第18話 相棒レベル1
ムエジニとの模擬戦当日。
ネネは困っていた。傍目には退学を賭けた模擬戦の影響に見えたかも知れないが内実は違う。朝からトトの機嫌が悪いのだ。昨日サクッとネネに見棄てられた事に加え、ミコとの連絡に失敗したのが大きい。
『そろそろ機嫌直して?綺麗にブラッシングしてあげるし、お乳は出ないけどおっぱい吸っても良いから』
大胆な発言にトトの耳がピクッと動く。
『そ、そ、そんなこと言っても赦さないからな!昨日、俺がどんな目にあったか見ただろ?あの絶壁女め!!』
胸をガン見しながら言っても迫力に欠けるが、トトの体の3分の1を覆う包帯を見ては黙るしかない。
昨日、夕食後にネネの部屋を訪ねて来たヨハンナはボロ雑巾のようになったトトを抱いていた。時折痙攣しているので気絶しているだけのようだが・・・
「アハハ・・・ついムキになっちゃって。ごめん」
「トト~?!」
トトは体長が35センチメートルくらいで犬で言えばチワワほどの大きさしかない。人間ならまだ4、5歳くらいの子供であるトトは持久力がなく、あの後すぐヨハンナに捕まったのだった。因みにピニー(雌)がトトの逃走方向に半径30メートルにも及ぶ流砂タイプの拘束魔法を使ったことが致命的だったらしい。
縄でグルグル巻きに縛られたトトを黒い笑みを浮かべて鞭を持ったヨハンナが見下ろす。
あ、あれはサディ○トの目だ!
身動きが出来ないトトの背後に回ったヨハンナは具合を確めるようにパシッと鞭を振るう。トトは音がする度にピクピクと反応しながら為す術なく恐怖に震えた。その嗜虐心をそそる姿がヨハンナに口角を上げさせる。
「フフ、フフフ・・・」
「キュワ!キュキュ!キュキュイ!」「(コワ!怖すぎる!俺が悪かったから!)」
静かに笑いながら鞭を振り上げるヨハンナ。トトは背後から襲う鞭を勘を頼りに逸らすが、半端な抵抗が逆にヨハンナの心に火を点け段々とお仕置きが過激になっていく。
ヤメロ!! イタイ!イタイって!・・・・・・あ、あ、あれ? なんか気持ち、イイ?
トトは朦朧とする意識の中、危うく痛みが快感に変わると言う禁忌の扉を開きかけたのだった。
うぅ、思い出すだけでおぞましい。
トトは全身に走るヒリヒリとした痛みに対して代謝を上げ回復を促進しながら、忌々しい記憶を追い出すように頭を振った。何気なく使っているがこの回復能力こそがサイパのもうひとつの効果であり原理が判然としない原因だった。そこに悪魔の声が響く。
「ネネ、おはよう! トトも昨日はごめんね」
「キュイ~!、キュイキュイ!!」「(こっちに来んな!この絶壁女!!)」
声が聞こえた瞬間。トトはネネの髪に身を隠すと頭だけ出して威嚇した。
「アハハ・・・そんなに警戒しないで。ね?」
「おはよう。昨日の今日じゃ仕方がないよ。私だって今朝から怒られてるんだよ~」
2人が朝の挨拶を交わしているとヨハンナの天敵―――校内最大と目される胸を持つ―――アティフェ・ラナーが声をかけてきた。
「おはよう。その子が噂のカーバンクルね?随分と可愛い子じゃないの」
声に反応して振り向いたトトはネネとアティフェの身長差の関係で目前に突き出た砲弾型のお胸様に視線が釘付けになった。
『おい、ネネ。このお方はなんて言うお名前なんだ?!』
『あのね、トトは子供だからおっぱいが恋しいのはわかるけど、あまりおっぱいばかり見てるとまたヨハンナにお仕置きされちゃうよ?』
若干の苛立ちを含んだネネの声とお仕置きの言葉にハッとなるトト。
『いや、違うんだ!別に・・・』
トトがネネに言い訳をしているとアティフェの手が伸びてきてトトを抱き上げた。
「あらあら、こんなに怪我をして。無理に訓練でもさせられたのかしら?私のところに来ればそんな危険な事しなくてもよくなるわよ」
アティフェは自慢の胸にトトを抱き寄せると頭から尻尾まであやすように撫でる。
「トトは私の妖かしです!返して下さい!」
「そうよ!その駄肉の塊を引っ込めなさい!」
「ふ~ん、この子はトトって言うのね。見なさい。トトは嫌がっていないようよ?それとヨハンナ。トトに嫌われたからって嫉妬は醜いわ」
アティフェは余裕の態度だ。可愛いもの好きのアティフェは元々可愛い容姿のカーバンクルに興味があった。実際目にしたトトは触り心地が良く、小さな体に大きめの瞳、ピコピコとよく動く三角耳が愛らしく、撫でられる度に喉を反らす姿はアティフェの母性をくすぐった。
目を落とすと胸に包まれたトトが気持ち良さそうに目を閉じており、太めのフサフサした尻尾が胸の下で組んだ左手にきゅっと巻き付き一層愛しさが込み上げてくる。
本当に可愛いわ!もし誰かに譲るつもりなら私にくれないかしら?うちのアミーも可愛いけど、やんちゃだから抱いた時に角が当たって痛いのよね。
アミーとはアティフェの召喚した妖かしで一角兎である。決して強い妖かしではなかったが、貴重な回復系の能力を有しており、愛らしい容姿もあって女性召喚師に人気があった。
一方ネネはアティフェに促され胸に抱かれて気持ち良さそうにしているトトを見た。ここでもしトトにアティフェと一緒の方が良いと言われてしまったらまたひとりぼっちになってしまう・・・ネネの胸に抑えきれない不安が押し寄せてきた。
トトを喚んでからまだ2日しか経っていないが、いつもそばにいて他愛ない話をしたり、寄り添って眠ったりするトトとの時間は、ネネにとって掛け替えのないものになりつつある。それは否応なく幼い頃に家族で過ごしていたマッカ村の日々を思い出させた。
「返して!」
ネネは普段からは創造出来ない乱暴な手付きでトトを奪い返すとアティフェに背を向ける。
『ネネ?』
戸惑うトトの声にも返事をせずネネは強い口調で言い放った。
「トトは家族なの!誰にも渡さないんだから!」
ネネの豹変振りに驚く2人を押し退け、騒ぎを聞き付けた凸凹コンビの凸ことアクバル・ファハドはネネをからかう。
「学園始まって以来の落ちこぼれが何騒いでんだ?どうせ今日退学になるんだ。最後くらい静かに出来んかねぇ」
ビクッと肩を震わすネネを庇うようにヨハンナが間に立つ。
「まだ決まってもいない事をグダグダ言わないで」
「ほぅ、じゃぁそこでビクついてる落ちこぼれがムエジニさんに勝てるとでも?」
大げさに肩を竦めたアクバルは同意を求めるように辺りを見回した。だがいつもつるんでいる面子はおらず、他のクラスメイトは殆どが無関心だった。アクバルは興が削がれたように舌打ちする。アティフェも結果の見えた模擬戦に憐れむような視線をネネに向けた。
まぁ仕方ないかな。私もトトの力を見ていなければアティフェのように思ったかも知れないしね。でもトトは強い。まだ子供とは信じられないほどに。
「そうね。ネネとトトなら勝てるんじゃない?」
実際に見なければ何を言っても無駄と思ったヨハンナは多くを語らずただ“勝てる”とだけ言った。
「ちょっと!トトをパイロンと戦わせる気?!トトはまだ子供なのよ?それにカーバンクルには戦いに役立つような能力はないって言われているのに・・・」
無謀な行いを止めようとアティフェが口を挟むがアクバルはアティフェを一瞥しただけで話を戻す。
「ふん、なら午後の実技を楽しみにしてるぜ。そのカーバンクルが死なないように精々頑張るんだな!」
捨て台詞を残してアクバルが立ち去ると早速アティフェがネネに詰め寄る。
「ちょっとネネ!棄権なさい!ただでさえトトは怪我をしてるんでしょう?こんな可愛い子を死なせる気なの?!」
“怪我”というフレーズを聞いて張本人であるヨハンナの顔が引き攣った。慌ててアティフェを宥めにかかる。
「まぁ待ちなさいって。あなたが可愛いもの好きなのは知ってるけど、ネネだって今日負けたら色々大変なのよ?それにトトは強いわ。パイロン相手じゃ傷ひとつ負わないでしょうね」
「ちょっと正気なの?ムエジニとパイロンのコンビは突破力だけなら会長に匹敵するわ。あんな小さい子が踏まれたりしたらぺったんこになっちゃう!」
ヨハンナとアティフェが言い合っている間、トトは俯いたままのネネに根気強く話しかけていた。
『ネネ。急に態度が変わったのは何か理由があるんだろ?言って貰わないとさ、わからないぞ?』
『トト・・・聞いてくれる?私ね、実は養女なんだ。元々はただの村娘だったんだよ・・・』
ネネは不安の元を吐き出すようにマッカ村での生活や家族との思い出と別れ、養女となってからの努力や寂しかった生活などをポツポツと語った。
『だからかな?トトと離されるって思うと感情が抑えられなくなっちゃって』
『ふ~ん』
『ふ~んって何よ~!人が真剣に話したのに!』
『だってさ、それって俺が信用出来ないって事に尽きるだろ?』
トトはネネの目を真っ直ぐ見詰めて言った。
『でもそれは当たり前だ。俺たちは出会ってたったの2日。俺はネネの事をよく知らないし、ネネだって俺の事知らないだろ?』
トトは生まれた直後に狼に襲われた話や父が行方不明で母と妹の3匹で捜索の旅を送っていた事。そんな時、おそらく自分と妹が召喚されてしまった事などを話した。
『ごめんなさい・・・私、自分の事ばかりだったね・・・そっか、私がトトの家族をバラバラに・・・』
『待てって。思うところがない訳じゃないが謝って欲しくて話したんじゃない。俺の事をネネに知って欲しかっただけだ。なんてたって俺たちは“相棒”なんだろ?』
『そう、だね。私の方が年上なのに、なんだかトトの方がお兄ちゃんみたい。こ~んなに小さいのに』
ネネは掌に乗せたトトを顔の前まで持ってくると人差し指で頬をつつく。
『これからはトト様って呼んでも良いぞ?』
『もう、そう言うとこはまだまだ子供ね~』
トトとネネが一歩絆を深めている頃、ヨハンナとアティフェの言い合いはネネがどうするつもりなのかと言う当たり前の話に落ち着いていた。
「ネネ。結局模擬戦はどうするの?」
「トトが大事なら勿論棄権するんでしょ?」
「模擬戦はやるよ。トトと私の力を皆に見せる!」
アティフェは未だに納得していない様子だったがネネの決意が固いと知ると黙った。心配そうな視線をトトに向けつつも、いつもの席に戻っていく。
その後は何事もなく時間が過ぎて行き、ついに実技の授業が始まる。いよいよ模擬戦が迫っていた。
話は変わるがこの日を境にトトを意識し始めたネネは一緒にお風呂に入らなくなりトトは悲哀の涙を流したと言う。
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次回はいよいよムエジニとの模擬戦です。