ウィンディ、か……」

 父の目はうつろで、娘を前にしながら、娘の形をした彫像を見ているかのようだった。

 魔王がふいと姿を消し、魔界に争乱が始まってからというもの、ハイダスは魔界の中心たるガンデリオンを手中に収めて新たな支配者たらんと、何度も配下の軍団を動かしてきた。過去何度もガンデル城を落とせず撤退やむなしの戦いを繰り返してきたものの、常に(次こそは……!)の闘志を燃やし、胸を張ってこのバダリム砦に帰ってきたのだ。ハイダスを長と仰ぐ麾下のヴァンパイアたちも同様で、戦いに敗れても、「なんの、今に見ていろ」、「我らは不死身、敗れても再び立ち上がり、最後には必ず勝つ!」と広言してはばからなかった。

(そ、それが、なぜこのように……。かつてないほどの手痛い敗北を喫した、とのみは想像がつくけれど……)

 ウィンディはとにもかくにも、召使いたちに指示を出し、トマトジュースを張った風呂を用意させた。そして自身は、足をひきずる父に肩を貸して砦に連れこみ、かいがいしく戦装束を解く手伝いをした。

 ハイダスはその途中で、「すまん。後は一人でやれる」とまるで父娘の立場が逆転したような言葉を口にし、風呂へと向かった。

「うむ……。心配をかけてしまったようだな……」

 やがてバスローブ姿で食堂にあらわれ、黒檀製の長テーブルについたハイダスは、ひと風呂浴びたことで人心地がついたのか、娘を見つめてぎこちなく微笑らしきものを浮かべた。

 だが、あいかわらず面色は冴えない。ヴァンパイアの肌が青白いのはいつものことだが、生気や覇気といったものがまったく感じられないのだ。

(なんてこと。わたくしの知る、堂々として頼もしい父の姿とはかけ離れている)

 まるでドッペルゲンガー――相手そっくりの姿に変身できる魔族――が化けたもののようだ。ひょっとしたら偽者ではないのか? とさえウィンディは疑った。

「旦那様、お嬢様、失礼いたします」

 召使いが黄金のお盆に(株)偽赤十字社製の『おいしい血液 成分無調整』(二百ミリリットル入り・紙パック)を載せてあらわれると、ウィンディは手ずから紙パックにストローをさして、「父上、どうぞ」と差し出した。

 ちゅう~。ちゅうぅ~。

 ハイダスは伯爵らしからぬあさましさで貪るようにストローを吸い、紙パックをぺこぺこにへこませて最後の一滴まで飲み干すと、「ああ……」と嘆息して目を閉じた。

 そのまま、黙して何も語ろうとしない。賢い娘さんを自認するウィンディは召使いに(席を外しなさい)と目配せし、自身は父の向かい側の席に腰を下ろして、父が口を開くのを辛抱強く待った。

「わしは……敗者となった……」

 やがてハイダスの口からこぼれた言葉に、ウィンディは驚いた。

「な、なにをおっしゃいます! 父上らしからぬ! なにがあったというのです!」

 するとハイダスは、娘の顔をまともに見る勇気さえ失ったかのように深くうつむいた。

「恐るべき化け物が、この魔界に降臨したのだ」

「化け物?」

「さよう。ガンデル城へ攻め寄せた我が軍の頭上に隕石が落下し、ただの一撃で、乱戦状態にあった我が兵も、我らが戦っていた敵兵も、あっさりたたき潰してしまった。あれこそはメテオストライク……絶対的強者のみが行使しうる究極の破壊魔法……。わしが得意とする破壊魔法サンダーブレードなど、あれに比べれば()()に等しい」

「えっ! メテオストライクといえば、魔王様が使われたという、あの……。では、まさか! 長らく魔界から姿を消しておられたあのお方がご帰還なされたのですか?」

 ハイダスはゆっくりとかぶりを振った。

「いいや。あの魔法が発動した一瞬のうちにわしは察した。あの気配……わしが知る魔王様のそれを数倍、いいや、数十倍にしたかのごとき凄まじい圧力……。魔王様とは似て非なるもの……」

「ならば、いったい何者ですか」

「じつはな、この話、ウィンディには初耳であろうが……魔王様には隠し子がある、との噂があった。魔族の女との間にもうけた子ではなく、なんと、人間の女との間にもうけた子、との噂であった」

「ニンゲン? 人間界の人間、ですか? あの貧弱な、わたくしたちにとって新鮮な血が入った紙パックにすぎない人間?」

「うむ、その人間よ……。そしてまた、このような噂があった。その隠し子は、ライオンのオスとタイガーのメスの交雑種であるライガーがとほうもなく巨大な獣として成長するのにも似て、父である魔王様を凌駕するとてつもない力を生まれながらに備えていた、と……。そのあまりにも桁外れの力を恐れた何者かが――魔王様ご本人との噂もある――その子どもに封印を施して力を閉じこめ、人間界へ追いやった、と……。半信半疑であったが、今はそれらの噂を信じざるをえん。その子どもはおそらく人間界で成長し、そして、この魔界へ帰還を果たしたのだ」

「なんてこと――」

「ウィンディも知っての通り、わしはかつて魔王様に忠誠を誓っていた。世に恐れるものなどなにひとつないわしであったが、あのお方だけはべつ……。逆らえば死よりも恐ろしい運命が待っているとわかっておったし、あのお方に忠誠を誓い味方として澄まし顔をしておれば我が一族の未来も安泰だった……。だが、わしとて男よ、一度くらいは頂点に立って誰よりも高いところからの風景を眺めてみたいと思い続けてきた。それゆえ、魔王様がどこかへお隠れになられた途端、欲が出た。魔王様がいないとなれば、わしとて天下をとれるやもしれぬ、とな」

「…………」

「だが今や、その夢は(つい)えた。見ろ、わしの足を」

 ウィンディはその時になって、父の右足が貧乏揺すりのようにかくかくと激しく震えていることを知った。

「ヴァンパイアの肉体は強靱、その再生能力は灰からでも蘇るほどに無双。怪我をしてもへっちゃら平気……! まだお前が生まれる前、スカイダイビングをした折、悪友のリッチモンドがいたずら気分でわしのパラシュートに細工をし、開かなくなるようにした。おかげでわしは五千メートルの高さから垂直落下して地面にディープキスすることとなったが、すぐ治ったし、これこの通り後遺症もない。そのわしが……あの怪物のメテオストライクを目の当たりにし、その威力をこの身体で受け止めた今、恐怖のあまり足の震えがどうしても止まらぬ……」

「父上……」

 ウィンディは涙目になって、くすんと鼻を鳴らした。このような父を見ているのは、辛くてならなかった。

「うう……。それにしても、なんという間の悪さだ……。わしが今度こそはあのダークドラゴンをたたきのめしてガンデル城を我が物にせんと攻め寄せたら、すでに城は魔王様のご子息のものになっていたとは……。わ、わしは……。たいへんな過ちを犯してしまった……。メテオストライクを食らわせてきたくらいだ、新・魔王様は、愚かにも弓を引いたわしやわしの(けん)(ぞく)を許すまい。知りませんでした、などといういいわけが通じるとはとうてい思えぬ……」

「で、では、どうするのです? はっ! ま、まさか! 新・魔王様は我らを攻め滅ぼすべく追ってきているのでは?」

「いいや、今のところその気配はない。が、いずれ近いうちに攻めてこよう。ああ、この上は、もはや……。みなを引き連れ、住み慣れたガンデリオンを離れてどこか遠くへ落ちのび、人目を忍んでほそぼそと隠れ暮らすよりほかあるまい……。そうだ、ドドール山脈の奥の奥、我が従兄弟のベリアラス卿に保護を求めてあの地に移り住めば……」

「そんな! 父上っ! わたくしは嫌です!」

 ウィンディは金きり声をあげた。

「どっ、ドドール山脈ぅ? あんなド田舎にひっこんで暮らすなんて正気ですか? (しよ)(かつ)(こう)(めい)孟獲(もうかく)七縱七禽(しちしようしちきん)したような蛮地ではありませんか! わたくしは魔界の東京都山の手線圏内と呼ばれる大都会ガンデリオンで生まれ育ったナウでヤングなシティガールですよ? それが、未だに『ティッシュペーパー』を『ちり紙』、『カメラ』を『写真機』と呼ぶような、あんな死語だらけの文化果つる不毛の地へ引っ越すだなんて! あんな……あんな……キツネやタヌキやイノシシが我が物顔でうろつき、スマホをいじっていると『コイツ、アヤシイ。タブン、ジュジュツシ』などと原住民から警戒されるような蛮地で、腰ミノを巻いてムシロの上で(いし)(うす)()きながら暮らすなんて……! 嫌です! 絶対にイヤァー!」

「すまぬウィンディ。ふがいない父を許してくれ……。ただ、そのう、『ナウでヤングなシティガール』も、もうとっくに死語だぞ……」

 ハイダスは屈辱に打ち震えながら、牙で下唇を強く噛んだ。

 ウィンディは父の唇から流れ出す血をじっと見つめた。

 聡明を自認する美少女は、むらむらと闘争心が鎌首をもたげ、それに伴って理性が後退してゆくのを感じた。それまでは青く澄んでいた瞳が、次第に鮮紅色へと変貌してゆく。吸血鬼。ヴァンパイア。不死者たちに君臨する存在。誇り高き一族の栄光の歴史が、負けを認めてなるか、みっともなく逃げて何が残るか、と心の炎に風を送る。

「……父上は敗北を認めても、わたくしは認めません」

「な、なにを言い出すのだ、ウィンディ!」

 ハイダスは驚愕して目を剥いた。これまで、小さなわがままこそたくさん口にしてきたものの、正面切って父に逆らったことなどなかった娘なのだ。

「ウィンディは誇り高きヴァンパイアの姫です! たとえ父上がそのように臆そうとも、我が心はまだ折れてはおりません。戦います。戦って、新たなる魔王がどれほどのものか、この目で確かめます!」

「馬鹿な! わしにさえ力劣るお前に、いったい何ができるというのだ!」

「いつまでも子ども扱いしないでください。わたくしは剣も魔術も学び、もう立派に戦える一人前の戦士です。いいえ、今やこと魔法にかけては、父上をしのぐ力を身につけたと自負しております!」

「それがなんだ! あの化け物の究極魔法の前では、お前をしのぐ術者とてひとたまりもないのだぞ!」

 たまりかねて、ハイダスは椅子を蹴って立ち上がった。

「さあ、それはどうでしょうか」

 ウィンディはすうっと目を細めた。

「父上の覇業をお助けしようと、わたくしが習得した魔法、その名もエナジードレイン……! 広域を破壊する魔法ではありませんが、強大な単体の敵に対しては非常に有効です。勝機はある。ならば、ウィンディはそれに賭けます。戦わずして負けは認めません!」

 ハイダスは娘の気迫に物理的に押されたように、どさっと音を立てて腰を下ろした。

 そうして、彼はふいに目もとをなごませた。

「ウィンディ……。わしの娘……。いつのまに、こんなに立派になって……」

「父上の子ですもの」

「そこまで言うなら止めぬ。いや、止めてもきかんであろう。一族の名誉、栄光、未来……ウィンディよ、お前にすべてを託すぞ。その証として、我、ハイダス・ラデリン伯爵は、娘、ウィンディ・ラデリンに爵位を譲る」

「父上――」

「さあ、新たなラデリン伯爵よ。わしはもう一線を退き、今後はお前の忠実な相談役となろう。いかようにも、遠慮なく命令を発するがよい。さあ」

 ウィンディは勇気を得てうなずいた。

「父上、ただちに軍を再編してください。ウィンディ・ラデリンの名のもとに、新たなる魔王を打倒しガンデル城を攻略すべく発ちます! 勝利を我が物に!」

 勝利を我が物に!

 勝利を我が物に……。

 壁に反響して余韻を残す自らの声を、ウィンディは(たえ)なる楽の音のように楽しんだ。





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