ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説 10章
十
「宰相閣下。本日は快くインタビューを引き受けてくださり、ありがとうございます。私、魔界日報の政治部記者兼カメラマンをしております、バフォメットのバフォ太と申します」
さんさんと真昼の陽光が降り注ぐガンデル城の大テラス。雄山羊の頭をした、スーツにネクタイ姿のデーモンは、持参した大きなカメラバッグを下に置くと、名刺を差し出して深々とお辞儀をした。
「これはご丁寧に、どうも。む……。失礼、最近は来客が多くて名刺を切らしておりましてな」
レッドは腰ミノの内側をしばしまさぐってから、頭の赤い髪のひとふさを、ぽん、とたたいた。
「いえ、どうかお気になさらず」
「いたしかたない、口頭にて自己紹介をば。非才の身なれど、大暗黒魔皇帝様に側近く仕え、宰相を務めております、オークのレッドと申します。さ、そちらへおかけください」
レッドの勧めに従い、バフォ太は瀟洒な装飾が施された長テーブルに着席した。
「これ、サキュ子。記者さんに酌をせい」
むかいの席に腰を下ろしたレッドが、ナイスバディのサキュバスに指示する。
「あっ、いえ、仕事中ですので」
バフォ太は手を顔の前で振ったが、
「ま、ま、そういわず。なに、ほんの一杯か二杯程度のこと」
とレッドはかまわずすすめた。
「あ。では……」
サキュ子は、レッドと、恐縮するバフォ太の前にグラスを置いて、ブドウ酒を注いだ。
「おお~。このコク、まろやかな舌触り、そして香り……。これはよい酒ですね」
ひと口飲むなり驚いた顔をするバフォ太に、レッドはこともなげに「シャンドラゼの五千年物ですからな」と告げた。
「ご……五千年っ! では、人間界でいえばまだ紀元前だったころの? こ、このような高いものを――」
「なに、権力を持つ者の特権というやつでして。年度末の確定申告の際に、こうしたものは接待費として計上できるのです。ご堪能いただけたなら幸いです」
「恐縮です。いやあ、こんな役得にありつけようとは」
バフォ太は目を細めてブドウ酒をひと口またひと口と飲み、空にすると、至福の笑顔とともに、ふうーっとため息を吐いて、名残惜しげにグラスをテーブルに置いた。
それから彼はカメラバッグのジッパーを引き下げ、大きな一眼レフデジタルカメラを取り出した。
「まずは宰相閣下のお写真を何枚か撮らせていただきたいのですが」
「どうぞ」
「なるべく自然体で願います」
「ふむ、こんな感じでよろしいか? そうだ、サキュ子。後ろに立ちなさい」
「え! よろしいのですか?」
「花があったほうが絵になろう。でしょう、記者さん」
「ですね。では、撮らせていただきますので……」
レッドは背筋を伸ばし、自然体でと注意されていたものの、グラスを持つ手つきにややもったいをつけた。その背後にサキュ子が立ち、おっぱいをオークの頭の上に載せる。
いかにもものなれた様子でバフォ太はカメラを構えると、パシャパシャとシャッター音を鳴らして数枚のショットを撮った。そうして、すぐにボタンを操作し、今撮ったばかりの写真を鋭い目つきでざっとチェックした。
「ありがとうございます、閣下。あるいは、ご不快であったかもしれませんが」
「とんでもない。無学な下民どもの中には、未だに写真を撮られると魂を奪われるなどという迷信を信じきっているお馬鹿プーが少なくありませんが、私は気にしませんので」
「そう言っていただけると助かります」
バフォ太はカメラをテーブルに置き、椅子に座りなおした。
「さて。本日のインタビューのお題ですが、三日前の出来事についておうかがいしたいのです。ええ、もちろん、『あの出来事』についてはもうみんなが知っておりますが、特別企画として大暗黒魔皇帝様特集号を出したいのです。宰相閣下、このインタビューは、その目玉記事として掲載される予定です」
「ふむ。宰相閣下、ですか。良い響きですが、記者さん、私のことは『レッドさん』とお呼びください」
「それでは、宰相閣下に対して失礼にあたるのでは……?」
「なに、私は宰相などという身にすぎた地位に就いておりますが、出自はしょせん一庶民ですので」
「驚いた、謙虚な方なのですね。職業柄、この魔界で高い地位にある方とお話をさせていただいたことがたくさんありますが、あなたのようなタイプは珍しい」
「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』との言葉もありますので。それに、いかに私が高学歴のエリートといえど、これほどの立身出世をすると、妬みやそねみが怖い。いやあ、自己保身ゆえの臆病と笑ってくだされ」
レッドは小太りの腹を揺すって笑い、そんな彼の性格を常日頃から好ましく思っているサキュ子がほほえみを添えた。
「では、レッドさんと呼ばせていただきますが――レッドさんは小学校を卒業しておられるそうですね」
「ええ。ガンデリオン公立小学校を、留年を一年挟み、七年で卒業しております」
「じつは私もなんです。それもガンデリオン公立小学校でして。つまりレッドさんの後輩にあたります」
「なんと、バフォ太さんも! それは奇遇ですな」
「といっても私の頭では授業についてゆけず、留年三回、四年次生の段階で中退を余儀なくされましたが」
「ふむ。まあ確かに、小学校は過酷ですからなあ……。写生、カスタネット、ひと桁かけ算の丸暗記……。絵画、音楽、高等数学といった非常に高度な教養と学問が身につく学びの場ではあるものの、入学自体がすでに狭き門、過酷な入試をくぐり抜けて入学を果たした者も、己の限界を知ってじつに半数以上が三年次生を待たずに中退してゆく……。もっともそれだけに、卒業者はみな魔界の未来を担うパワーエリートとして引く手あまたなのですが」
「あの日、このガンデル城へ攻め寄せたヴァンパイア軍の総大将、ウィンディ・ラデリン嬢もガンデリオン公立小学校の卒業生と聞きました」
「さよう……。じつは彼女もまた私の後輩にあたるのですよ。私が卒業した後での入学なので、風の噂でしかその名を聞いたことはなかったのですが、なんでも、一度も留年することなくストレートの六年間で小学校を卒業したとか。まあ一種の天才ですな」
「そのような強靱な精神と頭脳の持ち主であり、魔界のエリート層であるレッドさんやウィンディ嬢といった方の視点で分析した大暗黒魔皇帝様の実像、それをおうかがいしたいと思います。チエン卒の無学な下民どもにとっては、大いに読みごたえのある記事になるかと」
「うむ、さもありなん」
レッドは視線を大テラスの彼方、この巨城にして城塞都市の外縁を囲む城壁へと飛ばした。
そこは、あの日、あの夜、凄惨な光景が現出した場所だ。
「月の美しい夜でした……。あの晩、ウィンディ嬢率いるヴァンパイア軍が押し寄せたとの報を受けた私は、ご寝所にて就寝中であった大暗黒魔皇帝様を起こし、ともに戦場へおもむきました。大暗黒魔皇帝様は、ウィンディ嬢の父であるハイダスにメテオストライクをお見舞いしたのは誤解だ、話し合ってその誤解を解きたいとおっしゃり、ウィンディの前に降り立ちました。そして、彼女の魔法――エナジードレインをその身に受けたのです」
「このインタビューの前に、我が社の古い資料を読みあさったのですが、なんでもエナジードレインとは高位ヴァンパイアのみが行使しうる、相手の生命力を吸収して自分の力を増す魔法で、それを用いればドラゴンやデーモンとさえ互角以上に渡り合えるとか」
とバフォ太。
「ウィンディ嬢も、この魔法ならば、との思いがあったのでしょうな。が、相手が悪かった。大暗黒魔皇帝様は、邪神とも呼ぶべき力を持つお方。たかだかヴァンパイアごとき蚊トンボにちゅーちゅー吸われたとて――おっと、これは失言でしたかな?」
「オフレコにすべき部分はわきまえておりますので、どうぞご安心を」
「まあとにかく、ウィンディ嬢がエナジードレインで吸っても吸っても、その程度のことではびくともしないお方なのですよ。それをあえて、その身に受けたのはなぜか。決まっております。大暗黒魔皇帝様は示したかったのですよ、ご自分がいかに強大であるかを」
「格のちがいを見せつけたわけですね」
「さよう。相手の最強の技や魔法をあえて正面から受け止め、受けきった上で勝つ。王者の戦い、横綱相撲というやつですな。ライオンにとって、ウサギの足蹴りに怯えて身をかわしたり防御の姿勢をとることは恥となる」
「なるほど。それにしても、大暗黒魔皇帝様がおっしゃられた、話し合って誤解を解きたい、という発言の意図はなんだったのでしょうか」
「前振りですな」
「前振り……?」
「およそ悪の至高とは、偽善……! あのお方はお力を振るわれる前に、必ずといってよいほど、自分は暴力は嫌いであるとの物言いをなさります。私どものような凡百の、なんちゃって悪党ごときとは悪さの桁がちがうのです」
「な、なるほど」
「そして――ウィンディ嬢がエナジードレインで吸っても吸っても無駄と知り、恐怖を覚え始めたころあいを見計らい、ついにあのお方は、これまでは出し惜しみしてあえて隠していた恐るべき正体をあらわしました。超ウルトラスーパーミラクルアルティメットヘビーデラックス無限大ド畜生の正体を……!」
「――――」
「頭頂高六百六十六メートル……。究極の巨獣にして大悪魔……」
「六百六十六メートルというと、東京スカイツリーを上回る高さですね」
「そうです。このガンデル城で最も高い玉座の間の高が地上三百メートルちょっとですから、じつにその二倍以上の高さですな。おっと、高学歴エリートの癖で、つい暗算をしてしまいました。ともあれ、満を持して格のちがいを見せつけるべく正体をあらわしたあのお方は、まずはダンガルドを軽くつまみあげ、はるか彼方へブン投げました」
「ダークドラゴンのダンガルドは、大暗黒魔皇帝様が降臨なさる前、このガンデル城の主として振る舞っていたそうですが……」
「ええ。しかし現在は大暗黒魔皇帝様の忠実なるペットです。その愛玩動物を、誰よりもまず真っ先におしおきときたものです。特に理由はなく、手近なところにいたから、ついやってしまったんでしょうなあ」
「な、なんという理不尽さ……!」
「あのお方は破壊の権化であり、かつまた、混沌の化身であらせられます。およそ世間一般の常識だの理屈だのは通じんのです。いえむしろ、そうした道を外すことに本領があるというべきでしょう」
「正体をあらわして巨大化するや否や、いきなり味方の、それも忠実な下僕に手をあげるとは。その場にいたみなさんは、生きた心地がしなかったことでしょうね」
「ええ……。私どもはみな、震え上がりました。この世に産まれてきたことを後悔するほどの圧倒的恐怖……!」
そこでレッドは、その時の感覚を思い出したようにぶるっとひと震えした。サキュ子もまた、さんさんと光が降り注ぐテラスの上で急に肌寒さを覚えたかのように、メーターオーバーの豊かな胸を不安げに両腕でかき抱いた。
「あの目。大暗黒魔皇帝様が、黄金の輝きを宿す双眸で私どもを見下ろしたあの目つき。それは、たとえて言うなら、『うーん、部屋がちょっと散らかっているな』って感じの目つきでした」
「つまり、ゴミを見るような目つき、ということでしょうか」
「そうです。あのお方にとって、私どもは矮小な虫けら……。アリにすぎんのです。刹那、私は悟りました。今まで私はずっとこう思ってきたのですよ、私は『生きてきた』と。しかしそれはとんでもない過ちでした。私は――否、私たちは――『生かされていた』のです」
「詳しくご説明願えますか」
「私たちにとって、地面に列をなすアリは虫けらにすぎません。私たちはその気になれば、容易にそのアリどもを皆殺しにできる。ただ踏むだけで……。アリはみな自分では『生きている』と思いこんでいる。しかしアリを容易に殺せる私たちの目から見れば『殺そうと思えば殺せるが、生かしてやっている』のです。アリは、巨大な上位存在が見逃してやっているから、生きていられるにすぎんのです」
「深い考察ですね」
「もっとも、私たちはアリを踏みつぶせる力があるものの、通常、わざわざアリを殺して回ったりはしません。めんどうくさいし、殺したところでなにか得があるわけでもない」
「そうですね」
「が、そのアリどもを殺すなんらかの理由があれば、殺すのをちゅうちょする者はいないことでしょう。アリの列を見ていて、うっとうしいとか、邪魔だとか、そう感じればそこでアリたちはアウトです。殺される。なすすべもなく……」
「大暗黒魔皇帝様にとって、私たちはアリなのですね……」
「そうです。そしてあの時……私たちを見下ろす大暗黒魔皇帝様の瞳は、『なんだか散らかっているから、片づけようかなあ』というニュアンスの思念を放射していた……。大暗黒魔皇帝様にとって、それはなんでもない、とるにたらないこと。しかし私たちにとっては死を意味するのです」
「恐ろしい……。なんと恐ろしいことでしょう……」
「多くの者が失禁していました。ある者はおしょんしょんを、ある者は大の方を……。両軍の兵士のうち、スマホを所持している者はそれを取り出していました。友人、知人、愛する家族などに最期の別れを告げるために。が、その試みはほとんどの場合、うまくいっていませんでした。恐怖のあまり震えが止まらず、スマホをうまく操作できなかったのです」
「なんという地獄絵図……」
「ええ。敵味方の別を問わず、涙や鼻水を垂れ流し、ごめんなさい、許してください、と命乞いをする弱々しい声がそこかしこであがっていました。とてもそんなものが通じる相手ではないと、みな本能的に察していたはずですが、それでも、そうせずにはいられなかったのです。また中には、害意がないと示すために武器を手放す者もいました。ただ、手がひきつってしまったため、自分の意思に反して剣や槍を手放せなくなってしまった哀れな者たちもいて、彼らが、ちがうんです、ちがうんです、と泣きながら繰り返していた声が、今も私の耳に残っています」
「ウィンディ嬢は……」
「彼女の愛馬である六本足の黒い馬は、その場に膝を折って深く頭を垂れていました。動物は命乞いの言葉など言いたくても言えませんから、そのようにするほかなかったのでしょう。ウィンディ嬢は馬にまたがったまま、泣きベソをかきかき、『生まれてきてすみませんでした。恥の多い人生を送ってまいりました』と、太宰治風の謝罪の言葉を並べておりました。本心では下馬して土下座したかったはずです。しかしほかの者たち同様、恐怖のあまり身体の自由がきかなくなっていたのでしょう……。ついでに言うと、大暗黒魔皇帝様の奥方様であらせられるルシール様も腰を抜かし、ただただ呆然と巨大な究極の悪を見上げるばかりでした。が、一人だけ、恐怖してはいない方がおられました」
「えっ? それは……?」
「大暗黒魔皇帝様の妹君であらせられるユキ様です。ユキ様は、巨大化した兄君を呆れ顔で見上げ、『うわあ。アニーってば、こんなことになっちゃって』とつぶやいておられました。さすがは御親族、大暗黒魔皇帝様には及ばぬものの、私ども下等魔族とは格がちがいますな」
「えー、聞きにくいことではありますが、レッドさんはその時……」
「当然のことですが、私もみなと同じでした。腰を抜かし、顎をがくがく震わせ、だめだ……もうだめだ……と自分の口から発せられている声を自分のものではないかのように聞いていました」
「…………」
「ですが、あの時、私たちは恐怖のあまり骨の芯から震えながらも、ある種の輝かしい共通認識を抱いたのです」
「共通認識?」
「はい。『私たちはみな、大暗黒魔皇帝様の御前においては平等』という共通認識です。私どもはしょせん大暗黒魔皇帝様の気まぐれで運よくたまたま生きることを許されているにすぎない虫けら……。同時にこれは、私ども虫けらにすぎない下等な魔族ごときが争いをして、優劣を見いだそうとする行為が、いかに無意味で馬鹿馬鹿しいかを示唆しています。このアリが五ミリ、こっちのアリは六ミリ、アリ同士にとってその一ミリは大きな優劣の差かもしれませんが、私どもにとってはどうでもいい差です。それと同じことなのです」
「まさに、大暗黒魔皇帝様は絶対強者なのですね」
「はい。大暗黒魔皇帝様がお育ちになられた人間界の、ネットにある言い回しで表現するなら、そう……『最強のヒヨコ決定戦の場にあらわれたオオカミ』とでも申しましょうか。あのお方は次元がちがう存在なのです」
「あ。レッドさんは、大暗黒魔皇帝様がお育ちになられた人間界についてもかなり詳しいそうですね」
「ええ。私は読書が趣味で、人間界のネット上に出回っている『オークと女騎士』ジャンルのショートストーリーはほぼすべて読破しております。過去、数回ほど、人間界に――秋葉原に薄い本を購入しに出かけたこともあります。そうした経験と知識も、大暗黒魔皇帝様に側仕えする上で役立っているといえましょう」
「いやあ、これはお世辞ではなく申し上げるのですが、レッドさんのような知的強者の方とお話しするのは楽しいし勉強になります。このインタビューを機会に、今後ともご縁を深めさせていただければありがたいのですが。――おっと」
不意に、バフォ太と大きなおならをした。
「ふ……。オナラはウンコのため息なんだ、そんな風に思ったことはありませんか?」
レッドはしたり顔で言った。
「詩人ですね」
「よくいわれます。それはさておき、話を元にもどしましょう。大暗黒魔皇帝様は、死を覚悟して様々な狂態をさらす私どもをしばらくの間、ゴミや虫けらを見るような目つきで睥睨しておりましたが、不意に――上体をそらし、すうううう、と大きく息を吸いこみ始めました」
「恐ろしかったでしょうねえ……」
「はい。格ゲーにおける、必殺技を放つ前の溜めとでも申しましょうか。誰も彼も、ああこれで人生が終わる、と感じていたはずです。そして……大暗黒魔皇帝様はいきなり、大きなくしゃみをなさったのです」
「くしゃみ……。といっても……」
「そうです。頭頂高六百六十六メートルの怪物のくしゃみですから。凄まじい暴風が吹き荒れ、私どもは、あるいは吹き飛ばされ、あるいはごろんごろん転がりました。それで、あの戦いは終了したのです」
「…………」
「多くの者が恐怖のあまり気絶しました。目覚めて自分は生きているのだと確認し、おそるおそる周囲を見回すと、巨大な怪物の姿はもうどこにもありませんでした。いったい、大暗黒魔皇帝様はどこへ? 私をはじめとする側仕えの面々が、ルシール様やユキ様をともない、大暗黒魔皇帝様がおられたはずの場所へおもむくと、そこには人間の姿に戻って眠っているヤイバ様――ああ、大暗黒魔皇帝様の真名です――がおられました。私たちは困惑しましたが、ユキ様の指示で大暗黒魔皇帝様をガンデル城のご寝所へお運びいたしました」
「そして……?」
「そして、二時間ほどしてヤイバ様はお目覚めになられました。ですが、なんと、こうおっしゃったのです。『記憶が飛んでいるんだが、あれからなにがどうなったんだ?』と」
「な、なんと! 白々しいにもほどがある。それほどのことをしておいて、覚えていないわけがないでしょうに……」
「ええ。そこは、ぐうの音も出ないほど畜生の大暗黒魔皇帝様ですから。相手を殴り倒しておいて、自分は何も知らないとすっとぼけることにより、精神的ダメージも与える! あのお方の邪悪さがなさしめる様式美、あるいは大いなるマンネリ……。お約束的サディズムですな」
「ドンびきもいいところですね。恐ろしい……。いや、まったくもって恐ろしい……」
「ユキ様とルシール様は顔を見合わせ、視線を泳がせながら、『説得が功を奏してウィンディ以下ヴァンパイアたちは撤退した』と説明しました。大暗黒魔皇帝様は、見ていて恐怖を感じるほど不自然に爽快な笑顔となり、よかったよかったと喜んだものです」
そこまで語ったレッドは、ふぅ……と太い息を吐き出した。
「私が思うに、あのお方が魔界を統べるのは時間の問題ですな……。いや、あのお方のお気持ちの問題というべきでしょうか。あのお方は、その気になれば明日にでも、長らく争乱に明け暮れていたこの魔界を平定できることでしょう。しかしながら、あのお方の邪悪さ、残忍さ、冷酷さは、私ども普通の魔族とは桁がちがいます。あのお方は虫けらどもの反応を眺めてせせら笑いながら、ゆっくりと時間をかけ、少しずつ、しかし確実に、恐怖支配の翼を広げてゆくことと思います」
「いやはや、記者冥利につきます。私たちは歴史の生き証人であり、私は歴史の記録者となって記事をかくことになるのですね」
「うむ……。さて、しかし――」
ここでレッドは、サキュ子に向かって押しやる手真似をした。サキュ子は察し顔になってテラスの端っこへと退いた。
「バフォ太さん。ここからはオフレコで内密の話をさせていただきたい」
「うん? 守るべき秘密は守る、明かすべき情報は明かす、それがマスメディアの使命であり、私はその使命の体現者ですので、どうかご安心を」
「あるいは察しがついておられるかもしれませんが、これは重大かつ深刻な事態です」
「といいますと?」
「はっきり申し上げましょう。大暗黒魔皇帝様は、あまりにも邪悪すぎる。またその邪悪な精神が描いた夢をなんでも現実のものとしてしまう、とほうもない力をお持ちです。いともたやすく魔界を統一できるが、放っておけば、勢いあまってこの魔界のすべてを破壊しつくしてしまいかねません」
「…………!」
「誰かがこれを止めねばならない。大暗黒魔皇帝様をうまく誘導して、行き過ぎがないようにしなければならんのです。不肖、このレッドが宰相の地位を利し、魔界のすべての民のため、この重大な任をまっとうせねばならんと思っております」
「レッドさん! あなたは、そのような深謀遠慮を――」
「無論、私のこの真意を知れば、大暗黒魔皇帝様は私を生かしてはおかないことでしょう。しかし、一流は一流を知る。あなたは私の『計画』を理解し、協力できるだけの知性をお持ちだ。ちがいますかな?」
「私に、なにがしかの協力をしろと……? そのう、魔界日報は知らぬ者なき大メディアですし、私も志と野心を持ってこの業界に入りましたが、今は一介の記者です。その私にできることなどありましょうか?」
「うむ……。私が後ろ盾となりますので、まずは昇進し、魔界日報のトップになって社を掌握していただきたい。なに、今をときめく大暗黒魔皇帝様の覚えめでたき魔宰相レッドの権力をもってすれば、適当な罪状をでっちあげ、あなたの上役どもを社から追放するなどたやすいことです」
「ふうむ。その後は?」
「政治宣伝……いわゆるプロパガンダに協力してほしいのです」
「具体的にはどのような?」
「大きくわけてふたつあります。まず第一に、大暗黒魔皇帝様の邪悪ぶりはあまりにも桁外れなので、放っておくと大変なことになりかねない、との認識を頭からっぽの愚かな下民どもにきちんと抱かせること。第二に、宰相を務めるレッドは話のわかる人格者なので、これが弁舌を振るって大暗黒魔皇帝様にもの申さねばみんなが危うい、との空気を作り出すこと……」
「なるほど。ごく自然な形で捏造した記事を流し、愚民どもをコントロールして、世論の後押しを得たいのですね」
「さよう、と言いたいところですが、記事ではあまりにもあからさまで、大暗黒魔皇帝様に勘づかれる恐れがあります。噂を流すだけ、そのくらいの方が無難かと。例えば、そうですな……。『先日、こんな噂を聞いた。ハイダス・ラデリン伯率いる軍団を蹴散らした大暗黒魔皇帝様が、凱旋パレードで街を練り歩いていた折のこと。突然、大暗黒魔皇帝様がとある親子づれに目をとめ、幼い子どもの襟首をつかんで吊り上げ、睨みつけてこうおっしゃった。『テメェ、誰に断っておれの魔界の空気吸ってんだ? あン?』。なんという斬新かつとんでもない因縁のつけかただろうか……! 驚愕してみなが固まっている中、宰相のレッドさんが土下座して額を地面にこすりつけながら、『大暗黒魔皇帝様! 相手はまだ子どもです! 魔界の未来を担う存在です! どうか! どうか! このレッドめに免じてお許しくださいませ!』と懇願し、その場は、なんとかおさまったそうだ』。……バフォ太さん、私の言いたいことが理解できますかな?」
「ふうむ……なるほど……。その例に倣えば良いのですね?」
「うむ。ひとつ、この場でやってみてください」
「では――」
エヘン、とバフォ太は咳払いをした。
「『これは先日、私の友人の友人から聞いた話なのですが……。大暗黒魔皇帝様がガンデル城でお食事をなさっていた折のこと。ミートパイを召しあがっていた大暗黒魔皇帝様は突然怒り出して、料理人を呼びつけた。なにか粗相があったのかもしれないと震え上がる料理人を前に、大暗黒魔皇帝様は、使っているのはなんの肉か、とおたずねになられた。料理人が牛のひき肉ですと正直に答えたところ――大暗黒魔皇帝様は激怒し、城を揺るがすほどの大声でこう言い放った。『おれはいざ知らず、お前ら下等生物までが、こんなうまいものを食うなど言語同断、生意気だ! ただちに魔界中の牛という牛を皆殺しにしろ!』と……! 大変なことになっているとの報せを受けて駆けつけた宰相のレッドさんが『ですが、みんな牛肉大好きなんです。ハンバーグおいしい。すき焼きおいしい。サーロインステーキ最高。どうか、庶民の楽しみを奪わないでください』と必死に泣き落として、どうにか大暗黒魔皇帝様のムチャぶりを食い止めてくれたそうだ』。……いかがです?」
「おおっ! そういう感じ、そういう感じ! いやあ、バフォ太さんをもののわかる知的水準の高い方と見こんだ私の目に狂いはなかった!」
レッドはぱちぱちと拍手をした。
「ちなみに……レッドさん。もしや、我が魔界日報のライバル社の魔界新聞にも同じような働きかけを?」
「いえ、秘中の秘を知る者の数は少ない方がいい。さしあたり、私の盟友はバフォ太さん、あなたのみです」
「すばらしい。いや、まさか、今日、ここで、このような出会いと運命が私を待っていたとは。レッドさん、やりましょう。私と、あなたで。力をあわせて魔界を滅びから救うとともに、陰の支配者となりましょう」
「では、そういうことでよろしいですな?」
「ええ! 我らマスメディアの者にとって、恣意によって事実をねじ曲げた捏造記事で頭からっぽの愚民どもを任意の方向へ誘導するなど日常茶飯事、たやすいことです。どうか大船に乗った気でいてください」
「頼もしい。言うまでもないことですが、今後は私も権力を使って魔界日報を全面的にバックアップしますので、どうか、よしなに」
レッドは、ぽんぽんと手を打ってサキュ子を呼び戻すと、空になったグラスに新たに酒を注がせた。
「では、別れの前に乾杯といきましょう。大暗黒魔皇帝様に! 我らの未来に!」
「大暗黒魔皇帝様に! 我らの未来に!」
二人がグラスの中身を飲み干して舌に残る芳醇な余韻を楽しんでいると、それまでずっと大テラスの片隅にうずくまっていた大きな生き物が不意に立ち上がり、足音を立ててやってきて、テーブルに影を落とした。
「ばぶぅー、ママ、ばぶぅー」
爪をしゃぶりながら頭を低くしたのは大きな漆黒のドラゴンだった。サキュ子が「よしよし、いい子いい子」とその頭を撫でてやる。
「うん……? この方はもしや、以前はガンデル城の主、今は大暗黒魔皇帝様の忠実なペットの……」
物問い顔をするバフォ太に、レッドはうなずいた。
「ええ、ダークドラゴンのダンガルドです。大暗黒魔皇帝様にブン投げられて以来、恐怖のあまり精神に異常をきたしたらしく、幼児退行の発作がしばしば起きるのです。私は、大暗黒魔皇帝様の比類なきド畜生っぷりにちなんで、これを『ド畜症候群』と名づけました。今後、このような患者は増加の一途をたどることでしょうな」
「おおっ、これはいい被写体だ……! 大暗黒魔皇帝様にいじめられすぎておかしくなってしまったドラゴン! ぜひ撮らせてください。大暗黒魔皇帝様の恐怖を魔界中の読者に伝えるインパクトのある写真になるかと」
「どうぞどうぞ、減るものではなし、何枚でも撮ってください。おっと、そうだ! じつは先日、芸をしこんだのです。せっかくだから、この機会にご披露しましょう」
レッドは立ち上がり、ダークドラゴンのそばへゆくと、サキュ子をどかせて頭を撫でる役を代わった。
「さあ、ダンガルド。写真を撮るぞぉ。ほら、記者さんの方を見るんだ。ほら、カメラだぞぉ。カメラ。いいな、カメラ、いいなぁ~」
「わぁい! わぁい!」
「さあ、ダンガルド。いいかい、あれをやりなさい。みんな喜ぶから。さあ。アヘ顔っ! ダブルピィ――――――――――ス!」
ダークドラゴンは後足で立ち上がり、牙を剥いて笑いながら両方の前足でVサインをした。
パシャ、パシャ、パシャ、パシャ。
「うん、いい絵が撮れました」
カメラの構えを解いたバフォ太はにっこり笑ったものだった。