ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説 1章
異世界転移、主人公最強、戦記物、ギャグ……といった感じのお話です。気軽に読めるバカバカしいお話、を目指しました。
ひとくちに主人公最強ものと言ってもいろいろあると思うんですが、このお話は、主人公を人間とするなら、ほかは全部ミジンコ程度の下等生物、そのくらいパワーに差があります。そんなわけで、いろいろとひどいことになっています。
ぐう畜! 大暗黒魔皇帝伝説
作・吉村 夜
一
しとしとと冷たい小雨が降る中、色とりどりの傘の花が咲いている。学校帰りの高校生たちは、梅雨寒の冷気に震えながら家路を急いでいた。
「うん?」
ふと、黒羽刃は足を止めて電柱を見た。
まるで牙のような鋭い八重歯。目の隈がやたらと濃い。さらに三白眼で、相手を睨み殺すような目つき……。整ってはいるものの、どうにもこうにも剣呑な顔立ちだ。同級生たちからは(名前もヤイバだし、あいつ絶対、やばいやつだ)と敬遠されている。まだ一年生なのだが、二年生や三年生のヤンキーや空手部員といった強面連中でさえ、ヤイバに出くわすと(あ。まずいのが来ちゃったぞ)とばかりに目をそらす。
けれど、人は見かけによらないものだ。
電柱の陰になにかあると気づいたヤイバがそっと歩み寄って覗きこむと、小さくて毛むくじゃらの『なにか』が微かに動いた。
興味をひかれてしゃがみこむ。すると虎縞の愛らしい仔猫がおずおずと顔を出し、哀れを誘う声で「ミャウ……」と小さく鳴いた。雨足が弱いのでずぶ濡れではいないが、いかにも寒そうに震えている。
「アニー、どうしたの」
一緒に下校していた妹の黒羽雪も、ヤイバのかたわらにしゃがみこんだ。
兄妹だが、幸運にもユキはヤイバと似ていない。ショートカットのさらさらヘアー、すっきりとした知性的な面立ち、形のよい唇……。赤フレームの眼鏡をかけたすまし顔はチャーミングで、同級生の十人が十人とも好感を抱くであろう美少女だ。
「ユキ、おどかさないように、そっとな。ほら、仔猫だ」
「あ。ほんとだ。かわいー」
「捨て猫なのかな。かわいそうに……こんなに濡れて……」
ヤイバは牙みたいな八重歯をかちんと鳴らして、仔猫のつぶらな瞳をじっと見つめた。まったく、世の中には呆れるほどたくさんの不幸があふれている。悲しいできごとが多すぎる。あるいはテレビのニュースで、あるいはこのように日常のひとコマで、そうした出来事に触れるたび、ヤイバは(何か自分にできることはないものだろうか)と心の内側をひっかかれるような気持ちになる。
「でも、アニー。この猫を拾って帰ったとして、お母さんが飼うのを許してくれると思う?」
「キャリアウーマンで仕事仕事の母さんだから、難しいだろうな。だけどこうして出会ったのもなにかの縁だ。おれにできるささやかな善行を施しておきたい」
「蜘蛛を助けたカンダタは、地獄に落ちた後で、お釈迦様に糸を垂らしてもらえたもんね」
「おいおい。人が聞いたら、まるであたかもおれが地獄に落ちること確定の悪人みたいに思われるじゃないか。これはそういう見返りを期待しない、まっとうで純粋な善意だ」
ヤイバはポケットからハンカチを取り出した。せめてこのハンカチで寒さに震える仔猫の身体を拭いてやり、自分の傘をここに置き去りにして雨を防ぐスペースを確保してやれば、少しはマシになるだろう……。もちろん傘を置き去りにしては自分がこまってしまうけれど、なに、少々気恥ずかしいのを我慢してユキの傘に入れてもらえばいい。
「さ、これを……」
ハンカチを持ってそっと仔猫に手を伸ばした、その途端!
フニャァー!
仔猫は対空砲でもぶっぱなすように大きく口を開けて威嚇の鳴き声を放った。濡れた毛を逆立て、黒い瞳に闘志を宿してヤイバを睨み、親の仇を前に「オラオラかかってこいよぉ!」といわんばかりの臨戦態勢!
「えっ。いや、落ち着け。なあ、落ち着けって。おれは味方だ。友達だ。フレンド。アミーゴ。言ってる意味わかるか? わかるよな?」
「わかるわけないでしょ、相手は猫なんだから」
ユキは赤フレームの眼鏡のブリッジをくいっと押し上げた。
「そういうクレバーだけどつまらないツッコミ入れるなよ。言葉はわからずとも、おれの真心と善意は伝わる……はずだ」
ヤイバはハンカチを持つ手をさらに近づけた。
すると――。
フニャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
しぱっ、しぱっ、と仔猫はすばやく猫パンチを放った。ちなみに猫は、子どものころは爪をひっこめられない。いつも爪が出っぱなしだ。
「うわっ! 痛っ、たたっ!」
ひっかかれて、ヤイバはハンカチを落っことしてしまった。
仔猫ときたら、それでも飽き足らず、フニャアアアアアア! フニャアアアアアア! と威嚇の鳴き声を繰り返している。
ひそ……ひそ……。
「やだ……見て、あれ。あの人、仔猫をいじめてる!」
「なんてやつなの、許せない……!」
「あれって、ほら、一年A組の黒羽刃じゃないの?」
「あっ! 目の隈がドス黒いほどに濃くて牙みたいな八重歯を生やし、常に邪悪な目つきをしている、もろ悪党顔の人?」
「そう! あまりにも邪悪オーラ全開な犯罪者顔なんで、町の不良もみんな目線をあわせるのを避ける、あの! 有名な! 黒羽刃よ!」
「こんな人通りの多い通学路で衆目を気にせず仔猫をいじめるだなんて! サイコパスよ! アメリカの刑事ドラマでおなじみの異常者よ!」
「きっとああいう人が何年か後に殺人事件を起こすのね! うちの学校の卒業アルバムは、きっと後々価値が出るわ!」
「なんという、ぐう畜……! ネットスラングでいうところの『ぐうの音も出ないほどの畜生』、略してぐう畜とはこのことね!」
通りすがりの生徒たちは恐ろしい犯罪現場に出くわしてしまったかのように、ひそひそとヤイバの背後でささやきあった。その癖、義侠心を発揮してヤイバに立ちむかうかといえばそんなことはなく、ただただ言いたいことだけを言って通り過ぎてゆくだけの無責任きわまりない傍観者の群――。
「ううっ……。なぜだ……。なぜなんだ……。おれは、ただ、この仔猫を寒さから守ってやろうとしただけなのに……」
地獄耳で誤解の数々を聞いたヤイバは、キラリ、と目尻に涙を光らせた。
「アニーの、他人から嫌われ、恐れられる星回りって、ある種の才能かもね」
こういうのは毎度毎度のことなので、ユキは他人事のように言って軽く肩をすぼめた。
その間も、仔猫は一分の隙も見せるものかと言わんばかりに毛を逆立てたままで、ヤイバを睨み上げながら、フニャアアアア! と威嚇の鳴き声をやめないときたものだ。
ブミャアアアアアアアア!
と、ここで、べつの、もっと大きな威嚇の鳴き声が加わった。
「なんだよ、もう……」
ヤイバが意気消沈しながら振り返ると、大人の虎縞猫が背中を弓なりに曲げて毛を逆立て、凄い目つきで睨んでいた。
「あ。ひょっとしてこの子の親御さんですか?」
ブミャアアアアアアアア!
「いやあ、この子が捨て猫じゃないなら、良かった。うん、保護者の方がいらっしゃるなら、おれも心安らかにこの場を離れられますよ」
ブミャアアアアアアアア!
「わかった、わかりましたよ。おれはもう退散しますから、そう興奮なさらずに……」
ヤイバが立ち上がって一歩また一歩と退くと、虎縞猫は警戒の目をむけながらすばやく電柱の陰へ走りこみ、仔猫の首をくわえてスタスタ立ち去った。
ヤイバは静かに、アスファルトの路面から濡れたハンカチを拾い上げた。涙を拭きたいところだが、ハンカチはすでに水たまりに浸かってびしょびしょだ。
「……アニー……」
「いいんだ。もう慣れっこさ。ふん」
十分後、黒羽兄妹の姿は駅前のファミレスにあった。いつもならまっすぐ家に帰るところだが、途中から傘が役に立たないほど雨足が強まったので、少し休んでゆくことにしたのだった。
「なあ、ユキ」
ボックス席に深く身を沈めて、ヤイバはため息をついた。
「うん?」
「おれって、どうしてこういう星回りなのかな。善意でなにかしても、必ず悪いほうへ悪いほうへ誤解されてしまう。いつも、悪いやつだって決めつけられてしまう……」
「どうって言われてもねー」
ユキは軽く肩をすぼめて、メープルシロップをたぷたぷになるまでかけまくったあま~いホットケーキを口へ運んだ。
「なぜだ……。なぜなんだ……? 顔が怖いから? 雰囲気が凶悪犯罪者っぽいから? でも、人は見かけによらないっていうだろ。というか、人間だけならいざ知らず、猫とか犬とか、動物までがおれを見ると警戒して毛を逆立てたり吠えたりするって、いくらなんでもおかしいだろ。そう思わないか?」
「うーん、放課後のホットケーキとアールグレイは最高ね~」
「人の話を聞けー!」
ひそ……ひそ……。
「やだ……なんなのあの人、あんなかわいい女の子を怒鳴りつけてる……」
「あれってほら、黒羽兄妹よ」
「え。兄妹なの? 兄は極悪な犯罪者顔だけど、妹さんぜんぜん似てないわね」
「妹さんは、名字は黒でも心は白って言われるくらい、いい子なのよ。名前もユキだし」
「あらまぁ……。あんな兄の面倒を見なくちゃいけないなんて、妹さん、たいへんねえ」
ウェイトレスたちの声が耳に届き、ヤイバは「聞こえているんだよ、ちくしょうめ」と小声で毒づいた。
「ほんと、不思議だ。謎だ。不可解だ。おれは何をやっても悪い方へ誤解されるのに、逆にユキは極悪な兄の面倒を見る良い子の妹とみんなが褒めそやす……。まったく不公平だ。この悲しみと怒りを広く世間に訴えたい。でもおれがそれをやったら、またぞろ悪い方へ解釈されるんだよ。頭のおかしい人が道のまんなかで叫んでます、とかなんとか警察に通報されて、一分以内に逃げないとパトカーのサイレン音が聞こえてくるんだよ。ヂグジョォー!」
「アニー、さっきは『もう慣れっこさ』って言ってなかった?」
「あれはただの強がりだ。本当のおれは傷つきやすいガラスのハートのティーンエイジャーなんだ。それをなんだ、みんなしておれを、悪いやつだ、極悪人だ、と決めつけやがって。ああ……おれの将来は暗い……」
「…………」
「幼稚園、小学校、中学校、そして今は高校……。おれには友達なんていなかった。一人もだ。きっと今後もそうなんだ。恐れられているからいじめられたことはないけど、苦痛だ。孤独だ。このままだと、きっとおれは結婚もできない。できるはずがない。なんせおれが女の子に話しかけたりしようものなら、たちまち性犯罪者扱いされ警察に通報されてしまう……! おれは……おれは、一生、孤独のまま人生を終えるんだ……」
ヤイバは頭をかきむしらんばかりの悲嘆にくれた。
「まあまあ、そう悲観しないの。彼女代わりといっちゃなんだけど、アニーのそばにはいつもこのかわいい妹のユキがいるでしょ。ほら、このホットケーキをひと切れあげるから。甘くておいしいよ~」
そこでヤイバは薦められるままユキのお皿を引き寄せ、ホットケーキをひと切れ口に放りこんだ。
「甘い……。あまりにも甘すぎて今のおれの気持ちにはそぐわないけど、ユキの心づかいが身にしみるなあ……」
ひそ……ひそ……。
「うわあ、あの人、妹さんのホットケーキを取り上げて貪り食ってる……!」
「最悪すぎる! あんな兄がいたら、あたし、絶縁かさもなきゃ家出してるわ」
「きっとここの払いも妹にさせるのよ。そうに決まってる。だってそういう顔してるもん」
…………。
……………………。
ヤイバは「このホットケーキ、ちょっとしょっぱいな……。フフ……」と涙の味を舌の上で転がしながらお皿をユキに返した。
「ユキはいいよな。友達もいっぱいいるし、学校じゃ人気者で……。いつか彼氏ができて、結婚して、幸せに暮らすようになるんだろうな……」
「そうかもね」
「そしたら……うっ……。そしたら、おれは……お兄ちゃんは……ユキの家庭には近づかないようにするから……。ううっ……。ユキや、ユキの旦那や、ユキの子どもが、ご近所のみなさんから『あの家に不審者が出入りしている』って警察に通報されないように、遠く離れて暮らして……独り寂しく死んでゆくから……。うっ……く……くっ……」
「あーもー、泣かないの。もうじき七十億人に達する世界の人々のほぼ全員がアニーを邪悪の化身と非難しても、そうじゃないってこと、あたしとお母さんだけはわかっているから。ねっ?」
「まるであたかも地球上の七十億人がおれを邪神呼ばわりするような言いぐさはやめてくれ。頼むから、ほんと。あとついでに、これも言っておきたいんだけど」
「なあに?」
「その『アニー』っていう、ミュージカルが始まっちゃいそうな呼び方はなんとかならないのか。もっとこう、あるだろ。おにいちゃんとか。兄貴とか」
「ええ? べつにいいじゃない、昔からずっとそう呼んでいるんだし。それにアニーなら、ちょっとこう、かわいい感じがして邪悪濃度が緩和される気がするし」
「おれって……邪悪濃度……濃い?」
「まあ、それなりに」
ヤイバはふうーっと長いため息をついて、雨滴がしたたり落ちてゆく窓を見やった。窓のむこうの景色はなにもかもがにじんで、ぼんやりとして、すっきりしない。
「彼女、ほしいな……。おれみたいなやつにも、怖がらずにつきあってくれる女の子が、捜せばどこかに一人くらいいそうなものだけど……」
ひそ……ひそ……。
「きっ、聞いた? 女が欲しいとか言っちゃってるよあの畜生!」
「たいへん……! そのへんの近くにいる誰かを獣欲のおもむくまま拉致ってあんなことやこんなことをする気でいるのよ!」
「てゆーか、あたしたちウェイトレスが一番やばいんじゃないの?」
「警察! 警察に連絡したほうがいいと思う?」
「それもあるけど、さしあたりあたしたちは厨房へ避難したほうがよくない?」
ヤイバは「聞こえてるんだよ」とつぶやいてうつむいた。
(あんまりだ。おれはぐう畜なんかじゃない)
ヤイバは自分を善人だと言い張るほど傲慢ではない。けれど、社会のルールはきちんと守って生きている。まっとうなモラルも持っている、その点に関しては胸を張って「ほんとうです」と言えるのに――。
「アニー、出よっか」
「うん」
「かわいそうだから、ここはあたしが払っておくよ」
「いや、おれが払うよ。ユキに払わせた日には、またぞろなんか言われるに決まってる。ハァー。かりに今この瞬間、おれが死んで閻魔様の前で自分の人生について語ったとして、閻魔様はその内容を信じてくれるのか? 嘘ついてんじゃねーぞコラ、とか言い出しておれの舌を切りとろうとするんじゃないのか? まったく、どいつもこいつも……くそぅ」
なお、ファミレスで食べたのはユキの注文したホットケーキ+紅茶セットが八百円、ヤイバが注文したドリンクバーが百五十円だった。