第32話 ムエジニの意地
―――貴族席 ファーティマ視点―――
やはりネネたちが勝ちましたか。でも、期待した程の力はないかもしれませんね。
私は先刻までの試合で原形を失った演武台を見下ろしながら嘆息する。隣では学園長イルヒムが戦争が変わると呟いていた。
いつになく興奮しているようですね。確かに空を飛べる利点は大きいですわ。相手の手の届かない上空から敵陣を把握し、指揮所に情報伝達すれば戦いを有利に進められますもの。でも、それは圧倒的な力を持った個が存在しなければのこと。私のようなね。
それだけでなく戦いの様子からいつまでも飛び続けることは出来ないとファーティマは見抜いていた。
「学園長。私はここで失礼します。午後の試合に備えませんと」
「ああ、そうだな。それにしてもネネ君たちの力は予想以上だ。これだけ解りやすく力を示した以上、面倒事が増えるのは確実だろう」
言葉とは裏腹にイルヒムは満足気に顎を撫でていた。彼は将官時代のコネも利用してネネの取り込みを進めており、その中にはネネの義父アフシャール伯爵への根回しも含まれている。外堀は埋まりつつあるとみていいだろう。
ネネたちの力を欲してこれから知己を得ようとする者たちに対して、大きなアドバンテージを持っていることは確実であった。
そんな学園長を残し私は貴族席を後にすると用意されている控室に入る。通常は侍女たちが侍っているけれど、大会中は私の命で側を離れているため侍女はいない。その代わりにそこにはパートナーのルスコが控えていた。
『どうした?浮かぬ顔だな、我が主よ』
『ルスコ・・・問題ありませんわ』
私は歩み寄ってきた銀狼のルスコに目を向ける。私の胴体ほどもある顔は私の背丈と同じくらいの高さにあり、四足獣としては大型の部類だ。私は頼もしいパートナーの頭を抱きしめ、言葉だけでなく身体でも問題ないと伝えた。
ルスコは神獣フェンリルの直系にして人間を寄せ付けない龍種を除けば最強の妖かしである。高い知性に加え念話によるスムーズな意思疏通が可能で、当代最強の召喚師と云われるファーティマの力の根源であった。
気持ちが伝わるまでルスコを抱きしめた私は飲み物を持ってくるよう係に頼むと丸テーブルに据えられた椅子に座った。ほどなく飲み物が運ばれてくる。
私は念のため飲み物をルスコにかざし毒の有無を確認してから喉を潤した。ひとくち、ふたくちと冷えた果実水が喉を過ぎていく。ほんのりと甘く爽やかな風合いに反して一向に気分は上向かない。
なぜ私は・・・こんなに・・・
常とは異なる主の姿にルスコは頭を擡げた。狼をそのまま大型馬並に大きくした身体を丸め、手触りの良い銀毛に覆われた体躯でファーティマを守るように主の様子を伺う。
『主が問題ないと言うなら構わないがな。何かあるなら我に話すことだ』
『・・・ありがとう、ルスコ。ならば聞きますが、あなたはトトの力をどう思いますか? 正直、あなたに匹敵するほどの力があるようには思えませんわ。それともまだ力を隠しているのかしら・・・』
私は自分に匹敵するものの存在を求めていた。最強・・・それは停滞と同義。現状では誰も相手にならず、成長が頭打ちとなっている。そのためネネたちに対する私の期待は大きいものだった。
確かに彼女たちは強い。それは認めます。でも決定力に欠けると言わざるを得ません。
私とて完全無欠とは程遠い。最大の弱点は有効射程が短いこと。雷の利点は数多くありますが、最大射程は30メートル程度。演武台で行われる大会では殆ど弱点とは言えませんが、遠距離からの大質量攻撃は苦手とするところです。とは言え、ネネたちに新たな策がなければ近付くことも出来ず地に伏すでしょう。
『ふむ、あやつか。まだ隠し玉がある可能性は高いな。色々と荒削りで力を使いこなせていないようであるが、そもそも我ら神獣の系譜の強みは古より伝わる異界の知識と知識の応用にある。我々が知らぬ知識を持って何か仕掛けて来る可能性は否定できまい?』
『私たちの知らない知識・・・仮にそれがあったとして実戦で即座に対応できるかしら?』
私はルスコから授けられた知識を身につけ、それを使いこなすまでの反復の日々を思い出す。何れの技術も容易くはない。
『難しい、であろうな。だが事前に見せたことのある技は対処される可能性が高いと言うことだ』
『それはこちらも同じですわね。では、決勝戦で今まで見せたことのない手札を準備していると?』
『あやつが我らの想像した通りの存在ならばな。少なくとも我ならばそうする。あやつの力は随分と応用が効くようだ。まぁその前にムエジニたちとの試合があるわけだが』
『そうでしたね。ムエジニも油断は出来ない相手です。初手には期待しましょう』
私は驕りを捨てるよう自らを戒めた。それでも初手に期待すると言うのには訳がある。
そもそも召喚師は妖かしに指示を与えて戦うもの。である以上、念話の有無は対応力に大きく影響するのだ。
初手ならばじっくりと対策を練り妖かしに言い含めることもできるが、臨機応変な対処は難しい。それを踏まえてのファーティマの台詞だった。
ルスコの耳がピクリと動く。次いで寝そべった体勢からムクリと起き上がった。
トントン
それから間もなく控室にノックの音が響く。
「はい。どなたでしょう?」
「運営委員のワーレンです。次の試合準備が整いました。会場へお越しください」
「わかりました。ルスコ、行きますわよ」
私はルスコを連れ控室を出る。本校舎に設けられた控室から会場となる演武台まではまだ距離があるが、地鳴りのような喚声がここまで響いて来ていた。
今回は随分と盛り上がっているようですわね。さぁ、私を楽しませなさい
私はルスコの首筋をひと撫でして会場へ歩き始めた。
―――大会準決勝会場 ムエジニ視点―――
俺はこの日のために練ってきた策を講じた。俺の策は見事に奏効し、ファーティマの初手を封じた。
今もパイロンに纏わせた高圧の風鎧が襲い掛かってきた雷光を遮断し逆に風鎧の表層部分が雷光を周囲から集めて地面へと流している。
俺がこの策を思い付いたのは偶然だった。模擬戦でファーティマと当たった時に偶々ヒントを得たのだ。
俺とパイロンはそれまで同時に倒されるのを嫌い距離をおいてファーティマたちと対峙していたのだが、この時は俺ごとパイロンに風鎧を纏わせ模擬戦を始めた。特に考えがあってのことではなく、駄目元で思い付きを試したに過ぎない。
しかし、何時もなら初手で即座に気絶させられるところが何故か気絶だけは耐えることが出来たのだ。そして目蓋の裏にクッキリと網目状に広がった雷光の残像が残った。それだけではない。雷光が方向を変え風鎧の表面を流れる様が映っていたのである。
俺は痺れに抵抗できず崩折れながら、“使える”と判断し切り札として風鎧を磨いてきたのだ。
ムエジニは知らないことだが空気の電気抵抗を語る上で“パッシェンの法則”と言うものがある。これによれば空気はある圧力を超えると電気抵抗が増加し絶縁性が上昇する。ムエジニは無自覚にこの法則を利用し、風鎧の圧力を高めることで絶縁性を上げて雷光を防いだのだ。
因みに風鎧の周りに雷光が集まったのは最も絶縁抵抗が下がる圧力と言うものがあり、風鎧を形成する高圧部から若干離れた部分が偶々それに該当したためである。
「見たかファーティマ!いつまでも同じ手が効くと思うな!」
雷光の無効化。これは、これまで唯一雷光を防いだことのあるヨハンナとピニーのコンビによる“土壁”に続く快挙だった。
俺は続いてファーティマとルスコの周囲にも高圧の風壁を配置するようパイロンに指示を出すと、中距離戦よりまだ可能性のある接近戦に持ち込もうとファーティマに突っ込んだ。いや、突っ込もうとした。
「終わりですわ。中々楽しめましたわよ」
ファーティマは疑似身体強化を使ったネネ並の速さでムエジニに肉迫すると紫電の宿ったレイピアを大楯に触れさせる。
「なんだと?!」
ネネの2回戦は俺も見ていた。急激な加速で残影すら残す技。遠目に見ても前述の通りなら、間近で見ては消えたとしか言いようがない。今、俺が体験したように・・・
レイピアが触れた大楯を掴んだ手から、激しい傷みが全身を襲う。勿論、厳重に耐電措置を施していたのだが、空気の絶縁抵抗を破るような高圧電流を直接流されてしまえば成す術はない。
「ウゴゴゲゲガガガ!!!」
傷みも一瞬のこと。俺の意識は即座に闇に包まれた。
◇
全身を硬直させて気を失ったムエジニが顔面から危険な倒れ方をする。
「ちょっとやり過ぎたかしら?」
支えるでもなくムエジニが倒れ込むのを見送ったファーティマは、時折痙攣するムエジニを見下ろし問題なしと判断。審判に目を向ける。
「勝者、ファーティマ! ・・・おい、担架だ!急げ!!」
審判の男は勝利宣言もそこそこに救護班を呼ぶ。
「あぁ、可哀想に・・・」
「・・・何気に頑張った方じゃないか?」
ファーティマの対戦者は大概こうなるので、救護班の面子は同情しながらも事前に準備してあった担架に手早くムエジニを乗せ駆け足で去っていく。
級友が担架で運ばれて行くのに頓着することなくファーティマは観客の声援に手を振ると一瞬ネネに目を止め静かに演武台を去って行った。
―――観客席 トト視点―――
『見たか、今の動き』
俺はネネに問い掛けつつ目を眇めて先程のファーティマの動きを反芻する。
ブーストとは全く違う原理に基づいた技術だな。あれこそ真っ当な身体強化ってやつか・・・
俺の見たところ神経伝達強化と筋収縮強化の複合といったところだろう。効果としては思考速度上昇と筋力上昇、それと俊敏性上昇といった感じだと思う。
こちらのブーストは発生した運動エネルギーの増大と加速度の上昇を行うものでパワードスーツを着込むみたいなものだが、あちらさんは体内の電気信号を強化するようだ。
特に思考速度上昇は効果が高い。思考が付いていかず幾つかのパターンしか出来ないこちらと違って、対応力は向こうが圧倒的に上だ。接近戦を挑むのは危険すぎる。
俺が明日の戦闘プランを組み直していると、漸く始めの質問にネネが辿り着いた。
『見たよ~! 会長がブースト使うとこなんて初めて見た!』
『失敗したぜ・・・あれは俺たちが2回戦目に見せたブーストからヒントを得て新しく生み出したんだろう』
『ええ?! ブーストは息を合わせないと使えないはずだよ? なのにたった1日で使えるようになったなんて信じられない!』
『あれはブーストと根本的に違うんだよ。俺たちのブーストはネネが考えて俺が動かす。だから連携が上手くいってないとまともに動けない。 だが、あっちのは会長が考えて会長が動かす。ルスコは力の強弱だけ制御してるんだ。だから連携が出来てなくても機能するし至って真っ当な身体強化法だ』
『じゃぁ、接近戦だと勝ち目がないの?』
近接武器がメインのネネが涙目で見詰めてくる。
うっ、そんな目で見られてもなぁ・・・いや、待てよ・・・
俺は再度両者を比較してみる。さっきは接近戦は不利だから止めようと思っていた。が、冷静に比較してみればそうとも言い切れない。
『一長一短だな。確かに臨機応変な対応力や瞬間的な反応では向こうが上だろう。だが“純粋な身体強化”だけに筋肉の潜在能力以上の力は出せないし、動かしているのも当人だから疲労は大きいはず。ちょっと脳筋みたいであれだが、圧倒的パワーとスタミナで押し切るのがこっちの戦闘スタイルだな』
『それならいけるかも。早速だけど、帰って明日の作戦を練り直そうよ』
瞳に自信を取り戻したネネが一緒に観戦していたヨハンナとアティフェに手を振ると寮に向かう。
「応援するから明日も頑張りなさいよ!」
「トト君に怪我させちゃ駄目よ! 無理って思ったら直ぐに降参しなさい」
「もう! アティフェったらちゃんと応援してよね!」
何時もなら付いてくる二人だったが、気を効かせたのか今日は付いて来なかった。ネネも大きく手を振って客席を後にする。
「・・・行っちゃったか。ヨハンナ、二人で残念会しよっか」
「ハハ、あんたが私の残念会しようなんて。・・・ありがと」
「ネネと一緒じゃ流石にね。トト君なら有りだけどさ」
「ようし、そうと決まれば旧市街に出掛けよっか!」
「仕方ないから付き合うわ」
二人は観客席を後にすると正門の方に歩いていく。俺の無駄に性能の良い耳が二人の会話を捉えていたが、無論ネネに話すつもりはない。
だが、もうひとつネネに話す必要がある案件があった。それはルスコの操るブースト(仮)が俺のブーストより遥かに高い次元の制御を行っており、現時点で俺はルスコに遠く及ばないこと。
あの試合でルスコは雷光が通じないと悟ると雷光は目眩ましと割り切り、自らパイロンの牽制を行いながら完璧に会長をサポートしてみせた。
俺にだって同じことはできると思う。しかし、制御が甘くなることは否めない。
これについては結局悔しくてネネに話すことが出来なかった。毎日努力を重ねてきたし自信だってあった。俺の制御力は一流だと自惚れていたんだ。
俺はショックを隠して作戦を練る。アヤメが珍しくちょっかいを掛けずにそんな俺を見つめていた。
これはバレてるなぁ
そして、勝利を確信できないまま、ついに決勝戦を迎えることになる。
大変遅くなりました。お読み頂き有り難う御座います。
連日の猛暑で完全に夏バテです。
固形物?何それ美味しいの?




