第15話 探る瞳、潤む瞳
ネネは夕食をとるため部屋を後にした。その肩にトトの姿はない。不貞腐れてベットに潜り込んだまま寝てしまったのだ。
「ちょっとやり過ぎちゃったかな?」
トトの恥ずかしがる姿が可愛くて、ついつい手が出てしまった。思い出すとネネの顔がニヘラと崩れる。
まだまだ子供なのに偉そうな口調と恥ずかしがる姿のギャップが愛らしい。
ネネが思い出し笑いをしながら廊下を歩いていると、並んでいる扉の1つが開いてクラスメイトのヨハンナ・フィヨル・プランタが出てきた。
「あらネネ。これから食事?随分楽しそうじゃない」
ヨハンナは数少ないネネの友達だ。召喚術科のほぼ全生徒から厄介者扱いされているネネにとって彼女の存在は大きかった。貴族の養女という境遇も同じく入学当初から仲良くしている。
「ふふっ可愛い子が喚べたからね!一緒に水浴びしてたら遅くなっちゃって。ヨハンナも夕食?」
「そう、実技が苦手だからピニーと一緒に訓練してたの。それより聞いたよ!カーバンクルを召喚したんでしょ?確かに可愛いと思うけど、パイロンとの模擬戦は厳しいよね・・・」
ヨハンナは心配そうにネネの様子を窺う。強制力がないとは言え退学が賭かった模擬戦だ。空元気じゃなければ良いけど。
「たぶん大丈夫じゃないかな~。トトは特別なカーバンクルだしね!」
ヨハンナの心配を余所にネネはまるで心配していない風にあっけらかんと答えた。つい昨日までは悲壮感すら漂っていたと言うのに随分な変わり様である。
「特別?トトって名前まで付けちゃったのね。でもカーバンクルって言ったら事故に会っても軽傷で済むとか、商売繁盛みたいな能力だったよね?」
ヨハンナが言ったことは人間たちの間で信じられているカーバンクルの能力だった。このため幸運を呼び込むとしてカーバンクルが召喚されると貴族や商人が挙って買い求めるのだ。
因みに召喚術では妖かし1体としか主従関係を維持できず、妖かしを手放す場合は主従関係を解消しなければならない。戦闘力の低いカーバンクルは妖かしを切り札にする召喚師に不人気で、すぐに売られてしまう傾向にあった。
「トトはね・・・え~と。ムエジニが掴み掛かってきた時に見ただけで手を逸らせてみせたんだよ!」
ネネは話が出来ると言いかけ慌てて昼間の出来事に言い替える。
「嘘?!」
微妙な間があったことを不自然に感じたヨハンナだったが続く言葉に驚愕の声をあげた。
「何かね、見えない壁が在るみたいに手が届かなくなったんだ~」
「凄いね!事故の時軽傷で済むって話もその力のお陰なのかも」
「ん~、詳しい事はわからないんだよね。明日訓練に付き合ってくれる?トトをなんとか説得するから」
「それは良いけど、説得ってなぁに?やっぱり臆病なの?」
「そんなことトトの前で言っちゃダメだよ?!説得って言うのはね、無理矢理水浴びさせたから拗ねちゃったんだ。今はベットで不貞寝中」
正確には水浴びが原因ではなく全身を隅々まで洗ったからだが、ネネの中ではそう言うことらしい。
「アハハ、可愛い~!だから一緒じゃないんだ。うちのピニーも可愛いけど感情がわかり難いのよね」
「ピニーは土大亀だもんね~」
二人の弾んだ声が交わされる。いつもは長く感じられる廊下があっという間に通り過ぎていった。
食堂には大きさの違う円テーブルが70卓ほどあり、各テーブルには3~5脚の椅子が据えられていた。
ピーク時にはいつも学生で溢れかえっているのだが、時間がずれた今は学生の姿は疎らである。
ネネたちは給仕に注文を済ませると窓際の小ぶりなテーブル席に着いた。間も無く食事が運ばれて来る。
「食事が全部無料なんて小さい頃には考えられなかったよ」
「うんうん、お腹いっぱい食べられるのもね~」
本日のメニューは鰐肉のピタカタと鶏ガラのスープ、デザートはフルーツの盛り合わせだった。アツアツの料理を前に二人は暫し食事に専念する。下品にならないギリギリのラインで次々と料理を口に運んでいると生徒会長のファーティマが声を掛けてきた。
「お食事中のところごめんなさい。ネネさん、あのカーバンクルは一緒ではないの?」
「?!・・・」
殆ど会長と話したことがないネネが言葉に詰まっているのを見てヨハンナが代わりに答える。
「水浴びをさせたら嫌がって拗ねちゃったみたい。今はネネの部屋で不貞寝してるんだって」
ファーティマはヨハンナの言葉に軽く頷くとネネを見詰めた。
「そう、残念です。私も話をしてみたかったのですが・・・今度にしましょう」
「っ?!」
話がしたいと聞いて一瞬手が止まったものの、ネネはどうにか平静を装った。静かにネネを見詰め続けるファーティマ。
「ところでカーバンクルとの主従関係はきちんと結べていて?私の目には随分と細く感じるのだけど」
目を料理に向け必死に誤魔化していたネネの手が再び止まる。
主従関係を結んだ妖かしと召喚主の間には魔力の糸が結ばれていると言う。普通は目に映らず当人にしか感じられないが稀に見える人間がいるのだ。
ネネとトトは何らかの理由(おそらくはトトの能力)によって使役術式がキャンセルされており、主従関係は不完全だった。
「大丈夫です!私とトトは愛で結ばれています!」
予想の斜め上を行く返事にファーティマは珍しく目を見張ったが、すぐ口元に笑みを刻んで「邪魔したわね」と去っていった。
「どうかしたの?」
「ん~ん、何でもない」
口ではそう言ったものの確信めいたファーティマの言動に不安が過る。
「そう?何でもないなら良いけど」
空気を読んだのかそれ以上の追求はなくその後は和やかに食事を続けたのだった。
その頃のトト。
「(・・・ト~!リ・~!)」
不貞寝していたトトがピクッと耳を立てもぞもぞと動く。
んぅ~、なんか母さんの声が聞こえたような・・・
トトは暫く耳を澄ましたが何も聞こえない。
空耳かぁ~もうホームシックに掛かったのかなぁ
「(トト~!リコ~!)」
「(母さん?!)」
今度ははっきり声が聞こえた。トトは近くにミコの気配がないか感覚を研ぎ澄ませる。
「(近くにいるの?)」
「(トト?!トトは無事?リコは?リコも一緒?)」
「(俺は無事だよ!リコは一緒じゃないんだ!)」
「(何ですぐ返事しないの!えっ?近くにはいないよ?)」
母さんの返事は一歩遅れている様だった。この現象には覚えがある。タイムラグだ。恐らく相当距離が離れているのだろう。
「(リコは一緒じゃないのね・・・トトだけでも無事が確認できて良かった・・・)」
数秒後になってやっと先ほどの答えが届く。やはりタイムラグが大きいようだ。声がこれだけ遅れるとなると1000キロ以上は離れている可能性がある。
「(母さん、落ち着いて聞いて。俺たちは相当な距離を跳ばされたみたいだ。声が届くのに何秒か時間がかかってるから返事を聞く時も何秒か待って)」
こんな距離に声を届けている以上、母さんは相当な無理をしている筈だ。トトはミコの声から気配の残滓を探して声のルートを補強する。
「(ホント。声が遅れて届くなんて。それとトト。補助してくれてありがと。ミコママはもう限界だった)」
「(母さん、あまり無茶しないでくれ。リコは俺が必ず見付けて連れ帰るから)」
「(お願いね。もう額がかなり痛い。トトたちがいる方に出来るだけ近付いてみたけど、大きな川があってこれ以上近づけないの)」
「(少し休んで力を回復して!じゃないと母さんがサイパを使えなくなっちゃうだろ!)」
俺には散々サイパの使い過ぎを注意した癖に、なんて無茶を!
「(トト、これだけは聞いて。カミュの気配が感じられなくなったの。カミュはもう・・・)」
「(そんな・・・父さんが?・・・いや、今は母さんだ。とにかく休んで!次は俺から連絡出来るように頑張るから!)」
ミコからの返事はもう来なかった。本当にギリギリで限界を迎えたのだろう。これ以上の無茶をしなければ良いけど・・・
来たこともないここに声が届けられる以上、母さんの勘を疑う余地はない。父さんはもう死んでいると覚悟していたのに、改めて聞くと冷水をかけられたような気分になった。
せめてリコだけでも必ず見付け出す!
トトは決意を新たにした。
久々にミコさんの登場です。元々はずっと後になってから登場する予定でしたが、ミコが可哀想という意見を頂いての登場と相成りました。でもやっぱり不幸ですね・・・
次回からサイパの能力が徐々に明らかになっていく予定(?)です。