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オートマタ・クロニクル  作者: めけめけ
第4章 盗まれたオートマタ
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第10話 ニーナの訪問

 ベーレンドルフ刑事がニーナ・ディートリヒと出会ったのは一週間ほど前のことである。

『ブルース・エルスハイマー惨殺事件』――五年前、ブレーメンの市内中心部を流れるヴェーザー川の支流、レウム川の北側に位置するブレーマー・シュヴァイツ(ブレーメンのスイス)と呼ばれる丘陵地、そこは閑静な住宅街であったのだが、ブルース・エルスハイマーという男の遺体が発見された。

 遺体の首は胴体から切り落とされ、テーブルの上に置かれていた。犯人の有力な手掛かりがつかめないまま、五年の月日がたったある日、空き家だったその家に、独りの青年が引っ越してきた。名をダミアン・ネポムク・メルツェルという二十三歳の若者は、鮮やかな亜麻色の前髪の隙間から見える黒い瞳が特徴で、精巧なオートマタを作ることを専門としている。


 黒い瞳の青年の『いわくつきの場所』での最初の仕事は、事件の容疑者として名を連ねた男から被害者の生首のオートマタを作ることであった。

 事態は急変する。精巧に作られたそのオートマタが未解決事件の真犯人――容疑者であり、被害者と親交のあったヴィルマー・リッツの妻、エマ・リッツが夫と被害者との間に"ただならぬ関係"にあったことによる嫉妬が端を発し、複数の人間の思惑が絡んだ事件であったことを解き明かしたのであった。


 その事件をきっかけにベーレンドルフは人形師ダミアンに対して強い興味と警戒心を持つことになる。

 なぜ、彼が人知を超えるような精巧なオートマタを彼が作るのか、その理由を確かめるべく事件後にダミアンの工房を訪れたことがあった。その道中、故障し路上で往生している自動車をベーレンドルフが腕のいい整備工を紹介したことがある。

 それが市内で医者を務める父親の手伝いをしている彼女、ニーナ・ディートリヒである。


 ブレーメン警察署の朝は慌ただしく、署員や警察署に許可申請を取りに来た人、収監された容疑者への面会人など、様々な人が往来している。

 ニーナは警察署の二階に上がる階段横にある待合スペースでベーレンドルフを待っていた。用事を早く済ませたかったベーレンドルフはそのまま、そこで話を始めた。

「この前は助かりましたわ。おかげでその日のうちに車を修理していただいて――キールマンさんって、とても面白い方ですわね。言葉は少ないですが、とても腕のいい整備士さんですわ」


 自動車好きのベーレンドルフにはそれがエンジントラブルであることはすぐに分かったが、あいにく修理できる部品も余裕もなかった。自分が一番信頼している修理工、ユルゲン・キールマンを彼女に紹介したのだった。

「あれは変わり者でしてね。人と話をするより機械と道具と話をするのが好きな奴でね」


 ニーナは細くて白い左手を口元にあててクスクスと笑った。ブロンドの細く長い髪が肩から胸元に滑り落ちる。

「ごめんなさい、キールマンさんも刑事さんは変わり者で、機械と事件が恋人みたいな奴だっておっしゃっていましたわ。お二人とも、仲がいいのね、羨ましいわ」


 ベーレンドルフは以前あった時とニーナの印象が少し違うことに戸惑っていた。あの時は車を運転していたので、着ている衣服が違うということもあるが、それは違和感にはならない。

 それがいったい何なのかを探りながらベーレンドルフは所在無さげに右手で頭を掻き、一言、二言キールマンの悪口を言ったが、ニーナを愉しませるだけで何一つ状況を打破できずにいた。

 そこにベーレンドルフを探しに二階から降りてきたアーノルト刑事が、階段の踊り場で二人を見つけ声を掛けてきた。


「お話中失礼します。カペルマンから電話が入っていますが、どうします?」

 アーノルト刑事の顔はベーレンドルフを向いていたが視線はニーナの頭のてっぺんから足の先まで、きっちりと品定めをしている。

「わかった、すぐ行くから待たせておけ」


 ベーレンドルフはアーノルト刑事を追い払うように大きな声を出したが、ニーナが困ったような表情をしたのですぐに謝った。

「すみません。少々仕事が立て込んでいまして」

「あっ、あのぉ、すみません。もし、お忙しいようでしたら、また伺います。できたら少しお話をしたいのです。またお会いしていただけるかしら」


 ベーレンドルフはニーナの様子から何か話したいこと、相談したいことがあると察知した。若い女性は苦手だが、困っている女性を放っておくことはできなかった。

「すみません。このあと出かけなければならないのですが、もしよろしければご自宅か、仕事先まで車でお送りしましょうか? その間に多少なりともお話はできるかと思うのですが、いかがです?」

 ニーナの表情に笑みが浮かんだ。そこで初めてベーレンドルフはかすかな香りに気付いた。前にあった時と印象が違うのは着けている香水が違っていたのである。ベーレンドルフの脳裏に黒い瞳の人形師の顔が思い浮かぶ。


「でも、方向が違ったら、お仕事の邪魔になりませんか?」

「いえ、私も市内をいろいろと回るところがあるので、東でも西でも問題ないですよ。ちょっとここで待っていて下さい。すぐに終わりますから」


 ベーレンドルフはニーナをその場に待たせて、階段を駆け上がって行った。階段の踊り場で後ろを振り返るとニーナが所在無さげに目の前を往来する人を不安げに眺めている。どうやら今日一日、厄介ごとには事欠かないだろうと腹をくくるしかないとベーレンドルフは思い知らされた。


「待たせたな。代わろう」

 ベーレンドルフが来るまでの間、アーノルト刑事がカペルマンと電話で話しながら何かメモをとっている。

「ベーレンドルフ刑事が戻ってきた」

 アーノルトは受話器をベーレンドルフに渡した。

「俺だ。何か分かったか」

「ジールマンですが、今朝は新聞社に出社していないですね。彼の住所を訊き出しました。アーノルトに伝えてあります」

 アーノルトはメモした内容を別の紙に書き写し、ベーレンドルフに手渡した。そこには"コンラート・ジールマン、二十五歳"という記述と市内の住所が書かれている。

「今からブランデンブルクの店に行きます。ジールマンが出社したらそちらに連絡するように知り合いの記者に頼んであります。名前はシュルツ。彼のデスクの番号もアーノルト刑事に伝えてあります。何かわかったらまた連絡します」

 アーノルト刑事はもう一枚メモを書いてベーレンドルフに渡した。


「俺は今から……」

 ふと視界にブランケンハイム刑事部長の不機嫌そうな顔が目に入った。ベーレンドルフは声のトーンを三つほど下げて"ダミアンのところの車で向かう"と言い、そのあと元の大きさに戻して"予定通り、午後には合流だ"と言って電話を切った。それを見た刑事部長が目でこっちに来るようにと合図を送る。


「ベーレンドルフ、また勝手なことはやっていないだろうな」

 部長の大きな机には、すでに承認待ちの書類が何枚も積み重ねられている。ブランケンハイムは一枚一枚に目を通しながらベーレンドルフを睨みつける。


「はい、予定通り、本日よりカペルマンはじめ、アーノルトと私は例の事件の実行犯逮捕に向け捜査を開始します。アーノルト刑事には連絡の中継役として昼間では署内で待機し、状況に応じて別の署員にも協力してもらえるよう本部的機能を担ってもらいます」

「結構。くれぐれも勝手な真似はしないように。報告は迅速に、正確に、そして簡潔にだ」

「では、聞き込み捜査に行ってきます」


 ブランケンハイム刑事部長は、目を通した書類にサインをすると大きな音を立てて承認の印を押した。ベーレンドルフは逃げるようにその場を後にした。

「さぁ、行きましょうか。車を玄関まで回しますから、入り口の前で待っていて下さい」


 明るく返事をしてベーレンドルフに微笑みかけたニーナであったが、ベーレンドルフの"刑事の目"には、不安を隠し、明るさを取り作ろうとしているようにしか映らなかった。

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