第14話 セカンド・チャンス
翌日、ヴィルマー・リッツの妻、エバ・リッツがブレーメン警察に出頭し、ダミアンの予言通り、すべてを告白した。
エバは、最初のうちは口数も少なく、協力的とは言えなかったが、ブルース・エルスハイマーの人形の首を見せられると、堰を切ったように話し始め、それは深夜にまで及んだ。これもまた、ダミアンの予言のとおりだった。
五年前、エバはカスパーを誘惑し、夫がエルスハイマーとただならぬ関係であることを調べさせた。父ヨハンの遺品の中から、それを示すようなものは、実はとうとう出てこなかったのだという。そこで二人は、そういうものがあるということをでっち上げてエルスハイマーにゆすりをかけたところ、彼らが期待していた以上の反応があり、エバはカスパーにリッツ財団の乗っ取りを餌に、エルスハイマーを殺し、その罪をリッツに被せようとしたのであった。
リッツとエルスハイマーの間に疑義を生じさせ、口論する場面を演出し、いよいよエルスハイマーを殺害するために、毒入りのワインを用意した。計画ではカスパーがエルスハイマーの使いとしてワインを届け、リッツが毒入りワインを飲んで死んだ後にエバが、リッツの所持品を現場に置いてくるという手筈になっていたが、しかし――
「あの男の顔を見たら、どうしようもなく憎くなって、憎くって、憎くって、死んでいるのに殺してやりたいと思ったわ。そしたらあの男、まだ少し、息があったのよ。虫の息だったけど、まだ死んでいなかった。これは神様が与えてくれたチャンスだと思ったわ。私は私の手で、あの男を殺してやったのよ。わかる? 私がどれだけ苦しんだか。私は夫を愛していたわ。それなのにあの人は、私を裏切った。それもよりによって、相手が男だなんて、悪魔だってこんな仕打ちを考えつかないわ。私はずっと地獄の中にいたのよ。私はあの人に愛されていると思っていたのに、あの二人……、あの男は夫とベッドをともにしながら、私のことをあざわらっていたに違いないわ」
そして夫人はエルスハイマーの首を物置から探し出した斧を使って首をはね、テーブルの上に晒して、その場を立ち去った。凶器の斧は川に捨てたのだという。今、カペルマン刑事が指揮をとり、捜索にあたっている。結局計画は中途半端なところで終わってしまい、カスパーはエバに詰め寄ったが、エバの庇護なしにリッツ財団をものにすることは不可能である。カスパーはエバとの関係を続けながら、リッツが失脚するように様々な罠を仕掛けたそうだが、ことごとくリッツに見破られていた。
そんな折、リッツが人形師ダミアンと接触し、エルスハイマーの首を注文した。しびれを切らしていたカスパーはとうとう軽挙に出て、何もしらない人形師にリッツ殺害の罪を着せようとしたのだった。
「だから私は、すべてを清算しようと思ったのよ。エルスハイマーが死んでも、夫の心は私のところに戻ってこなかった。あの汚らわしい男が夫の心を向こうの世界に連れて行ってしまったのよ。カスパーに夫を殺させ、私はそのカスパーを毒で殺す。二人の死を見届けた後、私も死んで、地獄であの人と再会するのを楽しみにしていたのよ。それなのに、これはいったいどういうことなの! 夫は生きているし、ここにあの忌々しい男、エルスハイマーがいるじゃないの。ねぇ、お願い、その人形の首を私にちょうだい。その目をくりぬき、鼻をもぎ取り、耳を噛み潰し、口の中に私の汚物をぶち込んでやるわ。なんであのときそうしてやらなかったのかと、ずっと後悔していたのよ。これは神様が与えてくれた二回目のチャンスなのよ」
煙草の煙がゆらゆらと立ちのぼる。二度と思い出したくないというたぐいのことを、二度と話したくないと思うような相手に言って聞かせている自分がどうにもいたたまれなかった。
「セカンド・チャンスですか。なるほど。人生にはそういう考え方もあるのですね。刑事さん」
「俺はこういう仕事柄、いろんな人間の嫌な部分を見てきた。しかし、今回の件は格別だ。二度は御免こうむりたい」
ヴィルマー・リッツの妻、エバ・リッツが逮捕された翌日、ベーレンドルフ刑事は一人、人形師ダミアンの工房を訪れていた。
リッツはエルスハイマーを惨殺したのは身内ではないかと考えていたようだ。特に身の回りの世話をさせていたカスパー・ベヒトルスハイムが何か知っていると踏んでいたらしく、ダミアンに人形の製作を依頼したのも、決して完全にダミアンの腕を信用していたわけではなく、カスパーに対する揺さぶりのつもりだったようだ。
「まぁ、簡単には信じてもらえないでしょう。実際にあれを見た刑事さんだって、結局のところ人形がしゃべったっていうことを公表するつもりはないんでしょう。刑事さん」
ダミアンは相変わらず何か作業をしながら話をしている。ベーレンドルフにはそれが人形のどの部位なのかまるで分らなかった。
「実際その場にいた俺も、カペルマンも、信じちゃいない。俺たちが信じられない物を、調書に書けるかよ。実際書いたところで部長にどやされて書き直させられるのが関の山さ」
「随分な話ですね。五年間も謎だった事件解決の一番の功労者に対して、礼の一つもないというのは、いかがなものでしょうね」
「恩義は感じている。ただ、信じられないっていうだけで、認めてはいる。認めたくはないけどな……」
ベーレンドルフは煙草を灰皿に押し潰し、一度はありのままを書いた調書を、破り捨てたことを思い出していた。
「それで、僕はどうなります? 何かの罪にとわれるのでしょうか? 刑事さん」
「墓を荒らしたのはカスパーだ。奴はもうこの世にいない。なぜそんなことをしたかについては、脅迫の道具にするつもりだったのではないかという線で決まりだ」
「なんですか、それ。ちゃんと仕事をしてくださいよ。刑事さん」
「な、なんだと!」
「まぁ、でも、こんなものでしょうかね」
もちろんそれについては、ベーレンドルフも一応の抵抗はしたのだった。しかし、あまりにも後味の悪い事件だっただけに、これ以上の捜査は不要ということになった。
「部長のやつ、これ以上の捜査は、それこそ死人の墓を荒らすようなことになる。生き残った者のためにも、やるべきじゃないとぬかしやがった」
「まぁ、部長さんは常識ある人なのでしょうね。常識ある世界においては」
ダミアンは手を休め、席を立った。
「お待たせしました。コーヒーでも入れましょうか」
ベーレンドルフ刑事も席を立つ。
「いや、そうゆっくりしていられないんでね。ちゃんと仕事をしないと、部長にどやされる」
「せっかくの誘いを断ったのですから、この埋め合わせはしてもらいますよ。刑事さん」
黒い瞳の人形師は、いたずらっぽくベテラン刑事を見つめた。
「それこそ、セカンド・チャンスを逃すと、あとがなくなりますよ。いや、この場合は、違うかな。二度あることは三度ある。もし二回目があったら、長い付き合いになりそうですね。刑事さん」
ダミアン・ネポムク・メルツェル。
究極の人形師の黒い瞳は、未来を予言していた。
二人が次の事件、エルマー・ベルンシュタイン夫人殺害及び連続殺人事件の真相を暴くのはそれから数週間後のことだった。
(第二章終わり)




