第12話 親愛とは良いものです
部屋に入ったらまず土下座。ネタではなく、真面目な土下座。
なんだか視界がぐらぐらする……。あれ? 緊張し過ぎるとこんなふうになるんだっけ……?
改めて、この体は不便だと感じる。何せ階段を上がるのに全身を使うのだから。通常の三歳児はまだふらつきながら歩く年齢のはず。
両親には私が自分で歩きたがっているように見せているので、家の中で歩くときに手伝おうとすることはない。それでも階段を上り下りしているとこちらを見ている、ということが多いが。
ばくばくとうるさい心臓が、全身を使って動くことで更によく働く。なんだか、胃の中身が逆流しそうだ。
辿り着いた燐くんの部屋の前で、自身を落ち着けるように深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
これまでは『燐くーん! おっじゃまするよー!』などといきなりドアを開けていたけど、今の気分ではそんなこと出来やしない。
服の上から胸を押さえて二回、ノック音を響かせる。
「……燐くん?」
返事がないので呼びかけてみると、思ったより小さい声が出た。しかも掠れている。
こんな声じゃ聞こえなかったよね、と思い咳払いをしてもう一度声をかけようとすると、がちゃりとドアが開いた。
こちらを見下ろす燐くんの目には、予想していた冷たい輝きは存在していなかった。その代わり、いつも通りの目と表情で私を見ている。
「入れば」
「あ、はい……」
いつ土下座しよう……。ここだと、もしも親がここに来たときに驚いちゃうから、とりあえず言われた通り部屋に身を滑らせる。
私がドアを閉めた途端、燐くんは置いてあるクッションに座り込む。弾力のあるクッションが燐くんの体を上下に動かした。
「……」
「……」
どうしよう。
あ、違う。ここで土下座だ。悩んでも仕方ないじゃないか。
私は、至っていつも通りな様子でこちらを見つめる燐くんの一メートルほど前で、体を折り畳んで頭を床に着けた。瞬間、視界にちょっとだけ映っている燐くんの足が少し引かれた気がした。
「まことに申し訳ありませんでした……」
声が上手く出ないよぅ……。声帯が働いてくれない……。
事情も説明した方がいいかな……いいよね、言った方が……と考えていると、ぐいっと顔を上げさせられた。目の前には燐くんの困ったような顔がある。
ひぇ……困らせてしまってごめんなさい……。
「謝られる筋合いがないんですけど」
「ごめんなさ……ん?」
俯きながら謝罪の言葉を口にしたが、燐くんの台詞を理解して口をつぐむ。
顔を上げたままポカンとしていると、胡座をかいた燐くんが「状況を整理します」と冷静に話を切り出した。
何で敬語なのか、と疑問に思ったけど、そういえばお母さんと会った後の私のことを『巳稀』ではなく『美樹』として扱っていたときも敬語だったから、今もそうなのだろう。
でも何でそうなるんだ……。
戸惑う私をよそに、燐くんはまず、と指を一本立てた。
「あなたは俺の過去をあの人達から聞き出した。それはいいですよね」
「はい……」
「何でそんなことをしたのかも、察しはついています。どうせ俺のことを気にしたんでしょう。家族仲は良い方がいい、とか」
「はい……ご名答です……」
「それで油断したあの人達は白状した、と」
「白状て……」
別に、脅してはいないんだけどな……。その言い方では語弊が生まれてしまいそうだ。
予想よりもずっと冷静な様子の兄に、私は居心地悪く身じろぎした。もっとこう、冷たい目で見られるとか、拒否られるとか、罵られるとかを予想していたんだけど。
「さっきの話、俺は序盤から聞いていました。おかげで父さんがあのことについてどう思っているのか聞けたので、結果オーライです」
「でも、鼻鳴らしてたよね……?」
「あれは直接聞いてくれなかったあなたに苛ついただけです」
「そう、なの」
なんだ。私の勘違いだったのか。それにしても私が何を不安に思って土下座したのか分かっているようなの、凄くないですか? 察し良すぎない?
ホッとして笑みをこぼすと、燐くんもつられたように口の端を上げた。笑う美少年、格好いい。
「あと、敬語気になるんだけど……。タメ口でいいんだよ? それとも私が妹じゃやっぱり嫌? 他人として接したい? そりゃあ、中身がこんなな妹なんて嫌だよね、ごめんね」
謝ると、燐くんの目と目の間……確か鼻根という部位だったはず。そこに深い皺が刻まれた。
ひぃ……美少年の顰めっ面……格好いいうえに迫力があって素晴らしいと思うわ……。でも今はちょっと怖いわ……。
「お前から後ろ向きな発言が出ると寒気が走るな」
「え、あぁ、そういう?」
「いつも乗りすぎなくらい調子に乗っているのに」
「あはは……」
罪悪感のあまりネガティブモードに入っちゃったかな! 人を傷つけたかもと思うと無性に自分を責めたくなるよね、そういうのありません!? あるはずだ!
敬語でなくなったということは、つまり『気にするな』っていうことでいいのかな。じゃあもう気にしないけど。
アイアムポジティブマン。あ、女だからポジティブウーマンで。
「精神年齢で言えば妹じゃなく姉だけどね。あっ、お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ? むしろ大歓迎」
「姉さん」
「んぐふっ」
不意打ちだった。
こうかは ばつぐんだ! の文字が現れた気がする。
だって、だって、『姉さん』なんて!! なに!? なんなの!? 拒否すると思っていたのに! 何で急にそんな嬉しいことしてくれちゃうの!? 私を萌え殺しする気!? あああ駄目、いい意味で心臓が止まる……! 息が、呼吸ができない……!
私が小声で「心臓が、心臓が」と呟きながら悶えていると、思いっきり見下したような瞳で燐くんが私を見ていた。
どうしよう。今その眼差しはご褒美でしかない。いやこの萌えは変態とかそういうのじゃなくてただ親愛の感情が行き過ぎただけなんです勘違いしないでよねっ!
「喜びすぎにもほどがある。気持ち悪い」
「はぁはぁ」
「キモい」
「またまたぁ、そんなこと言ってぇ。いくら気持ち悪くても嫌いにはならないんでしょ? ん?」
ニヤニヤしながら肘で小突く動作をしてみると、顔をしかめられると思っていたのに燐くんはふいと顔を背けた。
……今度こそやり過ぎたかな。よし土下座をーー
「嫌いには、なれないだろうな」
「……」
待ちましょう。
落ち着こう。
待ってください。
ああああ、待ってよもう……。
私が見ている先で燐くんは顔を背けながら片手で額を押さえている。ほんの少し頬が赤く色づいているのは、私の目が狂っているからではないはずだ。
て、照れられると余計に恥ずかしくなるんだけど……!?
前世でもこうだった。友達に『可愛い』や『好き』などと、褒められたり親愛を表現されたりすると喜びでパニックになってしまうのだ。
この部屋に来るときは悪い意味で大変だったのに、今では逆の意味で大変だ。主に心が。
落ち着け落ち着け。こういうとき、私はどういう対応をしていたか思い出すのです。そう、こういうときは!
「私も大好きだよー!」
「うわっ!」
ハグして、照れ隠しだけどふざけたように好意を返す。ふざけないと熱が出そうなんです。
「『好き』とは言ってない!」
「なら照れないで!? ほら顔赤いじゃん!」
「見るな! というかお前も顔赤いじゃないか!」
「しょーがないでしょ!? 嫌いになれないなんて言われて、どんだけ安心したか! しかも相手は照れてるんだぜ!? 『姉さん』に続いてこんなこと!!」
「うるさい馬鹿!」
兄が可愛い。可愛い。格好いいのに可愛い。この子本当に現実の人間なのか。もしかして二次元のキャラが飛び出してきてしまったんじゃないだろうか。なんてこったい。
言い争いはしているのに、燐くんは抱き着く私を振り払おうとはしない。優しいよねえ!
このまましばらく燐くんと穏やか……穏やかではないけど、この空気で一緒にいたいな。
血は半分繋がっているけど心が他人だから不安だったけど、実質『好き』と言われたようなものだし、嬉しさMAXなのです。この場合の『好き』はラブじゃなくライクだっていうのは分かっている。友達としてか、家族としてかは微妙なところだけど。
でもまあ、そろそろ真面目な話に戻そうかな! 何でこんなに話逸れちゃったんだっけ? 私がふざけたからですね、すみません!
真面目な話というのは、燐くんと父についてってことね、勿論。あともう少ししたらそっちに戻すとして、今はじゃれていよう。……それくらい、いいよね。