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風神の墓標  作者: 白馬 黎
第一部
4/6

第一章「ふるさとは灰となり」3

     ****


 アラーハが連れていってくれた先は馬車の目的地、野戦病院だった。といっても天幕その他は持っていかなかったのか適当な木陰にマットが敷かれているだけだ。そこで軍医や衛生兵らしき薬箱片手の男たちが慌ただしく動き回っている。屈強な衛生兵に押さえつけられ麻酔なしで傷を縫われる兵士らがうめきながらのたうちまわる生々しい光景に、ウラルはようやく吐き気をおぼえて顔をそむけた。

「ウラル! 隠れ家で待機してろって言ったろう?」

 耳に馴染んだ声に振り向いてみれば、汗と煤で汚れた格好のマライが立っていた。どうやら男たちの手当を手伝っていたらしい。マライ自身は怪我らしい怪我はなさそうだ、とほっとしたとたんマライの腰にある剣の柄や鍔が錆色に汚れているのに気付いてウラルはすくみあがった。マライ自身は怪我していない、でも怪我させる立場だった。下手をすれば殺している……。


「マライ。村人の生き残りはいないか」

 立ちすくんでいるウラルに代わってアラーハが尋ねてくれたけれど、マライは沈んだ面持ちで首を振るだけだった。

「残念だけど私たちが把握してる限り、ひとりもいない。今ウラルみたいに奇跡的に生き残ってる人を探してるんだけど、この火じゃまともに探すこともできなくてね。夜陰に乗じて森に逃げ延びてくれたことを祈るしかない」

 襲撃は真夜中だった。村人たちは熟睡していたはずだ、気づいた者がいるかどうか。


「どう、して」

「ん?」

「どうして国軍がこんなことを」

 マライがくしゃりと顔を歪めた。


 盗賊でもこんなことはしない。食べ物を奪い、女を犯し、家畜を殺せばそれで用は済むはずだ。これは見るからに奪うためでなく殺すために殺している。まがりなりにも国の正規軍が、義勇軍であるマライたちとまともに戦ってまで、なぜ。

「わからない。国自体が傾いて軍規が乱れてるから兵糧不足やなんやらの鬱憤晴らしに来たんだと思ってたけど、これはどう考えても行きすぎだし、なんていうか戦ってる軍人さんたちの顔も必死でね。いや、必死というかあれは半狂乱と言っていい」

 アラーハがどういうことだと眉をひそめる。マライはアラーハに向かって続けた。

「これは一種のパニックだ。なにかがあった、それがウラルたちの村へ鬱憤晴らしって形で飛び火したあげく私らの介入ではけ口を失って暴走しみたいた。何があったのか捕虜から聞き出してるんだけど上手くいかなくて。殺される、って叫ぶばっかりで話にならない」

「なんだ、それは」

「さあね。私らが思ってたより根が深い問題だったらしい。今のところわかってるのは、大問題を起こしてでも、監獄送りでもなんでもいいから連中はあの砦を出たかったみたいだ」

「最初から正規軍からの処罰うんぬんではなかったということか」

「ああ。罪状がないこと自体が厳罰みたいなもんだろう、これじゃ。兵としては逃げ出したいのにもみ消され続けてたんだ。盗賊兵士がいなくなるどころかどんどん酷くなるわけだよ」

「問題は兵士たちが怯えている『なにか』。どうにか落ち着かせて話を聞きだしたいところだけど、もうすぐ正規軍が捕虜を迎えに来ちまうそうだ」


 マライが捕虜がいるとおぼしき村の方を見る。その手前、野戦病院から少し離れたところでも軍医らしき酷い猫背の男が誰かの治療をしているのが見えた。治療されている男は義勇軍の男たちとは少し違う格好をしている。見るからに軍服、それも。

「あの人たち、シャスウェル砦の人?」

 送り出した父と兄がぴしりと着こなしていた軍服とまったく同じ型だ。案の定マライはうなずいた。

「あれは砦の斥候隊、砦から派遣されて様子を見に来た正規軍の連中だね。捕虜になった連中とは顔も合わせたくない、かといって私らと一緒も嫌だってことであんな半端な位置で治療させてるんだ」

「その人たちに話を聞くことはできないの?」

「連中にとっては私らも懲役無視の無法者だから、軍事秘密とかいって簡単には口を割ってくれないんだよ。それに気の毒なことに盗賊兵士から酷い反撃を受けてほとんどが虫の息だ」

 たしかに義勇軍の兵士よりあちらの方が重傷そうだ。義勇軍の兵士はなんとか軽口を言い交せる者の方が多そうだけれど、正規兵はぐったりとしてろくに身動きもしていない。

「行きたそうだね? 文句でもぶつけるかい?」

「わからない。でも……」

「連中なら襲ってこないだろうし、止めはしないけど。ただ、シーツだなんだで一応隠してはいるけど相手はけっこう酷い状態だよ。手足がなかったり、腹に穴が開いてたり、血反吐ぶちまけてたりする。大丈夫かい?」

 ウラルは唇を引き結んでうなずいた。ウラルはどんな顔をしていたのだろう、マライは少し不思議そうに目をしばたかせて、それからアラーハに目配せし正規軍の方へ歩いていった。


 正規軍の斥候隊でそこに横たわっているのは六人だった。そこにいる軍医はひとりだけ。酷い猫背の軍医は最低限の止血しかする気がなさそうで、蠅を追い払うためか乾いた馬糞に火をつけつつ、気のない顔でマライの顔を見つめている。

「ネザ、ちょっと邪魔するよ」

 もうもうとあがる馬糞の煙に顔をしかめつつマライが軍医に声をかけた。ぶうん、と蠅が低くうなりながら退散していく。

「これはこれは女将軍殿。連中に拷問でもする気になったか?」

「いや、別件だ。ちょっとこっちの兵の様子を見せてくれ」

 女の声に気を惹かれたのだろうか。傷ついた兵士たちがウラルたちを見つめた。ウラルの方も兵らの顔を順番に見つめて、それで。


「う、ら……る?」


 はっと息を呑み、駆け出そうとしたウラルの腕をアラーハがつかんだ。急な動きをするな、と無言のままに圧力をかけてくる大きな手をとっさに振り払おうとする。

「どうした、俺の指示は聞けと言ったはずだ」

「お父さん!」

「なんだと?」

 ぱっとアラーハの手が離れる、と同時にウラルは横たわる父に駆け寄りすがりついていた。


「ウラル、か?」

「お父さん」

 嫌な予感がしていたのだ、この軍服を見た時から。横たわっている六人の身体が父と兄に見えてしょうがなかった。他の五人も。大工のおじさん、水車小屋のおじさん、家具作りのおじさん、いつも牛乳を分けてくれた牛飼いのおじさん、普段何をやっているかわからないけれどお祭りのときにいつも張り切っていたおじさん……ウラルの村とこの隣村出身の五人だ。小さいころからお世話になってきた人ばかり。

 父の胸に顔をうずめようとして、そこに血みどろの包帯がきつく巻かれているのに気がついた。しかも血は止まりきっていない。鼓動に合わせてじわりじわりと、小蛇が這うように血のしみが広がっていく。動脈が、それも太い大事な動脈が傷ついている。必死で傷口を圧迫しようとして、その胸より酷い傷が腹に二カ所あるのに気付いた。父の生命はもういくばくも残っていない――

「よりにもよって斥候隊の隊長がウラルの父親だなんて。道理で捕虜の連中を毛嫌いするわけだ」

 来てくれていた。父もこの村出身の男たちもウラルや村の人たちをを救いに来てくれていた。危険が伴うと重々承知で斥候隊に志願し、そこで返り討ちにあってしまった。

「幻覚か、幽霊か……この際どちらでも構わない……ウラル……」

「私は生きてるよ、義勇軍の人たちに助けられて生き延びたの。ちゃんとここにいるから、心配しないで」

 もうウラルが無事だと伝えて安心してもらう以外に思いつかない。父のいまわに立ち会えたことを感謝しながら。村の人たちのことなど語れるはずもない。


 アラーハとマライがウラルを守るように両脇を挟んで立ってくれる。父はぎょっとしたようだ。でもウラルがマライを見あげ、マライがウラルを勇気づけるようにうなずいてくれると、父の身体から力が抜けた。

「〈スヴェル〉の女将軍殿……娘を救ってくださったこと、こころよりお礼申し上げる……」

「この子は自力で生き延びた。私らは奇跡的に生き残ってたのを拾っただけだよ」

 ぎゅうと父の手がウラルの手を握る。よくがんばったな、と言いたげに。ウラルの知らない間に鍬ダコが剣ダコに変わっていた父の大きな手は冷たく汗ばんで、なのに骨が砕けてしまうのではと思うほどの強さでウラルの手を握りしめている。


「ウラル、よく聞いてくれ。南へ向かうんだ。こんな国境にいては真っ先に巻き込まれて死んでしまう。伝手も何もない、お前には苦労をかけるが……」

「危ない? どうして」

「コーリラ国がおかしい。噂によれば滅びつつあるとか……突然現れた魔人によって……」

 急に変わった話にマライとアラーハが耳をそばだてる。きっと父が語っているのは二人にとって貴重な情報、でもこのまま話させては父の身体が。

「金の髪をしていて、火を自在に操る魔人……兵が浮足立っているのもそのせいだ。元から軍の体制が傾いていたのも大きいが、それを抜きにしても今の北部は危ない。逃げるんだ、ウラル……南へ……大蜥蜴に乗って魔人が攻めてくる……」

 ふ、と父の目から力が失せかけた。気が遠くなったようだ。ウラルは必死で父に呼びかけた。

「お父さん! やだ行かないで!」

 ぽた、とウラルの涙が父の頬に落ちる。それで一瞬意識が戻ったのか。父の口がかすかに動いた。

「生き延びろ……ウラル……死ぬな……」

 父の手から力が抜けた。腕についた真っ赤な手指の跡を呆然と見つめ、ウラルは父の首筋におそるおそる手をやった。


「……ウラルちゃん」

 父の横にいた男がごぼごぼと血のあふれた喉で声をかけてくる。

「ごめんな……何も守れなかった……」

 ウラルは悲鳴をあげた。泣き声だったかもしれない。どちらでもいい。

 父の胸に突っ伏し、その血にまみれながらウラルは慟哭した。なにかの間違いであることを必死で祈りながら――

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