第27話 大会前夜
―――後期大会前夜―――
夕立の後に吹く風が心地よく過ぎていく。
雲の流れた空には青味かかった月―マナーン―が優しげな光で地上を照らしていた。ひと月前には赤茶けた地面を曝していた大地は今、新緑の季節を迎えている。
俺は数日ぶりに母さんと連絡を取るため、出窓に飛び乗りブラインド(俺発案、ネネ製作)を引き上げる。
「トト~、どこ、行った?」
俺が“声の道”を準備していると幽霊少女ことアヤメの声が聞こえてきた。俺の頬が勝手に引き攣る。
アイツに見つかると面倒だ。
俺は見つからないように周囲に魔力と振動を受け流す領域を展開しアヤメが遠くに行くのを待った。
くそ~、俺の平穏な生活をぶち壊しやがって・・・
アヤメが寮に来て早一週間。俺の予想に反してアヤメはあっさり学園に馴染んでいる。幽霊族と言うのはカーバンクルほど珍しい存在ではなく、街中ではあまり目にしないが地方ではよく見掛けるらしい。
初めてアヤメを連れ帰った時、上手くすれば追い返されるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのだが、寮長が言ったのはたった2点。
1.勝手に人から命を吸わないこと。
2.勝手に命を吸った場合、強制的に出て行って貰うこと。
それだけで入寮が認められた。ネネの部屋に同居することが大前提だとしても、そんなに簡単に許しちゃっていいの?と思ったものだが、そもそもこの世界では幽霊族はほぼ無害と認識されているらしい。たまに悪質なものもいるようだが、それは人間も一緒だしな。
「トト~?アヤメがお腹空いたって言ってるよ~」
どうやらネネまで捜索に加わったようだ。ここに来るのも時間の問題だろう。俺は体重を激減させると出窓から飛び出し外壁をかけ上った。煉瓦の微妙な凹凸を使って垂直な壁を駆ける。
『ヨッ、ハッ、トッ』
煉瓦の端に爪を引っかけ前に進む力を強化、そして壁から離れようとする力を弱化することでスルスルと登る。猫も真っ青な身のこなしを自画自賛しつつ、あっという間に屋上に到着した。
これで暫くは安全だろう。安心は出来ないが・・・
俺は数日前の悪夢を思い出す。それは夕食を終えソファで寛いでいる時だった。
―――数日前 ネネの部屋―――
俺が毛繕いをしていると急にランプの火が消える。
あれ?油切れか?
街灯などないこの世界では、ランプの火が消えると真っ暗で何も見えない。外ならば月明かりや星明かりで多少は見えるのだが屋内ではそれも望めない。
仕方ない、寝るか・・・
残念ながらカーバンクルの手で給油や着火をするのは難しい。とくにこれと言った用事もないのでネネを呼ぶのも躊躇われる。前世と違って油は意外と高級品なのだ。諦めた俺がソファに寝転がり微睡みかけた時、何かが体を這い回る感触がした。
んん~、なんだ?ネネが撫でてるのか?
薄目を開けて体の方を見るとソファの中から青白い手が生えて俺の体を弄っている。
「(ぎゃぁぁぁ~むぐぐ?!)」
続いて伸びてきた手が口を塞ぎ悲鳴が掻き消される。あまりに非現実的な光景にパニックになりかけるが・・・
待て、こんな事をする同居人に心当たりがあるぞ・・・
俺が急に大人しくなったからかソファの中から頭が出てきた。勿論、無表情の髪の長い少女。アヤメである。
『おい、まず首だけソファから生やすのはヤメロ』
暗闇の中ソファから生えた生首なんて怖すぎるだろうが!
俺が怒りを押さえた低い声(そんな感じの思念)で可能な限り冷静に呼びかける。
ソファから生えた手で拘束されるなんて、一瞬心臓止まったわ!ショック死したらどうしてくれるんじゃ!!
俺が怒りで震え二の句が継げずにいると・・・
イヤやわ~、ちょっとした悪戯やんか~、そんなに怒らんといて~
身振りでそんな事を伝えてくるアヤメ。無表情なのに感情表現が豊かなヤツだ。しかし、甘やかしてはいけない。今日こそはお仕置きしてやる。
以前、お仕置きとして魔力が周りから入ってこない領域に閉じ込めた事があったのだが、ガン泣きで赦しを請われた。
なんでも幽霊族は殆どの感覚を魔力に頼っているため、魔力が届かないと感覚が遮断され狂ってしまうらしい。俺としては飯抜きくらいの軽いつもりだったのに、拷問に等しい行いだと知って逆に謝ったものだ。
『クックックッ、でも仕方ないよなぁ。連日だもんなぁ』
アヤメは俺の目に何を見たのか「やってもうた!」と額に手を当てた後、青白い顔を更に悪化させフライング土下座を敢行した。床に額を擦り付けるとは聞いたことがあっても、床に頭をめり込ませるヤツはアヤメくらいではなかろうか?
そこに空気を読まないものがひとり。
「アヤメ~、どうだった?トトもビックリしたでしょ~♪」
ネネはランプに火を点してこちらを振り向くなり固まる。
『ネネ、お前もか・・・』
俺は黙って床を指し示す。ネネはコクコクと頷くとアヤメの隣に大人しく正座した。
『お前たちに言いたいことは山ほどあるが、まずはお仕置きだな』
その後、ネネには腹筋200回(俺が腹の上で跳び跳ねる)、アヤメには魔力回し(バットに額を付けて回るようなもの)の刑に処した。
ネネは「腹筋が割れちゃう~」と半泣きになり、アヤメは床に体をめり込ませた状態で微動だにしない。新手の感情表現か?いや、きっと無言の抗議だな。
―――後期大会前日 屋上―――
とまあこんな事があったわけだ。つまり、物陰に隠れていようと床から頭が飛び出して来る可能性があるのだ。
俺は慎重に魔力と音を探り一先ず安全だと判断する。
見上げればいつの間にか雲が晴れ満天の星空が広がっていた。深い闇あらばこその耀きを暫し堪能する。
そう言えば、学園に来てからあまり星空を見る機会がなかったな。
母さんたちと過ごしていた頃はこれが当たり前だったが、いつの間にか人の暮らしに慣れてしまっていたようだ。
俺は気持ちも新たに遥か遠い母さんの処まで“声の道”を繋ぐ作業に取りかかった。イメージとしては糸電話の糸を消防車の放水のように吐き出す感じだ。
糸の先端部分は周辺の音や魔力を探査するセンサーの役割があり、これのお陰で対象を探す事が出来る。ただ、放水と表現した通り数メートル伸ばすだけで膨大な魔力が失われていく。
俺は脱力感に襲われながらもなんとか制御し続け、永遠とも思える長い時間(実際には10分ほど)を耐えて漸く母さんの所に声を届かせた。
「(母さん!母さん!)」
「(トト?)」
「(やっと繋がった!また北の方に移動してるの?)」
俺は目眩に耐えながら言葉を紡ぐ。パイロンと比べても桁違いに多い俺の魔力が“声の道”を繋げるだけで半分以上失われていた。今、会話を続けるだけでもみるみる魔力が減っていくのがわかる。
「(そうだよ、後ひと月も歩けばカーバンクルの村に着くかな)」
母さんは元気そうだ。それだけで報われた気がする。
「(前と比べて綺麗に声が届いてる。トトは頑張ってる。凄いぞ)」
俺は年甲斐もなく照れてしまった。母さんに誉められて喜ぶとは俺もまだまだガキだなぁ
「(ありがとう、母さん。それとゴメン。父さんとリコの情報はまだわからないんだ・・・)」
そう、俺はまだ自分以外のカーバンクルについて情報を得ていなかった。嘘か本当かわからないような逸話は幾つか見つけたものの、全て大昔のもので信憑性が薄いものばかり。
「(ミコママは信じてる。トトはミコママの子。必ず出来る)」
「(俺、頑張るよ・・・そろそろ限界だ。また連絡するから)」
俺は途中で涙声になりそうなのを耐え、母さんに別れを告げた。既に魔力は底を尽きかけ気力でもたせている状態だった。これ以上やれば額の宝玉に異常が出ても可怪しくない。
「(待って!これはミコママの勘だけど、リコがトトの側に来てる感じがする。リコが泣いてる気がす・・・)」
ここで会話が途切れてしまった。頭がガンガンする。だが、最後に母さんは何と言った?リコが近くに来ているだと?!
俺は母さんの勘を千里眼か予知に近い能力だと考えている。つまり、実際にリコは近くに来ているのだ。俺は俄然やる気になった。
明日の大会では派手にやってやろう!リコが気付くように!
力の入らない足を叱咤し俺は再び天を仰ぐ。そこに油断があった事は否めない。
「見つけた」
『げっ、アヤメ!』
俺は周囲に展開していた領域が消えている事に気付いた。屋根の下から顔を出したアヤメとバッチリ目が合う。
なんという不覚!!このままでは・・・
俺はどうにか逃げようと身を翻したが、足腰に力が入らずペタリと屋上に伸びてしまった。アヤメは魔力切れで禄に抵抗出来ない俺を抱き上げ、いつものように魔力を吸い始める。
『にゃめろ~』
「あれ?魔力、無い?」
小首を傾げ不思議そうにするアヤメだったが、忖度することなく吸収を止める気はないようだ。若干口角が上がって見えるのは見間違いではあるまい。
『おびょえてりょよ~』
既に限界を迎えていた俺は捨て台詞を残し、敢えなく意識を手放したのだった。
この時の俺は目眩がしていた事とリコが近くに来ていると言う事に舞い上がり、リコが泣いてると言う言葉を聞き漏らしていた。この後、俺は酷く後悔することになる。
―――ネネへの手紙―――
私は大会を明日に控えても終止リラクッスしていた。前回までの私なら大会前日は緊張で落ち着かない時間をひとり過ごしていた。だけど、今回は違う。何と言ってもヨハンナだけじゃなく、トトにアヤメ、ついでにアティフェもいる。こんなに充実していた事はなかった。
今も私はウキウキした気分でアヤメのごはんを探して部屋の中を捜索している。
「アヤメ、いた?」
「いない・・・」
トトは急にいなくなることがある。聞けば答えてくれそうだけど、なんとなく聞き難くくて何してるかは知らない。それに、やたらと隠れるのが上手くて見つけるのが難しい。
「これだけ探して見付からないとなると、この部屋から逃げ出したのかも・・・捜索範囲を広げよう」
アヤメはコクッと頷くと意味深な目を向け直ぐに壁をすり抜けて行った。
あの目は私に挑戦してると見た!どちらが先に賞品を掴むか競争よ!
私も負けまいと扉に向かう。扉を開こうと手を伸ばした時、タイミングよくノックの音が響いた。
ヨハンナやアティフェなら直ぐに扉を開ける筈。こんな時間に誰だろう?
私がそっと扉を開くとそこには寮長が立っていた。
「今晩は、貴女宛ての手紙が今朝届いていたの。渡すのが遅くなってごめんなさい」
彼女はそう言うと四隅が多少よれた手紙を差し出してきた。
この時代の手紙は目的地に向かう行商に預ける事が多く、公文書でもなければ、飛脚や早馬を準備する事は希だった。このため馬車での移動以上に日数がかかる事はざらで、この手紙も送った日付は2ヶ月前になっている。
「態々届けて頂いて有り難う御座いました」
私は寮長にお礼を言って手紙を受けとると裏返して封蝋を確認した。稲穂と鎌が交差した紋章―アフシャール家の紋章だ。
私は首を傾げる。こちらから手紙を出す事はあっても、アフシャール家から手紙が来ることは滅多にない。
何かあったのかな?
急いで封筒から便箋を取り出し目を通す。
ネネももう5年生になるのですね。あなたがアフシャール家に来た時にはまだまだ子供でしたのに、来年には成人だなんて早いものです。
今年の召雨祭で開かれる大会はあなたにとって最後の大会。私は義母としてあなたを応援に行く事に決めました。シヴィリも賛同してくれたので護衛のハティを連れ王都に向かいます。あなたの師匠でもあるハティも成長を期待していますよ。
あなたが大会で成績を残せず悩んでいるらしい事は人伝てに聞きましたが、気負わず頑張りなさい。
義母 ラーニア
追伸
シヴィリの婚姻が決まりました。お相手は会ったときのお楽しみです。
私は戸惑いと同時に喜びを感じた。手紙は態々貴族らしい文面ではなく、庶民が交わすような平素な文面で書かれている。修飾されない率直な文面は、義母の真心が篭った手紙だった。
私は手紙を抱き締めるとよれた四隅を丁寧に伸ばし、大切に引き出しに仕舞う。
手紙の日付は2ヶ月前。もう義母たちが王都に到着していても不思議じゃない。
アフシャールは王都から見て遥か西。馬車で1ヶ月半はかかる距離にある。私は4年前に家を出て以来1度も帰った事がなかった。
不安は大きい。その反面、嬉しさが少しずつ大きくなって行く。
前大会までの私なら義母たちが来ることを素直に喜べなかっただろう。でも今回はトトたちがいる。きっと良い試合を見せられるはず。まだ義母たちが着いたと言う連絡がない以上、自分の活躍を見てもらうためにも、明日は絶対に負けるわけにはいかない。
私が気合いを入れ直していると控えめなノックに続いてアヤメが帰ってきた。その胸にグッタリしたトトを抱いて・・・
「ウチの勝ち」
ピッと親指を立てるアヤメ。
「ちょっと、トト?!」
こうして大会前日の夜は騒がしく過ぎていくのだった。
またまた投稿が遅れてしまいました。
一応完結までのプロットはあるものの何時になることやら・・・
ボチボチ書いていきますので見捨てないでくださると嬉しいです。




