ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説 3章
三
いきなり、空間を高速で移動する感覚が消失した。
「うわっ!」
と思うや、ヤイバは冷たい石の床の上に背中から落下して、したたかにたたきつけられていた。
どさどさと、ルシ子が、ユキが、ヤイバの上に落っこちる。
「おい、だいじょうぶか? 怪我は? ユキ! ルシ子! 返事をしろ!」
ヤイバはすばやく立ち上がると、自分よりも二人を心配して抱え起こした。
「あ……。うん、あたしはだいじょうぶみたい。アニーは?」
「おれはなんともない。ルシ子は?」
「わあ、ルシ子の心配をしてくれるなんて、ヤイバ様は優しいですぅ!」
にこにこと笑うルシ子を、ヤイバはまじまじと見つめた。
「……もう一回、言ってくれ」
「え?」
「……もう一回。今、言ったことを」
「えっとぉ……。わあ、ルシ子の心配をしてくれるなんて、ヤイバ様は優しいですぅ!」
ヤイバは太い息を吐いた。
「感無量だ。こんなかわいい女の子が、おれのことを『優しい』と認めてくれるだなんて……。報われた……。そのひとことで、おれの人生は報われた……」
涙ぐむヤイバを見て、ルシ子は「あう。おおげさすぎやしませんか……?」と、ちょっと引き気味の様子を見せた。
「これまでの人生が色々とアレだったものだから」
目もとを拭おうとするヤイバを見て、ルシ子は「どうぞ」とハンカチを差し出してくれた。女の子らしい、ピンクで縁取りされた白のハンカチ……なのだが、これが魔界のセンスなのか、片隅に黒いドクロが刺繍されている……。
とはいえ、ハンカチをささっと差し出してくれるなんて、よくできたお嫁さんだ。ヤイバは拝むようにお辞儀をして受けとり、そっと目もとに当てた。
「ふぅー。それじゃあ、と」
ルシ子はどこからともなく小さなワンドを取り出すと、「ていっ!」とかけ声つきで軽く振った。
すると、さながら魔法少女もののアニメの変身シーンのごとく、ルシ子の足もとに無数の光の粒が生じ、くるくると渦を巻きながら上昇していった。
光が消え去ると、ルシ子はセーラー服姿から、ハロウィンの仮装の魔女みたいな、いかにもウィッチらしい服装へと着替えを完了していた。
「ルシ子、そのかっこう……」
「これがルシ子の普段着なのですぅ」
つば広のとんがり帽子。胸元V字カットのワンピース、黒のストッキング、赤いハイヒールと、かーなーりセクシーだ。
「いいなあ、そのかっこう」
「あう。あんまり見つめられると、恥ずかしいんですぅ……。あっと、そうそう。ルシ子はお嫁さんとして、初仕事をするんですぅ」
ルシ子は肩かけのかばん――ハロウィンのカボチャのデザインだ――を開けて消毒薬とバンドエイドをとりだすと、ヤイバの左手をとり、ペン先で突いた傷跡を丁寧に消毒した上でバンドエイドを貼ってくれた。
「ううっ……ありがとう……。おれ……おれ……。母さんやユキ以外の女性にこんなに優しくしてもらえたのは、初めてだ……」
「あう……。ヤイバ様、こんなことでいちいち涙ぐまないでくださいまし……。契約した以上、ルシ子はこの先ずっと、ヤイバ様にお嫁さんとしてつくすんですぅ」
「ありがとう……ありがとう……」
「ねえちょっと、アニー。感激しているところ悪いんだけど、ここってどこだと思う? ほんとうに魔界に来ちゃったってこと?」
ユキがいらだった声をあげた。
「うん? まあ……そうなんじゃないかな……」
ヤイバは改めて周囲を見渡した。
壁面を眺めると、方形の大ぶりな石を組み上げて造られており、巨大な建造物の内部と察せられる。ぶっとい石柱がそこかしこに立っているものの、調度品類は見当たらず、闇雲に広くて、がらんとしている。
「あ。あの炎……」
ユキは壁に設置されている大ぶりな燭台を見つめた。赤い炎が灯っていて、風もないのに大きく揺れ動いている。さらに目を凝らすと、その炎は時折、踊るような奇妙な動きを見せたり、膨れ上がったりしぼんだりと、明らかに不自然な動きをしている。
「あれはウィルオーウィスプっていうんですぅ。人間界だと鬼火とか、人魂とか、そんな風に呼ばれている魔族なんですぅ」
ルシ子が説明してくれた。
「ところでルシ子、ここってどこ? 預言者とやらが住んでいるアドン山?」
ヤイバがたずねると、ルシ子は首を横に振った。
「ルシ子にとっても初めての場所ですけどぉ、預言者様は、召喚の門をガンデル城に設けるって言ってました。だから、ガンデル城のどこかなんじゃないかなあって思うんですぅ。んーと、ルシ子が昔読んだ、『ガンデル城 写真集』でこの風景を見た覚えが……。あ、そうそう! たしか、ガンデル城の多目的ホールですぅ! 魔界の偉い人たちがいーっぱい集まって、舞踏会や音楽会をする時にここを使うんですぅ!」
「そもそもガンデル城って……なに?」
「あ。そこから説明が必要なんですね。魔界の中心に位置する大国にして大都会のガンデリオンに、ヤイバ様のお父上が築いた巨城、それがガンデル城なんですぅ」
「魔界! やっぱりここは魔界なのか。どういうわけか、懐かしい感覚がある。遠い昔から、ずっとこの場所を知っていたような……」
「えっとぉ、ちなみにぃ、ガンデル城は、大きな大きな街を城壁でぐるっと囲んだ城塞都市でもあるんですぅ。ルシ子が生まれ育ったおうちも、街の一角にあるんですぅ」
「ふうん。ルシ子の生家が……。ルシ子って、お父さんやお母さんは?」
「ルシ子には、お父さんとお母さんとおじいちゃんとおばあちゃんがいるんですぅ。貧しいけれど楽しい家族なんですぅ。いずれ機会を見つけて、ヤイバ様に紹介しますね!」
「あ。そうだな、おれ、結婚……したんだよな。ご家族にきちんと挨拶しなくちゃならないよな」
ヤイバが照れながら頬を人さし指でかいた時、ズン、と地響きが走った。
なんだ? とヤイバが身構えるうちにも、ズン……ズン……と地響き、いや、なにか巨大なものの足音が近づいてくる……!
「アニー! まずいんじゃないの? 隠れた方がよくない?」
ユキがおろおろと周囲を見渡した。このホールにそそり立っている石柱は、どれもこれも樹齢一千年の大樫みたいにとんでもなく太い。また、隅の方は暗がりになっている。隠れようと思えば隠れられないこともない。
しかし、一同が隠れる暇もなく、ズン! と足音を響かせて『そいつ』はあらわれた。
「おい! さっきの大きな揺れはなんだ!」
馬鹿でかい声が響き渡り、あたりの空気をびりびりと震わせた。
「わー! なんだこいつはー!」
ヤイバは思わず叫んでしまった。
それは……どう見てもドラゴンです、ほんとうにありがとうございました。漆黒のきらめく鱗、長い首と尾、コウモリのような皮膜の翼、血のような赤眼と恐ろしげな牙。堂々たる体躯の怪物! ヤイバとユキが以前、幕張メッセの恐竜博で見たディプロドクスの化石よりもでかい。少なく見積もっても、全長十五メートル以上ある!
しかもドラゴンの背後には、もっと小さいがいかにもやばそうな姿形の魔界の住人たちがぞろぞろと、百はくだらないであろう数で付き従っていた。たぶんそう、オーガとかオークとかゴブリンとかスライムとかサキュバスとか、魔界を題材にしたファンタジー映画やRPGではレギュラー出演を果たしている、おなじみのみなさん……!
「あっ、ダンガルド! ヤイバ様、あいつはダンガルドっていうダークドラゴンなんですぅ。ヤイバ様のお父上が行方をくらましてからというもの、ガンデル城を占拠して、我が物顔でブイブイいわしまくってる嫌なやつなんですぅ」
ルシ子の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ガアアアアアアアアアアア! とドラゴンはものすさまじい咆吼を放った。またその咆吼を放った際、ドラゴンの口からは炎の息がボッと噴き出た。
「なんだとコラー! このオレ様を嫌なやつ呼ばわりする命知らずはどこのどいつだ!」
ルシ子は「ぴゃあっ!」と悲鳴をあげて縮み上がったものの、「い、い、命知らずとは、そっちのことですぅ!」と震え声ながらもやり返した。
「なにぃ……? おう、なんだ、ちっぽけなやつめ。名乗れ」
ダンガルドはルシ子を睨めつけた。
「ウィッチのルシ子ですぅ!」
グワッハハハハハハハハハ!
「おいお前ら、聞いたか! ウィッチだと? ウィッチときた! そんな弱っちい魔族が、この! 強大無比なる! ダークドラゴンの! ダンガルド様に! 恐れも知らず、なんとなんと、喧嘩を売ってきおったわ! あーおかしい、おなかがよじれる笑い死ぬっ!」
なあ、とドラゴンが振り返って同意を求めると、くっついてきた有象無象がワッハッハッハ! と大笑いし、あっかんべーやおしりぺんぺんや鼻くそほじほじ、果てはガニ股で腰を落とし顎を突き上げ中指を立ててファックユーなど、無礼かつ下品きわまりない態度で煽ってきた。
「う……うるさーい!」
ルシ子は声を張りあげた。といっても、ドラゴンのでかい声にくらべたら、かわいらしいとしかいいようのない声量だったけれど。
「えっと、あのっ、みなの者、控えおろうー! こっ、ここにいるお方を、どなたと心得るっ! 先の魔王様のご子息、クロバネヤイバ様であらせられるっ! 頭が高いっ! 控えおろうっつつつつつつ!」
ヤイバの手をとり、魔族のみなさまにご紹介。ヤイバは冷や汗が噴き出してきたが、「黒羽……刃です」とかろうじて名乗った。
「えっと、えっと、ルシ子は預言者様のお導きで、人間界に住んでいたヤイバ様を魔界へお連れしたんですぅ! ヤイバ様は、この魔界を平定する力を持ったお方なんですぅ! ダンガルド、謝るなら今のうちですぅ! ヤイバ様を怒らせたら、たっ、たいへんなことになっちゃうんですー!」
ルシ子は一生懸命ドラゴン相手に脅し文句を並べたが、そのルシ子もヤイバの力を十全に信じきってはいないようで、おびえの入り交じったつっかえつっかえの台詞だった。
「ハァ~? 魔王様にご子息がいらっしゃたぁ~? そんな話、聞いたことねぇしー。ましてや、なんで魔界じゃなく人間界にいたんだぁ? 嘘くせぇ~、超嘘くせぇ~」
ダンガルドはいかにも馬鹿にした態度でせせら笑うと、長い首を曲げて子分どもを振り返り、「おいっ、オーク! 鼻だ!」と顎をしゃくって命じた。
「ははっ」
すると直立歩行の子豚っぽいちんちくりんの生き物が進み出て、先っちょに丸めた布をつけた棒を伸ばし、そっとドラゴンの鼻にさしこんで鼻くそをほじった。
まずは右。
そして左も。
「おお、よい鼻くそがとれました。清潔さは健やかさに通じると、ものの本にもあります。まことに重畳ですな」
真面目くさった態度で言ったこのオーク、頭のてっぺんに赤い毛がひとふさ生えている。未開の蛮族のように腰ミノを巻いているだけの半裸だが、言葉づかいは変に仰々しい。
「ご苦労……。なあ、オレ様みたいなできるドラゴンは、いつだって鼻の穴を綺麗にしておかなくちゃならないんだ。だろ?」
ダンガルドがうそぶくと、オークはじめ、子分どもはいっせいにうなずいた。
「その通りです」
「ダンガルド様かっこいいです」
「ドラゴンってすてきやん。魔界はもちろん、人間界でも超メジャーですやん」
「すてきすぎますわ……! 抱いて欲しい……!」
さながら打てば響く太鼓のように、お追従がぽんぽん飛び交う。
「そんでよぉ~。オレ様みたいなできるドラゴンとしては、だ。魔王様の息子だかなんだか知らねえが、魔界の中心であるこのガンデル城に二人の支配者はいらねえと思うんだよなぁ~」
「ですよね」
「ですです」
「おっしゃる通りその通り!」
うむ、うむ、とドラゴンはうなずき、おもむろにヤイバを睨んだ。
「つーわけで、死ねや虫けらがァ――――――――!」
でかい声で吠えるや否や、地響きも高らかに、ヤイバめがけて突進してきた。でかい図体の癖に、驚くほどすばやい!
「うわー! 待て! ちょっと待てー!」
ヤイバは悲鳴じみた叫び声をあげながら、横っ跳びに逃げた。
「えっ?」
ヤイバはべつだん運動神経がいいわけではないし、体力的に特筆すべき点もない。ごくごく平均的な高校性の身体能力しかない……はずだった。
なのにこれは、どうしたことか。跳躍したヤイバは、いともたやすく十メートル以上の高さに舞っていた。
ドン、と重低音が響いた。突進をかわされたダンガルドは勢いを殺しきれず頭から壁に突っこみ、大穴を開けていた。
「ぬうッ! こざかしいわ、ちょろちょろしおって!」
しかしドラゴンはとんでもなく頑丈な生き物のようで、おでこにタンコブさえできていない。瞬時に体を切り返してヤイバを睨み、再び突進を敢行した。
「わー、待てって! おれは暴力は嫌いなんだって! なあ、話そう! 話せばわかるって!」
気おされて逃げ回るヤイバ。それをしつこく追うダンガルド。なぜか超人的脚力になっているおかげでヤイバはダンガルドの体当たりを、牙を、爪を、からくもかわし続けたが、はた目には風前の灯火と見えた。
「殺せぇー!」
「やっちゃってください、ダンガルド様ぁ!」
「なにが魔王様のご子息じゃボケェ! 寝言は寝てから言えやダボがァ!」
「バーカ! カーバ! ブタのケツー!」
ダンガルドの子分たちは興奮してワーワー騒ぎ立てている。そのやかましいことといったらない。
「ヤイバ様ー! 逃げ回ってちゃ勝てないですぅ! ヤイバ様は魔王様のご子息で強大な力をお持ちなんですぅ! 魔界に来たことで、もう封印は解けている……はずなんですぅ! 本来の力を発揮できるんですぅ! ガツンとやっちゃってくださいっ!」
「アニー! 危ないっ! 逃げてー! ねえちょっと、ルシ子! 魔女なんでしょ、魔法かなんかないの? 助けてあげてよ、このままじゃアニーが殺されちゃう!」
「ええっ、そ、そんなこと言われてもこまるですぅ……。ルシ子は魔女としてはだめな方で、契約の魔法と変身の魔法くらいしか使えなくて……」
などとルシ子とユキが会話していると、ダンガルドは不意に足を止めて後足で立ち上がった。
「あーもーメンドクセー! こんがり焼けろ、焼き加減ウェルダンっ!」
鎌首をもたげて怒鳴りざま、すうううう、と大きく息を吸いこむ。育ちすぎのトカゲの腹は、みるみるうちに膨れ上がっていった。
ドラゴンといえば口から炎を吐く生き物、とヤイバは直感的に察した。恐怖で全身の毛穴が開く。しかし、ヤイバが恐怖した理由は自分が黒焦げになる未来予想図のせいではなく――いやまあ、それもある程度はあったが――漆黒のドラゴンと自分を結ぶ射線上にルシ子とユキがいることだった。
「や……やめろー!」
いくっきゃなかった。ヤイバは逃げるのをやめて反転し、猛然とドラゴンめがけてダッシュした。
膨らんだどてっぱらめがけて、握り固めた右の拳をありったけの力でたたきこむ。
(んっ?)
ドラゴンにとって腹部は鱗に覆われていない、いわば防御の薄い弱点だ。といってヤイバは、こんな恐竜並の怪獣相手に自分の攻撃が通じるなんて微塵も思っていなかった。ついやっちゃったんだ、それ以上でもそれ以下でもない。
けれどインパクトの瞬間……殴った自分の手首がへし折れるかと思いきや、ヤイバの拳はドラゴンのぶあつい身体を貫通しかねないほどの勢いで突き刺さり、ズムッと重低音が響き渡った。
一瞬の静寂。
凍りついた時の中でドラゴンの子分どもが目を剥き、息を呑む。
ウブブッ、ブオオオオオオー!
十トントラック以上の体重があるであろうでかい爬虫類は、炎とゲロの入り交じったよくわからない何かを吐き散らしながら凄まじい勢いで吹き飛び、壁に激突した。城全体を揺るがすほどの轟音。壁が盛大に崩れて、大量のがれきがドラゴンの上に降り注いだ。
「……え?」
ヤイバは目をぱちくりさせた。
「え?」
ユキも目をぱちくり。
「アレ?」
オークやサキュバスといった魔界の皆々様も目が点に。
「あああああああ! や、やったぁー! さすがはヤイバ様! 魔王様のご子息! 強いっ! ドラゴンを一発でノシたぁー! ワンッ! ツー! スリー! 立てないっ! チャンピオンこうたぁーい!」
快哉を叫ぶルシ子。ドラゴンの子分たちは惑乱した顔を見合わせてどよめいた。
う……。
うう……。
うわあああああああああああああああああああん!
ダンガルドはおなかを押さえて丸くなり、大粒の涙を流し始めた。
「痛いよー、痛いよー(めそめそ)。ぽんぽんが痛い……(めそめそ)。ボクは……ボクはただ……(めそめそ)ちょっと試してみたかっただけなんです……。魔王様にご子息がいらっしゃっただなんて……(めそめそ)にわかに信じられなくて……。みんなも疑っているんじゃないかと思って……(めそめそ)みんなを代表して……(めそめそ)スパーリングパートナーとして立候補しただけなんです……」
さっきまでの威勢はどこへやら、図体のでかさ以外になんの取り柄もないいじめられっ子のように泣きじゃくって、涙の池を作ってしまいそうな勢いだ。
ひそ……ひそ……。
「す……すげえ……なんだあれ……なんなんだ、あれ……」
「なんてこった、ダンガルドさんを一撃で……」
「バケモンだ……そうとしか言いようがない……」
「というか、最初に逃げ回っていたのはなんだったんだ?」
「そらもう、あれよ、調子づかせておいてからたたき潰すほうが、相手に惨めさを味わわせることができて快感だからやでぇ」
「な、なるほど。さすがは魔王様のご子息ですわ。あたくしたちごとき下っ端の魔族とは邪悪さのレベルがちがう……!」
「やだ……なんなのその巨悪っぷり、かっこ良すぎる……」
ダンガルドの子分たちは態度を一変させ、今は一人残らず尊敬の念をあらわにしてヤイバを見つめていた。
「おい、あの、だいじょうぶか……? その、なんだ、わざとじゃないんだ、うん」
ヤイバはめそめそ泣き続けるドラゴンを心配して、また自分のしでかしたことのとほうもなさに驚いて、彼に歩み寄った。
「ひいっ! ぶ、ぶたないでっ! 顔は! 顔はぶたないでっつつつつつ!」
ダンガルドは心底怯えた様子で絶叫した。
ひそ……ひそ……。
「えげつねえ……。あんだけ容赦なくぶっ飛ばしておいて、邪悪スマイル浮かべながら『だいじょうぶかあ~?』だってよ」
「肉体的にぶちのめした後で、さらに精神を踏みにじっておくのも忘れない! た、たまりませんわ……」
「しかも殴ったのを『わざとじゃない』って主張してるぞ、あのお方」
「誰がどう見てもわざとだよな」
「ああ。わざとやっておいて、わざとじゃないと言い張る。悪いっ。悪いなあ~」
「おれたちごとき並の魔族とは、格がちがう!」
「いやあ、自分のなんちゃってワルぶりが恥ずかしいぜ」
「さすがは魔王様のご子息……! 悪のサラブレッド……!」
オークやオーガやサキュバスやゴブリンは、いよいよもって、降臨した邪神を崇めんばかりの勢いだ。
「か……数々のご無礼、お許しくださいっ!」
いきなり、赤毛のオークが鼻くそほじり棒を投げ捨ててヤイバの前へ走り出ると、片膝をついて深々と頭を垂れた。
「クロバネヤイバ様! 魔王様のご子息! 魔界へのご帰還、まことに重畳でございます! 私ども一同、今日より、たった今より、ヤイバ様の下僕としてお仕えいたします! どうか我らをお導きくださいっ!」
するとほかの面々もその場に片膝をつき、「お導きくださいっ!」と唱和した。
もう色々と急展開すぎてヤイバが「え? え?」と戸惑っていると、ルシ子がえへんと咳払いをひとつした。
「ヤイバ様は、魔王様がお隠れになられてからというもの、群雄割拠で荒れに荒れた魔界を平定すべく、今日からはこのガンデル城の主として玉座をあたためるんですぅ! あ、これもいっておかないと。ルシ子はですね、ヤイバ様にお嫁さんとして嫁ぐ代わり、魔界を平定していただくと、約していただいたのですぅ。つまり、契約の魔法を発動したんですぅ。だからルシ子は、今日からはお妃様ってことですね。あと、あと、これもいっておくですぅ。こちらの方はヤイバ様の妹君のユキ様ですぅ。みんなも、ルシ子はともかく、ユキ様には、ヤイバ様に仕えるのと同じように敬意を払ってほしいんですぅ」
魔族一同は、「ははっ!」と、もうずっと昔から仕えていた臣下のようにいい返事をした。
「それで、んーと、ルシ子は、ヤイバ様にふさわしい称号を考えておいたのですぅ。アドン山の預言者様いわく、ヤイバ様は魔王様を上回る力を持っておられるのだとか。そこで、魔王以上の魔王にふさわしい、かっこいい称号ないかなーって、考えて考えて……」
ルシ子はいったんそこで言葉を切り、すっと背筋を伸ばした。
「『大暗黒魔皇帝』! これこそヤイバ様にふさわしい称号だと思うんですぅ!」
言い放ったルシ子は自信満々の態度であり、魔族一同も、おおおお、と感心したようにどよめいた。
けれどユキは「えぇ……。なんかそれ、アホっぽくない……?」とつぶやいた。そしてそれについては、ヤイバも同感だった。
「なあ、その……ルシ子。もうちょっとこう、シンプルな称号の方がいいんじゃないか。先代、おれの父さんと同じく『魔王』とか。百歩譲って『大魔王』とか。『大暗黒魔皇帝』は……ちょっと……」
ヤイバが難色を示すと、ルシ子はありえない物理現象を目の当たりにした科学者のように驚きをあらわにし、次いでしょんぼりと肩を落とすと、左右の人さし指をちょんちょんつつきあわせながら「ルシ子、一生懸命考えたのに……」と涙ぐんだ。
…………。
……………………。
「だっ、大暗黒魔皇帝か。うん、いいんじゃないかな、それで……」
やむなく、ヤイバは承諾した。
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
「大暗黒魔皇帝様!」
「大暗黒魔皇帝ヤイバ様!」
「我らが盟主! 魔界を統べる絶対君主のご帰還だぁー!」
こうして、クロバネヤイバは大暗黒魔皇帝の称号を得た。
なお、(うーん、その称号ってアホっぽくね?)と思っている魔族も五、六人ほどいたのだが、このような雰囲気の中でそんなこと口に出せるわけがなかった。