表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風神の墓標  作者: 白馬 黎
第一部
5/6

第一章「ふるさとは灰となり」4

 気がつくと陶芸じいさんの小屋で寝かされていて、アラーハが濡れタオルを武骨な手でウラルの額に当ててくれていた。

「気がついたか」

 目をしばたくと涙がこぼれた。目尻から滑り落ちる前にアラーハがタオルで受け止めぬぐってくれる。きっとウラルはずっとそうして泣き続けていたに違いない。腫れたまぶたが重かった。

「お父さんのこと、お気の毒だった」

 ウラルは父と仲間を軍の人間が迎えに来るまで父の身体にすがって泣き続けていた。遺体を引き取りたいと申し出た軍人を睨みつけて、なにか怒鳴りたいのに何も声を出せない自分に憤って。どうして、どうして、どうして……それだけを繰り返し呟き続けて。最後は見かねた軍医に眠り薬を嗅がされて。気づけばここに横たわっていた。


「お前のおかげであの後、兵士たちが事情を話してくれた。礼を言う」

 外は真っ暗だ。窓の外、義勇軍が拠点を置いている丘だけが松明で朱く光っている。アラーハもランプに灯をいれてウラルの顔を照らした。

「いい知らせか悪い知らせかはまだわからんが、お前の耳に入れておきたいことも聞いた。ラルフ・レーラズというのはお前の兄のことだな?」

 思わぬ言葉にウラルは顔を跳ねあげた。ラルフ、ウラルの三つ年上の兄。十年前に母もなくしているウラルにとって今はただひとりの家族。

「お前の兄も斥候隊の一員として隣村まで来ていたそうだ。盗賊兵士どもに襲われたとき、状況を伝えに単独で砦へ戻ったらしい。目の前の敵からはお前の父が捨て身で守ったようだが、あの戦場、実戦に乏しいお前の兄が砦まで無事に戻れたかどうかはわからんそうだ」

 安否不明。怖い知らせだ。死んでいるとわかるよりは希望が持てるけれど。

「義勇軍で兄を見た人は?」

「マライは知らんと言っていた。兵にも聞いてみるとは言っていたが」

 ウラルはしょんぼりとうつむいた。

「直接砦に問い合わせるしかないだろう。直接行くのは危ない、手紙がいい。字は書けるか?」

「読むのも書くのも自分の名前くらいしか」

「ジンかマライに代筆してもらえ。砦に出入りしている者に心当たりは?」

「隣村から野菜や小麦を定期的に届けてたみたい。でも……」

 隣村はまるごと燃えてしまった。だからもう心当たりがない。尋ねられる人もいない。

 アラーハは普段から表情の乏しい顔を渋くしている。

「シャスウェル砦の食糧は隣村から送っていたのか」

「麦やなんかは税でとられたものが運ばれてたけれど、葉物の野菜や牛乳や卵は周りの村でまかなってたみたいです。私の村と隣村、あと三つくらいの村で」

「まずいことになったな」

 アラーハは顔をしかめ、それから急にぴくんと耳をそばだてドアを見た。

「マライたちが帰ってきたようだ」

 馬の蹄の音は聞こえない。窓の外を見てみればランプをぶらさげた何人かが小屋に近づいてくるのが見えた。どうやら馬を丘に置いて歩いてきたらしい。アラーハは足音で人の判別までできるのだろうか。本当にまるで獣だ。



 ドアを開けたのはジンだった。続いて入ってきたのがマライとフギン。昼間の軍医、昨日丘でウラルに報告してくれた参謀、真夜中にこの小屋へ来た伝令、それから最後に立派なあごひげをはやした男が小屋に入ってドアを閉めた。思いもよらぬ大人数にウラルは驚いて身を小さくした。

「ジン、まずいことになったぞ。どうもこの村と隣村はシャスウェル砦の食糧基地だったようだ」

「本当か。自分で自分の首を絞めるようなことを……」

 アラーハの報告に参謀とジンの視線がかち合う。その視線で思い出した。アラーハも含めたこの八人は昨日夕暮れの丘にいた人たちだ。ジンといいマライといい、この義勇軍の幹部的な人たちなのかもしれない。

「一応全員紹介しとくよ。この人が大将のジン、その横にいる細長くて身なりの良い人が参謀のイズン。ひげはやしてるのが私と同じ将軍のサイフォスで、一番小さいのが伝令のリゼ。フギンはわかるね、だいたい斥候隊か先鋒隊にいる。で、隅っこにいるすごい猫背が軍医のネザ。それから助っ人のアラーハ」

「助っ人?」

「アラーハは正式には〈スヴェル〉の人間じゃないんだ。好意で助けてくれてる。だから決まった役職を持たずに、今回あんたの護衛についたみたいに人手が足りないところを補ってくれてるってわけさ。――で、私、マライ将軍を含めた八人が義勇軍〈スヴェル〉の幹部っていうか、はみ出し者っていうか……。今のところまだ深くは話せないんだけど、そんな感じさ」

 ウラルの隣に腰を下ろしたマライが見透かしたように紹介してくれる。話し込んでいるジンとイズンの後ろでサイフォスとリゼが目礼を返してくれた。フギンもにこっと笑ってくれている。ネザだけは関心なさそうにそっぽを向いていた。


「ウラル」

 名を呼ばれジンを見あげると、彼は膝をついてウラルと視線を合わせてくれた。

「すまなかった。隣村のことも、お父さんのことも」

 父、と言われただけで目に水の膜が張る。アラーハが渡してくれたタオルを目元に押し当て、ウラルは必死に首を振った。

「あなたはできること、全部してくれました。あなたのせいじゃない。感謝してます」

 ジンたちはリーグ国軍、ウラルの父や兄ではなくあくまで盗賊兵士を相手にしていた。ウラルの父たちのことも間に合わなかったとはいえ治療してくれていた。だから彼らの意図はわからないけれどお礼を言いたかった。たとえウラル以外は一人残らず死んでしまったのだとしても。

 ジンは痛みをたたえた目でうなずいて、ウラルの前に膝をついたままマライを見た。

「マライ、報告を頼む。この子と俺たちに聞かせたいが兵には伏せておきたい話とやらを聞かせてくれ」

 マライが部隊長の顔に戻ってうなずいた。

「ウラルのお父さんのお仲間から聞いた話だ。軍事機密もいいところだった。本来はウラルにも話さない方がいいんだろう、でもウラルがあの場にいてくれたからこそ聞き出せた話だし、あんな悲痛な声聞かされた後じゃね。多少なりとも理由がわかったんだから教えるのが筋ってものだと思うから」

 リーグ軍の秘密。さすがにウラルも怖じ気て「それなら外へ出ている」と腰を浮かせかけた。また山猫のように光り出したマライの眼も怖い。でも。

(どうして。どうして。どうして。どうして。どうして……)

 父にすがって呆然と呟き続けていた自身の声が耳に蘇る。ウラルから故郷を根こそぎ奪い、大切な人たちを皆殺しにした理由が少しでもわかったというならば。話してもらえるというのにここで逃げ出してしまうのは。

「ただし、わかるね? 今は誰にも話しちゃいけない。聞いてもらえれば理由はわかると思う」

 ちゃんと座り直し、マライの念押しにうなずいた。マライはウラルの反応に少しだけ驚いたように目を見開いて、微笑み、それからまた険しい隊長の顔に戻って総大将の顔を見た。


「正規軍斥候隊からの情報を整理して話すよ。コーリラ国は既に陥落寸前の状態らしい」


「コーリラが? どういうことだ」

 ウラルたちがいるここはリーグ国、コーリラはその北側にある国だ。そこまで呑気に考えてからウラルもぎょっと息を呑む。一つの国が今まさに滅びようとしている?

(コーリラ国がおかしい。噂によれば滅びつつあるとか……突然現れた魔人によって……)

「ある日突然海の向こうから船で渡ってきたベンベルって国の人間に攻められているそうだ。この国の人間は金色や栗色の髪、火砲とかいう火矢と投石器が一緒になったような強力な武器を持ってて、馬の代わりに巨大なトカゲに乗っている。コーリラは山の中の攻めにくい要塞が多いけど、トカゲが兵士を乗せて崖をするする登ってくるもんだからろくな抵抗ができなかったそうだ。言葉が通じない上にとても人間とは思えないくらい残忍な民族らしい」

 海に囲まれた大陸、それがほぼ中央の大山脈で分かれて南がリーグ、北がコーリラになった。昔は無数の国に分かれていたこともあるし一つの国になったこともあるらしいけれど、海の向こうに別の国があったという話は聞いたことがない。ジンらも信じられないと言いたげに顔をしかめている。まるでおとぎ話だ。

「コーリラ国軍や領主軍は最初に侵攻された北東海岸をはじめとして、北東側はほとんどが降伏済み。西側や南側はまだ抵抗中だけどかなり押されてる。ちゃんと残ってるのはリーグとの国境沿いと王城部分だけ。もういつ国が滅びてもおかしくない状態、そしてこのリーグがいつ攻め込まれてもおかしくない状態だ。……しかも、そこまで侵略するのに一年少ししかかかっていない」

 「おとぎ話」が一気に現実味を帯びる。ジンはじめ話を聞いている男らの顔色が変わった。

 人間業ではない。誰かが呆然と呟くのが聞こえた。そんなことができるとしたら、まさしくおとぎ話の魔物がこの世に現れたとしか思えない。

「確かな情報か」

「私は正規軍斥候隊から聞いたことをそのまま話しただけだ。これから確かめなきゃならない」

「なぜそんな状態になるまで何の情報も入らなかった?」

「国軍は軍事機密とかいって私らを突っぱねてるし、〈ゴウランラ〉の諜報部隊もコーリラ国の王都あたりまで入りこんだら戻ってくるのに数カ月はかかっちまう。国境線が閉鎖されて久しいから、目立たずに行くにはヴァーノン山脈を越えなきゃならないし……もしかすると相手方に消されているのかもしれないね、諜報部隊が。杞憂であることを祈るけど」

 リーグ国とコーリラ国の大部分はヴァーノンという大山脈で隔てられている。ただ東部の海岸線は平野になっていて、両国の仲が良いときは豊かな交易要所に、仲が悪い時は激戦地になっていた。この十数年は停戦状態、戦争自体はしていないが国境線は閉鎖され緊張状態が続いている。そうウラルは父と兄から聞いていた。


「正規兵から聞き出した話はこれで全部だ。あとは頭目と参謀の判断に任せる」

「マライ、ご苦労だった。この話をシャスウェル砦の軍人が確証を持って信じていたならば、今回の件は許されることではないが納得がいく。この件は兵たちには内密に。うかつなことをすれば俺たちも国軍の二の舞になる」

 全員が緊張した眼をしてうなずいた。

「至急各組織の幹部を召喚して軍議を開く。リゼ、今夜中に手紙を用意する。夜明けとともに発て」

「了解」

 伝令の返事にうなずき、ジンはマライに、そしてその隣のウラルにも向き直った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ