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オートマタ・クロニクル  作者: めけめけ
第4章 盗まれたオートマタ
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第7話 保管室の物音

「最近、保管室で妙な物音が聞こえることがあるって、そんな話を聞いたことがある。俺はてっきり単なる噂だと思っていたんだが、こいつは驚いた。まさか本当だったとはね」

 非番のローベルト主任は静かでゆっくりとした口調でカペルマン刑事に話しかけた。


「ローベルト先輩……、ですからそんなはずはないんです。その噂は噂でしかない。それは僕が一番よく知っていることなんです」

 ローベルト主任もカペルマン刑事も、ブレーメン署の中では大柄なほうで、百九十センチ近くある。ローベルト主任は気の弱そうな者なら話しかけることもできないほど、迫力と威圧感があるが、人柄は温厚で気さくな男である。もちろん、職務で必要な範囲内では強面である。腕っぷしは署内でも強いほうである。

 それに対してカペルマン刑事は、体躯の大きさよりも、人柄の良さがにじみ出てくるタイプで、背が高いが腰は低く、決して人を威圧するようなことはしなさそうに見える。

 実際上司であるベーレンドルフも彼が他人を威嚇したり、暴力に任せて恫喝したりするようなところを見たことがなかった。しかし決して気が弱い男ではない。無駄に何かを恐れたり、気後れしたりするようなことはない人物であった。しかし、今、そのカペルマン刑事が不気味な音に慄いている。


「なんだよ、ビビっているのか?」

「そうじゃありません。あるはずのないものがあったので驚いているだけです」

 ローベルト主任は首をかしげる。


「なんだ。そのあるはずのないものって。幽霊でもいるっていうのか?」

 カペルマン刑事は警戒心を強めながらゆっくりと保管室のドアノブに手をかけてゆっくりと回して戻す。カギはかかっていないとローベルトに合図を送る。


「あの噂、保管室でおかしな物音がするっていう話、実は僕とベーレンドルフ刑事が流したデマなんです」

 ローベルト主任が腰に下げた警棒に手をかける。


「なるほど、あの人形が夜な夜な動き出すとか、そういう話はお前たちの流した嘘だってことか」

「ですから、実際に音がしているってことは、状況としてまずいってことなんです」


「おいおい、まさか、本当に人形がひとりでに動き出したとか言うんじゃないだろうな」

「そうであってほしくないという話です。誰かがこんな時間に勝手にあの人形を触ろうとしているのだとしたら、それもそれで危険な話なんですが、もし誰もいないのに、あの人形がひとりでに動き出したというのなら――手に負えないかもって」


 ローベルト主任はまるで状況が飲み込めていなかった。警察署に不審な人物が忍び込んだというのであれば、相手がふたりまでであれば、自分たちでおそらく対処できるであろう。だいたい、逃げ場はないのだから、退路だけ絶てばいい話なのである。カペルマンが何を恐れているのか理解できずにいた。


「お前さんの様子からただ事じゃないっていうのはわかるが、せめてもう少し俺にわかりやすく話してくれないか?」

 ローベルト主任は先を行くカペルマンの肩を掴み、引き止めた。


「まず、僕らがなんでそんな噂を流したかといえば、あの人形をできるだけ誰にも触られたり、見られたりしたくなかったからなんです。その理由は二つ。あの人形を作った人間からそのような注意をうけていたことです。そしてもう一つ、あの人形は実際につい先日、勝手に動き出して一人の男の股間を噛み千切ったんです。あまり信じてはもらえないかもしれませんが、あの人形には自動で動く仕掛けがしてあるということです」


 カペルマン刑事の話す顔を見て少なくとも彼に自分を騙そうとかからかおうという意図は感じられなかった。長年警察に勤めているローベルト主任にとって、そのあたりを見分けることは造作もないことだった。しかし、それでもまだよく状況を飲み込めていなかった。


「つまり、あの人形はただの人形じゃなく、猛獣みたいなもので、今は眠っているが、もし万が一、誰かがいたずらして……つまり虎の尾を踏みでもしたら大変ってことか」


「虎なら尾は一つなんですがね。あの人形にはそうしたスイッチみたいなものがいくつかあるようで、僕にも良くわからんのです。ですからもし誰かがいたずらにあの人形に触ったりすると」


「ガブっとやられるわけか。それであの人形、猿轡をしたり、両手両足を縛っていたりしたんだな。それにしても――悪趣味だな。そんな物騒な者を作る奴の気が知れない」


「まぁ、もっとも。あの人形がなければ、事件の真相も藪の中だったかもしれないので、重要な証拠品なんですよ。壊しでもしたら大変だ」


 カペルマン刑事はローベルト主任の腰に下げている警棒を指差した。ローベルト主任は首を横に振りながら両手を上げてなるべく警棒は使わないとジェスチャーで示した。


 ローベルト主任は部屋の壁に耳を当てて注意深く音を聴く。その物音は何か硬いものと硬いものが当たるようなカチカチという音だった。

「何の音だと思う?」


 ローベルト主任は部屋の壁に耳を当てながら言った・

「あまり想像したくないですが……」


 カペルマン刑事はそう言いながら口を大きく開けて、そしてやや力を入れて歯と歯をかみ合わせた。カチっと言う音が廊下に響く。


「やれやれ、股間がそわそわするぜ」

 ローベルト主任は、股間の辺りを右手で押さえた。


「誰かそこにいるのか!」

 カペルマンが大声を出す。カチカチという音がやんだ。


「返事をしろ。誰かそこにいるのか」

 カペルマン刑事はローベルト主任に目で合図を送る。あえて自分の存在を相手にしらせることで、まずその反応を確認し、なおかつ相手に自分しかいないということをアピールし、こちらがひとりであると相手に誤認させる意図があった。ローベルト主任はその意図を汲み、静かに歩みを進める。カペルマンはわざと相手にわかるように足音を立てて保管室のドアに近づいた。


「誰かいるのか。中に入るぞ!」

 ローベルト主任がドアを開ける。すぐさまカペルマン刑事が銃を構えて開け放たれた保管室の入り口に仁王立ちになる。ドアとカペルマン刑事の間をすり抜けローベルト主任が部屋の中に入り、明かりをつける。部屋全体を照らすには頼りないがないよりははるかにましだ。二人は固唾を呑んで保管室の中に動く影を探す。静寂が二人を招き入れる。


 保管室は死角が多い。二人は慎重に物陰に潜む何者かの可能性を一つずつ潰していく。棚の物陰や部屋の隅を一つ一つ確認する。物音はしない。二人は常に部屋の奥に並べられた長机に上にある物体を視界に収めるように心がけた。その物体はちょうど人と同じ大きさで、上から白いシーツがしっかりとかけられている。昼間はなぜかシーツが中途半端な状態にかけてあり、カペルマンの見ている前でズレ落ちたのであった。昼間のうちにしっかりとシーツをかぶせたのだが、そのときよりも心なしか下にズレ落ちているようにカペルマンには見えた。


「どうする?」

「念のため、中を確認しましょう」

 ローベルト主任がシーツに手をかけようとしたとき、その手をカペルマンが掴んで制止した。


「気をつけて、いささか慎重にも度が過ぎるといわれるかもしれませんが、それを使いましょう。くれぐれも壊したりしないようにお願いします」

 カペルマン刑事はローベルト主任の腰にかけた警棒を指差した。

「ああ、こいつの使い方は心得てる」


 ローベルト主任は手を引っ込め、警棒を腰から外し、シーツを下から捲り上げるようにして中をのぞいた。しっかりとロープで縛られた足が見える。その足は白く、美しい。まるで本物の女性に悪戯をしているようなおかしな気にさせられた。


「なるほど、こうやって見ると、良くできている。まるで本物の人間みたいだな」

 人形は女性もののドレスを着ている。カペルマンはそれが亡きアメリア夫人が実際に使っていたものであることを知っていたが、そのことを今言うべきではないと思った。

 太ももからよく引き締まった腰。腕は後ろ手に縛られている。

 ドレスの上からでもわかる豊満な胸を見た段階で、ローベルト主任は自分がやっていることが、何かとても恥ずかしいことのように思え、顔をあいている左手で覆った。


「大の男二人して、いったい何をしているんだか」

 もはや笑うしかない。そんな心境になり、クスクスと笑い始めたそのときであった。


 カチカチカチ、カチカチカチ。


 人形の頭の辺りから例の音が聞こえた。ローベルト主任は音に驚き、思わず乱暴にシーツを上に捲り上げた。次の瞬間、ガチっという音を立てて、ローベルト主任の右手が動きを止める。警棒が何かに掴まれた――いや、噛まれたのである。とっさにローベルト主任は警棒を手前に引いた。それは最悪の選択であったが、人間であれば当然の反射反応である。


「手を離して!」

 カペルマン刑事が大きな声を出す。しかし間に合わない。ローベルト主任は警棒を引っ張ることで同時に警棒に噛み付いたそれを自分に引き寄せてしまったのである。両手両足を縛られた人形はシーツを被ったままローベルト主任に向かって倒れこむ。


 シャアアアアアア!


 それは猫が相手を威嚇するときのそれに似ていたが、もっと不気味で、威圧的で、不快な音であった。それまで何かに固定されていた右手の自由がもどった。それは噛み付いていたものが、警棒を放したことに他ならない。つまりその顎門(あぎと)は、次の獲物に噛み付く準備をしているということになる。


「ぎゃああああああ!」


 それはローベルト主任の悲鳴であった。シーツが鮮血に染まっていく。

「主任!」


 カペルマン刑事がローベルト主任の右足に覆いかぶさったシーツを剥ぎ取る。

「畜生! なんてこった」


 アメリア夫人のオートマタの噛み切られた猿轡(さるぐつわ)が床に落ちている。夫人の口は大きく開かれ、ローベルト主任の右足のふくらはぎに噛み付いている。無理やりに引き離せば傷口がどうなってしまうのかを想像し、カペルマンは対応を躊躇する。


「主任!」

 ローベルト主任は右手の警棒を思いっきりオートマタの頭めがけて振り下ろそうとしたが、ギリギリのところで思いとどまった。


「貸して!」

 カペルマン刑事はローベルト主任の手から警棒を奪い取り、警棒の頭をオートマタの口の隙間にねじ込もうとした。


「少し痛いかもしれませんが、我慢してください。主任」

 カペルマン刑事の処置は適切だった。警棒を口元に当てられたオートマタは、噛む目標を警棒に変えたのであった。カペルマンはオートマタをそのままローベルト主任から引き離し、オートマタにかけられていたシーツを引きちぎって、傷の応急手当をした。幸いふくらはぎの皮膚を幅三センチほど噛み千切られて吐いたが、傷は筋肉組織までには至っていないようだった。


「すぐ医者を呼びます。下の階まで移動できますか?」

「ああ、なんとか大丈夫だ。思ったより傷は浅いようだ。しかし、なんなんだ。この化け物は……、畜生、冗談じゃない」


「僕にも何がなんだか。とにかくここを離れましょう」

「そうだな。まったく薄気味悪ったらありゃしない」


 カペルマン刑事はローベルト主任の肩を担いで保管室の外に出た。振り返るとそこには警棒をくわえたままのオートマタの目が光っているように見えた。カペルマンはそれがオートマタの流した涙に見えたが頭を数回振り、保管室のドアを閉めた。

1910年頃、すでに電球は普及していたけれど、はたして部屋のスイッチで電気をつけたり消したりというのは、どうだったのだろうか?

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