第3話 転生者なんです
背後でどさっ、なんて音が聞こえたので、私はパソコンの画面の反射を利用して後ろで何が起きたのか確認した。
そこには、驚いた表情をした我が兄上がいた。
「あ、お兄ちゃん。お帰りー。手洗いとうがいしてねー」
「あぁ、うん……」
兄は何度も目を瞬きながら、洗面台の方へ向かった。
「じゃなくて!! お前何してるんだよ!」
「あはっ、誤魔化せなかった?」
「しかも言葉がペラペラ! 天才か!?」
「いいえ。ただのチートです!」
「はぁあああっ!?」
うん、ナイスリアクション。意外とノリがよろしくていらっしゃる?
兄とは今までほとんど関わってこれなかったけど、これなら仲良くできそうかな?
パソコン使ってるところ見られちゃったし、もう三才児のふりしなくていいですか?
「そんな訳で通常モード。お兄ちゃん、よろしくねっ☆」
「…………」
兄が固まっている。いぃ~い眺めだよ、ほんと。
どこまでもにこやかに笑みを浮かべる私に兄の手が伸び、幼子特有のふよふよしたほっぺを両側に引っ張った。どうしよう、結構痛いぞ?
「いひゃいよ、おひいしゃは」
痛いよ、お兄様。と言いました!
痛みを訴えれば兄はすぐに手を離してくれた。しかしその表情は困惑により歪められている。
「……どう言うことだ? お前、何なの?」
「何なのとは失礼だなぁ。私は正真正銘、君の妹だよ。ただ、前世の記憶を持っているだけ。不審者じゃないよ」
「前世の記憶云々言ってるて時点で不審者だろ!」
「しょうがないじゃん。事実なんだから。私だって好きで転生した訳じゃないんだよ? あ、そっか。いきなり転生なんて言っても信じられないよね。じゃあ何か質問してみてよ」
「質問……?」
「そそっ。問題、と言うべきかな? 中学校の問題なら一通り解けるはずだからね。何なら、今日に宿題やってあげようか?」
これでも中学生の時は成績高位者だったものでね! 並大抵の問題なら解けるのだよ、兄上!
自分でも分かるほどドヤ顔をしながら、私は手を差し出した。ここに課題を乗っけろという意味だ。
兄は胡散臭げな顔で私を睨みつつ、やはり宿題を減らしてもらえるという甘い言葉に耐えられなかったのか、数枚のプリントを鞄から出して私の手に乗っけた。
「……あ、シャーペンも」
「……ん」
「ありがと。じゃあ見てなよ?」
課題は……数学と理科かぁ。懐かしいなぁ。これで解き方忘れたなんてオチがあったら堪らないね。
ちょいちょいちょいっと考え、端から見てもすらすらと素早くペンを動かしていく。それもそうだ。だって兄はまだ中学一年生……簡単な問題しかない。
解き始めて二十分もすれば問題の答えは全て導き出された。
兄は私を化け物を見るような目で───否、実際化け物に見えているのだろう。すっかり怯えてしまっている。
転生者だと明かして気楽になったのはいいけど、流石に考えなしだったかな……。
「……なぁ、俺が今からする質問に、全部、正直に答えてくれ」
「それで私への恐怖が薄れるなら、いくらでも答えようじゃないの」
恐怖、と言われて兄は唇を噛み締めた。何を悔しがっているか分からないけど、噛むと血が出ちゃうからやめた方がいいと思う。
「お前は本当に『転生者』なのか?」
「勿論。何らかの英才教育や妙な実験体になって知識を手に入れた訳じゃないし」
「今、お前の本当の年齢はいくつなんだ?」
「十八とちょっと。細かく計算すると十九いくかも」
「死因は?」
「死んだ方法を本人に聞くとはね。無神経……とは、今は言わないけどね。この状況だし。事故死だよ。後ろから猛烈な居眠り運転に激突された」
「前世の記憶はちゃんとあるのか? 名前とか」
「それはもう、鮮明に」
「何で転生した?」
「神様の采配じゃない?」
「これが最後の質問だ。───お前は、何を目的にしている?」
「『目的』……?」
今度は私が困惑する番だった。
目的。そんなものはない。ただ今まで適当に生きてきた。普通の赤ん坊のように。
舜くんや前世の家族がどうなったかを知りたいとは思った。でもそれは『目的』なんかじゃない。
目的。……目的、かぁ。
黙り込んだ私を睨み続ける兄の目力を大したものだと内心で称賛しつつ、私は生きる目的を考える。
考えて考えて考えまくって、私は辿り着いた。何のことはない、生きる理由を。
「そうだね……今世こそ寿命で死ぬまで生きたいなぁ。大往生っていうの? 事故死なんて苦しい死に方は嫌だし」
「……それだけ? 世界征服とかじゃなく?」
「はい? 君は私のことを宇宙人とでも思ってるの? 前世も今世も地球生まれの善良な一般人だよ、私は。漫画やアニメの見すぎじゃない? 私の言えたことでもないけど」
私も前世から二次元好きだからね。でもまぁ、転生者って聞いたら私もそれくらいのことは期待しちゃうかも。
肩を竦めてみせる私を兄はしばらくじろじろと無遠慮に見ていたが、やがて溜め息を一つ吐き、頭をガシガシ掻いた。
「なんだ……俺の考えすぎか」
「うん。そう」
「じゃあお前は俺の妹なんだよな? ただの妹だな?」
「『ただの』ってとこには物申したいけど、そうだよ。妹。あ、できればこのことはお母さんとお父さんには言わないでほしいんだけど……」
「言いたくないし、言えないよ。こんなこと」
それはよかった。あのお二人なら私が転生者だと知って忌避することはないだろうけど、困らせたくないからね。なるべく普通の子供として育ちたいし。
肩の力を抜いた私だが、まだ兄が何か言いたげな顔で私を見るので首を傾げた。
「どしたの?」
「……勉強」
「うん。勉強がどうしたって?」
「教えてくれないか……?」
「そんなこと。いいに決まってるじゃん」
おずおずとした美少年は大層眼福にございますね。
この後、私は数学が壊滅的に出来ない我が兄に手こずることになるのだが、それはそれで楽しい記憶でした。